fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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予約投稿に一瞬失敗して直接投稿してしまったのは内緒です。



然る音楽家の遺志

「つまり。要約すれば、サリエリの霊基をある種の魔術礼装に変換して、呪いの解除に利用する。結果ジークフリートの呪いは晴れて解けるが、対価としてサリエリは消滅する―――という理解で良いのかな」

リツカは、やはり至極冷静な様子で状況を整理した。そうだな、と相槌を打つサリエリに対しても、やはり感情の起伏を見せずに、首肯を返した。

リツカがやってきたのは、あれからすぐのことだった。サリエリの言にやはり感情を害した様子のジャンヌが今にも飛び掛かろうとするのをジークフリートとなんとかなだめすかしている間に、ひょこりと現れたのだった。

「単純計算だが。妹君と私の2騎を対価に得た戦力が3騎とするなら、結果的には戦力は増えたことになると思うがね」

「ふむ。確かに」

素っ気なく言葉を交わすリツカとサリエリ。互いに無関心のような言葉の交わし合いに見えて、しかし、その様子には奇妙な温度差があった。

淡々と語るリツカは、冷静なようで、それでいて何かを探るような目でサリエリを見ている。対するサリエリは確かに淡々としているが、まるで、何かを避けるかのようだった。

「それに加え、私を純粋な魔力に変換してジャンヌ・ダルクの霊基に付与すれば、宝具1~2回分のリソースになるだろう。ジークフリートは回復し、ジャンヌ・ダルクは蘇る。私という貧相なサーヴァントを対価に得るものとしては、余りあるものであると考えるが?」

「正論ではあるね」

どこか饒舌なサリエリ。黙するリツカは、ただそのサリエリの様子を注視していた。

「―――ちなみに、ジークフリート。その呪いは、必ず解かなければならないものなのかな。傍目には問題なく行動できているようだけれど」

「正直に言えば、可能な限りは解きたいな。現状、6割程度の出力しか出せていない。B+~Aクラス程度のサーヴァント相手ならば現状でも後れを取るつもりはないが、それ以上となると、な」

ジークフリートは、しれっとそんなことを言った。それってサーヴァントでは最上位クラスの強さだったような気がするのだが。

流石、黒の陣営最大の戦力と目されていただけはある。

だが、翻って言えば―――あの邪竜は、最上位のサーヴァントすら寄せ付けないほどの怪物、ということだ。

「方法は」

「元より私は自我―――存在構造が希薄なサーヴァントだ。通常のサーヴァントならば霊基の魔力返還も難しいだろうが、私なら自力で行ける。それに、君の腕ならそのくらいのことはできるだろう」

水を向けられたリツカは、しかし表情一つ変えなかった。

リツカは、思案するように腕組みし、瞑目した。眉間に皺を寄せること数分、沈黙の中、彼女は目を開けた。

「―――何のために、そこまでするの」

サリエリは、僅かに、身動ぎした。薄暗がりのせいで、アントニオ・サリエリの表情は見えなかった。

「無論、勝つために」

応える声に、淀みは無い。らんらんと揺らめく赤い目が、己を見据える少女の目を見返した。

「そう。わかった、私は賛成する。貴方を対価に勝ちを掴みに行く」

リツカは鼻息を吐くと、肩の力を抜いた。

「それで―――トーマ君、君は?」

トウマは、思わず、身体を強張らせていた。

当然だ。何かあったとき、責任を取るのは、マスターの役目。特にこの旅では、その比重は、大きい。

トウマは、誰かの目を、見ようとした。そうして、やめた。ただ、慄くように、サリエリの赤い目を、見返した。

「俺、そんな頭良くないけど、なんとなくリツカさんと、サリエリさんの結論が正しい、と思う」

「なら―――」

リツカは口にしかけて、口を閉ざした。顔を上げたトウマの顔に、言うはずだった言葉を飲み下したようだった。

「でも、なんか。俺、寂しいです。みんなのこと全然知らないし、そんな長く一緒にいるわけじゃないけど。俺、なんか、辛いです」

トウマは、切れ切れに、言葉にした。

それが、素直な言葉だった。これは戦いで、必要な犠牲と割り切るべきところなのだろう。だが、彼にはまだ、そんな現実は、耐え難いものだった。

「―――トーマ。タチバナ・トーマ。人類最後のマスター、その片割れよ」

ふと気が付くと、サリエリが、トウマの手を取っていた。

「私は死力を尽くし、今能う最善の選択をしているつもりだ。そしてきっと、君が、君たちが、私の生を決して無駄なものにしないと信じているのだよ」

片膝をついた灰色の男が、トウマを見上げる。真紅の双眸は、酷く慈悲深い、大人の目をしていた。

「後悔するだろう、疚しさを抱くだろう。自分の無能を恥じることもあろう。だが、同時に、誇りにも思ってくれたまえ。私たちが命を懸け、そして私たちが命を懸けたその祈りを叶えたことに、誇りを持ってくれたまえ。それがきっと、我ら境界記録帯(ゴーストライナー)、サーヴァントが君たちに望むことだからね」

