fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
腕が、重い。
パッションリップは、じりじりと歩みを進めていく。重い一歩、ヒールが地面を削るたび、背骨に蟻走感が纏わりつく。不用意な一歩のせいで敵に悟られればそれで終い。パッションリップが自らを証明する機会は、無くなってしまう。そうなれば、あとはアーチャーの提案通りの作戦展開になるのだろう。多分、リツカならそれで十分勝てる、と思う。でも、多分、だ。それに乱戦になれば、あの頭の樹……松を、吹き飛ばしてしまうリスクは俄然高まる。本質的にパッションリップもアーチャーも大味な攻撃なのだから、狙い澄まして攻撃なんてできっこないんだ。
畢竟。パッションリップの個人的感傷としても、また大局的に見ても、パッションリップは失敗するわけにはいかなかった。
重責。そう、これこそ重責だった。何事かを為さんとするときに付きまとう、およそ非動物的な感慨。最も人間的な身振りの1つで、終ぞパッションリップには縁がなかったものだった。
腕が重い。確かにそうだ。この腕は、他者を害するこの腕は、酷く重たい。だが、人間は誰しもこの重さに耐え偲んでいるのだ。他者を害さずにはいられない、人間と言う種の業を背負っている。重さがなくなればいいのに、なんて思うのは幻想だ。そんな楽園はないし、そもそも求めるべきですらない。
自分の愚かさに、笑ってしまいそうになる。最初は、この重さを認識すらできなかった。成長したふりをして、この腕の重さを認識したはいい。でも、結局その重さの持っている価値を理解していなかった。メルトにさんざん言われたではないか、のろまと。まさにその通りだったのだ。愚鈍、鈍麻。これほど自分に似合う言葉はない、とパッションリップは想起する。
では今はどうなのか。
わからない。
多少は、マシになっただろう。さもなくば、リツカに顔向けできないというものだ。
……来た。
並走していた思案を脳みその奥底に仕舞い込む。パッションリップは目算していた場所に来るなり、まず、一呼吸を置いた。
これ以上近づけば、【気配遮断】を発動していても察知される。アーチャーが言っていた距離を意識して、同時、パッションリップは改めて顔を顰める。
だが、それは既に了解していたこと。ただ、覚悟完了する要素が増えただけの、ことだ。
改めて、パッションリップは生唾を飲み込んだ。脳裏に浮かんだ顔は、2つだった。わかった、と送り出したリツカと。
あと、もう1人。白紙になってしまったその名前を想起して、彼女は、怯もうとする自己を律する。
むしろ好都合……。既に予想していた通りに、理解を推し進める。敏捷値に優れるシグルドが機動格闘戦を執った場合、パッションリップには鼻から勝ち目がない。耐久値に勝っているならそれでもやりようはあるが、むしろ負けているとあってはそうもいかない。
息を、止めた。張り詰めていく感覚を身体に浸し、“戦う”という意志を先鋭化させる。
これから始まるのは、まさしく戦闘という行為そのものだった。生前……遥か遠くの月の裏側での、あの出来事は、正確な意味で幼児の戯れでしかなかった。自ら意外何も気負わない、ガキの気散じ。それが、
腕が、重い。その重さの煩わしさを自覚する。身を屈める。魔力放出で以て一挙に彼我距離を詰めるために。指先に、力を励起させる。この十束の武具によって、古の時代の大英雄を屠殺するために。恐懼を勇気によって捻じ伏せて、パッションリップは、跳んだ。
瞬間、膨大なプレッシャーが伸し掛かった。高Gがかかった、という物理的な起因ではない。もっと心情的なもので、多分それは、殺意、と呼ばれるものだった。
石像の、その表皮が剝がれていく。顔を出したのは、鈍銀の鎧。翡翠の双眸。深空色の大剣が、ぎらりと瞬いた。
先、攻撃が届いたのはパッションリップだった。必殺、と繰り出した右の掌底。凄まじい膂力によって繰り出された豪速を、その鎧の剣士は軽々とすり抜けた。斬撃の軌道を瞬時に見切り、最小限の動作だけで躱す、という単純にして極地の技量。捉えた、という感覚と同時に躱された事実が、手のひらに錯綜した。
「あ」
間髪入れず、真紅の“あわい”が胸元に励起した。鮮烈に惹起した感覚が、痛覚だ、と理解するのにワンテンポほど遅れた。心臓を起点に全身に圧し広がる激痛に、パッションリップは、思わずむせた。
