fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

40 / 243
繋いだバトンのその重さ

「令呪1画を以て命ずる!」

マシュ・キリエライトは、その声に瞠目した。

眼前に続く通路。死亡したはずの肉塊はどこにも無く、己の肉体は確かに牢乎と佇立していた。

「『百花繚乱(ボーン)』―――」

ぞわ、と悪寒が肌を粟立てた。

サーヴァント化したマシュの知覚すら到底及ばぬ速度で後背に回った酒呑童子の影が、網膜の隅に焼き付いた。

不気味な既視感。あの食虫植物(ドロセラ)みたいに開いた掌を喰らったら、それで終わりだ。盲斑にこびりついた情景がぬらりと擦過し、吐き気すら惹起させたマシュは、捻じ切れるほどに全身を跳躍させた。

「『我愛弥(コレクター)』―――っ!?」

静かに、無邪気に、破壊的に。肉薄する魔の手が、マシュの脇腹を抉る。焼けた汚泥が血管を逆流するような激痛に、意識が喪失しかける。

直撃ですらない。ただ脇腹を掠っただけだというのにこの威力だ。もし直撃してしまったら。畏怖にも似た情動を大臼歯で磨り潰し、マシュは己の懐に飛び込んだ強敵を、驚嘆に目を見開いた鬼を見据えた。

「酒呑童子を何が何でもぶっ飛ばして!」

直截な言葉だった。およそ令呪と呼ばれる装備を最も有効に引き出し得る、端的な言明。浮いた右足を床に接地さると同時、踏み込んだ右足でもって己の体躯を弾き飛ばした。

「マシュ・キリエライト、戦術行動に入ります―――!」

虚を突かれた酒呑童子に、超至近からのシールドチャージを躱す術は無かった。げぶ、と潰れた蟾蜍みたいな声を上げた酒呑童子を、そのまま壁面へと叩き付ける。そのまま磨り潰すようにさらに一歩を踏み込みかけて、マシュはぎょっとした。

盾が押し込めない。いや、それどころではない。盾の縁へと、酒呑童子の手がつかみかかるや、逆に押し返し始めた。

「ホント、あんたはんはうちの予想を裏切るなぁ? どうやってアレ、躱したん?」

盾の向こうから、蠱惑的な媚声が耳朶を打つ。自分が肉塊になりかけているというのに、その声には焦りも無ければ恐怖も無い。ただ今この瞬間の現象を楽しんでいるだけの、人間の尋常を遥かに超えた鬼種の悦楽だけがそこに在った。

「やっぱりうちには合わんてことかねぇ?」

凄まじいまでの膂力だった。鬼種のその怪力、到底マシュの力では拮抗することすら烏滸がましく、徐々に両足が背後へと滑り始めていた。

忘我の狂戦士(グランド)の霊基、なんて」

盾の縁から、ぬるりと角が覗く。凶つ双角の淵で、幽らめく眼差しのような虚が、マシュを飲み込んだ。

さらに、一歩。酒呑童子の歩様に押し返されたマシュの細身は、激流に遊ばれる木の葉のように、足裏を滑らせ―――。

「先輩!」

「残り、最後の令呪を以て再度命ずる!」

足裏が、床面を破砕する。押されかけた両足は大地を掴み、盾を構える左手は災害じみた膂力を捉えた。

令呪。サーヴァントを律する絶対命令権。カルデアで運用されるそれは、冬木(オリジナル)のそれとは異なり、純粋な魔力リソースとしての側面が強い。それこそ、二画用いれば対城宝具にも匹敵するだろうその魔力リソースを、マシュは身体強化にのみ注ぎ込んだ。

強化の魔術の本質は、構造物の脆弱部位に魔力を通すことで強度を上げることにある。強化に必要な魔力量はその構造物次第であり、徒に膨大な魔力を注ぎ込めば、むしろ脆弱部位から強化物が自壊しかねない。令呪という膨大な魔力リソースを持続的な身体強化に回すなど、それこそ自殺行為にすらなりかねなかった。

どこかが裂けた。どこかが裂けた。どこかが折れた。どこかが穿孔した。どこかが、抉れた。視界が真っ赤になっている。げふ、と肺から漏れた吐息に、血が溢れた。

吐血と鼻血。呼吸がし辛い。途端に酸欠になって頭が割れそうになる。指先の肉が抉れていた、剥き出しになった骨が顔を覗かせていた。

果たして、その絶叫は己を奮い立たせるためだったか、それとも全身の穴から出血しながら生じる激痛に苛まれたものだったか。あるいは両方だった気もするし、全然違っていた気もするが、ともかく、マシュは壊れたベビーカーの金具みたいな疾乎を上げた。血まみれになった肺をなんとか稼働させて咆哮を上げて、両足で激流を押し上げた。

