fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
一抱えもある“荷物”を持ちながら、ジョセフィン・マーチの目は、知らず、周囲であくせく働く
ジョーと同じように……と言っても、流石にジョーより大分軽々としたようにだ……荷物を持ち運ぶ、筋骨隆々の男。現存する最古の英文学叙事詩、まさしく『ベオウルフ』の主人公、ベオウルフその人である。以前読んだ『ベオウルフ』のベオウルフに比べれば、なんとなく
それに、後ろでふんぞり返って、パラソルの下であくびをしている白いドレスの女も、ベオウルフと同じく過去の英雄の現身であるという。ジョーにはよくわからないが、イングランドの神話に登場する偉大な女王であるとかなんとか。それに、ケンタッキー州に繰り出して、“偵察”をしているシータも、遠いインドの神話の美しい花嫁なんだとか。極めつけは、あのシェイクスピアの『真夏の夜の夢』のオベロンだ。あのシェイクスピアの!
そりゃあもう、ジョーは感動もんである。陽が昇れば外へ飛び出していく快活な少女だが、同時に文字が読めるようになってから。毎日小説やら何やらを読み続けてきた文学少女でもあるのだ。彼女にとって、小説とは危険な冒険や旅といった非日常へ連れて行ってくれる夢物語であり、そうした夢想に思いを寄せることで、今生きる自分の日常すら煌びやかにしていくれる、そういったものである。そんな夢物語の登場人物たちが、今まさに現実の血肉を以て、自分の目の前にいるのだから、感動もひとしおどころではないわけだ。
「おう、早くしろ」
じろりと睨むベオウルフに急かされて、ジョーは速足になる。過去の英雄にどやされる、という体験も、彼女にしてみれば、瑞々しい愉快事だ。「はぁい」と応える声も思わず弾み、一つ結びにした長い赤毛の尾を引いて、ジョーは小走りで奔っていく。
「持ってきました、ベオウルフさん」
「んじゃ適当に置いておいてくれ」
「コードの設置ならできますよ」
「おおそうなのか」幾分か、ベオウルフの表情が柔いだ。厳つい表情からはちょっとだけ乖離した、いい意味で情けない顔だ。「じゃあここは頼むわ。俺は向こうに置いてくる」
生来の快活さで「はい!」と元気よく答えるジョー。のそのそ、と熊みたいに向こうの堀に向かう背を見ながら、ジョーは改めて、自分とベオウルフの持ってきた“荷物”を見る。
紐で括られた、数多の刀槍。銀の剣もあれば鮮やかな虹色の剣もある。朴然とした槍があったと思えば、きんきら金の斧まである。大部分がベオウルフの持ってきたもので、ジョーが担いできたのは、何十本とある刀剣の中のほんの一握りだ。同年代の少女に比べれば力持ちの自覚はあるが、あくまで普通の人間である。そんな十本ニ十本を抱えられるほどの腕力はない。
とは言え、とジョーは思う。これでも最初は、一本二本を持ってくるだけで全身の筋肉が悲鳴を上げていたものだ。多少なりとも、マシにはなったと思う。これでいつでも、勇敢な旅に……ないし、危険な冒険に乗り出すこともできるぞ、と半分本気で考える、ジョーである。
さて。
この刀槍、ないし煌びやかな武具の
一定の間隔に沿って、剣やら槍やらを抱えては突き刺す。ずぶり、ずぶり、と突き刺しては、柄にビニール……という未来の材質らしい……で保護された銅線を巻いて、線の繋がった変な箱……これも未来の機械だ……を側において、あとは回りの土で埋め立てて、カモフラージュで枯れた草木を盛れば完成だ。
即席の対魔獣・サーヴァント用の地雷である。あの上を一定以上の魔術回路を所有した人間が踏み込むとセンサーが感知し、あの剣が内包する神秘とやらを暴発させ、対象を殺傷する、という機能らしい。どうして刀剣が爆発するんだろうとか、そういう疑問がないでもないが、とりあえずはそういうものだ。実際にジョーもあれが起動する様を見ていたので、今更その効用は疑わない。
