fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
開戦から1週間。
現時刻、AM6:30。地中海特有の気候とでも言うべきか、天は青々と延び広がっている。やや乾き気味。温帯湿潤あるいは冷帯湿潤気候の日本で暮らしてきたトウマには、やや慣れない環境ではある。時折南から吹いてくるじめっとした風は、あまり心地よくはなかった。
そんな慣れない環境にも関わらず、既に少年は環境に馴致し始めていた。長距離遠征の疲労も既に抜け、毎日健康的な生活を送っている。
「まぁ、でも戦争ってそんなものでしょ?」
宿営のための天幕の中、クロはやや気だるげに言った。一応赤い外套姿をとっているが、その佇まいは、即応待機状態とは思えないやる気の無さだった。
「ずっと殺し合いに気を使ってたら滅入っちゃうもの。時々殺し合いして、いつもはのほほんと暮らしてる。そのくらいが一般兵士には丁度いいのよ」
「オルレアンではそんなこと聞いたけども」
「現代だってそうよ」
言いながら、クロは地べたに座り込んで、チョコバーを頬張っている。はっきり言って退屈らしく、最近は夜な夜なカルデアとの通信を介して、ライブラリに保存されていた深夜アニメを眺めているらしい。
拍子抜けするなぁ……なんて、トウマは首を傾げる。延々と殺し合いしているよりは遥かに良いけれど、それでもなんか、調子は狂う。
……まぁ、そういうトウマも、クロと並んで栄養補給用のゼリーなんかを吸っているのだが。
「もーほら、目やについてるわよ? ちゃんと顔拭いた?」
「あ、ごめん」
ぐいぐいと濡れタオルで顔を拭われるトウマ。モテない男子高校生など、身だしなみにさして気を払わないものである。あるいは身だしなみに気を使わないからモテないのか。
「あ」
「え?」
「えい」
「痛!?」
「鼻毛が」
「いいよそこまでは……」
「……君たち、何をやってるんだい」
ひいひいと涙目になったトウマが入り口を振り返ると、酷く嗜虐的な視線とぶつかった。
空色の目は素朴な美麗を感じさせたが、そのかんばせはあまりに残忍だった。美少女の面影に浮かんだ残虐さに……というか、なんか普通に恥ずかしいところを見られた気がして、トウマは「わぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「あら、来てたの?」
「目をふくあたりから見てたさ」素っ気なく言うライネスは簡易チェアに腰かけると、しげしげとトウマを見下ろした。「それにしても良い趣味じゃあないか」
「幼い少女に整容してもらってご満悦とは、とんだ趣味だ。なんだい、君は幼な妻を侍らせる夢でももってるのかな? なんともまぁ、上品な趣味をお持ちなようで。だとしたら、普通に不快感を覚えるところだが」
それから、種牡馬も赤面するほど卑猥な言葉をいくつか並べてトウマの反論を封殺した後、ライネスは重々しく咳払いした。
「用事があったのを忘れていた」
「それで、何の用で来たわけよ」
呆れたようなクロの表情に、珍しくライネスは赤面を返した。「
「重大な話があるのだよ、少年君」
一切、遊びの無い顔でライネスは言った。生真面目そうな顔に思わず生唾を飲むと、トウマは遂に、と覚悟を決めた。
なんだかんだ言って、この作戦の総指揮はライネスこと司馬懿が執っている。今まで姿を現さなかった彼女がようやっと姿を現したということは、即ち―――。
「いや暇で暇で死にそうだったからさ、お茶でもしないかなと思って……ってギャグマンガみたいにずっこけたね?」
「いやだってこのタイミングでそれ?」
よろよろと身体を起こしたクロの不平に、ライネスもどこか気恥ずかしそうに口を尖らせた。
「仕方ないじゃあないか。実際敵が攻勢に出ることはないだろうし、知略も何もあったものじゃないだろう、この戦い」
