真也の穂群原(ほむらばら)での生活を垣間みれば、人は眉をしかめるだろう。或いはやんちゃだと呆れを交えて褒めるかも知れない。彼は日頃大人しかったが、時々騒ぎを起こした。彼はそれが自分の考え方、精神的なバランスを取るのに必要な事だと、そう考えていた。
彼は帰宅部だったが、友人とバカをしては勉学に励むという両極端な学生生活を送っていた。交友関係は広く所属するB組以外にも友人は居た。
例えばクラスメイトA君。校舎の廊下を歩く真也を見つけると、後ろから歩み寄り肩をぽんと叩いた。
「真也ー。この間貸したAVどうよ? 上原あい良いだろ」
上原あいとは言うまでも無くAV女優である。世の中の男たちを慰めてくれる献身的な女性の一人だ。決して軽んじてはいけないのである。
「すまん、桜に見つかって没収された」
「おーまーえーはー」
真也は首を絞められつつこう呟いた。
「パッケージは洋楽DVDだったのになんでバレたんだろーなー」
「なにのほほんと語ってやがる! 取り返してこいよっ!」
「いやそれが、目の前でバキボキに割られて、修復不可能です」
「だから真也に貸すの嫌だったんだっ! 俺のあいを返せっ!」
ある時は男どもを引き連れて隣町。駅前のロータリーに腰掛け過ぎゆく少女たちを堪能する。元気系、清純系、お色気系、幼い系、見慣れないセーラー服姿に別クラスのB君は興奮気味だ。
「おい見ろよ蒼月。あの娘たち良くね?」と見れば並んで歩く5人の少女たち。真也は眼鏡をくぃと直してこう言った。
「おれ右から2番目」と指定したのは茶髪ロングのどちらかと言えば化粧の濃い娘だ。スカートも短めである。
「お前、いかにも遊んでそうな娘が良いのか。桜ちゃんが大人しいからその反動か?」
「五月蠅いな。男慣れしてる娘の方が、話が弾むんだよ。さっさと行くぞ」と声を掛ければ。びしりと指をさされた。
「あー、この人知ってる。穂群原(ほむらばら)のシスコンだ」
「えー、やだ。キモーい」
とあえなく失敗。ひゅるりと寒い風が吹き、真也は「同年代は駄目だ。年上にしよう」と呟いた。B君は半眼だ。心底うんざりしている。
「……もう真也と来ないからな」
またある時は夕暮れの校舎の影。そのうら寂しい隅に真也たちは集まっていた。俺にも見せろと男子たちが押し合う姿は、落ちた菓子に集る蟻んこの様。C君はA君が入手したそれを見て驚きを隠さない。
「浅上女学園の卒アルってマジかよ」
「くっはー、美少女揃いじゃないか」
「卒アルってことは年上か。でもいいっ!」
「おい真也。この娘すっげー良くね?」
とB君が写真を指させば、その少女の名は“遠野秋葉”とあった。真也は目を見開き声を震わせた。
「なぜだ」
「……なにが?」
「この娘から妹属性の気配がするっ! ぷんぷんするっ!」
「「「……」」」
真也のあまりにもイタい発言に、一気に冷めた友人たち。どん引きである。
「誰だ真也(シスコン)を連れてきたの」
「……わりぃ」
時にはこんな事もあった。場所は運動グラウンド脇の藪の中。人目を憚るように集いしは少年たち。しくしくと泣くのは真也のクラスメイトであるD君である。彼はプレゼントと共に告白して玉砕したのだった。A君は呆れと同情を交えてこう言った。
「なんでパンツなんか贈ったんだよ。しかもシマシマとか。バカじゃねーの」
「だって、仲の良い男女はそういう事をするって、雑誌に書いてあったし」
