fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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悪虐はただ聖女のため

オルレアン大聖堂、玉座の間。

 

ジャンヌ・ダルクは、身を引きずるようにして、玉座を目指していた。

足元に転がる主の像を蹴飛ばし、聖母像を踏み砕き、やっとの思いで、質朴な座に身体を預けた。

身体が、熱い。事物が腐敗するときには熱を発するというが、彼女が味わう熱気は丁度そのようなものだった。

胸には、未だに、短剣が突き刺さっている。十字の形をした短剣、慈愛の剣(ミセルコリデ)の柄に手を触れると、一息に引き抜いた。

血は、出なかった。だが、引き抜いたところで無意味だった。腐敗が食い込み、火を熾すような錯覚が身体の心髄にまで達している。

これは、何なのだ。この熱は何なのだ。全く経験の無い、それでいて己の核を形成するかのようなこの陽の熱は一体、何なのか。

げほ、と咳き込む。既に喉元まで焼け始めているせいか、呼吸をするたびに乾いたガサガサと乾いた音が漏れ出た。

「おいたわしや、我が聖女。なんと痛ましいお姿に」

誰かの声が、耳朶を衝く。

誰の声だったか。父親のような温和な声色は酷く聞き馴染みがあったけれど、思考が上手く纏まらない。

「ごめんなさい、私上手くやれなかったわ」

「いえ、いえ。謝るべきは私なのです。私が不出来であったばかりに、貴女様は未完のままに生まれてしまったのです」

誰かの手が、髪を梳る。奇妙な安堵にも似た脱力を感じながら、ジャンヌ・ダルクは、表情を緩めた。

「今はしばしお休みを」

「でも、まだ私まだ主の嘆きを」

「―――いえ、良いのです。後は私めがお引き受け致します故」

そう、と自分の口が応えた。その時は、自分は何を感じていただろうか。表層で安堵のようなものを感じていたような気がしたけれど、彼女の主観的体験は感情とは奇妙な乖離をおこしているような気がした。

「それではおやすみなさいませ。我が聖女」

ざら、と意識が石炭のように固着していく。炭化した意識はそのまま酸性雨に晒されて朽ちるようにざらざらと崩れていった。

何故か、あの女の声が、最後に脳髄を擦過した。

あぁ―――嫌な女だ、と思った。

 

 

 

 

男は、冷然と彼女を看取った。

エーテル体が崩壊し、大気に魔力(マナ)となって拡散していく。光に包まれたかと思った次の瞬間には、ジャンヌ・ダルクの姿は跡形もなく霧散していた。

ともすれば、美しくも見えたその光景を、男は色を失った顔で眺めていた。

無表情、では無い。そこにはありうべき数多の情動があり、激憤のようなざわめきが男の体の中で渦を巻いていた。

男は、表情を亡くした顔を持ち上げた。酷く爬虫類じみた挙措で顔を上げると、男の目は。扉をあけ放った人間を捉えた。

男は、大儀そうに姿勢を正した。

「やっぱり、貴方だったんですね」

耳馴染みの声が、じわりと男の脳髄を震盪した。

「えぇ、貴方をおいて他には居ないとわかっていました」

人間は、三人いた。怪訝そうな顔の赤いアーチャー。困惑気味の間抜け面をした黒髪のマスター。そして、最後の一人こそは。

あの子(わたし)を創ったのは貴方ですね。ジル」

銀の鎧が、音を立てた。

男は。ジル・ド・レェは、生気を喪った顔を、笑い顔に軋ませた。

 

 

 

 

 

 

ぬら、と何かが蠢いた。

城外より10km地点、荒れ果てた荒野に、それは屹立していた。

肉の塊が、不定に蠢いている。苦痛にもだえる様にも、あるいは歓呼に打ち震える様にも見える蠕動でのたうつ肉塊だった。

それは、つい数舜前まで、酒呑童子という名前を持ったサーヴァントだった。令呪2画を以て放たれたマシュのシールドバッシュは、高ランクの【天性の肉体】を持つ酒呑童子を挽肉以上のペーストにまで圧壊させていた。

だが、それは、まだ生きていた。最早単なる肉片となりながらも、未だしぶとく生きていた。

理由の一つとして、酒呑童子の持つスキル【戦闘続行】の恩恵がある。狂戦士として召喚された酒呑童子のソレは、実質数値に換算すればA+++を超えるEXランクに相当する。肉塊になった程度で死ぬほど、ヤワでは無かった。

だが、それは理由の一つに過ぎない。

肝要なのは、もう一つの理由である。そしてその理由は、第一の理由を成立させる原因でもあった。本来の酒呑童子の【戦闘続行】を3段階引き上げる、その原因。それこそは―――。

