fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

72 / 232
70話です


思い煩い

 「それにしても、よかったのかな」

 独語独り言というより、それは明確な意図のあった発話だった。

 エトナ火山より北東、40km地点。

 野営地から見える火山の姿に素朴な感歎を漏らしながら、藤丸立華(フジマルリツカ)は隣に立つ少女へと言いやった。

 少女。確かにその人物は少女の姿を持っていたが、実際のところその中身は少女と呼ばれる言葉からおよそ似付かわしくない人格が詰まっていた。

 名、司馬懿仲達。場所は中華の魏にて、2世紀の時代に生を受けた名門の家系、司馬氏の俊秀として生きた男である。後に西晋の太祖に祭り上げられた男の才気は、その時代最強の知悉と呼ぶことも可能であろう。無窮なる文練を高めた男こそは司馬懿という人物であった。

 そんな時代の寵児たる司馬懿には、一見似付かわしくない少女。疑似サーヴァントとして召喚される司馬懿の依り代として選ばれた少女の名を、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテと言う。品性と礼節を弁えながら、その奥に存分に嗜虐を満たした名門家の少女は、我の強さに反し───あるいはその我の強さ故か、あまり表に出ることを善しとしていなかった。というよりは、適材適所を意識してのことだろう。ライネスはそこそこに優秀な知性を持っているが、他に冠絶する頭脳を持っているわけではない。天才の言語を理解するだけの能力はあるが、天才的知性の持ち合わせはない。そんな彼女が矢面に立つよりも、司馬懿の人格が表に居た方が理に適っている。ある意味で似た者同士である2人の協議の結果、公的業務は司馬懿が請け負い、私的な生活ではライネスが表に出る、といった役割分担となっていた。

 「問題があるとは思わないが」

 だから、その時立華リツカに返事をしたのは、ライネスではなく司馬懿である。ライネスと異なり、全く以て面白みのない合理的判断をもとにした発言であった。

 「クロエのバイタルデータに不調は見受けられない。本人も好調、と言っている。何か不都合が」

 「いや、別に。まぁ独り言みたいなものかな」

 リツカは少しだけ、決まり悪そうに一つ結びの髪をわしゃわしゃする。ぽかん、とその姿を見やること2秒、得心した司馬懿は、すぐに人格を後退させた。

 「なんだい、私とお喋りがしたいのかな?」

 「まぁ、そんなとこ」

 人格の前に表出したライネスは、ニヤニヤとリツカに嫣然を返した。極まりの悪そうな仕草は相変わらずで、その上で、リツカも草臥れた笑い顔を浮かべた。

 「確かに心配っちゃあ心配だけどねぇ」

 ライネスはどこからともなく取り出した保温機能付きの水筒を取り出すと、こぽこぽと蓋兼用のコップに紅茶を注いだ。

 「でも単純な性能なら、司馬懿殿の言う通りさ」僅かに、ライネスは声に迷った。「カルデア、とやらのバイタルデータも、不穏を示す数値はないわけだろう?」

 「それもそうなんだけれど。でもねぇ、あのトーマ君のリアクションを見るとね」

 「何かあるんじゃないか、と思うわけか」

 深刻そうに眉間に皺を刻むライネス。板についた仕草に思わず噴き出したリツカを横目に、ライネスも危うく口に含んだ紅茶を吐き出しかけた。

 「少年君、結構大胆だよな。私とジャックが見ている前であんな熱烈に抱き合うこともないんじゃあないかな?」

 「まぁ宿では同衾しておりますしおすし」

 「マジ?」

 「卍」

 幾分か……というより、過分な誤解を招くことを話し合いながら、ライネスとリツカは愚にも付かない言葉を交わしていた。

 普段であれば、司馬懿とリツカは、仕事以外の言語的意思疎通を行わない。交わす会話は戦術戦略を含むものであり、かつ問題は解決すべき事象としかとらえない。言語的意思疎通とは目の前に聳える仕事を終えるために存在している、とすら思いかねないほどの合理主義者同士の会話がそこにあるのが常であはあるのだが、この時だけは違っていたのである。サーヴァントとして呼ばれた司馬懿はともかく。私生活においては堕落の極みであるリツカは、実務能力に反して、合理的思考は得意だが好きではないのである。

