fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
63話です。
「そうか、やっと戦いが始まったか」
トリムマウから情報を受け取ったネロ・クラウディウスは、その時、私室に居た。
出陣する兵たちを見送って、もう2週間は経っている。当初は逸るような気分を抑えられなかったが、戦線が停滞した頃からなんというか興味が色褪せ始め、最近はそんなこともあったなと思うほどに記憶の隅に追いやられていた。そうせざるを得ないほど、日々の皇帝としての業務は多いのだ。
だから、その報告を聞いた時、感情の置き所に迷った。遂に始まったという感慨はあった。それと同時、すっかり失念していたことに対する疚しさもあった。それと、この日は完全にオフだったのである。雑務をトリムマウに請け負ってもらい、2週間ぶりの余暇に気を抜く最中の出来事だっただけに、虚を突かれてしまったのだった。
「申し訳ありません、お休みのところ」
「いや構わぬ。ローマの行く末は余の行く末も同じこと。重要なことだ」
申し訳なさげに、頭を下げるトリムマウ。寛大な身振りをしてみせたのは、むしろ自分に言い聞かせるためのものだった。
「して、状況は」
「はい。どうやら偵察部隊を捕捉したリツカ様の部隊がこれを包囲・殲滅しようとしているようですが」
「そうか。いや待て、ではまだ本格的に戦いが始まったわけではないのか?」
「これから攻略に移る、と聞いていますが」
トリムマウも、やや困惑した様子で言った。姿の見えない魔術師を介して戦況はほぼリアルタイムで把握できているというが、それでも推移を辿れないほど目まぐるしく状況は変わっている。らしい。
ネロはやや思考を戦場に傾けかけたが、早々に停止させた。彼女の軍事的才覚は、決して豊かではない。考えたとしても知恵熱を出して終わりだろう、と結論を出すと、素朴に司馬懿とリツカ、クロ、あと一応トウマのことを信頼することにした。
「ネロは戦いに行かなくていいのか?」
と、ベッドから顔を出したちいちゃな女の子が言った。白いふわふわした髪の少女……アルテラの名を持つ少女は、どことなく浮かない顔だった。
「余が行く必要はないぞ、アルテラよ」
ネロは椅子から立ち上がり、ベッドに腰かけた。さわさわ、と寝転がるアルテラの髪に手櫛を入れると、ネロは一瞬口をぱくぱくさせてから、次の言葉を続けた。
「余は戦争とかそういうことに詳しくない。わからない人間がいたずらに戦場に出てくるなとシバイめも言っておった。指揮系統がぐだぐだになるとか、なんとか」
最もらしい理由を口にする。無論、これは理由として大きい。大きい理由だが、本当の理由は別にあり、そしてそれは今言うべきことではない。ネロがアルテラに言うべきことは、もっと別種のことで、もっと、柔らかな手触りの言葉だ。
と、最近、ネロは理解しだした。理解した上で、ネロはその先に進むことができないでいた。
「余はあの者たちを信じている。信じているから、任せるのだ」
言葉を続けたが、これもさして意味のない言葉だと直観した。
本当に言うべき言葉は、ある。だがローマ皇帝たるネロ・クラウディウスが口にすべき言葉でないことを、彼女はよく知っている。また、自分にその資格はないことも。
そんなネロの心情など露ほどもしならないアルテラは、無邪気そうにネロに抱き着いた。
むすぅ、とネロの胸に飛び込むちんちくりんに困惑しながら、ネロはトリムマウを一瞥する。思った通りの微笑が返ってきて、ネロはぎこちなくアルテラの身体を抱きしめ返した。
「ではこれで」
トリムマウは、早々と私室から下がった。物分かりが良すぎる臣下というのも考え物だなぁ、と顔を赤くしながらも、ネロはアルテラの体温を確かに抱擁していた。
「私、は───」
※
(こちらチャーリー、撤退する。消耗率は1割に留めた)
「了解、じゃあ適当に隠れてやり過ごして。アサシン、アナタだけはこっち来てね。脱落はまぁ、いいよ」
イヤフォンの音声に声を返して、リツカは髪の一房を弄んだ。
相変わらず何も考えて居なそうな顔のまま、彼女の目は網膜投影されるマップを見やる。
