fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
原初の炎が、静かに波濤を揺らしていた。
舞い散る火粉は華の如く。であれば、熱く燃え盛る火の波は、栄華繁栄を誘う薔薇であったか。
黄金と赤の意匠はまさしくローマの表徴だろう。金が富を示すならば、赤は地の底で滾る焔。
神話礼装。Fate/extraCCC、最終決戦のために設えられた武装。
だが、その代償はあまりに重い。自らの崩壊を引き換えにするという在り方に、紛れはない。まして、ここは霊子の世界ではない、現実の世界なのだ。右腕の令呪を通して覚知する疼痛。ただ令呪越しに感じる痛みだけでも、今にも五体を引き裂かれそうなほど。本人が直に感じているものは、想像するだに恐ろしい。
「うむ、たまには軍神を恃みとするも良かろう。野蛮とばかり思っていたが、話のわかるものだ」
だが、ネロの素振りに変わりはない。傲岸ですらある溌剌とした顔に淀みはなく、軍神の剣を指先で弄ぶ仕草は優雅ですらある。ふふん、と鼻を鳴らして自慢げに一回転して見せる様など、とても、彼女らしい。
「最も、余としては美神の方が好むところではあるが! だが親とは時に、己が趣向より子の想いを貴ぶべき故な」
磊落とすら笑って見せる。それが強がりでも何でもないことが彼女の勁さで、その当然の身振りが、きっと彼女の柔さで。ネロ・クラウディウス、という人物のしなやかさなのだ。
だが、彼女の在り方はそれに尽きない。さて、とばかりに獅子の鬣の如き金の髪を振り仰いだ面持ちに宿っていたのは、ただただ純粋な暴戻だった。民草を蹂躙せしめる暴君は、その暴性の牙を静かに閃かせた。
「人間の皮など、貴様の如きが外道には上等に過ぎるだろう。疾く本性を現すがよい。その心根ごと、余が鏖殺してくれよう」
「在り得ぬ。その霊基の高さ、貴様のような愚図が、冠位など持つはずが───!」
「知れたこと。貴様が化け物と罵ったあの子は真にこの世を想い、彼方の軍神はそれに応えたのだ。だから貴様はここで死に晒すのだ、その道理がわからぬから!」
「人間如きが、つけあがるな!」
男の体躯が膨れる。肉の風船と化して膨張し、天衝くばかりに化生する。瞬く間に仰ぎ見るほどの巨体と化した肉の塔、無数に張り付いた無感動の目が一挙に睥睨を投げつけた。
およそ正気とは思えない怪異。常人ならば直視に堪えない醜さを湛えた巨躯が
「我が名はフラウロス! 72柱が第64位、魔神フラウロスだ! 貴様らごとき凡百の二流に、王の寵愛たるこの私が、負けることなどあるはずがない!」
「
「おわっ!?」
肉の塔から無数の触腕が噴き出す。四方八方より迫る肉の槍に貫かれれば一溜りもあるまい。しかもその物量。サーヴァントの数騎ですら容易く屠る槍が襲い掛かる様はもはや牢獄ですらあった。
だが、紅蓮の体躯はあまりに容易く脱獄する。翡翠の翅で翼撃を迸らせた彼女の速度は、音速など当に凌駕している。ソニックブームを引き連れたネロは群がる肉壁を容易く切り裂きながら包囲網を抜け出すや、立て続けに襲い掛かった触腕を悉く叩き伏せた。
一見してネロが有利に見える。【皇帝特権】の為せる業か、あるいは軍神の加護によるものか。本来の彼女の性能を遥かに逸脱する剣技で捻じ伏せる様は、まさしく軍神と言うほかない。
だが───ネロの脇に抱えられながら、トウマはその光景を明瞭に直視する。
切断されたはずの触腕。無残に斬り殺されたはずの腕が、みるみる内に再生していく。無数に這い出す触手を斬り伏せる間に蘇生した腕が波状攻撃に加勢し、瞬く間に分厚い包囲陣を再形成した。
「ええい、これならどうだ!」
ぐん、と負荷が伸し掛かる。掬い上げる要領で肉の壁を斬り払い、穿った間隙に飛び込んだネロは返す刃を振り下ろし、巨大な肉柱を一刀のもとに両断した。