文字にしてみれば、結構単純な作業である。が、実際労働してみると、それはそれでクソほど大変な肉体労働だ。まず穴ぼこに剣を突き立てるだけで一苦労である。地雷として機能させるための装置を設置すること自体はさして苦痛ではないが、今度は掘り返した土を戻すのも一苦労だ。ショベルで回りにこんもりと盛り上がった土を切り崩し、綺麗に穴に埋めると、もうジョーは全身が土まみれだった。これを1個どころでなく、街道に沿う形でいくつもつくるのであるから。苦労はひとしおどころではない。
まず一つ、苦労して宝具の地雷を設置して、ジョーは一息を吐く。汗を拭いながら、彼女は素直に、仕事の達成感を味わっていた。昔は……といっても、ここ数か月前の話だけれど……“女らしくない”自分の所作なり風采なりで苦労もしてきたけれど、今はそれが役に立っていていい。
昔に思い描いていた
「ようし、やるぞ」
と掛け声を一つ。善行に励むという気分の良さがあっても、大変な仕事には相違ない。改めて途方に暮れた彼女なりの、言ってしまえば前向きな現実逃避のようなものだった。
……彼女の“仕事”が終わったのは、なんと実に5時間後である。無数の宝具をえっちらおっちら地面に埋め立てては地雷にするための装置を括りつける、という極めて地味な作業を延々と続けるという、まあ控えめに言ってシシューポスの神のような行為を、ジョセフィン・マーチは立派に成し遂げた。無限に愚痴はこぼしていたが、それは致し方なきことだ。
現時刻、13時20分。新たから仕事を終えたジョーに声をかけたのは、女王メイヴだった。
「しごおわ。少し休みなさいな」
ふわ、とあくびをしつつ、気だるげな様子のメイヴ。はぁい、と健気に応えて、ジョーは近くの木陰で作業着からいつもの赤いドレスに着替えると、小走りに休憩所へと向かう。
休憩所、なんていうけれど、要するに青空の下にただパラソルを張っただけの、簡易な代物である。
既に一仕事終えたベオウルフは、呑気そうに折り畳み式の椅子に座って、があがあと寝息を立てている。サーヴァントにとっては、食べることはそんなに重要ではないようだけれど、寝ることはとても大事らしい。いわゆる、彼ら彼女らは昔の偉大な英雄の幽霊だというのだから、確かに食べないで済むというのはわかる気はする。でも幽霊も寝るんだな、と素朴に思うジョーである。
「まぁコイツのことはあんまり気にしないで」
熊みたいに
一頭の牡牛を巡る戦争を巻き起こした傲岸不遜たるコナハトの女王……それが、メイヴという英雄の姿だ。最も、最近の小説が好きなジョーは詳しくは知らないけれど、ニューコードに居た友達の書斎に、確かその物語を記した本があった、と記憶はしている。
最初、彼女はこのアメリカを平らげるために、かの聖なる杯によって召喚された、らしい。その後、聖杯を使いクー・フーリンを召喚し、まさにアメリカを制圧しようとした時に、謎の武装勢力に襲われ、ヴリトラと2人で這う這うの体になりながら北部を脱し、放浪の末にカルデアと合流し、今に至る──。
というのが、このアメリカにやってきた、メイヴの道程である。女王の座に君臨するほどの人物が浮浪者さながらにまで没落しながら、再び覇を唱えるために本来敵であったはずのカルデアに与するというその大胆さ。特にジョーの気に入ったのは、その聖杯の使い方だ。万能の願望機……要するに、願えばなんでも叶うビックリどっきり道具を使って、やることが世界征服とかじゃないのがいいと思う。世界を平らげるのはあくまで自らの力量を以て為す、という強い意思がそこにはある。アメリカ合衆国国民として思うところがないわけではないけれど、その強い意思は、自尊心と独立心の高さを感じさせた。ジョーが、ひいてはマーチ一家が重んずる自尊心を、女王メイヴはしっかりと備えている。
