fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
キングプロテアは、ふと耳朶を打った音にちゃんと気が付いた。
睡眠、という微睡みから緩慢に思考を浮上させる。左側臥位の姿勢から、まずはこの瞼を持ち上げる。といってもまだ半開き。並列して、枕にしていたこの右手をずらし、地面に設置。支店にしながら気怠い身体を持ち上げて、投げ出していたあの左手でも地面を支える。伏臥位の姿勢になったら今度は膝小僧で地面を押し上げ、4点で身体を支えながら起き上がる。さながら芋虫みたいになりながら、両の掌で地面を押し上げ、痩せた臀部を地面にのっける。のそのそとぺたん座りを終えた頃には、キングプロテアは、件の人物を目の前にしていた。
やあ、と手を上げる赤銅色の髪の女。右側頭部に一房結んだ髪をぎこちなくかき回しながら、リツカは微笑みたいな苦笑いを浮かべていた。
何かあったの、と尋ねてみる。いや別に、と応える彼女の表情は相変わらずだ。微笑のような苦笑い。そうとしか言えない顔立ちは、なんだか、嫌だな、と思った。どちらかと言えば、申し訳ない、という気分。
「キングは大丈夫?」
小さく、首肯を返す。リツカは特に何も言わず、黙然、とキングプロテアの瞳を見返した。だいたい5秒。リツカは反応も鈍く、「それじゃあ行こうか」と踵を返した。
キングプロテアは、現在300cmほどの大きさになる。人間からみれば望外の巨大さだが、彼女からすればむしろ最小値よりもさらに小型だ。この手狭な矮路を進むには仕方ないにせよ、物凄く窮屈である。まず心情的に窮屈だし、何より、物理的に狭いのだ。具体的にどう狭いかと言うと、四つん這いで
キングプロテアは、のそのそ、と先を歩くリツカのうなじを眺める。お腹が空いたな、と思った。くうくう。
「腹減ったな」ぼそ、と独り言みたいにリツカが言う。「ハンバーガーとか食いたいな、ハンバーガー」
なにそれ、と尋ねてみる。キングプロテアにはわからない食べ物だった。
「アメリカ合衆国の食べ物だよ。あーアメリカ? 近代に生まれた国。起源はむしろ遊牧民のユッケみたいな食べ物らしいよ。歴史のある料理だね。
タルタルステーキを食べやすくしたのがハンバーグ、ないしハンバーガー。ハンブルクで作られた食べ物だからハンバーガー。私の住んでる日本では、そのまま焼いて食べるのをハンバーグステーキって言って、パンで挟んでサンドイッチ風にするのがハンバーガー、って区別してる。マズいハンバーガーはなんかすっかすかで紙粘土みたいだけど、美味しいのは極上のステーキに勝るとも劣らないね。
まぁ庶民が食えるのは所詮安物だけどね。ファストフード店の雑いバーガーがやっぱり主流。そういう時代だからね、21世紀ってのは。
で、なんだっけ?」
ハンバーガーが食べたいと言い出したんだ、と伝える。そうだったかな、と逡巡してから、リツカは軽く頷いた。「そうだった」
「最近パルプ・フィクション見たんだ」リツカはぶつぶつと気だるげに続ける。「タランティーノの映画。サミュエル・ジャクソンとジョン・トラボルタのだらだら会話の中にバーガーを食う話がある。それ思い出しただけ」
「初タランティーノ映画はキルビルだった」リツカは歩きながら肩を竦める。「あれは映画といっていいのかどうなのか。何見せられてんだろう? が延々と続く癖に超面白かったんだよな。ユマ・サーマン普通に日本刀持って旅客機乗ってるシーン本当に何なのかっていう。日本を何だと思っているんだよタランティーノ」
「まあでもキルビル2とかもそうだけど。あれだけしっちゃかめっちゃかストーリーテリングしてるくせに最後綺麗に物語を畳むから、タランティーノってすごいんだよな。ブルール・ウィリスが日本刀見つけるところは正直大草原だったけど」
はた、とリツカは足を止めた。それまでただ気だるげに歩きつけるだけのリツカが、不意に丐眄する。
「大丈夫?」
それはこっちの台詞、と返す。図星を衝かれた、というように表情を顰めてから、「子供は気を回すんじゃないよ」
リツカだって子供だよ、と言う。なおさら顔を顰めたリツカは、「自省できないしな」とレバーのあたりを摩った。
「どうでもいいんだけど」リツカはまた、だらだらと歩き出した。「ナイル川とアメンホテプの悪魔合体した名前みたいな奴は、神サマの名前なの?」
言いはして、リツカはなんの頓着もなさそうに歩いている。一瞬止まりかけたが、キングプロテアは前を歩くリツカと同じペースで歩いて行く。
