fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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夢のあとの兵ども

 薄れる感覚の中、マシュ・キリエライトはただただ知覚の海に浸されていた。

 揺れは戦いの波動だろうか。鼓膜を突く振動音に、時折顔にかかる埃のようなもの。それを拭う、リツカ(センパイ)の、手。

 「そろそろかな」

 リツカの声。独り語りのようであって、確かにマシュへの志向性のある声が、耳朶を打つ。

 「大丈夫、トウマ君ならなんとかできる。そういう星の元に居る、気がするし。クロちゃんもいるしね」

 いつもと変わらない、朗らかな声色だ。カルデアで聞くものと変わらない、温和で、朗らかで、呑気な声。轍のように心に溝を作る安堵感が奔ると同時、マシュは、歯の奥を噛みしめる。

 何をやっているんだろう。トウマも、クロも、ジャンヌも──いや、みんな戦ったというのに、私は何をしているのだろう。何故、こんなところでくたばっているのだろう。

 「こんな時、キリ様かデイビッドならちゃんと一緒に行けるんだろうかな」

 これも、リツカの、声。普段と変わらないはずの、彼女の、声。

 でも何故だろう、いつもと変わらないはずの声に、もっと別な何かが混じっているよう。寂しさ、後悔? いや、そんな分かりやすい、感情などではない。彼女に滲む、表徴から逃れ去るような不定の情動。どれでもあってどれでもないその情動は、きっと彼女自身すら理解できていないような気がする。

 「マシュ?」

 手に触れる、柔らかな感触。リツカの頬は酷く柔く、爪を立てれば、すぐに裂けて、中身は飛び出そうだ。

 触れる、身体の境界面。どちらが触れているのか、触れられているのか不明瞭に溶け合う奇妙な感触。僅かに身が震えるのを確かに感じた。しかして、その震顫(しんせん)は誰のものだろう。触れ合う感覚すら曖昧な 二人の間、その慄きは、互いのものだったのかもしれない。 

 「あ」

 酷く、間の抜けた声だった。緊張感なんて全くない、声。

 「ごめんマシュ」

 「え?」

 ひょい、とマシュの身体が宙に浮いた。

 浮遊感? いや、そんなものではない。実際に浮いているのだ、と気づいて目を開けたマシュは、ただただ瞠目した。

 崩れる天井、へたり込むリツカ。人間を潰すのにあまりある巨塊が、位置エネルギーを速度エネルギーに転換して鉱山排水のような髪色の少女の脳天へと落下する。

 地面に転がる自分の身体はとても動かせず、ただただその光景を、眺める他なかった。だからこそ、その光景を、マシュは刻銘に目にしていた。

 不意に閃く仄光り。燐光を切り裂く颶風とともに現れた閃珖が落下してきた岩塊を微塵に蹴散らした。

 「──あれ」

 間抜けそうに呟くリツカ。ぽかんと見上げる視線の先、彼女は、居た。

 ぼたり、と赤黒い液体が床に溜まる。泰然と佇立する姿は間違いなく騎士のそれで、口角に浮かぶ勇壮な嫣然こそは、英雄の証だった。

 「どうにか間に合って良かったです。マシュ、リツカ」

 ライダー、ブラダマンテ。その姿は痛ましい──腕は捥げ肉の削げた脛には骨が見え、眼球が焼失した片方の眼底からは、炭の混じった血がひたひたと垂れていた。

 「ブラダマンテ」リツカはマシュの上体を抱きかかえた。「凄く助かった」

 「人を守るのはパラディンの務めですから」

 頓着もなければ衒いも照れもない。ブラダマンテの声は、ただただ清々しい。寒気がするほどの清らかな声だった。

 「ジークフリートとアストルフォは?」

 「残念ながら」

 「そっか」リツカは、短く言った。「ブラダマンテ、貴女も、もう」

 「そうですね。もう保ちません」

 微かに、ブラダマンテは身動ぎした。そう、と応えたリツカに、彼女は、僅かに苦慮の眉を寄せた。

 「武運長久を祈ります、リツカ。それと」

 ブラダマンテが、身を屈める。リツカの腕の中に横たわるマシュの耳元に、小さく、声を漏らした。

 「大丈夫、きっとうまく行きます。マーリン様が見ていてくださりますから──がんばれ、乙女!」

 さらり、彼女の体躯が崩れていく。輪郭の破綻とともに霊基崩壊が急速に進展し、ブラダマンテは消滅した。

 金の燐光が舞う。宙を漂うブラダマンテの残骸は、一瞬の後、天に溶解していった。

 

