fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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星陰

 ネロの目を覚ましたのは、ふと頬に伝った冷たさだった。

 あれ、と思った彼女の目に飛び込む光景。顔をくしゃくしゃにしながら自分をゆすぶる姿。麻痺した脳みそをなんとか駆使したネロは、もそもそと上体を起こした。

 「何を泣いている奏者よ。そなたは───む」

 首を、傾げる。口から滑り出した声の違和感に眉を寄せたネロは、「トウマ、か」とぼんやりしたままに言い直した。

 「だっていきなり気絶するから死んじゃったのかと」

 「む、それはすまぬ。余も気が抜けたというか、なんというか」

 覚えず顔を赤くしたネロは、気恥ずかしそうに肩を小さくした。

 ───もちろん、覚えている。アルテラが啓いた火神への道筋。軍神の剣を触媒とし、自らの才と情熱を燃料にしての、戦神(マルス)の降臨。その後はマルスと意識が混濁していたけれど、あの時の熱は、よく覚えている。

 「マルスめ。戦だなんだというのは気に入らぬと思っていたが───ちゃんと、敬わんとな」

 何せ、戦の力こそは、きっと、あの子の───。

 首を降る。考えるべきことではない、とネロは淡く口元を緩める。髪をかきあげたネロは、草原に座ったまま、空を振り仰いだ。綺羅星を敷き詰めた、満天の空を。

 翡翠の目に浮かぶ、名前の無い黒檀の穹窿(ほしぞら)。見上げたネロの眼差す先には、彼女だけの夢の座標(星座)が確かに署名されていた。

 「もう、帰るのだな」

 「うん」

 「そうか、残念だ。いやなんというかだな、余はそなたのことがやはりちょっと好きなようだからな。本当にハレムに連なるのもまぁ悪くないなどと思ったりはしたのだが」

 「流石に身に余りますし───というかあの、ほんと誤解というか。僕はその、別に一夫多妻制の支持者ではないんですけど」

 「そんなことはないぞ、見込みはある。そなたであれば、あるいは余の奏者に───」

 詮の無い思索、軽薄ですらある言葉。重さの無いエクリチュールは夢のように空想へと羽搏いて───。

 

 

 男はその時、おそらく初めてその感情を味わっていた。

 臓腑の底から痙攣し、悪寒が全身を縛り上げる感覚。酩酊にも似たそれは、およそ全く以て人間的な情動。

 曰く。それは、原初的な恐怖だった。

 こんなことがあって良いはずがない。たかが英霊如きが、御柱を退けるなどということがあっていいはずが、ない。

 時間神殿から離れて久しいからだ。そうに、違いない。壊死が始まっていたのだ。さもなくば、この私が人間の姿で這いつくばることなど、在り得ない。

 「この私が、二流の人間などに」

 還らねば。なんとか人間の身体までは復元できたが、却ってそれが今は有利に働いている。なまじ強大な力を持てば、たちまちカルデアの索敵網に引っかかっていただろう。これは幸運。この隙に戻れという、天の意思なのだ。

時の神殿に、行かねば、王の元へ戻り、早く肉体を治癒し、そうして今度こそは、あの凡百の愚図どもとを略殺せねば。

 「術式、展開。座標、時間神殿。転移、開───」

 ずぷ。

 何かが背に刺さった。

 小さな、短刀(ナイフ)。刃渡りにして20cm弱ほどの何の変哲もないナイフが背を貫き───。

 「『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』」

 ケ゜ァ゛ッ。

 「終わり(ゲームオーバー)よ、ド三流」

 「格の違いって奴、わかってもらえたかな?」

 脇腹に、つま先がめり込む。もはや肉袋と化した男は最早何も思考すらできず、ただ転がされるままに天を仰いだ。

 2対の双眸。酸化銅膜のような目と並んだ赤い目が、呵責など一切ない睥睨を落としていた。

 その時ほど、畏怖を惹起させたことはない。畏怖されることこそあれ、よもや自らがそんな情動を抱くことなどありはしなかった。未知なる感情に痙攣した男は、もし口が聞けていたら許しを請うことすらしたであろう。それだけ、この状況は奇異だったのだ。先ほどまで確かにつながっていた感覚が、ぶつりと途切れている。世界から断絶した、浮浪の孤児になってしまったような、感覚。

