fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
42時間後
第四階層目、ホールにて
「じゃあ早速」
相変わらず地面に腰かけたまま、リツカは気だるげに促した。リップちゃんの情報からいただこうか、と、表情だけは、いつもの朗らかさだ。
はい、と勢い頷くパッションリップ。情報こそが、敵との凌ぎ合いを制するための重要な要素だ。敵が何者であるか、だけではない。どこにいて、どんな武器を持っている。そうして情報から戦う術を組み立てていく。彼女の仕事は、リツカに、その情報を提示して、その上で自らの解釈を渡すことだった。
「えと、じゃあマップを見てください」
頷く2人。キングプロテアは、リツカを運んでくるなり、ホールの入口で、また眠りこけている。
「最終ホールの広さ自体はこれまでと変わりありません。奥にドアがある、という構成も変わりません」
「敵が一人いる、という配置も変わらない?」
リツカの声に、パッションリップは首肯した。これまで潜ってきた3つの階層と、大まかな配置は変わりない。曲がりくねった途方もない迷路があって、最後に広いホールがあって、そこに番人のように、敵がいる。何かを守るように聳える敵は、これまで3種だった。はじめは亀みたいな雑竜種で、次に巨人で、前回は、ワルキューレだった。
そして、
「問題は、その敵そのもの、ということかな」
僅かなパッションリップの表情の機微を、リツカはよく見ていた。
無言で軽く頷いて、そうして一拍、パッションリップは息をのむ。怯懦によく似た躊躇に口唇を惑わせながらも、それでも勇んで、彼女はそれを口にした。
「シグルド。それが、敵の真名です」
空間投影されたMFDに、もう一つウィンドウが立ち上がる。【気配遮断】をもって抜かりなく潜入してきたパッションリップの視覚情報が捉えた姿は、無骨な鎧の剣士だった。
シグルド、と、漏らすような声が耳朶に触れた。思わずディスプレイに近づいたアーチャーは、険しい表情でそれを見ている。
「北欧神話きっての大英雄じゃあないですか」
リツカの弁は、ほとんど呆れみたいなもんだった。眉間に皺を寄せて慨歎する素振りは、この敵が如何ほどの強敵なのかを、既に悟っていることの証左であろう。
「武装から言ってセイバークラスと見做すのが妥当。となると、さっきみたいな無茶はできないってわけだ」
「馬鹿なことを言うな。仮に対魔力などなかろうが、ただの人間でしかないお前があの男に敵う道理はない。」
軽口を言うリツカに、ぴしゃりとアーチャーが諫める。思いの他強めな言質にちょっと目を丸くしながらも、リツカはすぐに表情を緩めた。というか、歪めた。にやり、って音がするくらい。「まるでシグルドを知っているみたいだね」
「知らない」
「嘘つけ」
「知らん知らん知らん」
「はいはい」
妙に意固地なアーチャーに、リツカは相変わらずニヤニヤしている。
理由はよくわからないけれど、アーチャーは、リツカのことを信頼しているように、見える。アーチャーの真名はわからないし、多分明かす気もないのだろうけれど。むしろ多分、それこそが信頼の根拠なのだろう。リツカにしても、アーチャーの真名自体には、本当は興味はないのだと思う。多分。
……そんなことを、パッションリップは、じっくりしなやかに思考していた。
「リップちゃんの言質もあるし。それにどうやら北欧出身のアーチャー君も言ってることだし、このセイバーらしきサーヴァントがシグルドであることは相違ない、と考えていいだろうね」
「……頭にみょうなものが生えているがな」
「松かな」
「花ではないんだな」
「活け花だと木物ってあるからね。むしろそっちの方が古いし」
「物知りだな」
「立華なんて名前だし。まぁ別に池ノ坊とかの心得があるわけではないんだけども、多少は」
言って、リツカは手慰みのように、顎に手を添えた。これをどう倒すか、という思案を巡らせているに違いない。
本来。