 「ロリコンかよ」

 ライネスの罵倒は、身も蓋もなかった。

 「まぁサーヴァント相手なら健全な気もするけど。ライネスちゃんもちっちゃくてかわいいから気を付けなさいな」

 「私は、れっきとした15なんだけど」

 「むしろ良いってことじゃない。ストライクゾーンド真ん中まである」

 「こっわ」

 ごきゅごきゅ、ごきゅごきゅ。紅茶とエナジードリンクを飲み飲みする絶世の金髪美少女と赤銅髪のそこそこ美少女の藤丸立華(フジマルリツカ)は、互いに顔を見合せた。

 そうして、破顔する。無二の友人、というよりは、少しだけ顔見知りの悪事を働く友達のような関係性。互いに友人に乏しい2人のその微妙な関係性は、やはり互いにとって居心地に悪くない感触だった。そしてその共通認識まで含めての、奇妙な友人感が、互いに気に入るところでもあった。

 「ま、問題ないか」

 エナジードリンクを飲み干した赤銅色の女性は、べきべきとアルミの缶を手で圧し潰した。

 「クロエとアサシン。対魔術師(キャスター)戦を考えれば、どちらも優秀だ」

応えるライネス。空色の目と鈍色の目は、遠くエトナの火山を眺望した。

 

 

 「そうか、遂に」

 首都はローマ。執務室で一報を受けたネロは、特に感情の機微も動かさずに頷いた。

 (結構落ち着いていらっしゃいますね?)

 空中投影された通信映像の向こうで、ロマニは僅かに困惑した様子だった。ネロ・クラウディウスという人物は感情的に起伏が強く、喜怒哀楽を明敏に表出する女性であったはずだ。だから、その落ち着いた様子は、ロマニには意外ではあった。

 「うむ、頭痛がするのだ」ネロは浮かない顔ながらも、精一杯に破顔してみせた。「母の呪い、という奴だ。全く、死んでからも迷惑をかける」

嘆息を、一つ。精一杯の笑みもぎこちなく、こめかみを抑えたネロは「もちろん嬉しいことは嬉しいぞ」と声を漏らした。

 「そちらの損失は?」

 (皆、壮健です)ロマニは多少、言い淀んだ。(敵のサーヴァントを2騎、撃破したとのこで)

 「それは重畳。順調で、何よりだ」

 やはり、ネロの表情は浮かない。ロマニは幾ばくかの懸念を抱きながらも、深くは立ち入らないことにした。

 こと特異点において、過剰な干渉が歴史を改変する……というSF的タイムパラドクスは存在しない。そもそもが歴史から切り離され、改悪された時間の断片こそが特異点なのだ。それを糺したところで、本流たる汎人類史の歴史そのものが改竄される余地はない。

 故に、例えばここでカルデアが過剰な干渉をすることに、倫理的問題は発生し得ない。水銀中毒に苦しむネロに対して、なんらかの的確な医療行為を行ったとて、問題はないのだ。

 だが、逆説的に言えば、問題がないことが問題だった。所詮、特異点は時間から切り離された、無時間的存在に過ぎない。そして、物資が限られるカルデアが投入できる資源には、当然だが限界がある。無意味な資源を投入できる余裕は、カルデアには存在しなかった。

さらに言えば。

 そうしたカルデアの事情を、ネロは十分に知っていた。知った上で、ネロは干渉を拒否していた。

 「姿なき魔術師(メイガス)よ、エトナ火山を攻略すれば、ローマの勝ちはもう目前なのだろうな」

 (そうなります、かね? ボクはあんまり軍事的な話はよく分かりませんが、ゴーレムがこれ以上増えなくなれば勝ちは遠くないかなとは)