「どんな雑誌だ」
「今日から君もモテ男。マル秘テクニック集」
「そんな胡散臭い雑誌を真に受けるな」
頬をぽりぽり掻きながら真也はD君に言う。
「蒔寺さんはアレで随分と古風だ。ほとぼりが冷めたら普通にアクセサリーとか贈るんだな」
次があるのか? というA君の視線に真也は肩をすくめた。続けてこう言った。
「授業サボってD君のご愁傷さまカラオケ、行く人ー」
「「あいよー」」
身なり髪型は普通、それどころか好印象を持たれるように気を遣っていた。万引き、喝上げなど犯罪行為はしなかった。喧嘩も売られなければしなかった。ただ真也は意外と素行が悪かった。
極めつけはバーへの出入りである。彼は騒ぐのが好きで、友人と共にスポーツ観戦するともなれば大いに盛り上がった。目をつけたのは新都にある酒場だ。サッカーワールドカップが中継されており、設置された大型TVにではストライカーたちがゴールを競っている。
観戦に興じるのはいつもの友人たち。大人っぽい格好をして、店内に足を踏み入ればそこは異空間。異様な熱気に包まれていた。サッカーボールの巧みな動き、選手の鮮やかな技。他の客に混じって、拍手喝采を贈る。場の勢いに乗ってビールにも手を出した。ボールがポストを掠める。
「あぁ、惜しいっ!」と真也が握り手に力を入れれば、肩を突く感触。振り返れば見知った女性の姿。「うげ」と声を出したのは無理もない。藤村大河が猛虎を背負って立っていた。
「貴方たち覚悟できてるわね?」
青ざめる一同(バカもの達)
「各位緊急離脱っ!」と真也が言うと「了解っ!」と友人たちが走り出した。「逃がさないわよ!」と掴まえようとする大河に真也は抱きついた。
彼は言う。
「ここは俺が引き受けた! いけっ!」
E君は言う。
「すまん、借りておくぞ」
「あとで一杯おごれよ!」
「あぁ、必ず!」
「ふざけてるの貴方たちはっ!」と大河が吠えた。真也は現行犯、A君らを初めとした友人一同は結局もろとも補導された。もちろん、大河の雷を喰らい反省文および校内清掃の罰則付きである。
だが彼らは定期的に羽目外しを繰り返した。そろそろするか、というノリである。彼らは処罰されるを良しとしていた、罰をくらえばその罪はおしまいという考えかただ。
頻度は低くとも、些細な事であろうとも、繰り返すならば厳罰に処すべきという意見もあったが、そうは成らなかった。生徒たちのガス抜きの役も引き受けていると冷静に判断されたのである。真也の友人であるAたちは日頃から他生徒達を巻き込む、大騒動を起こす生徒だった。だが真也と連むようになって希に羽目を外す生徒になっていた。それ以外はボランティアや勉学に励む生徒になったのである。
なにより。真也を排除した場合の弊害は、教師達もよく知る事実だった。過去に存在した現実なのである。判断に窮した教師たちは生徒指導役の大河に一任、彼女は問いただした。
“どうしてこんな事を繰り返すの”
“今を全力で生きています”
“いけない事だって分かってる?”
“若い内から小さくまとまってたら碌な大人になりません。力加減を知るために、今のうちにたくさんの壁にぶつかるんです”
“退学になれば人生が大きく変わるのよ”
“ご心配なく。これでも線引きはしていますし、自分の人生は自分で負いますから。それとも。先生の言うとおりにしたら、先生は俺の人生を引き受けてくれるんですか?”