「そうですけども」
「じゃあ何か、君にはこの状況を打開して、工房に籠城を決め込んでいる敵をお手軽に叩き潰す手段があるとでも?」
「イエナンデモ」
ライネスは不満と満足を同時に惹起させて、高らかに鼻を鳴らした。
「それで、どうするんだい。私とお茶をするかしないのか、はっきりしてもらいだいんだけど?」
酷く驕慢な睥睨だった。
思わずクロと顔を見合わせると、2人はちょっとだけ顔を綻ばせた。案外、子供っぽいんんだなぁという共通了解がクロとトウマの間に生まれたのは、何も言葉を交わさずともわかったことだった。
のんびりと、トウマは立ち上がった。なまり始めた身体は、緩慢な動作ですら軋むようだった。一度伸びをして身体を解すと、
「じゃあ、ご招待されましょうかねぇ」
そうして、クロとトウマはのこのことライネスの後を続いた。
ライネスあるいは司馬懿が宿営する天幕は、さして遠くない場所に設営されていた。途中、呑気に裸で遊びまわる兵士やら、自分の男根に紐を括り付けて「犬の散歩だぜ」などと嘯く兵士やら、石を投げ合って遊ぶ兵士やらに遭遇しては3人で困った表情を作った。
「まぁ士気が低くないってのはいいことさ」
ライネスは、呆れを全く隠さずに言った。流石に“犬の散歩”に遭遇した時は指導していたようだが、その他低能な遊びに耽る兵士たちに小言は言わなかった。
「だって意味がないだろう」自分の天幕を潜ったライネスは、鼻白むように言った。「別に何かしら害を為したわけでもなし。あーやって、退屈を凌いでストレスから目を背けてるんだ。無用に叱り飛ばしても、百害あって一利なしだよトウマ」
「まぁ、流石に猥褻物を陳列するのは困るけど」そう言って、ライネスは眉間に皺を寄せながら紅茶を啜った。カルデアからの物資である栄養補給ゼリーを同時に吸うライネスの顔は、ちょっとだけ不満げだ。多分、菓子類のバリエーションが少ないことが不満なのだろう。それでも明言しないあたり、不満はあれど満足の方が大きいということなのかもしれない。
「アナタ、
「一応ね」
クロはテーブルの上の菓子類にはさして興味も示さず、砂糖を山盛りに投入した紅茶をちびちびと飲んでいた。流石“フォン”を名乗るだけあってか、紅茶を嗜む姿は絵になっているように思う。少なからず、ずるずる音を立てて飲茶するトウマよりは、遥かに教養を感じさせる身振りだった。
「お茶会なんてする暇もなければ物理的にも難しかったからねぇ。無趣味な私としては、君たちが来てくれてよかったよ」
栄養補給ゼリーのパックを丁寧に圧し潰すと、ライネスはチョコバーへと手を伸ばした。びりびりとパッケージを剥いて現れた黒々としたチョコレートの塊の匂いを嗅いでから、小さな口で頬張りはじめる。
「一食10万のレストランとか、フグ料理とかいろんなものは食べたけど」ぼりぼりとチョコレート菓子を咀嚼したライネスは、どこか懐かし気に自分が食べかけたチョコを眺めた。「こういう非常食を食べると、なんというか安心するよ」
「結構、お金持ちそうだけど」
「いやいや。元はお金持ちだったけど、色々あってからは名ばかりの貧乏貴族さ」
紅茶を一口。ライネスは肩を竦めると、自虐的に笑った。
時計塔。いわゆる型月厨としてそんなに練度は高くないトウマだけれども、その名前はなんとなく知っている。
曰く、魔術協会の総本山。他の三大部門と比して門戸が広いことから、世界各地より魔術師が集い、研究する場所でもある。例えばFate/Zeroに出てきたウェイバー・ベルベットも、代は浅いが時計塔への入学?を許可されたりしている。
もちろん、幅を利かせているのは何代も魔術を研究する名家であったりするのだが。門戸が広いからとて、簡単に頭角を現せるかどうかはまた別問題ということなのだろう。
