冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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第一部
01 プロローグ1


その少年は暗闇という物をどちらかと言えば嫌っていた。

 

人が闇夜を恐れるのはそれが未知だからだ。外敵から身を守るという動物ゆえの本能か、未知は不安を想起させ、恐怖を呼び起こす。だから人は灯りを求める。

 

彼の場合はどうだろう。彼は夜目が利いたし、実際に見えなくても視覚以外の感覚で何があるか知り得る事が出来た。逆に眼を使わない方がより多くの情報を得る事が出来た。

 

にも関わらず、明るい日中を好んだ。明るければ女性の微笑みを見る事が出来たし、可憐な姿も見る事が出来た。それらは彼を愉しませてくれた。学校で授業の合間、下校途中、同級生と馬鹿話に華を咲かせるのも悪くない。なにより。少なくとも。昼には妖怪も幽霊も、討とうと襲ってくる敵も居ないからである。

 

足下さえ見えない暗闇の中。功性の思念と共に襲いかかる鋭い一刀を、彼は紙一重で避けた。その襲いかかった太刀筋を切り口にして、己の戦闘経験・感覚から敵を読みとった。見るどころか、知覚さえも朧な敵に一刀を撃ち込んだ。ひゅんという風きり音のみが響き、何の手応えも無く宙を切った。ずさっと足下の落ち葉が余計な音を立てる。彼は周囲に感覚を走らせ、刀状の武器を構え直した。再び虚無のような暗闇に包まれる。

 

そこは冬木市共同墓地の近くにある林の中だ。近くに民家も無く電気の明かりも届かない。夜空は雲で占められていて、月明かりどころか星さえ見えない。林を抜け出れば、遠くにある町の灯りが、雲に反射して多少は改善されるだろうが、生憎と鬱蒼とした林の中。それすら期待できない。

 

林という以上、多数の樹木が屹立し大地には落ち葉が敷き詰められている。枝すら墜ちているはずだ。敵は一体どうやって音すら立てず闇の中を動いているのか。

 

彼は太い樹木と樹木の間で油断無く構え、心と身体を鎮めた。暗闇から襲われるという状況におかれてかれこれ2時間は経つ。その強襲間隔はまちまちだ、連続して襲われる事もあれば、間が開いて。そうかと思うと踊りのようにリズム良く切りつけられもした。

 

(陰湿だ)

 

彼はそう罵った。敵は迅速に止めを刺す事も無く、弱らせて討ち取るらしい。安全と言えば安全な襲い方だが、こう言った襲われ方は酷く消耗する。なにより気分が悪い。この流れをどうにか切り崩したいが、彼は敵の影すら捕らえられない。彼には狙われている以上の事は知覚できなかった。

 

(さてどうする)

 

敵は彼の位置を的確に捉えていた。夜明けまで待つか、それではジリ貧、相手の思うつぼだ。林の外まで走って逃げるか、その隙を許す相手ではあるまい、僅かでも警戒を緩めれば即座に襲ってくるだろう。実際彼は微動だにできなかった。わざと隙を作り攻撃を誘うか、論外である。わざとだろうが隙は隙、防御の弱いところを強引に突かれて仕舞いだ。その様な駆け引きが出来る相手ではないのである。

 

(……)

 

一つのプランが浮かぶ。彼は感覚を総動員して、じっと待った。狙うは一瞬である。一つ息を吸い、吐き。一つ息を吸い、吐き。それを数えるのが面倒になった頃、暗闇から一刀が襲ってきた。彼は回避には無理な姿勢で避けた、そのため頭を掠め髪が散った。

 

無理な姿勢には訳がある、微妙な力加減の一刀を入れる為だ。敵の一刀を躱した直後、彼の一刀は最寄りの樹木を打った。すると樹木はこーんという音を鳴らし、その音は林を駆け抜けた。

 

滑らかに走る音がある一点で淀み渦を巻く。音が敵にまとわりついていたのだった。潜水艦のソナーと同じ原理である。彼はこの好機を逃さぬと切り込んだ。影が走るかのような踏み込みから、神速の一刀を撃ち込んだ。

 

敵を切り裂いたかに見えた一刀は宙を切る。

 

(っ!)

