fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅲ-1 慶賀

 ワシントンD.C 白堊館(ホワイトハウス) アイゼンハワー行政府ビル 副大統領執務室にて

 

「ダメ。あなた、まだ完治していないんでしょう」

 

 ぴしゃり、と声が打つ。長い黒髪の女は明らかに不満げな顔だ。それだけで、圧を伴う武威がある。影の国の女主人ともなれば、その神気は飾りではない。

 が、エレシュキガルとても冥府の主である。目前で腕を組むスカサハの威圧も素知らぬ顔で、傲岸と跳ね返した。

 

「同郷のよしみと思うてくれぬか」

 

 恨めし気に言うスカサハ。わざわざ言いに来るところが可愛らしいところだ。律儀な者であるし、エレシュキガルとしては好ましい振る舞いと感得するのだが、それとこれとは別である。エレシュキガルは先ほどと声の調子を変えずに「ダメったらダメ」となおも続けた。

 

 「いいですか」エレシュキガルは出来の悪い生徒に物を教えるように、大仰な机に手を着き、やはり大仰な椅子から立ち上がった。「たしかに、今のあなたでもそこいらの英霊に劣るものではないでしょう」

 「ならば」

 「相手をお考えになって? ナッシュビルのサーヴァントたちはどれも勁いわ。せっかく戦いを挑むなら、万全の状態で矛を交えるべき。違って?」

 

 いくらか、スカサハの表情が柔ぐ。得心したように、頷きもしている。内心ほっとするエレシュキガルだが、そこは頑張って表情に出さないようにする。

 スカサハには、ちょっと子どもっぽいところがある。要するに戦闘狂で、その筋で彼女の得することを提案すればすぐに引き下がってくれる。自覚があるのかもしれないが、彼女とはまだ喋りやすい、と思うエレシュキガルであった。

 

 「すでに、織田信長の一派は滅ぼした。後顧の憂いはもうありません」

 「だと、良いのだがな」

 

 極めて手短に言いながら、スカサハは踵を返した。片ちんばのように足を引きずる彼女の背を見送りながら、エレシュキガルは楕円に拡がる大統領公園の一角を眺めやった。

 なんだか変な気分、と思う。

 ()がこの少女の象を取ってサーヴァント足りうるのは、バビロニアを経て、2年後の12月の愚行と奇跡の後だというのに。これが英霊の座の導きだというのならそれはそれに従う他ない。

 不便だな、と思うけれど。

 せっかくなら、カルデアにいるあの人がどんな戦いを経て、このアメリカを平らげたのか、見ておくんだったと思う。なんとなくは聞いているけれど、そんな曖昧な情報ではあの人の頼りになることはない。あのクリミアの天使がいた、とは聞いていたような、気がするけれど。

 

 「藤丸、立華……」

 

 つと、その名が口唇を震わせる。

 詮の無いこと、と思い直して、エレシュキガルは首を横に振った。

 カルデアのマスターとサーヴァントがいつこのアメリカに降り立つか、それはまだわからない。だが、それまでに戦況を少しでも良くしておかないと……。

 凛烈とした面持ちのまま。エレシュキガルは、緑の庭園を横切る姿を認めた。

 赤い髪の、少年めいた風貌……ラーマ?

 

 

 「ほれ、そっちを引っ張らぬか。上手く畳めぬぞ」

 「はい、すみません……ええと」

 「アーチャーさん、そこを合わせて……」

 「?……??」

 「ええい、貸せい」

 

 むんず、と“私”からシーツをひったくるや、スカディは手慣れた作業で畳み始めた。“私”は呆然とその様を見ながら、しおらしい様子でスカディを手伝うベスの後ろ姿を眺めた。

 

 「さぞかし名のある英雄であったのだろうな」せっせとシーツを畳み終え、タンスに仕舞い込んだスカディは渋い目で“私”を睨んだ。「どうせ伴侶に家事でも押し付けて、自分は戦いに明け暮れていたのであろう。勇敢な志士であることよ」

 

 「そんな言い方はいけませんよ、スカディ様」

 「ベスに免じて許してやろう。そなたは優しいな」 

 

