fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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接敵はピクニックのように

ざら、と視界が開けた。

深い海の底から掬い出されるような自然な目覚めとは異なる、人為的な覚醒。イメージするならば、唐突に烈日の荒野に投げ出されるかのような錯覚。如何に言葉を尽くしていいものか、測りかねたが、ともかく、トウマは目を開けた。

風が、鼻先を薫る。剣呑さはなく、若草萌ゆる瑞々しい丘が視界一杯に安らっていた。

なんだか、この風景はフランスのレイシフトにも似ていた。牧歌的、とも言える景色。だが、これから、想像も絶する激闘が始まるのは、論を待たないことだ。冬木でも、オルレアンでも。その戦いは、凄絶としか言いようのない戦いだった。

「無事、転移できましたね」

最初に声を発したのは、マシュだった。カルデアでの装いとは異なる、時代錯誤にも見える大楯に騎士甲冑を着こんだ少女は、どこか晴れがましさすら感じる表情だ。

声にならない感慨を満たしながら、マシュは周囲を眺めまわしている。深い呼吸は、滋味豊かな食事を味わっているかのようだ。目の前に開けた世界の様相に、心からの感嘆を覚えている。子供らしい、瑞々しい顔だった。

「やっぱり凄いわね、このレイシフトって」

クロもマシュと同じように、目の前の世界に圧倒されていた。つい数舜前まで南極の研究施設に居たという事実とはどうも反り合わない、現実の自然が屹立している光景。しゃがみ込んだクロは足元の草を千切ると、しげしげと眺めていた。

と。

「キャーウ!」

「わ!?」

背後から後頭部を強襲した不埒者に、クロは呆気なく地面に転がされた。

「フォウさん、またいつの間に」

「今マシュの胸から出てこなかった?」

相変わらずクロの後頭部に陣取る白い毛むくじゃら。リスみたいなネコみたいな不思議な小動物、フォウは自らの狼藉をむしろ誇るかのように、もう一度甲高く鳴いた。てしてし、とクロの後頭部を踏みながら。

むく、とクロは音も無く立ち上がった。なんなら感情すら吹き消したかのように立ち上がると、地面に飛び退いた白いちんちくりんを鋭く見下ろした。

「やったわね~?」

「フォウ、フォフォ」

嗤うように言うクロ、返すフォウの鳴き声も、とっぽい挑発の色を帯びていた。

後は、低レベルな争いが繰り広げられるだけだった。ひょこひょこ飛び跳ねる小動物を空間転移を連発しながらおいかけるクロ。低次元なのに高次元な無邪気な喧噪だった。

「ピクニックみたいですね」

そう言うマシュも、なんだか楽し気だ。レイシフト直後の緊張を淡く弛緩させて1人と1匹の追いかけっこを微笑ましく眺める目は、一体何を映しているのだろう。憧憬というよりも、もっと純朴な憧れを滲ませた目のように、見えた。

「ずっとこうだったらいんだけどね」

トウマに並んだリツカが、朗らかに言う。温和な声色と表情にトウマも頷きかけたが、寸前、リツカの視線が誘うように宙を見上げたのを、確かに目にした。

釣られてトウマも青々とした空に目を向けて、そうして顔を顰めた。

呑気そうに横たわる青空を切り裂くように横断する、光の帯。オルレアンの時も空を占領していたあの光の帯が、1世紀ローマの天蓋にも陰鬱に佇んでいた。

あれが何なのかは、まだわからない。特異点にのみ観測される光帯がなんであるか、カルデアでもまだ判断につきかねているというのが現状ではあった。

それに不吉を感じるのは、ややネガティブだが真っ当な精神性だろうか。見上げるリツカも、不快そうな表情だった。

だが、彼女はそれをわざわざ言語化しようとはしなかった。小声でカルデアに光帯の存在を報告しただけだった。トウマも彼女の心情を斟酌して、黙したまま、光帯から無邪気にじゃれつく2人と1匹―――いつの間にかマシュも喧噪に巻き込まれていた―――へと、視線を泳がせた。

(やぁ、そちらは大丈夫そうだね)

カルデアからの無線が入ったのは、クロが狼藉者をひっ捕らえて抱きかかえ、件の毛むくじゃらが観念したように「ミー」と鳴いた時だった。

(紀元1世紀、西暦60年ローマ。時間座標は予定していた通りだね)

網膜に投通信用の映像枠が立ち上がる。手元のコンソールを操作しながら、安堵したようにロマニが言う姿は投影されていた。まずは最初の難関が終わった、と言ったところだろうか。レイシフトを行うこと自体の難易度は左程ではないらしいが、それでも緊張するのは緊張すると言ったところだろう。

「座標も予定通りかな?」

(そちらも問題ない。首都ローマの郊外に無事転移している。ローマに行けば、華やかな都が君たちを迎え入れてくれるはずさ。皇太后アグリッピナを毒殺した直後だけど、まだ5代皇帝ネロ・クラウディウスの統治は繁栄のただ中にあったはずだから)

