fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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お恥ずかしながら、誤字報告をいただきました。まことにありがとうございます。
事実を受け止め、今後注意していければ、と思います。
(どうして誤字生まれるの、書きあがったときにはなかったのに……)



断首の刃、慈悲の剣

エリザベート・バートリィ。母国語で表記すれば、バートリィ・エルジェーベト。彼女の生涯は、端的に、昏いものだった。

彼女は、非常な頭痛持ちだった。当時、王族の中では親族間で血を濃くすることが自明視されていたが、遺伝的疾患により、絶えず耳鳴りにも似た頭痛にさいなまれ続けていた。

それだけならば、時代が生んだ悲劇的な少女だった。だがある日血を浴びた彼女は、およそ二つの事実に気づいた。

一つ。血を浴びた肌は妙に艶めかしくツルツルで、健康的に見えたこと。

二つ。血を浴びることになった原因―――下僕を折檻した際、不思議と耳鳴りが止み、頭痛が消えたこと。

上記2点は、エリザベートをがちりと抱握した非常に魅力的な出来事であった。頭痛とそれによる“自分は不完全な人間である”という絶望をどちらも払う、人生の喜悦と呼ぶほかなかった。

そうして彼女は、暗闇にも似た衝動に捉えられた。頭痛の解消と美の追求、そしてその両者のその奥底に根付いたであろう“当たり前に健やかな人間になりたい”という希求を叶えるため、彼女は、とりあえず人を殺すことにした。

折檻し拷問し、そうしてこの世全ての苦痛を他者に与え続けたエリザベートは、間違いなく悪人であり、正義の名のもとに裁かれねばならない人間だっただろう。正義をもとにした議論においてあらゆる擁護は退けられなければならないことは自明であり、彼女には一かけらほどの正当性も存在しなかった。

それでもなお、私たちは「だが」と述べることは可能である。何故ならばいかほど正義に悖る者であろうと、それとは別な次元で明確にしなければならないこともあるためである。それは倫理的な次元での話であり、倫理は正義とは複雑に絡み合いながらも別種のものであるからだ。それはカントが『純粋理性批判』と『実践理性批判』を分かつようなものである。

さて、倫理的な次元の中で考慮しなければならないのは、エリザベート・バートリィは何故、自らの善き生を、即ち倫理的な営みをそのようなものとして定立させてしまったのか、という話である。

端的に言えば、彼女には指導者が居なかったのである。倫理的な生は、規範の中で徐々に獲得されていくものであり、善き生はどうあがいても他者との網の目の中でしか営まれえないものである。

だが残念なことに、エリザベートの周囲には他者がおらず、そして彼女を涵養する人間もまた不在だった。親や親族は彼女を恐れ、彼女の好き放題にさせるがままにしていた。その結果、彼女はあまりに醜悪な全体主義者になり、独我論の体現者となり、他者の顔を抉り続けた。この責任は彼女独りに押し付けるにはあまりにも大きすぎるものだった。

ここには解消しがたいジレンマが、重くのしかかっていると言えるのかもしれない。正義の次元においては彼女は絶対に許されざるべき人間であり、だが他方で、あまりにも間が悪かった彼女だけに責任を問うのは酷であるというジレンマがある。

およそこのジレンマは解消できないものであろうし、また安易に解決すべきものでもないだろう。法制度的な解決をして終了させるのはあまりに出来あいの発想であろうし、また実存主義的な覚悟性を持ち出すことは酷く無神経である。

あるいは、もし彼女に何事か為すことが成し得るならば。

暗闇に縁どられた真新しい灯―――それは深い森に差す陽の光のようなものかもしれない、あるいは暗い荒野―――の中に、立ち竦み続けることでしか、何事をも成し得ないだろう。

 

 

 

 

雑音が網膜の中で臭気を放っていた。

吐物のような舌苔が鼓膜を浸潤していた。

エリザベートは、頭が痛いなぁと思っていた。彼女の生涯の中で、ずっと片隅に蹲っていた鋭い疼痛。嗜虐心を充足させている時だけ晴れる頭痛は、けれども、どうしてか当然のように頭蓋の中に垂れこめていた。

槍を、振るった。誰かの腕が千切れ飛んだ。

槍を薙いだ。誰かの腹が切り裂かれ、つやつやの大腸が溢れた。

槍の石突で殴りつけた。誰かの顔面で炸裂し、左の眼球を押しつぶした。

槍を投げた。誰かの右大腿部に突き刺さった。

誰かを、彼女は、酷く襤褸にした。生きているのが不思議なくらいに血肉を零しながら、誰かが地面に蹲っていた。

誰かとは、誰だろう。エリザベートは闃然とした壮絶の中、その誰かを睥睨した。

知恵のありそうな頭がついている。物が良くつかめそうな手のある腕がついている。長く伸びる足は、二足歩行に適したつくりをしている。

即ち、この誰かとはブタである。

いや、違う、とエリザベートは思った。何故? だってそれらは、ブタの形質のはずだ。ではリスだったか。リスもやはり、そのような形質を持っていたはずだ。だが、その直後、エリザベートはリスでもないと結論付けた。何故そのように結論付けたのかは最早自分でもわかっていなかったが、ともかく、エリザベートはこの誰かがブタでもリスでもなく、加えて言うならイヌでもないとも理解した。

