fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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今回まぁまぁ長いです

巧いこと区切れませんでした


遷化の幕間

 「真名偽装登録、仮想宝具展開!」

 マシュが飛び込んだのは、タッチの差だった。

 頭上から降り注ぐ膨大な光の奔騰───リツカが直観した通り、対城宝具の開放を目の当たりにしたマシュの行為はそれしかなかった。

「仮想宝具『|人理の礎(ロード・カルデアス)』!」

リ ツカとネロの前に滑り込むと同時の宝具展開。翳した盾を基点に、幻想の城壁がパワーフィールドとなって展開するまで1秒未満。そして光の濁流が殺到したのは、その直後だった。

 駄目だ、とすぐに悟った。

 同等の火力と相対したのは、これまで2度あった。

 冬木での『約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 オルレアンでの火竜(ファブニール)のブレス。

 どちらも相殺しきったが、あの時とはまるで状況が違う。冬木の時は、キャスター(クー・フーリン)の迎撃による威力減衰があったから、防げたようなもの。ファブニールのブレスは、4人がかりの防御宝具重ね技で防ぎ切った。だが、今回はただの1人しかいないのだ。とてもではないが、この宝具を防ぎきるには、マシュは役者不足だった。

 足が、軋む。膝が砕けそうになる。巨人に圧し潰されそうな錯覚が過る、暴威そのもの。マシュが根負けするのは当然と言えば当然で、当然なんだからマシュは宝具の維持を放棄しかけた。

 極論すれば、彼女の宝具は精神状態が万全であるならば、如何なる攻撃をも防御しきる鉄壁そのものとなり得る。精神力に応じて、【魔力防御】によって展開されるパワーフィールドを生成する彼女の魔術特性は、殊守りにおいて右に出るものはいないほど強力なのだ。逆説的に、精神が脆弱であれば、その守りは濡れ紙以下である。そして、マシュは元より胆力には決して長じない、繊細な女の子だった。これまでは“みんなと守っている”事実が彼女を鼓舞したが、今は孤独。対城宝具に耐えられるのは、あと1秒が限度のはずだった。

 だが。

 2秒。

 3秒。

 4秒を過ぎ、既に5秒。さらに6秒を過ぎてなお、マシュの宝具は濁流を防ぎ続けている。暴風の中で今にも蹴散らされそうな葦になりながら、その濁流を防御し続ける。

 崩壊寸前の彼女の精神を維持するのは主に2つ。ブーディカから託されたこの機会を逃すわけにはいかない、そんなことはできないという倫理的義務感という名の意地。

 そして、もう一つ。

 「マシュ!」

 自分の名前を呼んでくれる、赤銅色の髪の先輩の、力になりたかった。役に立ちたかった。

 あまりに素朴な人間性。ともすれば無機質にも見える彼女の内面性を形作る、朴訥として繊細な女の子の気持ち。片足ずつに宿る情動でもって襤褸の精神を練り上げ、マシュは己が存在の根底から叫喚を迸らせた。

 

 ※

 

 マシュが目を覚ました時、まず目に入ったのは空一面の青だった。

 相対距離間が剥奪されるような真っ青だ。変化に乏しい、非現実的な情景。そもそも自分が目を開けたのは果たしていつだっただろう。

 その奇怪な風景に該当するものを探して、辿り着いた解答はなんともケチなものだった。死後の世界。そんな予感が過るが、全く以て実感がない。いや、そもそも死後に実感などあるのだろうか───。

 そんな困惑の虚妄を破ったのは、自らの手を握ったリツカの姿だった。へなへなとしゃがみ込むリツカの顔は、いつものように感情の輪郭が曖昧な薄い笑みを象る。よかったぁ、などというセリフの凡夫さは、聞いているマシュも呆れるほどの呑気さだった。

