教会と言う言葉は二つの意味を持つ。一つは教えそのもの、もう一つは建築物である。混乱を避けるのであれば教会堂と言うのが適切であろう。ただ宗教において教会堂を含めたシンボルは教えそのものであるから、問題が無いと言えば問題は無い。
真也の目の前にはその教会堂があった。欧州で見られる石造りの教会と異なり、日本ではありふれた鉄筋とコンクリートで作られた建物だ。その理由としてコストもあげられるが主な理由は耐震性である。地震が多い日本において石造りの建築物は不向きなのだ。遠坂家も石造りの家であるが、なにぶん魔術師の本拠地だ、何らかの対策を施しているのだろう、彼はそんなことを考えた。
バロック様式を模した現代建築の教会堂。その扉。意を決して開ければその中に広がる、礼拝堂は相応の作りで、幻想さと神聖さを醸し出していた。見上げれば屋根まで続く高い天井はアーチが支えていたし、ずらりと並ぶ長椅子は木製だった。
立派な教会堂である。その中で彼の気に触ったものが二つあった。一つは神聖なまでに白い内壁。まるで“お前が汚れている”と言わんばかりだ。もう一つが祭壇に掲げられている十字のシンボル。人類史上最も普及した概念武装だが、彼はこれがなにより嫌いだった。
“彼は”人々の罪を背負い死んだというが、生きること自体が罪なのだ。町にしろ、国にしろ、大陸にしろ、地球にしろ。生きるというパイは有限である。それを取り合う以上争いは避けて通れない。これは資源争奪、受験戦争、就職活動と言う意味で同じだ。これは俺のパイだからお前は諦めて死ねと言われれば死にものぐるいになる、つまり教えと現実が根本で乖離している。そもそも。どうとでも如何様にでも作り出せる罪という曖昧なモノを持ち出して、“私が身代わりに引き受けよう”など勘違いも甚だしい。
(罪を肯定した上で生きた方が現実的でまともだ)
100歩譲ってその教えを認めるとする。神が人を作った以上責める相手が違う。神が全知全能であるなら間違いようが無い筈だ。原創の人間が原罪の果実を食べる事すらあり得ない。それはつまり矛盾である。
もっとも。宗教の真実性はともかく、心理学的に罪を見た場合、罪悪感というのはそれ程生やさしい心理反応では無い。罪に苛まれる、つまり呵責に耐えられる人間は少ないのである。“許しが欲しい”それは宗教の始まりに他ならないが、彼はそれがまだ分かっていなかった。
真也の目の前には男が立っていた。その男は丈の短いスータンの上に濃紺のコートを羽織っていた。胸にはシンボルである十字のネックレスがぶら下がっていた。見るからに神父であるが、祭壇を背に見下ろす様は、聖職者には不似合いな不遜さだった。
その男は真也の姿を認めると笑みを浮かべた。彼にはとても友好的に見えなかった。その隙の無い立ち振る舞い、服越しに出すら感じられる肉体の威圧は、極限にまで鍛え上げられた武器の様だった。これでは神父と言うより断罪者の様である。
「貴方が言峰神父ですか?」
ただならない雰囲気に、真也は警戒を隠さずそう聞いた。返ってきた言葉は深く、重く、身体の芯に響いた。だがそれは心地よい言葉ではなく不安にさせる声だった。上司に仰げば一週間持つまい。
「いかにもそうだが、どちら様かな? 礼拝者には見えないが。告解なら入信して貰わなくては困る」
「蒼月真也、そうお伝えすればご理解頂けると思います」
その名を聞いて綺礼は態度を変えた。表情も姿勢も何一つ変わっていないが、真也にはそれが分かった。言峰教会の神父ではなく、監督役の立場である。或いは代行者だ。
「ほう。凛の言っていたイレギュラーが“お前だった”とはな」
綺礼の思わせぶりな言い様に、真也は目を細めた。凛を下の名前で呼んだ事から親しい間柄であろうとは察しを付けたが、それ以上に警戒していた。
「冬木で私は有名ですしね。言峰神父が私の事をご存じでもおかしくは無い。初対面で恐縮ですが用件をお聞かせ願いたい。私も色々と立て込んでいますし、なにより教会が嫌いです」