乾坤一擲、古木にすら見える柱は、ただの一撃でかち割った。重力に轢かれて肉が崩壊したのも、しかし束の間に過ぎなかった。触腕と同じように瞬時に再生するなり、夥しいまでの肉槍がネロの背へと降り注いだ。
「後ろ!」
「むう───!」
回避不能。判断から決断は秒未満、反転と同時の肢体可動でもって慣性運動を制御しきり、展開した光の翅がさながら繭のようにネロとトウマの身体を隠蔽した。
無限にも続く滂沱の攻撃を翅で防御しきるネロの表情に、余裕らしい余裕は欠片とてない。神話礼装の破綻は遠くない。あと3分か、あるいはもって5分。そのうちに殺しきらねばならぬ彼女にとって、この1秒は絶望的な浪費だった。
軋むような彼女の顔。回転する逡巡、すり減る想い。なんとかしなければ、という倫理的義務感は焼け付くようで───だからこそトウマは、咽頭を硬直させた。
そうだ、あの男はなんて言っていた。弱くていい、と言っていた。弱くていい───だがその、代わりに。
「トウマ!」ネロの声が、強かに耳朶を打った。「余があと1分稼ぐ間に、あのクソ忌々しい馬鹿をぶち殺す手法を見いだせ!」
「───言われなくても!」
「良き返事だ! 余の主ならばその程度のこと、やってみせろトウマ!」
───弱点らしい弱点はなかった。無数に湧き出す攻撃手。攻撃しても瞬く間に再生する肉体は、無限の蘇生能力を持つかのように錯覚する。
だが、無限には理屈がある。たとえばプラナリアがそうであるように、切断を続けていけば、いつか必ず終わりがくるように。この世に存在するもの、形あるものは、いつか必ず終焉を迎えるのが道理であり、礼儀なのだ。
跳躍するネロ。追いすがる触腕を鞭で悉く斬り払い、足に組み付く腐肉を焼きつくす。再度の猪突で以て、あの巨大な肉茎を2度、3度と軍神の剣で両断していく。だが結果は変わらない。叩き切られ、ねじ切られ、絞殺されるたびに蘇生を繰り返す様は、無限が、まさしく存在しているかのような錯覚を覚えさせる。
だが。
遅い、と思った。自身の直感を裏打ちするため、即座にBDUに装備された記録媒体を視野に別枠で投影する。あの巨大な柱が叩き切られてから蘇生するまでの時間。最初に比べて、若干だが遅くなっている───。
「む、ようやっと倒し方に見当がついたか!?」
何も言ってすらいないのに、ネロは凄絶なまでに晴れやかな一瞥を寄越した。阿吽の呼吸の如く、ほんの少しのトウマの心情の機微を察知したのだ。
「た、多分!」
「それでこそ我が
「結論から言うと、あの本体っぽいデカいのをひたすらにぶっ倒し続けるんだ! 再生するのにも限りがあるんだと思う。あと多分、再生速度以上の速度で殲滅すれば───おわっ!?」
そこからは、声にならなかった。さらにトップギアに入った速度の負荷が凄まじく、フィールド制御される中にあってすら喋ることすらままならなかった。
彼女の一瞥が、トウマの瞳に落ちる。軋むような満面の破顔は如何にも気に入ったと言わんばかりだ。
「愉快な作戦だが気に入ったぞ! あ奴は何度ぶっ倒してもぶっ倒しても、私の怒りは収まらぬからな!」
立て続けに迫りくる触腕を花散る天幕の如き一閃で纏めて叩き切り、ネロは気勢のままに翅を押し広げて揚力を引き上げ、追いすがる攻撃を全く寄せ付けない速度で天へと昇った。
「ちょっと無理するぞ、トウマ!」
光の翼を折りたたむ。一挙に揚力を喪失したネロの躯体は重力のままに墜落を開始し、彗星のように肉の柱へと突撃する。【魔力放出】に加え位置エネルギーから転換した運動エネルギー、あまつさえ重力すら味方に引き入れた
「【皇帝特権】―――
一瞬でクロスレンジまで侵襲したネロは剣を構え、
「『
一刀両断。薪割りの要領で肉柱を切り裂く凄絶さは変わらず、だがこの一撃こそは打撃の開始だった。