 「あの、ここは」

 「皆、無事だったみたいだね」

 ひょこ、と視界に飛び込む赤毛。あ、と思って身体を起こしかけたマシュは、けれど、その姿に声の行き場を亡くした。

 幻視したライダーの姿は忽ちに霧散して、別な形が凝固する。見えたはずの柔和な顔は掻き消えて、剽悍さと幼さが6:4の合間で混合する別な顔が現れた。

 「アレキサンダー大王?」

 浮かぶ笑みも、やはりどこか混合的だ。どこか威容を感じさせながら、それでいて子供っぽさを色濃く残す朗らかさだった。

 「約束を果たしに来たよ、フジマルリツカ」

 きょとんとしたのも束の間、リツカは少し気恥ずかしそうに肩を竦めた。紐の緩んだきんちゃく袋みたいな照れ笑いに、アレキサンダーは至って健気に頷き返した。

 「あの、ここは」

 よろよろと、立ち上がる。ひょう、と吹いた風はいつもより湿度に富み、妙に冷たい。勁い風に髪を浚われたマシュが見たのは、自らの目線と同じ高さに揺蕩う白雲だった。

 ───上空、およそ400m。肌を摘まむような寒さのただ中、マシュたちは戦車(チャリオット)に半ば詰め込まれるように乗り込んでいた。

 確か、あの時強力な───強力なんて言葉では表現しきれない火力の宝具からマスターとマシュを守るため、『人理の礎(ロード・カルデアス)』を展開しながら割って入った。とても防御しきれない、と思ったところまでは覚えているけれど。

 アレキサンダーを見上げる。あの時は自分より小さく感じたはずの長躯は、マシュの視線に気づいてにこりと笑みを返した。

 「ありがとうございます、あのままだったら」

 「いやあそんなことなかったよ。俺の出番は、本当は要らなかったかもしれないし」

 それに、と言いかけたアレキサンダーは僅かに顔を顰めた。ちら、と薄暗い一瞥を先には、酷く寂れた紅い背が佇んでいた。

 風に弄ばれたネロの金の後ろ髪が揺れる。いつもは猛々しい獅子のようですらある髪に、いつもの艶も健やかさも、もちろん勇ましさもない。まるで濡鼠のようなひ弱さすら感じさせる。恐る恐るネロの隣に並んだマシュもつられて眼下を見下ろして───。

 (やっと通信が繋がった! 大丈夫かいリツカ、マシュ……って何だいこれ!?)

 「あーダ・ヴィンチちゃん、まぁ色々あって」

 (色々ありすぎだろ!?)

 「まぁそうですね?」

 リツカも曖昧に応えながら、ぞっとしたようにその光景を見下ろした。

 首都中央にぽっかり空いた黒い孔。一部だけを刳り貫くように穿たれた風穴は、何故か縫い針の穴を思わせた。

 「トーマ君たちはもう戻ってこれるんだよね?」

 (そうだね、あと24時間以内には……)

 呆気にとられるダ・ヴィンチを他所に、リツカは思案を一筋巡らせている。表情こそはいつもの柔さながら、眉間の皺は懸念と奇妙な思索の痕跡だった。

 手慰みのように、側頭部で一つ結びにした髪をかき回す。リツカは、もう一方の右手で手持無沙汰気味に肝臓付近を撫でていた。「エナドリでも飲みたいんだけどなぁ、こんな時は」

 

 ※

 

 「この粗忽者が!」

 堅拳が頬を撃つ。抵抗することもせず殴り飛ばされた破壊の大王の華奢な姿を、レフ・ライノールは蔑視で見下した。

 倒れたままぴくりとも動かないアルテラの姿を見る男の目線は、確かに侮蔑的である。だがそれは多分に虚勢からだった。

 男にあるのは、恐怖でしかなかった。あの対城宝具の直撃を受ければ、如何に彼とて、術式から解かれかねないという直観があった。実際どうなるかはわからない……だが神造兵装の原型たる軍神の剣の在り方は、メソポタミアに在りし無銘の乖離剣に近しい。彼の目方を上回る物であったなら、あるいは彼とて滅ぼされ得ただろう。

 それ故の、恐怖である。男がこれまで一切感じたことのない感情は、人間ならば原初的な恐怖とでも表現できただろう。だから、彼の暴力はほとんど八つ当たりに近かったけれど、割かし正当なものでもあった。未知の感情を賜った化け物への、防衛機制にも似た制裁だった。子供が、不意に現れた大きな哺乳類にびっくりして泣いてしまうようなものだった。

 「だからサーヴァントなど使いたくないんだ! 人理の奴隷などという二流を使嗾するなど、我らの品位に相応しくない!」

 草原の大地に転がる矮躯を足蹴にし、レフは癇癪を堪えられない。傍若無人な振舞だが、それも仕方のないことである。人間には人間の理があるように、化け物には化け物の理がある。彼の怒りは、度合いはともあれ質としては人が蚊に抱く不快感と大差ない。

