このコンテンツは、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンス(http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/deed.ja)の元で利用可能です。
書面上の不備がありましたらお伝え下さい、訂正します。
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ずうっと昔のことだ。もう忘れてしまっていた過去。
「これだからお前は――」
「どうしてまだ生きてんの?」
「愚図」
「産まなきゃよかった」
「死んで」
そんな言葉をかけてくれていたのも数年。しばらくしてぼくは居ないものとして扱われた。ぼくは媚びへつらって、痛くないように、痛まないように、そうして生きて、最後は死んだ。
学校にも殆ど行っていない。たまにどこかの偉い人が来て、母さんと話をしていた。彼氏じゃなかったんだろう、あんまりにも年かさが行っていたから。そして、そんなふうに話がある度にぼくは学校に行かされる。けれど、それも数日の間だけで、すぐにぼくは家から出してもらえなくなる。
小学校の……一年生の頃だったか、それが理由で喧嘩した。それが原因で、ぼくのお腹には消えない傷跡が残っていた。撫でるとその時のことを思い出す。けれど、どうしてか、ほんとうに辛いときは、ここをなでて、生きているんだって思ってしまう。
どこにもぼくの居場所はなかった。
学校に行けば疎まれる。先生も、周りの大人も、みんなしてぼくを視界に入れないようにしていた。家にいる間中、ぼくは家事をしていた。家事が終わったらタンスの中に入ってじっとしている。母さんは朝に帰ってきて、夜に仕事に行く。帰ってきた母さんは男の人と一緒に居ることが多くて、だからぼくはじっとタンスの中で隠れていないと、邪魔だから、ずっと、ずっと――
だから、ぼくは暗い部屋の中でじっとしているのは平気だった。
どれくらい時間が経ったのかはわからないし、考えようとも思わないし、ただじっとしていればいいだけだから、楽だった。そうしている内に……死んだらしい。
ぼくが死んで――実感はわかないけれど――すぐに、あの人に会った。あの人はぼくの身体をそっとなでて、励ましてくれた。ぼくはぽかんとして何も話せなかったのに、あの人は全部知っていて、あの人の言葉のひとつひとつがぼくの心に染み込むようで、ぽかんとし終わったぼくは、ただただ泣いていた。泣いている間中、あの人はそっとぼくの頭をなでてくれていた。母さんにもそんなことをされた記憶は無いのに。
ぼくが落ち着いて、少し話をして、それでぼくはぼくの左手をあの人に譲ることにした。
ぼくの左手は、ううん、全身は真っ黒な宝石に変わっていて、あの人はそれをアクセサリーや装飾品にしてあげるって言ってくれた。誰からも愛され、誰からも大切にされる宝石。それがどこか嬉しくて、ぼくは彼に左手を砕かれている間、痛みが無いことに驚くよりも、ずっと心が震えていた。どきどきと心臓が脈打って、興奮していた。
ぼくの左手があの人の手の中に離れていって、あの人は「ありがとう」とだけ呟いて部屋を出ていった。その時は気づかなかったけれど、長い時間を経て、今思うと、あの人の顔にはどうしてか不思議そうな表情が浮かんでいたような気がする。今もその理由はわからない。
どんどんとぼくの身体は砕かれて、磨かれて、ついに頭だけが残った。その頭も砕かれた。痛く無いし、悲しくもない。それどころかその瞬間を待ちわびていた。意識は殆ど無いのに、ぼくの身体全てが愛されている感覚。ぼくの身体全てが求められている感覚。こうなる前のぼくには絶対になかった感覚。それをただひたすら求めていた。
他の子達は少しだけ寂しそうにしていたけれど、でもぼくにはわかった。みんなぼくみたいになりたいんだって考えていたんだ。
