冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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14 聖杯戦争・1

桜は真也に寄り添いながら寝息を立てていた。彼の首元に鼻先を埋めている桜の表情は穏やかで満たされていた。不安や悲しみと言った負の感情とは無縁に見えた。陽にかざせば青く見える柔らかい髪、そっと撫でれば寝言のような寝息のような曖昧な声を発した。

 

二人は床を共にしていた。どちらかと言えばひんやりする桜の身体は、柔らかくしっとりとして温かかった。同年代の少女と比較して、その肢体はふくよかで艶めかしい曲線を描いていた。彼女は気にしていたが適度な重さがとても心地よい、彼はそんな事を考えた。

 

何時の頃からこうなったのだろう。それを考えたが良く思い出せない。切っ掛けはホラー映画である。怖くて寝られないからと言って夜更けに彼の元を訪れた。数度繰り返すうちに何時しか当たり前になった。夜着も徐々に薄くなり、気がつけば肌を晒していた。身体を重ねるのに時間は掛からなかった。

 

後悔はあった。痛みもあった。誰にも言えない事がその証である。だが髪を振り乱し苦悶の中にも悦びを魅せる妹の姿を見ていると、それは些末な事なのだと考えるようになった。何気ない日常でも妹は幸せに見えた。10年生活を共にした彼ですら初めて見る幸せな姿だった。ならば彼に戸惑う理由などない。彼の存在理由はそれ以外にないのである。

 

カーテンの隙間から夜空を見れば丸い月が浮かんでいた。視線を感じて妹を見れば、視線が合った。その端正な面持ちは蕩ける様で、瞳は揺らいでいた。

 

“身籠もりました。兄さんの子です”

 

妹の告白。彼はその頬に指を優しく添えた。彼女の瞳に浮かぶ涙は頬を伝った。懺悔、希望、不安、幸福、複雑な感情を織り交ぜて、薄紅色の唇は艶めかしく光る。彼はありがとうと短い言葉を贈って唇を近づけた。

 

殴られた。

 

何事かと見上げるとベッドの脇に凛が立っていた。腕を組み怒りを隠さないその様は金剛力士の如く。なぜ凛がここに居る、その問いに彼女は左手で答えた。腕に刻まれた魔術刻印が唸りを上げる。破壊的な魔力光に包まれて彼は目を覚ました。

 

見上げる先には天井があった。見慣れた大量生産品の合成天井では無く、木材を丁寧に加工し作られた高級な天井である。ベッドから身を起こすと其処は洋間だった。壁と壁の境、壁と天井の境には深みのある木材が額縁のように走っている、とても手間が掛かっていた。三つ並ぶ窓には遮光カーテンがゆったりと流れている。高級そうな刺繍が施されていたが、彼には見当も付かなかった。カーテンの隙間からは朝日が漏れ込んでいたが、部屋を照らすには光量がとうてい足りなかった。部屋はブラウンをふんだんに使っており、光を吸い込まない程に深みのある部屋だったのである。

 

部屋には彼が収まるベッドの他に丸いテーブルとチェアーがあった。ぼぅと考えること約10秒。彼はようやくその部屋が遠坂邸の部屋だと気づいた。それは問題では無い、悩ましいと言えば悩ましいが、いま苦悩する問題では無かった。

 

(……なんつー夢を見るんだ俺は。妹に手を出すなんておにいちゃんの風上にも置けん)

 

己の不始末に頭を抱えようとしたら、こめかみがズキズキと痛む事に気づいた。原因は彼の左拳であった。喰い込む程に打ち込まれていたのである。彼は無意識に己を殴ったのであった。左手を労るようにこう言った。

 

「でかした左手。褒めてつかわす」

 

先日。凛の頬に触れた手もその左手であったが、それに因果関係があるのかは神のみぞ知る。彼は思う。サクラニウムが足りない、と。だからあのような倒錯的な夢を見るのだ。先日のバーサーカー戦で消費したに違いない、どうにかして補充せねば。彼はそんな事を考えながらベッドからのそりと抜け出した。

 

長袖の黒い襟無しシャツにライトグレーのスウェットパンツ、それが彼の出で立ちである。Tシャツにボクサーパンツでも良かったのだが、余所様の家であるゆえ慎重を期す事にした。万が一見られようものならそれはそれで事だ。葵は気にしないかも知れないが、凛は過剰反応するに違いない。

