冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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20 聖杯戦争・7 キャスター編

桜は頑張っていた。舞弥が心苦しくなるほど頑張っていた。桜は今時の女子高生ゆえ、手を抜きだらけるとばかり思っていたが、舞弥の予想は大きく外れた。現代っ子という意味で舞弥の女子高生像は歪んでいたのだった。

 

桜は広い庭に散らばる落ち葉の処理に、広い床面積を持つ衛宮家の雑巾掛けを、精力的に手早く済ます。水場の掃除もその出来に文句がない。洗濯も生地に応じてもみ洗いや陰干しにするという常識を弁えていたし、側溝攫いなど自発的にやっていた。魚のはらわたに戸惑いはない、生臭くても気にしない。立場上料理の味に言及するが本音を言えば文句はない。新鮮食料の目利きも大したものだ。作業の段取りを心得ていたし、細かい事に気が利く、汚れ作業も気にならない。

 

桜の姿が見えないと、舞弥が探して見上げれば屋根瓦の修繕をしていた。流石に危険だと制止した。周囲が見えなくなる傾向が見受けられたが、それに目を瞑っても十分だった。

 

“星の巡りが悪いとはこの事ね”

 

舞弥は桜が魔術師の家系である事を心底悔やんだ。もちろん士郎の相手という意味だ。そしてそれは、とある早朝の事。舞弥が自動車に荷物を積み込んだのと桜が玄関から出てきたのは同時だった。桜が穏やかな笑みで話しかけた。

 

「今日も遅いんですか?」

 

舞弥の詰め込んだジュラルミンのケースにはブルパップ式のアサルト・ライフルが納められていた。5.56ミリのライフル弾を使うありふれた物である。勿論日本ではありふれていない。

 

「ええ。意外と手こずっているのよ」

 

10年のブランクはそう簡単に埋められるものでは無かった。舞弥は何時もの能面であったが桜にはその苦悩が見て取れた。彼女は余り表情を表に出さない。美人なのに勿体ないと思う桜であった。桜は紙袋を手渡した。それには弁当と水筒が収められていた。

 

「舞弥さん、お弁当です」

「ありがとう。助かるわ」

 

チクリと舞弥の良心が咎めた。

 

「日没までには戻る予定です。何かあれば連絡します」

「分かりました」

「それと、桜さん」

「はい?」

 

舞弥は黙って紙幣を差し出した。

 

「今日は羽を伸ばしてらっしゃい」

「あ、いえ、そんな、良いです」

「私が言うのも何だけれど桜さんはここ数日間家事に追われてるわ。息抜きも必要よ。見返りだと思って、ね?」

 

桜は迷ったが頑なに拒否するのも失礼だと、謝礼を述べてお小遣いを受け取った。舞弥を見送ると桜は貰った紙幣を広げてみた。千円札だとばかり思っていた。

 

「い、いちまんえんっ!」

 

普通の高校生にとっては高額である。舞弥を良い人認定した桜は足取り軽く家に戻っていった。兄が見ていたなら“一万円で魂を売ったのか”と嘆いただろう。

 

桜は金銭に困っている訳では無かったが、蒼月家では家計を預かる身である、その金額がどれほどの価値を持つのか理解していた。良く言えば質素、悪く言えば貧乏くさい。真也は金の使い方を覚えろと桜に言うが彼女は堅実な娘だった。108円の和菓子を買って後は家計に充てる徹底ぶりである。

 

「たいやき、美味し♪」

 

桜が訪れたのは商店街に在る小ぶりな公園だ。小ぶりとは言っても滑り台に鉄棒、砂場にシーソー、設備は相応に整っていた。彼女にとってこの公園は、良い記憶と悪い記憶の両方があった。桜が虐められていた場所でもあり、兄が彼女を守るため喧嘩に明け暮れた場所でもある。

 

