fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
アルテラ。
ないし、アッティラ・ザ・フン。
西ヨーロッパに破壊を齎した遊牧民の王。神の鞭、災厄とすら恐れられた大王こそは、ローマ帝国に終わりを下賜する英霊足るに相応しい。
レフ・ライノールが、アルテラという英霊を召喚したのは一重にその理由に尽きる。ローマ帝国を殺す者として、これほど適した英霊はいないだろう。英霊―――ひいては人理なるものを務めて軽蔑していた男をして信頼を寄せた英霊が辿った運命は、けれど、酷く歪なものになった。
今となってはもう思い出せないけれど、髪の長い男が逃がしてくれたことだけは覚えている。酷く厳めしい顔をしていたけれど、それでいて頼りなくて、でもやっぱり頼りになるような。そんな男だった。
あるいは同じ時代を生きた軍師の助けを借り、あるいは催眠暗示のモデルに平安の武者の在り方を参照し。
そうして全てを忘却に置いた英霊は、少女の身となって野に下った。
酷く、ひもじかったことを覚えている。全く思い通りに動かない身体を動かし、何日も肌寒い草原を走り続けるのはただただ苦しかった。
苦しさに耐えきれず、野に転げた少女は、しかし思うのだ。
夜風に騒ぐ草原。転がった少女の頭上に煌めく、きらりと閃く星の光。
この光景を、少女は、無限に恋しく思うのだ。かつて地上を駆けた頃に恋した景色、無窮の天に戴く綺羅星の景色。
苦痛と同時。安堵にも似た情動に浸された、そんな、時だったのだ。
彼女と、出会ったのは。
寝転がる少女を見、抱き上げた彼女は酷く狼狽し、それでいて周囲の人間に檄を飛ばし、最後には精一杯笑ってみせた、彼女の貌。
肩越しに煌めく赫い綺羅星が重なって───。
やっぱり、今となっても、思うのだ。
私は破壊の大王だけれど。
……。
※
「アルテラ! アルテラ!」
トウマは、ただその光景の前に足を竦ませただけだった。
黄昏は既に宙の片隅にまで退去し、帳が降り始めた宙。草原のただ中に蹲るネロの腕の中には、歪なほどに穏やかな、其は、死に顔、だった。
「ごめん、こうするしか、思いつかなかった」
咳き込み、と同時。
臓腑から這い出した赤黒い液体を、鬱陶し気に吐き出した。当たり前だ。だって腹には、自分で突き立てたあの未知なる剣が───。
「これで、アイツを倒して―――……」
痙攣するような口唇。たった一単語、彼女が遺した言葉はあまりにありふれていた。きっと、それは人間誰しもが呟いたはずの言葉だけを慎ましやかに遺して、アルテラは消尽した。
あまりに、呆気無かった。解きほぐされたエーテル体が大気に還る光景は、無味乾燥だった。何故かその空虚さが酷く腹立たしく、小さく背中を丸めたネロの姿は、老いた
だからその攻撃を彼女が躱せるはずもなく。正面から襲い掛かったそれに、全く無防備だった。
ネロを縊り殺そうと迫る、奇怪な何か。オルレアンで見たあの海魔───それよりもなお不定に蠢く異形の蔦は、サーヴァントにすら致命傷足り得る一撃だった。当然、生身の人間など耐えうるはずもない。ネロ・クラウディウスの肉体はあっさりと拉げ、肉団子と化すだろう。
だが、そうはならなかった。打撃がネロの頭を西瓜みたいにかち割る寸前、トウマは飛び込むみたいに彼女の身体を抱きかかえた。
寸の差。もし1秒でも判断が遅れたら、まとめて肉塊になっていただろう。地面に転がったトウマは空虚なほどの現実感に酩酊にも似た何かを惹起させながら、その攻撃の先を───獣のような、爬虫類のような不気味な何かを、睨みつけた。
「化け物同士のおままごとは終わりか?」
酷い、失望が浮かんでいる。鼻白んだ睥睨は、それこそ羽虫でも見ているかのようだった。
「全く。化け物は化け物らしく、ただ文明を捕食していればいいものを。暴君と人間ごっこなど、茶番にしては怖気が走る。オルレアンの時もそうだ、狂信者ならばサイコパスらしく振る舞えばいいものを。そう思わないかね、そこの君?」
その時、男は初めてまともに少年を視界に収めた。愚にも付かない若い人間の一匹など、そもそも見るに値しないはずである。ならば、それは正視したというよりも、その辺の石ころに気まぐれで話しかけた程度の心情であろう。事実、男にとって、トウマなど偶然生き残っただけの一般人程度にしか理解していなかったし、そんな人間の個体を認識するなど労力の無駄でしかなかった。
「貴方は一体何なんだよ」
だから、口答えされたことは、男にとっては心外でしかなかった。