「それは結構だ。では結論から言うが、蒼月真也、いずれかの陣営に属せ」
「ご存じの筈ですけれど私はアーチャーのマスターの元に身を置いています」
「それは属していると理解して良いのか? ライダーのマスター、蒼月桜の兄であるお前が“妹と敵対する”とは俄には信じられないが」
「それが用件ですか?」
初顔合わせであったが綺礼は真也の事を知っていた。彼がシスコンだと言う事も知っていた。にも関わらず凛の元に身を置いているのは、単に居るだけであり属していないと考えているからだった。綺礼は凛を経由して真也を呼び出したが、もちろんその推測を凛には伝えていない。彼は今の状況を好ましいと考えていたからである。それは監督役の立場ではなく彼の嗜好だった。
「過去の聖杯戦争でもマスター以外の人間が補助という形で参加した事がある。それは構わない。だがフリーランスというのは困る。関わるというならどこかに属せ、これは儀式なのだ」
真也の返答は拒否だ。なので言葉を慎重に選んだ。ライダー陣営に属せば凛の元を離れなくてはならないが、そうなれば士郎への牽制がお釈迦になる。最悪、3陣営の共闘関係が崩れる恐れがあった。
「私は好きこのんで今の立場に居る訳ではありません。私には令呪が無い以上、聖杯戦争には無関係だ。成り行きでバーサーカーに狙われていて、どうにもならず今の状態に居ます。貴方が監督役ならばどうにかして頂きたい、それで話は済みます」
「ほう。お前が妹を見捨てるのか」
「成り行き、と言っています」
綺礼は見抜くような笑みで見下ろした。
「理由は分かった。だが、目撃者はご退場頂く決まりだ。端くれであろうとお前も魔術師。秘匿するのであればその限りではないが、フリーランスは他マスターから見れば厄介な事極まりないだろう。部外者というのなら諦める事だな」
「部外者である以上、儀式の決まりに従う理由はない。ならば申し出は受けられない。私は好き勝手にさせて頂く」
真也にとって狙い通りの結末である。話は終わったと真也が背を向ければ、綺礼はこう続けた。
「確認するが戦うつもりがあるのか?」
「降りかかる火の粉は払う性質だ」
「戦いに躊躇いは無いようだが、お前は争いを是とするのか?」
「神父さん。貴方が誰と比べているのかは知らないが、争い、戦争は現実だ。歴史がそれを証明している。それに目を逸らせば喰われるのは自分が守るべきものだ。ならば躊躇いなど出来ようはずが無い」
「お前の言う守るべきモノとは酷く狭いようだが、一体誰を指している」
「神父がそれを問うのか? 身近な存在だよ。ありふれたものだ」
「他者の不幸は関知しないか、中々罰当たりな事を言う男だ」
綺礼の笑い方は控えめであったが真也を煽るには十分だった。綺礼は心底愉快そうだったからである。これが愛想笑いであったなら真也は気にする事すら無かっただろう。
「人聞き悪い事を言う。守るべきものの安全が確保されているのであれば、見捨てたりはしない。社会とはそういうモノだろ。警官だって自分の家族が危険にさらされては職務になど就けるはずがない」
「では問おう。世界の存続と守るべき存在が、天秤に掛けられるモノだとしたらお前はどうする。守りたいと欲したものが、世界から悪と罵られる存在であったらどうする」
「そんなふざけた質問に答える義務はない」
躊躇いもせず、憤慨もせず、静かにそう宣言した。真也は“そんなわかりきった事を聞くな”と言っていた。綺礼はそれに満足した様である。
「よかろう、好きにするといい」
「……今なんて?」
「聞こえなかったか? お前を認めると言ったのだ。聖杯戦争とは謂わば聖杯を手にする資格を得るための試練だ。イレギュラーな存在に屈する様では所詮その程度という事だろう。もし全マスターがお前に敗れるというなら聖杯を掴む資格などない。お前がマスターではないのが残念だが、それは些細な問題だろう」
「……」