優しい響きを持った声だった。温和な教師のような、穏やかな表情だった。

トウマは、何もこたえられなかった。ただ、頷きを返すだけで、精いっぱいだった。そんな少年の姿に微笑を返した男は、トウマから手を離すと、すっくと立ちあがった。

「それでは決まりのようだが。構わないな、ジャンヌ・ダルク」

「―――わかりました。リツカとトーマがそういうなら、私も、とやかくは言いません」ジャンヌは、堅い声で言った。

 

「その命、伏して拝しましょう」

 

「決まりだな。それでは、始めよう」

 

 

 

 

 

「手順を確認しよう。まず私とサリエリの二人で、サーヴァント、アントニオ・サリエリの外殻(エス)を溶解。その後純粋な魔力リソースとなったサリエリをジャンヌに転写、それを利用して洗礼詠唱によりジークフリートの呪いを解除する―――これでいいね」

返す言葉は無い。そこに揃う彼ら―――サリエリとジークフリートは、黙然とその言葉を受容していた。表情は、読めない。元より彼らは感情表出に乏しい。

ジャンヌ・ダルクは、自らの旗を、強く握りしめた。ひしゃげるほどに強く、旗を握りしめた。

「じゃあ始めるよ。ジャンヌの出番はまだだけど、準備してて」

「はい」

リツカが、サリエリへと手を伸ばす。彼女が翳した手を、サリエリは、静かに眺めた。

詠唱の呪文が、耳朶を打つ。ジャンヌ・ダルクの知らない言語―――あるいは聞いた覚えのない言語は、何は奇妙なほどに心地よく、そして、奇妙なほどに、肌を粟立たせた。

―――彼女の顔が、脳裏を過る。穏やかな春の日差しのようで、夏の潮騒のような彼女の顔。もう、逝ってしまった彼女の、顔。

その顔が、微かに、強張った。ジャンヌの背を押したあの瞬間の顔へと、微かに、歪む。

サリエリの姿が、燐光に解されていく。輪郭が朧げに溶解を始め、光子が零れていく―――。

灰色の男が、一瞬だけ、ジャンヌを一瞥した。僅かなぎこちない微笑を浮かべた男の口元が、何かの言語に痙攣した。

そうして、燎原の火のような目をした男は。

「ジャンヌ」

リツカの声が、耳朶を打った。

彼女が差し出した手。か細く、汗が滲む震える手に握られた、一本の短剣。十字架にも似た慈愛の短剣(ミセリコルデ)だった。

ジャンヌは、それを受け取った。小綺麗な短剣を両手で抱いた。

「行きます、ジークフリート。汝を蝕むその(しゅ)に浄化を」

ジークフリートが無言で頷く。跪く男の頭上に、ジャンヌは、短剣を掲げた。ともすればそれは、戦火に赴く勇士へと祝福を与える聖なる御使いの姿にも、見えた。

 

“主の恵みは深く、慈しみは永久とこしえに絶えず”

 

“あなたは人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず”

 

“餓え、渇き、魂は衰えていく”

 

                ―――何かが、ジャンヌ・ダルクという存在者に凝る。

 

“彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を”

 

“渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす”

 

“深い闇の中、苦しみと鉄に縛られし者に救いあれ”

 

                ―――それはまるで、暗き森の中に差し込む日の光のよう。

 

“今、枷を壊し、深い闇から救い出される”

 

“罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ”

 

                ―――闇に縁どられた、明るい点よりの恵み。

 

“正しき者には喜びの歌を、不義の者には沈黙を”

 

                真理が実存する、闇の啓け、それは即ち―――。

 

“―――去りゆく魂に安らぎあれ

 

 

 

 ※

 

 

 