「
勢い、ジョーはテーブルから身を乗り出した。意味深長に計画、と発するジョーの口ぶりは、何やら深淵なことどもをこれから語らんとする重苦しさを感じさせる。もちろん、その重苦しさに染みつく演技臭さは拭えないのだが、ジョーにはその自覚はなかった。
最初、メイヴはぽかんとした。数瞬ほどもジョーの表情を見返してから、彼女は独り得心したように頷いてから、にたり、と口角を歪めた。
「当然よ。リツカの裏をかく準備は着々と進展しているわ」
おお、とジョーは小さく歓声を漏らす。相変わらず鼾をかいているベオウルフの横目で伺いながら、「それで、いつなんですか」
「え? えぇと」メイヴはうろうろと視線を彷徨わせてから、荘重な様子で咳払いした。「それはまだあなたには伝えられないわ」
「まだなんですか?」ええ、と目を丸くしながら、ジョーは抗議するみたいに頬を膨らませた。「前だってそう言ってたじゃないですか」
「仕方ないじゃない。あのリツカの裏をかくにはね、生半可な知略では敵わないのよ」
「そうかなぁ」
つん、と毅然な様子を見せるメイヴに、あくまでジョーは懐疑的に首を捻った。
フジマルリツカのことを、ジョーはあんまりよくわかっていない。むつかしいことを決めているらしい、ということは知っているけれど、それだって司馬懿やクロエだっているじゃない、と思う。ネロ・クラウディウス……あのローマの皇帝だ!……だっているし、それこそメイヴだって、元は一国の女王なわけで。意思決定者が必要というなら、結構な人材がいる中で、なんでフジマルリツカが、という疑念は当然のようにあった。
「それはアンタが子供の証拠よ」
「私は子供じゃありません!」
「15年しか生きてないガキが生意気言うんじゃないわ」
「それを言うなら、リツカだって19じゃん」
「木っ端の字書き以上でも以下でもなんでもない有象無象のあなたと、4つも特異点を制圧してきた女が同じだとでも? それがわからないなら、アンタはガキ以下の幼児よ」
ぴしゃり、と撥ねつけるようなメイヴの声に、思わずジョーは頭に血が上るのを感じた。ぎゃんぎゃんと喚き散らしそうになるのを顔を真っ赤にしながら、それでも赫怒のままに激憤しなかったのは、全然自分の自制心なんかではなかった。ただ、冷たい目でこちらを見やるメイヴの眼差しが、現実をまざまざと突き付けてきたからだった。
「随分、リツカの肩を持つんですね」
喚く代わりになんとか絞り出せたのは、そんな負け惜しみだった。ジョーは、鬱とした感慨を否が応もなく沸き上がるのを停められなかった。彼女の
「当然よ。だってこの私がライバルと認めた女なんですからね。弱くては征服のし甲斐がなくてよ?」
ご満悦顔で言うメイヴに、ジョーはやっと、感情が柔いできたのを感じた。怒気や感情の亢進は、得てして数秒しか持たないものだ。メイヴに悟られないように……とは言え実はメイヴは気づいているのだが……ほっと一息を衝いてから、「クー・フーリンを召喚すれば、あとは勝てるんですよね」
「そうよ。私の
ひゅう、と口笛を鳴らすジョー。メイヴの得意そうな口ぶりを聞くのが、彼女は好きだった。メイヴは、母親に似ていると思う。何がどう、というのを上手く表現できないのは、ジョーにしてみれば厄介なことだった。文字書きとして大成したいと思っている彼女にとって、自分の感情の流れをくみ出して正確に表現できないのは、もどかしいものだった。
「じゃあじゃあ」
「シっ、静かに」なおも続けようとするジョーを掣肘するように、メイヴが鋭く言った。「オベロンが来たわ、リツカの犬がね」