晴れて認可されたのである。それはそれで好ましいが言いしれぬ不安に囚われる真也だった。
「話は以上だ。凛の元に戻るが良い」
「……」
「どうした? 何か質問でもあるか?」
「話は変わるけれど言峰神父。この教会って挙式出来る?」
個人的な感想はともかく、綺礼は厳かな雰囲気を持っているのは事実である。催事には悪くない、真也はそんな事を考えた。あくまで妹に拘る言動である。綺礼は心底可笑しそうに、挙式のパンフレットを手渡した。
◆◆◆
真也を見送って、綺礼に話しかけたのはギルガメッシュであった。白いラインの入ったジャージを着崩した出で立ちで、まるでダウンタウンでたむろする若者であったが、暴力的なまでの気品を漂わせていた。
「あの男を気に入ったか、綺礼」
ギルガメッシュは長いすに腰掛けると、見下ろす様に綺礼を見上げた。ふんぞり返るその様は正しく不遜の王である。
「冬木の羅刹と呼ばれた男だ。ギルガメッシュ、お前とてこの町に身を置いて10年だろう? 聞いた事はないのか」
「雑種の名前など覚えん。何ともけったいな名前だが何をした」
「争い事に絶えない男だ」
綺礼は喧嘩に明け暮れた時代の真也の話をギルガメッシュに聞かせた。
「なかなかの武勇伝だが、そう言う荒くれ者は何時の時代にも居る。家族的犯罪組織の始まりにはなろうが、綺礼が気に入るとは思えんな」
「一つ聞かせよう。未成年者が関わるゆえ殆ど知らされていない話だ。あの男が闘争に明け暮れた原因の一つとして、不良グループの愚鈍なまでの執着さがあった。この手の輩は負けを認めない。いや、原因を見定める知的さも、争う目的すら持ち合わせていない。ただ負ける事だけが屈辱的なのだ。武器を揃え数を揃えれば、今度こそは勝てると錯覚する。ギルガメッシュ、お前なら殺してしまうが今の時代それを行えばただでは済まん。
その折だ。ある不良グループが闇討ちされ、山奥の廃棄された工事現場に連れ去れた。深い縦穴に閉じ込められた連中が見た物は、頭上から垂れ下がる2本のロープだった」
「そこは笑うところなのか?」
「もちろん連中は這い上がろうとそのロープを掴んだが、それにはある細工がしてあった。滑車を上手く使い、誰かが重りとなり支えねば登れない仕組みだった。それに必要な重さは一人を除く全員分。つまり這い上がれるのは一人のみだ」
「何処の誰かは知らないが不可解な事をする。一人抜け出し助けを求めれば済む話であろう。暇を持て余すにしても理解が出来んな」
「その穴には灯油の匂いが充満し、ロープをゆらす度に火花が散った。ファイアースターター、つまり火打ち石が取り付けられていた」
ギルガメッシュは目を細めた。
「ここで問題なのは実際に炎に巻かれるかどうかは問題では無い。炎に巻かれようと重りとなった人間は支え続けねばならない、つまり抜け出せるのは一人のみ、そう思わせるのが重要だ。事実その連中もそう考えた。心理的な動揺を誘う為の細工だと考える事も出来ようが、それが事実だった場合失うのは己の命だ。踏み出す事は出来なかっただろう。
一晩経ち、二晩経ち、助けが来ない事を悟った連中は仲間同士で争い始めた。打ち倒し重りにする為にそれこそ死にもの狂いで争った。殴打し、殴打され、腕の立つ者を倒す為、複数人で襲い、裏切り。一人また一人、仲間だと思っていた人間を打ち倒していった。
涙を流し許しを請う懺悔の声、一人だけ助かるのかという怨嗟の声、動かなくなるまで殴打し続けなくてはならない罪悪感、殺してしまうかも知れない、殺さなくては死ぬという恐怖に駆られた。殴りたくない、一人だけ助かりたくない、だが死にたくない、彼らは争い続けた。辛うじて見える薄暗闇と灯油だと錯覚させた雨水の気配も、精神を追い込むには十分だ」
「なかなか興味深い話だが、それでどうなった」
「最後に残った一人が死にもの狂いで這い上がり、保護され全員が助かった。その罠はフェイクだった」