その考えは彼女自身雷河から教わった事でもあった。レールから外れた行動を目的を持って意図的にしていると言われれば改心のさせようは無い。だが彼女にも教師という自負がある、先に生きる者という自覚もあった。だから彼女は“羽目を外すなら私の権限が及ぶ範囲で済ませなさい。それ以上は駄目だからね”とだけ言って全員に拳骨を落とし、それを手打ちとした。大河の気遣いを込めた沙汰が響いたのか、それ以来彼らは自重するようになった。
この様に大人たちの手を焼く、扱いにくい真也であるが、みっともなく恥も外聞もすてる事もあった。そこは2年B組、彼のクラスである。廊下を歩いていた綾子は突然女生徒に呼び止められた。訳が分からないまま手を引かれ、教室に入れば。机に向かって愚図る真也の姿。彼のクラスメイトはうんざりしたように距離を置いている。綾子は“またか”と大げさにため息をついた。Aさんは綾子をせき立てた。
「辛気くさいから早く何とかして」
「……なんで私に言うのよ」
「綾子って蒼月くん担当じゃない」
「何の冗談よそれ」
「互いの事わかり合ってる幼なじみでしょ?」
「違う。腐れ縁」
「ほら、どっちでも何でも良いから早くしてよ。授業が始まったら大変なんだから」
「あぁ、もう。本当に、」
と、綾子は彼の前の席に腰掛けた。背もたれに肘を突き、頬杖にする。突っ伏している彼の髪をつんつんと突き、渋々と言う。
「で、何があったのよ」
綾子と真也はそれなりに長い付き合いであるから、彼女は理由は察しが付いていた。否、確信していたが一応聞いた。
「めそめそめそ」
「今朝桜に“兄さんなんか大っ嫌い”って言われた?」
「めそめそめそ」
「もう、終わりだ。生きる希望がなくなった。死んでやる。って、大げさな」
「めそめそめそめそ」
「桜だって年頃なんだから、男の子と遊びに行くぐらい良いじゃない。グループデートなら心配ないって」
「めそめそ」
「桜も本気じゃないって。ほら、私からも言ってあげるから、さっさと謝ってきな」
「めそ?」
「もちろんタダじゃないよ。報酬は期待してるから」
彼はむっくりと顔を上げた。涙目だったが、口はへの字に曲がっている。
「……綾子。君はいつの頃からか強かだな。ご希望はなに?」
「真也が考えて♪」
焼き肉のごちそうと耳飾りをプレゼントする羽目になったのだが、それはまた別の話。
◆◆◆
桜が衛宮邸に通う少し前の事である。職員室隣の生徒指導室、その扉がガラッと音を立てて開いた。
「ありがとうございましたー」
と言って出てきたのは真也である。彼はもうじき高3、進路相談を受けていたのであった。彼には将来の夢というものは無かった。強いて言えば桜の幸せである。良い相手を見つけて幸せな家庭を持って、家族に囲まれて、年月を重ねていって貰えればそれだけで十分だった。桜が相手を見つけるまでの間だけ食いつなげれば良いと考えた。
桜を見届けたその後は、母と同じような生業に就くのだろうと考えていた。戦いの技も活かせるし、命のやりとりというのは不謹慎と思いつつも性に合っていた。もちろん“拝み屋”,“退魔士”などと書ける訳は無いので“フリーター”と書いたら大目玉を食らったのである。
幸か不幸か、彼の学業は優秀だった。難関公立大学も現役で目指せる程である。進路指導の教員から考えれば、冗談では無かろう。それは教員の実績に響き、しいては穂群原(ほむらばら)の宣伝になるのだから。その教員は進学を強く推薦してきたので、曖昧な返答だけして逃げてきたのだ。
(めんどい)
彼が廊下を歩けば昼休みも半分過ぎていた。校舎の至る所から喧噪が聞こえてくる。むっすり歩いていれば女生徒が声を掛けてきた。サイドテールのAさんである。
「しけた面してんね、どうしたん?」
「進路で悩んでんの」