ベンチに腰掛けふっと過去を探れば。桜の目の前を幼い兄が駆けていった。木の棒やバットを持った子供たちに、幼い兄が無手で切り込んでいった。幼い彼が武器を敢えて持たなかったのは、喧嘩の後始末の為だった。数人がかりで武器まで持ちだしては、例え怪我を負わされても親は強く言い出せないのである。我が兄ながら陰険だ、桜は昔を思い出しながらそんな事を考えた。自然と笑みがこぼれる。

 

回想から戻り現在。彼女が視線を走らせれば公園には相応に人気があった。もうじき昼なのだが、母子連れが目に付いた。“昼食を外食で済ませるつもりなのか”そう思った桜は気分を害した。食育を疎かにするとは母親の風上にも置けない。

 

それは桜自身の経験による物だった。養母である千歳は仕事で家を空けがちだった。加えて子育てが上手くなかった。幼い桜でも気づく程に拙かった。千歳と真也は例えるなら上司と部下の関係である。桜の記憶にある千歳は説教しかない。否、指導か論議という言葉が適当だった。

 

その結果。桜と真也は親密さを互いに求める様になった。親以上に時間を共有する事になり片時も離れなくなった。真也は桜を守り安心を与える事に終始し、そこに自分の価値を構築した。桜は身の周りの世話という形で兄に献身した。幼い頃から歪な程に思い続ける相手が居ればその結果は自ずと知れよう。シスコンとブラコンの誕生である。

 

子をあやす母の姿を見て、ふっと自分の姿を重ねる。母は当然桜自身であり、子は自分の子供だ。士郎と真也、二人が居ないその場所で想った相手はどちらだったのか。

 

「買い食いとは感心しない」

 

肉欲混じりの幸せな妄想に耽っていると桜は突然声を掛けられた。低く、耳の奥に障る声に慌てて身を起こせば葛木宗一郎が立っていた。長身痩躯、隙が無い程の姿勢の良さであったが、違和感を感じる程に手足が長い。皺のないスーツはモスグリーン、は虫類を想起させるその鋭い面持ちと相まって、桜には彼が蛇に見えた。彼女は宗一郎が苦手だった。

 

「葛木先生? どうしてここに」

「最近物騒だからな、その見回りだ。して蒼月桜。兄の具合はどうだ。インフルエンザと聞き及んでいる」

 

桜は兄の看病で学校を休んでいるという設定なのだった。宗一郎の巡回も事実である、そのついでに桜に話しかけたのだった。

 

「はい。流石に安静にしています」

「衛宮もインフルエンザだそうだ。看病も大変だがお前自身が罹っては意味が無い。気をつける事だ」

「はい、ありがとうございま、」

 

桜は気を失った。彼女の首筋に食い込む宗一郎の手は蛇の頭の様であった。桜の知覚外からの攻撃で彼女は気を失った事すら気づかなかった。彼は朽ちてはいたが暗殺者、訓練を受けていない人間を安全に失神させる事など容易かった。見れば公園から人気が消えている。人よけの術である。

 

桜には凛に劣らない魔術師としての才があるがまともに訓練を受けたのはこの数日だ。それでも術の発動に違和感を感じたが、宗一郎の登場に気を取られたのだった。紫のローブが空間から舞い降りた。宗一郎は抑揚ない声でそれに言う。

 

「これで良いのかキャスター」

「はい。お手を煩わせてしまい申し訳ありません。宗一郎様」

 

ライダーは力仕事であれば家事に追われる桜を手伝えると衛宮邸だ。食料の調達、ごく短時間の外出だからとサーヴァントを衛宮邸に置いてきたのは失策である。日中の戦闘は御法度である事を過信してしまったのだ。無関係な人間を巻き込むこと叶わず。冬木市全域から精気魔力を吸収しているキャスターにとっては気にする問題では無かったのだ。何よりこれは戦闘では無い、そうこじつける事も可能だ。

 