僅かな驚愕が、盾を打つ。驚愕は驚嘆へ。驚嘆は畏怖へ。酒呑童子の機微な情動の流転すら押し切るように、マシュはその頑強な体躯を壁面へと叩き付けた。

反動で、腕が折れた。橈骨が腕を突き破った。

……はっきり言って、めちゃくちゃ痛かった。腕の解放骨折もだけれど、ともかく全身が痛い。

だが、マシュは気にしなかった。戦闘者として決して長じていないマシュにとって、物理的損傷の痛みは決して慣れているものではなかったし、自己損傷度を測り身体損壊を客観的に理解することなど、当然できてはいない。

マシュの単なる主観的感傷。死ぬほど痛いけれど、気絶しそうなほど痛いけれど、それでもきっと、大丈夫。ここで自分が壊れても、きっと誰かがなんとかしてくれる。

だから、全力で行く。己の崩壊も気にせず、穴という穴からの出血もほとんど構わずに、マシュはそのまま壁をぶち抜いた。

対城宝具級の打撃は、如何に【天性の肉体】による頑強さを誇る酒呑童子であろうとも耐えられるものではなかった。壁面と盾に挽き潰されながら城外に吹き飛ばされた肉塊は、奇枯れ死ぬ老婆のような吐息を漏らしながら重力落下していった。

倒した―――酒呑童子を、斃した。安堵感が臓腑から膨れ上がった途端、マシュは沸騰した重金属が全身の神経に叛乱したかのような衝撃に、奥歯を噛みしめた。

斃れかかる寸前、誰かが背から抱きかかえる。背中に感じる温度に、マシュはなおのこと安堵を強めたマシュは。

「先輩、私、上手くできましたか?」

ぐい、と自分を抱きかかえる力が強くなる。多分それは、肯定を意味する仕草だったのだろう。少女のように莞爾と笑ったマシュは、そのまま微睡みの砂漠に意識を放擲した。

寸前。

さっきのアレは何だったのだろう―――?

 

 

 

 

炎が、来る、決して己が有することはあり得ないはずの怨嗟の炎が、襲い掛かる。

あの攻撃の特性がなんであるかは不明だが、先ほどの撃ち合いで理解している事実が一点ある。出力が低下している自分のスペックでは、あの攻撃を正面から封じ込めることは到底不可能だという事実である。最初の撃ち合いの際は、マシュのスキル―――【自陣防御】が無ければ、火力で押し切られていた。そして今、マシュはそのスキルを発動する余裕が無い。

ジャンヌ・ダルクの周囲に暗黒色の焔が渦を巻き始める。渦巻く怨嗟を燃料に燃え盛る炎が大気中の大源(マナ)に引火し、さながらそれは意思を持った火災旋風の如き様相だった。

先ほどの攻撃など問題にならないほどの、まさしく超高火力。フルスペックで召喚されていても子供扱いされるだろうそれは津波そのもので、ジャンヌなどという存在は葦と大差ない現存在に過ぎなかった。

だが、ジャンヌはやはり現存在であり、思考する葦だった。パスカルが書いた『パンセ』にて呟いたように、人間とは貧相な身体性でもって困難に立ち向かう存在者だった。

思考は刹那、刹那は永遠。逡巡は秒未満で、ジャンヌは紅蓮の炎に飛び込んだ。

「『我が神は、此処に在りて(リュミノジテ・エテルネッル)』!」

宝具を解き放つ。

其は、聖女の精神性の具現。実質数値A++に達するEXランクのクラススキル【対魔力】を魔力防御に変換することで、あらゆる攻撃を防御する最上級の結界宝具こそが英霊ジャンヌ・ダルクが賜りし至高の御業だった。

だが、漫然と使用してはダメだ。馬鹿正直にぶつかれば、間違いなく食い破られる。さながら蛇竜の如くに唸りを上げる焱の群れ。ファヴニールの火焔すらをも上回る大出力の炎熱を前に、ジャンヌはただ、旗の穂先を自己の前面へと突き出した。

己の意識を、全力で先鋭化させる。

本来大軍を守護するための結界、それをただ己だけの守護へと転換させる。広範囲の防御陣は不要の無駄。ただ自分という人間独りを守るだけの防御範囲で良い。そうして不要となった余剰魔力を自己防御にだけ収斂させ、さらには魔力放出によって、180.mm徹甲弾さながらにジャンヌの肉体が跳躍した。