 静々と言うベスに対しては、スカディは満面の笑みを浮かべた。さらさらとベスの栗毛の髪を撫でる仕草には、溢れんばかりの慈愛を感じる。

 

 「良いか、ベスよ。将来を誓い合う相手は慎重に選ぶことだ。武勇を誇る見てくれだけの相手など選んではいかんぞ。気配りができて、慈愛のある男を選ぶがよい」

 

 どう見ても貶されていると思う。とは言え、スカディがいびるのも事実に基づいているので仕方ない、と思う“私”であった。

 先日の戦闘からこの方、しばらく敵勢力の攻勢は観られないとのことで、“私”は居住地区の人々の生活の支援にも関わり始めていた。住居の修理や炊き出し、今回のようにアメリカ連合国領への避難の準備など、その内容は多岐にわたる。そうして、この仕事が始まってからの“私”は、概ね酷いとしか言いようがないのだ。建物の修繕作業をすれば却って破壊するし料理をすれば貴重な材料を無駄にして、衣類を畳むことすらできないのが現状であった。これでがスカディが顔を顰めるのも当然としか言いようがない。

 

 「初めてですから、上手くできなくても仕方ありませんよ」 

 

 控え目ながら、彼女は“私”に微笑を浮かべてくれた。幾分か“私”は救われる気持ちになったが、かえって心苦しさをも覚えた。普通の人々の営為をこんなにもこなせないというのは、一体全体どうしたというのであろうか。“私”は英霊などと尊称される自らの生に、羞恥心を感じた。

 

 「そなたのようなものはきっと長く生き、良き生を送るものだ。うん、そうあるべきだ」

 

 スカサハ=スカディは、どこか声音も暗くに声を漏らした。

 

 「じゃあ、準備できたって伝えてきますね」

 

 ぱたぱたと1階に降りていく小さなベスの背を見ながら、“私”はしみじみとベスと、そしてマーチ一家の健気さに思いいるものを感じていた。

 

 「父を亡くしているというのにな」

 

 “私”の心情を察したのか、スカディもぽつりと声を漏らす。“私”は頷きながら、この数日で朧気に聞き知ったマーチ一家の事情に思いを馳せた。

 元々はペンシルバニア州──このいわゆる“アメリカ北部”──ゲティスバーグ近郊に虚を構えていたマーチ一家は、南北戦争の進展の中で親族宅へ疎開するも、アメリカ合衆国が突如発生した正体不明の敵勢力……現在、同盟(ユニオン)の呼称を用いている勢力に劣勢を強いられるにつけ、多くの合衆国民がそうしたように、アメリカ連合国の首都であったリッチモンドを中心としたバージニア州各地に再度の疎開を余儀なくされ。

 その上で、奴隷解放を主張する政治思想団体による奴隷支持派へのテロ行為に端を発する『リッチモンドの悲劇』に巻き込まれた上、同盟(ユニオン)との戦争の最中に軍人であった父の死を経験したという……。

 

 「それ故に、ということなのかもしれぬが」

 

 独語のように呟くスカディは、真実、“私”のリアクションなど求めているわけではないのだろう。そうではなく、彼女は自分の思考を整理しようとしているように、“私”には見えた。だから“私”は何も語らず、黙然と、その事実だけを理解しようとした。父の死という現実に直面してもなお、今のように振る舞う彼女らの仕草を──。

 

 「世界というものは残酷なものだ」

 

 言って、スカディはただ憎々し気で、それでいて憐憫に満ちたように続けた。

 

 「遍く生き物は健やかに育つべきだというのに。いついかなる時と場所でも、生を全うできぬ者たちが少なくないだけ居るのだ」

 

 “私”は、その言葉が自分の胸の内に鋭く差し込むのを感じずにはいられなかった。恨みというより嘆きのその言葉は、“私”という人間を淡く蝕む言祝のように、思考を浸潤していく。いつもの厭世的な気分と混じり合うように惹起し拡散する情動。“私”は目を瞑って、突如鬱勃と沸き上がった感情を払うように目を瞑った。

 どれほどそうしていたか。酷く長い気もしたけれど、実際は数秒のことだった、とも理解している。“私”は狼狽していたが、その実酷く冷静でもあった。その冷静さがなおのこと“私”を困惑させもしたが。