 

(ガンドを打ち込まれるな、間違いない)

 

その惨事に戦きながら、部屋と廊下を隔てる扉を開けた。すると其処に桜が立っていた。おや、と彼は思った。どうして桜がここに居るのだろう。しかも見覚えのない純白のネグリジェを纏っていた。ちりばめたフリルと相まってとても愛くるしく見えた。まるでどこぞのご令嬢である。何時買ったのだろうか、彼はそんな事を考えた。桜は呆けたように真也を見詰めていた。夢の中の桜を思い出し罪悪感を抱いたが、余りの可憐さにその戸惑いを一瞬で脳裏から消し去った。彼は堪らず桜に抱きついた。

 

「かわいいっ!」

 

サクラニウムの補給である。“ぎゅうっ”と音が聞こえてきそうな程に抱きしめると、違和感がある。似ているが少し違う。桜の肢体は肉感的である。ぽっちゃりは過剰な表現だが、抱きしめれば食い込む程に柔らかい。だが今日の桜はずいぶんと華奢だった。ダイエットでもしたのかと腕の中に居る桜を見た。紛う事なき黒髪だった、おまけに長い。付け加えるならつり目である。彼は思った。

 

“どうして桜が凛の顔をしているのか”

 

心臓が脈を打つ事13回。ようやく現実を理解した彼は血の気を引いた。青ざめた。

 

「うわわわわわわわっ!!!!」

 

彼は全速力で部屋に戻った。もちろん後ろ向きである。ベッドに脚を引っかけ、マットレスの上で後転し、そのままベッドから落ちた。“ゴン!”と頭をカーペットに打ち付けた。沈黙が訪れる。

 

打った頭が痛む、それ以上に頭の中が痛い。聖杯戦争の戦術的必要性で訪れた遠坂の家、その当主に抱きついたのだ。大失態である。追い出されるのは一向に構わないが、著しい礼の欠如は申し開きのしようが無い。流石の彼も申し訳なさで一杯だった。

 

だがどうした事だろう。いつもであれば跳んでくる罵りの言葉が、今日に限って一向にやってこない。しぶしぶ彼はこう切り出した。苦虫をかみつぶしたような顔である。

 

「おはよ、凛」

「おはよう」

「洗面台ってどこ?」

「廊下を突き当たって右」

 

我を取り戻した凛はようやく真也が頭を打った事に気がついた。慌てて駆け寄ろうとする彼女を制した。

 

「寝ぼけてたとはいえとても失礼な事をした。許してくれ」

「いいけど、別に」

「それと今とても間抜けた面してると思うから、そのまま立ち去ってくれると非常に嬉しい」

「あ、うん」

 

「慚愧の念に堪えない。なんと言って詫びたら良いのか分からない」

「……大げさね。30分後に朝食だから。部屋は分かる?」

「夕食の部屋で良いのか?」

「そう」

「顔を洗って形をまともにしたら向かいます」

 

凛から見る真也はベッドの上に残った両脚だけである。突き出された手はひらひらと舞っていた。その様は人形劇の如く。

 

「遅れないでね」

「わかりました」

 

凛は扉を閉じもせずに立ち去った。一歩二歩、歩みを進めるごとに笑みがこみ上げてきた。可笑しさと、恥ずかしさと、嬉しさもそれなりに混じっていた。慌てたような悲鳴を聞きつけて葵がやってきた。

 

「何の騒ぎ?」

「なんでもない」

 

葵は娘の違いに気づいた。寝起きの悪い娘が朝から笑っているのだ、葵が不思議がるのも無理はない。

 

「どうしたの? 寝起きにしては機嫌が良いようだけれど」

「なんでもない。安心しただけ」

「?」

 

寝ぼけていた彼女もまた真也を失念していた。すっぴんであった事、髪も整っていなかった事、夜着であった事、それらを見られたこと自体年頃の娘にとっては相応の失態だ。加えれば抱きしめられたのである、引っぱたいたとしても、文句はどこからも出てこないだろう。それでも彼女の機嫌は悪くなかった、どちらかと言えば良かった。年頃の少女として見られていると考えたからだった。だが。

 

(凛と桜を間違えた? 俺が? なんで? なんで? なんでーーー!)

