fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
時は2015年、場所はフィニス・カルデアの管制室にて
ロマニ・アーキマンは伸ばし放題にした柿色の髪をかき回すと、それはそれは大きなあくびを漏らした。
「所長代理、休んでください。休むのも仕事ですよ」
「あぁごめん、じゃあ任せる。なんかあったら呼んでね」
オペレーターを務めるアメリカンアフリカンの女性の爽やかな笑顔に見送られ、ロマニはふらふらと管制室を後にする。目鼻立ちがくっきりしているだけに、なんというか気圧されるものがあった。
所長代理。あくまでお飾りの肩書だが、それでもその職責は激甚だ。ある意味において、現地にレイシフトしている5人よりも重い。小心者のロマニには全く以て荷が勝つ話なのだが、一周回って気にしていない境地に至りつつある、今日この頃。
リツカが言っていた。どうせ失敗したらそこで人類の未来は終わり。責任もくそも無い。これほど無責任な言葉もないが、だがそれも事実なのだ。ただの凡人に過ぎないにもかかわらず、死に物狂いでこの国連機関に潜り込んだロマニには在り得ない発想である。それを素直に頷くつもりもないけれど、さりとて、理のある言葉であるとも思う。まして、リツカが言うなら説得力がある……。
まぁ、それでも。ふとした時に、凄まじい重責を思い出すと、気が狂いそうになるのだが。脳髄の奥底から鎌首を擡げ始めた不穏をさっさと無視したロマニは、一目散に医療区画へと向かった。
管制室から居住区画は相応に遠い。それよりも近場でベッドがある医務室の方が、小休憩を取るには手っ取り早い。それに、備え付けの冷蔵庫におはぎがあったはずだ。オフェリアの様子も見たいし、緑茶も淹れようかな、などと考えながら道を曲がった時だった。
「おっと」
「あぁごめん。てなんだ、休憩かい?」
自分より一回り小さい人影が、こちらを見上げる。
艶のいい黝い髪に、人為的なまでに端正な顔立ち。単なる外見ならば、なるほど美質に溢れた人物である。
サーヴァント、レオナルド・ダ・ヴィンチ。万能の天才を標榜する男……男……? は、珍しく目元にクマができていた。
「む、なんだその顔は。いやわかってる、全く不愉快だ」
レオナルドは、酷く不機嫌そうに口を噤むと、いらいらと髪をかき回した。それでも髪がボサボサにならないのは、彼女の【天性の肉体】の為せる業か。逆に言えば彼女の疲労は、サーヴァントのスキルですらも防げないほどの証左でもあった。
「神代回帰ってのは本当みたいだな。計器がバグってたのはそれだと思う」
「オルテナウスの調整はまだいいんじゃないかな。そんな急なわけじゃあないんだろう?」
「そうは言うけどね。真名もわからないままじゃあ、戦えるものも戦えないだろう。これまでだってかなりギリギリだったんだ。まぁ、今はいいけどさ」
むす、と腕を組んだレオナルドは、思案気に壁に背を預けた。
オルテナウス。デミ・サーヴァントの戦力化にあたり、当初考案されていた強化外骨格の名前だ。幸いと言うべきか、憑依するサーヴァントの好意でサーヴァント化が適っている今現在、不要となった装備でもあった。
しかし、サーヴァントの真名が不明であり、それ故十全な戦闘ができない現状は、決して楽観視すべきではない。憑依されるサーヴァントがいつ退去するかも不明で、しかもそもそも論だが、シールダーという特性は、全天候での運用には向かないのだ。あらゆる環境下での戦闘が要求される特異点へのレイシフトを行うには、そもそもシールダーというクラスは適していないのだ。全領域で良好な戦闘能力を発揮するクロがいるからいいものの、シールダー1人ではあまりに頼りない。
ならば答えは一つしかない。それが、レオナルド・ダ・ヴィンチの提案だった。
「マシュも賛成してるしね」
「クラスカードかぁ。本当に置換魔術なんてマイナーな魔術で英霊召喚を可能にしてるのかい?」
ロマニは信じがたいように呟く。そうみたいだよ、と返すレオナルドも、若干半信半疑といった様子だ。
偶然か、あるいは必然か。懐から取り出したタロットカードサイズのカードは2枚。鎖につながれた囚人のカードと、剣士のカード。それぞれ1枚ずつだ。
「英霊の座に接続、英霊を自らの肉体に置換することで宝具・スキルを運用する……皮肉だけど、現象だけは安全なデミ・サーヴァントってところだ」
「でも使えないんだろう、これ」
渡されたカードをひらひらと翳してみる。剣士が描かれたカードの端が光を反射した。
「というより、使い方がわからないって感じかなぁ。クロエに聞いてみた通りに使おうとしたけど全然使えなかった。この魔術礼装をそのまま使うのは無理だな」
ひょい、とレオナルドはロマニの手からカードを摘まんだ。懐にカードをしまい直すと、「まぁ大丈夫さ」と口にした。
「一応、当てがないわけじゃないし」
「休める時に休んでおいてよ。君が居ないとホントヤバイから」
「あいあい、わかってるよ」
ひらひらと手を振るレオナルドの背を、ロマニはなんとも心細く見送る。魔術はともかく、機械には全く敏くないロマニにとり、レオナルド・ダ・ヴィンチの存在は大きい。いなかったらと思うと、ぞっとするものがある。
柿色の髪を撫でまわしたロマニは、鼻息を吐いた。
荒事に敏くないロマニには、オルテナウスが必要なのかどうか判断はつかない。ただ、レオナルドが提案し、リツカも賛成しているなら必要なものではあるのだろう、と思う。マシュも賛同しているのだから言うことはないはずなのだが、それでもロマニは、ちょっとだけ判断に困る。