 

確実に捕らえた、討ち取った筈だ。彼には絶対の自信があったのだろう。その動揺は僅かな隙を産み、いつ回り込んだのか背後からの一刀で叩きのめされた。その敵の一刀は木刀だったのである。

 

姿を見せたその敵は白いジャージを纏っていた。左手に木刀を持ち、その反りを左肩に乗せている。その敵だった人物は、落ち葉の中に突っ伏した彼にこう言った。低めの声だったが女のもので、妙に身体の芯に響く。それが彼をまた苛立たせた。

 

「着眼点は悪くは無い、が。詰めが甘い。必殺のつもりで撃ち込んでも、必殺とは限らん。敵の見極めを鍛えろ」

 

彼は突っ伏したままである。纏っている黒いジャージに枯れ葉が散っていた。

 

「……前後二つの気配(氣)ってなんだ。分身でもしたのか。それともアンタは実は双子なのか」

「自己虚映念体(ドッペルゲンガー)。氣を用い己の気配をもう一つ作り出す、氣術の応用だ。お前の様な気配読みに依存する馬鹿者には有効だな」

「そんな技知らないぞ」

「当然だ、教えてない」

 

彼はがばっと立ち上がり、やってられないと詰め寄った。眼鏡がきらりと光る。

 

「M・B・T(マキシマム・バスター・タイフォーン)とか! 次元反転分離攻撃(ミラー)とかっ! 毎度毎度、厨ニ病バリバリの初見技ばかり使いやがって! アンタには師としての自覚が無いのかっ! てゆーか幾つ技のストックがあるっ!?」

「毎度毎度、未知の敵と戦わせてやっている師の心遣いがわからんか」

「アンタが卑怯技使うなら俺にも使わせろ! 魔眼使わせるとか、それが駄目ならせめて封印具を外せっ!」

 

彼は二つの特異な力を持っていた。一つはモノの死を見る直死の魔眼、もう一つは異常なまでの身体能力である。これらが使えれば優位に戦えようが封印具で抑制されていた。魔眼は眼鏡、身体能力はネックレスである。眼鏡は彼自身の意思で外せるが、ネックレスを外す方法はその女しか知らない。

 

「生まれ持ったものとはいえ、それに頼れば訓練にならん。そもそも魔眼など未だON/OFFも出来まい。いい加減にしろ未熟者め」

「だったらせめて訓練効果という現代科学的思考をしろ! 負けっ放しどころか、訓練効果すら感じさせないようでは、弟子は育たないっ! それどころか挫折する! 待遇改善を要求する! 虐待反対っ!」

 

彼が師と呼んだ女性は、右の握り手をあごに添え、しばし考えると笑ってこう言った。笑みは笑みでも底冷えする笑みである。

 

「お前の言う現代科学は良く分からないが、これは私の教育方針だ、黙って従え。それと」

 

その女は彼を蹴飛ばした。彼がまったく反応できない程の鋭い蹴りだった。

 

「へぶらっ!」

「母親をアンタ呼ばわりするとは何事だ。この不肖の息子め。親不孝という言葉を知るが良い」

 

その威力は如何ほどのものか。彼は落ち葉と土砂にまみれ、ごろごろと林の傾斜を転がっていった。“おーぼーえーてーろー”その言葉は闇夜に紛れて消えた。

 

 

◆◆◆

 

 

冬木市に一人の少年が居た。身長175センチで体重69キロ。黒い髪と黒い瞳を持っていた。そう表現するといかにも標準的な日本人だが、農耕民族にはそぐわない狩猟的な身体つきをしていた。欧米人にもよく間違えられ、その体つき、身のこなしを動物に例えれば狼か、獅子か、鷹である。

 

彼は勉学に秀で、頭も切れたし、運動神経も優れた。母親の因子を強く受け継いでその面は二枚目と言っても差し支えなかった。それを鼻に掛ける事無く、男友達とは馬鹿もしたし、少女の扱いにも慣れていた、男女問わず社交的であった。まさにパーフェクト人間、ここまでの話を聞いたなら、人生は約束されたも同然と、妬みやっかみの一つぐらい言いたくなる。だが、神の悪戯か運命の戯れか、そうは成らなかった。彼の名は蒼月真也、重度のシスコンだったのである。

 

一月末日の寒い朝である。冬木市の住宅街、西洋風住宅が並ぶその一角に彼の家はあった。コンクリート製のログハウスを模した建築物で、屋根は四角形では無く三角形だった。一階にはダイニングキッチン、バスルーム、客間、二階にはその家の者が住む部屋があった。珍しくない普通の家だった。

 

その二階にある西向きの部屋が真也の部屋だ。冬は良いが夏場は辛い、彼は蒼月の長子だったが、母の一存でその部屋に放り込まれたのだった。快適な東部屋は彼の妹が使っている、扱いの程が分かろうものだ、ヒエラルキー的な意味でである。