砕かれたぼくらがどうなるのかはわからないけれど、それでもぼんやりと身体がどう扱われているのかわかる。指輪に嵌ったぼく、きれいな球になったぼく、大切な人に渡されるプレゼントとなったぼく、誰かの形見として若い人に譲れられるぼく。悲しいけれど、真っ暗な場所に閉じ込められているぼくも居る。だけど、だけど、それでもぼくを少しでも求めてくれる人が居て、大切にしてくれる人が居て、そして思いを込めてくれたことが、本当に嬉しかった。幸せだった。
果てしない時間の中で、ばらばらになったぼくは、ぼくが愛されなくなったのを感じていた。ぼくがありふれたものになったからじゃない。ぼくがどこか一箇所に集められたからじゃない。ぼくを愛してくれる人自体が世界から居なくなった。それを悪いとも良いとも思う力がなかったから、漠然と寂しいと感じていた。
けれど――
「目覚めたか」
ぼろぼろの薄汚い男がぼくを見下ろしていた。ひげも髪も伸び放題で、しかも興奮混じりの顔は、ぼくに恐怖と混乱を抱かせるのに十分だ。それに男の頭上では松明が揺らめいていて、男の瞳をきらきらさせていた。だから、いっそう男は狂人めいて見えた。
「な、んで」
窓一つ無い薄暗い、どこかの建物の中……それしかわからない。
「報告書の通りか、なんで宝石の身体で喋れるんだかな」
男はぼくから少し離れて、水筒に口をつける。乱暴に飲んだからか、口の端から水が溢れていた。
「飲むか?」
ぼくは小さく首を振る。
「いらない」
男はつまらなさそうに「そうか」と呟いて、水筒のフタを締めた。そして、ぼくの顔の隣に水筒を置いて、ぶつぶつと呟き始める。
「限界のサイズは調査中だったか。バラバラに出来るなら戻せるって予想は正解……頭だけで意識も戻るか……。違反だが、ま、咎めるヤツも……。……眠っていたかったか?」
最後の一言がぼくに向けられていたのだと気付かず、ぼくは天井を見つめていたけれど、小さなため息が聞こえてぼくはゆっくりと男の方に視線を向ける。
男は片足をなくしていたのに、この時気付いた。
「……べつに。誰かに大切にしてもらえるなら」
「悪いな」
ぼくはむっと顔をしかめようとしたけれど、どうにも上手くいかない。眉間にシワを寄せようとしたのに、左まぶたと右の奥歯がくいくい動いた。
「俺の他に人間は居ない。みんな死んだよ」
目覚めたばかりのぼくは、意味がわからなかった。あまりにも重大な言葉が、あまりにも何気なく、唐突にぶつけられた。
「XKクラスシナリオが発生した――と言ってもお前にはわからんか……。俺からも詳しくは説明できん。そういう〝処置〟がされてる」
処置、と言った瞬間に男は自分の頭を指でとんとんと叩いていた。
ぼくはよくわからない言葉の羅列に無表情で応えた。そんなぼくを無視して、男は続ける。
「……思っていたよりも、ずっと平和な終わりだったよ。表には化け物がうようよ……なんてことも無い。もしかしたら、お前の過去よりも、ずっと」
男はぼくから顔を背けて、そう言った。
「……どうでもいい」
本当にどうでもよかった。ぼくはぼくを愛してもらいたかっただけで、他に何も望んでいなかったし、それさえもあの人に出会って抱けた夢なんだから……ぼくの一番真ん中に在る筈の思いなんて、願いなんて、なにもないんだから。
「寂しいとか悲しいとか思わないのか?」
ぼくは無言で応じる。厳密に言うなら、頭だけ揺すった。
「お前やお前の仲間だった子もみんなそうだったのか?」
ぼくはゆっくりと首を振る。
「……それで、だ」
男はゆっくりと振り向いて、ぼくの顔を見据える。気持ちが少し落ち着いたのか、さっきまでの興奮は落ち着いていたようで、どこか理性的な、賢い人特有の輝きが眼に宿っているように見えた。
「俺と友だちになろう」
ぼくは男の言葉がすぐに返事をする気がなかったけれど、無意識に口が動いていた。
「乱暴にしないなら喜んで」
「成立だ。宜しく頼むよ」