キャスターは互いの指を組み合わせ印契を結び、呪文を唱えた。複雑な指の形が生み出す神経の刺激と、音声による振動は彼女の内世界に訴えかけた。己の魔力に意味を持たせ形とした。術の完成である。

 

彼女は桜を傷つける狙いは無かった、必要が無いのではなく、傷つけてはキャスターの計画に支障が生じるからだった。キャスターの狙いは一つ、桜の持って居る情報である。

 

高い抗魔力を持つ桜を操る事はキャスターにとっても骨だ。だが聞き出すのみであれば然程難しくはない。キャスターは集めた大量の魔力もある、加えて桜に有効な鍵を持っていた。キャスターの人差し指が桜の額に触れれば術が桜に浸透する。

 

(あら、意外と良い魔術回路を持っているのね)

 

桜の記憶を読み取るには関所が邪魔をしていた。キャスターは真也のイメージを持ちだした。キャスターが用意したその鍵は、学校に保管されている写真やバーサーカー戦のおり遠目に見た姿から作り出した拙い物だったが、桜は真也に依存しているので程なく開いた。桜と蒼月家の関係、桜と遠坂家の関係、士郎と真也の関係、共闘と聖杯への願い、情報を一通り入手したキャスターは桜を解放した。

 

キャスターは笑みを隠さない。

 

「彼らの関係はまさに砂上の楼閣。簡単に事が運べそうですわ、宗一郎様」

「そうか」

(可哀想なお嬢ちゃんね。よろしい、情報を提供してくれた対価として関係を取り持ってあげます。いえ、取り返してあげるかしら?)

 

キャスターは姿を消すと、宗一郎は桜に活を入れた。桜はぱちくりと目を開いた。何が起こったのか理解していない。ただ、目の前に宗一郎が居たのだけは変わっていなかった。

 

「蒼月桜、気をしかと持て」

 

桜の目の前にはいつもと変わらぬ寡黙な教師の姿。意識が飛んでしまったのだと桜は思った。彼女は慌てて、取り繕う様に立ち上がった。

 

「葛木先生、ありがとうございました」

「“疲労”している様だな。急ぎ帰れよ」

「はい、失礼します」

(やだ、先生の言う通り“疲れて”るのかな私)

 

それは言葉を使った誘導である。宗一郎は強い魔力を持たない一般人だ、マスターである筈がないという先入観。加えて家事という名の日々の激務が原因だと桜は思い込んだ。今晩は早めに寝ようと彼女は食料を手に立ち去った。

 

キャスターとてプライドはある。共闘に異存はなかったが、セイバー、ライダー、アーチャーの戦力に物を言わせて不利な条件に甘んじるつもりも無かった。なによりバーサーカー戦の後も考えなくてはならないのである。キャスターは戦力分断を図る事にした、それでも彼女には勝算があったのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

葵が昼食を終えた頃である。凛は衛宮邸へ真也は外出し、彼女はリビングでのんびりと過ごしていた。凛にしろ真也にしろ何かと慌ただしい時間が増えたので、数少ないリラックスできる時間であった。ペラと雑誌を捲ればそこには大物芸能人の結婚が報じられていた。

 

(聖杯戦争が終わったら真也さんはどうするのかしら)

 

もちろん家に帰るだろうが“あの”凛がそれを温和しく受け入れるのか、それが気がかりであり楽しみでもあった。雑誌を見ながら意外と早いかもしれない、そんな事を考えていると使用人がやってきた。来客だという。

 

葵とて魔術師の家の人間である。聖杯戦争の事は知っていたし、訪問者は滅多に無い遠坂家ゆえ来客に警戒した。窓から門を見下ろせば男女のペアが見えた。女に見覚えは無かったが、男には見覚えがあった。凛の担任である。追い返すかという使用人に葵は会うと答えた。ただ屋敷に入れるのは避けるべきだと出迎える事にした。

 