 

真也はベッドの中で包まり夢を見る。それは妹との記憶である。彼女が蒼月にやってきて、泣いて笑って乗り越えてきた10年分の思い出である。その妹は義理の妹だった。だがそれにどれ程の意味があろうか、その10年という月日は本物で、兄と呼び妹と呼ぶ言葉にも偽りはない。

 

にへら。

 

何という締まらない顔だろう。大変な事の方が多かった10年だが、楽しかった事しか覚えていないに違いない。

 

そうしたら、その部屋に一人の少女が入ってきた。陽にかざせば青紫に光る髪を、肩に掛かる程度に伸ばしていた。頭の左側には赤いリボンが咲いていて、耳を出すように結い上げていた。纏うのはコルク色をした穂群原(ほむらばら)の学園服。白地に赤のチェック模様のエプロンを揺らしていた。彼の妹、蒼月桜である。

 

彼女はノックも呼びかけもしなかった、過去の経験からそれが無意味だと知っていたからだ。ベッドに包まる兄の姿を見て大げさにため息をついた。しゃっとカーテンを開けば室内に朝日が染みる。近づき布団をめくれば一揺すり。

 

「兄さん」

 

起きない。

 

「兄さんっ」

 

彼はぼんやりと目を開けた。彼が起きる起きないはまちまちだ。直ぐ起きる日もあれば、難儀する日もある。起きねば頬を突く、抓る、軽く平手で頬を打つ、と言った手段に訴えるが、今日は直ぐ起きる日だったらしい。多少物足りなさを感じつつ、脚を肩幅に開いた桜は、胸を張り両手を腰に添え、見下ろした。

 

開いたまぶたの隙間から、黒い瞳が蒼く光っていた。彼女はそれが神秘に依存する眼だと聞かされていたが、それ以上の事は知らなかった。その蒼は何処までも透明で、純粋で、恐ろしかった。例えば日本刀が放つ光、轟く稲妻の光、大地を振るわす火山の光、核が放つ光、そういった死と破壊をもたらす類いの光だった。慣れか彼女自身が持つ特性か、彼女はその恐ろしさにある快楽を見いだしていた。“わたしって実は変な娘なんじゃ……”と悩んでいるのは彼女だけの秘密である。

 

彼は手を伸ばし眼鏡を掛けると桜を見つめた。まだぼぅっとしている。甘やかしてはいけない、兄は直ぐ調子に乗るからだ。優しく起こせばそれを目当てにいつまでも惰眠を貪る、そう言い聞かせ、

 

“怒っています、わたし”

 

と頬を膨らませてアピールの用意も万端だ。彼はぼんやりとこう言った。

 

「……怒った顔もまた秀逸」

「何が秀逸ですか、人の顔を美術品みたいに言わないでください」

「おお桜。芸術的なまでの美しさ」

「っ!」

 

桜の頬が一気に染まる、誤魔化そうと勢いよく兄に座り込んだ。どすっと、真也の身体がくの字に曲がりクッションのよう。

 

「さ、さくら。いくら布団越しでも水月におしりを打ち込むのは如何なものか」

「朝から馬鹿なことを言っているから、そうなるんです」

「馬鹿なことじゃないぞ。桜はマジで美し、」

「2発目いきますか?」

「いえ、結構です」

「朝食の準備が出来ています、早く降りてきてください」

 

取り繕うように立ち去る妹の後ろ姿を見て真也は物思いに耽る。彼は桜が小さい頃から可愛い、美しい、セクシー、色っぽい、エロい、等々女性を褒め称える賛辞は欠かさなかったが、素直に受け取らない。ただ色っぽく成るのみである。

 

「兄の愛が通じないとはこのことか」

 

真也が手早く学生服に着替えてダイニングに赴くと、新聞を読んでいる黒髪の女と目が合った。身長は170センチと東洋“風”女性としては高め。癖のある髪は腰まで伸びて、シンプルな白紐を使いうなじで簡単に結っていた。彼が知る範囲で手入れなど殆どしていないはずだが、髪は深みのある美しい光沢を放っていた。濡羽色と言う奴である。化粧っ気は少なく、眼光鋭く整った顔立ちで、女性でありながら端正とか眉目秀麗という表現が適当であろう。

 