慌てて、ジョーは口を噤んだ。そろそろ、とメイヴが見やる方を見れば、確かに件の人物が、弓使いとともにこちらへと向かってくるところだった。街路の先、シータが健気に手を振るのに対し、隣の羽虫みたいな翅を生やした痩せた男は、気だるげにとぼとぼと歩いている。
妖精王オベロン……あの『夏の夜の夢』に登場する、妖精王オベロンだ。ジョーは叫びそうになる衝動にかられながらも、なんとか押し堪えた。メイヴと秘密めいた話をしていたことを、大声で漏らしそうな気がした。
「メイヴさん、今戻りましたよ」
「おかえり、シータ」愛想よくシータを迎えてから、じろり、とオベロンを見やる。「相変わらず陰キャみたいなツラね。早く飼い主のとこに帰ったら? ぶんぶん蠅みたいに音を鳴らして」
オベロンに対してはド辛辣だった。無言でメイヴの罵声を浴びながら、それでも彼は精々舌打ちをする程度に留めた。「疲れてんだ。飲み物くらいくれ」
言いながら、オベロンは勝手に保温ポッドに溜まった紅茶をティーカップに注ぎ始めた。私が淹れます、とジョーが言い出す前に、さっさとカップ2つに紅茶を並々と注いで片方をシータに押し付けると、ぐい、と勢いよく呷った。
「アッッッッツ!?」
案の定、カップを取り落として紅茶を諸に被って、オベロンは顔を顰めた。
「そりゃそうよ。未来の道具というのは便利なものね」
「いつでも熱い茶が飲めるものな、クソ!」
酷く口悪く言い捨てながら、オベロンはそれでもティーカップを投げ捨てるようなことはしなかった。
……本当にあの妖精王なんだろうか、と疑わざるを得ないジョーである。傲岸不遜な身振りはするけれど、威厳と言うかそういうもんはちっともない。
「なんだ?」
じとり、としたオベロンの視線がジョーを見る。こういう時生半の人間なら怯むのであったろうが、ジョセフィン・マーチはそれはもう、気だけは強かった。
「別に? あなたって本当に妖精王オベロンらしくないって思っただけよ!」
なので、平気で大の本人にそんなことを言いやることもできた。
オベロンは舌を打った。陰湿そうにじとりとした視線を向けるだけで鬱屈と唇を結ぶ様は、明朗快活なジョーからすれば腹立たしい仕草でしかなかった。軽やかで傲慢で意地悪で、それでも最後は情に絆される妖精王オベロンの姿は、目の前の草臥れた羽虫みたいな男には欠片ほどしかないのだ。
……とは言え。
「このクソな紅茶はクソ熱いから気を付けておいた方がいいぞ、あークソッ!」
「はい、いつもお気遣いありがとうございます」
遠いインドの英雄である、というシータに、オベロンは素気無い様子で言っている。
……欠片ほどは、あの愛らしいオベロンの面影がないでもない。根っから嫌いになれないのは、多分そう言うことであろう。
「んぁ? なんだオベロンか……」
ぼんやりとしたようにベオウルフが言う。冬眠明けの羆みたいなのそっとした様子である。
「なんだとはなんだ。どいつもこいつも俺をなんだと思ってんだ」
「犬。フジマルリツカの犬以外何かあって?」
「俺お前のこと嫌いだわ」
「なら私の勝ちね。私はアナタみたいなうじうじした陰キャは死ぬほど大嫌い。なんで生きてるわけ、あんたみたいなクソ虫が」
「キィー!」
……流石に慣れたもんだけれど、オベロンとメイヴの言葉の応酬の辛辣さはなんというか、スゴイ。激発しがちなジョーでもここまで人を罵るなんてそうできないな、と思うのである。それにしても虫みたいな鳴き声でぷんぷんするオベロンである。
「それで? 連中の動きはどうなのよ」
それでもスゴイと思うのは、結構平気な顔で互いに喋ることだ。メイヴにそう言われるや、オベロンは相変わらず嫌そうな顔ながらも「あのニガーの女のいう通りだ」とにべもなく言う。