「何なんだよアンタは!? 人をオモチャみたいに弄んで、悲しみだけを広げて! そんなにご立派なのかよ、アンタがやろうとしてることってのは!」
ならば、その沈黙は一体何だったのか。石ころが唐突に反論してきたことへの驚愕か、あるいは別種の何かか。ただ、その問いが何か決定的だったことは違いない。今まで石ころへの一瞥に過ぎない視線は、より明瞭な輪郭を持った───吐瀉物でも眺めやる視線へと、変質した。
「イキるな、女の影でビクビクしてるだけのカスが。いっぱしの口を利くなら、せめてあのクソ忌々しいオルガマリーの妾と同位になってからにすることだ!」
ぐにゃりと、男の手が歪んだ。
トウマが認識できたのは、そこまでだった。そこまでしか認識できなかったことまではなんとか認識して、だから「あ、死んだ」と思った。
さっき躱せたのは、ただの偶然だったのだ。意表を突いたが故の、運命の紛れ。だが、偶奇に次はない。あの男は間違いなくトウマという個体を殺すために攻撃して、そしてやっぱりただの人間に過ぎない少年にはそんな攻撃、躱せるはずもない。ロードも言ってたではないか。自分は弱くて、戦う力なんてないのだから。
でも、あの時、その後なんて言ってただろう。あの後、確かに言ってた気がする。弱くても───。
あと、秒未満。緩慢な思考の中、それは不意───いや、きっと多分。
運命、だった。
ぐにゃりと、何かが擦過した。しなやかで鋭利な何か。迸るほどの閃光が不定の異形に絡みつくや、一瞬の間もなく裁断した。
飛び散る黝い血飛沫すら焼き払う。鞭にも見えたそれは、虹色に、綺羅めいていた。
「後ろでビクビクしているだけ、か。結構、善いではないか! 前で戦う者には、後ろで待っていてくれる者が必要だと知らぬと見える」
振るうは虹なりし未知の剣。鞭の如くにしなる神の刃を携えしは、赤いドレスの剣士だった。
微かに見返す一瞥。翡翠の目に悲哀はなく、怒気もなく。澄んでいながら、苛烈にも見える放胆な目は間違いなく彼女───ネロ・クラウディウスのものだ。
だが、何か違う、と思う。彼女でありながら何か差延が蠢く面持ちは、端的に言ってもっと“高く”見えた。
「すまぬ。でも、私はもう、大丈夫だ」
いいけど、と言いかけたトウマは、一瞬だけ肌で感じた違和感に眉を寄せ、そうして、身体を震わせた。
えへん、とでも言いたげなネロの横顔。彼女から発散されるこの感じ、間違いない。
「ちょっと待って、疑似サーヴァントって───真名」
「皆まで言うな。真の名をつまびらかにすること、余の役目故な。まぁ、これでちょっと、反則をしているだけなのだが」
ちらり、彼女の掌の中で閃く金の光。夜が降りているというのに、却って目に焼き付くその光。間違いない、その黄金の杯は―――。
「ところでトウマよ、余はまだ返事を聞いていなかったのだが」ふふん、と胸を張って、ネロが言う 「余を妾にせよと言ったであろう。その返答、聞いてないぞ」
その言葉の意味が解せぬほど、少年は愚かではなかった。何より、そのかんばせ。精悍、というのとは違うけれど。肥沃な土のように、数多の情動を含んだその顔に覗いた、ほんの少しの悲哀に、トウマは小さく、頷き返した。
掲げる右手。鈍く光る赤い痣。明滅する様は、心臓の拍動のよう。ならばじわりと痣から感じる熱は、流れ出した熱い血か。
「うむ。その誓いを受ける! 余こそは剣の英霊、そなたの
朗とした声が、契約の完了。その合図だった。
じわり、滲むような熱が変転する。痣から血管を逆流するように巡る温度は、まさしく灼熱のよう。契約の瞬間、トウマは気絶しかけた。というより、実際一瞬、気を失った。
俄かには信じがたい現象だが、ただ主従のパスを通してですら、逆流するネロ・クラウディウスの存在は凄まじかった。上位の魔術師ですら発狂しかねないほどの奔騰に、でも、少年は耐えた。
簡単な、ことだった。濁流のようなオドと一緒になって流れてくるサーヴァントとしてのネロの情報。一見いつもと変わらぬ体で佇む彼女の姿に、どうして自分だけが気絶していられようか。マスターとしての義務があるなら、己がすべきは彼女の姿を見届けること以外にありはしないのだから。
「そなたは優しいな」
呟きのように口遊んだ言葉の雫。必死に自我を保ち続けるトウマには当然聞き及ぶべくもなく、ネロ自身もやはり聞かせる気などなかっただろう。
「うむ。やはり、余はそなたのことがちょっと好きだ。奏者とはいかぬがな」