「正直なところ、私は彼のことはよく知らないのです」

暖色の光に照らされながら、シャルル=アンリ・サンソンは、困ったように呟いた。

「確かに私……というより、サンソン家は王家に重用されていました。ですがそれは、私たちがムッシュ・ド・パリだった、ということだけに起因することです。職業柄重んじられていただけですから。宮廷音楽家であった彼とは、かつて一度も合ったことはありません。彼の方も、私のことは知っていたかもしれませんが、面識の方は―――」

そうなんだ、と返すトウマは、知らず、声のトーンを落としていた。

一連の儀式には集中力を要するので、なるべく静かにしてほしい―――というリツカの要請から、3人以外は、別に待機することになっていた。何もすることは無いし、トウマもとても眠れるような気分でもなかったので、それとなく雑談をすることにしていた。

「失礼、あまりお役には立てませんで」

「いや、いいんですよ。ちょっと気になった、くらいの話だったんで」トウマは慌てて言うと、ステンレスマグカップに注いだコーヒーを口に含んだ。湯気をもうもうと巻き上げるコーヒーは、まだ熱かった。

「シャルルさんは、音楽はあまり聞かないんですか」

「音楽、ですか」

サンソンはチョコバーのビニールを慣れた手付きで破ると、一口齧った。疲労回復用の携帯用食料で酷く甘いが、サンソンの表情は、どこか険しかった。

「個人的には、あまり。生前の色々と言いますか。とにかく色々あったもので。浮ついたような気分のものは、好ましいとは思えないものでして」

「すみません、なんか変なことばかり聞いてしまって」

「いえいえ、何分私も堅物ですから。気の利いた話でもして、無聊の慰めの一つも出来ればよいのですか」

言って、サンソンはもう一口、チョコバーを頬張る。酷く甘いですね、と苦笑いすると、彼は熱い緑茶を飲んだ。

緑茶(グリーンティー)、でしたか。これも紅茶(ティー)と原料は同じなのでしょう? これはこれで私の好みですね」

「お口にあったようで」

「ニホンの茶、でしたか」サンソンはもう一口緑茶を口に含むと、微笑を浮かべて頷いた。「そういえば、タチバナさんも日本の生まれ、なんでしたか」

「そうですね、日本の首都圏に住んでるまぁ……普通の学生でした」

「学徒……現代の先進国では、多くの人々が学びの機会を与えられている。未来は私が暮らした時代よりも、ずっと恵まれているのですね」

静かな言葉は、まるで呟きのようですらあった。

子供に学ぶ機会を与えるべきである。およそそのような観念が生まれたのは、産業革命以降の話だという。それ以前はそもそも「子供」という概念すら世界には無く、小さな大人として、労働力に充てられていた―――とかなんとか、世界史の先生が言っていた気がする。子供という概念の誕生と学業の紐帯は資本主義的欲動抜きには語れない、とも言っていたけれど、同時に、学びとは世界を切り開く力を身に着けることそのものでもある―――多分、先生は、そんなしめくくりをした。眠気と戦いながら聞いていた話は、当時は何のリアリティも無いお題目でしかなかったし、今もあまりよくわからないけれど。多分、それは、恵まれたことなのだろう―――。

「“現代”では民衆が皆医術を学ぶのでしょうか?」

「やー、医学部はまた別ですねぇ。医学部に入るのはかなりハードル高いです。学力的にも金銭的にも―――あぁでも看護学部なら別かな」

「看護師、とは?」

「医者とは別に看病することを専門にしている人、と言えばいいんでしょうか。ある程度の医行為や医学的判断もできるんですよ。病院なんかだと、実質お医者さんより偉かったりするそうで」

「なんと―――興味深いですね。話を聞くだけならば看護師の方が位は低いのかと思いましたが。ヘーゲルの主人と奴隷の話でしょうか―――それでは薬学はどうでしょう、こちらもまた分化していると聞きましたが?」

「薬学部ですね。医学部とは別にあります。こちらもやっぱりハードルは高めで―――」

トウマはコーヒーを口にした。少し、温くなりはじめていた。

 

 

 

 

これは、夢だ。

クロは最初から、今見ている景色が夢だとわかっていた。直観的に、理解していた。

2000年代ではありふれた町並みが、景色を流れていく。一軒家が立ち並び、ところどころに背の高いマンションが高く聳えている。時折コンビニが顔を覗かせ、レストランがひっそりと佇み、友人の家が目に飛び込む―――。