「くだらん結末だな。綺礼、お前は我の時間を無駄にしたぞ」
「連中は精神に異常をきたしていた」
「ほう」
ギルガメッシュは笑みを浮かべた。
「連中は10代半ばの未成年だった。極限状態に置かれた連中は、助け出されたとき半狂乱の精神状態だった。彼らは仲間を信じる事が出来なくなり、集団行動が出来なくなった。暴力行為と暗闇、そして他人に強い拒絶反応を示す様になり、今でも精神病棟に入院している。見事無力化され冬木市に平和が訪れた、という訳だ」
「それを演出したのがあの男か」
「その連中はあの男と繰り返し争っていたグループだった。参考人として事情聴取を受けたが、咎められる事は無かった。ロープ、滑車、少量の灯油に、火打ち石、どれもこれもが簡単に手に入る物だ。証拠など無かった。嘘発見器も使用されたが無意味だった。動揺どころか同情すら見せないあの男に警察は追求した。あの男はこう答えたそうだ」
“よく思わないのは当然でしょう? だって遺恨があったんだから。誰かは知らないけれど酷い事をする、とは思いますけれど”
「あの男には良識というモノがない。しかも呵責の無い事が素晴らしい。ただ妹が社会的に困るから常識人と振る舞っているだけだ。本人の自覚無くな」
「どこかの誰かにそっくりだが……だが我は気に入らん。我の与り知らぬところで勝手に采配するなど看過できん。それにあの眼だ、あの傍若無人な眼が気に入らん。魔眼の類いだろうが、綺礼、我は我の望むままにするぞ」
「好きにしろ。勝手にすると言ったのは他ならないあの男だからな。故に私も好きに動かさせて貰おう」
「楽しそうだな、綺礼」
「あぁ、実に楽しい」
綺礼は、人並みの良識を持ち、道徳を信じ、善である事が正しいと理解していながら、正反対のモノにのみ興味を持つ人間だった。二人の関係は、その正反対と妹を置き換えるのみである。
◆◆◆
(もう一押し欲しいわね)
舞弥はそんな事を考えた。そこは衛宮邸の彼女の自室である。彼女が向かうパソコンには先のランサー戦が記録映像として再生されていた。ランサー、セイバー、ライダーの3名は息つく暇も無く戦場を駆けていた。影すら追いつかない打ち込みの速さである。画面に時折映る人影が、剣戟を振るい火花を散らすその様はとても戦闘には見えない。少なくとも舞弥には見えなかった。幽霊が舞い散る火花を愉しんで踊っている、昔話でも童謡でも何でも良いが、その方がしっくりくる。サーヴァントを知らない人間が見ればSFXか悪い冗談だと思うだろう。
その冗談の直ぐ近くに士郎が立っていた。サーヴァントたちが林の中に消えた後、追いかけようとした士郎は踏みとどまった。舞弥が見るのはその彼の振る舞いである。桜に止められているとは言え自制したのは彼女にとって驚きであり、喜びだった。
苦渋の決断で参加した聖杯戦争だったが、士郎にとっての状況は悪くない。危ういバランスで成り立つ共闘、未だ見えないバーサーカーへの対策、真也の異常性、危険を数え上げればきりが無いが、それらの危険に目を瞑ってでもメリットは十分にある、彼女はそう考えた。
だが、そのもう一押しが難しい。人が短期間で大きく影響を受けるのは親しき者の生誕であり死去であり恋愛である。男の場合女を知る、というのも加わる。
舞弥は初め桜をと考えていたがその気も失せた。桜にはブラコンの傾向がある、何時手のひらを返すか分からない。なにより魔術師とは距離を置きたい。士郎が人で有る事を望む舞弥にとって、魔術師の有り様、その影響を受ける事は避けたかった。
人らしく有るというのはバランスの取れた精神状態を指す。喜怒哀楽、いずれかが欠落しても強くてもそれはおかしいのだ。魔術師はその対極に位置する。根源の渦という真理を求める事と人間性とは相反する為である。必要があれば、家族を切り捨てるし子をなす事もする。心が無い行動も可能、自分を殺すのが魔術師の根幹だ。何かを強く願うとは言い換えれば他を顧みないと言う事に他ならない。転じて他を顧みていては真理には手が届かない。