今、頭の中で浮かべたのは、言ってしまえばTYPE-MOONの世界観の話だ。言い換えれば、アニメや漫画の中の話を思い浮かべた程度の話。だが、目の前で優雅に携帯食料をむしゃむしゃする端麗な少女は、その世界を血肉を以て生きてきた人物なのだ。
なんだか、思考が混乱する。そもそもこの世界はアニメだとかゲームだとかそういう世界で、自分はそこに入り込んでしまったのか。それとも、並行世界だかの果てにこういう世界が実在しているのか。それすらも、トウマには判別し難かった。
そもそも、深く考えても仕方のないことなのだろう。とりあえず、トウマはそう理解している。第一、目の前で楽し気に話をする2人の少女は、確かな血肉を持つ存在者に他ならないように思える……十数分に一度のペースで罵詈雑言が飛び交うのが果たして楽し気なのか、と聞かれると、トウマとしても返答に窮するところではあるが。まぁ、本人たちが至って無邪気な笑顔を見せあっているのだから、ウマは合うんだろう。
1時間ほどもクロと温和な顔で罵声と皮肉と揶揄を浴びせ合うと、ライネスは3杯目の紅茶をするすると飲み干した。彼女の舌を満足させるほどの味ではないのだろうが、それでもこのローマに召喚されてより初めての紅茶は、彼女の趣味をある程度は充足させたらしい。安い茶葉に軽い皮肉を叩く仕草は、大変機嫌がよろしい様子だ。
「それで?」と鼻歌交じりに言ったライネスは、綺麗な空色の目をトウマに向けた。「今回の戦闘に際して、君の意見をお伺いしたいところだが」
「俺の意見、ですか?」
目を丸くするトウマに、ライネスは呆れたように肩を竦めた。
「本当に、ただの暇つぶしのために君らを呼ぶわけないだろう? それとも、君は私がそんな暇人に見えたのかな? だとしたら、随分尊敬されたものだね」
白いかんばせを歪ませたライネスは、全く以て演技臭い。嗜虐心に満ち満ちた顔は、小鹿を前にした獅子の如くであろう。流れるようなプラチナブロンドの髪は、人毛というよりは
「全うな戦術・戦略に関して君に聞くべきことは何もないよ」
ライネスは、ばっさりと言った。全く以て遠慮のない物言いは、むしろ清々しさすら感じられる。嗜虐的な表情はどこへやら、賢母とすら言えるような機微の表情の意味を、トウマは、なんとなく理解した。
「指揮に関してであれば、リツカに意見を仰ぐ。もっと個々の戦闘に関してであれば、クロエに聞くだろうね。不意の奇襲を考えるなら、エミヤに聞くだろう。つまるところ、君に聞くべきことはそれ以外というわけさ」
「敵のサーヴァントについて、かしら」
「うん。そういうことだ」
どこかつまらなそうに、ショートブレッドに似た栄養調整食品を頬張るクロ。口の中がパサつくのか、食べては紅茶を口にしている。
「エミヤクンに聞いたよ。キャスターを制圧できたのは君の鑑識眼があってこそだったってね」
トウマは、思案するように紅茶をずるずる啜った。
脳裏に、赤いフードのアサシンの姿が過る。今は別な部隊で動いているらしい男の幻影にちょっとだけ身を縮ませてから、トウマは渋々とティーカップ越しにライネスを見やった。
空色の目は、変わらずこちらを見ている。そそくさとクロへと視線を向けると、素知らぬ様子で紅茶を飲んでいた。
これは責任重大だぞ、と思う。間違ってサーヴァントの情報を伝えれば、それこそ今後の戦いの方向性を間違えることになる。
―――既に倒した2騎のことは、今はいいだろう。だとすれば、考えなければならないのは、既に遭遇した2騎と、存在が確実視されるゴーレム使いの1騎だ。
「正直、あのバーサーカーと名乗った人のことは、よくわかりません。女性の鎧武者となると巴御前が思い浮かびますけど」
「印象が異なる、と」
トウマは、頷いた。続けて、と小さく頷きを併せるライネスに、トウマは若干吃りながらも、思考を続けた。
