fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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蠱毒のアマリリスⅣ

 黒衣のサーヴァント。踵の魔剣携えし、黒狼の如き烏の現身、魔性の怪物。

 その銘を、メルトリリス、と言う。

 この世界とは主幹を同じにしながら、大きくかけ離れた異なる例外の果て。喪失したはずの淵源もろともに、彼女は消尽したはずだった、のに。

 咳き込み、一つ。げほ、という渇音とともに零れた真紅が、病的に青白い肌を汚していく。損傷個所は多い。いや、無事なところがあるかどうか。最も激甚な損傷は、たった今穿たれた右腹部。抉られた左肺も致命的。

 第五架空要素、エーテルで構成されるサーヴァントに取り、呼吸は重要な要素を占める。大気中の大源(マナ)を身体に取り込み、自らの小源(オド)へと折り畳む基本的な魔力運用に障害が発生する。無論、それだけのプロセスで魔力を生成しているわけではない。むしろ、呼吸における魔力供給は言ってしまえば下駄に近い。本来であれば、全ての魔力運用の始動因(イグニッションキー)になるマスターからの魔力供給こそが重要だが、逆説的に言えばはぐれのサーヴァントにとっては呼気こそ必須。それ以外なら粘膜接触による魔力供給をするくらいだが、それこそ当てがない。

 いや、当てがあってもそんな不快なことなどしてやるもんか。もしそれを赦すなら、相手はあの人しか居ないはずで……。

 ……なんだったかしら、それって。

 微かに、罅割れるような記憶。全身の激痛とともに吹き飛んだ記録の残骸(カス)は後も引かず、ただただメルトリリスは不自由な身体に苛立ちを募らせるばかりだ。

 無様だな、と思う。いつの間にかこんなわけのわからない場所に呼び出され、気が付いたら狩りの対象。何騎かギリシャの下等種(サーヴァント)を斬り殺したが、だからと言って何か感ずるところのない殺戮でしかなかった。そうして無感動な殺戮の後は、このくだらない結末だ。

 本当に、この生の意味は何なのだろう。ふわりと浮かんだ思案のいじらしさは恐ろしいほどに不快且つ切なく、メルトリリスは酷く呆気なく自我を放り捨てた。

 はず、だった。

 「うわ……酷いなこれ───オエッ」

 誰かの声が、耳朶を、打った。

 耳障りなヒト種の声。聞き心地などあったものではない、それは雑音のようなものだ。おえ、と言いたいのは私である。

 「えーと……聞こえる、大丈夫!? 大丈夫かな! 手は感覚鈍いんだっけ」

 何度か両手の爪先をつねったかと思うと、今度はばしばし、と頬を張る。衝撃としてはさほどではない。むしろ、彼女にとってはただただ不快を募らせるだけだった。

 本当に、酷く不快。放り捨てたはずの自我が、じわじわと軋みを挙げながら再臨するかのようだ。

 「落ち着け落ち着け。手順書展開して……ごめん、これ取る」

 もぞり、体躯に覆いかぶさる影。胸元の衣類をたくし上げた人影は、不躾に胸元をまさぐると、明らかに息を飲んだ様子だった。

 「両肺損傷───……霊核(心臓)まで───うっぇ」

 もう一度、その人影は嘔吐した。今度よりもずっと苦し気に、空になった胃を引き絞っているらしい。

 胃酸を絞り出すこと2秒。すっかり吐き出し終えたらしい人影が再度覆いかぶさってきた時、ぴしゃり、と何かが頬を打つ。既に何も感じなくなりつつある肌にじわりと沁みこむ一滴に、メルトリリスは、ようやく目を拓けた。

 彼女の身体に馴染む、水の感触。ぼんやりと開いた視界に飛び込んだのは、苦し気に目元を晴らした黒髪の少年の姿だった。

 一瞬記憶が()()()ついた。

 知らない、人間だ。と、思った。

 「こちらブラックサレナリード、処置完了。対象者の状態データ共有します。行けます。ここにいるのは危険だし。なるべく早く処置した方が」

 ごくり、と耳元で嚥下の音が耳朶を打った。一度両手で頬を打つと、少年は妙な掛け声とともに、メルトリリスの肩口と膝裏へと手を差し込んだ。

 「1、2、3、っと!」

 みしり、と身体が軋んだ。

 悲鳴を上げなかったのは、己の機能にそんな情けないものはついていなかったからだ。外見上はさして変わりはしなかったが、それでも実際のところ、メルトリリスは固着しはじめた自我が消し飛ぶかと思ったほどだった。

