fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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バンデッド・イン・レンジ

 「いい天気だなぁ」

 緊張を破ったのは、それはまぁなんとも間の抜けたリツカの声だった。

 首都ローマの南西。20世紀、イタリア最大の空港(エアポート)が建設されるはずの地区には、西暦60年現在、薄い林がただただ広く延びている。馬を走らせるのに難はなく、【騎乗】スキルを有するマシュは当たり前のように青鹿毛の馬を走らせていく。相乗りするリツカも特段酔った様子もなく、のほほんと空模様を眺めていた。

 陽は既に西に傾き、降り注ぐ光も僅かに暖色を孕み始めている。グリニッジ標準時にして、現在17時10分ほど過ぎている。逢魔が時のただ中の空は、異星の昆虫が撒き散らしたような血のような瑠璃色に引き伸びている。間に差す橙色の光軸も、妙な無機質さがあった。

 それを「いい天気」と評するリツカの神経のずぶとさは、相変わらずというか、何はともあれ尊敬に値すると思う。泰然自若、という4字熟語があるけれど。リツカの在り方は間違いなくその言葉を体現している。

 ネロの騎乗も流石と言うべきか、葦毛の馬を起用に乗りこなす様に、何故かナポレオンの絵画を思い出すほどだ。無論アレキサンダーはライダー相応、初めて会ったばかりの鹿毛の馬と十全にコミュニケーションがとれているようだった。

 ───全く対照的なのが。

 「あっー!? 落ちる落ちる!」

 「ちょっとあんま動かないでって!」

 人類史を背負うマスターとそのサーヴァントである。

 身長133cmの女の子にしがみつく170cmの男、という奇怪な光景もさることながら、不定の海産生物みたいにわちゃわちゃ動く様はなんというかアレである。馬上で動かれるのが不快なのか、栗毛の馬は酷く迷惑そうに頭を振っていた。振り落としてやろうか、とならないのは、クロの【騎乗】が成せるものといったところだろうか。とてもこれから決戦が始まる、という風体ではない。

 「ロマン、モニターちゃんとできてる?」

 背後、リツカの声が耳朶を打つ。同時に視野投影される映像の中で通信ウィンドウが立ち上がった。

 (もちろん、聖杯の座標は変わってないよ)心なしか、ロマンの声も緊張を感じさせた。(この先3km先、動く様子は今のところ見受けられないね)

 「りょーかい」

 対して、やはりリツカの言葉遣いはいつも通りの呑気さだ。むしろいや増しになってすらいる気がする。

 やっぱり、凄いな、と思う。リツカだけじゃない。クロも、トウマも、これから死線を潜るというのに、まるでそれを気にしていない。いやトウマは気にしているのかもしれないけれど、それを顔に出さない。

 対して、自分はどうだろう───マシュは、いつもの自省癖に落込んだ。

 非力で、弱くて。勁くなりたい、と思う。みんなをちゃんと守れるようになりたい、と思う。そうして、みんなの役に立てたらいいのに。

でもそれはいつになるのだろう。なりたい、なんて思っているうちは、きっと、

 (あ、待って。聖杯の座標が動いた、こっちに)

「マシュ!」

 遮るように、耳元で声が爆発した。

 ぎょっとするのと身体が動くのは、ほぼ同時だった。馬から飛び跳ねたマシュはほとんど無自覚に盾を掲げ、そして目を見開いた。

 弦月の如き太刀。樹々の間をすり抜けるように猪突をかけた女武者の騎影が剣光に重なった。

 回避───できない、と何故か直観的に察知する。思考より早く掲げた盾に銀の刀身が重なると、爆薬が炸裂したかのような衝撃が膨れ上がった。 

 「トウマ君、じゃあ皆のことは頼んだよ! もしダメでも大丈夫だから!」

 「わかった、任せて! だって」

 顔を青くするトウマの代わり、クロが声を上げる。駆け抜けていく3騎、駿馬の脚音を背に、マシュはそのサーヴァントを相対した。

 バーサーカー、源頼光。静かに刀を構えた姿は、まるでその肉体を含めて一本の太刀と化したかのような流麗さを誇っていた。

 「ここまで予定通り。だね、マシュ?」

 ひりつくような焦燥の中、マシュはなんとか頷きを返す。うんうん、と莞爾とした表情をとりながら、リツカはマシュの背をほんのちょっとだけ、押した。

 「大丈夫、マシュならできる」

 「はい───だって、私は」

 マシュは、そうしてそれを取り出した。

 およそ20ccほどの容量の、試験管。小気味よく親指でキャップを押し上げると、内容物たる銀の水が躍るようにマシュへと絡みついた。

 液状に過ぎない水銀。不定の亜鉛族元素が凝固を始め、鎧へと形を変えていく。

 ───霊基出力向上、安定。ステータス値上昇。月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)、霊基補強完了。

 視野投影された情報を理解して、マシュは怖気を奥歯で轢殺した。

 「私は、先輩のサーヴァントなんだ!」

 

 ※

 

 「おや。てっきり、あの小娘が来るとばかり思っていたのだがな」

 酷く、耳障りな声だな、と思った。

 林を抜けた先。黄昏の陽が落ちる開けの中に、それは居た。

 奇妙な帽子に、酷く時代に不似合いなコートを着た男。爬虫類にも、獣にも見える相貌は、妙な生理的嫌悪を惹起させた。

 レフ・ライノール。カルデアの技術部だったという男で───所長を殺めた、張本人。

 ぞわ、と臓腑で熾った情動は、嘔吐感にも似ていた。酩酊にも、譫妄にも似た不快感。悪寒とともに、トウマの意思と全く関係なく震え出した体躯に混迷したトウマの手を、小さな手が握り返した。