 

凛に真也の心など見通せるはずなどないのである。勿論この二人に限った話ではない、誰も彼もがそうである。男女なら尚更だ。

 

 

◆◆◆

 

 

真也が遠坂邸を訪れたのは夜も遅く、葵は既に就寝していた。彼女が滞在を聞き及んだのは今朝の事。葵はとても驚いた。

 

“聖杯戦争がらみの、魔術師同士の判断の結果”

 

凛のもっともらしい説明はどうでも良かった。亡き夫を信奉する娘が、身近に男の子を置くとは衝撃の以外何物でも無いのである。以前から真也に対する娘の接し方が何処かおかしいと感じていた葵は“これはいよいよか”と考えたりもした。

 

遠坂家の食堂。白いクロスの上に並ぶのは洋風の朝食である。葵はクロワッサンの入ったバスケットを真也に差し出した。

 

「沢山食べて下さいね」

「ありがとうございます」

 

優雅な振る舞いの中に見せる娘の機嫌はずいぶんに良い。逆に娘が連れてきた少年はいつになく恐縮している。彼は先ほどの一件を引いていた。お構いなしに葵はニコニコと笑っていた。

 

「真也さん、短い間ですけれど自分の家だと思ってくつろいで下さいね」

 

戦いに来たのだ、彼はそう異議を唱えようかとも思ったが彼女の好意を無下にする事もできないと素直に頷いた。

 

(葵さんって少し天然入ってるな)

 

そんな事も考えた。正直なところ葵も浮かれていた。食事の、それも朝食のテーブルに娘以外の人物が居るなど記憶にないほど久しいのである。

 

「真也さんのご予定を教えて頂けますか」

「夜はこの家に詰めますが日中は基本的に出歩きます」

「本日はどうされます?」

「新都に行きます。明日は学校へ」

 

コーンスープを啜っていた凛が不思議そうな顔をした。察した彼は言う。

 

「情報集め。家に籠もっているのは何もしていないのと同義だ。守ってすらいない」

「分かってるわよ。気がついた事があったら報告して」

 

日中なら問題も無いだろうと凛も同意した。

 

(そういえば真也って交友が広かったわね。私も真也の情報を集めておくか。桜に聞いても言わないだろうし、適当な人物って誰だろ)

 

放し飼いにするのは気が引けたが、過度に拘束するのも格好が付かない。手元にあるならまずは良しと彼女は考えた。娘の思い知ってか知らずか、葵は日常運転だった。

 

「夕方には戻られると言う事ですね?」

「はい」

「真也さんのお好きな料理は何でしょうか」

 

話の展開について行けない彼は「なんです?」と聞き返した。

 

「以前お約束した話です。真也さんさえ宜しければ腕を振るいますわ」

 

ぴく、と凛の身体が振れた。葵は娘に目配せをした。その瞳は“凛も手伝いなさい”と言っていた。余計な事をと内心で呻く凛だった。

 

落ち着かないのは真也である。彼自身とうに忘れていた約束だった、本気だったのかと2度驚いた。そして焦りも浮かんだ。母娘家庭に乗り込んだこと自体気が引けるというのに、そんな事までされては落ち着かない、彼は慇懃に断った。コンビニ弁当の方がマシだった。

 

「あ、いえ、お構いなく」

「遠慮無くおっしゃって下さい」

「お気持ちだけで十分です」

「私にとっても良い機会です、助けると思って是非お受け下さい」

「そこまで良くして頂く理由はありません」

「誰かに食べて頂けるなら作り甲斐もあります、私たちのを召し上がっては頂けないでしょうか」

 

妙な言い回しに凛は眉をひそめたが真也は気づかない。彼の目の前には美しい貞淑な未亡人。組んだ両手は胸の前、その姿は懇願するようである。嫋やかな振る舞いに混じる悲しみの表情。それを見て断れるだろうか、断れるはずがない。

 

(うー、あー、うぅぅぅぅぅぅぅぅぅー!!!)