 「ごめん、かなり痛かったかな」

 抱きかかえる少年の声。彼女への発話というよりは自己へと言い聞かせるようだった。最も話しかけられたとて、応える気力すら残ってはいなかった。

 「離脱します! クロ、お願い」

 そうして、何事かを誰かに喋りかけると、少年は酷く鈍く走り出した。

 酷く遅い。いや、人間とはこのくらいの速度でしか動けないのか。生産されてこの方、複合神性(ハイ・サーヴァント)としてしか生きたことのないメルトリリスには全く実感がない。

 「あー……! 【強化】、【強化】がしたいな!」

 情けない、養鶏場の鶏みたいな悲鳴だ。はへ、はへ、と息切れしながら走り続ける様の無様さと言ったら無い。

 「何kg(キロ)あんだよ……! 重いわ!」

 ちょっと。

 それは聞き捨てならない。朧げな視界のまま、む、と顔を上げたちょうどその先だった。

 あ、と思った。

 その巨影。大理石から削り出された神像と見紛う、頑健且つ壮麗な躯体。頭部より被るは神獣の皮をなめした裘。ならば腕に恃みし螺旋の槍は、紛うごとなき神造りの宝具だった。

 これまで、幾度となく彼女を害したサーヴァント。物理世界による出力低下しているとて、メルトリスは上位のサーヴァントすら歯牙にもかけない性能()を誇る。その彼女をして苦戦を強いられるほどの強敵。

 「莫迦、放しなさい!」

 あの敵の狙いは間違いなく自分。ならば、この情けない少年を巻き込むわけにはいかない。だって、そんな事態は自分の在り方として赦し難い。孤絶たる者は孤絶のままに果てるべきで、誰かを巻き添えにするなど有り得ない。

───そも、そんな僥倖。誰かと果てる、なんて幸運は、怪物(わたし)には、過ぎたものなのだから。

 刹那に過る情動、霧散する景色。酷くどん臭くジタバタする様は、一瞬で手から零れた何かを、あるいは掴もうとするもがきのようにも見えた。

 「あーもう暴れないでくださいよ走りにくいから! ただでさえ重いんだから!」

 「アナタ後でしばき倒してやるわ、絶対泣くまでしばいてやるから!」

 「はいはい後でたくさんしてください!」

 少年は軽口のように言う。必死の形相は相変わらず、喋ることすら苦痛を伴う顔の癖に、何故か口角だけは奇妙な嫣然を浮かべている。

───気づいている。この人間は、背後から死の具現が迫っていることをちゃんと把握している。その上で、コイツは何かを思惟している。

 迫りくる巨躯、振り被る神の槍。裘の裡でぎらりと閃く双眸は、その一瞬後、咄嗟に身を翻した。その一瞬前、巨躯の背後に、鳶色の騎影が跳んだのだ。静粛状態で肉薄した敵を察知してからの、回避行動。それを察知しただけでも、この巨躯のサーヴァントは尋常ではない。

 だが遅い。後方円錐危険域(ヴァルネラブル・コーン)に侵入した紅蓮の雀鷹は、既に必殺の魔槍を構えていた。

 「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)』!」

 疾駆する紅の死。防ごうと突き出された左腕をぐにゃりと躱した穂先は、当然のように神獣の裘を刳り貫いた。そのまま厳かな肉体を刺し穿ち、背まで貫通した槍の尖端には、血を吹き出しながら脈打つ心臓が磔にされていた。

 巨躯が、踏鞴を踏む。後ずさる姿勢は、明瞭な戸惑いすら見せていた。対する魔槍の使い手───赤い聖骸布を礼装として装備したサーヴァントは、素早く敵サーヴァントの間に割って入るように、少年の前に着地した。

 瞬時、1対の双剣を作り出す。黒白の夫婦(めおと)剣は、何故か、見覚えがあるような気がした。

 「ランサーのヘラクレス───?」

 呟きは、彼女を抱える人間のものだったか。メルトリリスには、その言葉の意味はあまり判然としなかった。

 「冬木の時となんか違うわよね。何あの頭から被ってる奴」

 「いや知らな……待って、知ってる、かも。『十二の試練(ゴッドハンド)』じゃなくて『十二の栄光(キングス・オーダー)』持ち?」

 ずるり。巨岩の如きサーヴァントは自らの胸に突き刺さった槍を、無造作に引き抜いた。

 血が噴き出す。だかそれも一瞬だけのことだった。瞬く間に、心臓に空いたはずの孔が閉じていく。映像を逆再生するかのような光景は、酷く間抜けな光景だった。無論、実際は間抜けな事態なんかではない。