パッションリップの役目は、ここにはない。正直に言って彼女はそんなに頭が良いわけではないので、“どう倒すか”という作戦指揮に携わることは、まあはっきり言えば分不相応な仕草だし、パッションリップ自身もよく心得ている。彼女はよく知っているのだ。アルターエゴ、なんて連中は、みんなバカなのだと。
じゃあその仕草はなんだったのか、と言えば。
「あ、あの!」
おや、と瞼を少し持ち上げるリツカ。さっく、と触れる彼女の眼差しに一瞬たじろぎながら、パッションリップは、しっかり口にすることにした。
「私から提案、です」
「いいよ。何かな」
「これまでと、大枠は変えずにいいんだと思います。私の【気配遮断】を活かした奇襲での一撃必殺狙い。あのサーヴァントと戦うのに、これに勝る戦い方は、ないはずです」
軽く、リツカは頷いた。頷いたけれど、それが首肯でないことはわかった。数時間前の出来事を思えば、当然の逡巡だったろう。
……いや、ちょっと、違うのだろうか。あれは迷っているのではなくて、多分、躊躇っているんだろうか。
「反対だ」
無言のままのリツカに、アーチャーはたまらず声を漏らした。
「いいか、相手はあのシグルドだ。如何にお前の【気配遮断】が高いランクを誇ろうが、奴の素早さはお前を上回っている。後の先を取られてやられるのがオチだ。
しかも奴は破格の耐久力だぞ。お前の馬鹿力は認めよう。だがいくらなんでも一撃で落とすのは不可能だ。そして奴は打撃力も極めて高い。力自慢のお前と同等の数値だ。しかも原初のルーンによる
あれほど強大な敵だというなら、ここは各個撃破の可能性がある奇策ではなく正攻法……数的有利をもって戦うべきだと思うがな。
翻って言うなら、お前の特質はその打撃力と耐久性だろう。それを活かして接近戦で削り合いをしながら、隙を見て俺が砲撃を加える。これこそが王道というものだ、違うか?」
アーチャーはあくまで淡々とした口調だ。色のない声色なだけに、それが正論、という色調を否が応もなく感じさせる。パッションリップは、思わず、怯んだ。言外に、アーチャーは、パッションリップの失態を責めてもいた。
リツカは無言で、それにも首肯した。だが、やはり無言なのだ。誰を見やるでもなく、静かに傾聴している……という身振り。
そんなリツカの仕草を、パッションリップは敢えて見なかった。ただ、隆々とした筋骨のアーチャーを、はっしと見据えるだけだった。ぐっと喉を鳴らしてから、リップは口唇を揺らした。
「お言葉ですけど」パッションリップは、努めて声を抑えた。「アーチャーさんの砲撃なんて当てになりません。精密射撃、苦手じゃないですか。アーチャーの癖に、馬鹿なんじゃないですか」
流石に、アーチャーは気分を害したようだった。一応ごめんなさい、と言い内心で思いつつも、パッションリップは続けた。
「一番の肝は、まさに敵がシグルドである、ということそのもにあります。だから私は、私の手によって倒すのがいいのではないかなと」
アーチャーは、眉を顰めたままだ。とは言え、先ほどのように気を悪くしたから、というのではない。パッションリップの言質を測りかねている……ように、見えた。
「私を構成する神性に、ブリュンヒルデが居ます。直接的でないにせよ、シグルドに害をなした本人です。しかも殺害方法は暗殺。伝承をなぞることがサーヴァントを屠る第一原理だというなら、これこそが王道です」
パッションリップは、リツカを見なかった。ただ無言のまま、厳めしい
アーチャーの表情に過ったものがなんであったかは、正直なところはよく理解できなかった。憎々し気であったのか、それとも何なのかは了解しかねた。ただ理解できたことはある。僅かに、アーチャーの眉尻が下がった。憐憫、というものだ、それは。あるいは運命そのものへの哀惜か。その情動の蠢動は、恐らくアーチャーにしかできないものだっただろう。何にせよ、アーチャーは、パッションリップの言質を受け入れた、らしかった。
あとは、主たる判断者次第、だった。