 「貴様もだ! サーヴァント1騎まともに処理できない愚図だとは思わなかった!」

 強かな、殴打。頬面を打たれながら微動だにしないバーサーカー、源頼光は、ただ小さく頭を下げただけだった。

 「暗示があるにせよ、シールダーとライダー如きは相手ではないと思っていたのだがな」

 レフは、千切れ飛んだ頼光の左腕を忌々しく眺める。下馬評通りなら、源頼光の強壮さはトップサーヴァントにも比肩する……というより、まさにトップサーヴァントの格があるはずだ。元々召喚する予定だった神祖ロムルスやアーサー王、そしてこのアルテラに並ぶ性能を誇る。そのように諸葛亮孔明に勧められたからこその召喚であり、サーヴァントなどというものを心底毛嫌いするレフにあって数少ない注目株だったのだ。事実、どの陣営にも属さない野良サーヴァントを早々に殲滅させたのは彼女の手腕だったし。それ故の信頼であり、だからこそのこの結果の不快感だった。

 「その左腕は治しておく」

 鼻白らむような、独り言にも近しい発話だった。頼光の頷きは認識したが別段リアクションも返さず、「お前もだ」と足裏の下で無言のまま朽ちる体躯を見下ろした。

 あの宝具はもう撃てない。というより撃つのは不可能だろう。霊基が耐えられまい。外見上はともかく、中身は既に襤褸になった少女をただただ愚かしく見下ろすと、「全く」と米俵でもそうするように担いだ。

 「一端退避するぞ」

 周囲を見回す。緊急で発動させた空間転移───レフにはその魔法にも近しい魔術が可能だった───は座標もへったくれもなく、首都近郊の草原に3人を飛ばしていた。

 「ここでは目立ちすぎる」

 

 ※

 

 もう無理かな、と思った。

 失血という形で身体を作るエーテルの大部分を喪失したブーディカは、消滅寸前だった。身体機能を極限まで低下させることで現界を維持してきたが、もうそれも限界である。実際に彼女の身体の輪郭は解け、燐光とともに大源(マナ)へと昇華されはじめていた。

 結果を言えば、ブーディカは基本的に手も足も出なかった。最後の決死の攻撃も、結局は見切りと刀での相殺という力技だけで突破されてしまった。一流には到底及ばないんだな、という現実を見せつけられただけだった。今もって存命なのは、あのバーサーカーは死に体のブーディカを敵とすら認識せず、戦略目標に従って撤退していった。それだけのことだった。

何を、意地になっているんだろう。さっさと消えて、座に還ればいいというのに。

 視界すらぼやけている。意識もどこかふわふわして、まるで、母親に抱かれているような柔和で温和な感覚に浸されている。

 ───そう、それが、彼女の在り方。彼女が是とする身体性であり、それ故に彼女がローマ帝国に与した理由。

 マシュの思考の通り、ブーディカという存在とローマ帝国が相容れる要素は一欠けらとても存在する余地がない。嵐の王(ワイルドハント)として語り継がれるほどの憎悪は底知れず、本来賢母としての側面を強く持つライダーとして召喚されてなお狂化付与・復讐者(アヴェンジャー)への霊基変質の宝具を所持する程である。まして1世紀・ローマに召喚された彼女が、ローマ帝国の危機に手を差し伸べる理由などありはしない。むしろ、その破壊こそ望むだろう。

 実際、彼女はそうするつもりだった。そのつもりでまずローマ帝国に与する振りをし、味方の振りをして軍事的中枢に忍び込み、あとは(ネロ・クラウディウス)を落とす。そうしてブリタニアからの援軍を装い、武勲への報償として宮廷に招かれた彼女は、見てしまったのだ。

 その情景。まだ20も過ぎたばかり、プラチナブロンドに色白の肌の女性は、公式の場だというのに全く対照的な姿の女の子に振り回される、そんな情景。

 「卑怯だよ、そんなの」

 思わず、独り言ちる。懊悩と憤怒を苦笑に変えながら、既に希薄化した五感が何かを捉えるのを感じていた。

 触覚は振動に触れ、視界は何か赤い影を視る。ぐらぐらと揺さぶられていたが、ブーディカはそんなことをされている感覚すら残っていなかった。

 「だってそんなの、まるで。おかあさん、みたいじゃないか」

 そうして、ブーディカは消滅した。燐光に還元された彼女の口腔が最後に形作った音声は、目の前に居た人間の耳介だけに触れた。

 