 「……いや併用―――?」

 それは具現化した不死身の死であり、屹立する絶望そのものだった。

───ヘラクレス。それがこの槍持つサーヴァントの真名であることは、メルトリリスも知っていた。状況証拠からの類推、とでも言おうか。アルゴノーツの英雄の中で、この怪物じみた強さを誇るものは他に居ない。死んでも生き返るなど、出鱈目にも程がある。

 さっきの奇襲は、文字通り必殺のものだった。魔槍は確かにヘラクレスの心臓を抉り出し、殺して見せた。だがそれも一度だ。一度の死など、このサーヴァントには掠り傷でしかあるまい。それにもうあの魔槍は効かない。しかもあのアーチャー。そう、アーチャー。単純なスペック、ヘラクレスの足元にも及ぶまい。1分も戦えれば良い方だろう。

 畢竟。

 万策尽き、あとは絶殺の時間が始まるだけだった。

───はず、だった。

 何故か、その時間は来ない。傷は既に修復されたというのに、ヘラクレスは動かない。あまつさえ、後ずさりする様は、まるであのアーチャーに怯えているかのようですらある。

 対するアーチャー。矮躯といって良いほどに小柄なサーヴァントは、ヘラクレスと比してあまりに小さい。大人と赤ん坊と言っていいほどだ。にも拘わらず、アーチャーは勇躍とばかりに一歩、ヘラクレスににじり寄る。黒い片刃の中華剣、その切っ先を挑戦的に掲げる様は、まさにあの傑物へと躍りかかんばかりだ。いや、むしろ「早く攻撃してこい」と挑発するかのようはないか。

 先に動いたのは、ヘラクレスだった。

 いや、正確には違う。ヘラクレスが動く前に、不意に閃光が空に灯ったのだ。

 それが、合図だった。ヘラクレスは右手の螺旋槍を地面へと突き立てる。同時、地面から湧き出すように6羽の怪鳥が飛翔した。

 青銅の翼を持った奇怪な鳥。つんざくような叫喚を迸らせた6羽の鳥をけしかけながら、ヘラクレスが背後へと跳躍する。

 逃走。あのヘラクレスが、遁走している。三度の信じがたい光景に、しかし呆気にとられる暇はなかった。

 襲い掛かる怪鳥が何者であるのか、この瞬間では理解が及ばなかった。だが、幻想種、ランクは魔獣であることは伺いしれる。一匹当たりの強さで言うなら、サーヴァントの敵群れを成せば厄介な敵だろう。

 だが、赤い外套のアーチャーの技倆、その練度はさらにその上だった。

 双剣を投擲。瞬く間に2羽を串刺しにしながら弓を投影、立て続けに3射を穿つ。樹木に1羽縫い付けられ、1羽は絶命しながら墜落した。

 残数、2。既にクロスレンジまで迫った怪鳥の頭部めがけて握った矢を叩きつける。ギエ、と汚らしい断末魔を挙げた青銅の鳥が地面に激突し、その骸を足場にアーチャーが宙に飛び上がる。怪鳥のお株を奪うが如くに宙に舞うや、立て続けに2発を速射。頭部と胴を貫かれた魔獣種の鳥はそこで絶命し、焼け焦げた樹木に追突した。

 ごしゃ、と首が捥げる。くぐもるような苦悶にも似た吐息を最後に、6羽目の鳥も死に絶えた。

 僅か7秒ほど。6羽の魔獣を屠殺した頃には、既にヘラクレスの姿は消えていた。

 音が、凪いでいた。嵐は去った。戦いは、今、終わったのだ。

 彼女に、メルトリリスには安堵など無かった。さりとて情動の緊張もない。ただ漠然とした底抜けの虚無だけが、胸中に間延びしていた。

 何か、大事なものが自分の底ごと抜け落ちているような感覚。彼女にとって、自分が自分の手の内から零れ落ちている不在の感覚は極めて不愉快だった。

 だが、それも限界。醜悪な灰色の鳥が湖面に墜落するように、メルトリリスの意識は水没した。

 

 