門、つまり結界の一歩外に立つ男は宗一郎だった。

 

「担任の葛木です。お嬢様の容態は如何ですか」

 

凛もまたインフルエンザで休んでいる事になっている。わざわざ担任が様子を見に来るなど妙だと葵は思った。

 

「ほぼ同時に休み始めた生徒が4人居ますのでご理解ください」

 

そう言う事かと葵は合点した。宗一郎の物言いは二通り解釈できる。4人も居るならついでに見回る、と言う意味。もう一つは仮病ではないのか、と疑っている意味だ。葵は疑っている方だと考えて多少不愉快になった。だが営業スマイルで応じた。

 

「ご心配をおかけしております。なにぶん娘は伏せっておりますので面会はご容赦下さい」

「いえ、ご在宅なら問題ありません。クラスの皆が元気な姿を待っているとお伝え下さい」

「ありがとうございます」

 

と言った葵は宗一郎の隣りに立つ女性をちらと見た。滅法な美人だった。その女性は穏やかな笑みであった。

 

「宗一郎の妻でメディアと申します」

「これは失礼しました。凛の母で葵と申します」

 

葵は警戒を少し解いた。男一人より、夫婦、夫婦より家族の方が警戒は少ないのだ。

 

「立派な洋館があると聞いて、居ても立っても居られず夫に付いてきてしまいました。ご気分を悪くされていなければ良いのですけれど」

 

実際古い洋館なので見物にくる人間はちらほら居るのだった。もちろん幽霊屋敷と揶揄する町の住人ではない。葵は言う。

 

「洋館にご興味が?」

「ええ。ご覧の通り日本人ではありません。石造りの建物を見ると故郷を思い出しまして」

「ご出身はどちらですか?」

「ギリシャです」

「まぁそうでしたか」

 

日本を出た事がない葵は非常に興味を持った。写真で見るその町はとても美しいのである。

 

「宜しければお茶でも如何ですか。是非ギリシャの事をお聞かせ頂けないでしょうか」

 

庭先ならば問題ないだろうと言う葵の判断だった。その女性は許可を求めてちらと宗一郎を伺った。彼は頷いた。その行為にも意味はあった、少なくとも葵は奥ゆかしさ、育ちの良さをメディアに感じ取ったであろう。

 

「お邪魔で無ければ」

「とんでもありませんわ。どうぞこちらに」

 

凛と真也が不在であるにも関わらず、葵は結界の外に出てしまった。それがその女、キャスターの狙いだった。葵の抗魔力は一般人並みである。キャスターは容易に彼女を支配下に置いた。そして桜と同じ様に記憶を読み出した。狙いは凛と真也の関係であったが、真也が葵に逆らえない事も判明した。念の為にと夫である時臣の事も読み取った。キャスターは真也と遠坂家について大凡の察しを付けた。キャスターは葵にある暗示を施し、この場の記憶を封じた上で姿を消した。

 

一人残った宗一郎は言う。

 

「ではこれにて失礼します」

 

葵は戸惑いながらも答えた。

 

「ご迷惑をおかけします。何のもてなしも出来なくて」

「いえ、お気遣いだけ頂きます」

 

宗一郎は立ち去った。

 

「……?」

 

葵は白昼夢でも見ていた様な気分であったが、魔術を掛けられた経験も訓練も受けた事が無いのでそういう事もあるのだろうと忘れる事にした。

 

 

◆◆◆

 

 

シミュレートというのは難しい。悪い条件で考えるのが普通だが、悪い条件というのはキリが無い。であるから、彼は幾つか条件を変えて試行してみる事にした。

 

フィールドは文字通り平面で障害物はない。相対するのは山の様な大男、バーサーカーである。彼の攻撃は近接戦闘が基本だ。かまいたちも使えるがバーサーカーの防御力の前では牽制にすらならない。

 