 

 ──あ、と思った

 視界が晴れた。目の前を覆っていた肉塊が裂け、光が差し込んだ。

 細めた目に、あり得ないものが、飛び込んだ。

 屍色の肌。無機質な金の目。灰色の髪は長く、風に靡いている。

 いつか見た、光景。あの運命の日に巡り合った少女は、けれどあの時と違って、酷く──怒ったような、顔をしていた。

 「何、そのキモイ面。不愉快よ、こっちみんな」

 「こういう時、もっと感動的な一言で締めくくるものではありませんかな」

 「はぁ? 考えてみなさいよ。アンタのしみったれた自慰(ハイパーオナニー)で生まれたのが私なのよ? 構ってもらえるだけで、滂沱の涙で咽び泣くのがアンタの立場でしょうが? それとも、娘に構ってもらえない父親のフリでもする気?」

 まくしたてる様に、少女は吐き捨てた。というかもうゲロでも吐くみたいな風に言い切ると、明瞭なまでの侮蔑の視線を叩きつけた。

 「目糞鼻糞の分際で、つけあがるのも大概にしなさい。アタシが存在してやってるだけで、どれだけの幸運なのかわかっているのかしら?」

 ふん、と彼女は傲慢さながらに鼻を鳴らす。養豚場の豚を見る目は相変わらずで──ジルは、困ったように、「そうですね」と笑った。

 「帰りましょう、ジャンヌ。在るべき、『時代(クロニクル)』へ」

 少女が差し出した手を、男は、強く、握り返した。

 「全く。世話の焼ける、お父様ですこと」

 

 

 「クロ、ジャンヌ!」

 トウマは、急いで少女たちへと駆け寄った。焼け焦げる生物を押しのけ、斬殺された海魔を乗り越えて、トウマは、足を止めた。

 聖堂を覆い尽くすほどの巨大な海魔。既に屍と化した肉塊から、二つの影が歩いてきていた。

 すっかり襤褸になったクロ。そしてもう一人。黒い甲冑の聖女は、白亜の外套を、抱きかかえるもう一つの肉体に被せていた。

 黒い髪に、酷くやつれた痩せぎすの男。静かに閉じられた目は苦悶に歪み切った後の弛緩を、示しているようにも見えた。

 「メーワク、かけたわね」

 ジャンヌ──ジャンヌ・オルタは静かに口にした。懐に抱いた男を、既に色を失った男の顔を見つめる顔は、とても、瀟洒な静謐を湛えていた。

 「それにしても、まさかジャンヌがアナタを召喚するなんてね?」

 「本当よ。敵になるかもしれないのに。コイツもだけど、世の中頭がおかしいのばっかね」

 げんなりするように言う。気味悪そうに男を睥睨すると、「ま、あのクソ女に借りがあるのは気持ち悪いし」

 独り、言ちるように彼女は言った。侮蔑するようでありながら、それでも彼女の男を見る目は優し気だった。

 「あぁはい。これ」

 ひょい。

 ぽとん。

 「ってこれ聖杯!?」

 ぎょっとしたトウマは、思わず受け取ってからその金の杯を落としかけた。

 「そうよ。アンタたち、これ探してたんでしょ。もう要らないからあげる」

 「そんなテキトーでいいのかな……」

 大事に抱えながら、トウマはまじまじと聖杯を見つめた。

 煌びやかな金色の杯。先ほどは単なる力場……のようであったが、姿かたちは一様ではないということなんだろうか。

 しかし、あまり嬉しさは感じられなかった。感慨はあれど、この煌びやかな聖杯が善いものには感じられなかった。それこそ、この杯には見えないだけで血が並々と注がれているのだから。

 「そろそろ、終わりね」

 と、ジャンヌ・オルタが顔を上げる。まるでそれを合図にするかのように、足元が揺れ始めた。

 (こちらロマニ、聖杯の獲得を確認。それに伴う特異点の修復が始まったようだ。リツカちゃんとマシュのレイシフトはもう終わったから、巻き込まれない内に君たちも!)