川べりのサイクリングロードを行く。蒸すような風が額を浚う。後ろから追い抜いていくロードバイク、呑気そうに散歩をする身綺麗な老女。過ぎ去り際、少年は面識のない壮年の女性に挨拶し、女性もまた、意外そうな顔をしながら、晴れやかに挨拶を返した。

少年が、歩を止める。見慣れない/見慣れた一軒家を振り仰ぎ、彼は、慣れた手付きで、玄関のドアへと手を伸ばす―――。

サーヴァントは、夢を、見ない。もし夢を見るならば、それは自身のものではない。契約主が過去に経験してきた記憶が紛れ込み、それを夢として認識するのだという。

ならば、これは、彼の過去、なのだろう。このどこにでもありそうな、景色こそ、彼の―――。

 

 

 

 

 

クロは、微かに感じた気配に、薄く目を開けた。

睡眠に時間を当てて、効率的な魔力回復を行う。そのために意識を機能停止させていても、必要最低限の機能は残しておく。例えば嗅覚、例えば聴覚。そして自己回復に努めながら、臨戦態勢は維持する。この身体の核となる英霊、ひいてはアーチャーというクラスが持つレンジャーとしての即応待機状態において、接近するサーヴァントはたちどころに把握し得る。

「すまない、起してしまったか」

もちろん、その相手が敵でないことも、承知していた。

サーヴァント、ジークフリート。生真面目そうな堅物の男は、申し訳なさげな顔をしていた。

「いいわよ、別に」クロは立ち上がると、万歳するように伸びをした。「もうほとんど回復できたし」

そうか、と応じたジークフリートは、なんだかちょっと歯切れが悪い。そわそわと身動ぎする様は、奇妙に朴訥としていた。

うーむ―――なんというかこう。からかいたくなる雰囲気を醸し出すな―――。

クロは表情には出さねども、そんなことを思う。垢ぬけないとでも言おうか、質朴とでも言おうか。ジークフリートは、そこはかとなく、構いたくなるオーラを出す男だった。

「バルムンク、のことでしょ」

だが、クロはからかわないことにした。何故かは、よくわからなかった。

「あぁ、そうだ」

ジークフリートは言うと、背の鞘から、大剣を引き抜いた。

月光を反射させ、鈍く、鋭く輝く銀の剣。最強の幻想(ラスト・ファンタズム)にすら比肩しようという剣が存在するこの様は、たとえようもない静かな高揚感を惹起させる。

「まずは礼を。これが無ければ、俺はただの木偶の棒に過ぎないからな」

「腰が低すぎじゃない? バルムンクが無くたって、アナタは最強クラスのサーヴァントじゃない」

呆れる様に、クロは言った。

リヨンでのあの瞬間。ジークフリートが無造作に投擲した【偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)】は、当然だが真名解放していない、ただの矢として放たれたものだった。だというのに、竜殺しを付与されていたとはいえ、その投射はワイバーンを容易く引き千切り、あの巨竜を怯ませるに足るものであった。

「それに。バルムンク(それ)もハリボテみたいなものかもしれないし」

ジークフリートが、微かに表情を曇らせた。鼻息を吐いたクロは、肩を落とした。

「やはり、アレの再現は難しかったか」

「ちょっとねー。刀剣類は確かに寸分違わず創れるんだけど。真エーテルまではちょっとできなかった。精々宝具一発分の魔力は補填してあると思うけど」

ふてくされるように木によりかかると、クロは口を尖らせた。

「魔術師としては私の方が優れてるからイケるかなぁ~とか思ったんだけど。甘かったわ」

「?」

「独り言」

にべも無く言う。ジークフリートは特に気にするでもなく、わかった、とだけ応えた。

「ごめんなさい。本当は完全なものを作って渡すべきなんでしょうけど」

「いや、いい。君が今できる最善を尽くしてくれたのは、わかる。その思いだけで、十分だ」

ジークフリートは不敵な嫣然を浮かべると、さらりと言ってのけた。

……主人公っぽいなこの人。

クロは、そんなことを思った。思ったけれど特に表情は変えずに、「なら、いいけど」と言葉短く答えた。

「俺も全力を尽くそう」ジークフリートは、束の間、空を振り仰いだ。樹々茂る隙間には、夢のような星天が綺麗に顔を覗かせていた。「己が真名と、この魔剣にかけて」

高く、天を衝くように。掲げた剣の刀身に、峻厳な男の顔が反射していた。

 

 

 

 ※

 

 

 