それから男はゆっくりと言葉を選ぶようにしてぼくに色々なことを教えてくれた。時折言葉が出ないかのように口をぱくぱくさせていたのは〝処置〟というもののせいなのだろうか。それについては結局聞いていない。聞いても教えてくれなかっただろう。
ぼくらは基本的にずっと一緒に居た。男が自分の為に食べ物や飲み物を調達しに外に出かける時や独りにならなくてはいけない時以外は、ずっと一緒だった。男はぼくにいろんな話をしてくれた。昔見た映画の話、学校の話、昔読んだ本の話、世界を守っていた『財団』という組織の話、そこで何をしていたのかという話、全部、面白かった。楽しかった。ひとりの人が、ぼくだけを見て話してくれて居たことが嬉しかった。……ずっと、男は寂しそうな表情を崩すことはなかったのだけが、ここに無い筈のぼくの胸をしゅんとさせた。
それと、男は真夜中になると松明の下で必死に何かを書いていた。一度、ぼくが尋ねたことがある。けれど、男は「いつか話す」としか言わなかった。
男と生きるようになってから数年して、男は壁に向かって、革袋かなにかを弄びながら言った。
「俺はもう長くない」
袋から聞こえるかちゃかちゃという硬い音楽しみながら、さらりと男は言ってのけた。
「そっか」
男はぼくの言葉に肩をすくめた。
「寂しいと思ってくれないのか?」
ぼくは少しだけ笑ってしまった。思っていない訳では無いけれど、口に出したところでどうにもならないのは、ぼくにもわかっていた。
「あはは、珍しいね。そう思って欲しいんだ」
男はぼくに近づいて、撫でるようにそっと触れる。
「お前ねぇ……まぁいい。俺の死ぬ時期がなんとなくだがわかった。それで、だ……お前に幾つか話しておきたいことがある」
男はぼくの頭から手を離して、椅子に腰掛ける。
「何?」
「最初に……俺に付き合わせて悪かったな。孤独に耐えられなかった、ってのは言い訳だな。こんなことは、許されない、酷いこと……だからな」
男はぼくの方を見ないで、じっと松明の炎を眺めていた。
「別に……。ぼくは楽しかったよ。話も出来たし」
愛されなくなっていた頃は寂しいばかりだったけれど、男と暮らし始めてからは楽しいことも増えていた。一言文句を言いたいとするなら――
「欲を言うなら身体も戻してほしかったかな。ここでこれからずっとっていうのはちょっとね」
ぼくは部屋中をぐるりと見渡す。首から上しか無いぼくだから、殆ど見回すなんて出来なかったけれど。
ぼくの言葉に男は少しだけ悩んで口を開く。
「……次の話がそれだ。良ければ、お前の身体を治そうと思う。と言っても、素人仕事だし、俺が死ぬまでの間だが……どうだ?」
ぼくの脳裏に男と出会ってから初めて鏡を覗き込んだ時の思いが蘇る。かろうじてわかるような不格好な鼻、本当にくぼみがあるだけの眼、触れる物を切り裂いてしまう位尖った唇と顎……ヘタクソな顔だった。
「上手に頼むよ」
苦笑しながら男が言う。
「善処しよう」
ぼくの身体を治す方法をかつて男は話してくれた。ぼくの欠片をかき集めて、纏めて、形を整えて、足りないところは自然の鉱石を少し使う……接着剤とノミとヤスリで出来るのだそうだから、ぼくはぽかんとしてしまった。
男は少しだけ間を置いてから、言葉を続ける。
「てっきり粉々にしてくれって言うのかと思ったんだがな」
「まさか」
ぼくはニヤリと口角を大げさに釣り上げる。こうでもしないとヘタクソで真っ黒な顔の表情なんか伝わらないから。
「身体さえあるなら、溶岩の中に飛び込んだり、高い所から飛び降りたり、粉々になる方法なんて幾らでもあるよ」
自嘲気味にそういうと、男はふんと鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ」
「そりゃそうだよ」
ぼくは男の真似をしてふんと鼻を鳴らした。