「あら、
「知らん、俺は差別主義者だ。コンプラなどくそくらえ、繰り返すコンプラなどくそくらえ」
「で?」
「攻勢に出る日時が伸びた。正確には4日ほどだが……向こうさんは既に“アメリカ”がナッシュビルの取り込みに成功してると思ってる。戦力を整えてるってわけだ」
メイヴの目がシータへと向く。彼女も頷いて、オベロンに同意を示した。オベロンやアーチャークラスを預かるサーヴァントたち、それと
「今不埒なことを考えていただろう」
「うん」
「否定しなさいよ否定を」
まぁ、もちろんジョー程度の一般人が相手では流石に手も足も出ないだろうけれど。
「でも高々2~3日、伸びるだけなのね。例によって、向こう様は思うように動けてないのね?」
「織田信長のクーデターの傷も言えてないのだろうよ。“魔女”の捜索とクーデターの残党狩りで向こうもてんてこ舞いだ」
「なのに攻勢に出られないアメリカもアメリカだな」
「人はあまり他人を信じられないものですから」
しんみりと、それでも健気に言うシータに、丸テーブルを囲う各々は哀れみのような心境で閉口した。ジョーはその空気感の意味を理解しかねた……いくら文学少女とは言えども、流石にインドの大叙事詩についての知識は無かった……が、言わんとしていることの意味は、よくわかる。そもそも、アメリカという国が南北に分かれて戦争なんかを始めていたのだ。
……ジョー・マーチは幾分苦い気分になった。南北戦争の折はまだいい。問題は
「女子供を気にせず殴り合えるってのはいいことだな」
「脳筋かよ」
「んじゃあお前はか弱い奴らを盾にして戦えって? そりゃ結構なことだな、俺はご遠慮願うぜ」
「そうは言ってねえだろ……
「王様だし、テメエもだろ」
「俺は一般小人です」
互いに、苦い顔のベオウルフとオベロン。この2人もそんなに相性はよくないらしいが、さりとて、メイヴとはまた違った口の利き方をする2人だった。互いに気心は知っている、という風だ。
やいのやいの、と談義するサーヴァントたちに囲まれながら、ジョーは内心で唸る。周囲にいるのは、それはそれは名の聞こえた高名な英傑たちだ。一部不届きな輩もいるけれど、それはそれ。得ようと思っても得難い経験に違いはなくて、これはきっと、自分の執筆活動に役に立つ。あの新聞屋にも、もう下手なことは言わせない……。
ジョーは空を振り仰いだ。今頃あの新聞屋は何をしているだろう。もう、戦争で死んでしまっただろうか──。
青い空の先、ひらひらと舞う鳥がいた。晴天に舞う小雪のように風に身をゆだねる鷹の飄逸する姿に、ジョセフィンは、胸の奥に渋くわだかまる感慨を覚えた。
*
“私”に預けられた仕事は、ナッシュビルでの手伝いを除けば、およそ防衛線周囲の哨戒と、それに伴うケンタッキー州との州境から漏出してくる敵戦力、あるいはサウスカロライナの穴から現れる厄人と呼ばれるサーヴァントもどきの迎撃作戦。そして、敵戦力の“間引き”作戦の3つに大別された。どれも大事な任務で敵勢力と直接戦う場合は危険度もある。最も危険度が高い単騎での敵地潜入は、まだリツカや司馬懿といった上の人たちからは許されてはいなかった。当然と言えば当然で、新参者が従事すべき仕事ではない、と“私”自身も承知していた。
そんな中で、“私”が従事する最も危険な任務が、今日のそれだった。敵戦力の間引き……ナッシュビルへの攻勢を控えたケンタッキー州-テネシー州の州境付近に敷設された敵駐屯地への拠点攻撃が、今日従事する任務だ。
──州境を横断する山間を進みながら、“私”は先を歩く2人の姿を見る。
