fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
クロが目にしたのは、地面から這い出す巨大な手だった。
足元の岩塊が、ぐにゃりと変形する。いや、むしろ削れた、というべきか。鎌首を擡げるように持ち上がった岩塊が内側から形相を削り出し、人間独りを掴むが如くの手を形成したのだ。
咄嗟に飛び退くクロの敏捷は、決して早くはないが、機敏さは十分だった。それこそサーヴァントでもなければ肉薄できない速度であることは間違いない。
だが、その剛腕は赤い旋風に比肩する。バックステップを執るクロの左足を掴みかかった巨大な手の精密動作は、これまでのゴーレムのそれとは一線を画した。
瞠目の暇は、なかった。あ、と思う間もなく、巨大な岩手はそのまま地面へと少女の躯体を叩きつけた。
人間など容易く粗びきにするであろう打撃。エーテル体たるサーヴァントの致命傷になることは決してあり得ないが、それでも苦悶を叩きつけるに十分な打撃ではあった。
だが、クロの瞠目の理由はそこにはない。打撃の疼痛など、言ってしまえば瞬間的な苦痛にすぎない。故に、彼女の驚愕は別にある。その場所とは即ちにして、その巨大な岩の手そのものだった。
クロエ・フォン・アインツベルンの特異性は複数存在する。構造解析に特化する英霊の技能・魔術的優位な個体であり、量・質ともに膨大な魔術回路を持つアインツベルンのホムンクルス、その最高傑作であるという点。さらにこの2点が相乗した結果として、彼女は殊魔術・神秘を
身体的接触を必要とするものの、その条件さえ突破すればあらゆる術式を理解し、そのレベルによっては解除する。ロード・エルメロイⅡ世が合理的理詰めによって魔術を解体するならば、クロエは直観的感性によって魔術を解体する。その様はある種、エルメロイⅡ世の啓く現代魔術の教室に属する、ある異能の
故に、クロはそのゴーレムがなんであるかを、直観的に理解した。
ただ巨大なゴーレム、というわけではない。だが、トウマが言っていた『原初の人』とやらでも、ない。否、どちらかと言えば後者に近いが、その有り様は、厳かさとは対極のものだった。
端的に形容すれば、それは、食虫植物の具現、だった。重力・拘束型の捕縛陣。大型のゴーレムを転用した、獲物を捕獲するための設置型バインド。そしてその捕獲の目的は、即ち───
「───
咄嗟、投影したのは巨大な剣だった。
出自は古代の中国に至る、騎馬を斬り殺すための大剣。宝具でこそないものの、物理的な破壊力は十分だった。
「───
空中を狙点された巨大な剣。クロの一節をトリガーに射出されたそれは、正しく砲弾といった様相だった。
狙いは剛腕の手首。構造上、最も脆弱な関節部。腕を切断して余りある威力の薙ぎ払いは、しかし。あまりにあっさりと、剣が砕けた。
クロエは、与り知らない。また、本来アヴィケブロンを知るトウマすら、その宝具の存在は知らなかった。
アヴィケブロンの有する秘奥の宝具。EXランクに計上されるその宝具の名を、『平穏の無花果』と言う。英霊アヴィケブロンが最後の伝説、その昇華。自らを謀殺した者を、死後に発いた逸話の具現。自らの死を対価にして発動するアヴィケブロンの宝具は、自陣営に聖霊の加護を付与し、快癒の祝福を授ける。
その対象は、今回に限りその巨大な手だった。一撃、斬馬刀の打撃を完全に無効化したそれは聖霊の加護であり。仮にその加護を突破したとて、快癒の祝福で忽ちに破損は修復される。一度捉えられれば脱出不可能の鼠捕り。それこそが、アヴィケブロンが容易く自らの命を差し出した理由であり。彼が最も欲した
