fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
正気度ロールに失敗した二人の人間による創作、皆様に少しでも楽しんでいただけましたら幸いでございます。
お手柔らかにヨロシクネ!
プロローグ
某年某日 日本
早朝、6時3分。いつも通り目覚めた少年は、いつも通りに、まず窓を見つめた。
ガラス窓から降り注ぐ、冷ややかな陽。曇天の時は陰鬱に、風の時は慄くように震える窓を、眺める。
いつも通りの、毎日。温和で、平坦な、毎日―――。
「ねぇ、今日は塾じゃないの?」
1階から、呼ぶ声がする。そうだった、と認識を新たにした彼は、ベッドから抜け出した。
あと1年と半年。高校生活が終わりを告げたら、大学生活が始まるのだろう。もちろんちゃんと勉強しなければ、大学入試は潜り抜けられないけれども。
「早く、ご飯できたよお兄ちゃん!」
「はいはい、今行くよ」
2015年7月28日 日本
「えー、今日は転校生が居る」
AM8:00。教壇に立ち、ホームルームを宣言した担任の教員が発した第一声が、それだった。
ざわ、と教室が動揺した。早朝ということもあってか、いつも死んだように沈んだ空気のホームルームが俄かに色めき立った。どんな人かな、と溌溂と語るバスケ部の女子生徒たちに、女かな、と囁きあう写真部の男子生徒たち。
そんな喧騒の中に、彼――――
「全っ然聞いてなかったよな」大仰に身体を捻って藤丸の顔を覗き込む、前の席の男子生徒。高校に入学してから友人になった友達は、無邪気そうに笑っている。「女の子かな!」
「いや、別にそうとは決まってないでしょ」
「いや、だってこの中途半端な時期の転校生ですよ! エロゲなら絶対可愛い女の子が来ますよこれは!」
「そりゃそうだけどもさ」
「しかもほら!」
ビシ、と勢いよく指をさす友人。その指先は、窓際の空いた空間をありありと差していた。
「昨日まで不自然に空いた空間、そして用意されている席。ここに席を用意するに違いない。しかも席が近い! これはもうしっぽり行くしかないんじゃあないですかァ?」
「でもここ俺の隣の席だよ。仲良くなるなら俺じゃね? あと不自然ってか、人数の関係でただ空いてただけでしょ」
ちら、と藤丸は左を一瞥した。
藤丸が座る席は、窓際から2列目の最後尾。彼の左手には確かに席も何もない空間が広がっているが、何のことはない。30人入る教室に29人しか居ないため、1席分の空間が開いていただけのことだった。
図星を衝かれたみたいな、苦み走った顔で硬直する友人。身の内を震わせた友人は、恐る恐るスマートフォンを取り出して電源を入れると、画面に映った二次元の女の子の頭を撫で始めた。
「いいし、ワイにはアルトリアが居るし……」
「セイバーすこ」
「黙れ! セイバーは俺のもんだ!」
「月厨キッモ」
「お前もだろうが……!」
「式すこ」
「F●●k!」
わなわなと震える友人を後目に、藤丸は、内心でにやにやしていた。
友人の意見に乗るわけではなかったが、確かに、転校生というフレーズは魅力的だった。そりゃ女の子であればお近づきになりたい、と思うのは健やかな男子高校生の心情として、自然なものである。男であっても、あるいはそれ以外であっても、仲良くやっていけばいいや。藤丸は、そんな風に、極めてポジティブに考えていた。なんかやべー奴が来る、という予想は、特に抱いていなかった。
「静かに! 静かにせんか」ざわついた教室を一喝。ごほん、と厳めしく咳払いすると、「念のためだが、外国の方だ。日本語は話せるが、あまり驚かないようにな」
「うお、外人だってよ! 金髪のねーちゃんかな」
「そこ、黙っとれ」
「ハァイ」
「全くいつも……」再度、咳払い。じろりと友人を睨むと、教員は改めて声を張り上げた。「入りなさい」
さっと教室が静まった。誰しも、その瞬間を―—―教室のドアを潜るその瞬間を見逃すまい、と教室の前入口に食い入っているようだった。
