fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
クロは、己に立ち塞がる敵を前に、言いようも無い戦慄にも似た畏怖を惹起させた。
黒い霧で覆われた得体のしれない騎士。言語を発しない黒騎士のクラスは、あの霧に阻まれて判然としない。だが、クロは以前、この敵と矛を交えたことがあった。
生前、並行世界で戦った敵。
《ランスロット。アーサー王伝説の騎士、だっけ? そんな真名だったんだ、アイツ》
《そうだね。普通にとんでもない化け物みたいな強さだし、しかも―――》
パスの向こうで、トウマが言いよどむ。何が言いたいか、クロにはよくわかった。
アレは、私の天敵―――鼻を鳴らしたクロは、双剣を投影した。
手にしたあらゆる武器―――剣や槍は無論、鉄塔や果ては戦闘機までをも自らの宝具とする宝具『
そして、ランスロットはクロを標的に定めていた。ただ数舜の戦いでランスロットはクロがカモであることを理解し、そうして対峙していた。
《何か、良い考えある? アイツ、私のことが好きみたいだし、離してくれなさそうなのよね》
クロは言いながら、わき目を一瞥する。ジャンヌは黒いジャンヌと戦おうとしている。そうしてマシュは、あの鬼とやりあうつもりだ。援軍は望めない、なら、単騎でこれを落とさなければいけない。
《さっきのアイディアは良いと思う。意図的にランクを落とした宝具を相手に渡すってのは》
《そうね。それに、さっきのトーマの考えも合わせれば―――》
だが。
その後は、どうする。戦い方によっては、『騎士は徒手にして死せず』を封殺することはできる。
だが。
湖の騎士、ランスロット。トウマの言うところによれば、かの騎士の神髄は、そんな小賢しい宝具ではない。『
思考する余裕は、そこまでだった。
一呼吸。秒未満の間隙を縫って、黒い騎士が猪突する。【心眼】と【千里眼】を以て、ようやく視認できるほどの速度。値にして、敏捷A+。最高位の速度で肉薄するまさにそれは、黒い旋風だった。
使い慣れた双剣を投影する。投影速度は秒未満、ランスロットが放った干将の斬撃に莫耶を重ね合わせ―――。
鈍い、衝撃が腕を撃った。あまりに容易く、クロの手から白亜の剣が弾き飛ばされる。ランスロットの筋力値は、Aランクに達する。その剛腕の前では、筋力Dの彼女の攻撃など、硝子細工にも等しかった。
そして、ランスロットは、迅かった。クロの手から莫耶が吹き飛んだ刹那に、ランスロットの手がその柄を握りこむ。それを合図に莫耶は騎士の宝具と化し、クロの脳天をかち割るように振り下ろされる。
はず、だった。
白刃が、空音を響かせながら床に落ちる。
「どうしたの? 盗人まがいの宝具で奪ったらいいじゃない。貴方、得意でしょ? 人のものを略奪するの。ねぇ、円卓の騎士様?」
ずい、とクロがランスロットへと近づく。たじろぐように身動ぎする騎士に、クロは悪魔じみた嫣然を浮かべた。
「莫耶は気に入らない? ならこっちはどう? はい、あげる」
クロは、ひょいと剣を投げやる。ランスロットは宙に浮いたそれを僅かに視認すると、ずるりと、一歩後ずさった。
「ふぅん。本当はさっきので貴方の腕を吹っ飛ばすつもりだったんだけど」
さらに一歩。今度は跳ね飛ぶようにランスロットが地面を蹴り上げるのと、それは同時だった。
ランスロットの足元で、何かが起爆する。サーヴァントの体躯を一撃で吹き飛ばすほどの炸裂。宝具を自爆させることで発動する捨て身の必殺、『
猛然と沸き起こる爆炎。あわや回避しかけたランスロットは、しかし抜け目なく次の攻撃を冷静に理解した。
何かが飛来する。数は27。黒白の双剣、赤い呪槍、雷の金剛杵、全てを貫き通す薙刀、岩をも切り裂く聖剣、巨大な斧槍、主を呪い殺す魔剣、不死殺しの鎌剣。数多の伝説に登場する宝具の斉射が来る。
ランスロットは即座に、どう行動して切り抜けるかを理解した。その27の宝具の中でどの宝具を手にし、どの手順で撃ち落とし、そして最後に襲ってくる宝具に武器を持ち換えて、アーチャーを斬殺する。本能的思考、理性的反射。相反する志向の中、ランスロットはしかし、その攻撃行動を取らなかった。否、取れなかった。
降り注ぐ宝具は雨霰。最早壁とすら言えるほどの斉射の中、ランスロットは全て紙一重で躱した。首を狙う双剣、心臓を狙う槍、上半身を吹き飛ばす金剛杵、その他あらゆる必殺の猛攻その全ての軌跡を理解して、ランスロットはその全てを躱しきった。
「―――やっぱり、取らないのね。カンが良いのね。それとも、【無窮の武練】は伊達じゃないってことかしら。宝具を手にしようとした瞬間に爆破されるって、気づいてるのね」
クロは、睥睨するように、黒い騎士を閲していた。獲物を見つけた猛禽のような目が、床に蹲る夜霧を捉えた。
「いつまで
クロは、再度手を掲げた。さながらその仕草は軍勢の指揮官の如く、なれば現れた無数の剣は、その少女を戴く兵士そのものだった。
「言っておくけど。私の剣の貯蔵は十分なんだから!」
※