バーサーカーの岩斧は先の戦闘で彼が魔眼を使用し破壊している。アインツベルンのマスターとはいえ短期間でバーサーカーが使う様な大型の、尚且つ魔力が宿った武器は用意できないと彼は想定した。鋼の戦斧を想定した。

 

彼は最大速力で踏み込んだ。狙う死の点は一つ、サーヴァントとしての顕現を意味する点である。鳩尾にありビー玉ほどの大きさだ。ただ問題が一つあった。それはバーサーカーに魔眼とその点を知られていると言う事だ。バーサーカーは両手で斧を持ち腹を見せない。

 

片腕でも良い、切り落とし防御を崩す事が必要だが筋力では圧倒的に劣る。事前に魔力を存分に溜めて打ち込んだが躱された。バーサーカーの敏捷はAだ。踏み込み、打ち込む、躱される。これを繰り返す事数回、霊刀に乗せた魔力が揮発し攻撃力が落ちる。身体能力に魔力を回しているので補充が出来ない。

 

反撃の時だとバーサーカーが戦斧を振り下ろした。彼はバーサーカーの身体の位置を読んでいた、それに従い躱そうと上肢を動かせばそのまま脳天から潰された。シミュレート終了。彼自身は避けたつもりだった。支援魔法が無くては身体が精神に追いつかない。

 

(……)

 

気を取り直しシミュレート2回目。サーヴァント・ライダーを仲間として設定。彼女の敏捷はAだが攻めあぐねている。平坦なフィールドでは自然動きが平面になる。加えて平面を蹴り出すという足場の都合上どうしてもトリッキーさが失われる。近づくのは危険だ。ライダーは中距離から鎖を手繰るがバーサーカーの筋力の前では無力だった。バーサーカーの腕を絡め取り、投げつけようとしたが逆に繰り飛ばされた。鉄杭を打ち込むのも不可能である、投擲では文字通り歯が立たない。

 

彼が近づき魔力を籠めておいた霊刀をかざし牽制とする。その隙を突いてライダーはバーサーカーを絡め取った。巨躯に鎖を何十にも巻き付ける。隙あり。機を逃さずと踏み込めばバーサーカーはライダーの鎖を筋力A+に物を言わせて断ち切った。彼は死んだ。真っ二つだ。

 

(……)

 

3回目。ライダーは騎英の手綱(ベルレフォーン)を撃ったが躱された。バーサーカーの敏捷はAであり当てるのは容易ではない。彼が牽制するにしても巻き添えを喰らう。足場の悪い地形、障害物があればバーサーカーの敏捷性を封じ命中させる事も可能だろう。だがベルレフォーンの余波を受けないという意味で、その安全位置から、その威力により生じる障害物が舞い散る世界を、間髪置かず踏み込むのはひいき目に見ても難しい。バーサーカーの宝具十二の試練(ゴッド・ハンド)のデータは凛から入手済みだ。回復する時間を与えれば意味が無い。可能性の問題だが予想される結果が流動的すぎる。命を賭けるには分が悪い。

 

(……)

 

4回目。ライダーは魔眼を使った。石化の魔眼“キュベレイ”である。バーサーカーの魔力はA。重圧の判定がバーサーカーにかかり全ステータスが1ランク落ちた。

 

筋力:A+→A、敏捷性:A→Bである。

 

だがライダーは魔眼の使用により身動きが出来ない。彼女が視線を外せばバーサーカーは動き出してしまう。加えて重圧は石化ではない為バーサーカーはライダーを襲う事が出来る。

 

彼は間髪置かず踏み込んだ。事前に籠めた魔力で打てる斬撃は一回分。脚を打ちバランスを崩すか? 否、両腕が健在である以上鳩尾の点が突けない。彼は山の様に待ち受ける、バーサーカーの戦斧を一刀両断した。シフトウェイト、狙うはバーサーカーの鳩尾の点。戦斧を切り落とした動作からの立て直し、つまり切り返しの最中にバーサーカーに殴られた。死亡。極至近距離なら素手の方が早いのである。そもそもバーサーカーの眼前で、斬る、突くの2アクションは愚行だ。