がらがら、とドアの金具が軋んだ。瞬間ざわめきが膨れたが、それも一瞬だけのことだった。
ぱたん、ぱたん。学校指定の上履きがフローリングの床を踏むたび、間の抜けたような音が耳朶を打つ。
あるいは、その呼吸の音すら、教室の最後尾に聞こえてくるほどの静謐だった。
それも当然と言えば当然だった。黒々とした艶やかな髪に、健康的な浅黒い肌。そうして、その翡翠のような碧眼は、まるで妖精のようだな、と思った。
しゃん、と麗人が教壇に立つと、その浅黒い肌の女性は、ぐるりと青い目で教室を見回した。
妖艶。綺麗、という言葉より先に、そんな言葉が脳裏をよぎった。
「名前を」
促す教員の声は、小さく震えていた。気圧されるように、慄いていた。
「はぁい、それでは」
応えた女子生徒の声は、あんまりにも珠のように華やかな声だ。大人びた風貌に対して、どこか無邪気な感じのする声だ。
「えーと、ベルです。名字? は、ちょっと家庭の事情で言えないんです。宜しくお願いしますね」
ベル、と名乗った彼女は、滑らかに一連の言葉を喋った。外国人の話す日本語、というワードでイメージするものとは一線を画する、極めて流暢な日本語。それこそネイティブの日本人なのでは、と錯覚する言葉遣いだ。
前の席の友人が、物凄い勢いで振り返った。その回転だけで神砂……まぁともかく、迅速な回転でじろりと藤丸を覗き込むと、ぐ、と親指を上げる仕草をした。
「これは古代ローマ人が『それベネ』って人に与えられる仕草」
にやと口角を上げる友人。ちなみに藤丸も、親指が反れるほどにサムズアップを返した。
「えーと、それじゃあ」
教員はわざとらしく教室を見回すと、アッチ、と指さした。「あそこの席で」
教員の指さす先。その先は、案の定というべきか、間違いなく、藤丸の方を示していた。即ち――――。
「うお、マジかマジだ!」
「ウルサイぞ上林。あぁ立華、よろしく。仲良くな」
俄かに飛び上がった友人を素早く制圧すると、教員はあちらへ、と酷く丁寧にベルを促した。
彼女は丁寧にも一礼すると、しなやかな足取りで教室を横切る。
一歩、二歩。猫みたいな足取りの度彼女の姿が近づく。その度に友人ははしゃぎ、教員に黙らせられている。
他方。藤丸は、もう、絶句するしかなかった。当然である! なにせめたんこ可愛い。クッソ美人である。しかも隣の席に座るという、これが僥倖と言わずなんと言おう。彼女の蒼い目は、ただ自分を見ているではないか。ナイス教員。
――――これエロゲ始まるわ。藤丸は、極めてポジティブに、そう考えた。彼は割と前向きだった。常識的に考えて、たかだか隣の席になったからと言って、昵懇な仲になれるかは別問題である。にもかかわらず、そう考えた。立華藤丸は、よく言って楽観的というか、前向きだった。
「よいしょっと」
彼女が、椅子に座る。スクールバッグを机の脇のフックにかけると、物珍しそうに机を撫でた。初めて学校の机を見たかのような、そんな初な表情だった。
一頻り、物珍しそうに机やら椅子やら、窓辺に置かれた観葉植物やらを眺めてから、彼女は藤丸を見た。
蒼い目。妖精の目、という言葉が、頭蓋の奥でリフレインした。
「よろしくね、えぇと」
「あ、えと、立華です。立華藤丸」
慌てて0.3mm芯のシャープペンシルでルーズリーフの切れ端に名前を書くと、彼女に手渡した。
「え―—―っと」
彼女は一瞬だけ目を丸くすると、深々と眉間に皺を寄せた。漢字が読めないのでは、と思い至った藤丸は、慌ててひらがなで自分の名前を書きなおした。
「すみません、なんか」
彼は、自分の非礼を侘びた。純粋培養日本人の藤丸には、そうしたちょっとした気遣いが未熟だった。
こういうこともあるんだな――――藤丸は、なんだか出鼻をくじかれた様に肩を落とした。
「タチバナ・トーマ?」
「あ、はい」
「そう、わかった」ベルは、そう言った。なんだか、ちょっとだけ、悲しげだったように見えた。「よろしくね、立華くん」