炎の壁の先で、自分と同じ顔が驚愕と畏怖に歪む。防御ごと屠ろうとしたのは相手も同じで、だからこそ、炎の群れをジャンヌの結界が弾き返すなど、慮外のことだった。あるいは、黒衣のジャンヌ・ダルクにとって、ジャンヌがその宝具を自己防御のためだけに先鋭化させて使用することなど到底思いつきもしなかった。そして、ジャンヌ自身も、そんな使用方法は考えたことすらなかった。

だが、やはり厳然とした事実として、ジャンヌは不完全な召喚に違いなかったし、黒衣のジャンヌ・ダルクの炉心は段違いだった。

ふと左腕の感覚が無かった。傍目に一瞥すると、左腕の肘から先が炭化して、ボロボロと崩れ落ちていた。結界が維持できなかったのだ。光の防壁を食い破るように突破した炎の竜は忽ちにジャンヌの左腕に噛みつき、灼熱の舌なめずりで腕を咀嚼した。

だが、ジャンヌの突撃は止まらない。左腕が落ちようとも、左顔面が焼けただれようとも、彼女の疾駆は止まらない。

そうして、旗も焼け落ちた。これまで幾度と対城宝具に匹敵する幻想(こうげき)を受け続けた代償に、ジャンヌ・ダルクの旗は跡形もなく焼尽した。本源的に、魔術と魔術のぶつかり合いは、その威力でなく神秘の濃度によって優劣が決する。如何に小手先の技量でもって魔力を一転に集中させたとて、根本的に膨大な幻想によって成立する黒炎の宝具を防ぎきれる道理は無かった。

だが。

コンマ数秒、長く防御を維持できた。そのコンマ数秒によってジャンヌは当初予定より5歩、駆けた。

そして、その五歩こそが最後の一手。ジャンヌはその五歩で炎の波濤を踏破し、煉獄に灯る燈を潜り抜けた。

網膜に、死蝋のような顔が飛び込む。全く同じ顔をした屍色の貌が、目と鼻の先で数多の情動に彩られた。

その時、ジャンヌ(ジャンヌ)ジャンヌ(ジャンヌ)と邂逅した。決してあり得なかったはずの存在者と、それ以外には在りえなかったはずの存在者が、不可能性の裂け目で交錯した。

攻撃は、僅かにジャンヌが速かった。ジャンヌ・ダルクが剣を振りかぶったときには既に遅く。ジャンヌは己が剣の脇にぶら下げた短剣を引き抜くや、魔女の胸元へと突き立てた。

「貴様―――!」

ジャンヌ・ダルクに、恐怖にも似た情動が奔る。激情に駆られるように振り下ろされた剣を、ジャンヌはジャンヌ・ダルクの右脇に潜り込むようにして紙一重で躱して見せる。振り下ろされた刃はジャンヌの長い髪をざくりと斬り散らしたが、それだけだった。

ジャンヌ・ダルクが身を捩る。旋回の重心運動に乗せて、背後に駆け避けたジャンヌの背めがけて剣を薙ぎ払うつもりだ。だが、ジャンヌは迫りくる刃を前に、躱すことはしなかった。むしろ彼女は、再度魔女の懐へと肉薄した。

剣がジャンヌの身体を裁断するまであと1秒。だが、彼女にはそれより早く攻撃を叩き込む自身があった。論拠は一つ、ジャンヌ・ダルクの装備はあくまで長剣。対して自分は旗すら無い身軽な状況。さらには左腕というデッドウェイトすら無いジャンヌは、ただ、右の五指を強靭なまでに握りこんだ。

踏み込み一歩。薙ぎ払われる長剣より数舜速く、ジャンヌの拳が唸りを上げた。

「―――Set!」

狙いは一点。胸に浅く突き刺さった慈愛の短剣。ともすれば十字架にも見えるその短剣の柄頭を、ジャンヌもまた振り向きざまに叩きつけた。

ず、ぶ、り。

柔い感触が、腕を伝った。黒黒としたミセリコルデは霊衣を切り裂きエーテル体の肉をも貫き、そのさらに奥―――霊核をも、貫通した。

沈黙が、零れた。わなわなと震えながら、ジャンヌ・ダルクは己の胸に突き刺さった短剣を、穴が開くほどに見つめていた。

果たして。女の貌は、何を表象していたのだろう。交雑によって産み落とされた私生児めいた情動は、あらゆる表象から零れ落ち、感情という人工的なカテゴリをはみ出してしまうものだった。