「蒼月でも悩む事あるんやね」
どういう意味だ、と言い返そうとして彼女の髪が変わっている事に気づいた。
「髪染めた?」
「おぉ、やっと気づく奴がおった……」とAさんは嬉しそうにくるくると髪を弄る。
「随分と弱いな、もう少し強めにかければ良いのに」
「いやー、初めてでつい一番弱い奴にしちゃったんよ」
「にしても意外だ。なにか切っ掛けでも?」
「ほら、ウチ。引っ込み思案やろ? もうじき3年生やし、少しでも変えたいなーって」
「新都にある“かれん”って美容院が丁寧だぞ。次回行ってみると良い」
「ん、おおきに。参考にするわ」
と言って別れたら、真也は歩いてくるBさんのヘアピンに気がついた。ポニーテールの少女である。
「お、色が変わってる。赤なんて初めてじゃないか?」
「今月のラッキーカラーなんです」
「赤は良いね。俺も好きだ。決意と情熱の色」
「蒼月さんの場合は水色がいいでしょう。今度お貸しします、そうすれば落ち着くでしょうから」
「相変わらず毒舌だな。俺はいつだって冷静だっての」
「蒼月さんは自己評価がなってませんね」
2人は笑いながら別れた。今度はショートカットのCさんと出くわした。真也は昨日甘味の話をしたのを思い出してこう言った。
「トライカラーズどうだった?」
それは新都に最近出来た喫茶店である。
「んー、パンケーキはおいしいけれど、紅茶がいまいち」
「レンズキッズに行った事ある? 紅茶が秀逸だぞ」
「うん、今度いってみるよ」
和菓子洋菓子、紅茶にコーヒー、適当な話をして別れた。“なんか今日はギャルゲの好感度上げの様な日だな”そう彼が考えていると「しんやー!!」と駆け寄る少女が一人。ボブカットのDさんである。
「あ、あー。そんなに走ると、」
すっころぶぞ、と言い終わる前に彼女は転んだ。床に額を打ち付けたのか「イテテ」と真っ赤にしていた。余程興奮しているのか、「みて、みてーっ! これ見てっ!」とDさんは首に回したネックレスをこれ見よがしに見せつけた。
「おぉ、とうとう買ったか」
彼は色で悩んでいた彼女にアドバイスと、安くて品揃えの良い店を彼女に教えたのであった。Dさんは元気があるサマータイプ、だから光沢感のあるシルバーやプラチナカラーはどうだと言ったのだった。
「うんっ! どう? イケてる?!」
「んむ。ルージュの色と合って似合ってる。Fくんもイチコロだな」
「よし、これから告るぞっ!」
「これから?」
「善は急げよねっ!」
落ち着いてな、真也がそう言う前に彼女は走り去っていった。廊下の先で音がした、おそらく転んだのだろう。
「あんな調子で大丈夫かいな」
「精が出るわね。気が利くというかマメというか」
真也には穂群原(ほむらばら)で苦手とする人物が2人居た。話しかける事はまず無く、話しかけられる事もない、その様な人物だ。一人は衛宮士郎、もう一人は遠坂凛である。
士郎はともかく凛の事を嫌っているという訳では無い。見目麗しく品行方正、文武両道才色兼備、真也が初めて彼女を知った時は思わず見惚れてしまった。ただ冷静に考えたとき彼女の有り様に不審を感じたのだった。例えて言うなら。
タンポポ畑に咲いた一輪の薔薇。
不健全な程に不自然である、どこかのお嬢様学校に居るのがまだ腑に落ちたのだ。転じて何か理由があるのだろう、そう考えた。だものでその応じ方にぎこちなさが出る。
「おはよ、ミス・パーフェクト」
凛は迫力のある笑顔でこう言った。
「もう昼よ。それと蒼月君、その呼び方いい加減止めてくれないかしら」
「優勝者をチャンプというのと同じだよ。美しさも度を過ぎれば罪にしかなるまい、うん」
「……馬鹿にしているの、貴方」
「深読みはしないでくれ。君は隙がないからな、言うべきところが見つからない、それだけ。そんな事より小耳に挟んだのだけど、進学しないんだって?」