 “私”の巡る思考を蹴散らしたのは、階段を上がってくる小気味の善い足音だった。静かながら、テンポよく駆けてくる足音は間違いなくベスだった。

 

 「伝えてきました」

 

 実際に、ドアを開けて顔を出したのは彼女に相違なかった。温和そうな顔立ちに、事実温和な微笑が浮かぶ。それだけで、エリザベス・マーチという人物の人どころが知れるというものだった。

 

 「ここは明日だったかな?」

 「いいえ、今日の夕刻だったと思います。ンザンビさんたちがお帰りの時に一緒に」

 

 そうだった、とベスの言葉にうなずいてから、スカディはドレスの内ポケットから小さい手のひらサイズの機器を取り出した。眉を顰めておっかなびっくり操作を始める。

 ……そうして3分ほど。四苦八苦し始めたスカディを見かねた様子でベスが脇から手元を覗き込み、2~3ほど操作すると、空中に映像が浮かび上がった。

 

 「どうにも慣れぬ」スカディは渋面を浮かべていた。「助かるぞ」

 

 ベスは軽く頭を下げた。やはり温和なその微笑を湛えている。

 

 「次はアンダーソンのところか。出るのは明後日か?」

 「はい。その後は……」

 

 2人でやり取りする背を見ながら、“私”は空中投影されたマップと情報を必死に頭の中に詰め込んでいた。いつまでも足手まといになっているわけにはいかない、という必死さは、戦いのそれとは変わらない。むしろそれ以上の真剣さで、“私”は2人の会話を聞き入っていた。

 

 

 ナッシュビル州議会議事堂にて──。

 

 マーガレット・マーチこと、メグはこの頃懊悩に囚われていた。

 

 「持ってきたぞ?」

 

 議事堂の一角で事務作業をこなしつつ、メグは伏し目がちに顔を上げた。

 同じく議事堂の一角。灰色の髪のワルキューレ……ソグン、という名の、どこかのほほんとしたワルキューレが大荷物を抱えて、くすんだ赤銅色の髪の女性に何やら話しかけているところだった。その後ろに、ソグンとは対照的な長い黒髪のワルキューレも続いている。同じく、一抱えもある木箱を軽々と持ち上げていた。あんなに腕はほっそりしているのに。

 

 「わざわざ手伝ってもらってすみませんね」

 「どうせ別にやることないからいいのだ」

 「こっちで大丈夫ですか?」

 

 黒髪のワルキューレ……ラーズグリーズに大丈夫ですよ、と応えつつ、リツカは手元の資料を何やら食い入るように見つめている。それがどういう資料なのかまではメグは聞いていなかった。

 

 「大変ですね」リツカのすぐ脇に木箱を置きながら言う。「ましてサーヴァントでもないのに」

 「? リツカは大分弄っているんじゃないのか」

 「言い方……」

 

 相変わらずぬぼっとした顔で言うソグンに、ラーズグリーズは畏縮したように顔を顰めた。伺うようにデスクのリツカを見やったが、彼女は肩を竦めて苦笑した。

 

 「事実だから」

 「でも偉いのはわかるぞ。どんな形であれ、世界を救うぞっていうのは誰でもできることじゃあない」

 

 そうです、と頷いて相槌を打つラーズグリーズ。ソグンの表情はやはり相変わらず変化に乏しいし口ぶりもあまり抑揚がなく測りかねるものがあるが、それだけに心根に偽りがないのはメグにも感じられるところだった。そうして、リツカたちのような未来からやってきた人らが、世界の存亡をかけて戦っていることも、なんとなくメグは理解している。彼女の理解の範囲ギリギリのことだったから、正確な理解ではないかもしれないが……。

 メグは、思わず嘆息を吐いていた。溜息を吐いてから、はっとして3人を伺うが、メグの仕草にさして気づいている様子はない。いや、むしろ気づいていても、気にしていないか。改めて溜息を吐き直して、メグはしおしおと沈思……というより、思考停頓気味の詠歎に沈んだ。

 南北戦争が頓挫してからこの方、このアメリカに、かつてのような生活をするだけの余裕などない。ましてかつてのようにパーティなど催すなどなおさらだ。

 ジョーには、生きる力がある。ベスにも生きるための優しさがある。エイミーは……年齢的に、そういうことに悩む年ではないからいいけども。

 翻って、果たして自分に何か、人間的な生を支える“何か”があるだろうか──?