「無貌の月。闇に吠えるもの。外なる神々、蕃神たちの使者。這い寄る混沌」
「ロンドンで読まされた三流珍小説らしい修辞の多用だね。あぁごめん、悪く言うつもりはないんだけど」
いいよ、と言葉を返す。キングプロテア自身、外なる神だかなんだか知らない凡神のことはどうでもよかった。
「どんな神サマなの、その……なんだっけ?」
「ナイル川の?」
「そうそれ」
どんな、と言われると色々困る。キングプロテアの知るところはほとんどない、といっていい。
「恋してるの」
「なんだって?」
「アメンホテプは恋をしているの。人間に」
言ってから、キングプロテアは少々小首を傾げた。ニュアンスが合っているかどうか、彼女には測りかねた。キングプロテアは、恋、なんて七面倒くさいものはあんまりよくわからない事象だった。
「セカイ系っていうのかなぁ。今更幼稚園児しか好きにならないかび臭いジャンルだと思うけど、まぁありきたりではあるか」
リツカの物言いはちょっと呆れ風。それだけ言い終えると、彼女はまた、「んで最近見たデスプルーフinグラインドハウスは」とさっきの会話に戻っていく。
ちょっと待って、と彼女を止める。「なんや」と振り返るリツカ。何も聞かなくていいの、と尋ねると、
「他愛ない話ならともかく。多分応えないでしょ、本質的な話は」
思わず、押し黙る。おずおずとリツカの表情を伺ったが、リツカはただ、からりとした微笑を返してくれるばかりだ。
「まだ19歳のクソガキですけどね。聞けば答えが返ってくると思うほど甘ちゃんじゃあないつもりですから」
「偏屈ババア」
「ババアとはなんだババアとは、ギリ魔法少女名乗れる年齢だぞ。な●はさんなんて25だぞリリカルだぞ」
「戦記になってた」
「それはまあそう」
ちょっと納得げなリツカ。気まずそうに髪の一房を弄りながら、「その、外なる神っていう人ら(?)はみんなそんななのかい」
「例の珍小説群を読む限り、どっちかというと悪さをするイメージしかないけどね」
「うーん。どうでもいいんだと思うよ、この星なんて。人間だって、いちいち石ころに気を払わないでしょ?」
「宝石とかもあるしね。地質学者とか」
「ポテトはそういう類の変人なんだよ。今回は黒山羊さんも大分お熱」
「なんだっけ? 渋谷……なんだっけ?」
「肉がなんとか。副王の奥さん。ケジメをつけにきたんだって」
「ヘラみたいなもんかぁ」
「シュブさんは良い子」
「それはあなたが同類だからの感慨?」
リツカはやはり、特に振り返りもしていない。ぼーっとして周囲をきょろきょろ見回して歩きながら、弱弱しい背中を見せている。キングプロテアが指で突けば、簡単にへし折れてしまいそうだった。
「まぁこれでもマスターなんてクソ仕事を長くやっているものでして。でも別にいいでしょ?」
いいよ、と応えるように、キングプロテアは首肯する。藤丸立華のことが知れたから、これはこれでいい、と思う。そもそもそうさせなかったのは自分なわけだし。
「ティターニアにアイラーヴァタ。それと、ティアマト。実り豊かな大地の女神を元に作られたのが、キングちゃんなわけだ。
メルトやリップちゃんの事情を知った時も大概たまげたけど、正直その比じゃあないね。しかもでっかいし」
くるり、と前を歩くリツカが身を翻す。後ろ歩きのまま、興味深そうに上下とキングプロテアを見やる視線。柔く赤銅色に眼差す様に、キングプロテアは、おおむね残念だなという感慨を惹起させた。この世界は、窮屈だな、と思った。恨めしくもあった。
あんまり驚いているように見えない、と意地悪く伝えてみる。目を丸くしてから、リツカは「チンパンジーじゃあないからね」と草臥れたように答えた。
「でもよかったよ」何が、と尋ねるようなキングプロテアの表情に、リツカはすぐ答えた。「だって、そのお外の神様たちは自分たちの都合で動いているんでしょう?」
「仲間かどうかはわからないよ」
「敵じゃあないならそれでいいよ。利害が一致しているのが一番だ。倫理観とか良識なんて曖昧なものを持ち出されなくてよかったよ」
いつも通りの微笑を引き抜いて、リツカはまた、通路の先へと振り返る。プリーツスカートのポケットに手を突っ込んで歩くその背に、愛らしい欺瞞を負っている。人間とはそういうものらしい。
キングプロテアは手を伸ばしていた。そもそも彼女はそういう存在者だった。要するに、彼女は欲求に素直……というより欲求そのものを象ったキングプロテアは、行動と思考の間隙があまりに薄い。
この手に揺蕩う捕縛の感触。五指を越して感じる、タンパク質を握りこむ柔和な肌触り。右手に握られた藤丸立華の姿を持ち上げて、左の菫色の目で、その姿を凝視した。