1人はセイバーを兼ね、前線を張りつつ味方の援護に長じるキャスタークラスのネロ・クラウディウス。そしてもう1人は、これまで幾度と敵地潜入を敢行し、時に単独で敵サーヴァントを暗殺もしてきたサーヴァント……ライダークラスの変異クラスとして召喚されたボイジャーのサーヴァント、宇津美エリセだ。するすると軽やかな足取りで険しい樹々の合間、山肌を歩いて行くエリセの歩様は、流石に場慣れしたものを感じさせた。本来であれば、この悪路を颯爽と走り抜けることすら可能だろう──少なからず、しゅんしゅんを歩いて行くエリセの姿は、そう感じさせた。
「む~歩きにくいぞ!」
対して、ネロ・クラウディウスの歩様はまぁ、控えめに言って、普通の人が足を取られる様よりはマシ、という程度だった。豪奢な黒いドレスこそが、キャスターとして召喚された彼女の本質だというのなら脱ぐわけにもいかず。さりとてまた花嫁衣裳を汚すわけにもいかないので、自然、歩く様はぎこちない。サーヴァント、というのは、魔術師たちが思う以上に不便な存在なのだ。己が存在性に囚われ、思うように振る舞えない、というもどかしさは、今を生きる人間以上だろう。宿痾に囚われた一時の生を謳歌できる者の方が、却って少数なのかもしれない──そんなことを言っていたのは、ベオウルフ、だったろうか。
それでもエリセの歩みについていけているのは、彼女のスキルに依るものであろう。あらゆる汎用スキルを一時的に任意で付与する【皇帝特権】。破格のA+ランク相当EXランクのそれの汎用性は、物によっては同時に複数のスキルの併用すら可能とする。まぁ、今発動しているのは、ただ山登りのスキル、というだけなのだが、そのおかげでヒールで山麓を歩くという暴挙も平然とこなしているのはある意味で傑物とは言えよう。
「アーチャー君は歩きなれてる、って感じするね」
ひいこらするネロがついてこれるように立ち止まったエリセが言う。大剣を杖替わりにして歩くネロに対して、“私”は確かに、険しい山間の中を特に苦にすることもなく歩いている。歩きにくそうな服、と言う点で、“私”の戦闘装束もネロに負けず劣らずのものではあるのだが。
「サーヴァント、だからではないでしょうか」
素直に私はそう言っていた。霊長の守護者たるサーヴァントは、人間を遥かに凌駕する身体性能を誇るものだ。
「いやーそういうものでもないよ」エリセは朗らかそうに首を横に振った。「こういうのは“慣れ”が物を言うんだ。メイヴやヴリトラがこういう仕事に出たがらないの、生前はこんな泥くさいことはしてなかったからね」
そういうもの、らしい。確かに言われてみれば、“私”が来てから何度か敵地に潜入していくサーヴァントたちを見送ってきたが、その人選には大抵メイヴとヴリトラは居なかった、と思う。彼女らはもっぱら防衛線付近での哨戒に従事している。
「キミ、生前はよく旅をしたりしていたんだと思うよ」
あまり実感はわかなかった。相変わらず記憶があやふやな“私”で、エリセにそう言われても朧にすら思い出せなかった。
けれど、少しだけ、自分と言う人間の人生に近づけたような気がする。“私”は少なからず弓術に長け、そしてエリセの観察が正しければ、長い旅を経てきた人物のようだ。
「キミは一体、誰なんだろうね」
穏やかな表情で、エリセが言う。その表情に感じる深い襞のたゆみは、“私”にはうまく解せない。でも、悪く思っているわけではない、というのは伝わる。悪い気はしなかった。
「余はあまり旅などしてこなかった」
山間の窪地で小休憩を挟みつつ、早々と岩くれに座り込んだネロは拗ねるように言う。
「ネロは早くから皇帝になってたよね。戦争にわざわざ自分で行くタイプでもないでしょ」
「それはそうだが……遠出となるとあまりいい思い出はないな」