 

 「うーん。疲れてきたな」

 

 リツカが独り言ちる。大きく背伸びなんかしながら、何やら恨めし気に木箱を眺めている。いつの間にか、ワルキューレの2人は外へ出て行っていたらしい。

 よし、と言いながら、リツカはのそのそと立ち上がった。

 

 「昼ごはんにしようか、メグ」

 「あ、はい。わかりました」

 

 釣られて、メグも立ち上がった。もう一度大きく延びをして、ついでにあくびも漏らして、リツカは気だるげに2階の窓から差し込む陽の光を眺めた。酷く眩し気な表情だった。

 昼食を摂る場所は、2階のバルコニーだった。観覧席に併設される形で外に出れば、ナッシュビルの景色が一望できる。最も、その景色も荒廃した街並みが広がるばかりだが──。

 食事、と言ってもごく簡単なものだ。ちょっと渇いたパンに、保存用の干し肉と、なけなしのレタスやらの野菜を挟んだ質素なサンドイッチ。それと少量のドライフルーツに、“未来の施設”から送られてきた、やはり少量の薬みたいなもの。それが今の生活での、大まかな食事だった。

 救いがあるとするなら、見た目に反して味はしっかり美味しいということだろうか。何せあのスカサハ=スカディやらシータやらが手塩にかけてわざわざパンを焼いているのである。“神様”が焼いたのだから、それは結構おいしいというわけだ。

 むしゃむしゃ、とパンを頬りながら、リツカはぼけっとした顔で景色を眺めている。樹々が生い茂り、民家が広がる。街路には人が行きかい、南北の人流が行きかう街並み……というのは、過去の話でしかない。樹々は薙ぎ倒され民家は打ち壊され、街路には人の姿はまばらだ。かつての活気はない。

 

 「本当の善行というのがあるのなら」

 

 ぼけたように、リツカは口にしていた。

 

 「それは、誰にも気づかれず、まして施しを受けた相手が気づかないようなもの、らしいよ」

 「なんだか、むつかしい話ですね」

 

 リツカは、気だるげな微笑を浮かべていた。芯の強さとか、そういうものは、その表情からは伺い知れない。むしろ、そこに感じるのは吹けば飛ぶような繊弱さだった。自然、哀れみのようなものを感じてしまった。年上だけれど、リツカの年齢はそんなにメグと離れているわけでもない。メグが16歳なら、リツカは19歳。年齢差は僅か3歳に過ぎないのだ。

 生まれ育った環境は何もかも違うけれど、それでも近しい年齢の少女というのは共通している。そんな彼女のおかれた境遇に、同情しない人間があろうものか?

 

 「むつかしい気がすることを言っているだけかもしれないけどね」

 

 自嘲気味に、吐くように声を漏らすリツカを後目に、メグは今彼女が言った言葉を夢想する。

 彼女なりに言い換えて理解すれば、誰かが善い行いをしたとしても、誰もその誰かが善いことをした、と知らない……ということだろうか。

 よく、わからないな、と思った。

 リツカは漠とした視線をメグに向けてから、ほにゃり、と微笑を浮かべる。年上だけれど自分より幼顔に見えるリツカが、何故か尊敬する母親と同じ何かに見えた。メグは思わず、何か、恥ずかしい気持ちになった。

 

 「すみませんね、手伝ってもらってしまって」

 「え?」一拍ほど、彼女の言わんとすることを捉え損ねる。「いえいいんです。元々、することもありませんでしたから」

 「メグだけじゃないよ」リツカは、マグカップに注がれた薄いコーヒーを啜っていた。「マーチ一家の献身には頭が下がります」

 

 深く頭を下げるリツカに、ただメグはしどろもどろしていた。

 とても微々たることでしか協力なんてしていない。少なからず、自分のしていることに、メグはさして何か価値を感じているわけではなかった。

 