「バーサーカーというクラスも、巴御前を思わせる要素です。平家物語で敵の人間を素手で捥いだ逸話は、狂戦士という言葉を思わせる。でもなんというか、あのバーサーカーは、とても理性的で温和で、全然そんな感じがしなかった」
トウマは言いながら、空中に映像を投影させた。魔術礼装の機能の一環だ。
「確かに、これバーサーカーというよりはセイバーよね」
ゼリーを吸い吸い、クロが言う。そっけない態度が、少しだけ緩和しているような気がした。
「撤退しながら、クロの狙撃を全部切り落としてた。狂戦士であんな冷静な判断ができるなんて、ちょっと普通じゃあないと思うんです」
「クラスを偽っている、と?」
「いや、そうじゃないと思います。クラスの存在は、それこそ真名を隠すためのもの。クラスを偽る意味は正直ありませんから」
「じゃあ、むしろ逆かしら。あの理性的な側面こそが狂気の産物、みたいな?」
「内包する狂気が生み出した
ここまでが、現状の思考の限界だった。
人智を超えた何か、と言われるとそれが何なのかまでは、流石にわからない。武者姿なのだから、それこそ毘沙門天の化身ともいわれる上杉謙信もあるだろう。なんからの仏性神性を持った何か、という推定は成り立つが、それ以上の同定は選択肢が多すぎて無理そうだ。
ライネスは、手慰みに上唇に指を滑らせていた。何か思案しているらしい。それも10秒ほどで、「説得的だね」と口にしただけだった。
「他は?」
「赤毛のライダーが誰かはわかります。ブケファラス、という名前からして、アレキサンダー大王かなと」
「なんだって?」
「え。いや、あー、イスカンダル大王と言った方がいいですかね」
不意に立ち上がったライネスに、トウマは特に意味もなく別名を上げた。だがなおのこと目を丸くしたライネスは、そのまま椅子に座ると急速に思考を回転させはじめたようだった。
ブケファラス。確かにあの時、赤毛のライダーはそう口にした。そしてその名の馬を操る英雄は、一人しか居ない。
それこそが、征服王イスカンダル。人類史にあって、世界征服という幼稚極まりない行為を達成しかけた人物は何人かいるが、イスカンダルは最初の1人だろう。
Fate/Zeroのイスカンダルとは大分……というか全然姿かたちが異なるけれど、子ギルみたいな例もある。あるいは李書文というべきか、例えばイスカンダルの幼少期もまた一つの全盛期であるが故、幼い姿で召喚される可能性もある……かもしれない。
……などと考えている間に、ライネスはおおむね思考をまとめたらしい。例によって猛獣めいた媚笑を口角に浮かべると、「納得いったよ」と小さく声を漏らした。
「何よ、1人でニヤニヤして」
「いや、ちょっと……というかメチャ愉快なことになりつつあって愉しいんだが、まぁ私のプライベートの話さ」
うんうん、と1人で頷くライネス。何のことやら、とクロに視線を向けてみたが、彼女もきょとんとするばかりだった。
「プライベートの話はともかく」咳払いを一つ。生真面目な素振りを取り戻したが、果たしてそれが自律によるものなのか、内面性に沈殿する司馬懿からせっつかれたからなのか、なんとも判別し難い。「他には何か、あるかな」
「例えばあのゴーレム。あれを呼び出しているものについて、見当がついてたりするんじゃあないかな」
「それは」
言いかけて、トウマは言い淀んだ。
ライネスの言う通り、トウマはゴーレム使いについて既に目星をつけている。間違いなく、あれはアヴィケブロンのスキルによるものだ。
だが、現状、アヴィケブロンと同定するだけの資料は何もない。資料の無い状況から、アヴィケブロンという回答を導き出すのは、あまりに不自然ではないか。
2秒ほどの逡巡。いや、と言いかけた瞬間に、「アヴィケブロンだって」と声が耳朶を打った。
