fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「帰れ」
“私”が開口一番に言いかぶされた言葉だった。
──ナッシュビルより北北東6.2mi地点 グッドレッツヴィル駐屯地にて。駐屯地、と言っても前線構築に勤しむサーヴァントたちが廃屋で日夜を過ごすだけの、みすぼらしい町並みである。その中の1つ、周辺では一番保存状態のいい家屋に、彼女はいた。
「いいか。
椅子にふんぞり返りながら、彼女は憤懣やるかたないという口ぶりである。目元だけを覗かせる衣装だから表情の全体はわからないが、蛇を思わせる鋭い目つきは、どう見ても穏やかではない。その目を、リビングの一画に鎮座する楽器へと向けていた。ピアノ、と呼ばれる西洋の楽器らしい。
ヴリトラ……。それが彼女の名である。シータと同じインド、と呼ばれる地域出身の英霊だという。英霊の中でも反英雄、という部類らしいのだが、“私”にはよくわからない事柄だった。
そうしてちょっと問題なのが、何やら彼女は自分のことを好ましく思っていないところだった。
「そんなに嫌なら断れば良かったじゃない」
「あやつが代わりになるじゃろが。少しは休ませてやらねば」
「あなた、そういう気配りできるんだ?」
「わえは困難に挑む勇者は好むが、黒い会社の理不尽に苦しむ社畜は見ていて虚しいだけのことじゃ」
言いながら、ふわあ、とヴリトラはあくびとともに伸びをする。それだけなら別に普通の人間の所作なのだけれど、彼女の場合、もう1つ、ひょこひょこと何かが背後で蠢いた。尾、だった。頑健な鱗に覆われた尾は、獣のそれとは明らかに質を異にする。もっと冷ややかな無機質さを纏う尾……竜の尾だ。ヴリトラは、ただ歴史上の偉人というわけではない。その伝承において、彼女は竜であったのだ。
最も。
「それで、アーチャーよ」
今までのヴリトラについての知識は、道中、メイヴから聞いたことなのだが。
「ヴリトラ。ま、わえについての話はどうせそこの阿婆擦れから聞いているだろうがな」
「ひっどーい。そういう鰤ちゃんだって女体化変態性癖クソアスラじゃん」
「誰が鰤じゃ誰がクソアマ」
「いやそっち?」
酷く耳聞こえに悪い罵り合いである。一瞬ひやりとした“私”であったが、どうやら気心通じ合った者同士の軽口であろう、というのはなんとなく知れた。メイヴもヴリトラも、素っ気ない表情の中に、ほんの僅かに緊張の解れがある。しかし、なんというか“私”は存外素直な男のようだった。
「アーチャーです」私は、改めて、名乗られたことへの返礼をしていた。「頼りないかと思いますが、どうかよろしくお願いします」
ヴリトラはちょっとだけ意外そうな目をしてから、今一度、目元に力を入れた。「誠実なことは結構なことじゃ」
「わえが嫌いなことは今から言う。不誠実、裏切り、嘘つき、妬み嫉み。要するに、知性ある者として悪しき振舞をすることは、我慢ならぬ。自分勝手傲慢不遜なインドラの如き粗忽な痴愚は好かぬ、良いな」
「インドラ……」
ヴリトラが口にしたその名前が、何か、妙に親しみ深く耳道を徹った。何か、私という人格を形作る重要な言葉であるような気がする。
だが、ヴリトラは私の漏らした声を疑問符だと理解したらしい。「わえを殺した奴じゃ」と発した声には、怒気……というより、何か憎悪にも似た哀惜が煮詰まっている。
「ひとの気も知らぬエゴイストの嘘つきじゃ。神々どもは勇ましいだとかなんだとかほざいておったがの、ヴィシュヌと言い見る目がない者どもばかりじゃ」
ただ、自分を殺したから嫌っているというのではないのは伺い知れる。
「喋りすぎた」げしげし、と髪を掻き毟って、ヴリトラはうんざりしたように言った。「それで、リツカはわえに
仕方ない、というようにヴリトラはチェアから立ち上がった。うねりをつける黒い尾。髪をゆあえる蛇の鱗のような髪留めも、ひらひらと蠢いた。
「ほれ、ついてこい。このわえが、貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬ戯けを直接導いてやるといっているのだ」
“私”は、しっかりと首を縦に振っていた。ヴリトラという女性は、確かに気難しいし尊大な人物……いや、竜か蛇だろうか……だが、その心根は、多分、悪人とかそういう部類ではないのだろう。嫌なことを、嫌々ながらも引き受けてくれていることには感謝しなければならないことだ。何はともあれ、私は色んな程度において、厄介な人物に他ならないのだから。
ヴリトラは、“私”の首肯にある程度満足したようだった。目つきは相変わらず敵意的……というより、実際は眠いだけなのかもしれない……だが、うむ、と言いたげに頷く仕草をしてくれた。
気だるげなヴリトラだったが、外に出ると、少しだけ機嫌がよくなったようだった。外に出るなり20分ほど、庭に転がる壊れた馬車の御者台に乗ってぼーっと日向ぼっこをし始めたのは流石に閉口したが、ヴリトラはいつもこうなのだ、とメイヴが教えてくれた。蛇なので、身体が温まらないと急には動けないのだ、という。本当なのかどうかは知らないが、10分ほどすると、本当にヴリトラはのたり、と動き始めた。相変わらず
