fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅲ-1”薄雪草(エーデルワイス)”の花

 「お前は生きてて辛くないか」

 「何急に哲学者みたいなこと言いだして。胡散臭いよ」

 相変わらず地面を調べるためにしゃがんだり、天井を見上げたりするリツカは振り向きもしなかった。アーチャーは特段気にもせず、リツカと同じように、天井やら壁やらを見回した。実際のところ、ほとんど探してなどいないのだが。

 「生きてて辛くない生き物なんていないよ。みんな、ひーこらして生命なんて面倒なこと押し付けられて生きてるのさ」

 「それはそうかもしれないな」

 アーチャーは素直に同意した。それ自体は別に意外でも何でもないらしいが、リツカは少し興味がある、というようにアーチャーを振り返った。

 「それで、あなた様はどちらの英雄でらっしゃるのですかね」

 「記憶がないと言っているだろうが」

 「そうでしたね」

 けらけら、と笑うリツカ。なんだか手玉に取られたようで癪だったが、アーチャーは押し黙ることにした。彼はそう、口が上手いタイプではないのだ。思わず押し黙ったアーチャーだったが、さりとて恨めしいようでもなかった。彼は、特に他人の挙動に一々心の波風を立てない質なのだ。基本、他人などどうでもいいと思っているから。

だから、

 「客観的に見ると、人並よりは辛い立場かもしれないね」

 リツカがそう言った時、それが何を意味しているのか一瞬掴みかねた。

 「人はいつか滅びるものだし、また世界だっていつか滅びるものなんだ。それが今になるか先になるかの違いがあるだけで……だから、今回私たちが何某かの失敗をして世界が滅ぶんなら、それはなんというか……言い難いんだけど、間が悪かったんだよ。それだけのことなんだ。人類滅亡なんてのは、大したことではないんだ」

 「滅びは悪ではないと?」つい、矢継ぎ早のように口にしていた。はっとしたアーチャーだったが、リツカは、さして何かに気づいている風ではない。アーチャーは相変わらず、急いで言葉を継いだ。「とんだ頽廃主義者だ」

 「私は人類って奴が基本的に嫌い……好きじゃあないんだ。人類が存続すること自体に価値があるとしても、私はその価値がどうでもいいと思ってんだな」

 「お前は、本当にフジマルリツカ、なのか」

 「一応?」リツカは、笑いながら困ったように肩を竦めた。「あなたの知る私は、人間が好きなのかい」

 言われて、アーチャーは口を噤んだ。今更記憶喪失ごっこの真実味がどうこう、というのはおいておいて。実際彼が、あの赤銅色の髪の女について知っていることはあまりに乏しかった。ただ、あの時剣を交え雌雄を決する場に居た人間……そのくらいのことしか、アーチャーにはわからなかった。

 「ではなぜ戦う」

 「国連からお賃金を貰ったから。責任、という奴だよ」

 素っ気なく言うや、リツカは黙然、と歩きながらの調査を開始する。なんだか、さっきより、動作がてきぱきしている。それとなく表情を伺うと、なんともぎこちなさげな笑い顔みたいな表情だ。それが照れ笑いなのだ、とまでは、アーチャーはわからなかった。

 「それで、質問の答えなんだけども」

 一呼吸、リツカは思案した。

 「プロテアちゃんは強いね。間違いなく強いハイ・サーヴァントだ」

 言いながら、リツカは右腕を持ち上げた。右前腕をなぞる朱色の刻印が、朧に明滅している。その意味を理解しかねる内、リツカは令呪を撫でるように、左手で抑えた。

 「私のサーヴァントになったんだよ、彼女」

 思わず、眉間に皺を寄せた。思い返してみても、そんな素振りはなかったはずだ。

 マスターとサーヴァントの契約は、基本的には双方の同意のもとに成立するものだ。そして、簡易的であれ何がしかの儀礼的行為を必要ともする。あの巨人を騙るサーヴァント……キングプロテア、という名の複合神性は、それらを全てすっ飛ばして、ただ自分の意思だけで強引にサーヴァントになった、ということだ。

 「プロテアちゃんは、私のことが何やらとても好きみたいじゃないですか」

 「……何の話だ」

 「恋慕の話だよ。朴念仁なのアーチャーは? バキバキに童貞か、その見た目で?」

 呆れた、と言わんばかりのリツカの顔。この女は話が結構飛ぶし、そこに一見論理的な繋がりがあると認識できないことが多すぎる。だがそんなことより、アーチャーとしては朴念仁呼ばわりされたことが、端的にショックすぎた。根拠のない誹謗ではないのだ。むしろ心当たりがありすぎた。