骸と化したアヴィケブロンの躯体を飲み込むように、もう一本の腕が地面から這いずり出す。掌の中、光子崩壊したアヴィケブロンは遂に消滅したが、それは消滅というよりは消化に近かった。身体を構成する
其は永遠にも相似する、死への待機。咄嗟にできることは精々一度の打撃のみ。呪槍ゲイ・ジャルグは魔術に対して優位性を誇るが、既に契約完了した術式の破棄は叶わず、岩塊の奥底に折りたたまれた羊皮紙に組み込まれた術式まで貫くには、威力不足だった。何より、既に発動済みの宝具たる『平穏の無花果』が誇る絶対防御の加護は、あと一度のみ全ての攻撃を無効化する。仮にゲイ・ジャルグの威力を魔術で底上げしたとて、無意味だった。
叩き付ける槍。折れる穂先。鈍い振動と同時に腕が軋みを上げる。臓腑の底から呻くような悲鳴を漏らしたクロは、背後を振り返り───。
「『
ざ、しゅ。
※
目にもとまらぬ速度、などという言葉がある。
あまりの速度を
だが、その瞬間の移動は確かに目にもとまらぬ速度だった。瞬きの動作すらない、秒未満の間隙を切り裂くような閃光の奔騰、ナノセカンドの俊足。一秒前に背後に居たはずの赤い暗殺者は、既に、岩の手の懐にまで飛び込んでいた。
閃く鈍色の唸り。居合における抜刀の如くに迸った
痙攣に身もだえしたのは、しかし、岩の腕だった。捕縛していたはずの対象が、文字通り手から滑り落ちていったのだ。
本来であれば、腕は認知機能の外に落下した少女の姿を追っていただろう。そして事実、捕食を兼ねるもう一方の腕は索敵を始めようとしたが、その動作もすぐに停止していた。
否、それは完了した、という方が適当だっただろう。魔術回路を索敵せんとした手は、より直近に獲物を見つけたのだ。そしてアヴィケブロンを吸収したそのゴーレムの手の精密性は、サーヴァントのそれに、並ぶほどだった。
ほどなくして、捕食は始まった。最も身近にいた赤い外套のサーヴァント───アサシンに肉薄した手は、その五指で以てエーテル体を握りつぶした。
その破壊音は、酷く、水っぽく、骨ばっていた。
咄嗟に駆け寄ったトウマができたことは、数少ない。落下するクロの身体を抱き留めて。続けて落ちてきた、細い右足も受け止めた。足を切断された少女というショッキングな光景に怯みながら、トウマがもうできたことはもう一点。
握撃で潰されるアサシンの最期を、看取ることだけだった。
「キリツグ!」
───それは、誰の声だっただろう。自分の声だったか、それとも足を切断された痛みすら無視して迸った少女のものだっただろうか。
判然としない声に応えるように、赤いフードがこちらを向く。フードとフェイスガードの奥底に潜む虚ろな目は、ただ悠然と。ただ、漠然と、
「『
言語の吐息だけを残し、赤いフードのアサシンは、嚥下された。
───お前たちがアレを斃せ、という無言だけを残して。
※
其は、地中深くから地面を砕いた。
火山から吹き下ろす颪を吐息に。地中に籠る地水を血に。
その巨躯、霊峰の如く。巌の如きの堅牢さを持つ、土の巨人。
流浪の難民を救済に導くべき、王の貌は、温厚な峻厳さを湛えていた。
其こそは、全人類の里程標。命のブレスを吹き込まれし粘土細工。芥の寄せ集めにしていと高き雲に届く者。
『
巨人は、山麓から世界を見渡した。楽園には程遠き古き土地とは言え、抱くべき感慨はない。
いや、一つしか、ない。
遍く世を閲した巨人は、無音に等しい方向を上げた。産声というにはあまりに知悉に満ちた原初の叫喚の後、15mを超える巌の躯体が蠢き始める。
其は、唯一つの輝かしい夢。未来を焼き尽くすほどの冀望。
そのためだけに、巨人は命を飛ばす。最後のエデンを、創り上げるため。
そろそろ2章終わりそうなので、週2より更新頻度上げる予定です。