 「マシュ!」

 竜牙兵を押しつぶすのと、背からその声が耳朶を打ったのは同時だった。

 マスターたるリツカの指示する先。奇怪な球形をしたそれは、蜘蛛のように見える。白銀の躯体を躍動させる機械───。

 直感。竜牙兵とは比較にならない敵、と理解したマシュは、全力で地面を踏みぬいた。

強敵に違いない。だが何よりもまず、マシュにはやることが2つある。この蜘蛛もどきを迅速に撃破すること。もう一つは、その蜘蛛もどきに襲われているコロンブスを救出することだ。

 優先度の策定は既に済んでいる。腰に差した鞘から銀の剣を抜き放つと同時、マシュは踏み込む気勢のままに巨大な盾を全力で投擲した。

 コロンブスへと鎌らしき腕を振り上げた蜘蛛、その腕に盾が直撃する。金属の外皮を打ち砕かれた蜘蛛が一瞬背後に退くの隙と定め、抜剣しなに蜘蛛の胴へと剣を叩きつけた。

トリムマウの躯体を元に製造される剣は、何の抵抗すらなく鉄の鎧を貫通する。3mにも達する巨体は、ただそれだけで沈黙した。

 軋む様に崩れ落ちる躯体を一瞥する。敵はアルゴノーツに乗り込んだサーヴァントたち。即ち、古代ギリシャの英霊のはず。それが何故こんな近現代的な……否、未来的ですらある使い魔じみた魔術礼装があるのか。

 「いやすまねぇ、危なかった」

 「いえ、お構いなく」

 蜘蛛の顔面に食い込んだ盾を、引き抜く。自然、硬い声で応えたマシュは、鞘に剣を戻す。鞘口に剣の切っ先が触れた時、マシュは身体を硬直させた。

 ゆら、と暗闇に蠢く一騎。覚束無い挙動で幽れるそれは、サーヴァント、だった。さっき、マシュが強襲と同時に盾で殴り飛ばしたランサーのサーヴァント。コロンブスたちに聞いた情報と照合すれば、おそらく古代ギリシャの英霊カイニス。

 「てめえか、さっきのは」

 ぎらと刺すような赤い目が閃く。

 衝撃の勢いで腕はあらぬ方に捻じれ、解放骨折した肋が胸から生えていた。右顔面も潰れているというのに、その鉄の躯体の威容に一切の衰えがない。むしろいや増しにすら感じる峻厳さは、殴り飛ばしたマシュ本人すら息を飲むほどだった。

 「辞めた方が良いんじゃないかなぁ、酷い怪我だよ」

 「見物人風情は黙ってろ」

 左手の円盾を捨て、代わりに右手のトライデントを手にする。槍を掲げる反動で胸から血を吹き出すのも構わず、ランサーは凄まじいまでの嫣然を無事な左の顔に張り付けた。

クラスはランサー、と聞いている。だがその強壮、もはや狂戦士の如く。きっと誰もこのランサーを止められまい。ただ己の闘争本能のままに暴威を撒き散らそうとする顔だった。

 ぐい、とランサーの身体が沈む。いまや獲物に飛び掛かる肉食獣と化した槍兵は、しかし次の瞬間、顔を歪ませた。

 「ん」

 マシュの隣、リツカが空を見上げる。黒くくすんだ空に、不意に灯った光が押し広がった。

 「あれ。あなたに”帰ってこい”って言ってるんじゃあないのかな」

 「なんでだ! まだ俺は戦え―――」

 言いかけ、げふ、とランサーは血の塊を嘔吐した。崩れ落ちなかったのは、カイニスの戦士としての矜持か。槍を支えにしながら、カイニスは覗き込むように、じろりと左目をぎらつかせた。

 「カイニスだ。名前は」

 「マシュ。マシュ・キリエライト」

 「てめえの面と名前、覚えたぞ」

 噴水のように血を吹き出すのも構わず、ランサー……カイニスは地面へとトライデントの矛先を叩きつけた。

 鈍く響く轟音、巻き上がる噴煙。昇る土煙に咄嗟に動き出しかけたが、マシュは奥歯を噛みしめた。

 敵の狙いは明白、撤退だ。それを追う必要は、今はない。この戦いの戦略的意味を思い返して、マシュは逸る気持ちを抑え込んだ。

 「終わったかな」

 隣、リツカは側頭部で一つ結びにした髪の一房を左手でかき回した。右の人差し指で頬を掻くと、

 「オデュッセウス。うん、思った通り優秀で良かった」

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