「うん?」
「ソロモン・ベン・イェフダー・イブン・ガビーロール。あるいは、アヴィケブロン。ユダヤ教の哲学者で、詩人。それが敵のゴーレム使いの正体、らしいわよ」
クロはつんとしたまま言うと、それ以降は我関せずというように菓子をつまんだ。
「人類史でゴーレム使いは何人かいるのでしょうけど、破壊されたゴーレムの痕跡を見るに、アヴィケブロンが妥当かな、と」
トウマは、酷く早口で応えた。理屈としてはありがちな言葉を並べたが、果たしてライネスは納得したのか。恐る恐るといった様子で彼女の顔色を伺ったが、普段と変わらない表情は何を考えているのかわかりにくい。ポーカーフェイスが上手いのは、やはり軍師司馬懿としての特性なのだろうか。それとも、ライネスという少女のものなのだろうか。
いや、ライネスの風采は、単なるポーカーフェイスではない、と思った。無表情の中に揺蕩う慈愛にも似た表情。それでいて作為に満ちた面持ちは、見る者に、何かを話させようとさせる効果がある。
それが魔術の一種なのか、それともコールドリーディングの一種なのか。トウマには判然としなかったが、思わず、口にしていた。
「予想ですけど」それでも言葉を探したあたり、やはりそれは強制の魔術とは質を異にするものだったのだろう。「アヴィケブロンの宝具は、原初の人間を創造するものなのではないかと」
「へぇ?」
と口にしたのはライネスだったが、関心をより強く寄せたのはクロだった。真名を推測するまではまだ推理の範疇だが、宝具の全容まで語るのは明らかに妄想・空想の部類だ。それがもし的中していた場合、トウマの来歴に疑念が持たれるのは必定だろう―――察したクロは素早く暗示解除の魔術を発動させかけたらしいが、結局は何もしなかった。逡巡して、傍観することを選らんだようだった。
「アヴィケブロンという英霊……あるいはカバリストの本質は、最もゴーレムらしいゴーレムの創造にあります。今のところ作られているゴーレムは、有り体に言って兵器とかそういったものに過ぎません。至高のゴーレムというには、あまりに拙い」
「即ち、より完成されたゴーレムの創造がゴーレム使いの精髄であり、それこそが原初の人間であると」
自分で淹れた紅茶をちびりと口に含むと、ライネスは思案するように目を細める。一瞬だけ手を彷徨わせた後に掴んだ栄養調整食品のビニールを剥くと、さして旨そうな感じもなく齧り始めた。
「確かに新プラトン主義的ではあるね。より世界の中心たる実体というか存在に近いものを想定するのは、魔術師的でもある」
「根源の探求、でしたっけ」
「そう。まぁ、ほとんど詭弁になりさがっているけどね。権力闘争の方が、みんな性に合ってるのさ」
ライネスは、愉快そうに嗤った。元の人格は時計塔の貴族だというのだから、そのころの感慨という奴なのだろうか。それにしても権力闘争が性に合うというのも、ろくでもない世界だなと思う。
「つまるところ、敵には最低限、戦術的優位を容易に覆す切り札が1枚あるということか」
呆れるトウマを他所に、ライネスは独り言ちる。あるいは司馬懿の
「随分味な真似をするねぇ―――?」
※
「ジャックー?」
ぽて、ぽて、とでも音が聞こえそうに歩く少女は、きょろきょろと宮殿の中を見回していた。
羊毛のような白い髪の、ちっこい女の子。アルテラ、と名乗る少女は、漂白剤で脱色したみたいな髪の、自分と同じくらいの女の子を探していた。
「どこー、ジャック。もう時間だよ」
いつも、名前を呼ぶとどこからともなく現れては、遊び相手になってくれたりするのだけれど。
「ご飯だって、ブーディカが」こんな嘘も、ついてみる。「スパゲッティ? とは……ハツ?の赤ワイン煮だって」
それでも、ジャックは現れない。おかしいなぁ、と小首を傾げながら、ぽてぽてぽて。