だから、彼女は彼女らしく、結果だけを伝えることにした。え、と面映ゆくトウマを後目にネロはその剣を―――軍神の剣を、天へと掲げた。
「聞け、遥かな神代の日々に在りし至天の君! 我が子の祈りをどうか聞き給え───
赫焉が屹立する。ソラへと昇った閃珖はぐるりと円を描き、紅蓮の如き陣を象る。
「座よりの
※
動作から、マシュが繰り出す攻撃は見切っていた。
術式を編まない魔力弾。あのライダーが繰り出す攻撃と同種のそれは、既にさして脅威ではなかった。
構成する戦術は強気の突撃。回避もできたが、回避機動を執った分だけ手は遅くなる。そしてその遅れは、あのサーヴァント相手には致命的になり得る。
戦士としての直観。これまで油断など一切したことはなかったが、それを踏まえてもあの相手を軽く見るべきではない、という洞察。それ故に最短距離で首を刎ねに行く。左腕に被弾させて防御し、抜刀の気勢のままに首を落とす。脳裏に描く戦闘機動を縫うように、頼光の体躯が跳ねた。
振り下ろされる剣。打ち出される魔力弾。左腕を盾にしかけた頼光の動作がワンテンポ遅れたのは、仕方がないといえば仕方がなかった。
「───
咄嗟、頼光は刀を抜いた。抜いて、しまった。
腰からぶら下げた鞘から抜き放つ太刀の一閃。尋常などとうに置き去りにした速度の太刀筋と、その斬撃の速度はほぼ同時だった。
甲高く響く金属音。ひしゃげる音は金切り声そのもので、飛び散った火花は雷のようだった。
霧散する魔力。薄く延びるような魔力の斬撃は、単なる威力こそは魔力弾のそれと差がなかった。ならばこれまで通り、太刀で迎撃し得るのは当然の理。瞬く間に消滅する刃を見ながらも、頼光の目に映った光景はそれだけではなかった。
既に、マシュは懐に飛び込んでいる。突きの構えで飛び込む姿は全く以て無様だったが、それでもその速度だけは本物だった。
時間に擦ればコンマ数秒ほど。半瞬すらないほどの時間を隙と理解してみせたその判断を理解して、頼光は、甘んじてその刃を受け入れた。
※
その感触を、おそらくマシュは二度と忘れないだろう。
構えた剣が、皮膚を引き裂き真皮を穿ち、筋線維を切断し臓器を抉る感触。剣を伝播し肌を侵襲する味わいに嘔吐しかけたマシュは、自らの手で肺と心臓を串刺しにされたその姿を目に焼き付けた。
「盾を踏み台にしたのですね。よくもまぁ考えつくものです」
どろりと、剣を伝わる赤い液。指先まで伝わった感触に震えながらも、マシュは刃の柄から手を放さなかった。
「私で慣れておいてくださいましね。剣を持つとはそういうことで。剣を持った貴女は、きっと、これから───」
ずぶり、と傷口から血が噴出した。
自ら剣を引き抜いた頼光は、そのまま所在なく踏鞴を踏むと、足を萎えさせるように膝をついた。
そうして、死んだ。うなだれた頼光の身体は微かに痙攣しているが、明らかに死んでいた。その証拠、とでも言うように頼光の身体が崩れていく。身体の輪郭を蚕食するようにエーテル体の体躯が光子となって解けていく。
「マシュ!」
自分の名を呼ぶ、声。顔を上げると、不格好に走り寄るマスターの姿が目に入った。
「マシュ、無事───」
リツカが手を振るようにふり上げた、瞬間だった。
蹲っていた影が、不意に打擲する。跳ねるように体躯を起こした女武者の影は振り向きざまに太刀を抜刀し、その気勢のままに大太刀を振り抜いた。
狙いは一路、リツカの首。1秒すらなく首を刎ね飛ばす剣戟は、流麗というには意地汚く、汚濁というには洗練な一太刀だった。
剣先が弦月を描く。風を切り裂いた刃は、そのまま首を頸椎ごと両断した。
首が、蠢く。くるりと回転した首は髪に纏われ、胴体が朽ちるのに一瞬遅れて墜落した。
肺が、焼け付く。過呼吸気味になりながら、マシュは自らの手に握られた血まみれの剣と、首なしになった肉体と―――髪に覆われた、頼光の首を見下ろした。
髪の隙間から覗く、彼女の目。荒武者の如きバーサーカーの、眼、は。
「マシュ」
リツカは、所在なく一つ結びの髪をかき回した。その表情は、特段の起伏もない。ように、見える。
「貸して」
リツカは言うなり、問答無用で剣を奪い取ると、付着した血糊を、拭った。刀身に付着した鮮血を払った後の彼女の姿は、なんだか傷を負ったかのよう。それでも特に気にした風はなく、彼女はぎこちなく笑った。
「ありがとう、ごめん」
ぎこちない、笑み。マシュにはまだ、なんと応えていいのかわからなかった。ただ吃ることしかできなかったマシュの頭を撫でたリツカは、「あ」、とごく自然に、空を振り仰いだ。
雲一つない、星光の