血混じりのむせりを漏らしながら、パッションリップは諸々理解する。大剣の斬撃、ではない。剣士が左手に握る短剣の一撃だった。それも道理。この至近距離では、かえってあの大剣では不得手。あの天輪の魔剣から分かたれた短剣でのインファイトこそが、理に適っている。もしあの魔剣で叩き切られていたら、いかにパッションリップとて一撃で両断されていただろう。
だから。
「捕まえた」
これは、好都合。
剣士が短剣を抜くより早く、左の手で、剣士の体躯を鷲掴む。さらに右の手を左手に重ね合わせ、さながらそれは、抱きしめて、そのまま絞め殺すように、パッションリップは剣士を捕縛する。
無論、そんなもので殺せるほど、この剣士は温くない。並大抵のサーヴァントなら、この捕縛だけで五体が散らばっていただろうが、やはり流石の耐久性だった。骨格を圧し折られているというのに、恐るべき膂力によって、ぎちぎちとその拘束から逃れ出ようとしている。霊核に一撃もらった状態では、多分5秒もそうしていられない。
5秒。その短時間で、この状態からこの剣士を殺すなど、どれだけ高位のサーヴァントとても苦慮するだろう。
だが、そもそも。この状況こそは、パッションリップの想定していた、絶好の状況だった。
掌に収まる、剣士の肢体。その輪郭を、指先で、確かに象る。そうして霊基を把握してしまえば、あとは、
「ぎゅーって、してあげます!」
終いだった。
ぐしゃ、と水気が迸る。歪に剣士の身体が捻じれていく。廃棄物を押し固めるように、剣士の身体がキューブ状に折りたたまれていく。加速度的に折り畳まれ圧縮されゆく剣士に、もう逃れる術はなかった。苦し紛れの斬撃を放つ余裕すらなく、塗り固められた剣士は、パッションリップの胸元に墜落する。
咄嗟、パッションリップは、頭頂部から生えた松枝を咥え込んだ。完全にダストデータに潰れる寸前、その鍵だけを食い千切る、
紅く、波濤が舞った。事は決した。仰向けで倒れ込んだパッションリップは、荒い呼吸のまま、笑った。多分、安堵、した。やっと彼女は、“為した”のだ。たとえ別離が2人を引き裂こうとも、繋いだものは、決して、まだ。
※
「大丈夫、休んでるだけだ。神核の強制停止だろう。すぐによくなるわけではないが」
そういうことを聞きたいわけじゃあないだろうな、ということは。アーチャー自身も、よく知っていた。じゃあなんでそんなことを喋ったのか、と言えば。
「ありがとう」
多分、無言で耐える彼女を、観ていられなかったのだろう。
膝を屈して、パッションリップを抱きかかえるリツカの背。鉱山排水の流れる小川の沈殿物みたいな赤銅色の髪が、枝垂れの桜みたいに揺れている。そのかんばせはうかがい知れないし、また見たいとも思わなかった。
戦果は最大限だった。あの石像は間違いなくシグルドだった。中身は違えど、かの氷の国でかつてカルデアを大いに苦しめたあのシグルドを、損失無く落としたのだ。それは素晴らしいことで、称えるべき事例だ。パッションリップの勇気ある意見具申に、それを受けれいたリツカの判断。アーチャーの凡策では到底得られなかったはずの結果だった。
……というのは、所詮は、アーチャーから見た話である。リツカは、そんな結果に意味なんて感じていないのだ。ただそこに価値があり、自らその運命を担い産む者であるから拘っているだけで、努めて小市民だった。フジマルリツカは、小市民なのだ。市民とは、いつも、運命に耐える力があるものなのだから。
「どうする。パッションリップが回復するまで待つのがベストだと思うが」また、不毛なことをしている、と思う。自分が考えることで、彼女が考えてないことはない。「キングプロテアは」
いや。
俄かに、リツカが立ち上がった。ぎょっとするのも束の間、アーチャーはすぐに悟った。
慌てて、振り返る。振り返った先、あの黒いコートの男が佇立していた。
深くハットを被った、病的に白い肌の男。微かに覗く鋭利な視線は、我知らずとも射すくめられるものがある。
敵、と判断するのはごく自然なことだった。何せ、数十時間前に事を構えた仲なのだから。咄嗟に大砲を構えかけたところで、不意に掣肘する手が視界を過った。
「待って」
「マスター」
「敵じゃない」一瞬、リツカは眉を寄せた。「敵対する意思はない」
砲は下げなかったが、思わず黒い男を見やる。本当に僅かにだけ、その男が身動ぎした。リツカが事前に発言していなければ、それが首肯、という動作なのだとはきっと思いもよらなかっただろう。なんかむず痒そうにもぞもぞしたくらいにしか見えない。
「本当に私たちを始末するなら、今の一瞬で私を落してた。もしそういう発想がないんだったら、アレは低能な馬鹿ということになる」