 

敗因、基本的な身体能力の不足。

 

シミュレーション終了。真也がゆっくりと目を開ければ、連立する樹木が見えた。何時も千歳と訓練を行う林の中である。正眼の構えからゆっくりと刀を降ろし、トスンと岩に腰を落とした。前屈みで握り合う両手に顎を乗せた。

 

最低限必要な事は、魔眼と支援魔術の併用もしくは近距離でバーサーカーの動きを一瞬でも止める事。だが凛の支援魔術は併用できない。セイバー、ライダー、アーチャーの3英霊、戦力に物を言わせれば動きを止めるぐらいは出来そうだが、直死の魔眼が露見する。セイバーと士郎は黙ってくれても凛はそうはいくまい。彼女にも魔術協会に属するという立場があるからだ。己の身を危うくしてまでも秘密にしてくれるかどうかは分からない、“少なくとも彼は”そう思った。

 

ライダーはメドゥーサ。英霊としての格はともかく彼女は戦士ではない。ヘラクレス相手では分が悪い。豊富な実戦経験を持ち、一触即死の暴風の様なバーサーカーの懐に潜り込める敏捷性と胆力、凶暴なまでに冷静で精密な攻撃力、そして一瞬でも動きを止められる能力を持つサーヴァント、心当たりはあったが残念ながらその人物とは物別れに終わっている。

 

状況は芳しくない。イリヤスフィールを狙わずに魔眼を使わずにバーサーカーを倒せるのか、どれほど考えても答えが出ない。彼は首に掛かる細い金属製のネックレスに手を伸ばした。過去に何度も外そうとしたが外せなかった千歳が施した封印である。外す方法は彼女しか知らないが生憎と不在だ。彼女が居れば外せるが、そもそも彼女が居ればバーサーカーなど笑って屠るだろう。己の運の無さに呆れるより他はない。

 

(凛に魔眼を話すべきか?)

 

だが踏ん切りが付かない。下手をすれば封印指定である。幽閉だろうがサンプル化だろうがいずれにしても桜を守れなくなる。彼にとってそれは死ぬ事以上の大問題だった。多分大丈夫だから毒を飲んでみる、など出来よう筈もない。

 

“せめて凛が身内だっ、”

 

そう考え掛けた時である。額に刻まれた凛の痕跡が疼いた。最初は指で押される程度の感触だったが、徐々に強くなった。拳をねじ込まれている様な感覚になり、直に猛烈な痛みに変わった。

 

「……痛ぅ」

 

錐、否、鉄板にすら穴を開けるドリルを眉間に打ち込まれている、彼にはそう感じた。その回転する刃が額の皮膚に穴を開け、頭蓋を貫通し、脳に達した。頭蓋の中にゴリゴリという骨を削る音が響き渡る。頭の中を蹂躙される感覚、脳組織がスープの様にかき回される感覚、頭蓋から耳へと逆流する音の流れは不快以外の何物でも無い。

 

「あ、ぐあ、」

 

瞼は極限に開き、こぼれ落ちかねない程に飛び出た眼球が見た世界に意味は無かった。それはただの白である。純白と言えば聞こえが良いが、何の意味も持たない色、無意味な世界であった。それが永遠と続いていた。音の速度を超えても、光の速さでも果てに届かない閉じた世界。意味が無い世界に放り込まれれば、無限とも言える時間が、彼を無色に塗りつぶすだろう。想像を絶する痛みが走り、彼はのたうち回った。落ち葉が舞い、落ち葉に塗れた。

 

「ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

アートの一つにタイリングという技法がある。小さな絵を並べ連ねて大きな絵を作るものだ。桜と言う小さな絵が集まり構成されていた蒼月真也という絵は、ここ数日で急激に侵食されていた。遠坂凛という絵に作り替えられつつあったのだ。