 「やめてもらえる、そういうの」

 明瞭な侮蔑の声。冷厳ですらある声がクロのものだ、と理解するのに、一瞬時間がかかった。

 「ラスボスの癖にそういうことするの、ほんと痩せた考えよ。それともアナタ、その程度の小物ってわけ? 手練手管を駆使するラスボスって、雑魚っぽい」

 爬虫類じみた男の顔に浮かんだのは不快と軽蔑だった。

 不意に、身体が軽くなる。今の硬直が嘘のようだ。

 あれ、と思っている間に手を放したクロの次の行動は迅速の一言だった。

 黒塗りの洋弓を投影、同時に矢も投影。矢じりを弦に這わせて番えての速射まで、実にコンマ数秒の時間だった。

 なまじの人間ならそれで絶命していただろう。眉間を貫かれたことすら気が付かなかっただろう。実際、レフはその早撃ちに気が付きすらしなかった。

 だから、眉間に迫った矢を打ち払ったのは彼の腕前とは関係ない。クロの挙措をいち早く悟った黒土色の肌の剣士が、その異質な剣で軽々と撃ち払ったのだ。

 微かに、クロがたじろぐのを感じた。

 割って入った、剣士。肥沃な土を思わせる肌に、牧歌的な羊のような髪。草原のただなかに髪を靡かせた剣士の、名は。

 「アルテラ───」

 苦い、声。並んだネロの口から零れた声に、剣士は全く以て反応を示さなかった。

 「蹂躙しろ、アルテラ。そこな二流どもに、貴様の真の姿を見せてやれ!」

 一歩。

 音もないアルテラの歩様は、風を切る早馬のようだった。だが、それでいて威容。大気(マナ))慄き、大地が痙攣した。錯覚でも比喩でもなく、文字通り世界が震えた。

 構える剣。剣、と呼ぶにはあまりに奇妙な光の剣は、全てを咀嚼するように渦を巻いていた。

 猪突の瞬間は同時。

 質朴峻厳な体躯の剣士。

 豪華絢爛な赤いドレスの剣士。

 対照的な2つの剣戟が激突した。

 

 ※

 

 交錯する剣。熾天より来る神造兵装の原型(プロトタイプ)、『軍神の剣』。それを迎え撃つローマ皇帝の剣、異界より来る隕鉄の剣、『原初の火』。

 男は、その光景を眼差す。

 いずれ。

 あるいは何処かの例外(エクストラ)で重なるはずの剣の舞踊。流麗とは程遠い、無様であすらある剣戟。

 だが何故だろう、と男は思う。昏い視線の奥で、何故かその光景が───。

 「やあ、君も見物かな」

 男は、身動ぎした。

 「これはこれは。凄いね君は。これは結界を持ち歩いている(・・・・・・・)のかい」

 気さくに語り掛ける、白い影。フードの奥底で閃く好奇の目は、その実酷く無味乾燥だった。男と、同じように。

 いや、あるいは別だったか。男はかつて、全てに無味乾燥な機械となり果てながら、一つどころを求めてさ迷っていた。最初から何もかも無味乾燥で今もってそうであり続けるその白い夢魔とは、似ているようで違う。

 だが、それも生前(むかし)の話。ソラの淵源より掬いだされ、ただの傀儡となった男は、既に何の執着もない。英霊などとても及ばない。幻霊にすら届かない、亡者と大差ない。

 お笑い種である。死を蒐集していた男が、今は死と生の逆目で亡者の真似事をしている。罰が当たったのだ、などという妄想も沸き立つというものだ。

 白い影が、隣に並ぶ。小高い丘から見下ろす景色の中、開けた広場の中で騎影が交錯する度、世界が戦慄していた。

 「ジュースとか飲むかい? ほらこれ、エナジードリンクって言ってねぇ、ペットがくすねてきたんだけど」

 ほら、と白い影が飲み物を差し出してくる。観戦するならドリンクも、などと言いたいらしい。とても|冠位《グランド」に該当する男の言い草ではないな、と思った。

冠位、などというのはどれも人がよくわからない。ゴーストライナーであっても、魔術協会の階位であっても。知り合いの顔を思い浮かべた男は、さりとて夢魔の勧めを断るでもなく、プルタブを開けた。

 ごきゅ、と飲んでみる。生命力を賦活させる、現代の気つけ剤といったところなのだろうか。

 思ったより、悪くない。予想外の感想だったが、その意外性に特段感慨もわかなかった。

 何故か、白い影は満足そうに莞爾としていた。いや、それは自明か。夢魔とは他者の感情を栄養とするのだから。

 「まぁ気楽に行こうよ」

 白い影が指を鳴らす。まるで手品のように椅子が現れると、どっこいしょ、などと言いながらそれは腰を下ろした。

 当たり前、とでも言うように、椅子は二脚。ほら、と身動ぎしたところを見るに、座れということらしい。男はやはり感情も見せず、静かに腰を下ろした。

 「ポップコーン。食べる?」

 いただこう、と頷く。やはりいつの間にか取り出していた巨大な紙のカップに山盛りになった焼きトウモロコシを鷲掴みにすると、男はそれを口に押し込んだ。

 「悪くないだろう?」

 やはり、白い影は莞爾と顔を綻ばせている。男は外見上、何の身振りも示さなかった。示さない代わりに、もう一度ポップコーンを鷲掴みにした。

 「それにしても君の声、知り合いに似てるなぁ。宗教家というのは、みんな渋い声にでもなるものなのかい?」

 無論、そんなことは男の知ったことではない。そりゃそうか、と肩を竦めて見せた白い男は、むしゃむしゃとポップコーンを頬張り始めた。

 「お。やっぱり凄いなぁ、マシュは」

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