 ここは、どこだ。

見渡す周囲に群れる人間たち。奇妙な熱狂に彩られた人間という類が犇めき合っている。

知らない場所だった。彼女は、このような景色に佇んだことは無かった。彼女は常に先陣を切り、腰に剣を携え、御旗を刃として振るってきた。あの日、天より降り注ぐ黄昏の陽に嘆きを聞いた日から、その身は戦火とともにあった。

それでも、何故か、彼女はその景色を、“知っている景色”だと思った。古き記憶に、あるいは新しき今に、あるいは、遠き未来の記憶に、その景色はあった。

渦巻く憎悪。迸る罵詈雑言。最も卑俗で愚かしいまでの人類悪の坩堝の中、彼女は、渦の中心を凝視した。

木に縛り付けられた彼女。筆舌に尽くしがたいあらゆる凌辱に耐え、悄然としながらも、その厳かさを失うことなくそこに実存する尊き乙女。聖なる者はただ、快晴の穹窿を閲していた。

炎が上がる。彼女の足元から、黝い炎が巻き起こる。昏き火に舌なめずりされながら、しかし、彼女は苦悶の表情一つ見せずに、焼尽していく。

止まない怒号。炎のように巻き上がる情動。

―――炎が止んだ。歓声が上がった。尊厳に満ちた威厳たっぷりの司祭の声が、天に響いた。

彼女は、群衆の中をかき分けた。彼女に気を取られるものは誰もいない。炭化した亡骸に近づいた彼女は、ぶすぶす、と亡骸の奥で燻る火種の音を聞いた。

―――あぁ、それこそが、きっと―――。

 

 

 

 

なんだか、酷く、熱いな、と思った。

ジャンヌ・ダルクは、気だるげに、目を開けた。

既に夜は降りた。人間のいない大聖堂は森閑とし、無音が厚顔にも横たわっているばかりだった。燭台に灯った火の揺らめきだけが、唯一この場で稼働するものだった。

何か、今、見ていた気がする。休眠していた束の間、何か、見ていた気がする。

黙然と、ジャンヌは天井を仰いだ。だが、何も思い出せなかった。捉えどころのない空虚な感覚だけが、ぽっかりと胸に空いているようだった。

「いかがなさいましたか」

どこからともなく、男の声が耳朶を打った。この時間、玉座の間へのサーヴァントの入室は禁止されている。ならば、その声の主は、独りだけだった。

「なんでもありません」ジャンヌは脱力したまま言った。「言うことを聞かない()()()()()ばかりで疲れてしまっているようです」

「それはそれは」

「別に貴方が恐縮することではありません。彼ら彼女らを呼んだのは、他ならずこの私です。戦力としては十二分に働いてくれていますし―――善き者たちです」

闇の向こうで、男が押し黙る。ふとそれに気づいたジャンヌは、くたびれたように、口角を上げた。

「何ですか。やきもちですか、似付かわしくない。端的に言って、キモいですね」

「いえ、そのようなことは。ただ、貴女様が心情を害していると思うと慙愧に耐えないと思っただけのことでございます」

「それをキモいと言っているのですよ。ストーカーですか貴方は」

にべも無く、ジャンヌは男の言葉をはねつけた。しかし、男はそんなジャンヌの声の調子に満足したのか、暗闇の中で黙然と身動ぎした。ジャンヌは、鼻を鳴らした。

「もう少し休むわ。決戦の日は、もうすぐそこですもの」

「お休みください。我が聖女。我が君よ」

ジャンヌ・ダルクは、瞼を落とした。酷くのっぺりした、希薄な暗黒へと、堕天するように、微睡んでいく―――。

なんだか、酷く、熱いな、と思った。

 

 

 

 

―――男は、玉座に鎮座する少女を、静かに見下ろしていた。

脱色したかのような髪に、蝋人形じみた白い肌。力強い、それでいてどこか脆く果敢なげな印象のそれは、造花を想起させた。

だが、彼女は、今この瞬間、生きていた。すうすうと寝息を立て、呼吸の度に、胸が上下する。時折胎児のように体動しては、「おなかすいた」なんて寝言も言って見せる。

瞬くような現-存在。ジャンヌ・ダルクは、確かにこの世界に、息づいていた。暗黒の炎の担い手として、竜の魔女として。彼女は確かに、生きている。

男は、困ったように、微笑を浮かべた。そうして身を翻し、どこともしれない闇へと溶けていく。

銀の騎士甲冑を鳴らしながら、痩せぎすの男は、退廃的な玉座の間を後にした。

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