豹を想起させる、鋭く隙の無い身のこなし。その細身の身体が打つ一刀は強力無比。鬼神か闘神の生まれ変わりと言っても彼は否定しまい。人呼んで“おっぱいの付いたイケメン” 名を蒼月千歳といい。蒼月家の大黒柱であり、桜の義母であり、真也の実の母でありそして師でもある女性だ。

 

数時間前の深夜。ボコられた恨みを思い出して、真也は無言で席に着いた。千歳は新聞を置いて煙草に火をつけた。

 

「お前は挨拶もできんのか」

「昨日しただろ」

「捻られた報復がひがみとは情けなくて涙が出る。お前はガキか」

「いい年して知らないのか。大人が大人なら世界に争いは無いよ」

「人の振り見て我が振り直せ、他人の不出来を己の免罪符にするな」

「安心してくれ。他人にはちゃんと挨拶をするから。例え気分が悪くても、腹立たしくても、憤りを感じても」

 

千歳は煙を吐いた。

 

「ほぅ、桜にも同じ態度か」

「まさか、桜は別だ」

 

真也は言いそびれた事を思い出して、振り返った。キッチンに立つ桜の後ろ姿に朝の挨拶をした。彼女は少し驚いたようだったが、柔らかい笑顔で挨拶を返す。

 

「ほらな」

「かわいげの無いガキだ。全くどうしてこれ程ひねくれた。これではあいつに顔向けできない」

 

嫌みと言わんばかりに深く煙を吐く千歳。真也は“あいつ”が父のことを指しているのだと察したがそのまま聞き流した。聞いたところで教えてくれないのは分かりきっていたからだ。17年にわたる生涯、何度も聞いたが答えてくれた事はない。

 

「アンタから教わったのは戦う術と嫌みだけだ。というかそれ(煙草)身体に悪いから止めろって言っただろ。いつまで吸うつもりだ」

「ふん、今更気遣いなどをしても小遣いなどやらんぞ」

 

嫌がらせとばかりに煙を吹き付けた。

 

「アンタの事は心配なんてしてない。桜の身体を心配してる。僅かでも親の自覚があるなら、桜の前で吸うな」

「……母親と妹どちらが大切だ、お前は」

「随分と馬鹿な質問をするんだな。桜に決まってるだろ」

 

深と静まりかえったダイニング。千歳の表情がむっすりと歪む。それは彼女にしては滅多にない反応だった。彼女には敵も味方も居たが、彼らが見れば驚くに違いない、彼女は鉄壁なまでのクールで通っているからだ。

 

「今まで育ててやった恩を忘れたか」

「放任主義でよく言う。自分の入学願書を書く小学生なんて俺ぐらいのもんだろ」

「この家、生活費、誰が出している」

「親は金を出すだけの存在と言うのか?」

「ああいえば、こう言いおって……」

 

ふるふると千歳の手が震える。察した桜が、

 

「もう、朝からギスギスはやめて」

 

と焦り笑顔で朝食を持ってきた。フランスパン、ハムエッグ、ポテトサラダ、コーンスープが迅速に並ぶ。

 

「ほら、兄さん。それ言い過ぎだから母さんに謝って」

「済まない言い過ぎた。母さんには感謝してる」

「……」

 

華麗なまでの手のひら返し。全く釈然としない千歳だったが、それ以上言うのを止めた。

 

(この怒らせ方、日に日にあいつに似てくる……)

 

と夫を思い出してしまったからである。

 

 

◆◆◆

 

 

コーンスープはインスタントではなく、コーンクリームから作った桜の自家製だ。それが随分と二人の身体に合って、二人を随分和ませた。落ち着いた千歳は真也にこう切り出した。

 

「桜には先ほど言ったが、今日からまた仕事で出かける。2週間の予定だ」

「随分と急だけれど、俺も同行するのか?」

 

真也は少し気が滅入った。その間桜は知人である藤村雷河に預けられる事になり、心配はしてないが、会えないと辛い。

 

「いや、私だけだ。お前は桜と一緒に留守番してろ」

「そりゃ助かる」

 

と言うものの一抹の不安を感じる真也だった。いつもと勝手が違うからである。手間が掛かる仕事程真也は同行する。それが2週間も掛かるなら尚更だった。新聞は新都でガス漏れ事故が多発していると報じていた。千歳は足下に置いてあった日本刀を取り出した。

 

「念の為これを渡しておく」

「……霊刀?」

「がらくた市で偶然買い叩いたものだ、銘は分からないが随分とできが良い」

 

刃渡り二尺五寸五分、真也が柄を握り、刀身を覗く程度に引き抜くと、彼の魔力に反応して蒼白く光っていた。業物であると即座に知れた。

 