 ネロは、無言で頷いた。どこか疲労の抜けやらない、やつれた顔だった。

 「そうだな」

 納得、というより。それは言い聞かせるようだった。瞑目のまま頷きもせずに呟くと、ネロは頼りない足取りで、窓辺へと向かう。

抜けるような、穹。果ての見えぬ天の階が、宙に帳を作っている───。

 「もう、終わってしまうんだな」

 

 

 「フォウ、キャーウ!」

猫みたいな栗鼠みたいな鳴き声を上げる白い毛むくじゃら。ぴょんぴょん跳ねる様は、むしろ兎だっただろうか。

 ともあれ、謎の珍生物フォウくんは、この日ご機嫌だった。何かの因果律によって機嫌がよくなったわけではなく、ただ天気が良かったからだ。

 そして、もう一つ。機嫌がよかった理由は、自分を追いかける小さな女の子の姿にあった。

 溌剌と声を上げながら白い獣を追いかける褐色肌の女の子。アルテラと名乗る少女は、健気にもフォウを捕まえようとしていた。

 「あー惜しい惜しい、もうちょっとだったのに」

 草原を駆けまわる1人と一頭を傍目に、ぼんやりとそれを眺める3人。ブーディカはだらりと草の上に足を投げ、マシュは行儀よく正座して、トリムマウはきちんと佇立してその行方を見守っている。

 「平和だねぇ」

 ぼそり。

 呑気に呟くブーディカに、マシュは少しだけ居心地悪く「そう、ですね」と応えた。

 本当に、凡庸なほどの平和だった。さわさわと揺れる草木に、びぃと遠くで鳴く獣。きゃっきゃと白いちんちくりんを追い回す黄色い声が重なる。からりと乾いた風に混じる、蒸すような湿潤の微風が心地よい。ピクニック日和とも言うべき宙の平和さは、マシュ・キリエライトが感じたことのない弛緩した時間だった。

 それが、第一の居心地の悪さ。本来であれば、マシュはマスターたるリツカの隣に居るべきなのだ。なのに、マシュはマスターから遠く離れて、無責任に時間を浪費している。

 そして、もう一つ。ニコニコと羊の毛のような髪の少女を見守る、莞爾としたブーディカの顔だった。

 ネロのことは嫌いだ、と彼女は言った。

 当然と言えば当然のことだ。ネロ・クラウディウスとブーディカは同時代に生き、同じ歴史の舞台で顔を合わせた者同士だが、その出会いは全く以て不幸だった。

 正確には、ネロはブーディカの顔を直接見たわけではなかった。だが、ネロの統治するローマ帝国がブーディカの国を編入(征服)し、彼女自身と彼女の(家族)に暴戻の限りを尽くした歴史的事実はあまりに有名であった。

 故に、ブーディカはネロ・クラウディウスのローマに対して全く以て好意的ではない。人間的には嫌いではないのだが、公的嫌悪感は極めて深刻だった。

 ───というようなことを、ブーディカは以前語った。少しだけ恥ずかしそうにしながらも、真摯に応えてくれたことは、記憶に鮮やかに残っている。

 「もう、そんなに気にしなくてもいいのに」

 「あ、いえ、その」

 照れのような羞恥のような赤みを頬に染めたブーディカ。小さく肩を竦めるマシュの頭をげしげしとかき回すと、彼女はのほほん、とした顔でアルテラの姿を眺めた。

 「別に裏切ったりはしないから」

 「そんな心配は、していませんけど」

 「ホントかぁ?」

 なおのこと、げしげしするブーディカ。逃げるでもなく、マシュはサラサラの髪をボサボサにされた。

 「クラスによっては滅茶苦茶したりするけどね。復讐者(アヴェンジャー)とか、まるっきり私の為のクラスみたいだしね」

 笑えないブラックジョークである。会社で上司が言って来たら「え、あ、そっすね」と応えるヤツである。もちろん、マシュは気まずくて、応えるに応えられない。マシュ・キリエライトは自分が世間知らずである自覚を持っていたが、無知ではなかった。