やっと、恐る恐ると、パッションリップはひけめがちにリツカを見やった。
目が触れる。深い森の奥の園にひっそりと微睡む沼の底を思わせる、泥濘色の目。その眼差しが、軽く、じとりと、パッションリップの視線を絡めとっていく。彼女の内面を探ろうとしていたのに、逆に、こちらの内奥に浸透してくるよう。
思わず、怯みそうになった。視線を逸らす寸前で、それでも思いとどまった。
かち合うこと、実に五瞬。酷く間延びした時間の終わりは、リツカの、ほんの少しの表情の変化が区切りだった。
笑った。外見上は、そういう風に見えた。口角を僅かに上げて、わかったよ、と頷く彼女の表情は、間違いなくそうだった。それなのに、その表情に哀惜を感じたのは……。
「パッションリップの案で行こう。サーヴァント戦は、サーヴァント戦の常道を以て戦おうじゃないか」
※
「ここだ。これ以上は奴の索敵範囲に入る」
「ほんとよくご存知で」
「知らん」
「知ってるやんけ」
ホール入口から10m地点、岩陰に身を隠しながら、アーチャーとリツカは、ひとまず息を吐いた。パッションリップが【気配遮断】で背後をとるまでの時間までは、機を窺いつつ、気を休める時間だ。
「あれが、シグルド?」
恐る恐る、というようにリツカが顔を出す。岩塊にしがみつきながらホールの中央部を見やるリツカの背から、アーチャーも、その方向を眺めやる。
半径2kmほどもあろうかという巨大なホール。天井も20mはあろうか。洞窟の中とは思えぬほどの大空間の中央に、確かにそれは屹立していた。
全身を甲冑で包む、大剣使いの像。台座の上に凛と聳える様は、なるほど太古の大英雄という風貌だ。今はただの石像に過ぎないが、知覚範囲に入れば、ワルキューレのように本当の姿を現すことだろう。
「あれがシグルドだ」
感慨を込めて、アーチャーは声を漏らした。あの剣士のことを、彼は、よく知っている。
「そろそろ、本当の名前を教えてくれてもいいと思うんだけど」
アーチャーには一瞥もくれずに、リツカが言う。アーチャーも、敢えてリツカのことは目にしない。
「俺の本当の名は」苦し気に、アーチャーは喉を鳴らした。「あまり人に好かれないんだ。俺は嫌われ者なのだ」
「そっか」
リツカは一言だけを漏らした。それ以上のことには触れようともしない。探ろうともしない。
何故か。アーチャーは、もうそれをよく知っている、気がする。確信があるわけではないけれど、リツカへの信頼感は、彼女の思案を予感させる。
別に、なんでもない気遣いなのだ。話したくないことを、無理に聞く必要はない、というだけのこと。余人なら誰しもが備える、質朴な良識、というだけの感慨がそこにはある。そういう当たり前を当たり前に執行するのがどれだけ難儀か、今ならわかる。まして、普通から外れた化け物が普通に振る舞うことが、どれだけ苦労することか。
でも、もしアーチャーの真名を詳らかにする必然が在れば、彼女は何が何でもアーチャーの口を割るだろう。それこそ令呪でも持ち出して。
そういうところが、好ましい、と思う。彼女は歴運の奴隷だった。それ故にこそ、彼女は主体的なのだった。光あれ、と未来完了形で語る主のように。
「俺は時々」だから、そんな吐露は、アーチャーなりに彼女を真似したものだった。「自分がしたことが正しかったのか、間違っていたのか、わからなくなる」
「正しいと思ってやったんじゃないの」何が、とは聞かない。
「間違ってるとは思った、その運命に従うことが」
「ダメだよ、正しさをないがしろにしては」でも、とリツカは声を含ませる。「正しさの評価は、後の時間に、第三者にしかできないんだ」
「マスターはどうなんだ。この判断は、正しいのか」
「正しいと思う。間違っていたら、その責は負う」
のほほんとしたツラで、そんなことを言う。小市民の発想だった。だからアーチャーの理外の思惟であって、その聖性が、とても渇いて見えた。
「オンタイム。始まるよ、リップちゃんの戦いが」