理由は簡単だ。求める真理と自分との位置が測れない為である。距離が分からない以上どれ程の速度で走れば、どの程度の時間で到着するかが分からない。ならば狂的なまでに求めるほか無かろう。
それはかっての切嗣も同じであった。士郎に切嗣と同じ道を踏んでは欲しくなかった、それは切嗣自身の願いでもあった。切嗣の最後の一言が士郎を呪いの如く縛り付けるとは切嗣自身考えてはいなかっただろう。
舞弥がぼぅと動画を見ているとセイバーがやってきた。いつもの青い装束で威風堂々の立ち振る舞い。舞弥はセイバーが着飾ったらどうなるか、そんな事を考えた。
「舞弥。二人だけの話とは何用ですか」
舞弥はセイバーを呼びだしたのだった。彼女は座るよう誘うと、茶を注ぎとセイバーに手渡した。舞弥の前に正座するセイバーは紛う事無い美しさを持っていた。張り詰めた雰囲気がその美しさに剣の様な堅さと鋭さを持たせていたが、ほぐれれば誰もが心を奪われるだろう。舞弥は一つ茶を啜る。こう切り出した。舞弥はセイバーに白羽の矢を立てたのだった。
「正義の味方たらんとする士郎の殻を壊したい。セイバー、それを貴女に手伝って欲しいの」
丁度良いとセイバーも頷いた。彼女も常々思っていた事だった。
「それに関して異論はありません。ですが私に出来る事など無い様に思うが」
「行動自体は難しくないわ。士郎に女の子と意識させるように接してくれれば良いから」
セイバーは良く分からないという顔をした。
「それがシロウを救う術だと?」
「女を知って男が変わる、この原理はセイバーの時代でも同じよね?」
「それはそうですが私は聖杯戦争が終われば消える身だ。なにより女を捨てている」
「期間限定で演じてくれれば良いわ。具体的な行動は私が指南します」
突飛な要求にセイバーは困惑気味だ。彼女は王であり騎士である。演じるというのは門外漢だ。舞弥は任せておけと自信満々である。
「完全になりきれと言っている訳では無いの。士郎はセイバーを十分意識しているから、貴女の行動に少しエッセンスを加えるだけで良い」
「舞弥がすれば良いでしょう」
「私はもう無理ね、新鮮味が無いもの。年も年だし」
「?」
愛想笑いの舞弥の表情には、困惑と羞恥と口惜しさが混じっていた。セイバーは暫く考えたのち舞弥の申し出を受け入れた。早い段階で矯正出来れば、矯正しきれなくとも効果を得られれば、戦闘に対する懸念も払拭出来る、なにより見届ける事は彼女にとっても幸いだ。
「それで具体的にどうしろと?」
「細かい事は追々指示するけれど……とにかく面倒を見てあげて。過剰なぐらいが丁度良いわ。身体的な意味で近づいてくれれば良い。絶えず士郎の隣に座る、なるべくコミニュケーションを多くする。魔力温存と警護のため同じ部屋で寝るのでしょう?」
「ええ、そのつもりです」
「聞いては駄目よ。そのまま忍び込んで。聞けば拒否するに決まってるから。あの子ももう少し積極的になってくれれば良いのだけれど」
困ったものだと、舞弥は頬に手を添えた。
「舞弥。攻略には情報が必須です。シロウの過去を知りたい」
舞弥はクローゼットを開けるとアルバムを取り出した。それには10年間の士郎が納められていた。
セイバーが最初に見たのは切嗣と動物園に行った時の写真である。退院したばかりの士郎には適切な刺激だと連れて行ったのだった。背後に映る家族連れのご婦人が旦那そっちのけで切嗣に見とれているのはご愛敬である。セイバーは黙って捲った。
次は傷だらけの幼い士郎が写っていた。彼は絆創膏だらけ包帯だらけであった。猫の喧嘩を仲裁しようとした傷、子供同士の喧嘩を止めようとした傷、街路樹に絡まった風船を取ろうとして落下した時の傷。切り傷、擦過傷、打撲が絶えなかった。セイバーは呟いた。
「ふむ。生傷が絶えない」
「車に跳ねられ掛けた子供を助けようと、飛び出して身代わりになった事もあったの」
「……大したことなかったのですね?」