迫りくる触腕は百にも及ぶ。壁にすら見える肉の槍は絶殺の布陣。だがネロの繰り出す迎撃は、その迫りくる死など置き去りにするほどの
肉塊は無為に蠢いている。反撃する手立てすらなく、必死に生き永らえようとしている。だがそんなことなどさせはしない。アレはこの世にあってはいけない類の災害なのだから。躊躇など一辺たりともない。容赦などあるはずがない。
「我が聖名、マルスの銘において解放する───行くぞ、アルテラ!」
小さな頷き。きっとあったはずの返答に口角を緩めたネロは、構えた剣を、突き出した。
綺羅、と星のように瞬く、その宝具の銘を───
「『
※
「終わったな」
声が、耳朶を打つ。
小さく身動ぎした少女は、隣に佇立する影を振り仰いだ。
裁断機でくしゃくしゃになった紙のような白い髪に、痩せた椚のような肌の少女。白い髪を一つ結びにした少女は、困ったように眉を寄せて見せた。
「マルスの疑似サーヴァント、か。よもや神霊と見えるとは思わなんだ」
「何言ってるのさ。貴女だってそうじゃない」
小さく、影が揺らめく。彼女らしい秘めやかな微笑が、きっと昏い洞の奥に潜んでいるはずだ。
「このままでは、フラウロスは此処で死ぬぞ。なんなら私が今救い出して見せようか。アレが如き魔神、古きルーンで如何様にもできようて」
「いや、いいよ。別にフラウロスに拘るわけじゃあないし。どうせだったら、試金石にでもした方が良い」
「いやはや。強欲な娘だ。そうして我が世も踏破していったわけだ」
肩を竦めて見せる。言ってから、うむ、と身動ぎした
「言葉が過ぎたな。赦せ、何分”ゆーもあ”、という奴を私は知らぬ」
「いえいえ。事実ですし───じゃあ、行こうか」
立ち上がる、少女。ぱたぱたとプリーツスカートについた草を払ったところで、彼女はその姿へときょとんとした目を向けた。
「どうしたの、セイバー」
彼女は、もう一つの影へと声をかけた。
セイバー、と呼ばれた影が身動ぎする。丘の下で繰り広げられていた戦闘を熱心に見やっていた影のセイバーは、小さく身体を揺らした。
影の洞の奥底で、金の双眸が灯る。困惑のようなそれは、自らの主に意見具申すること───しかも実にならない提案への、小さな申し訳なさのようだった。
「いいよ。貴女がわがままを言うなんて、珍しいからびっくりしただけ」
「うむ、確かに。貴様はもう少し気ままに振る舞うのも良かろう」
影が、身動ぎする。一礼だけすると、セイバーと呼ばれた幻影が突風とともに跳躍した。
※
「うーん、怒らせちゃったかな」
白い幻影は、むー、と口を尖らせると、すっかり冷めたポップコーンを口に頬張った。
既に、男の姿はない。途中から見学を辞めた男がどこへ行くのか、特段詮索もしなかった。また知ろうと思えばその千里眼で見通すこともできたが、そうすることもしなかった。興味がないわけではない───というかめちゃ気になるけど、それはそれ。全部が詳らかになった世界なんて、きっとつまらないだろう。
どっこいしょ、と声を漏らした幻影は大きく伸びをする。良いものが見れたなぁ、と全く以てろくでもない感想を漏らすと、莞爾としながら跳びかけ───。
ふと、足を止めた。
男が居た場所。その後に、何かがあった。身を屈めて眺めてみれば、それは───。
青白い、死蝋?
ちょっとだけ、顔を顰めた。フードの奥に手を伸ばして髪をかき回すと、一度、溜息を吐いた。
「キング君のことも呼ばないとかなぁ、これ。私は休暇のつもりだったんだけど」
影が身を翻す。崩れ行く特異点の中、無邪気ですらある歩様で別世界へと顕現しかけたたが、ふと、背後を、世界を、眺望した。
だが、それも一瞬。ふふん、とおはぎみたいなふっくらした笑みを浮かべると、夢のように霧散した。