そんな事と言われて憮然とする凛だったが、まあ良いわと話を合わせる事にした。
「家の都合よ。そういう貴方はどうなの?」
「するつもりは無いけれど、進路指導でしつこく言われた。“遠坂さんもしないのに貴方までっ”って。どうやって先生をねじ伏せたんだよ」
「失礼ね、誠意をもって説明してご理解頂いただけよ」
二人は学園ワンツーである。凛がトップ、真也が2位だ。申し合わせした訳ではないが、互いに意識して手を抜くような事はしていなかった。因みに、真也が教師から大目に見られているのはこの学業の影響もある。徐々に人目が集まり始めた。居心地の悪さを感じた彼はこう言った。
「今度その誠意を教えてくれ。それじゃ」
「貴方の妹さんの事なんだけれど」
突然意外な事を言われて思わず足を止め振り返った。
「妹が、何?」
「私、嫌われているみたいなんだけれど、心当たりある?」
声を掛けてきた理由はそれか、と僅かに落胆する真也だった。
「気のせいじゃないのか?」
「逃げられるというか、避けられているというか、そんな気がするのよ」
「……悪意は無いから冷静に聞いて欲しいのだけど。鼻につくんじゃないかな、お高くとまってとか」
「それの何処に悪意がないって言うのよ」
凛は憮然として立ち去った。真也は見送りつつ、影に潜んでいた人物にこう聞いた。
「実際どう?」
「遠坂先輩が苦手なんです」
「取って食われはしないぞ、たぶん」
ひょこり現れた桜の髪には千歳が用意した黒いリボンが結ばれていた。
◆◆◆
士郎に料理を学ぶという名目で衛宮邸に通い始めた桜だったが、早々に行き詰まっていた。学校が終われば士郎の家に寄って、一緒に料理をして食べると言う日が続く。勢いに任せて押しかけたは良いものの、どうしたいという具体的なイメージも沸かない。
桜は基本的に受け身であったし、士郎は桜に男女関係的な要求もしなかった。料理を教わりに来ている後輩、その様に扱っていた。予想通りとはいえ彼女の心境は安心半分、物足りなさ半分と言ったところだろう。
士郎は優しかったし気遣いをされた、それは嬉しかったし心地よかった。髪をかき上げる、髪を耳に掛ける。密かな自慢である胸を強調するように張ってみる、視線があえば微笑みで返す……いわゆる女の子の武器を士郎に使えば、彼は真っ赤になって戸惑った。年上であったが可愛いなどと思ったりもした。
それは兄とは違う反応で、随分と心を高鳴らせた。これが“好き”という感情なのか、そう考えた。
毎夜迎えに来る兄の心配そうな顔が彼女の女心を刺激した。真也のそういう顔は彼女にとっても初めてで、もう少し困らせてあげようか、そんな意地の悪い事も考えた。とどのつまり。“これは望んだものとは違う”とは思うものの、3人の関係が、彼女の立ち位置が、あまりにも居心地が良いので暫くはこのままで良いかと思い始める桜であった。
夕日を浴びて紅に染まる商店街、看板の電飾が灯る頃。桜と士郎の二人は夕食の具材を求めて連れ添っていた。士郎の技量は優れていたが和食寄り、洋食に関しては桜の方が上だった。だもので二人は料理談義をするのが日課となっていた。
肉屋で買ったコロッケを二人で頬張りつつ。
桜曰く。
“ブロッコリーは茹でるとビタミンが溶け出すから電子レンジが良いんですよ”
士郎曰く。
“魚は眼で選ぶ、死んだ魚の目はおいしくない”
などなど会話を膨らませていた。すると二人の前を若夫婦が通り過ぎた。士郎がじっと見送った。ひょっとして私たちもそう見えるのかも、桜は乙女心を踊らした。
「美綴と真也って仲良いよな」
士郎の発言に、笑顔のまま固まる桜だった。そこは嘘でも“俺たちってどう見えるかな”と言って欲しかったのである。よりにもよって兄の女の子関係の話題だった、辛うじてこう返した。