「……凄いなこれ。がらくた市で売ってたなんて嘘だろ」

「今の時代目利きがいないのだろう。最近瘴気が濃いうえ新都のガス漏れ事故も気に掛かる。気をつける事だ」

「分かった」

「それと。学校帰り桜は暫く男の家に通うそうだ。ちゃんと迎えに行ってやれ」

「……はぁっ?!」

 

真也は振り返った。桜はキッチンで食器を洗っている。信じられない、そんな瞳で母をみた。

 

「……士郎か」

「他に居まい」

「年頃の娘を男の家に行かせるなんて、それでも親か」

「別に外泊する訳では無いからな。料理を習いに行くという動機もおかしくない。止める理由などありはしない。むしろ積極的になってくれて安心している位だ」

 

母の真意などお構いなし、真也は立ち上がるとふらふらと桜に向かっていった。

 

「桜、士郎の家にいくって本当か?」

 

桜は頬を染め、落ち着きがないように髪を弄り始めた。彼女の仕草は肯定だ。動機はどうあれ年頃の娘が男の家に行くなんて一大イベントなのである。

 

「だめです! 男の家に行くなんてお兄ちゃんは許しません!」

 

いきなり大声を出された桜は驚いたが、直ぐに言い返した。

 

「毎回毎回! いい加減諦めてください!」

「止めても強引に行っているからじゃないか!」

「兄さんがくだらない理由で引き留めるからです!」

 

桜は穂群原(ほむらばら)でも一二を争う美少女である。だが浮いた話は一つも無く、せいぜいグループデート止まりであった。それは真也が睨みを利かせているから他ならない。彼の友人ネットワークは広大で、いかがわしい真似をしよう物なら制裁が下される。

 

別に制裁を下すと真也が公言した訳ではないが、10年にわたる彼の半生はそれを如実に表していた。穂群原(ほむらばら)を初めとして冬木に住まう者ならそれを十二分に理解していた。

 

桜にとっては心中複雑である。私も恋愛したい、でも兄の心配も嬉しい、その狭間に揺れる桜にとってあるストレスとなっていた。そんな折、知り合った衛宮士郎という人物は兄に逆らい、好きになれるかも知れないというただ一つの例外だったのである。

 

「妹の身を案じない兄がどこに居ますか!」

「先輩はそんな人じゃありません!」

「男は魔が差すんです!」

「だから先輩はそんな人じゃありません!」

 

「ああいうむっすりした奴に限って腹の奥底では悶々しているもんです!」

「衛宮先輩を兄さんと同レベルで語らないでください!」

「とーもーかーくー! 男の家なんて絶対だめです! だめと言ったらだめ!」

「なによ信じられない兄さんの馬鹿!」

 

真也はビンタされ、あまりのショックに呆然と立ち尽くす。桜はそのまま鞄を持って学校に向かっていった。

 

(さくら、さくら、さくら、か。まったく、お前がそんなだから桜は追い込まれる。思い切ってお前が受け入れれば、という考えは母親として失格か)

 

千歳は深くため息をついた。真也はめそめそと泣いていた。

 

 

◆◆◆

 

 

千歳はフリーランスの掃除屋を生業としている。ただ一般人相手ではなく魔的な意味だ、拝み屋と言っても良いだろう。人に危害を及ぼす妖怪を初めとした物の怪を屠ったり、呪殺を生業とする相手と戦ったり、滅多にないが人を殺したりする事もあった。

 

彼女がこの冬木市にやってきたのは10年前だ。原因不明の大災害もその傷跡を生々しく残している頃である。

 

彼女の依頼は“間桐臓硯の暗殺”だった。

 

この10年異常犯罪が多い冬木市だったが、それ以前も不可解な事件があった。若者が、特に女性が血肉の痕跡を残して失踪するという物である。事件簿をひもとけば、発端は200年以上前に遡りその間隔は徐々に短くなっていった。

 

残された物証、事件現場の状況は不可解で警察も手を上げた。被害者の遺族達はたちは協力し合い霊力者、呪術者を雇って間桐臓硯と言う人物にたどり着いた。だがその人物は狡猾で、遺族はもちろん雇った術者でもどうにも出来なかった。噂を聞きつけた遺族達は大金を払い彼女に依頼したのである。

 

彼女が個人を殺す判断は“守るべき人が居るか”である。それが居るなら例え殺戮者であろうと、殺す事は無かった。彼女はそれを人間性を示す最後の一線と考えていた。守るべきものが者から物に変わった時、人は化け物と化すのだ。