「お前は。アンタは、本当に!?」

ごふ、と破裂音じみた音ともに、ジャンヌ・ダルクの口角から血が溢れだした。どす黒い泥のような吐血に胸の血が混じり、彼女は、血のエプロンをしているかのようだった。

ジャンヌ・ダルクの膝が折れる。酩酊したかのような虚ろな目をしたジャンヌ・ダルクは、もう一度泥の血を吐くと、ぐらりと体躯が崩れた。

ジャンヌは、必死に手を伸ばした。朽木が毀れるように倒れ込む己と同じ顔の悪魔の指先に、自身の手が触れかけ―――。

ぞわ、と何かが惹起した。敵の奇襲、と理解するのとほぼ同時、ジャンヌの頭上から何かが躍りかかった。

がちゃ、と軋む金属音。頭蓋を叩く衝撃。短く悲鳴を上げながらも、あわや背後に飛び退いたジャンヌの、額の金具に攻撃を掠めただけだった。

それが、面前で蜷局を巻いていた。

うぞうぞと身体を這わせる奇形の生物。ともすれば蛸にも見える、名状しがたい人理の外側の生命体。先ほどから散発的に姿を現していた、水生生物モドキだった。

どこから湧いてきた―――思考が疑問に切り替わりかけるのを、ジャンヌは無理やり制止させた。

あの奇妙な生き物は、サーヴァントに到底及ばない。だが、今の自分は何も武装が無い。旗すら無い。あるのは精々、腰に装着した剣のみ。そしてこの剣は、まだ抜くわけには―――!

ぼとり。

もう一つ、水音じみた音が耳朶を叩く。頭上からもう2匹、畸形の生き物が這い出してきたのだ。まるで聖女を庇うように現れた生物は、背後でジャンヌ・ダルクが立ち上がるのを合図に、一斉に跳躍した。

「待ちなさい!」

怪物の影の向こうで、ジャンヌ・ダルクの背が遠ざかる。ここで逃がすわけにはいかない、という思考が地獄の坩堝の火のように脳幹から横溢し、ジャンヌは、腰の剣へと手を伸ばした。

指先が柄に触れる。じゅ、と熱が指先を伝わり、全身が燃えるように総毛だち―――。

ぶしゃり、べちゃ。

海魔の肉片が、宙を舞っていた。

ジャンヌの目に飛び込む、赫焉の後背。猟犬の牙のような赤い剣を一閃し、忽ちに怪異を両断した少女の背が、勇躍と屹立していた。

「トレース!」

ぐにゃり、と彼女の手の中で、剣が形を変える。敵を斬殺するための兵装が、より先鋭に、より長く変化する。

剣というよりそれは、矢。魔剣は姿を変えるなり、黒塗りの弓の弦へと番えられた。

「逃がすかァ!」

弓から、矢が射出される。戦車の砲弾にすら匹敵する初速で放たれた魔剣は、猛然と標的を追いかける。さらに湧き出した怪物を瞬く間に挽肉に変えながら、紅蓮の矢は狩猟犬さながらに疾呼し、純黒の影を抉り抜いた。

影が、地面に転がる。鮮血を噴水のように巻き上げた黒い影に、赤い衣の少女が駆け寄る。ふらふらと立ち上がったジャンヌも、彼女の背を追った。

「クロエ、彼女は―――」

黒い体躯を見下ろすクロの傍に並んだジャンヌは、床に転がる黒い骸を、ただ、見下ろすことしか出来なかった。

黒霧の狂戦士が、そこで死んでいた。全身を刃に貫かれ、胸を赤い槍で串刺しにされた骸の腹に、さっきの剣が突き刺さっていた。

狂戦士のサーヴァント、ランスロット。クロの攻撃からジャンヌ・ダルクを庇った騎士は、鎧の隙間という隙間から血を吹き出しながら絶命していた。

何か、声が鎧の隙間から漏れた。人名にも聞こえた呻き声は、しかし一秒後には、己の肉体とともに掻き消えていった。

「ホント、どれだけしぶといのよ」

苦々しく、クロは言葉を吐き捨てた。

ランスロットの相手は、彼女がしていたはずだ。

「追いかけなければ!」

「待って、まずはこっちの戦力を立て直さなきゃ。なんとか勝ってるけど、こっちも酷い」

逸るジャンヌを、クロは努めて冷静に制した。悠長な、と思いかけたところで、ジャンヌは立ち尽くすトウマの姿を目にした。

痛ましく、下唇を噛みしめた少年の貌。ジャンヌを見つめる少年の目は、目前の出来事に―――損壊したジャンヌの姿を、ただ見つめていた。

いや、自分だけではない。その視線が、彼女の背後―――もう一組の仲間に注がれていることに気づいて、ジャンヌもそちらに視線を移した。

「マシュ、リツカ! そっちは」

クロが、言いかける。言いかけて、彼女は、喉を鳴らすように絶句した。

「こっちは、無理かな」

あくまで気さくな様子でリツカは返したけれど。

リツカの肩に支えられて、マシュはなんとか歩いていた。いや、歩いているかどうか。最早、ただ引きずられているだけにすら見えた。

よく拭き取ったのであろうが、それでも、流血の後は拭い去りがたかった。目や耳、口、あるいは陰部。人間の穴という穴から噴き出したであろう血色の体液の痕が、上質な白磁のようなマシュの肌の上にのたうっていた。