ネロは顔色を悪くした。エリセはとてもよく歴史上の人物に通暁しているらしい、と知り始めたのは、最近のことだった。あの皇帝ネロが女性だなんて、と大騒ぎしたこともあったらしい。エリセがそれとなしに“私”を気遣う理由も、そこにあるのかもしれない。曰く……彼女は、過去偉大なことを為した英霊たちに、大変な敬意をもっているようだ。
“私”の所感としては、彼女は、なんというか……いい人、だと思った。気づかいができて面倒見もする、大人の余裕を感じさせる女性だった。メイヴやリツカとも近いけれど、また別なタイプの人物だと思う。
「どうしたの、弓兵君」
つと、不思議そうな顔のエリセ。小首をかしげる動作に連なって、さらりと前髪に結んだ赤い魔術礼装が揺れた。
「いえ」私は慌てて首を振った。「一体、私はどんな英雄だったのかと思っていたもので」
嘘だった、そんなことは思っていなかった。いや、確かに常日頃己は何者であったかと考えているけれど、この時は考えていなかった。“私”が考えていたのは、エリセはどんな人だったのか、という疑問だった。
だが、聞けなかった。彼女と“私”の間柄を考えれば、そういう不躾なことを尋ねるのは、いたって不適当なことだと思った。
「凄腕の弓取りであることは相違あるまいな」
きっぱりとネロは断言した。が、“私”は幾分居心地が悪かった。何せあの時、“私”は弓を外していたのだ。誠に優れた弓兵だというのなら、あの肝心の射は外してはならないはずだ。
「でも私は」と“私”は言いかけると、エリセは思いのほか強い口調で言った。「確かにあそこで外したけど」
「でもあなたのその後の行動はとても良かった……って、ベオウルフも言ってた、よ?」
段々尻すぼみにはなっていたが、エリセはしっかりとした口調で言った。まぁ尻すぼみになるにつれ、段々肩をすぼめていく様はちょっと面白い。
「エリセの言う通りだ。お陰で余は被弾することなく
腕組みして、大仰に頷くネロ。そうだよ、と便乗気味にぶんぶんと首を縦に振りながら、エリセはネロに続いた。「咄嗟の判断力に優れてる、ってことだよね」
「キミはただ善き意志で、あの時前に出て、ネロへの火力の集中を防いだ。判断力も確かにそうだけど、君には勇者の気質がちゃんと備わってるんだと思う。きっと、みんなから祝福されて、そしてそれに応えてきた英雄なんじゃないかな」
色々と、エリセは考えるように言う。“私”は幾分か気恥ずかしさのようなものを感じているようだった。ただ、何故か、“私”はほんのちょっとだけ……脳裏の片隅の、ほんのひと欠片ほど、その賞賛に疎ましさを感じているようだった。“私”はそうした感慨を抱いたことに驚いて、且つ、それが恥ずべき事だとすぐに思い直した。他者からの純粋な称揚を疎んじるなど、心根が捻じれた人間のすることではないか。少なからず、それは「勇者」と評してくれたエリセを裏切ることになるだろう……。
“私”は自らの裡に生まれ出てしまった気分を振りほどくように、静々、と一つ頷くことにした。
「私がそんな優れた英雄なのかは知りませんが」“私”は自らの手に目を落した。弓だこがあるわけでもない、艶やかな褐色の肌は、女性的ですらあるような気がした。「期待に応えられるよう、精いっぱいお勤めいたします」
せめて、彼女らの言葉を裏切ることのないようにしなければ。勇気ある戦士に相応しい振る舞いを、しなければ──。
*
「エリセよ」
つと肩を叩く声に、宇津美エリセは声も無く、ネロへと振り返った。相変わらず“花嫁衣裳”で歩きにくい様子ながら、ちゃんとエリセの歩速についてきている。後方1/4miほどをついてくるアーチャーの歩きは、相変わらずしっかりしている。
「そなた、もう目測がついているのか?」
「アーチャー君の真名?」
うむ、と頷くネロに、エリセは僅かに逡巡を迷わせた。背後からついてくるアーチャーは、先ほどの休憩を経て、なんだかやる気に満ち満ちている気がする。