 

彼女は間桐臓硯を言う人物を知らなかった。取りあえず会ってみなくては分かるまいと手を尽くしたが会う事は叶わず。であればと押し入った。

 

黒いタイトスーツが陰鬱とした闇を駆けた。

 

そこは臓硯の家で、地下の修練場だった。薄暗く陽の光も届かない、空気も淀んでいて息苦しい。大量の蟲すら蠢いていた。魔術など多種多様とそれを気にしなかった彼女だが、臓硯を見たとき即座に切りつけた。彼の魂は既に腐っており、身体を蟲にして生きながらえる妖怪だったのだ。不死という物に執着し犠牲をいとわない人物である事は明白だった。切り捨てたなれの果てをエオロー〈魔除け〉とシゲル〈太陽〉のルーンで焼いた。

 

消滅を確認し立ち去ろうとした時である。修練場の奥底から微かに息づく人の気配があった。蠢く蟲にまみれる子供の姿をみた。女の子だった。その子は全てを捨てていた。

 

同情の念は沸いたが、それ以上の事をしようとは思わなかった。可愛そうな子供など世界の至る所に居る。きりが無いし、救うと言う事は受け持つと言う事だ、そんな事などできはしない。

 

「……」

 

立ち去ろうとした彼女はきびすを返し、子を這う蟲を蹴散らした。石床に横たえる子供を抱きかかえた。その子供の返答を聞かず連れ帰った。その瞳は千歳を見る事も無く虚ろだった。

 

「君は全てを捨ててしまったな。私にもそうなりかけている子供が居る、親としてはそれは忍びない。間桐は君に全てを捨てさせたが、私は君に何かを与えよう、君が再び掴める土壌を用意しよう。その代わり私の子供を救ってくれ」

 

人間、人格というのは周囲との折り合いで形成される。人間は誰しも欲を持つ。だが欲望のまま動けば周囲という壁にぶつかり、その欲は成される事はない。このとき人は初めて原因を考え、ぶつかった壁の事を考える。人間関係も同様で、ここに協調という概念、つまり相手の事を考えるという思考が生まれる。幼い頃から甘やかされて育った人物が、相手の事を考えないのは良い一例であろう。

 

千歳の子供は特異だった。幼少の頃から強い身体能力と魔力を持っていた。転じて彼に相手の事を考えさせる周囲という壁がなかった。西へ東への根無し草、子育てに適切なツテも無く、その力故に友人どころか子供とのふれあいすらままならなかった。

 

窮した彼女は自分の力を壁として教育を施した。子が親の言う事を聞くのは当然、つまり絶対である。従ってあれも駄目これも駄目と言うよりほかなかった。一定の成果は見られたがそれは歪な結果をもたらした。

 

喧嘩をすれば相手に怪我をさせてしまう、だから喧嘩をしては駄目だ。相手の利益を脅かす、だから盗んでは駄目だ。相手の事を考えるという体感が出来ない以上、教育は全て理論を持って教えられ、行動は理詰めになっていった。身体の内にある強い力を使ってはならない、それは虚無感に変わり。

 

“何かすれば怒られる”

 

その子供は次第に意欲をなくしていった。彼女はこのまま子供が成長し、守るべき物しか持たない狩るべき対象になってしまう事を何より恐れた。だからその子供に全てを捨ててしまった子供を妹として与えたのである。

 

2人の子供が最初に共有した物は痛みと悲しみだった。間近で見る同年代の存在、子供が興味本位に無遠慮に掴めば、痛みを与え傷つけた。泣き顔を見るとこちらまで悲しくなってくる。どうして泣くのか考えた。殴って黙らせようか、だがそれでは余計に泣く。死んでしまえば泣く事はない、だが殺しはいけない事だ。思考の堂々巡り。その子供はこのとき初めて相手の事を考え行動した。こう千歳に聞いた。

 

“どうしてこの娘は泣いてばかりいる”

“お前が傷つけるからだ。その娘はお前の妹、守るべき相手だ。泣かせたくないならどうしたら良いかそれを考え感じろ”

 

悲しみを知れば喜びを知るのにそう時間は掛からなかった。2人は徐々に近づき、全てを共有していった。幼い真也に必要な事は、相手への思いやりと力の使いどころ。幼い桜に必要だった物は悪夢から守ってくれる絶対的な安心感。

 

魔眼を用い全身に巣くう蟲を子供自身に除去させたのも、真也にとっては良い結果となった。技量の問題で心臓の一匹は除けなかったが、先送りしても問題なかった。身体に抱えた爆弾、“桜を守るため”と訓練にも熱が入る。こうして千歳の思惑は概ね達成されたのである。

 

そう概ねだ。

 

あるとき幼い桜は千歳のもとへ駆け寄ってきた。

 

“おかーさん。わたしお兄ちゃんと結婚したい”

 

面食らう千歳に、真也は言った。

 

“兄妹は結婚できないんだぞ”

“えー、やだやだ。結婚するのっ!”