どのくらい歩いたかもよくわからず。なんだか遠くから地鳴りがするなぁ、などと思いながらベランダを覗くと、白い影が跳び込んだ。
勢い、名前を呼んで飛び出した。喜々、と顔を綻ばせたアルテラは、しかし、その姿にきょとんとした。
「おや」
ベランダの柵に腰を下ろした、白い影。曖昧な輪郭のそれはアルテラに振り返ると、照れ笑いのように表情を緩めた。
「フォーウ!」
「あ」
その白い影から、ちょこんと小さな獣が飛び出す。きゃうきゃう、と頭に飛び乗ったフォウに気取られながらも、アルテラはその影を注視していた。
「そうかぁ、君は正確には、人間じゃあなかったね。人避けの幻術なんか効かないわけか」
よっこいしょ、と柵から飛び降りた白い影。フードから覗く顔の表情は伺い知れないが、なんとなく。悪い人じゃあないなぁ、と思った。
「いやーどうかな。僕は結構人でなしだよ」
ワッハッハ、と大らかに笑う様は、とても悪びれてるようには見えない。
「名前はなんていうんだ?」アルテラは怪訝になりながらも、それ以上の好奇を惹起させていた。「ジャックが言ってた。友達になるには、名前を知らなきゃいけないって」
「へぇ、いいことを言うなぁ彼。いや彼女かな?」白い影の口元が無邪気に緩む。「アルテラ、君は僕と友達になりたいのかな?」
「いや別に」
「アッハイ」
子供は素直だった。好奇はあれど、やはり怪訝も小さくない。そんな少女の視線に苦笑いした白い影は、フードを脱いだ。
「僕はマーリン。人呼んで花の魔術師。気さくにマーリンさん、と呼んでくれ」
「なんでそんなどや顔なんだ?」
「私のこと、知らない? アーサー王伝説とかで結構有名だと思うんだけど」
「知らない」
「お、おお……これはこれは」
どや顔のまま固まること実に2秒。まぁそういうこともあるよね。と自分に言い聞かせた白い影……マーリン、と名乗るそれは、頷きを繰り返した。
「ジャックを見なかったかマリーン?」
「さぁ、どうだろうね」朗らかな顔のまま、首を傾げた。「それと僕はアメリカ海兵隊じゃあないよ」
「そうかー」
「探してるのかい」
「今日はブーディカと一緒にご飯を作るんだ」ふんす、と息巻くアルテラ。「ネロもトリムも、今日は忙しいっていうから」
「そうかそうか、偉いね」ふわり、とマーリンがアルテラの頭に手を翳す。触れられたかすらわからないほどに、マーリンの手は柔らかかった。「モードレッドにも見習わせたいくらいだ」
「でも残念だけど、僕もさっきここに来たばかりでね。ここのことはよくわからないんだ」
「確かに初めて見た。宮廷魔術師という奴か?」
マーリンは曖昧な顔をした。アルテラは特に気にするでもなく、そういうものだと認識した。
「ごめんね、お役に立てず」
「いいんだ。その内、多分出てくるから」
じゃあ、と離れかけたアルテラを、マーリンは特に止めることもなかった。ぽてぽてと歩き始めたアルテラは、あれ?と思った。
どうして、マーリンは自分の名前を知っているのだろう? ふと振り返ったアルテラは、けれど、そこに何も認識しなかった。
あけ放たれた窓。吹き込む瑠璃色の風は、朝に焼けて爛れている。それ以外知覚するものは何もなく、ただ網膜に焼き付いた幻が、夢のように張り付いていた。
※
「そう言うなよキャスパリーグ。そりゃあ僕だって罪の意識って奴はあるけどさぁ。でもそれとこれとは、今回だけは別だよ。前の時と今回は違うっていうか、全然違うじゃない。キング君がいいんだったら、僕だって個人的肩入れをしたっていいだろう?
……イタ。イタタ。痛いじゃあないか。嘘じゃないよ、肩を持つってのは本当。まぁこんな面白そうなの、遠くから見てるだけなんて勿体ないとは思ったけど―――って痛ァ!? 僕は人間じゃないぞ!? いくらお前が月蝕姫のペットだからってだなぁ、夢魔の殺害kブフォウ!?」