既に第三群は敗退。戦線を突破した敵勢力は、一直線に平原を猪突してくる。その速度の勇猛たるや、なるほどサーヴァントとは人智を超えているんだなぁ、と間抜けな感想を抱かせるほどだった。知識上、伝承科や召喚科で学んだことであり、これまで何度となくその勁さは身にしみてはいる。けれど、第三者的に見ると、また違った感慨がある。
「さてと」
リツカは、あと3分以内に接敵するであろう敵勢力の動きを見ながら、右側頭部でまとめた赤銅色の髪をかき回す。
突出する先頭集団は確かに早い。だがその速さに対し、後続は明らかに出遅れている。戦力を分散させる愚を、相手は招いている。
一見して愚策。だが、外見上の愚劣さに拘泥することは、それこそ愚かの極みだろう。
「ブラボー、兵力を左翼に延ばして。アルファは後続の部隊を右翼に展開。いや、半包囲じゃない。後続のゴーレムに対しての攻勢をお願い。あ、うん大丈夫。こっちの防御が手薄になるのは問題ないよ」
リツカは渋く言い募る兵士に無線で言いながら、遥か彼方に立ち上る土煙を見つめた。
赤毛のライダー、アレキサンダーとの接敵まで残り6分42秒。あるいは、それより短いか。
「敵の狙いを、かなえてあげようじゃあないか」
※
アレキサンダーの”暴挙”は、その時諸葛孔明にも届いていた。
アヴィケブロンが用意した工房、その椅子に腰を下ろしていた諸葛孔明は、ただ小さく表情を険しくするのみ。眉間に刻んだ皺が僅かに深まり、やにの吹いた目元は酷く気だるげだった。
「いいのかい。素人目に見ても、褒められた行動とは思えないが」
アヴィケブロンは工房の奥で何か作業をしながら、他人事のように言う。偵察のために作られた小鳥型のゴーレムの情報は、何よりもまず制作主のアヴィケブロンに届けられるのだ。
思案は、そう長くなかった。戦域の俯瞰図を見、2面作戦を展開する敵の布陣を確認すると、背広姿の男は草臥れたように立ち上がった。
「残りのゴーレム、500騎使わせてもらいます」
アヴィケブロンは、声も無く顔を上げた。じっと仮面の奥から中華の軍神を眺めると、特に感慨もなさげに「そうかい」と頷いた。
※
工房を去る男の背を、アヴィケブロンは特段何もせずに見送った。
互いに、顔を合わせるのは、これが最後になることを漠然と理解していた。理解していたが、二人は特別に別離の言葉を交わすこともなかった。ただ偶然にも同じ陣営に召喚された、キャスターのサーヴァント。それ以上でも、以下でもない関係性だった。
必要以上の紐帯の無い、無味乾燥な関係性。
少しだけ、そうした関係性に、侘しさを覚えた。
慣れていると言えば慣れている。生前から厭世的な男であり、希薄な人間関係そのものには今更何も感じない。ただ、諸葛孔明は───正確にはその依り代の人間は、魔術師的な厭世を漂わせながら、それでいて、人に好かれる人物だった。アレキサンダーと時折交わした会話からも、あるいはアレキサンダー本人との関わり合いからも、彼の人物像は察せられる話だった。
それを羨ましい、とは思わなかった。思わなかったが、少なからず、自分とはざっくりした関係性しか構築されなかったな、と思った。あの男をしても、自分はその程度の関係性が構築できないのだろう。
漠と、思案が巡る。
もしかしたら、どこかの可能性の世界で、自分は誰かと良好な関係が築けたりするのだろうか。あるいはあの男のように、誰かの教師のような在り方をしたりするのだろうか。「先生、先生」と呼び慕う、未来ある俊秀の若者の、教師に。
柄に無く、アヴィケブロンは夢想を広げた。時間にして1分。ふと自分が自失していたことに気づいて周囲を見渡すと、既に工房には自分だけしか残っていなかった。
一瞬の空虚。鼻で笑ったアヴィケブロンは、詮の無いことだ、と仮面の裡に小さく吐き捨てた。
仮にそんなことがあったとしても、所詮は些末事だ。召喚されれば、アヴィケブロンという英霊は、原初の人の創造を追い求めるだけのゴーレムそのものになる。そのためには、あらゆることが瑣事なのだから。そして、今回も。
束の間、頭蓋の底に燻った懊悩。
じんわりと暗く揺れる想念を、魔術師らしいたんぱくさで斬り捨てる。ぎぎ、と音でも鳴りそうなほどにぎこちなく、アヴィケブロンはいそいそと準備を進めた。
63話でした
諸事情から、大分投稿が遅くなってしまいました。
ストックも結構たまりましたので、今週からコンスタントに投稿できればいいなぁと思います