 

千歳は子供にはありがちと笑って流した。視野が狭いからだ。世間を知り、色々な男を見れば意識も変わるだろうとそう考えた。数年後、その考えが甘い事を知る。“シングルマザー”“似ていない兄妹”という特徴はいじめの対象となった。その都度真也は桜を守り、大立ち回りを見せた。他の男の子は虐めてくるだけ、守ってくれるのは兄だけ。聖杯の余波で、当時の冬木市は治安的に荒れていて、真也の安心感を感じる機会は事欠かなかった。その様な思春期を送れば桜がどう行動するか、明白であった。

 

桜が中学に上がった時である。千歳は桜が寝ている真也にキスをしていたのを目撃した。その恍惚とした瞳はどうひいき目に見てもよろしくなかった。下着は率先して洗う、シャツの臭いを嗅ぐ。思いあまれば添い寝しようと枕を持って兄の部屋を訪れたこともあった、もちろんそういう行為を期待しての事だ。

 

幼少の経験より真也は桜を妹として確立している。良い事なのか悪い事なのか、桜を女として見ていなかった。千歳は桜にこう言った。説教では無くただ事実を告げた。

 

“好意を伝えれば明確に拒絶されるだろう、報われない”

“……”

 

兄に拒絶されれば耐えられないかも知れない、桜はその感情を押し殺し生きていく事になった。そんな折、一つの事件が起こった。真也が中3、桜が中2のときである。真也というやたら強い中坊(奴)がいるという噂を聞きつけた、県外の高校不良グループが冬木にやってきたのだった。暫く平穏だったので桜も油断していた。見目麗しい桜の姿を見つけると言い寄った。

 

ここからはよくある話だ。嫌がる少女に徐々に劣情をたぎらせる男たち。おい止めろと、赤髪の少年が助けに入った。士郎である。中3の士郎1人、相手は複数人の高校生、結果は明白だった。事実士郎は殴りに殴られた。だが士郎はしぶとかった、不良グループはもちろんの事、桜さえも呆然とする程に何度でも立ち上がった。

 

士郎が時間稼ぎをしている間だ、駆けつけた真也が不良グループを叩きのめした。見せしめだと、二度とこんな真似が出来ないようにと、再起不能なまでに叩きのめそうとした真也を士郎は止めた。

 

“おまえ、そこまでボコった相手の肩を持つのか”

“そんなんじゃない。けど報復なんてすることじゃない。お前の目的は何だ。この娘の無事か、それともそいつらを叩きのめす事が目的なのか。もし叩きのめすことが目的なら、俺はお前を止める”

 

顔は腫れ、切り傷擦り傷だらけ、打撲にたんこぶ、足首も痛めていて立ち上がることすら億劫だろう。そんなぼろぼろの奴が眼をギラつかせて宣言した。

 

妙に苛立たしい眼だなと真也は思った。暫く睨み合ったあと真也は手を離した。言っていることは全く分からなかったが、桜が助けられたのは事実である。ただその事実だけを対価として士郎の意を汲んだ。

 

“桜、帰るぞ”と真也は言った。

“俺は士郎だ。衛宮士郎。お前、名前は”と士郎が言う。

“蒼月真也”

 

目を合わせれば喧嘩腰になるかも知れない、それでは恩人に筋が立たないと、真也は振り返りもせず答えた。ぽかんと士郎を見ていた桜は慌てて礼をして立ち去った。

 

危ないところを助けられて恋に落ちる、そんな事には成らなかった。彼女が欲するのは守ってくれる存在である、その理屈から考えると士郎は微妙だった。助けられたことは事実だが、桜を守る為では無く、彼が持っている他の何かを守る為助けたように見えたからだ。初対面だと言う事実を考えれば自ずと知れる。ただそれへの固執が凄まじい、我が身を顧みない程だ。執着と言っても良いだろう。桜の士郎への評価は“おかしな人”これに尽きた。

 