「まぁある程度は」
幾分か迷ってから、エリセは口にした。やはり、と相槌を打つネロの目に、尊敬の念が浮かんでいる。そうした情動の指向に、昔なら屈折した感情を持ったものだ……と、色々と、懐かしく思った。
「流石だな。これも
まぁね、と応えつつも、エリセはさらにちょっと迷う。ネロの純粋無垢なきらきらした目からして、彼女はエリセの応えを聞きたがっている。それは火を見るよりも明らかだ……。
もちろん、自分の推測を語ってもいい、と思う。というより、リツカや司馬懿仲達には伝えるつもりだ。それは、彼女らの部下として働く身として、当然の報告だからだ。
が、憚られるのも事実だった。人の秘密事を、何やら興味本位で話すようなのは、彼女は好まなかった。ネロにそういう下世話な気分があるわけではない、というのはよくわかるけれど……。
それに、だ。
「でも、大事なのは真名が何なのか……自分が何者であるか、ではないと思うんだ」
「ほう?」
空を、振り仰ぐ。樹々の木漏れ日が微かに目元に落ちてくる。恒星の光が、星の光が、金色の光が、眩しいと思った。左腕に巻いた金のマフラーを、知らず、触っていた。
「自分が何であるか……そういう存在の問いは、いわゆる存在と言う居場所への問いであり、たとえばWW1~WW2の間での実存主義のような主張は、そういうオントロギーと表裏一体なんだけど」
少し喋りすぎている、と思いながら、エリセは腕に巻いたマフラーを強く握っていく。右腕の握力が、幾分か自制を欠いている。握られている左手が、痛んできた。
「でも、実存主義的な問いが至る地点は多分……自分が何者であるか、ではなくて、何に向かって行為し決断するかであって、結果として得られる『自分は誰なのか』という答えは、実は単なる結果論に過ぎないのかな、と思うんだ」
「うーむ、むつかしいことを言う。そなたはセネカのようだな」
ネロは深々と眉間に皺を寄せた。若い頃から宮廷の碩学たる叡智たちに教えを請うてきたネロ・クラウディウスとは言え、後の彼女の行為を思えば、賢しらな哲学的言説は好むところではないのだろう。
けれど、同時に。ネロは愚物でもなかった。ネロ帝を暗愚と評価する向きもあるが、歴史書とは、常にそういうものだ。
「だが、言わんとすることはわかるぞ。すまなかった、小賢しい詮索であったな」
「ううん、そんなことないよ」
こういう聡さを見ていると、本当にそう思う。暴君だなんだ、と言われているが、他者の心情の機微に対する鋭さは、エリセをして目を見張る。暗殺を重ねたと言えば聞こえは悪いが、自らを害する気配を俊敏に察知し、その芽を摘む才気があった……と言えば、それは君主としての才能の一つだろう。和を以て政治を為す、などというのは、聞こえはいいが、悪く言えば、ただの平和ボケした考えに過ぎない。
「何者であるか、ではなく何者に為るか──か」
ぽつりと呟くネロ。その口ぶりに、何か、淡いものが絡んでいるのを、エリセはなんとなく察した。
「そなたはどうなのだ」
「え、私?」
「うむ。余も最近、普段と違うことをしてみても良いか、と思ったりもするのでな」
──自らは何であるか、存在の問い。『家』という、問い。自らの安寧を巡る、問い。エリセは、腕に巻いた金のスカーフから、手を放した。
「もう大丈夫」
エリセの手の束縛から離れたスカーフが、ふわりふわりと宙に浮かぶ。その様を横目で見ながら、エリセの表情は、かつてのように、そしていつものように、14歳の少女のような朗らかさだった。
そうか、と深く相槌を打つネロも、己が感慨を味わうように、エリセの表情を見つめた。佳い顔だ、と声を漏らすネロに、そうでしょ、とエリセは自慢げに相槌を打った。