 「さて、それじゃあ、これからの話をしよう」

 ずい、とプラチナブロンドの髪の女が顔を覗かせる。小さく悲鳴を上げた男を見下ろす赤い目は、煉獄の奥のゲヘナの火を思わせる。

 「喋れるんだろう? そのくらいのことはわかっている。君が……いや、君たちが何者なのか。早く応えてくれないか」

 無言。

 無言……。

 無───。

 ずぶ、と何かが腹を裂いた。ぎゃあ、と悲鳴を上げたレフに対し、もう一方のシルバーブロンドの髪の少女が、煉獄で生成された剣のような目を落とす。既に肩で呼吸しているし、何よりも口元には血を拭った後がある。佇まいすらふらついているというのに、却ってその威容は死神のようだった。

 彼女が手に持つ武器。禍つ鎌の如き武装は、間違いなく宝具だ。しかもそれは、男にとっての天敵。屈折延命現象により不死を殺すことに特化した、まさしく不死殺しの鎌。

 「いい、アナタには思想の自由もないし、言論の自由も無いのよ。勘違いしないで、これはもう、質問じゃあなくて、拷問に代わってるんだから」

 ずぶり。

 さらに、切り刻む肉体。両腕が千切れた男は、ただただ声帯を痙攣させることしかできなかった。

 「さぁ、早く吐きなさいよ!」 

 ゆら、と持ち上がった鎌が……。

 

 ※

 

 「クロエ!」

 ───その時、いち早く反応できたのはクロではなく、スペックとしては凡人並の身体機能しかもたないライネスだった。 

 「このっ!」

 一瞬で差し込む気勢。それより一手早く、クロを突き飛ばしたライネスは、同時に魔力弾を撃ち込む。術式を伴わないそれは、ライネスという人物がおよそ有する数少ない攻撃手段だった。エルメロイ家の次期当主を担った尊厳としては全く貧相で情けない攻撃だったが、それでも彼女の数少ない攻撃手段には違いない。

 ライネスという人物なりの、最大限の攻撃。貧相でこそあれ、サーヴァントとして顕現する彼女のそれは、音速に匹敵する速度を持つ。威力にしても、対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)程度の火力はあっただろう。一時行動不能に追いやる程度はある、というライネスの思惑はどちらかと言えば希望的観測だったが、空色の目に映ったのは───。

 黑い、洞だった。

 一刀、脇構えから放たれる突風。ライネスの放った魔力弾などあっさりと叩き切った黒い影は、刹那すらなく少女の懐に飛び込む。

 無論、ライネスは反応などできるはずもなかった。脇構えから掬い上げた剣戟の返す刃、上段より振り下ろされた朔風は、一瞬でライネスの意識を切り裂いた。

 朽木が斃れるように、少女の矮躯が崩れ落ちる。地に臥したライネスへと追撃を撃ち込みかけた黒い影は、だが横薙ぎの一閃を虚空へと放った。

 同時、剣閃に矢が重なる。計4発の矢を一太刀で斬り払った影は、直後に赤い猪突を知覚した。

 突き出される朱の刺突。背後に飛び退きながら穂先を弾いた影の機動こそは、クロの狙いそのものだった。

 「宝具!」

 構えた槍の真名を解き放つ。クロの外套、赤い聖骸布よりもなお深い紅の槍。ケルトの英雄クー・フーリンが使いし槍こそは呪槍ゲイ・ボルグ。放てば必ず心臓を貫く因果逆転の槍が、影の心臓を捕捉する。