月日が流れ記憶もあやふやになってきた頃、桜と士郎は再会した。同じ学校の同じ部活、弓道部である。背が伸び身体は鍛えられて、射れば百発百中。士郎の射が織りなす雰囲気は圧倒的で見とれる少女も数知れず。おまけに面倒見が良い、後輩への指導も的確だったし弓の調整もお手の物。

 

“衛宮先輩モテるでしょう”と桜は綾子に言った。綾子は笑いながら首を横に振った。いつも誰かのために働く姿がせせこましいと、少女たちからの評判はイマイチなのだった。桜は道場の雑巾掛けに励む士郎を見て、ただ不思議そうに首を傾げるのだった。

 

“なんで?”

 

例えば道場の掃除のとき。このとき士郎は退部していたが、人手が足りないと綾子はこう依頼した。

 

“良かったら掃除頼まれてくれない? 私呼び出し喰らってて”。手伝ってと後から行くからと、言わなかったのは綾子の言葉のアヤである。まるで士郎だけに掃除を依頼したように解釈できる。特に予定の無かった彼は快諾した。彼がもくもくと掃除していると、弓道部の掃除班がやってきた。彼ら彼女らはこう言った。

 

“あれ? 先輩がどうして掃除を?”

“美綴に頼まれた。俺がやっておくから”

“感謝っ!”

 

綾子が承知しているならと掃除班は立ち去った。遅れてやってきた桜は、1人で掃除する士郎を見て“なんで?”と問いかけた。そこはおかしいと声を上げるべき所ではと指摘した。士郎は笑って“人のためになるって良い事じゃないか” と答えた。彼女は多少の苛立ちと盛大な不可解さを腹に溜めて、雑巾を手に取った。2人は綾子が戻ってくるまで一緒に掃除をした。サボった掃除班に綾子の雷が落ちたのは別の話である。

 

その後も桜の不可解さは募っていった。

 

例えば学園祭。士郎のクラスは焼きそば屋台だった。彼は一人でもくもくと作っていた。売り子は別に居たが、調理担当を交代しなかった。彼の側では同じ調理担当であるクラスメイトが談笑していた。

 

“なんで?”

“おいしいと言われるとやる気が出るというか、なんというか”

“クラスで決めた事でしょう? 一人でやるのは別問題だと思います”

“俺が一番手慣れてるし、人のためになるって良い事じゃないか”

“……”

 

桜は士郎の焼きそばを食べたあと調理を手伝った。

 

例えば。校舎で見かける士郎は殆ど誰かの用事を引き受けていた。女の子の荷物を持ったり、備品の修理をしたり。早朝授業が始まる際まで、放課後はもちろん、下手をすると昼休み。

 

“なんで?”

“バイトもあるしこれでも出来る事しか引き受けてない”

“そういう事じゃ無くて、他にしたい事とか休みたいとか思わないんですか? 小間使いみたいに扱うなっ、とか”

“人のためになるって良い事じゃないか”

“それは、そうなんです、けれど”

 

そこに自分はありますか? と言う問いかけは。あまりにも真剣な眼差しに何も言えなくなった。彼は楽しんでいない、そうしなきゃいけないと自分を脅迫している、桜はそれに気がついた。漠然と、この人には誰かいないと駄目なんだなと思ったりもした。

 

大勢の人の為にと言うがそれを自分に強いる士郎と、常識人を装っているがその皮を剥げば桜以外どうでもいい真也。二人は学校でも言葉を交わさない、眼すらあわさない、希に言葉を交わせばつっけんどんである。

 

桜は士郎が兄と対をなす存在ではないかと考えた。

 

純粋な力の差は歴然だが、将来は分からない。これ程までに意固地なら大成する可能性はある。対なす存在に加えて大きな力、ならばこの苦しみから、兄から離れさせてくれるかも知れない、と桜はそう縋った。

 

士郎に彼女は居ないし、桜が士郎を束縛している訳でもない。ただ恩返しという名目で押しかけ世話を焼くのだ。彼女はそれを免罪符にして、士郎の家に行く事に決めたのである。

 

だが自分の奥底にある欲望を強引に抑え込んだその行動は、聖杯戦争という数奇な運命が絡みつき、彼女の首を絞める事になる。

 

 

 

 

 

 

 

つづく!




というわけでだいぶん変わったこの作品です。もう別物ですね。

もう一度1stバーサーカー戦までこぎ着けるのが当面の目標です。

3人称って視点持ちの制限を受けないから説明が自在で楽ですね。
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