言ってから、リツカは顔を顰めた。すまなそうに肩を竦めた。
「今、少しだけ虫の居所が悪いもので。どうにも口が悪くてね、すみませんね」
気にしていない、というように、男は首を振った。あまりしゃべるのは好きではないらしい。
「藤丸立華」
「有名人に覚えてもらって光栄です」
「オフェリアが延々と喋っていたからな」
その話はそそくさと辞めて、黒い男……エドモン・ダンテスは、話を続けた。
「オフェリアが待っている。早く連れていけ、迷惑だ」
「でしょうね」
「すっかり乙女の心の中に引き籠りだがな。貴様も結構な
わざとらしく、リツカは眉を顰めた。くつくつ、とエドモン・ダンテスは身を揺すると、半身を翻した。
行け、というように、顎をしゃくる。その先に、あの扉が屹立している。南京錠のぶら下がった錆びた扉は、ただ静かにそこに居た。
一拍の間。目を合わせ、リツカと互いに頷き合った時だった。
「藤丸立華1人で行ってもらう」
「え」
「むしろ何故行けると思った貴様」じろりとエドモン・ダンテスの目がアーチャーを睨んだ。「どこの馬の骨か知らんが、オフェリアはお前のことは呼んではいない」
「罠だろこれ。マスター、危険です、やめやめ!」
「罠だと思うなら勝手にしろ。力づくでいくと言うならそれもいいだろう。オフェリアの心象を害していいことはないと思うが」
思わず、言い淀むアーチャー。リツカは、右側頭部に手を伸ばした。紙の一房に向かったように見えた手は、しかし、耳朶から下がるピアスに揺れた、涙滴型のガーネットに触れた。ちらちらと揺れた宝石の奥に刻まれた、エオロのルーンがアーチャーの視界に紛れた。
「しょうがないな」やれやれ、と言いたげに苦笑を漏らして、リツカは例によって、右の紙の一房を指に絡めた。「わがままなことで」
「マスター」
「令呪はあと2画。なんかあったらその時は呼ぶから、リップちゃんのことお願い」
じゃあ、と手を挙げて扉に向かうリツカ。ひらひらと手を振るその右腕に、残り2画になった剣の令呪が明滅していた。
「貴様にも堪え性というものがあるらしい」
くつくつと嗤いながら、エドモン・ダンテスが悪戯っぽくアーチャーを覗き込む。むっつりと顔を顰めたアーチャーは、遠ざかっていくリツカの背を見ながら鼻を鳴らした。「その笑い方はよせ」
「何故だ」
「腹が立つからだ」
「貴様ほど陰湿な笑い方じゃあない。比較してみるか?
クク……
クハハハハ!
そら、後者の方が快活なのは通常の理解力があれば明晰に理解できるだろう? クハハハはいいぞ、さっさとクク……など捨ててしまえ」
「真似をするなぶっ飛ばすぞ」
「燥ぐな、女が寝てるだろうが。そういう道理がわからんから童貞だ喪男だなんだと揶揄されるんだぞ、チーめ」
「ぐぬぬぬ」
「顔面ムスペルヘイムで大草原なことだ」
嘲笑すら滲ませて、相変わらず飄々と嘯くエドモン。アーチャーは、ほとんどキレかけたし剣を抜いてやろうかと真剣に考えた。だがここでキレてはそれこそ奴の言う通りだ、と柄に無い理性的思考を巡らせて、真っ赤な顔面をとりあえず冷やすことにした。
「メルセデスのケツを追いかける厨二陰キャ男に言われちゃあお終いだ。どっちがチーかの判別もつかんのなら終わっとる」
代わりに、そんなことを言ってみる。ウッ、と身動ぎしたエドモンもむっつりと顔を顰めて、無言になってしまった。アーチャーもアーチャーで、自分の発言に自分で傷ついていた。
簡単に総論を纏めれば、双方ともに情けのない陰キャだった、と互いに納得しただけだった。この世で最も不毛な相互理解だった。
「この女を駆除しなくていいのか」
不快を紛らわせるように、アーチャーは眼下を見ろした。流石に神核があるというだけあって既に傷は自己治癒しているが、まだ瞑目から覚めてはいない。シグルドの斬撃の重さは、それほどのものだったのだろう。
「オフェリアはもう寝ている。嫉妬をする余裕もないのだろうさ」
「しかし」
「この女。そしてあの巨大女。
「大分オフェリアに毒されている」
「仕方あるまい、今のこの監獄の主は彼女なのだから。箱入りの生娘に何を言ってもな」
それは確かにな、と思う。ぐしゃぐしゃと帽子越しに髪を掻きまわしたエドモン・ダンテスは、酷くやつれたように声を漏らした。
「勝手に我が監獄で好き放題するのは勘弁してくれ。ガキしかおらんのか、この世界には」
リツカが、南京錠に松の枝を添えた。開く錆びた扉。彼女は振り返る素振りすらなく、扉の向こうへと足を向けた。