 「それでさ、リップちゃんもさ、私のことが好きじゃあないか」

 ショックのあまり自失状態のアーチャーのことは丸無視で、リツカはちょっと気恥ずかし気に続けた。

 「同じ顔をした複合神性(ひと)同士が、私に好意を寄せるというのはどういうことなのかなぁと」

 「何がしかの意志が介在している、と考えられるのか」

 「それは何とも。ただ、そんな風に好意を寄せてくれる人につけこんで戦わせるほど、私は立派な人格の持ち合わせがなくてね。まして、どうあれ子供を戦わせるのはね」

 やれやれ、と肩を竦めるリツカ。あきれ顔は相変わらず。むしろ不快さすら惹起させた表情は、彼女らしからぬ棘を思わせた。

 「ならパッションリップはどうする」ようやっと、アーチャーはショックから立ち直りかけた。「あれもそうなのだろう」

 はあ、とリツカは酷く重いため息を漏らした。じとり、と向けるあの呆れの視線。無言でじい、と見つめてくるその眼差しの意味は、なんというか、よくわかった。つまるところ、さっきと同じだ。

 「アーチャー、あなた相当にチー牛なんじゃないか」

 「言うな、わかる……いやなんだその言葉は」

 「三食チーズ牛丼を食べそうな人種の略称。でも美味しいんだよねチーズ牛丼、私は好き」

 「はえ~」

 じとーっとした視線は相変わらず。ぐるぐると右側頭部の髪の一房をかき回したリツカは、それでもちょっとは視線が柔いでいた。呆れはまだ残っているが、仕方ないな、というようだ。

 「あの子はまだなんだ。でもきっと、いい子になるよ。だから」

 「生き辛いことだ」

 「そうだよ。いっそのこと厭世主義者にでもなれば気楽なんだけどね。でもシニカルになれてもペシミスティックにはなれないから。だってキモいじゃん」

 からから、と彼女は嗤う。天に底抜けるような気楽さは、酷く貧しくさえ見えた。吹けば飛ぶようなおぼつかない存在感。それでいて、吹いて飛ばされても、宙に舞いながら気楽に鼻歌でも歌っているのだろう。

 何故か、その醜いまでの気楽さが、

 「フジマルリツカ」いや、と軽く首を振った。「マスター」

 「なんですか、改まって」

 「いや」

 言いかけて、言い吃ったことに驚いた。朴念仁、と言われた言葉が過った。

 「お前がマスターで良かった」

 過ったから、なんとか口にすることにした。

 「お、なんすか急に。照れますねえ」

 はにかむ彼女。本当に彼女は照れているのだろう。それでいて気軽に言ってやるその軽快な身振りは、アーチャーにはまねできないな、と思った。

 なんでもないさ、と言いながら視線をどっかへ放り投げたのは、それこそアーチャーの照れ、だった。

 「あ」

 そうして放り投げた視線の先。具代的に天井に、何かがぶっ刺さっていた。

 「あ?」

 「あれ、そうじゃないか?」

 釣られて天井を見上げるリツカの視線に、指先を合わせる。もう一度「あ」と呟くと、アーチャーと同じように手を持ち上げ、

 「ガンド」

 「うわ」

 何の気なしに魔弾をブッパ。物理破壊を伴った指差し魔術のよって放たれた魔弾は天井一体を抉り取り、ばらばらと振ってきた土くれが舞う。土煙の中、ひらひらと舞い降りた紙切れを握ると、アーチャーは、改まって紙を開いた。

 

 “アスタロト、アシュタロス、マグナ・マター……イア! ■■■=■■■■!

  ゴルゴ、モルモ、千の貌を持つ月よ、我らが生贄をご堪能あれ……

  雄羊と千頭の牝羊により、そなたの聖域をさらに崇めるために、われらの子種で見たしたまえ……

 ■■■=■■■■よ、祝福したまえ(ゴフ・フパデン・■■■=■■■■)……“

 

 相変わらず不明瞭な文字列だが、まだ了解できる文面もある。この星の神話体系に顔を出す神性の名、あるいはその総評とでも言うべき呼称は、アーチャーにもわかる。

 だが、だから何なのか、と言われたらやっぱり不鮮明だった。結局何か意味のある文字列なのかは判断しかねた。そもそも、アーチャーはそんなに頭がいいわけでもなし、知悉に富むわけでもない。畢竟、彼の仕事は何か考えるわけではないのだ。

 「マスター、これは」

 リツカに話を振るのは、だからごく当然のことだった。眉間に皺を寄せたまま、150cm前後しかない小柄な女を見下ろした時、アーチャーはいち早く異変に気付いた。

 酷く顔が青ざめている。脂汗を額に滲ませながら身を屈め、えずくようにしながら、左手で、右腕を、令呪を鷲掴みにするように、抑えていた。

 「マスター!」

 咄嗟、手を触れかけながら、アーチャーは寸で制止した。いや、それは正確な表現ではない。アーチャーは、掣肘させられたのだ、今まさに身悶えはじめたマスターの、その眼球によって。