珠のような、コロコロとした微笑。もう、彼女には、さっきの物悲しさは無かった。
※
2015年7月30日 日本
「いやぁ今日も眼福眼福」
ほっこり笑顔の友人。身長160の友人を見下ろす形の藤丸も、にこにこと「せやな」と返した。
話題はもちろん、2日前に転向してきた美少女について、である。
衝撃的な登場を飾った彼女は、この3日間も話題には事欠かなかった。
控えめに言って美人のベルは、男子生徒は無論女子生徒からも好意的に受け入れられた。案外茶目っ気のある性格が、高嶺の花といった印象を打ち消し、親しみやすさを感じさせてくれるのが理由だろう。
その上知的で、クソ真面目で有名な生徒会長と優雅に語らう姿も目撃されている。運動神経も抜群で、さらには172cmという高身長。早くもバスケ部やバレー部から声がかかっているようだ。
全てにおいてパーフェクト。それが、ベルという少女に対して、この2日での評価であった。
「俺、明日ちょっと遊ぶ約束でもしてみようかしら」
「気が早すぎない?」
「ばっかおめー、こういう時は3日以内になんらかのアクション起こさなきゃならないんだぜ? 知らんのけ? そんなんだから隣の席とかいう特等席なのに、何も起きないんだよ」
ふん、と誇らしげに語る友人。説得力があるような無いような話だったが、藤丸は「まぁそうかなぁ」とちょっと納得していた。
転向初日。確かに、ベルが初めて個人として認識したのは、立華藤丸その人であった。が、それ以降、特に関係は変わっていない。当然のように、まず仲良くなっていったのは周囲の女子生徒だったし、次いで懇意になっていった男子勢はバスケ部だった。そこから芋づる式に野球部、サッカー部の生徒はなんとなく話す関係にはなっていたが、それ以外はまだ、遠巻きに眺める程度の関係に過ぎなかった。
まぁ、よくあることである。文化部系の男子生徒は臍を噛む、テンプレート的展開。それは藤丸もまた例外に漏れないことであった。
「なぁそういやfgoやる?」階段を降りて踊り場へ。ショルダーバッグを抱えなおした友人は、スマホ片手に言った。「明日リリースだけど」
「明日だっけ」
「お前、あんまスマホゲーやらんよな」
「やんの?」
「まぁ一応。これでも月厨の端くれなので」
そうは言うが、友人は、あまり乗り気ではないようだ。
正式名称、Fate/Grand Order。企画段階でお蔵入りとなったApocryphaのリベンジ作として発表された、スマホゲーだ。映画しか映像が無かったUBWのアニメ化に合わせてリリース予定されていたゲームで、Zeroと併せ、俄かに脚光を浴び始めた『Fate』ブランドをバックボーンに売り出す目論見なのだろう、と思う。
とはいえ、流行り廃りの早いスマホゲー業界への進出を、友人はあまり快く思ってはいないらしい。精々1、2年続けばいいかなぁ、というのが、今のところの友人のスタンスのようだった。
「コラボとかやんのかな?」
「鋼の大地」藤丸はほぼ条件反射で応えた。特に考えてない。
「いやいや」
「プリヤありそう」
「らっきょとかやんねぇかな」
「空の境界コラボ来たらやるわwwwどうせ無いだろうけどなwww」
「言質取りましたで。あ、そういやプリヤの新刊そろそろか」
「あー俺アニメしか見てねぇや。ツヴァイヘルツ始まったよな――――」
階段を降りて、1階へ。玄関前の掲示板を通り過ぎ、ダンス部が1階ホールで練習する横を通れば、そこが下駄箱だ。
友人が前を行く。入学2年目にして未だ新品のようにきれいな上履きを脱ぐと、友人は下駄箱からニューバランスのスニーカーを取り出した。
藤丸は、しかし、その場で立ち止まった。
「どした?」
「あいや、そういや高橋先生に呼び出されてたの忘れてた」
「うわ、マジかよ」生活指導を担当する高橋教員は、皆から恐れられている先生だ。「お前何したんだ?」
「心当たりは特に……」
「こっわ」
「多分長くなるから、いいよ。先に帰ってて」
「ご愁傷様」哀れっぽく眉尻を下げた友人は、しかし次の瞬間には、にやにやと顔を歪めた。「明日詳しく」