 「西の」言って、すぐリツカは言葉を変えた。「ンザンビさんたちが持ってきたものは、どのくらい持ちそう?」

 「あ、はい」食べかけのサンドイッチをテーブルに置いて、メグは慌てて立ち上がった。「今、ちゃんと見てきます」

 「いや大丈夫。ちょっとした所感、というだけでいいから」

 「あ、はい」幾分かの安堵をしながら、メグは椅子に腰を掛け直した。「それでしたら」

 「えーと」堅いパンのサンドイッチをはぐはぐしながら、メグはなんとなく頭の中にある情報を捻り出す。「多分ですけど、2週間くらいは持たせられるかと」

 「そんなに?」

 「明日にンザンビさんたちがお帰りになる時ので、大分人も少なくなりますから」

 「あぁ」

 

 なるほど、とうわ言のように言って、リツカはぼんやりと空を見上げる。白雲の伸びる空は、かろうじて晴天になるくらいの天気だ。日差しは柔く、のんびりとしたように雲が空に寝そべっている。

 

 「最終日は確か、8日後、だったかな」

 

 はい、と応えたが、意味のない返答だと思った。何せ、リツカはメグに質問したわけではなかった。己が理解していなければならない情報を頭の中から脱落させるほど、彼女は能天気ではない。まぁ要するに、今のは独り言、だ。フジマルリツカの補佐……と言っても、食糧に関しての、些細なことの手伝いだけれど……をするようになって2週間ほど。彼女の空気感というかテンポみたいなものも、なんとなくわかり始めてきた。

 何やら思案顔のリツカ。と言っても、そこに何か先鋭的な気配はない。もっと平易に言えば、ピリピリした気配がない……とでも言おうか。

 メグは、心なしか安堵していた。特に北部に現れた敵と戦おう、と言う時の彼女の鋭い気配を感じていると、メグは居たたまれなくなってしまう。自分と同じ世代で、まだ19歳の女性が放って良い気配ではない。そんな風に育たざるを得なかった世界そのものの惨さを、メグは感じざるを得なかった。だから、リツカがリツカらしくぽかんとしている様を見るのは、何と言えばいいか……そう、好きだった。

 

 「パーティでもしようか」

 「はい?」

 

 ……ぽやんとしたまま言ったことが、メグにはちょっと理解できなかった。なんて?

 

 「メグ、そういうの好きだったじゃん」

 「今そういうのは……」

 「それに、実際この調子だと余るしね。重荷になるし、いっそ使っちゃったほうがいいでしょ。税金は無駄にしちゃいけないよ」

 

 パーティ、と聞いて、無自覚に浮足立つ自分の仕草が少し恥ずかしい。表情には出さなかったけれど、メグの内心の浅ましさくらいリツカは理解していると思う。メグがリツカのことを漠然と理解してきているように、リツカもまた、メグという人物を理解し始めている、はずだ。

とは言え、リツカの言い草も理解できる。今の“アメリカ”に生きる者として、北部アメリカの事実上の棄民にならざるを得なかった者として、食糧を棄てることはあまりに心苦しいものなのも、本当のことだった。リツカたちが来てからは大分マシになったけれど、それまでの食糧事情は悲惨としか言いようがなかった。

 ……少し、気分が悪くなった。あの頃を思い出すだけで、寒気がする。

 

 「なんか、変な言い方ですけれど」

 「うん?」

 

 マグカップのコーヒーを啜って、リツカは不思議そうな目をメグに向けた。

 

 「最近、ここでの生活にも馴染んできていたので。ジョーもベスもエイミーも、みんな生き生きしてますし、少し、寂しい気もしていて」

 

 特に、メグとしてはベスが年頃の普通の少女のように振る舞ってくれていることが、嬉しいことではあった。

 リツカは静々と頷いていた、マグカップを呷る彼女の表情の機微までは、あまり測れない。

 

 「お母さまも、いつも言ってます。皆さまが来てくれてよかったって」

 