であれば、これは一体誰なのだろう。この何か、否誰かは、一体―――。

ざら、と感覚が軋んだ。思わず息が止まるほどの違和感に顔を歪めたエリザベートは、その何かを、否誰かを、否何かを、否誰―――かを、よく覗き込んだ。

「待っていたよ、君がここまで近づいてくれるのを」

その声は。

晩春と初夏の狭間に吹き抜ける若苗色の風のような声が、ふわりと耳朶を擽った。

ざらつく視界の中、誰かが、そう誰かが、顔を上げた。長い髪の間から覗く鋭利な目が、すっくりとエリザベートを撫で斬った。

「これが君の罪、君の咎、君の悪を糺すものだ!」

槍を、叩きつけた。その穂先は誰かの皮膚を貫き肋骨を砕き、心臓を突き刺した。どぶり、と噴き出した黝い血飛沫が全身を汚した。

「『死は明日への希望なり(ラモール・エスポワール)』!」

誰かが、彼女の手を掴んだ。

酷く弱り切った、か細い手だった。今にも消えてしまいそうなほどに弱い力で、その手がバートリィ・エルジェーベトを抱握した。

何故か、彼女の姿が視界を掠めた。

真っ赤な薔薇のように溌剌として、陽だまりのように麗らかな顔。自分とある意味で似ながら、全く違う世界に生き、そしてだからこそ柔い微笑を向けた()の顔が、ざらつく五感の中に過った。

そんなことは、知らなかった。誰も教えてなどくれなかった。親でさえも、何もを教えてくれなかった。

だが、罪は、変わらないのだ。たとえ誰も教えてくれなかったとしても、起してしまった事実は変えようがないのだ。そうして起こしてしまったこととは即ち、左程の落ち度もない人間たちに惨い死を与えたことであり、そんな人殺しこそが、自分の罪だった。

ならば、これこそが、罰なのだろう。横たわる自分の首を刎ねるように掲げられた、ギロチンの刃こそが、罪を裁くものなのだろう。

死が贖いとなるのか、彼女にはよくわからなかった。咎を雪ぐ方法など、彼女には理解できなかった。

だが、もしこれが世界から望まれたことだというのなら―――。

そうして。

断首の刃が、落ちた。

 

 

 

 

あと3秒、保つかな―――。

消滅間際の焦燥の中、サンソンは、困ったように眉を寄せた。

間違いなく、自分の宝具は発動した。超至近距離で放った『死は明日への希望なり(ラモール・エスポワール)』は間違いなくエリザベートを捕捉し、その首を落とすためにギロチンの刃は撃ち落とされた。処刑された逸話こそ無いが、生前に「法による裁き」を受けた彼女には、不利な判定が付く。間違いなく、彼女の首は刎ねた。

はずだった。

地面に横たわる人影。長い翼と尾を垂らしながら、力なく臥す女性。エリザベートのその姿は、ともすれば死んでいるようにも見えた。

だが、彼女には、しっかりと首が付いていた。ギロチンの刃は彼女の首を落とすことはなく、サンソンの宝具は、不発に終わった。

確かめなければ、と思った。立あがったサンソンは、重い鎌剣を床に放り投げて、彼女の元へと駆け寄った。

彼女は、ほとんど動いていなかった。ただ静かな呼吸音だけを零しながら、しかし、やはり彼女は生きているらしかった。

エリザベートが、身動ぎした。サンソンは動くこともせずに、彼女を見守った。

小刻みに痙攣しながら、エリザベートは立ち上がった。痩せぎすの彼女は今にも倒れそうで、事実、彼女はすぐに転んだ。

何度も、彼女は立とうとしては転んでいた。まるで機械のような反復動作だった。そこには感情らしいものは無く、ひたすらに、彼女は立っては転んでいた。

何がこんなに、この機械を駆動させるのだろう。そんな疑問が脳裏に浮かんだ時に、ふとサンソンの耳に何かが触れた。

「暗い、暗いわ。酷く真っ暗だわ」

小さな喃語じみた声だった。絞り出すような憐れな声は、エリザベートのものらしかった。

「ここは、どこなの。真っ暗で何も―――暗いのは、厭よ。恐い、わ」

立っては転ぶ動作を繰り返しながら、エリザベートは何か不鮮明な言葉も繰り返していた。

目が、見えていない―――サンソンは、今更に気づいた――――転倒を繰り返すエリザベートは、目が見えていなかった。涙のような血を流しながら、彼女は、喃語を呟き続けていた。

「ここはどこなの、寒いわ、暗いわ。誰か、居ない、の。誰も、居ないの?」

亡霊のように、細い手が宙を彷徨った。何かを掴もうとする手は酷く憐れを感じさせた。

サンソンは、当てもなく宙を彷徨う手へと、自らも手を伸ばした。アンリ・サンソンは本質的に、道徳的善人であり、倫理的な人格者だった。

しかし、あるいはそれゆえにこそ、サンソンは伸ばした手を自分の元へと引き戻した。代わりに、サンソンは、ただ、彼女の傍らに在ることとした。

―――宝具は、確かに発動したのだ。罪を裁く己の宝具は、対象としたこのやせ細った少女に、正当な罰を与えたのだ。断首よりもなお甚大な罰を、彼女は、受け入れたのだ。

ならば、自分には、何事もすべきことは無い。ただ彼は、その傍らで、罪が雪がれゆく様を見守るだけだった。さながら、羊を飼う牧人のように。

空を、振り仰ぐ。

サンソンは、子供っぽく笑った。赤く焼けた大地の上にすら、向日葵みたいな太陽がきらめいていた。

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