 網膜投影された通信ウィンドウの向こう、ロマニの顔は、焦っているようで、隠しきれない安堵を湛えていた。なし崩し的に始まった冬木と異なり、今回は初めてカルデアという組織が主体的に修復した特異点なのだ。ロマニは、その感動を抑えきれていなかった。

 トウマも、安堵感を禁じ得なかった。だけれども、それよりも、ただ疲労感だけがきつかった。終わった、という実感はむしろ虚無感にすら近い。自分は何もせず、ただ眺めていただけでしかなく。あるいはだからこそ、というべきか。ただ、虚ろなフェルトセンスだけが、身体を縛り付けていた。

 「私の方が先みたいね」

 ジャンヌ・オルタの輪郭が、徐々に、崩れはじめていた。

 「ジャンヌ……」

 「何しょげた顔してるわけ? アンタはこれから、7回もこんな旅をするのよ。こんなところでなっさけない面してるんじゃないわよ」

 ぐりぐり、とジャンヌの手がトウマの頭をくしゃくしゃにする。

 わかっている。これはまだ、始まりに過ぎないんだ。あとこれから、自分たちは、6つの特異点を踏破しなければならないのだ。わかってはいる―――けれど、憮然とした顔は、どうしても、和らげられなかった。

 「しょうがないヤツ」

 莞爾と、ジャンヌ・オルタは笑った。陽だまりのように柔らかい呆れた微笑は何故か、どこかで、見た気がした。

 「そこのガキ」

 「何よ?」

 「……わかってるみたいだから、やめとくわ」

 最期にそう言って、ジャンヌ・オルタは消えた。祝福されるように天使のような金色の光に抱擁され、彼女の存在は昇華した。

 トウマは、瞼を閉じた。何か言葉が出かけて、言うのをやめた。言葉は胸にしまい込んでから、自分の相棒へと声をかけた。

 「帰ろうか、クロ」

 ―――だが。

 「待って」

 彼女の目は、トウマを見ていなかった。真直ぐ射抜くような目は、トウマの背後、広間の入り口を、見ていた。

 振り返り、トウマは、息を飲んだ。

 無銘の剣士が、そこに、存在()た。

 

 

「佐々木、小次郎──」

 マスターの声が、虚ろに響く。幽霊でも見たかのような慄く如き声。その声に風雅なにやけ笑いを浮かべると、剣士は満足そうに頷いた。

 「如何にも。我が真名、佐々木小次郎。最も、その(名前)が無ければ幻霊にもなれぬ三流の亡霊だが」

 薄い笑いは変わらず。刀を肩に担いだままの姿は如何にも雅な伊達男といった風采だが、あの剣士にとってはその脱力こそが本性だった。

 「それで、何の用なわけ? まさかお喋りでもしに来たの?」

 「それも魅力的よなぁ。可憐な少女と、朴訥な少年を肴に一晩過ごす。それも良いが」

 男が、剣を下げる。だが、当然それは己の言葉を実行に移すためではない。掲げた刀の切っ先が指示したのは、赤い少女の姿だった。

 「燕より素早い鳥がここに一羽。なればこそ、斬らぬは無粋というものであろう?」

 「そういうのは趣味じゃないって、言わなかったかしら?」

 「覚えているとも。合理的な其方が、無意味な酔狂に付き合うとは思っておらんよ」

 男は言うと、剣を、構えた。

 構えたのである。無形こそが構えであるはずの剣士が、剣技の型を取った。それが意味するものは、即ち。

 「だが──このくだらん非合理にしか、”私”の望みは在り得ないのだ。無銘のまま死んでいった、使い捨ての剣士に過ぎない私には、生憎と、こんなさもしい望みしか無いのだ。どうか、付き合ってもらえぬか、赤い弓兵よ」

 か細く呟くような。それでいて、鼓膜を鋭く差し込むような声だった。

 雅な微笑はそのままに。構えた剣は水平に。有無を言わさぬその表情の真摯さは、聞くだけで息することすら忘れるほどだった。

 沈黙は1秒も無く。嘆息をついたクロは、渋々といったように、双剣を構えた。

 「どーせ断っても、トーマのことを襲って、なし崩しで戦いにするつもりだったんでしょ」

 「さて。考えもしなかったが、そういう手も良かろうな」

 からから、と小次郎は口元ににやけ笑いを浮かべて見せる。

 目は、笑っていない。色を感じさせぬ細い目は、正しく、野山で鳥を見定める狩り人の如きであった。

 「いざ──参る!」

 疾駆が、歪に迸った。

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