 そんなマシュのぎこちなさも愛しいようにブーディカは表情を緩める。温和、という言葉はまさにこの人物のために作られた言葉なのではないのか、と思うほどの顔だった。

 「ま、どうでもいいことさ」

 鼻歌交じり、とでもいうような陽気さだ。全天を覆う水色のような陽の温かさであると同時に、それは処世を嗜んだ大人の冷静さだった。

 マシュには、そうした矛盾と合理のシャム双生児めいた情動が上手く理解できない。理解出来できないというより、処理できない。とはいえ、そのブーディカの素振りが優しさというベクトルを持った動作であることだけは理解した。

 故に、マシュは、曖昧な表情だけを浮かべた。そしてブーディカはそれを善しとした。横目で伺うことすらせずに、ショートカットの赤毛の女性は、小さく一つ頷いた。

 「今日は粘りますね」

 そして半瞬舜の後、トリムマウは素知らぬ顔で呟いた。

 「いつもどのくらいで諦めてるの?」

 「5分ほどで。フォウ様もお疲れのようですね」

 水銀メイドは無表情のまま、ブーディカに応える。マシュも先ほどからその光景を眺めているが、褐色肌の少女は今もって白い小動物を追い回していた。

 ぴんしゃか。バッタのように跳ねるフォウの動きも、精彩を欠き始めている。かれこれ20分。機敏だが長時間の運動には慣れていないらしい小動物は、汗こそかいていないが息を切らし始めている。他方、土色の肌の少女は汗をかいているが、表情はただただ楽しそうだ。

 その光景を、愛玩動物と戯れる子供と理解するのは容易い。というか、実際そうなのだろう。だが何故か、マシュは思うのだ。

 目いっぱい今この瞬間を浪費する少女の身振りは、ともすれば、文字通り、一生懸命の仕草にも見えるのだ、と。

 「アルテラ、ねぇ」

 ぼそり。

 温和な目で。しかしその実、何か痛ましいものを見る目で、ブーディカは呟く。疑問は2割。残り8割は悟りのような感慨を纏った吐息のような呟きが、マシュの耳朶に滑り込む。

 アルテラ。大王アッティラ。5世紀の欧州を蹂躙した遊牧民の王。何故こんな年はもいかない少女がそのような名を名乗っているのかは、今もって不明なことだった。実際カルデアの観測機を以て測定した結果、このような身体にも関わらずサーヴァントであることは判明しているが、本当にそれが真名なことかまでは判別できない。

 実は女性であった、というならわかる。そうした事例は、つい最近マシュ自身が冬木で経験したことでもある。伝説の騎士王、キャメロットの主たるアーサー王が実は女性だった、という事実が詳らかになってから、まだ1か月と経っていないのだ。そして、ネロ・クラウディウスもそうだ。

 だが、全盛期が子供とは一体全体どういうことなのか。何かしらの宝具かスキルの影響なのか。色々調べたが、結局のところ何もわからずじまいというのが現状だった。

 特に害があるでもなし。静観する他、できることはない。それが、カルデアとしての状況判断だった。

 「いっそネロ公のローマもぶっ壊しちゃえばいいのにね」

 ……この物言いである。にぱー、とでも言いたげな満面の笑顔を振り向けるブーディカに、マシュはクソ生真面目で厳かな顔で「ソウデスネ」と応えるだけだった。

 流石に毒気が強かったかな、とマシュのリアクションから反省したのか。ブーディカは愛想笑いとともに「嘘嘘」などと言う。表情筋の強張りが緩まないマシュに、愛想笑いを苦笑いに転じさせたブーディカは、たまらずといったように視線をずらす。

ずらした先は、草原を駆けまわる少女。あ、と裂けるような呟きをトリムマウが零すと、遂に少女アルテラはフォウの躯体に飛びついた。

 「皮肉にしちゃあ、出来できはよくない気もするんだけどねぇ」

 「捕まえた!」

 声が重なり、飽和する。甲高い少女の声に斬り潰され、ブーディカの声はどことも知れずに叢に落ちた。




70話でした

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。