「“私たちは”小学生からの付き合いですから」
「やっぱり付き合ってるのか」
「いえ、そういう付き合いではなくて。仲の良い友人というか、家族とか、そういう関係です」
「桜と真也みたいな関係って事か?」
その何気ない一撃は桜をざっくり切りつけた、そのまま卒倒しそうな身体をどうにか立て直す。
「先輩、美綴先輩が気になるんですか?」
「そうじゃない。真也ってナリは良いし、女子ともよく話すのに一人だろ。それが不思議なんだ」
桜と真也の兄妹仲が良い事は知っていた。だがガールフレンドを作るかどうかは別ではなかろーか、と士郎は考えていた。
「兄さんには私が居ますし、」とつい言ってしまった桜だった。
「桜は兄さんにガールフレンドが出来るの反対か?」
「なんで、そんな事、聞くんです?」
「あいつ常識人ぶってるけれど中身は極端だろ? 全部一人でやろうとするし、いつかしっぺ返しが来るって思うんだ。だから、そういう娘ができれば直るんじゃないかな、ってさ。妹思いなのは良いけれど、度が過ぎると良くない。だから美綴はどうなんだろうなって思った」
兄の隣に自分以外の女が居て、腕を組んで歩いていた。その姿は徐々に遠ざかり、手を伸ばしても届かない。走れば走る程遠ざかる。遠ざかる度に自分の身体にひびが入った。それは蒼月桜という10年掛けて作られた殻だった。遠坂でもない、間桐でもない、彼女が彼女らしくいられた殻(からだ)だった。その殻が納めるモノは何だろう。ひび割れの隙間から覗けば黒い何かがたゆたっていた。眼が合った。
桜は俯き前髪で顔を隠した。
「……駄目です」
「桜?」
「そんなの駄目、」
桜は身体を震わし始めた。
(駄目です、兄さんに恋人なんて絶対駄目、そんなの駄目、私が居るんだから、そんな人必要ない、今まで世話をしてきたのは私、それは変わらない、これからもずっとそう、兄さんを起こして、兄さんの服を洗濯して、兄さんにご飯を作って、兄さんと一緒に映画を見て、お風呂上がりの姿を見て良いのは私だけ、お休みなさいって一日の最後の挨拶するのも私だけ、寝顔を見るのも私だけ、他の人には譲らない、私だけ、兄さんは、私だけ、兄さんの、私だけ、兄さんに、私、)
「桜?」と士郎が隠れた顔を覗き込む。その瞳に採光は無く、青紫の瞳は昏く沈んでいた。
(誰かに渡すぐらいなら、)
「桜って、」士郎は手をかざし左右に振った。その瞳には何も映っていない。
「いっその事―」
「桜!」
彼女は身を強ばらせ瞬きを繰り返した。彼女自身なにが起きたのか理解していない。士郎は桜の二の腕を掴みながら、こう言った。その表情には憂慮の念がありありと浮かんでいる。
「体調悪いのか? ならもう帰ろう。家まで送る」
「いえ、少し目眩がしただけです。ありがとうございます、先輩。心配してくれて。でももう帰りましょう。でないと食事中に兄さんが迎えに来てしまいます。そうしたら帰らなくちゃいけませんから。それは先輩も嫌でしょう?」
桜は魂を惹き付ける様な深みのある表情(かお)をして、言葉を無くした士郎の手を取り誘った。電柱の影から二人を見るのは真也と綾子である。彼はハンカチを噛みしめながらめそめそと泣いていた。客観的に見ればどう見ても、お買い物デートである。しかも夕飯の具材という、新婚夫婦シチュエーションだ。
「さくらぁ~、お前は、お前はもう嫁ってしまうのか~」と真也が愚図る。
「いつまでも馬鹿なこと愚図ってないで、真也も兄貴なら応援してやりなよ」
という綾子自身も桜の行動に目を丸くしていた。
(桜、あんた本気?)
舗装された生活道路に影法師が踊る。立ち去る桜の影は異様な程に長かった。
つづく!
■お問い合わせ
Q:魔眼で封印具壊せば?
A:小さめのネックレスで首は直視出来ないのです。