 

追い詰められた彼は渋々好物を告げた。葵の狙いは簡単である。意地を張る娘とどこか一歩身を引いてる少年、手料理という武器を使って距離を近づけようというのだった。葵は少し古い人間だった。

 

 

◆◆◆

 

 

邸内を案内する凛は笑う。涙を流して笑う。あははと遠慮が無い。

 

「ハンバーグってまるで子供ね♪」

「五月蠅いな」

「せめてドリアとかシチューとかにしなさいよ♪」

「放っておいてくれ」

 

目尻の涙を拭いて同い年の少年を見れば、むっすりと黙り込む真也だった。実際のところ彼も同意見である、追い詰められていたため思わず本音を言ってしまったのだった。偽りなき本心である、恥ずかしいが言い返す事もせず、凛のからかいに耐えていた。これ以上弄るのも可哀想かと、凛は話題を変えた。

 

「いつも食べてる訳? ハンバーグ」

「……いつもじゃない。時々桜が作るのを食べるだけ」

 

桜の18番であった。

 

「外食では食べないの?」

「美味しくないからな」

 

ある意味調教ではないだろうか、凛はそんな事を考えた。桜の味以外では満足できない、そういう意味である。瞬く間に不機嫌になった。

 

「ふーん、そう。前から聞きたかったのだけれど、アンタ桜に依存してない?」

「家事全般を任せっきり、と言う意味では合ってる」

「曲がりなりにも魔術師でしょ? 自分の身体の管理なんて初歩の初歩じゃない」

「俺は順応性があるの。桜が嫁いでも今の時代飯なんぞどうにでもなるから」

「前に言ったかも知れないけれど不健康よそれ。若いからって無茶すると年を取ってから反動が来るんだから」

 

女性らしい発言に彼は面食らった。

 

「外食なんて滅多に無かったんだ。直に戻るから心配は不要」

「戻るって桜の居る生活の事?」

「士郎と上手くいっても今すぐ嫁ぐって訳じゃない。聖杯戦争が終われば桜は帰ってくる。おかしくないだろ」

 

突然トーンを下げた凛に彼は訝しがった。その瞳に見えるのは怒りではなく悲しみである。

 

「真也にはもう私が居るんだから、桜の事を言うのは止めて」

「……は?」

「冗談よ。冗談」

 

彼女はそそくさと立ち去った。冗談にしては過激な発言だと思ったが追求はしなかった。

 

凛がぴっと指さしたのは地下へと続く階段であった。

 

「ここは入らないで。工房だから」

「わかった」

 

凛は深みのある木製の扉の前に立って真也を指さした。

 

「ここも駄目」

 

彼女の寝室である、そんな気は毛頭無いと彼は肩をすくめた。

 

「了解」

「母さんの部屋も駄目よ」

「分かってますって」

「母さんは少し天然だから、万が一誘われても断って」

 

未亡人の寝室に誘われる、とんでもないシチュエーションである。娘が連れてきた若い男に、忘れていた女の高鳴りを思い出す。いけないと思いつつ焦がすような身体の疼きを抑えられない。些細な出来事で急接近、亡き夫を裏切るという罪悪感に囚われつつも……そこまで妄想した。思わず頬を掻いた。

 

(AVの見過ぎだ……)

 

凛は単に部屋に入るなと言っていたが、彼の想像は上回っていた。見透かした凛はえらい剣幕である。唸りを上げるドーベルマンと言っても過言ではない。

 

「……アンタね」

「しない。というか凛が言うまで想像だにしなかった」

「妹とか未亡人とか。前々から気になってたんだけど、アンタってそういう不道徳な趣味をもってるのね。17歳のくせに不健全よ」

「あのな。桜には手を出してないし、葵さんにそう言うつもりも無い。いったい人をなんだと」

 

「久宇舞弥にも鼻を伸ばしてたし、いくら何でも見境がなさ過ぎ」

「美人に見とれて何が悪い」

「開き直ったわね……」

「だからしないって言ってる」

 

「ふん、怪しい物だわ」

(なんというか、凛はどんどん面倒臭くなる。なぜだ)

 

機嫌の乱高下が激しい。理性を持って説明しても受け入れない。桜の名前を出すと無条件で機嫌が悪くなる。そもそも綺麗なものに見とれて何が悪い。

 