ぐしゃ、と肉塊が音を立てた。よく見れば、肉の塊から、触手が生えていた。取り止めも無く彷徨っていた4本の触手は徐々に手足を象り、にょきりと生えたむかごのような肉芽は、次第に角を生やした頭部と相成った。

瞬く間に肉塊が凝集し―――わずか10分の後、肉団子は、酒呑童子に形成された。

表情は笑っている。邪気を一切感じない童女めいた表情をしながら、酒呑童子は愉快そうに城を眺めた。

「ちょぴり本気、出したんやけどねぇ」

何故、という思考が、微かに過る。

あの盾のサーヴァントの運動性能・反射神経は既に織り込み済みだった。その上で、決して反応できない速度で動いたつもりだったのだが。

ただ、酒呑童子はすぐに思考停止させた。答えは簡単。単純に、自分の目測が誤っていただけのことだ。それ以上でも以下でもなく、それより先は考えても詮のないこと。頓着も無く思考を終えると、酒呑童子は、軽やかな一歩で、石畳の地面を踏み砕く。

そうして身を屈め、酒呑童子の矮躯が飛蝗のように跳躍する。

はず、だった。

斬撃は、身を屈めた瞬間に放たれた。

狙いは首。喉から嵌入し脊椎を刎ねようと、極限の閃光が弦月のように閃く。

寸で、酒呑童子はその剣戟に拳を叩き込んだ。あわや首を両断するはずだった剣は取り付く島もなく撥ねつけられ、剣戟を放った騎影は薄氷を滑るように飛び退いた。

酒呑童子は、無言でその影を注視した。

黒い、ローブを纏った剣士。顔色は伺えず、頭部に空いた虚は最果てにすら届いているかのような錯覚を惹起させた。

それに、しても。

酒呑童子は、己の右手を、見下ろす。剣を殴りつけた右手は、酷く拉げていた。折れた中手骨が皮膚を突き破り、末節骨が指先からまろび出ていた。

無論、その傷自体も驚くべきことだった。強靭なはずの酒呑童子の肉体を、ただ剣の一振りで損壊させた。並みのサーヴァント……否、トップサーヴァントとて、そんなことは出来ぬであろう。

だが、なお驚くべきことがあった。

酒呑童子は、その攻撃に反応するだけで精一杯だった、という事実が、である。通常の霊基のさらに上位の器にはめ込まれた酒呑童子の性能は、生前のそれすら上回ろう。フルスペックとすら言える酒呑童子をして、反撃しか許さぬ攻撃を繰り出すなど、それこそ、あの金髪の孺子か牛女くらいなものだろう。

即ち、それは―――。

酒呑童子の表情が、凄絶に歪む。鬼の形相、という言葉があるが、彼女の貌はまさに悪鬼羅刹の嘲笑そのものだった。差異があるとするならば、人間のそれは怒りに打ち震えることで発現する表情だったが、酒呑童子のその形相は、ただ愉快さだけが鬱勃と膨れた満面の笑みだった。

「あんたはん、そういえばデオンの報告にあったねぇ。黒ずくめの剣士、って。別にこっちに敵対するわけでもないから捨て置けってあの聖女サマは言いはったけど」

うぞり、と酒呑童子は剣士に近づいた。剣士は一歩も引かずに、剣を―――折れた銘釼を、上段に構えた。

「あらまぁ。あんたはん、うちと同じなん? いやぁ、ちょっと違うなぁ。あんたはん、小綺麗な匂いやけど―――うちと同じで、獣臭いなぁ?」

バキ、と甲高い音が鳴った。

骨が折れた音だった。酒呑童子の堅牢な肉体、その骨格となる骨が、自壊した。

否―――自壊、というのは語弊がある。正確には自壊しながら、再生していた。さらに正確に叙述するならば、酒呑童子は、己の肉体を、作り替えていた。

その様は、【自己改造】に酷似していた。己の肉体を作り替え、より強力な個体へと変貌させる反英雄の持つスキル。決してサーヴァントのクラスなどには収まりきらない、酒呑童子という天性の魔を顕現させるためのスキルであり―――その霊基の酒呑童子であるからこそ、獲得してしまったスキルだった。