 ※

 

 「ごめんライネスちゃん、これしか」

 首都ローマ中央、宮廷の一画。

 元は迎賓のための部屋なだけあり、調度品は見るからに品のいいものが揃っている。首都強襲時の緊急避難、その喧噪の後もない部屋で、リツカは試験管を差し出した。

 20ccほどの容量のガラス管の中には、銀色の液体が身じろぎもせずに満ちていた。

 ライネスはそれを手に取ると、小さく肩を落とした。眉尻を下げたのはほんの一瞬、小さく首を横に振ったライネスは、試験管に手を翳した。

 「どう?」

 「これまでみたいに動くのは、無理かな」

 試験管を天井に掲げたライネスは、しげしげとそれを眺める。

 アルテラの直掩として首都に待機させていたトリムマウの性能は、机上の話で言えばそれこそブーディカを凌駕するものだったはずだ。それを、こうも簡単に蹂躙する敵。しかもこの損傷具合は、ただ破壊されただけではない。ブラックボックス化した管制システム以外の大部分が、何かに喰われたかのように喪失している。

 相性の悪い相手だった、と思うしかない。

 「ごめん、本当だったら俺たちがなんとかするはずだったんだけど」

 「いいよ、仕方ない」

 この場に居合わせるもう一人。赤毛のライダー、アレキサンダーは畏縮するように肩をすぼめる。

───元はレフ、バーサーカーの強襲に合わせてアレキサンダー、諸葛孔明の2人で奇襲、これを迎撃・殲滅するのが当初の予定ではあったらしい。要するに、諸葛孔明はレフ・ライノールに献策する振りをして背後からこれを討つつもりだったのが、却って裏目に出た形だ。

 「黒衣のサーヴァント、ねぇ」

 (察するに、オルレアンでも遭遇したアレのことだよね)

 髪の一房をかき回したリツカ。特段眉間に皺も寄せず、ぼけっとしたように癖を繰り返す姿が、却って思案の深さを思わせた。

 「まぁそれはいいか」

 「いいのか?」

 「仕方ない。真名と宝具がわかっただけでもめっけもんってことで」

 「それにしても、そいつらの目的(Why done it)が見えてこないね」

 手慰みに、ライネスは顎を撫でる。きょとんと眼を丸くしたリツカは、何それ、と言わんばかりに金髪の少女を見つめた。

 「まぁ受け売りなんだけど。要するに、事件を解くカギは動機にあるってことさ」

 「長距離疾走と崖の上」

 「……まぁ間違ってはいないけど」

 大真面目にそんなことを言うリツカに、ライネスは呆れのような微妙な顔を返した。戦闘中のキレは普段の生活になく、エナジードリンクを飲んでは頭に霞がかかったようなことを言う女だった。

 「とりあえず、そのキングゥとかいうサーヴァントとマスターのことは置いておくしかない。今はね」

 「それより、どうやって当面の敵を倒すかってことか」

 「そういうこと」

 ぴん、と指を立てるリツカ。やはりこういう時は頭を動かすのが得意らしい。うんうん、と納得するように頷くアレキサンダーに気を良くしたらしいリツカは、にへらと顔を緩めた。

 (敵のサーヴァントは2騎。アルテラと、バーサーカー……源頼光、だっけ。正直、性能だけ言うと、二人とも前回のジャンヌ・オルタや酒呑童子に匹敵するかそれ以上だね)

 「あれ以上かぁ……」

 げんなり。嫌そうな顔を隠そうともしないリツカは、いつもの五割増しくらいの勢いで髪をにぎにぎしている。

 アルテラの実力がどれほどかは不明だが、対城宝具を所持する程となると相当だろう。あのトリムマウが歯が立たないとなるとなおのこと。

 さらにバーサーカー、源頼光。場所は日ノ本、時は平安において最強を誇った武士。数多の怪異を滅ぼしたその強さは、実際何度もローマ帝国軍がしてやられたことからも明白だろう。

 対して、こちらの戦力は心もとない。単純な数ならアレキサンダーを含めて4騎。だが実質戦闘能力皆無のライネスは除外するとして、実質3騎。数の有利はほとんどないといっていいし、決して粒ぞろいとは言えない戦力だった。