《右。次は左。その次は正面、結構強力なのが来るからあえて弱く受けて押し負けるそぶりをして。マシュなら受けきれると思うけど、押し負けたほうがダメージカットできる。負けたらすぐに左に回避、上からくる。そしたら次は、酒呑童子の左わき腹に蹴り一撃。吹っ飛ぶと思うけど、ダメージは少ないはずだから注意して》
パスを通じて耳朶を打つ
酒呑童子の攻撃は、事実、リツカの声の通りに放たれた。まずは右の掌底打ち。それを盾で受けると、次はがら空きになったマシュの右手を狙うように襲う左の手。マシュの手を握りつぶし、引っこ抜くために開かれた手を寸で蹴り上げる。相変わらず楽し気な酒呑童子の体躯が沈み込むや、鋭い蹴りが爆発した。
何トンもある巨大な岩塊が音速でぶつかってきたかのような、とんでもない衝撃だった。それこそただの蹴りだけでサーヴァントの宝具にも匹敵する。Aランクの【怪力】、【魔力放出】を複合するスキル【鬼種の魔】の生み出す、破壊の具現。確かにこれはリツカの言う通り、まともに防御したら、却って防御ごと身体が粗びき肉団子になる。
だから、マシュはリツカの言う通りにした。直撃と同時、地面を蹴って背後へ。蹴りの一撃の膂力も併せて飛び退くや、マシュはリツカの言葉を想起する。
この蹴りの次は左に回避。攻撃方向は上から―――。マシュは視線はそのまま上を見ることなく、今度は身体を捩って左へと身を翻した。
「あら?」
直後、隕石のような何かが直上から振り下ろされた。さきほどの蹴りと同種の超威力の一撃が右肩を掠めた。
酒呑童子はいつの間にか飛び上がるなり、天井を蹴り出し、踵落としを見舞ったのだ。なんの変哲も無い、質朴なまでの踵落とし。だがその攻撃は
掠めただけだというのに、あっけなく皮膚が裂けた。皮膚から真皮、皮下組織を抉り筋肉までこそげ落ち、血の飛沫が舞った。焼き鏝を押し付けられたような冷たい激痛に顔を歪めながら、それでもマシュは、リツカの命令を忠実に守った。
まるでコマ送りのように、酒呑童子のがら空きの右脇腹が目に飛び込んだ。
ならばそこに左足をぶち込む。直上からの攻撃をかわす際の身体の捻り、そこから生み出す反動に魔力放出を乗せ、音速にすら匹敵する速度でどてっぱらへと回し蹴りを叩き込んだ。
まるで、水風船が破裂するみたいな音が爆ぜた。酷く手応えの無い音が振動となって身体を伝わった。
やってはいない―――直観的にマシュは理解した。それが自分の直観なのか、それとも自分に内在する英霊による直観だったのか不明だが、ともかくマシュは理解した。リツカの言う通り、酒呑童子に大したダメージは与えていない。
だというのに、酒呑童子はテニスボールみたいに跳ね飛んで行った。
これもリツカの言う通り―――ふ、と嘆息を吐いたマシュは、右肩を抑えた。
大丈夫だ、大した傷じゃない。ちょっと肉が抉れた程度―――。
「大丈夫、マシュ。今治すから」
「はい、ありがとうございます」
傍に立つと、リツカは傷口へと手を当てた。紡ぐ節は1つ、聞き取れないほど素早く詠唱を済ませると、たちまちに傷口から肉が盛り上がり、塞がった。
―――上手い、と思う。傷の治癒などさして難易度の高い魔術ではないが、それでも日本という魔術基盤から遠く離れた場所でこれだけ卒なく魔術行使をして見せるのはちょっとすごい、と思う。
いや、それだけじゃない。そもそも、どうしてリツカは酒呑童子の動きを予測できたのだろう。何かしらの魔術か? だが、高ランクの【直感】にも匹敵する魔術行使など古代の
「それ、あんたはんの能力やないねぇ。盾のお嬢ちゃん、あんたはんにはそないけったいな力はあらへんよねぇ」
ふらふらと、酒呑童子は立っていた。ダメージを喰らっている様子はない。
「なんだか今回の召喚はうまくいかなないことが多いなぁ。霊基も変な感じにされてるし、変なんとばっか戦うし。特異点なんてけったいなもんに呼ばれたのが悪かったかもねぇ」
酒呑童子は、カラカラと笑った。またあの笑いだ、と思った。苦境に立たされているはずなのに、それを物ともしない泰然。というより、それすらも楽し気に笑って見せる笑み。鬼という生き物の悦楽なのか、それとも、それは―――。
「ほんならウチもちょっぴり、本気になろか」
しゃん、と微笑が零れた。
それが、合図だった。ぞわ、とマシュの全身が粟立った。何かが来る。何かヤバイことが起きようとしている、と自分の内側に在る英霊のカンが、告げていた。
「結構大変なんよ、この霊基。うちも抑えるだけでしんどくてなぁ?」
鋭鈍な一歩が、大地を揺るがした。
「精々死なんといてねぇ?」
思わず、マシュは一歩引きさがった。アレとまともに戦ってはいけない、という焦燥が全身を焼いた。
瞬間。
マシュの目は、刻銘にその瞬間を捉えた。
「『
いつの間にか背後に回り込んだ酒呑童子の腕が、マシュの背を貫く。
それは、鮮やかなほどの
人間には到底不能な殺戮的芸術。父神の性質に寄るものか、人食いの母の技両の継承か、それとも鬼種が成せるものだったのかは不明だったが、確かに酒呑童子は、対象者に血すら流さずに、200にも及ぶ人間の骨を物理的に引き抜くことを可能にしていた。
どうやって、という思惟は無い。全身の骨を抜かれたマシュ・キリエライトの肉体は、重力に逆らうことすらできなかった。自重に耐えられなかった