およそ、数舜。

酒呑童子は、既にそこに居なかった。

ただ、そこには、獣が一匹居た。剛毛に覆われた四肢に、おどろおどろしい影で覆われた肉体。表情は既に影に飲まれて亡く―――にも関わらず、喜悦だけが、朧に歪んでいた。

鬼、だった。人智という賢しらさなど決して及ぶことの無い射干玉の夜が、そこに屹立していた。

沈黙は刹那。

攻撃は同時。

強襲する獣を、不滅の極聖が迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

「ジル・ド・レェって、あの―――?」

トウマは、長身痩躯の男に奇異の視線を送らないわけにはいかなかった。

ジル・ド・レェ。もちろん、トウマは歴史上実在した青髭ジルのことには詳しくない。知っていることと言えば当然。『Fate/Zero』のキャラクターとしてのジルだ。

ジルは、なんというか、こんな様ではなかった。言動はおかしかったし、如何にも黒魔術師めいた格好をしていたし、何よりもっと目が飛び出ていた。

目の前の痩せぎすの男に、そういった様子は無い。どちらかと言えば落ち着いた物腰の男には狂気めいたところは無く、むりそ理知的な表情ですらあった。

それに、そもそも。

デオンから伝え聞いたサーヴァントの中に、ジルの名は無かったはずだ。

「待って」

トウマの思考を落ち着かせる、クロの声が耳朶を打つ。いや、違う。クロの声色は、冷静さを喚起するものではなく、その逆だった。むしろ、その声は押さえきれない驚愕をにじませる声音だった。

「あれ、半分サーヴァントじゃない」

「ちょっとまって、それってどういう」

(こちらでも確認した。確かに彼はサーヴァントであってサーヴァントではない状態……正確には生身の人間を依り代に召喚されたサーヴァント、疑似サーヴァントに近い存在だ)

疑似サーヴァント。トウマには初見の言葉だったが、ロマニの説明で概ねを了解した。

通常のサーヴァントは、エーテルによって肉体を構成された純粋な霊体であるのに対し、疑似サーヴァントは通常の人間の身体にサーヴァントを憑依させるような形で召喚されたようなサーヴァントのことを言う……のだろう。その条件等は知れないが、目の前の人物は生身の人間でありながら、サーヴァントでもある存在者だった。

「何やら小うるさい物見がおりますが」男はやはり感情の起伏無く、ぼそりと口にした。「えぇ、その通りです。私はジル・ド・レェ(わたし)の肉体を触媒と依り代にし、英霊としてのジル・ド・レェ(わたし)を召喚しました。サーヴァント、クラスはセイバーと言ったところでしょうか」

男はこの時、微笑みすら浮かべて見せた。無表情の上に張り付けた薄らかな微笑。僅かに開いた瞼の奥に淀む瞳は、不気味なほどの伽藍洞を孕んでいた。

「どうして、とは尋ねません。今の私には、貴方の心情に幾ばくかの同情を寄せることができる。その聖杯を使って、憎悪を滾らせる私を望んだ貴方の気持ちを幾ばくか理解できる。決して、貴方がこの世全てが赦せないことも、幾ばくかは、わかるような気がします」

男の奇妙な威圧に、ジャンヌは全く気圧されなかった。決然としたジャンヌの目は、男の姿を真正面から見据えていた。

男は、僅かに身動ぎした。表情の変化は、相変わらず存在しない。ともすれば慈悲深い司祭のようにも見える微笑を浮かべる男は、そうして、おもむろに手を伸ばした。

掌の上で、空間がぎちりと歪む。奇妙な力場を形成しながら、男の掌で静かに安らうそれこそは、即ち―――。

「―――なるほど、ね。本来あり得ないはずのジャンヌの別側面。不可能を可能にするものは、聖杯しかない。あの魔女こそが聖杯そのものだった……ってところかしらね」

クロは、どこか鼻白むように言った。感心したように見えて吐き捨てるようなその物言いは、願望機として機能している聖杯に対する、不可解な同族嫌悪のようなものだった。

「えぇ、そうです。私はコレに願ったのです。貴方が焼け落ちた次の日、何故か私の手元に在った聖杯に願ったのです。貴方はきっとそのようなことを望みはしない、とはわかっていました。貴方は己の行為に後悔すれども、それを誰かに押し付けるようなお方ではないとはわかっていました。

私は本当は、貴女に怒ってほしかった。でも貴女はきっと、あの運命を受け入れられる。だから、私は善を捨て、悪逆を為そうと決めたのです。」

男はどこか寂し気に笑うと、掲げた手を静かに握りこんだ。そうして再び開いた手には、酷く分厚い、名状しがたい表紙の魔本が浮かんでいた。

ぞわ、と何かが脈を打った。

世界に満ちるマナが、おののく様に蠢動するような錯覚。淀み、腐り落ちた大気が身体の四肢末端から嵌入してくるかのような悪寒。思わず嘔吐しかけて口を抑えたトウマは、即座にその異変の元凶を理解した。