 せめて、ジャックが生きていたら。そんな詮の無い思考が、過る。これまでローマ帝国がゴーレム相手になんとか戦えたのは、ジャックの第二の宝具『其は惨劇の終焉に値せず(ナチュラルボーン・キラーズ)』に依るところが大きかった。アレがまだ使えれば、どうにかなったのだが。

 ライネス自身も無意味とはわかっているが、無意味な考えをしなければならないほどに手詰まりだった。

 ように、見える。

 《考え方を変えればいいのではないかな》

 「ん?」

 「どしたの?」

 「司馬懿殿が……」

 そうして、咳払いを一つ。ふ、と身動ぎしたライネスは一度瞼を閉じた後、再び目を開けた。

 容貌に変化はないが、そこに居る人間の質が変わったのはアレキサンダーにもわかるほどだった。より先鋭的に研磨された雰囲気、表情。司馬懿仲達の人格が表出したのだ。

 「簡単な話だ。倒さなければならないのは、あのレフ・ライノールとかいう男だけなのだろう?」

 「あー……なるほど。ならマシュに頑張ってもらおうかな……でもそれだと」

 「彼女(トリム)を使ったらいいさ。気休めでしかないかもしれないが、こういう使い方もできる。そうだろう、ライネス殿?」

 

 ※

 

 

 

 「───同調・投影、開始(トレース・オン)

 イメージする自らの身体構造。同時に造り上げる2つの観念。

 手に現出する投影品は2つ。指先に構えたそれは、既に何年も使ってきたかのように手に馴染む。もしくは、実際この霊基の核となる英霊はそういった荒事もしてきたのかもしれない。ただ孤独に戦場を彷徨った浮浪者。兵站もクソもない消耗戦ともなれば、英雄はゼネラリストにもならなければならない。

 これは、その延長線。鋭利な剪刀が肉を切り───。

 「痛っ」

 「なんでアナタが言うのよ……っと」

 ずるり。

 思いのほか慣れた手付きで、大腿部の糸を引き抜く。縫糸としては十分に図太いシルク糸は抜糸と同時にエーテルに解きほぐされ、霧散していった。

 同時、抜歯痕から僅かに血が滲む。プリーツスカートの裾で乱雑に拭うと、クロは「よっ」と立って見せた。

 ───同じく、来賓用の一室。右足の抜糸を終えたクロの動作は軽い。右足を切断された痛ましさは、外見上は見受けられない。

 「結構綺麗じゃない? 正直、もっとグロいことになるかと思ってた」

 ぼす、とベッドに腰を下ろすトウマの隣に腰を落とす。ほら、と右足を伸ばしては、曲げてを繰り返して見せる。

 ほそりとした足。瑞々しいはと麦の実の色をした足に、薄く走る傷口。切断の痕跡は、思ったより見えにくい。

 ジャックの【外科手術】のランクはE-よりさらに下だったらしい。とりあえず機能上の修復はできたが、見てくれは保証しない。そんな触れ込みでの右足の修復だったが、左程見た目は悪くない。

 うん、と応えたトウマの返事はどこか浮かない。心情を反映するように下がった眉尻。捉えどころなく、緩く塞がった口唇。なだらかな両肩。

 クロは眉を小さく寄せた。一房結んだ右側頭部の髪を指に絡めてから、クロはえい、とトウマの鼻っ面を突いた。

 「気にしすぎ。もう大丈夫って言ってるんだから」

 「そうならいいんだけど」

 「それに、悪いことじゃなかったかもしれないしね」

 ぱたぱたと両足を曲げ伸ばしながら、クロは投影した医療器具を償還する代わりに、別な刀剣を作り出した。

 黒鉄色の、短刀(ナイフ)。刀身は20cm弱だろうか、戦闘用(コンバット)ナイフとでも言うべきそれは、一見して何の変哲もないものに見える。少なからず、彼女が普段愛用する干将莫耶やゲイ・ジャルグ、デュランダルといった名だたる宝具と比して、あまりに質朴な短刀だ。

 「後悔は終わってからすればいいのよ。ほら、後に悔いるって書くわけだし?」

 ひょい、と短刀を宙に投げる。浮かぶのも束の間、夢のように消えた短刀。掌に残る感触に淡く崩れた情動を凝らせながら、クロはその澱のように堆積したモノのままに、えいや、と飛び掛かった。