「何? 言いたい事が言えばハッキリ言えば?」

 

そこまで言うならお望み通りに手を出してやる、と考えはしたが堪えた。葵に揺さぶられているのは事実であったがそこまで人の道を踏み外すつもりもない。虚構(AV)と現実(リアル)の区別は付けていた。憤りに震える身体を押え付け、一呼吸。

 

「済まなかった。凛に不愉快な思いをさせた」

「そう。それで?」

「義務と義理は果たす」

 

硬い言葉を使って、やりとりに魔術師同士の意味合いを持たす。凛は告白の返事をしていない、曖昧な間柄である。何に対して果たすのか彼にも理解できなかったが、とにかく謝った。警官Hの助言に基づき折れたのである。不機嫌な恋人には抱擁が定番であるが、その度胸は彼に無い。

 

「その為には俺らの関係を明確にするのが肝要だ。凛、協力してくれ。万が一誘われたらどう言って断れば良い? ただの共闘者では説得力に欠けると思うぞ?」

 

真也は凛が返事をしない事に何らかの理由があると考えていた。恋仲であれば、戦術的な理屈を押し曲げてまで、遠坂邸に引き入れる事に不自然さはない。逆に。ここまでして返事をしないなら出来ない理由がある。そこを突いたのである。付け加えるなら“返事をしてない”事を遠回しに非難する陰湿さだ。

 

怒りが収まらないのは凛である。

 

(女の子に責任を転嫁するなんて、この最低男……)

 

もう容赦すまいと胸を張って微笑んだ。その様はまさしくあくま、否、普通の少女であった。

 

「私を抱いたとでも言えば?」

「……嘘をついてどうする。というかその嘘をついた後の展開とフォローを考えないのか」

「あら酷い人ね。今朝私に何をしたのかお忘れ?」

「あれは違う! 事故だ!」

 

凛は主導権を奪い返した。

 

「義理堅い蒼月君はあの行為を大した事ないとは思っていないわよね?」

 

言葉が出ない。言い返せない。真也はたじろいだ。案外純情だと凛は思った。だが真也は桜と凛を間違えた事実に苦しんでいただけだ。その違いに凛は気づかない。ここぞとばかり畳みかけた。

 

「私の身体の具合はどうだった? お気に召して頂けたのなら嬉しいのだけれど」

「妙な言い方するな」

「もう一回する? 私は構わないわよ?」

「……ごめん。忘れて、忘れさせてください」

「“やってしまった事はもうどうにもならない”何処の国のことわざだったかしら」

「イタリア」

 

真也はがっくりと打ち拉がれた。おほほ。完全勝利と高らかに笑う凛であった。ただし。抱きしめられた感触を思い出し動揺するのは彼女も同様である。

 

 

◆◆◆

 

 

トボトボと住宅街を歩くのは真也である。新都に赴こうと遠坂邸を出たまでは良いが、自我が定まらず住宅街を彷徨っていた。目も虚ろで生気が無い。その様はまさしくゾンビである。見上げれば珍しく晴天。日もそれなりに昇ってあと数刻経てば昼だというのに、彼は陰湿な雰囲気を漂わせていた。“どんよりどよどよ”である。

 

(どうするんだ。凛に弱み握られたし。今後何かある度に持ち出される。そうに決まってる。どうすんだ、どうするんだ……どうしようもない)

 

凛が怖い、葵も怖い、二人の笑顔が苦しい、二人の好意が辛い。選択は常に桜にとっての最善、彼はその生き方を続けてきた。遠坂家に身を寄せるのは予想外だが、ここまで罪悪感に囚われるのは異常だ。だが彼にはその理由が分からない。

 

それは桜と遠坂家の関係に依存する問題だった。彼は図らずとも凛を抱きしめてしまい、無意識に感じていたストレスを一気に顕在化させたのだった。

 

「逃げたい。遠坂邸(いえ)から逃げ出したい。このままあの家に居るとシスコン(自我)が崩壊してしまう。何でか良く分からないけれど激しくそんな気がする……」

 

だが戦況は許さないのである。何よりこの状態に持ち込んだのは彼の行動・判断の影響が大きい。

 

