fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
AM.4:40
アルプス山脈、山麓。鬱蒼と茂る樹々には、早朝の薄靄が重く這いずり回っている。有視界距離はおよそ3~5mほどであろうか。さらに、獣道すら無い山間。およそ人間が健全な活動を行う条件を全く満たさない状況の中、整然と息を潜める一団が居た。
人数にして、5人。部隊規模としては極めて小規模ながら、野の獣以上の静けさと警戒を湛えている。その小集団の練度を自然と感じさせる彼らは、地面をほんの僅かに軋ませる振動音を耳朶に響かせていた。
リーダーらしき男が、右手を上げる。それを合図とばかりに、4人が弓を構えた。
これまでの戦闘から、敵のゴーレムの感覚器官の感度は人間のそれを上回ることは実証済みだ。下手に音を立てれば、それだけでこちらの存在は露見する。そのプレッシャーだけで、並の人間であれば焦燥のままに軽挙の愚を犯しただろう。彼らにはそれを犯さないだけの強かな精神があり、またその精神を形作るだけの実績と経験があった。
リーダーを務める男の手は、まだ下がらない。じれるような1秒は数時間にも感じられた。それでも男たちは悪路の中弓を構える形を一切変えず、その瞬間の到来を待ち続ける。
無限にも思えるほどの、夢幻の如き刹那。恐るべき一瞬は、実際のところは3秒ほどだった。そうして3秒の刻が進んだ後、男の右手は、朽木が倒れ込むように振り下ろされた。
貯まらず、弦に束縛されていた矢が猛突した。白い靄を切り裂いた矢は、その実さらに四方から降り注ぎ、静粛行動中のゴーレム10騎を忽ちに打ち砕いていった。
その後の行動は、脱兎を思わせる。短弓を抱えたまま、樹々の間を驚くべき速度ですり抜けていく総勢4人。1人は既に単独行動に入り、滑落さながらに山を駆け下りているに違いなかった。
と。
一際鈍い振動が、足元を揺らした。一瞬だけ4人は顔を見合わせたが、フードを被った姿のせいもあり、互いの表情は一切不明だった。
不明だったが、何が起きたかは皆理解していた。どこかのチームは運悪くゴーレムと接敵。恐らく誰かが引き潰され、挽肉になったのだろう。振動の反響からおよその位置を想定することも出来たが、4人は無駄な思考は一切しなかった。
先頭を走るリーダー格の男が手信号を背後に送る。状況変化から予定の修正を伝えると、男は背後を確認するでもなく予定外の悪路を奔り抜く。
次は自分の番かもしれないのだ。その可能性を極力排除するためにこそ思考の全てを捧げることが最善であり。生き残った後に死んだ人間への弔いをすることこそが、彼らの義務であることを、よく知っていたのだ。
当初予定とは異なる横穴に飛び込んだリーダー格の男に続き、一拍置いて3人が滑り込む。矢筒から矢を引き抜き短弓に構える動作はほぼ同時。ぎちり、と矢を引き絞った3人は、リーダー格の男が掲げた手を注視した。
※
AM5:20
メディオラヌム前線指揮所
「シバイ様!」
宿のドアを押し開いた兵士は、その瞬間に切迫の気勢を喪っていた。
窓辺に佇む、小柄な少女。陽を浴びる金色の髪は、黄金をそのまま細く伸ばしたかの如き豪奢さを感じさせる。
深窓の令嬢。そんな言葉が、自然と沸き起こる。それでいて赤い眼差しに揺蕩う奇妙な様子は、淑やかさの裏に猛々しい獰猛さが潜んでいるように思われた。
「敵か?」
そうして声を開いた少女は、その可愛らしい外見とは全く相反する威圧的な声だった。
「はい、第二予定座標から報告がありました。敵規模は不明、遅滞戦闘は継続してるとのことです」
「ご苦労」特段逡巡する素振りも無く応えると、少女は再度窓から外を見上げた。「無用な戦闘は避けよと伝えろ。野伏どもを育て上げるの安くないのだから、とな」
「承知いたしました」
※
「さて」
コートの内ポケットから、目薬を取り出す。赤く腫れた眼球に薬液を垂らすこと、2滴。強く瞼を結ぶと、辛気臭い溜息を吐いた。
眼を開く。既に赤い色は光彩に無く、空色の目に戻っていた。
「カルデアの。聞こえているか」
(はいはい、何かな)
目の前に、通信ウィンドウが空中投影される。青白い画面には、作り笑いを顔面に張り付けた男の顔が映っていた。
「相変わらず、繊弱極まりない不愉快な面だな。飼い犬に手を噛み付かれ、狂犬病になって死そうな面だ」
(えー、開口一番それですか?)