 おずおずと伺うように、リツカの表情を眺める。幾分か柔和な感触だ……でも、やっぱるわからない。リツカの人となりが漠然と理解できて来たのも事実だけれど、一方で感じるのは、この“測れなさ”だと思う。フジマルリツカ、という女性は、大らかでありながら、むしろその大らかさで取り付く島もない雰囲気を生み出している。では排他的かと言えばそうでもなく。彼女の仄暗い鈍色の瞳を見ていると、秘密の花園の最奥に、ぽかりと空いた池沼の泥濘(ぬかるみ)を覗き込むかのような感慨を受ける。底の知れない、緩く深い泥……。

 

 「じゃあ、思い出は綺麗に彩らなきゃ」

 

 すっぱりと、リツカは言った。メグはハッとして彼女を見返してから、一度深く頷いた。

 

 「で、パーティの音頭をメグとジョーの2人にお願いしたいんですけど、いいですかね」

 「はい。喜んで。きっと、みんなが楽しめるようにしますね」

 

 ふにゃり、とリツカの表情が緩む。多分、これは本心からの微笑だ。でも、彼女の本心は一つじゃない……というより、積層している。折り畳まれた時間のように。

 でも、やっぱり本心は本心なのだと思える。だから、メグは素直に喜んだ。

 

 「じゃあ必要なデータがあれば私と、あと仲達さんかな、遠慮なく言って。使える人員があればそれも相談してね」

 

 メグは健気に頷いていた。ニコニコ、と相好を崩しながら、リツカは漠と、空を見ている。

 綿を敷き詰めたような、薄曇りの空。雲の上に戴くはずの太陽は、透かし見るのに酷く眩しい。じんわりと滲む、陽の暖かさである。さわ、と撫でた風が、リツカの髪を浚った。

 

 

 「なんじゃあ、また絵でも描いておるのか」

 

 頭上から降ってきた声に、エイミー・マーチは思わず顔を上げた。聞き知った声だったので驚きもせずに見上げると、駿馬の上から、思い通りの顔がこちらを覗き込んでいる。

 陽の光を受けて、金の髪がきらきらと煌めいている。「綺麗な髪ね」とエイミーが素直に評すると、ヴリトラは幾分か満足気な表情で言った。「別にどうでもいいことじゃ」

 

「こんにちは、小さなレディ」

 

 もう1騎、ヴリトラの隣に居た人物に気が付いた。白亜の美しい馬にまたがる、やはり純白の衣を纏う、玲瓏な佇まいの騎士。天使様、だ。確か、名前はスルーズ、というのだ。エイミーはすん、と澄ましたように佇まいを正すと、礼儀正しくスカートの裾を摘み、しゃん、と身を屈めた。「ごきげんよう」

 

「なにを書いておったのじゃ」

 

 栗毛の馬から降りたヴリトラがエイミーの手元を覗き込む。最近わかってきたけれど、ヴリトラは、人間の文芸的なものをよく好んでいるようだった。

 

 「ほう。この花か」

 「綺麗ですね」

 

 同じく乗馬から降りたスルーズも、エイミーが手元に抱えた黒板(ブラックボード)の絵を眺める。白チョークで描かれた花は、地面に座るエイミーの足の間にぽかりと咲く小さな草花を描きとったものであった。

 

 「上手くなったのう」

 

 ヴリトラの素直な言葉に、エイミーも素直に喜んだ。最も、次の言葉を聞くまでの間だが。

 

 「前のへっぽこな絵よりもちっとばかり上手くなっておる」

 「まぁ!」

 

 エイミーは甲高く声を上げると、ぷりぷりとヴリトラを睨みつけた。きしきし、と笑ってエイミーの怒気を受け止めながら、彼女はエイミーの黄色い巻き毛をぐしゃぐしゃと撫でまわした。

 

 「そんなことありませんよ。よくお上手でいらっしゃいます」

 「わかる人が見ればわかるのよ。あなたの目は()()()()ということね」

 

 相変わらずきしきしと笑いながら、ヴリトラは「そうかもしれぬ」と言った。彼女は確かに人間の生み出す文明を好ましく思うが、その質の如何についてはあんまり頓着がない。文明や文化を打ち立てる営為を好ましく思っているのであって、それ自体への強い関心があるというわけではない。

 

 「もっと練習すればもっと上手くなる。精進して励むが良いわ」

 「あなたに言われても嬉しくないわ!」

 