どうしてこうなったのだろう、彼は考えた。桜と士郎を組ませた事だろうか。桜を連れ帰らなかった事だろうか。士郎への牽制のため凛に告白した事だろうか。全ては桜と真也のすれ違いから始まったのだが、彼は桜の真意など知るよしもない。

 

確実な事は、聖杯戦争が終わるまで、桜と士郎の恋の行方が判明するまで、辛抱しなくてはいけないのである。

 

「さくらー、おにいちゃんがんばるからなー」

 

がっくりと項垂れとぼとぼと歩く。ひたすら歩く。数歩歩いてピタリと立ち止まった。“くくく”と笑ったあと仰け反り髪をかきむしる。目を開き叫ぶその姿は狂人の如く。

 

「あんな異常行動を犯したのは戦闘でサクラニウムを大量消費したせいだ! バーサーカーぶっ殺す!」

 

彼は責任転嫁をしたようだ。

 

「イリヤスフィールはソ○マップ看板を背景にグラビアポージングさせてやる!」

 

彼の脇を親子がそそくさと通り過ぎていった。

 

「ママー、あのお兄ちゃんなんか変」

「しっ! 見ちゃいけません!」

 

彼は「サクラニウム、サクラニウム、サクラニウム、サクラ……」と呟きながら住宅街を歩いて行った。

 

気がつけば蒼月邸の前。彼は誘われるように家に入った。多少ほこり臭いが気にならなかった。フラフラと階段を上れば桜の部屋の前。ここに居ない桜に一言謝って、その部屋に入った。ベッドに勉強机に本棚、家具は真也の部屋とさほど変らない。だが白色と暖色を中心としたカラーリングで部屋は仕立てられていた。見るからに女の子の部屋である。化粧台を買ったのは桜が小学5年生の時だった、彼はそれを思い出した。

 

何が良いだろう、写真でも良いが身につけられる物が良い、彼はそんな事を考えながら部屋をぐるっと見渡した。ピンと思いついた彼は洋服ダンスを引き出した。納められている白系の下着に目をくれず、隅にある小さめの木箱を手に取った。開けるとリボンが収まっているのが見て取れた。

 

どれにしようかと探ると、黒や紺といった温和しめなリボンが続く中、一際目立つ色のリボンがあった。それはこの家において桜の最も古い記憶。彼女が連れてこられたとき付けていた赤紫色のリボンである。彼はそれをおもむろに取り出すと左手首に巻き付けた。

 

(おぉ、力が満ちる……)

 

下着に手を付けなかっただけマシだが、余りの倒錯ぶりだった。もちろん彼に自覚は無かった。彼はシスコンだからである。足取り軽く家を出た。手首のリボンが大きな波乱を巻き起こす事など彼は知るよしもない。

 

 

◆◆◆

 

 

セイバー、アーチャー、ライダー、各陣営が結んだ協定は少々複雑だ。セイバーは聖杯に願いを持っているが士郎は持っていない。ライダーに願いは無いが桜にはある。思惑は一致、互いに顔なじみと言う事で協定は滞りなく結ばれた。

 

その様な中、凛は少し浮いた恰好だ。共闘はバーサーカーに限ってのみで、それまでは敵では無いという微妙な立場を取った。彼女もまた聖杯に願いは無いが勝つ気でいる、バーサーカーの対処が済めば二人とは敵になるからだ。殺す気は無い、ただ小突くだけである。悔しそうな顔が見られればそれはそれで良い。幸運にも桜の兄は確保済みである。だが士郎、桜ともに素人では共闘に不安が残る。短い期間とは言えやれる事はやっておくべきだと二人に最低限のレクチャーをする事にしたのだった。

 

少し時間を遡り衛宮邸。もう少しすると凛がやってくるそんな頃だ。登校時間はとうに過ぎているがそんな暇は無いと終結するまで休む事にした。セイバーは道場に士郎を呼び出した。二人だけで話がある、セイバーの言葉に重要な事だと、長丁場になると察した彼はお茶の用意を持参してやってきた。

 

二人は道場の中心に正座で向かい合っていた。士郎はいつもの恰好だが、彼女は甲冑を解いて青い装束姿だった。鎧も装束も魔力で編んだもの、士郎が彼女に供給してる魔力は凛から提供された宝石だ。魔力消費を抑えるならば装束も控えた方が良いのだが、生憎と女物の服に心当たりは無い。舞弥に相談してみるか、彼はそんな事を考えた。