一見して、理解できる。マシュは戦える状況にはない。リツカがなんらかの応急処置をしているのだろうが、あくまで一時的な処置だ。本来であれば、すぐにでも治療を受けなければならない状態だった。

「マシュはこれ以上戦えない」

「わかった。じゃあ、私とトーマでなんとかするしかないわね」

「え、いや―――あぁ」

トウマは、虚を突かれたように絶句すると、一層絶句を深めて頷いた。彼は、賢くないが愚かではない。最後の戦いがまだ残っていること―――そして、その戦いにリツカはついていけないという事実を、少年は明確に理解した。

指先が、戦慄いている。マスター二人体制でこの旅路に挑んでいるようだが、実質的にはリツカがマスターとしての役割を担っている。どこか気弱そうなトウマは、あくまで形式上マスターになっているに過ぎない……ように見える。彼らの事情は知らないが、トウマは魔術師どころか魔術使いにすら見えなかった。それこそ、そこいらの農村で遊び惚けている子供のようにも。

そんな少年が、唐突に矢面に立つ。その意味するところがどれだけ過酷なのかは、想像に方くない。

「クロエ、私もまだ戦えますよ」

だからこそだろうか、ジャンヌはさも当然といったように言った。

「無理よ、肝心かなめの旗はもう無いんでしょう? それに、腕も―――」

「大丈夫です。まだ右腕がありますから、雑魚の一匹や二匹は殴り倒せるでしょう。腕が取れたら歯で噛み切ればいい。顎が無くなったら―――肉盾(かべ)にでもなりましょう」

決然と、さりとて蕭々とジャンヌは言った。済まして言って見せる素振りは、それこそ日向ぼっこする子供のようですらあった。

「トーマ君」

リツカは気絶するマシュを静かに床に座らせると、言った。

「ここまで来たんだし、きっと上手くやれるよ。それに上手くやれなくても、まぁ、気にせずにね」

「そんな、無責任な」

「実際、文字通り無責任だよ。トーマ君が頑張った結果ダメだったら、それは元から貴方の責任能力を事態が大きく上回っていただけのことだから。貴方には何の責任も無いし―――あったとしても、世界が終わった後には誰も責める人は居ないわけだからさ。結局、責任なんてあって無いようなものでしょう?」

リツカは、全く持って無責任なことを言った。思わずジャンヌも瞠目するような話ではあった。彼女たちの言うことが真であるならば、特異点が修復できなければ、その特異点を起点に人理は崩壊するはずだ。それは即ち、人類史の消滅を意味する。何が何でも防がねばならない事態を、しかし、リツカは言わば、『まぁ、人理崩壊したらしょうがないさ』と言って見せたのだ。

もちろん、それがわからないトウマではない。やはりジャンヌと同じように目を見開きながら、しかし、少年は歯を食いしばりながら、ただ頷きを返した。

(こちらとしては、今の話は聞き捨てならないんだけどね)

網膜内に通信ウィンドウが立ち上がる。引きつったような苦笑いをしたロマニの顔が映っていた。

「大丈夫ですよ、トーマ君ならやれる。良い目をしてますから」

(ダメだったらどうするんだい?)

「その時は……頭をかいて、苦笑いしますよ。人理はここまででした、ゴメンナサイって」

(やれやれ)

ロマニはごしごしと頭をかいた。げんなりと溜息を吐くと、(でも、君が判断するならなんとかなるか)と心にもない言葉を繋げた。

(そうそう。報告だけれど、平原の戦いは終わったよ。屠竜は完遂された)

「皆は?」

(いや)

「そうですか」

リツカは、酷く素っ気なく応えた。脱力した指先に普段と変わらない表情からは、何の感慨も読み取れなかった。

「さ、早く行っておいで。大丈夫、未来を変えるのはいつだって、どこにでも居る、ありふれた誰かなんだから」




人理の命運はトウマ君たちに委ねられました。
一人で戦い続けたfgoのぐだ男とぐだ子はきっと一般人なんてメンタルはしていないと思います。
もしくは無我夢中という一種の狂気状態に彼らはあるのかもしれませんね。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。