 ヴリトラの言葉をぴしゃりと跳ね退けるエイミーの声は姉のジョセフィンのように勇ましかったが、撫でるがままにされている手を払いのけようとは、一切しなかった。ちょっとだけ、次姉の気持ちがわかるような気がする。リツカやネロに手製の小説を読ませては、手厳しい評をもらって顔を真っ赤にしているジョーは、それなのに、小説を2人に読ませるのをやめようともしない。

 

 「そう言えば、どこにいくの?」

 

 つと、エイミーは浮かんだ疑問を口にしていた。

 

 ──現在地、ナッシュビル北部、第一北街道沿いの草っぱらの中。エイミーの見るところ、2騎はこれから、ナッシュビルの北へと向かおうとしているようだった。ナッシュビルの北部と言えば、軍事的緩衝地帯ながら、アメリカ北部の同盟(ユニオン)の兵隊が屯しているケンタッキー州との境目だ。ナッシュビル北にサーヴァントたちが駐留し、防衛線を構築しているのはそういう理由だ。

 

 「敵なの?」

 

 知らず。

 エイミーは、声が上ずるのを、どうしても我慢できなかった。いや、正しく言えば、我慢しようという気さえ起きずに怖気が惹起した。戦争という言葉は、12歳のエイミーにとってはあまりに重たい言葉だ。

 

 「いやぁ? 敵の攻勢は予定より少し遅れてると聞いたぞ」

 「じゃあなんで?」

 

 軽い安堵を浮かべながら、エイミーは首を傾げた。それ以外に、休息中のサーヴァントたちが北部にわざわざ出向く理由がよくわからなかった。

 

 「スルーズがの。クロエに逢いたいんじゃと」

 

 ヴリトラが顎をしゃくる。エイミーの視線が移ると、金の髪を長く伸ばした天使様……スルーズは、軽く頭を下げた。

 いまいち、よくわからない。クロに会って何をするんだろう、と考えてみたけれど、エイミーにはよくわからなかった。ジョーならわかるのかな、と思ったりする。3つ年上の姉は、赤くて長い綺麗な髪をしているけれど、とても男の子っぽいのだ。4姉妹の中でこういう戦事(いくさごと)に長じているのはジョー、というわけだ。

 

 「クロのところに行くのね」

 「まぁそうだな?」

 「私も行くわ! 最近会ってないんだもの」

 「お母さんは知っておるのか」

 「知ってる」

 「嘘を吐くな嘘を……わえが聞いてくる故、少し待っておれ」

 

 あ、という間もなく軽やかに栗毛に跨ると、ヴリトラは軽く馬を責めた。小気味のよい歩様の音をたて、軽やかに駆けゆく栗の駒。いいのに、と恨めし気に声を漏らしたが、もはや詮のないことであった。

 エイミーは真ん丸と頬を膨らませた。背伸びがしたい年頃なので、露骨に子供扱いされるのは、あんまり好きではない。自らはレディである、という自負が、彼女にはある。

 

 「ヴリトラは失礼なのよ。私がまだ子供だと思っているんだわ」

 

 傲然と胸を張って見せる。そういう素振りが子供っぽい、ということにまでは、まだ気づいていない。

 

 「そうですね。あなたはきっと、美しい女性になりますよ」

 

 微笑を浮かべるスルーズに、エイミーはうん、と大きく頷く。やや低い鼻をつんとして、彼女はご満悦だ。重ねて、こういう無邪気さが彼女の子供っぽさだった。

 

 「先に行きましょう? お母さまは許してくださるわ」

 「それはなりません」優し気に、しかし断固とした調子でスルーズは続けた。「ここから北までは距離があります。敵に襲われれば、私一人であなたを守ることは難しいでしょう」

 「ここに敵は来ないわ。ライネスは凄いのよ」

 「万が一、ですよ」

 

 スルーズは優しい微笑を表情に作り、エイミーの黄色い巻き毛をさっと撫でた。

 

 「私は騎士です。なにがあろうと貴女をきっとお守り申し上げます。ですが、あなたを危険に晒すことこそ名折れ。どうか堪忍してください」

 