 

二人はずっと茶を啜る。切り出したのは士郎だった。

 

「セイバー、話ってのは?」

 

彼女は暫く沈黙したあとこう切り出した。言いにくい話ではあったが誰かが言わなくてはならない話だ。聖杯戦争が終われば消える身、セイバーはその役を受けた。

 

「陣営、仲間の話です」

「仲間?」

「私たちはライダー陣営とアーチャー陣営と一定の協定を結びました」

 

彼は頷いた。

 

「端的に言います。彼女らに過度の信頼は置かないで下さい」

 

士郎は戸惑った。セイバーがそう言う事を言うとは思わなかったからだ。絵物語で見る騎士は誠実・信義・忠誠、そして正義、それらを信条にしている筈だ。だから信頼するなとは意外であった。なにより彼女もまた士郎の仲間だ。それを信用するなと言うのは矛盾している。

 

「説明はしてくれるんだろ?」

「友人を作るのも良い、見知った顔を仲間と呼ぶのも良いでしょう。ですが仲間というのは言葉以上に複雑です。シロウが彼女らを気に入るのは構いませんが、無二の信頼に足りうるかは別問題です」

「セイバーは二人を信用していないって事か?」

「“完全には”信用していない、です」

 

「シロウ、人間関係は4つの要素に分けられます。“信用できる”、“信用できない”、“敵”、“味方”この4つはそれぞれと組み合います。信用できる味方と信用できない敵は問題ありません。ですが信用できない味方と信用できる敵というのは扱いが難しい」

「んー、仲間と一言で言っても一枚岩にならないって事か?」

 

彼女は頷いた。

 

「国同士であれ人同士であれ、手を組む時は必ず思惑、背景に注意しなくてはなりません。ライダーのマスターである蒼月桜ですが、彼女とは思惑が一致している。ですがあの男の血族です。いざという時に妹の立場を選択する可能性がある。シロウとあの男は反発していますし、注意するべきです」

「裏切るって事か? 桜はそんな事しない」

「血族、身内という概念はシロウが考える以上に強い。姉であるイリヤを助けた士郎に敢えて言うべき事ではないでしょう」

 

士郎は黙って聞いていた。

 

「次に遠坂凛ですが、共闘はバーサーカー戦までだと明言しています。つまりそれ以降は敵対関係になる。内情を知られるのは好ましくない。必要以上の交友は控えて下さい」

「俺は遠坂と戦うつもりはない」

「向こうはそう思っていないと言う事です。聖杯を得られるのは最後の一組のみ、遠坂凛が勝利を狙っている以上私たちは戦う定めだ」

「俺はそう言う事をする為に聖杯戦争に参加したんじゃない。どんな手を使っても勝とうとする奴を止める事―」

「一つ伺いますがシロウ。私がアーチャーに襲われても、倒されてもそれを語るのですか?」

 

彼は質問に答えられなかった。かつての彼ならそれを理解する事無く突っぱねただろう。

 

「今すぐ結論を出せとは言いません。ですがバーサーカー戦が始まる前までには答えを出してください。それに遠坂凛はあの男と通じている可能性がある」

 

二人の距離が近い事は彼も知っていた。遠坂を信じるな、桜を信じるな、誰も彼もが信じられなくなる。これでは反目すると確信できる真也に好感を持ちかねない。“信頼できるのは敵”どれほど虚しいか。彼は声のトーンを落とした。

 

「……セイバーは俺を裏切るのか?」

「その発言は私への侮辱と受け取りますが?」

 

鋭い視線に彼は慌てた。

 

「ごめん、その」

 

彼女はふっと張り詰めた表情を緩めた。

 

「私は貴方の剣だと誓いました。誓いとは破る事が出来ないから誓い。それを覚えておいて下さい。もしシロウが私を裏切ったならば、その時はシロウを斬り、私も自害します」

「なんで? 聖杯が欲しいんだろ?」

「私の見る目がなかった、と言う事ですから。荷担だけしておいて責は負いたくないなどと言うつもりはありません」

「ありがとうセイバー」

 