「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)』―――!」

 地を這う軌道。猛犬のように奔る赤い呪槍は、瞬間在り得ざる軌道へとねじ曲がった。ほぼ直角に救いあがる湾曲。飛び掛かる猟犬さながらに心臓へと食らいついた槍は、過たずに影を穿つはずだった。

 影は変わらず、無手のままだった。何らかの宝具を使う気配すらなく、ただその刺突を受け入れた、かのように見えた。

 だが、それも一瞬。クロの目ですら補足しきれない速度で構えをとった影が執った行動は、あまりに単純だった。

 構えは上段に近い。迅速にも関わらず緩慢にも見える動作は、見惚れるほどだっただろう。息を飲むほどの動作の後、影はただ、無手のままに何かを振り下ろした。

 ただ、それだけ。因果逆転の魔槍に対抗すべく繰り出した手は、あまりに質朴だった。振り上げた何かを今度は振り下ろす、という動作の直後、あまりに当然のように、ゲイ・ボルグが真っ二つに両断された。

 驚愕の、暇すらない。あまりの膂力に崩れた体勢は無防備で、連撃の気勢の踏み込みは、直後の斬撃を予感させるにあまりある。

 あ、と思うと同時。さらにクロスレンジへと、蒼褪めた影が踏み込んだ。

 「キャスター!?」

 鋭鈍な衝撃が、胸を抉った。

 肺の空気が一挙に略取される感覚。草原に激突したクロの寸詰まりの思考の中、その、影を視た。

 堕ちた宵の下、微風に擦れる草原の中。

 対峙しただけで迸る、赤黒い怖気。

 其は、2騎の、サーヴァント。闇夜よりも黝い幽鬼の如き影が、揺れていた。

 「そなたの言う通りか。ただ蹴りをいれただけなのだが」

 影の1人が、身動ぎする。教鞭にも似た短杖を宙に彷徨わせた幽鬼の声は、場違いなほどの驕慢な呑気さだった。

 「筋系まで魔術回路に欺瞞すればこうもなるか。無謀と紙一重の蛮勇よ」

 げほ、と咳き込む。臓腑のどこかから噴き出した血を飲み込む余裕すらなく、嗚咽のように吐き出した彼女は、ただただその2騎を、見上げているしかなかった。

 「魔術回路の欺瞞運用はほどほどにしなさい。仮性に過ぎない幼体の貴女では、まだ異界常識に耐えられない」

 影の1人。不可視の武装を担う影が、声を漏らした。暗い洞を思わせるフードの奥で、黄金の双眸が灯る。ふつふつと湧き出る泉を思わせる、清廉さを感じさせる声。存在の奥底に凝る、月影のような声だった。

 何故、という疑念。ぎちりと睨みつけるクロの視線───殺意すら含んだ気勢をうけてなお、黒い幽鬼は動じない。

 「もっと、マスター君を頼ってあげなさい。不幸なアトラスの真似事は、女の子らしくないでしょう?」

 洞の奥、金の目が揺れる。見透かすような目は冷徹さよりも宗教的な悟りにも似た温和さが、あった。

 虚を突く柔和さが、最後だった。気絶するように意識を断絶させると、直後、クロエはこの特異点から消失した。

 やれやれ、とキャスターが肩を竦める。じとりと見やるその視線に、セイバー、と呼ばれた影はさしたる感動もなく、地面に転がる遺骸を担いだ。

 「屈折延命とはな。これでは、大神のルーンでもどうしようもないぞ」

 「ないよりはマシでしょう。何事もチャレンジあるのみです」

 「そなた、結構健気よな。いやだって、抑止力からの排除が働いているんだろう……まぁいい。さて、どれにしようかなっと」

 気だるげに言いながら、キャスターが宙に杖を彷徨わせる。滑らかにルーン文字を描いた。

 影の背後、何かが口を開ける。薄暗く開いた門に吸い込まれた2騎は、跡形もなく、消尽した。

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