「事実だから仕方あるまい」言って、司馬懿は微かに眉を潜めた。「いや。ライネス殿、徒が過ぎるな」
ふふん、と胸中で別な声が沸き上がる。己の依り代たる少女、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテの性向が影響して、なんというか嗜虐的というか罵倒が口をついて出る。生前はもっとこう、慎重というか良識のある性格だったはずなのだが。
《火の無いところに煙は立たないというじゃないか、軍師殿。生前、一体いい子ちゃんの顔の裏でどれだけ罵倒を陳列していたのか興味があるね?》
などと言ってくる。なぁそうだろう軍師ィ、といじいじしてるく依り代様のことはとりあえずスルーすることにした。
「両名とも、既に配置にはついているか」
(うん、第二・第三防御陣にそれぞれ陣取ってる)
司馬懿は無言で頷きを返すと、1人。内心で言ちる。
全て予定通り。勝負自体は戦術というより奇術の類なのは司馬懿自身としては気に入らないところだが、敵サーヴァントを確実に殺しきるにはこの布陣こそが最適だと理解していた。
後は、彼らが上手く動くだけだ―――。
3人の顔を思い浮かべ、司馬懿はもう一度、小さく頷いた。
軽やかに、指を鳴らした。身体を燐光が包んだか、と思った瞬間に、彼女の装いは一変していた。
普段のコート姿では無く、近現代の軍装を思わせる背格好。頭にちょこなんと乗った軍帽の位置をちょっとだけ修正すると、ふんす、と鼻を鳴らした。
「それじゃあ行こう。慎ましやかにね」
※
「ふぁ、ハァ」
ぶわっくしょん。
とは、とりあえずならなかった。咄嗟に口元を抑えた立華藤丸をじろりと睨みつけると、赤いアサシンは特段何も言わずに視線を元に戻した。涙目になりながらプルプルと震えながらも、トウマは少しずつ、呼吸を落ち着かせていた。
開戦したと思しき時間から、まだ10分。情報が曖昧なのは、開戦より遥か前から3人は無線封鎖状態で作戦を開始しているが故だった。
遥か遠く、平原から喊声が立ち上る。敵の戦力がゴーレムである以上、その声音はローマ帝国軍のものだろう。敗北を間近にした悲鳴なのか、それとも勝利を目にした歓声か。輪郭のぼやけた声ではどちらとも判別がつかないが、作戦が順当に推移しているならば、どちらでもあってどちらでもないだろう。
無駄な思案は、そこまでだ。所詮、この身はただの暗殺者。戦略戦術などという大局を勘案するなどという、分不相応な遊戯は興味の外だった。
半ば思考放棄しながら前に進みかけたアサシンの手を、誰かが掴む。足を止めて振り返ると、眼下から、赤い外套の少女が酸化銅の目を向けた。
何を意味しているのかは、よくわかる。煩わし気な様子でクロエが紙の地図を広げると、無言で指示し、次いで周囲の樹々につけられた痕へと指先が向かっていく。
敵本陣へと続く、僅かな獣道を示す痕だ。なんら魔術的痕跡を持たないそれは、帝国軍の索敵班が事前に潜入・開拓した侵攻路を示すものだった。
ちら、とクロが横目を流した。薄く額に汗をかいた黒髪の少年は、熱心に地図と周囲の状況を見比べているようだった。
呼吸は僅かに荒い。肩を揺らして息を吐く少年の顔色は、決して良くなかった。
精悍、などという言葉には程遠い。精強さもなく、気鋭も感じさせない。生半な練度でサーヴァント2機の静粛行動に追従する様は、度し難い愚か者にも見える。
だが、ここまで遅れていない。クロはいくらか気遣っている様子だが、それでも進行速度はむしろ早めに推移させている。アサシンに至っては足手まとい扱いで気にもかけていないのに、16歳の黒髪の少年は、弱音の一つも吐かずについてきている。
サーヴァント戦のプロフェッショナル。そう、クロは言った。彼女が並べ立てた証拠とやらも、少女らしい誇大妄想が入り混じった戯言だとばかり思っていたのだが。
誇張が無いわけではないにせよ、事実無根の虚言では無いのか。
アサシンの視線に気づいたか、トウマは束の間目をぱちくりさせると、ヒェと奇妙な音らしき呻き声を漏らした。
何故か、この少年は自分に妙な恐怖感を抱いているらしい。
アサシンは、客観的にそう理解する。
理解するが、だからと言って、誤解を解いたりするようなことも特にしない。暗殺者のクラスで召喚された無銘の男は、生前からそのように生きて死んだのだから。抑止力の駒になろうと、人理の危機とやらで召喚されようと、その在り方はもう、変わる余地はないのだ。
―――有用な戦力なら、それで良い。優秀な味方は戦術行動に利益になる。無能であれば、その時は。
アサシンはトウマから視線を逸らすと、ただ一路を目指した。