 「それとも、もっと別なことがしたくてそんなに見てたの?」

 羚羊みたいにトウマの膝上に飛び乗ると、ずい、とクロは詰め寄ってみる。え、と目を白黒させる少年をいいことに、ついー、と肉の付き始めた大胸筋を撫でる。

 って。

 トウマのリアクションが予想とちょっと違う。赤面と驚愕は変わらないけれど、その質が何か違う。というか、目線がちらちら背後へ行くような。

 はて、と首を回すと、入り口に佇立する赤い麗人の姿が佇立していた。

 「す、すまぬ。よもや逢瀬の最中とは思わなんだ」

 「や、そういうわけでは! あるようなないようなですが」

 慌てて立ち上がったトウマにつられ、軽い身振りで飛び降りる。着地の反動もなく改めて振り返ると、ネロはなんだか煮え切らないような、奇妙な顔をしていた。

 ───なんというか、らしくない。直観的にそう思ってトウマを横目で見上げると、示し合わせたように視線がぶつかった。多分、トウマもそれを感じているらしい。傍目ではわからないくらい、微かに頷いた。

 「で、どうしたの?」椅子を用意するトウマを後目に、クロは勢いよくベッドに座り込んで見せる。「話があるんでしょ」

 「む。いや、そのなんというか」

 どこかぎこちなく椅子に座るネロ。音もなくベッドに腰かけたトウマは、とりあえずとばかりに保温水筒からカモミールティーなんかを蓋兼用のコップに注いでみる。

 「あぁすまぬ」

 いえいえ、と頭を下げると、今度は紙コップ2つに注ぐ。当たり前のようにそれを受け取ると、クロはちびりと口にした。ちょっと温い。ライネスなら多分不満を漏らすだろう。

 トウマは特に気にした様子もなく飲みながら、うむ、と決心したように顔を上げたネロを見守って―――。

 「私を其方のハレムに加えてはもらえぬか!」

 「ブッバァ!?」

 それはもう、キラキラした光景である。窓から差し込む光で虹なんかかかっちゃっているのである。

 マーライオンと化したのはこの場の3人の内2人。実に60%超がキラキラした。既に口に含んで嚥下しかけたクロは見事に誤嚥し「ンブフッ!?」などとまぁえぐい音とともに口と鼻からカモミールの飛沫を撒き散らし、目いっぱい口に含んでいたトウマは汚ねぇアーチを描いていた。

 「む、なんだ、やはりトウマのハレムのハードルは高いのか、余では不足か」

 「そうねぇ、外見は問題ないわね」

 いち早く立ち直ったのはクロである。どちらかと言えば被害状況はクロの方がヤバイのだが、白い礼装の裾で鼻水だかよだれだかわからない粘液をごしごししては食い気味にネロににじり寄った。