 呼吸さえできなかった。それほどに、リツカの“手を出すな”という意志の勁さは尋常ではなかった。振りほどこうと思えば振りほどこうとは思えただろう。だが、翻って言えば、リツカのその命令の強さは、アーチャーをして意識的に振りほどこうと思わなければ弾けないほどのものだった。

 それだけでも、アーチャーからしれみれば驚嘆すべき事象だった。人類(にんげん)如きがこれほどの膂力を持つのか、という畏怖。彼にとって、人間などはただ神に飼われるだけの繊弱な存在者でしかなかったのだから。

 だが、本質はそこではない。真に驚嘆すべき事柄は、彼女が強靭な意思を発露させていることそのものではなく、今まさに心停止しかけているのに、その意思を維持し続けているという悍ましさだった。

 “何かに耐えている”。

 パスを介して、アーチャーが直感的に理解したのはそれだった。何に耐えているかは判然としない。だが令呪をかきむしり爪で皮膚を抉って流血しながら、何かに耐えている。しかも敢えて、耐えるという行為を選んでいる。

 「すべての無限の中核で冒瀆の言辞を吐きちらして沸きかえる最下の混沌の最後の無定形の暗影にほかならぬすなわち時を超越した想像もおよばぬ無明の房室で下劣な太鼓のくぐもった狂おしき連打と呪われたフルートのかぼそき単調な音色の只中餓えて齧りつづけるはあえてその名を口にした者とておらぬ果しなき魔王───」

 「止せ!」

 静止を振り切り、思いがけずにうなだれ始めたリツカの髪を掴んで惹き起こしたアーチャーは、ただただ絶句した。

 耳と目から、何か透明な液が流出している。さらさらしていて、どこかてらてらと光沢を放つ異様な臭気の液体……脳脊髄液、一般的に言うところの脳漿である、と思い至った時には、もう遅かった。

 「お、おい」

 「いぐな……いぐな……」

 不意に……というよりは必然的に、リツカの身体が萎えた。ぎょっとしたアーチャーが指の力を解けば、重力に阿諛追従するように、肢体が地面に墜落した。

 一瞬、間があった。一瞬だけだったというのに、凄まじいまでの闃寂だった。世界が終わったかのような、あの時のような静けさだった。その間の中、恐々と身を屈め、その肉体を、凝視した。

 アーチャーに、近現代の医療知識などはあろうはずがない。まして救命救急の知識などは皆無である。何をどう見て物事を判断するか、などということはわからなかった。だが、それでもそれなりにわかることはわかった。目の前でただ物体となって臥床する肉が、呼吸をしていないことくらいはアーチャーにも了解できた。

 端的に言って、目の前でおきている事象は、極めて簡潔な物事だった。生命があるものであるならば、最終的に誰しもが経験する普遍的事象であった。

 地に臥したまま、耳から脳漿を垂れ流しにする姿を見。アーチャーはただ、途方に暮れた。

 アーチャーにとって滅びや死は馴染みのものであったのだけれど。何せ、死をどうしていいか、については全くのド素人で無知だったので、彼には何をすべきかなどわかろうはずもなかった。

 

 ※

 

 パッションリップはその時、結構機嫌が良かった。元より、どちらかといえば素直な少女である。良いことがあれば気分はよくなるし、悪いことがあれば気分は急降下である。どっちかというとダウナー気があるので下振れが大きい、とは注釈しておくが。

 要するに、今日は良いことがあったので気分が良かったのである。彼女なりの勤勉さでリツカから申し渡された仕事をこなして、今はリツカが来るのを待つばかりだ。

パッションリップは彼女なりではあったけれど、真実勤勉だった。既にこの階層の敵が何であり、場所も既に索敵済み。あとはリツカとアーチャー、そしてあのデカい邪魔者……ではなく、キングプロテアがやってくるのを、最奥手前のホールで気長に待つだけである。

 待つ、というのは、不思議な感覚である。時間、というものが、柔く延びていくよう。けれど、焦れるというのではない。ぐるぐると巡る情動の環状線が滞留し、一つどころに凝固しながら時の流出に身を揺蕩わせていく刹那と永劫の交接地点。多分、待とう、と思えば四季が巡って老婆になるほどにも待ててしまいそうな、そんな感覚。

 「まだかな」と口にしてみる。桜みたいな口唇から漏れた自分の言葉に表情筋を綻ばせ、パッションリップは鼻歌なんかを口遊んだ。

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