「一ヶ月入院したわ」
深々と舞弥は溜息をついた。当時を思い出せば頭がズキズキと痛む。セイバーは神妙な顔でページを捲る。“うぅむ”その端正な顔は想像以上に手強いと語っていた。視線を走らせれば、そこには五平餅を食べる幼い士郎が写っていた。口の周りがソースでベトベトに汚れている。セイバーはふっと笑みを漏らした。
「アルバム写真とは便利なものですね。人の一生を追える、共有しているようだ」
「動画もあるけれど見る?」
「はい」
舞弥はビデオテープを取り出すと再生した。テレビ画面に映る士郎は踊っていた。彼の背景に校舎と運動場、そして体操服姿の子供たちが見える。それは運動会の映像であった。セイバーの気を引いたのは士郎の姿、彼女の好きなライオンを模した被り物である。語る舞弥の声は弾んでいた。
「着ぐるみ競争があって、その時のものよ。本人は恥ずかしがって嫌がっていたけれど、いざ着るとノリノリで」
画面の中の幼い士郎が駆け寄った。
『舞弥舞弥! ガオー!』
その姿にセイバーは凝固した。呆けた様に画面を見詰めていた。ツボに入った様である。
「……」
「セイバー?」
「……舞弥、このシーンを印刷出来ませんか?」
「ええ、もちろん。まだ見る?」
舞弥は笑みを禁じ得なかった。“ハイキング”,“遊園地”,“餅つき大会”,セイバーがビデオテープを漁っていると“イリヤへ”とラベリングされたテープを見つけた。彼女が戸惑っていると舞弥は切嗣からのメッセージと告げた。彼女は黙ってそれを仕舞った。
一通り見終わったセイバーは舞弥に言う。
「ところで舞弥。話を聞く限り昔の士郎は今より酷かったようだが、どうやってあそこまで矯正したのです」
舞弥はピタリと動きを止めた。話すべきか迷ったあと彼女はセイバーに暴露した。
「……実は、」
「……は?」
衛宮邸の廊下を歩くのはセイバーである。予想以上に時間を使い既に真夜中だ。桜も士郎も就寝し物音一つしない。彼女は暗闇など恐れなかったが、その表情には困惑が浮かんでいた。舞弥が士郎に何をしたか、それを聞き及んだ為だ。
(舞弥も無茶をする………)
半ば呆れつつもそれ程強烈な印象であれば確実だろうともセイバーは考えた。彼女は士郎の部屋の前に立ち、心中で一言詫びて襖を開けた。布団にくるまり寝息を立てるのは彼女のマスターである。とても戦争中だとは思えない程の穏やかな寝顔で、まるで誰かの役に立つ夢でも見ているかの様だ。暢気と称するか剛胆だと称するか、彼女は判断に迷った。
(まったく、とんでもないマスターに当たったものだ)
溜息一つ。セイバーは魔力で編んだ青い装束を解除した。編んだ髪を解くとこんじきの髪がさらりと音を立てて流れた。美しく滑らかな肢体を冬の空気に晒す。一拍。彼女は四つん這いになると掛け布団を捲り、士郎の隣りに潜り込んだ。
士郎と同じ枕を共にするセイバーが見るのは彼の横顔である。彼女に動揺はまだ無い、単純に舞弥の指示に準じているのみである。だがその心中は複雑怪奇。舞弥の実例を踏まえればセイバーも習うべきだが、行為に至るとなれば躊躇いがある。なる様にしかならない、彼女は意識を暗闇へと手放した。
つづく!
このSSを書いていて気づいたのですが、ドロドロを書いているとSAN値がザクザク削られます。頭がおかしくなります。困ったことにそれに気がつきません。ここがおかしい、とお気づきの方は突っ込み入れて頂けると助かります。(意:前話、尻のアーチャーの台詞を修正)
【ちょっと真面目な独り言】
このSSの前向きな意味での売りって何だろう。
士郎、凛、桜、全員が参加してる事だろうか。
隠れヤン属性でも桜が明るい所だろうか。
それとも葵と舞弥が居るところだろうか。
少しHな所だろうか。
綺礼に称賛されるオリ主だろうか。
各ヒロインを可愛く描写ってのには注力していますけれども。
凛にしろ綾子にし……イテテ、胃が痛ぇ。
桜の本気はもう少し後ですよ。