 一拍。スルーズは、間を置いた。

 

 「お美しいレディ?」

 「まぁ!」

 

 エイミーはいよいよご満悦顔も有頂天だった。このような美しい人にレディ扱いされて嬉しくない女性があろうか。殊に見栄っ張りのエイミーにとって、その言葉の火力は段違いである。

 

 「あなたがそう言ってくださるなら、仕方ないわ」

 

 案の定、エイミーは聞き分けもよく返事をしていた。相変わらず微笑のスルーズのその表情も、エイミーをいや増しに満足させていた。最もエイミーをここまで満足させているのは、スルーズの言葉が、彼女にとって本心であるからだろう。本当に、スルーズはエイミーを美しい女性であると認識していた。将来、さらに磨きがかかるであろう、という予測も。

 

 「座る?」

 「大丈夫ですよ、私はサーヴァントですから」

 

 エイミーは通りの端に転がる巨石にちょこんと座った。ちょっと居心地が悪かったけれど、エイミーは内心で自分に言い聞かせた。サーヴァントの人たちは、とても体が強いんだ。

 

 「アーチャー……クロエは、どんななサーヴァントですか?」

 「クロ? うーん」エイミーは首を捻った。「よくわからないわ」

 「旧知ではないのですか?」

 「全然? あの子ずっと独りでいるもの」

 「では何故?」

 「それが巡礼(ピルグリム)だからよ。善きことをしなさい、そうすれば天の国へ行けるって。主の教えなのよ」

 それから、およそ30分ばかりも後であろう。

 エイミーがとにかくお喋りを発揮して、スルーズが()()()()とそれを笑顔で聞き続けるという30分であった。2人ともひとしきり楽しんだくらいに、キャンターで馬を駆けさせた姿が浮かんだ。

 

 「全く遅いんですから!」

 「誰のせいじゃ誰の」

 

 ぷりぷりとするエイミーに、ヴリトラは全く以て愉快じゃない顔をした。いっそ小突いてやろうか、と思ったほどである。

 

 「あ、何するの!」

 

 いや、思っただけでなく、実際に小突いた。馬から飛び降りて、ぴしゃりとエイミーの艶のいい綺麗なおでこを強かに指ではじいた。

 

 「痛いわ!」

 「痛くしたんじゃ。当たり前だろうが」

 「お母さまにもぶたれたことないのよ」

 「そうか、気が合うのう。わえも親からぶたれたことはない」

 

 言いながら、むんず、とヴリトラはエイミーの首根っこを掴んだ。じたじたと暴れる様も相まって、エイミーは聞き分けのない暴れ猫という有り様である。

 

 「やれやれ。ミルキーアンのほうがまだ大人じゃ」

 

 なにおう、となおも癇癪を起そうとするエイミーを、ヴリトラは軽々と放り投げた。その()()は、それはもう綺麗だった。放物線を描いて宙を舞い、すぽん、と白馬の鞍の上に乗っかった。

 

 「スルーズ、頼めるかの」

 「ええ、構いませんよ」

 

 きょとんと眼を丸くして白馬に跨るエイミーの後ろに、スルーズも跨った。

 

 「今私飛んだの?」

 

 喜々として破顔するエイミーの顔に、ヴリトラは難しい顔をした。エイミー・マーチという12歳の少女は、思いのほか神経が図太い。あの赤毛の姉と同じじゃあ、と思った。

 それ自体は好ましいのだが、エイミーはなんというか、そう……鬱陶しいところがあるのである。芯の通った人間は好ましいが、きゃんきゃんとうるさいのは、別に好きでもない。

 

 「綺麗に飛んでおりましたよ」

 「当然よ」

 「そうか、良かったの」

 

 むん、と馬上で胸を張るエイミーに、とりあえずヴリトラは考えるのをやめた。ポジティヴにも程があろう、と思う。それがこの幼女の美点ではあったが、美点も過剰ともなれば、幾分か害するものがあるというものだ。

 そして。

 それを治すべくは、己の意思を持って他はない。それが人間と言う生き物の、恐らくは徳だ。困難な道程を遍路し、踏破することこそ──。

 

 「早く行きましょう、スルーズ!」

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