 「むう、では何が足らないというのだ」

 「年ね。トーマは社会不適合者(ロリコン)だからネロは成熟しすぎなの。このでっかくて柔らかいのとか」

 「むうやめんか! しかし、なるほど、余は至上の銘器ではあるがニッチを満たすことまでは考えておらなんだ」

 「でもねぇ、顔と声は合格! 童顔でロリ声だから」

 「クロエさんこれ以上風評被害なんでホント」

 まだむせ込みながら、トウマは若干痙攣する手でクロの肩を掴んだ。

 ぺろりと舌を出しながら、クロは後ろへと体重を預ける。代わりというように顔を上げたトウマは、まだむせりが止まらないのか口に手を当てていた。

 「ネロさんにちょっとお願いがあるんですけど」

 げほ、と咳き込んだトウマは、妙に緊張した様子で次の言葉を続けた。

 「も一回言ってもらっていいですか」

 「トーマ……」

 「そんな目で見ないでくださいまし」

 「よ、余は構わぬぞ。しかしな、こういうことは一度で聞き取るのが礼儀というものだぞ」

 なんでか、というか今更にネロも顔を赤くすると、仰々しく咳払いなんかしてみる。異様な緊張感はある意味で喜劇性の裏返しのようなものだった。

 「私をトウマ、其方のハレムに加えてはくれぬか。これでいいのか」

 軋むような緊張、およそ半瞬ほどの合間の後、トウマは酷くゆっくりした動作で顔を上げた。

 「一応なんだけど、詳しく具体的に話してもらえるといいかなって」

 「そ、そうだな。余もやや焦りすぎた」

 ネロは一層顔を真っ赤にしていたが、意外にもトウマは普段通りの顔だった。おや、とクロはちゃんとトウマの顔を見ると、何か確信めいた顔だった。

 その時、何故か脳裏を過る言葉。

 ───トウマはサーヴァント戦闘のスペシャリスト。そう言ったのは、自分。覗き込むように見上げる16歳の少年の横顔にその言葉がふわりと馴染み、クロは不気味な情動を惹起させた。安堵のような不安のような。心地よく秘密めいていて、それでいてざわつくような不快感。名付けられるその不定の情動に、クロは敢えて形を与えなかった。ほろほろと舌の上に広がる、旋律にも似た薫り。クロは、その食感を確かに正視する。

 「これを、見てほしいのだが」

 「うん?」

 ぴし、っと何かを差し出すネロ。2つ折りになった紙らしきものを受け取ると、トウマは慎重にそれを開いた。

 「ナニコレ?」

 「子供らしい、良い絵じゃないかな」

 およそサイズはA4の、クレヨンで描いたらしい絵だった。

 「トリムマウが言っておったな、子供が描いた絵はそうなると」

 「まぁ理由はわかりませんけど───あぁ、なるほど」

 トウマは紙を慎重に───というより丁寧に畳むと、一礼してネロへと返した。ネロもやはり丁寧に───こちらは丁寧さというより、何かを根にして発生する震えを抑えるような緩慢さで受け取った。

 「余が命を落とすのは、色々不味いのだろう?」

 「多分、ですけど」

 「でもどうしても私を連れて行ってくれぬか! ダメなのはわかっておるのだが」

 この通りだ、とネロは頭を下げかけたが、寸でトウマは彼女の肩を支えた。見返す翡翠の目を受け止めながら、トウマは「構いませんよね」と入り口へと(どんぐり)色の黒い目を向けた。

 「あれ、気づいてた?」

 ひょこり、と赤銅色の頭が顔を覗かせた。その隣、プラチナブロンドの小悪魔がニヤニヤと顔を歪ませている。猛獣か?

 む、と振り返るネロは若干居心地が悪そうだ。主に、気恥ずかしそうで。だが特にそれを気にするでもなく、リツカは「ごめんごめん」と入り口をくぐった。

 「トウマ君はどうしたい?」

 「俺は連れていきたいです」

 「それは君の個人的な感傷?」

 「それもあります」

 うんうん、とリツカは頷いた。一瞬ほどの思案の目をトウマに向けると、「そうしよっか」とあっさり応えた。

 「え」

 「実は私も皇帝陛下に頼もうとしてたんだ。一緒に戦ってほしい、って」

 ね、とリツカは朗らかにネロを一瞥した。

 虚を突かれたように瞠目するのも一瞬、くしゃりと表情を変えたネロは「すまない、とても、助かる」と深く首を垂れた。

 「こうしてネロちゃまもトーマ君のハーレムの一員になったのでしたーめでたしめでたしー」

 「り、リツカ!」

 「序列はどうなるんだい?」

 「まぁ正妻はクロちゃんなんじゃない?」

 「第一側室がマシュで次にリツカかしら」

 「その次が私で末席に皇帝陛下ってわけかな?」

 「そうそう」

 「余が末席とはなんたる強欲な! いやしかしそれも甘受してこそデキる皇帝というものか」

 「あのーそろそろやめてもらっていっすかね」

 「冗談冗談」

 とても冗談に見えないにこやかさをトウマに返すと、リツカは片手だけで器用に500ml缶のジュースの蓋を開けた。プルタブを開けると同時に噴き出した黄色い泡を口に含むリツカとげんなりした様子のトウマを見比べてから、ライネスと、そうしてネロを一瞥する。

 「人は成長するのねぇ」

 「何と?」

 「お姉さんのしみじみした呟き」

 「???」

 頭に疑問符をつけるネロは、ただただ小首を傾げるだけだった。

 「じゃあ決めようか。敵を倒す方法って奴を」




次からラストの戦闘に入っていきます。

重ねてになりますが、誤字脱字とかあったら気軽にお申しつけくださいませ。
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