「へいへい」
「ほいじゃあの、まぁガンバレや」
ひらひら、と手を振った友人は、だらけた足取りで校門をくぐっていった。その姿は、いつも一緒に帰るときと左程変わらない様子だ。
少なからず、何か疑念を抱いている様子ではない。数十秒、その場で佇んだ藤丸は、ホールの柱に身を隠すと、内ポケットから封筒を取り出した。
そこいらのコンビニで売っている、何の変哲もない長形3号の封筒。既に開封済みなのは、早朝登校するなり引き出しに入っていた封筒を開けたためだった。
封筒には、A4サイズの紙が3つ折りになって入っていた。紙を取り出して広げてみれば、ルーズリーフに2つのセンテンスがゆったりと、のんびりと横たわっていた。
【放課後、屋上で待ってます。お話ししたいことが、あって。】
間違いなく告られる。まめまめしい字で、そう書いてある。差出人の名義は無いが、心当たりはあった。ベルである。
――――エロゲ始まったわ。
確かに、友人の言う通り、藤丸は隣の席というアドバンテージを何も活かせないでいる。
だが、隣の席というのは、やはりそれだけでアドバンテージであった。授業中、ふと気が付くと、彼女は藤丸を見ていた。盗み見るように、思わし気な一瞥を、時々、投げてきた。
いやまさか、とは思っていたが、こうして手紙という形でこの手に来てしまっては、確信せざるを得ない。
そうと決まれば、行動は速く起こさねば。待たせて心証を損ねるのは、良くないだろう。逸る気持ちを抑えるように、丁寧に封筒に入れて内ポケットに入れると、藤丸は駆けだした。
1階から2階へ。生徒の教室が並ぶ2階を抜けて、次は3階。第1、第2理科室などが並ぶフロアは、放課後人通りが少ない。それでも少数活動する文系サークルの生徒の影が一つも無いことを確認すると、藤丸は1段飛ばしでさらに階段を駆け上がる。途中、踊り場に蒼估と佇む立ち入り禁止の看板を過ぎ越せば、物々しい寂れた扉が目の前に聳えた。
青い塗料はところどころ剥げ、錆びが顔をのぞかせている。厳粛な面持ちに気圧された藤丸は、しかし、ステンレスのドアノブへと手を伸ばした。
冷たい感触が、手のひらを衝く。ぞわ、と身震いしながらも、藤丸は、重いドアを、ゆっくりと開け放った。
さっと光が膨れ上がる。網膜に飛び込んだ陽の光に目を細めるも束の間、広がった光景に、思わず目を見張った。
天に、赤く登る太陽。透き通るように伸びる穹窿には、薄い白雲がすいすいと泳いでいる。フェンスが無いこともあってか、酷く、広く感じる。放課後の気怠さは、そこに無い。
彼女は、そこに居た。屋上の端、彼女は背を向けて佇んでいた。ちょっと背を押せば、真っ逆さまに墜落していってしまいそうだった。
藤丸は、わざと足音を立てて、彼女の背に近寄った。ざりざり、と上履きの靴底が吹きっ晒しの屋上を噛んだ。
「来てくれたんですね」彼女は身動ぎすらしなかった。「待っていました」
「手紙、入ってたから」
「はい、私です」
ひょこりと、彼女が振り返る。浅黒い肌に、人好きしそうな愛らしい微笑。間違いなく、ベルだった。さんさんと降り注ぐ太陽の光の下で見る彼女は、端的に、綺麗だなと思った。
「あの、それで」藤丸は心臓の拍動を感じながら、なんとなく、彼女の隣に並んだ。「話って」
「それがですね」
彼女は、空を仰いだ。果ての無い空を、取り留めも無く見上げていた。数秒言いあぐねたベルは、ごめんなさい、とうつむいた。
「私、謝らないといけません」
そう言って、彼女は藤丸を正視した。あの青い目が、妖精の目が、脳幹まで貫くように、藤丸を見た。
「えーっと、何が?」
「貴方を、大変な目に合わせてしまうので」
不意に、視界が飛んだ。背中に、衝撃が残った。突き飛ばされた、と思ったときには、もう遅かった。
俄かに、泣きたくなるほどの軽薄が心臓を突き上げる。吐息にすらならない悲鳴を上げた藤丸が最後に見たのは、屋上から見下ろす――――妖魔の姿だった。