ロマニの声の中のある一部が、酷く鮮やかにトウマの耳道を駆け抜ける。

ともすれば、極彩色の色調を持った響き。小さく身体を震わせたのは、自然と言えば自然なことだっただろう。

ネロ・クラウディウス。

月厨なら、特別な響きを感じずにはいられない名前。PSP向けに発売されたFate/stay nightの次回作とも言うべき記念碑的な作品で、これまでのように伝奇的でありながら現代的SFのテイストを織り込んだとも言うべき作調は、およそ今後のTYPE-MOONの世界観そのものを方向付けたとすら言えるだろう。続編のCCCを含め、stay night以上に熱狂的なファン層を擁立するEXTRAシリーズ、その主人公核ともいうべきサーヴァントこそ、赤セイバー、ネロ・クラウディウスその人だ。

もし味方であれば、これほど安堵感のある味方は居ないだろう。ネロの底抜けの明るさと前向きさは、ジャンヌ・ダルクとは異なった心強さがある。もし敵だったとしたら―――という発想を抱かせないのが、EXTRAのネロ・クラウディウスという人物の論評の全てと言っても良い気がする。

「まず、首都に行ってみるのはどうですかね」

だから、そんなトウマの提案は実際素朴なものだった。あのネロが統治する都であれば、きっと安全だろうという確信。大きな街であれば情報も自然と入ってくるだろう、という算段でもあった。

リツカは、少し考え込むように「ふむ」と吐息のように漏らした。思案気に寄せられた眉は、整えられた綺麗な眉同士が秘密めいた相談しているかのようだった。

藤丸立華。年齢は19歳だという。3歳ばかり年上なのに、彼女はとても泰然としている。底抜けの明るさもあり、気さくで、それでいて冷静。多分、知略型の主人公とはこういう佇まいをしているのではないか、と思わせる。そんな女性だった。

「いいんじゃあないかな」

リツカはトウマに身体を向けると、寄せた眉を弛緩させるように離した。

「私もトウマ君に賛」

成、と言いかけて。

不意に、彼女の表情が、微かに蠢動した。

穏やかな顔は変わらず。ただ、緩やかに放していた眉を微かに強張らせたリツカは、遠く明後日を振り仰いだ。

視線の先は、丘。いや、正確には、丘の向こう。千里眼で未来視でもするかのようなその眺望の後、リツカは「ロマン」と呟いた。

「周辺一帯の走査、できるかな」

(あぁ大丈夫だよ、少し待って)

「リツカ、先に行くわ。トーマ」

こっち、と伸びた赤い手がトウマの手と繋がる。あ、と思うのも束の間、あまりに容易くトウマの身体は引っ張られていった。

流石に、トウマとて2度の戦いを経てきた。この急な事態の変調を理解できないほど、呑気ではなかった。

即ち、戦闘の気配。手を引くクロの後ろ姿が持つ強張りのような緊張は、戦いの気配を否が応も無く感じさせた。

(索敵完了。北西6km地点に多数の魔力反応検知。戦闘行為が行われているかはともかく、多数の集団が居ることは間違いない)

(そう、了解。クロ、そっちは?)

「今稜線に出るわ。トーマ、いきなり顔出さないでね」

駆けあがること数秒。サーヴァントの膂力は忽ち小高い丘を踏破しきり、山際へと顔を出した。

丘からなだらかに広がる平原。変わらず牧歌的なはずの草原のただなかに、確かに、何かが群れていた。

通常、人間の視力ではそれまでだ。まるで蟻が死肉に折り重なっているかのようにしか見えない光景は、それだけでは事態の理解になんら寄与しえない。

だが、トウマの傍に居る少女は通常の人間ではない。人類史が集積した超常の具現たる境界記録帯、ゴーストライナー。サーヴァントと呼ばれる使い魔は、数千を生きる魔術師すら敵わないほどに強力な存在者である。

弓兵のクラスで召喚されたサーヴァントは、射撃に関するあらゆる能力に長じる―――もちろん、須らく目が良い。かの弓兵、エミヤは4km離れた場所から大橋のボルトの一つ一つを識別できたという。なら、6km地点から状況を俯瞰するなど、さして難しい話ではない。

「部隊同士の戦闘、ね」

(戦闘、か)微かに、ロマニが言い淀む。そういえば、先ほど自身が言っていたではないか。この時代のローマは比較的平和である、と。ならば、外縁部はともかく、首都近辺で戦闘が行われていることなど有り得ないはずだ。(互いの特徴はわかるかい?)