騎士が開いた本から、とめどなく汚泥のような魔力が流出している。なんの魔術的強化も施していない肉眼ですら識別できるほどの歪みが地面に水溜まりのように広がるや、べちゃり、と何かが這い出した。

冒涜的な、水生生物じみた何か。人間の身の丈ほどもある巨大な何かが、不定にうねりながら、魔力の渦から這い出した。

その数、優に10は超える。男の周囲に産み落とされた怪異は孔から這いずり寄ると、奇妙な甲高い遠吠えを上げた。

「それでは。どうか、我が魔道を阻みたまえ―――ジャンヌ・ダルク!」

「えぇ、必ず止めます。以前と同じように、私の傍らには頼もしい方がいますから!」

ジャンヌが、僅かにトウマを一瞥する。勇ましく持ち上がった口角とともに、毅い目がトウマを見返した。

「俺は、信仰とか善とか悪とか、よくわからないけど」

男の足元にも、魔力の汚泥が淀んでいく。黝い吹き溜まりから噴き出したエネルギーの余波に煽られ、男の髪が逆立った。

(敵性サーヴァントの霊基パターンが変調した! セイバーから……キャスタークラスに変わった)

汚泥から、甲殻類のような、軟体生物のような奇怪な触手が腕を擡げる。

男が、捕食される。絡みついた腕が天高く男の体躯を持ち上げ、全身の骨格を食み砕いていく。

磔にされた、咎人。網膜に過る表象に、男の貌が、紛れ込んだ。愚劣なまでに素直な貌は、ただ、何かを、苦酷な何かを希求するかのような貌に歪んでいた。

怒号にも似た金切り声が炸裂する。淀みから身を乗り出した巨大な海魔は完全に男の姿を取り込むと、ぎょろりと、3人を睥睨した。

「止めよう。クロ、ジャンヌ!」

 

 

 

 

 

 

「―――先輩?」

朧げながらも意識を取り戻したマシュが最初に見たのは、リツカの顔だった。

「大丈夫? 応急処置をしただけだから、まだ動くのは無理だと思うけど」

精一杯、リツカは平時と変わらぬ様子で言う。飄々としたリツカの背には、けれども、玉のような汗が浮かんでいた。

汗が、彼女の額を伝い、目元を濡らして、顎先から滴る。雫となって零れた汗は彼女の膝を枕にするマシュの唇を濡らした。

「ごめん、あんまり魔術を使うのは得意じゃなくて」

リツカは謙遜するような照れ笑いを浮かべながら、あくせくと汗を拭った。暑いね、と独り言のように言うと、もう一度、汗を拭った。

何故だろう、と思う。

飄々とした表情ながら、必死に額の汗を両手で拭う仕草は、幼い子供が泣いているようにも見えた。

「あの、どうなりましたか?」咄嗟、マシュは別な話題に切り替えた。何故か、リツカのその姿を見ることが、酷く疾しいことのように思えたからだった。「みんなは」

「ラスボスを倒しに行ったよ。私とマシュは、ここでお留守番」

「そんな」

「もう、令呪使い切っちゃったし。私が居ても居なくても、大して変わらないから」

ほら、とリツカが右手の甲を見せる。サーヴァントとの契約の証、赤い血文字のような証は既に無く、ただの掠れた痣のような痕跡だけが残っていた。

「トーマ君なら大丈夫。ちゃんと、戦いを見てる。まだ赤ん坊みたいなものだけれど、あの子はきっと、ちゃんと判断できる。そういう目を持ってるし、クロと、ジャンヌもついてる」

それに、とリツカは、続けた。少し、彼女は気恥ずかしそうだった。

「マシュを、置いてはいけないから」

そう言って、リツカはマシュの頭を撫でた。彼女の年齢は、確か17歳。大人というにはまだ幼いはずの彼女の手は、どこか、大きく感じた。

「マシュ?」

思わず、彼女の手を握っていた。

「いえ、なんでも」

マシュは顔を赤くしながらも、リツカの目を、しっかりと見返した。

強く、ならなきゃ。

私はまだ、全然弱くて、だからこそ、ずるい。あの時私が強かったら。独りで酒呑童子と互角以上に戦えるくらい強かったら、令呪を使わせる判断を先輩に強いることも、それに伴う懊悩を強いることも無かったのに。

「先輩」

「何?」

「私、頑張ります。きっと、先輩のお役に立てるように」

リツカは、マシュの言葉に目を見開いた。それから柔らかく微笑すると、マシュの手を、優しく、それでいてしっかりと握り返した。

「まぁ、まずは休もう。トーマ君たちの帰りを、ゆっくり気長に待とうじゃあないか」

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