fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
パッションリップは不機嫌だった。元からナイーヴな質である、という自覚は最近できてきたけど、そんな対自的理解なんてどうでもよくなるくらい、パッションリップは不機嫌だった。
「ちょっ……苦し……死ッ」
第三層、やや広いホールにて。
高さにすれば5m、直径20mほどの空間は、一般的な人間からすれば、幾分か余裕のある空間と言えるだろう。どちらかというと“大型”のパッションリップでも、物理的には余裕を感じる広さだ。
その広さをして、そいつはデカかった。体つき自体は華奢だったが、何せ背丈がデカかった。3mを優に超す長躯は、むしろ窮屈そうですらあった。
「動かなくなっちゃった」
不思議そうに抱きかかえるリツカを眺めるそいつ。リツカを当たり前のように抱きしめている素振りがそもそもパッションリップにとってみれば憎々しいのに、そいつときたら、
「イェーン」
「い、生きてるぞう」
「キャッキャ」
自分と同じ顔で、何とも無邪気そうに振る舞ってるのだ。
キングプロテア。
それが、そいつの真名、だった。自分と同じ出自を持つ
などと言うと物騒だが。
「良い子だから、そろそろ」
はぁい、と素直に応えた3mの巨体。腕からリリースされたリツカは、表情こそ笑顔だが、冷や汗まみれである。あんな巨体に組み敷かれたんだからそりゃそうだ、と思う。
「随分、懐かれてるな」
パッションリップの隣、ぼそりと声を漏らすアーチャー。なんとなく、キングプロテアを眺める様子は何とも言えない……柔さ、のようなものがある。あるいは敵意なのだろうか。
それにしても、このゴツイ男はなんでこう、空気が読めないのだろう。はちきれんばかりの筋肉が脳まで浸潤しているんだろうか? 恨めし気に横目で睨んでみたが、てんで気づく様子すらなかった。
「痛ッ……踏んでるぞ」
ねじねじ、とヒールで足の甲を踏んだのは、当然意図的だった。無言でプイっとすると、アーチャーはただ首を傾げるかりだった。
「それで、どうするんだ」アーチャーは無言で足を払った。「そのデカいの、連れ回すのか」
くい、と顎をしゃくる。しゃくった先、ぺたんと座るキングプロテアは、不思議そうにアーチャーの姿を眺めていた。
「そのガキ、随分懇意のようだが」
饐えたような物言いは、軽蔑しているようにも聞こえた。その蔑を含んだ声色に、リツカは特に気づいてはいないらしい。キングプロテアはどうだろう。多分、それとなく気づいているだろうか。
リツカは、少々困り気味らしかった。「そうだねぇ」と歯切れ悪く呟いたまま、自分のことをじいと見下ろす巨女を見上げていた。
この迷宮の中、探索中のリツカとアーチャーが遭遇したのが、つい先ごろのことであるという。敵、と思しき神性に遭遇したと聞いて肝を冷やして飛んできたのもついさっき。迷路探索だなんてクソつまらない……もとい仕事をほっぽり出して来てみれば、同じ顔した巨大な幼女がいれば気絶しかけるというものだろう。
「ねえフジマルリツカ」
「何かな」
「あのデカパイ女、なんで睨んでくるの?」
……そしてこの物言いである。無垢そのもの、みたいな顔でずけずけと喋ってくるんだから腹立つわけである。しかも当たり前のようにリツカのことを抱っこしているのは何なのか。何様なのか。
「リップちゃんは素直ないい子だよ」
ふぅん、とキングプロテア。じろじろと値踏みするように見やる様の不躾さといった無い……と、パッションリップは恨めしく思う。
「どん臭そうな女」
忌憚なく、この同じ面の女は言うものである。いっそへちゃむくれに潰してやろうかと手を動かしかけたが、まだやめておくことにした。私は寛恕な御心を持っているんだぞ、と思い込むことにした。決してものぐさが発揮したわけではない。
「この図体のデカさだ。お前の戦い方にも、この場にも合ってないんじゃあないか」
アーチャーは少々焦れたようだった。
「強力な神性、というのは伝わるが」
そう付け加えたのは、別にキングプロテアへの何某かの配慮……というわけでは、多分、無い。むしろ、純粋というよりは単純な、畏れみたいなものだろうか。
キングプロテア、という存在者は、アルターエゴの中でも極めて異質だ。何せ、存在そのものはデータとして知っているが、その実像そのものは同じアルターエゴのパッションリップですら知り得ないのだから。アルターエゴなのだろうから、当然何某かの複合神性なのだろう。そしてその威圧感たるや。ぺたんと座ってアホ面……もとい無邪気そうな顔で物欲しそうにリツカを見下ろす様に反して、パッションリップですら怖気を感じるほどのものだった。ましてどこぞの馬の骨とも知れぬサーヴァントではさもありなん、だ。
リツカは、それを感じているのだろうか。ほとほと困った、というように見上げる横顔からは、畏怖めいたものは伺い知れない。
「作戦変更」
「なんだって?」
「もう少し進行速度……ペースを落そう。2班で基本動くって基本方針は変わらず。それにこの子を加えるってこと」