彼女は湯飲みに浮かぶ茶柱をじっと見た。思いに耽る。

 

(とっさの判断でイリヤを守った以上その心配はない。問題は正義の味方たらんとする殻をどうするか、と言う事か。これは舞弥と相談した方が良いな。出来るなら正したい。叶うなら、その姿を見届けたいが……)

「なら遠坂や桜にも誓って貰おうか。そうすれば問題は無いだろ」

 

屈託無く笑うマスターの顔を見てため息をついた。

 

「シロウ、誓いという概念を持たない人間には意味が無い。現代の人間は神前で婚姻の契約を交わしても容易に破棄するそうですね。まったく、嘆かわしい。誓いをなんだと心得ているのか」

「セイバーの時代には浮気とかなかったのか? 色恋沙汰と騎士って良く聞く話だけど」

「その質問は二度としないでください」

 

突然機嫌の悪くなったセイバーをみて思わず腰が退ける。

 

「この際言っておきますが女というのは独自の価値観を持っています。理屈、法、道徳、仲間意識はそれなりに尊重しますが、最終的に己の決まりで動きます。ここに理屈はありません。そういう生き物だと理解して下さい。“男にとって愛は生活の一部だが、女にとって愛はその全部である”とある詩人の言葉です。本質を良く表した言葉だと私は思います」

「ごめん、良く分からない」

「男性の価値観で、女との約束信頼を計ってはいけません」

 

セイバーは遠い目である。彼女は王妃の事を考えていた。

 

「女傑もいますが希です。少数を論じても意味は無い」

「舞弥さんは? ずっと俺の面倒を見てくれたんだぞ」

「舞弥は歪だ。その範疇から外れている」

 

養母を悪く言われてムッとする士郎だった。

 

「考えてみて下さい。血の繋がらないシロウを10年かけて育て上げた。あれ程の器量だ、言い寄られた事もあるでしょう。個人の幸せを追っても誰も責められない。だが舞弥はそうしなかった。彼女は純粋です。己の全てを費やしてシロウを肯定している。大切にしなさい」

 

10年前の切嗣への献身を思い出せば理解は容易だった。

 

「言われるまでも無い」

「私からの話は以上です。そろそろ遠坂凛が来る頃だ、準備をしましょう。シロウ、酷な事を言いますが遠坂凛は男性の気を惹き方を心得ている、特に用心して下さい」

 

バレていたのかと彼は頭を掻いた。士郎が湯飲みを盆に置いてこんな事を言った。

 

「セイバーも女の子だろ? 信頼するのはやっぱり難しいのか?」

「私は騎士と申し上げた筈ですが」

 

うふふ、鋭いセイバーの表情を見て彼は愚問だったのだと悟った。

 

 

 

 

つづく!




Q:真也が非情ってどういう意味?
A:
大半のサーヴァントと魔術師には容赦と呵責が無いかも知れません。でも何割かは実行しつつも気が進まないとか思うんじゃないでしょうか。人間くささという意味です。ケイネス先生もソラウの為に必死でしたし。例えば。必要があったとしてもセイバーは子供を切るのに躊躇いがありそうです、凛もするでしょう。第5次アーチャーや5次アサシンも、切った後我が身の不幸を儚んだりしそうです。でも、桜前提の真也は、必要とあれば平然と切り捨てます。切る前の躊躇い、その後の呵責がありません。士郎が言っているのはこれ。なのですが……その真也にある変化が(ry



Q:士郎謝らないのイクナイ!
A:13話。冒頭のセイバーとの会話を修正しました。真也の帰り際、桜を連れて帰れ云々の流れで発言するよう修正しました。後書きの士郎考察も少し手直し。



【戯れ言】
鈴谷と桜は似ている気がする。髪型とかエロ担当のところとか。でも鈴谷がエロ担当って2次界隈だけだっけ。そんな私は鳳翔さんが好き。


【メタっぽい独り言】
バーサーカー襲撃はセイバー、アーチャー、ライダー各陣営を纏める接着剤です。原作でもそうですがあのタイミングでイリヤが襲ってこないと、凛との共闘フラグが立たないんですよね。そうすると凛は桜の敵、つまり真也の敵になって……うわ、まともな未来が見えない。

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