「片方は金と赤の意匠。古代ローマを象徴するデザインね。もう片方は」

言って、クロは眉間に皺を寄せた。事態を理解しかねているのか、あるいは事態を理解した上で、その異常事態に懸念を抱いているのか。あるいはその両方なのか。

「泥人形みたい。ゴーレム、かしら」

クロの言葉から零れたのは、そんな響きだった。

ゴーレム、と彼女は言った。

ファンタジー作品において泥人形のモンスターと同意義と化した言葉だが、その原義は大きく異なる。

ヘブライ語で胎児を意味するその人形は、ユダヤ教文化に深く根付いたものだ。高位の魔術師の素養を持ったクロが『ゴーレム』の名を出すならば、それは単なる比喩的な言語というわけではないのだろう。即ちあれは正しくユダヤ教文化におけるゴーレムそのものであり。なれば、思い当たるサーヴァントが1騎居た。

「アヴィケブロン、かな?」

思わず、その名を口にしていた。それでいて無線を介さない独白であったあたり、自分も慣れてきたなと思う。

「ふぅん、ベン・ガビーロールなんだ。てっきりラビの誰かかと思ったけれど」

トウマを一瞥してから、また、クロは閲するように状況を眺めやる。品定めするような視線は、戦況を理解しながら、今後の戦いに思いをはせているようにも見えた。

(映像確認した。片方は古代ローマの軍隊と見て良いだろう。片方の勢力はいわゆるゴーレムと呼んで間違いない)

妙にはっきりとロマニは断言すると、(どう思うかな、みんな)と言葉を続けた。

(トウマ君はどう思う?)

「参戦すべき、だと思います。どっちが敵か味方かわからないけど、あれがこの特異点の鍵を握る事態なのは確かだから」

(事態に介入すべき、ということだね)

言葉を繋いだリツカは、続けて頷きのような相槌を打った。

(トーマ君のアイディアで行こう)

「じゃあ、リツカさんも?」

(いや、私は今あの戦いに介入すべきではないかな、と思った。だってどっちが敵か味方か不明瞭だからね。でも、積極的介入の方が手っ取り早い気がしたからね。だから、君の案で行こう!)

(すみません、ですが敵味方が不明確なのに戦闘に介入するのは危険ではありませんか?)

(それは大丈夫、マシュ。見れば検討くらいはつく。ドクター、クロの視覚情報データリンクで共有できる?)

(あぁできるよ。クロちゃんもいいかな?)

(いいわよ)

矢継ぎ早に指示を出した後、リツカは(じゃあ、私の存在価値を示さなきゃね)と軽やかに言って見せた。高校生が自宅で言う『ただいま』くらいの声音は、話している内容とは酷く乖離している。その乖離は明確に存在したまま、藤丸立華という存在はその不自然を奇妙な自然さで内包する。驚嘆にも似た畏怖、とでも言おうか。ともあれ生唾を飲み込んだトウマは、眼下で群れ為し犇めく影を眺めやった。

大体、1~2分。よし、と小気味良く頷くと、

(ローマ帝国っぽい方に参戦しよう)

と高らかに言いやった。

何故、とトウマは聞かなかった。漠然とだけれど、彼女の推量は多分当たっている、と思った。論拠はない。ただ自信に満ちた彼女の弁は、聞くものを信頼させる何かがあった。

「それで。どうやって援護に入るわけ?」

(うん。トーマ君とクロは紡錘陣形の後背に火力投射をしてもらいたい。でもあんまり派手に敵後衛を吹っ飛ばしちゃダメ。私とマシュは敵勢力の突端に強襲、敵の突破力を漸減する。戦闘の決着までそう時間はかからないと思う。いいかな?)

「了解、リツカの言う通りにするわ」

「俺も、大丈夫です」

(わ、わかりました)

(よーし、行こう! 賑やかにね)

直後、爆発的な衝撃が背後から膨れ上がった。ぎょっと空を見上げると、飛翔する影が1騎、空を切っていく。

いや、正確には、それはサーヴァント1騎とマスター1人。リツカを抱えたマシュは、何をやったか120mm徹甲弾さながらに状況へと突撃していった。

「マシュ、あんなことできたのね」

呆然と見上げるのも束の間。一歩を踏み出し山際から顔を出したクロの左手には、既に黒塗りの洋弓が握りしめられていた。

「―――投影、開始(トレース・オン)

紡ぐ言葉は僅かに1節。魔術の詠唱というよりも、それは異能を発現させるためのルーティンに近しい。虚空を掴む様に突き出された小さな掌の上で、光芒が瞬いた。

朧な光とともにまず空虚な骨子が浮かび上がる。中身の無いはずの、虚ろな骨子。されど1秒後には、明瞭な現存在が存在していた。

捻じれた、矢。紡錘型をした歪な鏃を持つそれは、その実、剣であった。

矢を、弓に番える。左手の甲に矢を添えること僅かにコンマセカンド。彼女の鷹の目は彼我距離6kmにも関わらず、正確に戦術目的に適う地点を捉えていた。

右手の指が、弛緩する。張り詰めていた力が一挙に解放されて射出されると同時、クロの艶やかな口唇が、その銘を呟くように漏らす。

「『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』」

さながらそれは、箒星のようだった。

ランクにして、A。絶大な神秘を撒き散らしながら6kmを数瞬で疾駆した(グレネード)は。

「弾着、今!」

目標地点を抉ると同時、膨大な魔力の奔騰を巻き起こした。

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