えいや、とリツカが手を伸ばす。地べたにペタン座りするキングプロテアの巨体には、それでも顎先から頬にかけて手が触れるだけだった。いや、それで十分だった。巨大な幼女は、それでも十分以上に喜んだ。黄色い奇声をあげながらリツカの両脇に手を入れて持ち上げる姿は、玩具で遊ぶ子供そのものだ。
「しかしだな」
「基本、こういうホールで待ってもらおうか。私らが進んで次のホール見つけ次第、後からゆっくり来てもらおうかな。どう?」
キングプロテアはぽかんとした顔のまま、ただ首を捻った。よくわかっていない、ように見える。宙に持ち上げたリツカの姿を、不思議そうに観察していた。観察、そう観察。悍ましい右の目が、無垢にもリツカの姿を反射させている。何故か、パッションリップはそれが無性に腹立たしかった。
「理由、聞いてもいいですか」
パッションリップは口にしてから、愚かなことを喋っている、と思い直した。理由なんて考えるまでもないではないか。
「そうだね」
鬱々、としたパッションリップは気づかなかった。まだ関係が浅いアーチャーもわからなかった。リツカはこの時、ちょっとだけ、目を泳がせていた。パッションリップの堅い声色への戸惑いだったのだ。
「単純に」と言いながら、リツカは酷く、気分が悪そうな顔をした。それも、一瞬だけだった。「神霊のサーヴァントで、しかもステータスを見る限りプロテアちゃんは超強いからねえ。もし戦闘になったら有力な戦力だ」
「じゃあ、そいつ……その子1人に戦ってもらえばいいじゃあないですか」
言ってから、自己嫌悪した。思わず強張った語気の気弱さも、不快極まりなかった。
「私は、あんまり無暗やたらに暴力は奮いたくないんだよ」
パッションリップは、思わず泣き出しそうになっていた。ごく自然に喋るリツカの、ごく自然な微笑が、何故か異様に痛ましく見えていた。地に塗れる殉教者の薄汚れた土色の死に顔を見れば、きっとこうなのだろう、と思わされるような。それでも涙腺が持ち堪えたのは、別にパッションリップという人格の健やかさのお陰などではなかった。ただ、自分にその資格がないことをよくよく承知していたからだ。
「まだ何か疑問はあるかな」
疑問などあろうはずがなかった。大丈夫です、と応えると、リツカは安堵したように頷いた。
アーチャーも肩を竦めるように、首を横に振る。キングプロテアはあまり状況を理解していない表情だが、それとなく場が収まったことは理解しているらしい。三者をそれとなく見回して、最後に、リツカをじい、と眺め始めていた。
待っててね、とリツカが手を伸ばす。キングプロテアはしずしずと頭を下げると、頭に手を置かせた。
一瞬、リツカの身体が強張った。ような、気がした。頭を撫でる姿勢のまま硬直したのは、それでも1秒ちょっとだったろうか。
いや、気のせいかな、と思い直した。手を下ろして何事か頷く彼女の素振りは、いつもとそう変わらないように。
「じゃあ方針も決まったし、予定通り動こうか」
※
じゃあね、と手を振る彼女の後姿を見送る。真似してみるように手を振り返したキングプロテアは、それから、のそり、と視線を変えた。
別な通路の入口から出ていった、同じ顔をした姉妹の姿はもうない。健気にもフジマルリツカの言う通りにする彼女を思い返して、キングプロテアは少女然とした、素直な笑みを浮かべた。
手を持ち上げる。立ち上がってみて、天井に触れてみる。高さは5mはあろうか。本当の彼女であれば悠々と破壊して立ち上がれる大きさだが、今はまだ、その時ではない。
もう一度、ペタンと座り直したキングプロテアは、そのままごろんと横になる。暗く冷たい場所に押し込められるのは、それなりに慣れている。こうして明かりが合って、自分の自由意志で起きたり寝たりできるだけ、ここは天国だろうと思う。見てくれはどう見てもミルトンの『失楽園』序盤、ルシファーが叩き落されてベルゼブブとだらしなくくだを撒いているシーンのあの洞窟、という風体だが。
ところでミルトンの失楽園の善いシーンと言えば、やはりルシファーがエデンへ向かう飛翔が挙げられるだろう。暗い地の底から明るみに翔ぶ雄々しい悪魔の姿は、果たして本来悪しき者であるサタンに対して何かエールを……エールというのも奇妙だが……送りたくなるシーンとも言えよう。別に彼女はサタニストというわけではないし、堕天についてさしたる関心があるわけでもなかったが。一重に、サタンに自由意志のために戦う剣闘士という性格を付与せしめたミルトンの壮大な書き味が為せる業ということか。登場する神や悪魔、そして人間たちへの哀愁にも似た顕微鏡的機微を寄せるミルトンのテクストは、なるほど歴史に残る作品というだけのことはあるのだ。
個人的に好きなところは、他に挙げるならばやはりサタンがやってくる寸前の、あの静謐に満ちた菫色の闇夜の描写であろうか。何かが始まり、裂ける寸前の原初の夜の描写の清らかさどか弱さは、流石ミルトンのテクストと言わざるをえまい。その他挙げればきりがないから、ひけらかしはここいらでやめるとしよう。
キングプロテアは静かに眠りについた。多分、リツカが起こしにきてくれるだろう。それだけを楽しみにして、彼女は深い泥濘に堕落するように、自意識を溶かした。
すやすや。