この時握りつぶす欲情に従わなかったのは、ただそう規定されていたからだった。そうできないことがとても残念だナァ、と思った。
「嘘つき」
「よく言われる」
※
「じゃあ状況を」
はい、と返事する声がおのずと弾む。パッションリップに明敏な自覚こそないけれど、あわい感慨はなんとなくある。自然、表情が緩むパッションリップである。
「ええと」
なにはともあれ。
とりあえず、自分の言語でなるだけ進める時だ、と思い返す。自分を眺めやる視線3つを引き受けて、パッションリップは、改まって、まず咳払いした。
「ホールの広さはこれまでと変わりありません。機動格闘戦を行うのに十分だと思います。
えと、それで敵は1騎。サイズは人と同じくらいです。2番目の巨人と同じで、今は動いてません。敵の詳細は不明、えーと、一応見た目は共有した通りです。
多分なんですけど、北欧神話における御使い……ワルキューレ、だと思います」
「根拠は……」そう言ってから、リツカは自答を重ねた。「なるほど。同朋意識か」
納得したように一人頷くリツカ。キングプロテアはそもそもあまり話に興味がないらしく、だらりと臥床して微睡んでいる。ただ独り、アーチャーだけは怪訝な面持ちだ。
「リップちゃんは」一瞬、リツカが探るようにパッションリップの瞳を覗き込む。頷き返した。「リップちゃんを構成する神性は3柱。その内の1柱はブリュンヒルデなんだよ」
間、おおよそ五瞬ほど。「なるほど」と独り言ちたむくれ面のアーチャーの心情はよくわからない。まぁこのむくつけきゴリラが何を思おうとどうでもいい、と思うパッションリップであった。
「どのワルキューレかはわかる?」
「そこまでは」
しゅん、と肩をすぼめるパッションリップ。「いや良いんだ」と即座に続けると、リツカは眉間に皺を寄せ、壁に身を預けた。
あとは、リツカがどうするかを考えるのを待つだけ。パッションリップが想像を巡らせる必要はないし、また彼女は必要のないことはしないことにしている。
その代わり、彼女は散漫に思考を……それを思考と呼ぶのは大体烏滸がましい限りだが……あわいのように漂わせる。
なんとなく、だけれど。
パッションリップはそれとなくリツカの表情を伺って、首を傾げている。あまり体調はよくなさそうだな、と思った。何故なのか、まではわからない。どちらかと言えば疲労困憊といった面持ちというべきか。とかく、リツカはどこか疲労を滲ませている。
ざわざわする。心臓に400番のサンドペーパーを撫でつけるように、何かぞわぞわする。キングプロテアは相変わらず寝ている。左側臥の姿勢で呑気そうだ。アーチャーも相変わらずの仏頂面で、憮然としている。
と、アーチャーと目が合う。近代人らしい洗練された佇まいの中、どこか野蛮さが宿る赤い双眸と視線がぶつかった。その実、視線がかち合ったのは2秒とてなかったし、実際体感としてもその程度だった。ただ、何故かアーチャーの身振りが気になった。視線を泳がす素振りが、妙にぎこちない。
???
「基本方針は前のドラゴンとか巨人の時と変わらずやろう。リップちゃんの【気配遮断】を活かして背後から奇襲。一撃必殺を目指そうかな。
アーチャーは仕損じた際のバックアップ。入口のここ、ちょうど隠れられそうだからここに待機して狙撃待ちでいこう」
「俺が狙撃して早めに潰せばいいと思うが」
「基本的に、格闘戦で制圧したいんだよね。頭の花は確保したいし」
「キングプロテアを持ち出さないのもそれが理由か?」
「まーそんなとこ」
リツカは素っ気なく応えると、アーチャーはとりあえず頷いた。納得した、ということだろう。パッションリップには、そもそも意見がなかった。
「作戦推移に移ろう。まずアーチャーが所定位置へ移動。移動完了後、リップちゃんが動き始める形。動き始めたら30秒以内に敵の背後に展開、奇襲で撃破。ここで失敗した場合、リップちゃんは防戦に回って。攻撃の主体はアーチャーに変更、アーチャーはさらに背後から強襲しようか。これ以降は相手の動き次第だけど、基本はリップちゃんとアーチャー、どちらかが戦闘に入ったら防戦に回って、もう一方が側背から攻撃、というセオリーで戦ってね。単純な話、こちらの数的有利を崩さず、慌てず戦えば勝てるのが殺し合いだから」
いいかな、とさも当たり前のような顔で語るリツカ。苛立たし気と言えばそう、平素と言えばそう。如何とも表現しがたい温和な微笑のリツカに、パッションリップは哀惜の閉口に黙した。
「それじゃあ行こっか。慎ましくね」