 

発熱、倦怠感、痛み。インフルエンザによる症状とは免疫系とウィルスの戦いによる反応である。彼が晒されている反応とはまさにそれだった。彼の存在を維持し続けようとする動きと壊し組み替えようとする動きが争っていると説明できる。

 

ただ身体的影響に収まるそれと異なり、彼の場合は精神体つまり自我だ。精神の組み替えは甚大なストレスを生みそれが激痛という身体的反応に表れた。それは水と一緒に布を呑まされ引き抜かれる苦しみでもあった。指先に針を突き立てる痛みでもあった。痛みを制御できる彼が堪えきれなかった。

 

「ぎっ!」

 

瞳孔を針先にまで絞り彼は額を岩に打ち付けた。額が割れ血が流れた。頭が割れそうな痛みを命綱にして崩れ落ちた。大地に身を投げるその様は正しく道半ばで潰えた者だった。勇気を持った前のめりでは無く、恐れ後ずさり倒れた者である。視界に映っていた物を認識すれば落ち葉であり倒木であった。

 

“凛が身内になるなど二度と考えてはならない”

 

命の残骸であるそれらを見ながら彼は揺蕩っていた。如何ほどの時間が過ぎたのか。例えるなら木枯らしに吹かれた落ち葉が彼の半分を隠す頃である。痛みが治まり辛うじて目を動かせば目の前に桜が立っていた。まさかと思い起き上がれば誰も居なかった。

 

「……」

 

真也は聖杯戦争が終わるまで桜に会いに行くつもりが無かった。それはバーサーカー戦の後の事。士郎に任せたと言った手前もある。士郎に刃を突きつけた負い目もあった。なにより桜は真也に依存している、ライダーのその指摘を相応に気にしていたのだった。ようやく惚れた男が出来たのだ、邪魔してはなるまいとそう考えていた。

 

だが今にも泣きそうな桜の幻を見てしまったのである。彼とて魔術師だ、本物の幽体や幻影、幻術や錯覚と言った知覚認識に対する訓練を受けていた。その彼は遠坂家で“寝ぼけて”凛を桜と間違えた、葵を桜と“見間違えた” それだけでも異常な事なのだが、ついに無いものを見た。時間に比例して酷くなる。彼はいよいよ追い詰められたと考えた。現状維持にすら支障が出ては大問題だ。

 

「姿だけでも見に行くか……」

 

遠目に見るだけだと、彼は衛宮邸に足を向けた。その幻がキャスターが生み出したモノだと思いも寄らない。彼の背後で夕日を浴びてはためく紫のローブは、妖艶な笑みを浮かべていた。それは事態が彼女の予想通りに進むという確信であり愉快さであった。

 

 

 

つづく!




つまりデコチューで大ダメージ。でももう不可逆ですよ。



【補足】
キャスターが桜を殺さなかったのは、真也(魔眼)を手に入れる為です。桜を殺せば真也は完全に敵対しますから。真也と桜の関係は宗一郎が知っています。

その為にセイバー、アーチャー、ライダー陣営を自壊させる事が必要でした。ライダーが奪われればキャスターが動いている事が露呈、その結果、不安定な関係が結束方向に動くのを避けたかった。キャスターにとって今の不安定な士郎たちの関係は好ましいのです。

ライダーは何をしていたかというと、桜の負担を低減する為衛宮家で働いていたのですが、桜は令呪を使った訳ではありませんので気づきません。加えて桜が深刻なダメージを受けた訳でもありませんので、これも同じです。マスターが足の小指をタンスにぶつけてもサーヴァントは気づかないだろう、という理論。

桜は不安がるライダーに“令呪もあるし、日中だし直ぐ帰えるからライダーは待ってて”とでも言ったのでしょう。たいやきの買い食いを秘密にしたかったのかどうかは、彼女のみぞ知る。
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