それから男が死ぬまでの間、ぼくの身体は治されていった。この頃になると〝処置〟の効果はかなり弱まっていたらしい。前もってぼくの身体を集めてくれていただけでなく、どこで集めたのかだとか、何が起こったのかだとか、そういう立ち入った話も教えてくれていた。
治療の工程は思っていたよりもずっと早かった。左腕、右腕、胴体、腰、左足……一年も経っていないと思う。けれど右足が治るよりも先に男は死んでしまった。男は本当に申し訳無さそうに僕の手を握って、死んでいった。「ありがとう」と「悪かった」と、それだけ呟いて死んだ。体中に緑色の斑点が出来て、そのまま。原因は教えてくれなかったけれど、一度だけ「収容違反の連鎖」とだけ悔しそうに呟いていたのは、覚えてる。
男のおかげで、いびつにではあっても外を歩けるようになって、確信した。もう世界は滅んでいる。コンクリートのビルは粉々に砕けていて、地面にはヒビが入っていて、時折、何か得体のしれない〝存在感〟だけがぼくの背中をかすめていく。けれどそれだけだった。
どうしようもなく滅んだ世界に、男はひとりで居た。そして、ぼくが――いや、ぼくらの存在を思い出した。男は偶然ぼくを作り直した。偶然の出会いだけれど、ぼくは嬉しいと思う。幸福だと思う。
男はぼくの身体がこうなった原因であるあの人には、複雑な思いを抱いていると言っていた。けれどぼくはあの人に感謝してもしきれない。生きている間に経験出来なかったこと、知ることが出来なかったこと……。それらを知る機会をくれたのはあの人なんだから。宝石の身体で永遠を生きるのを恨まない筈がないけれど、でも、心の中ではずっと感謝をしている。
男が死んでからもぼくはぼくの身体を治し続けた。男の遺志を継ぎたかったのかもしれない。時間ばかり有り余ったこの世界で、ぼくに出来ることはそれだけで、そうするしかなかったというのも理由かもしれない。男が言うには、砕けたり加工されたぼくの身体を治すパズルは知りうる限りで最高難易度だそうだ。あんまりゲームをしたことがないぼくでさえ、そう思う。
それと、男は知らなかっただろうけれども、石を適当にくっつければ良い訳じゃない。正しい範囲に正しいものをくっつけないと、機能はすぐには戻らない。時間が経てばどうとでもなるけれど……。最初の頃、眉間にシワを寄せられなくなったのはそれが原因だということに最近気付いた。
材料の確保や作り方、鉱石の見分け方、見分ける道具の使い方、そんな色々な情報が男の残した紙片にまとまっていて、ぼくは余裕さえあればじっとそれを眺めていたから、ぼくはぼく自身の身体のプロフェッショナル、というヤツにいつの間にかなっていた。
そして、最後のひとかけらが、今嵌る。どれくらいの時間がかかっただろうか?
荒れ果てたコンクリートはもう緑に覆われている。人が死んでも、イヌやネコが死んでも、かろうじて生きていたほんの少しの植物が居て、世界はもう見違えようとしている。蘇ろうとしている。あっという間だった。
「……さて、どうしよう」
どれほど久しぶりに声を出しただろうか。空を見上げると、雲が立ち込めていて、風さえ無い。
身体を砕くか、それとも漠然と生きようか、そんなことを考えている内に、ふと思いついた。
「なるほど」
ぼくは果てしなく遠い時間の中で今、久しぶりに両足で地面に立つ。接着剤はもう乾燥していて、ぼくの両足はしっかりと大地を踏みしめていた。
空を見上げて、地面を見て、遠くの山を見て、頷く。
「みんなを、治そう」
世の中にどれだけの宝石があるのだろう? 世の中にどれだけのアクセサリーがあるのだろう? みんなはどれほど産まれたのだろう? どれほど砕かれたのだろう? 集められた筈のみんながそのままそこに居るとも限らない。どれほどの時間が必要だろう? どれほどの苦労を強いられるのだろう? ……けれど――
「時間なら、たっぷりあるから」
ぼくは男が話してくれた研究所跡に、足を向けた。
SCPっぽく無い……っぽさが無い……である必要も、もしかしたら無い……