マシュ・キリエライト。ロマニがこのカルデアにやってきたころには誕生していた、気弱な少女。トチ狂った計画の為だけに産出された、人工生命。決して人を傷つけることなど好まない少女のことを思うと、ロマニは色々とふさぎ込むものがある。無論、それが個人的感傷に過ぎないことは重々承知している。人類を救う、という大義の前に、一個人の生命や趣向などあまりに些末事で、そんなことにかかずらうことが許されるのは幼児だけだ。だからロマニは露骨に批判することはしなかった。ただ控えめに、どうかなぁ? と主張するだけに留めていた。
せめて、必要になることがなければいい。細やかなにそんなことを考えている合間に医務室に辿り着くと、ロマニはまず、ベッドに転がった。
睡魔が這いずりだしてきたのは、すぐだった。特に抗う必然もなく、まとわりつく泥濘のような微睡みへと身を委ねていく……。
他方。
同時刻、フィニス・カルデア技研部の一画。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、拭いきれない疲労を感じながら、天井からつるされた円錐形の模型、空を飛ぶための機械の模型をぼんやりと眺める。
が、実のところ、見ているのは虚空である。遠い世界を流し見るような胡乱な眼差しの先、レオナルドは重たい嘆息を吐く。
本来、彼あるいは彼女は、そういった陰険さとは無縁である。明朗快活、すっきりした人格は、なるほど万能の天才の名を否が応でも感じさせるものがある。にも拘らず、嘆息混じりに、ぐで~とデスクにだらける様はただの凡夫である。疲労にやつれた凡人の振舞は、全くレオナルド・ダ・ヴィンチらしからぬものだった。
無論、それには理由がある。理由は主に3つ。技術的難題の存在と、その解決策の倫理的課題と、そして最後もやはり倫理的課題……というよりは、人倫に関する課題だ。
ロマニが、マシュに戦わせたがらない理由はレオナルドもよくわかる。むしろ、ロマニと揃って先々代の所長……マリスビリーを論難したのは、レオナルド自身なのだ。それを、マリスビリーの遺物を使ってマシュに戦わせようなどと。彼あるいは彼女自身にも、当然葛藤はある。
だが、マシュは他の誰でもない、マシュ自身なのだ。戦う意思を……敵を打ち倒す意思を持とうとしているのは、他人に強制されてのことではないのだ。彼女自身が、彼女自身のために、剣を摂ろうとしている。それを批判する術は、少なくとも今のレオナルドにはなかった。ロマニもそれを自覚しているが故、控えめな自己主張しかしないのだろう。
それも、彼女の影響なのだろう。オルガマリーの助手を務め、Aチームの戦術顧問を担うはずだった赤銅色の髪を一つ結びにした少女、藤丸立華。デイビット・ゼム・ヴォイドに引き連れられて
そんなものに、マシュは憧れてしまったのだ。ならば自らの弱さを超えて剣を手に取るのは必然で。リツカの手足に相応しい強さを求めるのは、やはり、自然なのだ。
───そういう葛藤には、実はケリがついている。可愛い子には旅をさせなきゃいけないと、レオナルドは知っている。自らの境界線を越えて、
(じゃあ、もう結論は出てるじゃないか)
───その声は、全く以て不意に訪れた。
いや、あるいはそれも予期していたのか。
逡巡、一瞬。虚空から視線をずらしたレオナルドは、酷く緩慢な動作で立ち上がった。
(もう結論は出てるんだろう? クラスカードの技術的転用による全領域対応型統合戦術強化外骨格、《オルテナウス・ストライク》の開発。その難点である情報統合管制システム……『ナラティブ』の解決方法は、もうわかっているはずさ。第一、何のためにクロエちゃんに協力してもらってるんだい。遊びでやってるとでも?)
内心に呟く声。ハイドロスピーカー越しの、酷くノイズ混じりの声にも関わらず、レオナルドはその声が孕む奇妙な羨望を感じないわけにはいかなかった。
レオナルドは沈黙のまま、私室の奥へと向かう。途中、20桁のパスワードを入力し、指紋・網膜認証を経た後に開いた扉を潜ると、(やあ)と気さくな声がレオナルドを招いた。
此処に来ることは、ほとんど無い。感傷でもなんでもなく、まだそれは実験段階にすら満たない状態だったから。
狭い部屋の奥。巨大な試験管を思わせる培養槽の中、ふわふわと、それは酷く間の抜けたように浮かんでいる。
(むー、こんな状態で放置しているのは君じゃあないか。ちょっと恥ずかしんだよ、これ)
言葉に合わせ、チカチカとLEDライトが明滅する。いや、逆か。光の明滅はふんわりと水中を泳ぐ臓器の電気信号を捉えるサインであり、それをもとに言語化されているのだから。
「ごめんごめん」
(いいかい、今の私は裸体みたいなもんなんだぞ)
いかにも抗議するような口調を発する臓器───液中に浮かぶ脳髄と脊椎は、なんだか子供みたいに抗議している。そんな様に、レオナルドはただただ苦笑を返すしかなかった。
「というか、君だって最もらしいこと言ってるけど。要するに、外に行ってみたいってだけだろう?」
(もちろんそうさ!)
「素直な奴」
レオナルドは、培養槽へと手を伸ばす。強化プラスチックの向こうに居る脳みその表情は当然不明だけれど、それでもきっと、期待に満ちた眼差しをしているに違いない。レオナルド・ダ・ヴィンチも、子供の頃はそうやって未知なる世界に万感の期待を委ねていたのだから。