「とりあえず、メイヴから第一防衛線からここまでの話は聞いておろう」
のんびり、というように歩き始めたヴリトラの後ろにつきながら、“私”は頷いた。その話は、確かに道中聞いたことだった。
第一防衛線……テネシー州とケンタッキー州の州境に引かれた、オーリンダ及びウェストモアランド間に引かれた防衛線から、ナッシュビル境であるグッドレッツヴィルまでにかかるおよそ19mi(およそ30km)に及ぶ防衛線。その概略と運用については、既にメイヴから聞いていた。
「わえら前線部隊の仕事は大きく分けて3つ。
1つ目が各防衛線を厚くすること。
2つ目が、その前線の向こう……ケンタッキー州に浸透し、敵の動向を探ること。
3つ目は、ナッシュビルまでやってくる敵性生物及び“穴”からやってくる敵勢力の迎撃及び撃破。この3つじゃな。
「ほれ、着いたぞ」
案内されたのは、グッドレッツヴィルの一画……外れの方にぽつねんと佇む、やや小さい家だった。特徴的なのは、その外見であった。家としては平凡な平屋だが、隣接して佇立するこじんまりとした別棟だった。
ヴリトラは妙に神妙な足取りで窓辺まで行くと、そろそろとリビングを覗き込んだ。広々とした庭の中ひょこひょこと動く魔物、という光景は珍妙だった。妙に人間臭い。
「いた?」
「おらぬ」
言いながら、ヴリトラとメイヴが別棟の方を見やった。森閑とした街はずれに音らしい音はなく、がらがら、と鳴く烏の声だけが妙に虚しく虚空に響いていた。
「フギンの奴は?」
「さぁ、前からどっか行っちゃったけど」
「そんなテキトーなもんでええのか、貴様の宝具」
「まぁもう何匹も死んじゃったし。それにそもそも私カラスなんて飼ってたかなぁ、おじ様の関係でなんかあったっけ」
なんだかよくわからない会話をする2人。“私”にはよくわからない会話だったから、漠然と聞くことにした。
「うむ。今日はよしておくことにしよう」頷くように、ヴリトラは口にしていた。同じようにうんうんと頷くメイヴ。「我らが指揮官様は今日、都合が悪い日のようね」
「指揮官……フジマルさんが指揮官なのでは?」
“私”は、ベオウルフの言質を思い出していた。
「リツカは総責任者、みたいなものね。南部との交渉とかはもう1人がやってるけど、防衛線の構築とかはクロエがやってる。まぁ私たちの直接の上司はクロエで、その上にマスターのリツカ……っていう風に理解すると良いと思うわ」
なるほど、と頷きながら、“私”も別棟の方を見やった。僅かだが、魔力を感じるような気がしないでもない……クロエ、という人物がサーヴァントだというのなら、それも然るべきことではあろう。
「今日はね、クロエちゃんはストイックな日なのです」
「は?」
「精神鍛錬のようなものじゃ。まぁ……」
何か言いかけてから、ヴリトラは眉を顰めた。ちらっと瞥を渡してきたメイヴの胡乱げな視線に、彼女は素直に従った。「いや、なんでも」
「鍛錬と言うのは良いですね。優れた勇士は、心身を鍛えることに励むべきです」
“私”は思いのほか朴訥としていて、それでいて空気が読めなかった。前からなんとなくわかっていたことだが、“私”はなんというか、大らかな男らしい。
とは言え、幸いなことに、今日はこの大らかさが今は良いように働いた。ぽかんとしていたヴリトラとメイヴは、ちょっと安堵したように表情を緩めた。最も、普通であれば気づかないほどの些細な機微であった。実際、“私”はちっとも気づいていなかった。
「ま、確かにそうね」
“私”の話にのっかってきたメイヴの心境は、半分は話題を逸らそうという意図からだった。半分は、実際、彼女は男なるものに……それも勁い男に……関心を持っていたからであろう。言いながら、じろじろと値踏みするように“私”を見やってから、彼女はにやにやと顔を歪めた。
「まぁアンタは無しね」
「?」
「ひょろガキに興味ねえってこと」
「???」
「もういいわ」
“私”は大層、そしてびっくりするくらい鈍かった。揶揄うつもりが、当てが外れたらしいメイヴはバツが悪そうに舌打ちした。ヴリトラはくつくつと笑いを堪えていた。
2人の間にあった空気が弛緩した。“私”は自覚的ではなかったにせよ、少し安堵した。何故か、という理由にまでは思い至らなかったし、また気にもしていなかったが。
「まぁ予定通りでいいんじゃない。とりあえず、今待機してる人らに会う感じで」
2人は素早く判断すると、さっさと踵を返して庭から出ていこうとする。慌てて2人の後を追うように駆け出しながら、“私”はつと、背後を振り返った。
馬鹿みたいに青抜けの空のもと、ぽつねん、と佇む別棟。尖った屋根の上に、黒い大きなカラスが止まっていた。がらがら、と鳴きながら、ばさばさと翼をはためかせている。
青い目が、こちらを見ている。射干玉の黒色に、海原の深淵を想起させる青い目。品定めするような目はメイヴのそれに似ていると言えば似ていたが、それはもっと別種のもののように思えた。メイヴのそれが生物的な勘ぐりだというのなら、あれはもっと、硬質なものだった。地の底の底まで見渡すような目に、“私”は得も言えぬ不快感にも似た怯懦を感じて、目を逸らした。“私”は駆け出した。がらがら、と背後ではあの大きなカラスが啼いていた。