夕焼けに染まる冬木市、その住宅街。衛宮邸に隣接する民家の庭に聳える大樹あり。そこに身を隠すのは真也である。枝影に隠れる様は、相応に様になっていた。不安定な足場をものともせず、どっしりとしたバランス感覚であった。忍者か特殊工作員と称しても過言では無い様であったが、その目的は極めて個人的であった。
「桜が居ない」
眼下の武家屋敷風民家には人の気配が感じられる。ちらりほらりと人影も見えた。縁側を歩いた青い影はセイバーだった。士郎の声も聞こえた。
「桜はいずこ?」
そうこうしていると玄関が開き凛が現れた。彼女は士郎と二言三言言葉を交わすと門へと向かい姿を消した。舞弥の姿が見えない事に気がついたがどうでも良いと意識から消去した。
何故桜の姿が見えないのか。台所にでも立っているのか。何故桜の姿が見えないのか。入浴でもしているのか。一瞬でも良い、一部分でも良い、一目姿が拝めれば。
(肩に伸びる髪の長さは絶妙で、重苦しさを感じさせず、それでいて淑やかさを損なわない。柔らかさと量感に富んでいるその肢体は健康的、適度な重さと抱きしめた時の満ちている感覚が素晴らしい。美しい顔立ちは餅の曲線に他ならない。余計な装飾無しで感じさせる美しさは真理である。奏でる声は澄み切った水の音、たゆたい、そして滴り、身体の奥深くに染みいるのだ。笑って良し、怒って良し、拗ねて良し、何でも良し……おぉ麗しの妹よ。無事な姿を一目おにいちゃんに見せておくれ)
だが現れない。待てども待てども現れない。一体これはどうした事だ、何の因果か誰かの呪いか。
(おぉ憎い、神が憎い、我が手より妹を奪おうなど、我(シスコン)への冒涜だ。ぶすっと一突きで滅ぼしてやる……)
とそこまで考えて彼は盛大な溜息をついた。がっくりと肩を降ろす。“追い詰められている”と涙した。いつか見た、妹に手を出した夢を思い出す。いま会えば押し倒しかねない。もう帰ろうと立ち上がった時である。
“兄さん”
桜の声に彼は慌てて振り向いた。もちろん誰も居ない、ただ樹木が茂らす枝の隙間から住宅街が一望できるのみである。それはキャスターの魔術だった。彼から離れたところに微小な魔法陣を複数展開させ、可聴できない強さの音声に、指向性を持たせて打ち込んだのである。その複数の音声の束は彼の耳元で重なり共鳴した。彼には耳元で囁かれた様に聞こえたに違いない。もちろん術の発動を悟られない様にする為である。
「……」
真也が衛宮家の塀を飛び越えて庭に降り立てば、何とも間抜けな音がした。木琴をチープにした様な音である。強いて言うなら竹琴か、もしくは下駄の音である。例えるなら“カランコロン”だ。ただ確実な事はそれが警報という目的を持った音、だと言う事だ。
「……結界?」
と彼が呟けば母屋の縁側から何かが飛び出した。それはレーダーの様に頭を振ると、彼目掛けて駆け出した。否、押し迫る。ドドド、と言う足音は大地を振るわす雷鳴の如く。彼には押し寄せる巨大な津波に見えた。
むろんセイバーである。どのように対応行動するべきか彼は迷った。セイバーは鎧を展開していない上に、手に持つのは竹刀である。対して、彼は何時ものラフな恰好だが、コートの下に隠し持つのは霊刀、真剣である。抜けばそれが意味を持つ。“冗談では済まされない”という意味だ。鞘打ちで応じようかとも考えたが、生憎と肩からぶら下げていて、セイバーの突進力はそれを待ってくれない。目の前に迫る彼女を見て彼は達観した表情である。
(殺気めいた表情でも美人は美人さんやな……)
彼は竹刀を突きつけられた。真也はセイバーより随分背が高い、というよりはセイバーが小柄だ。自然下から突き上げる様な構えになる。彼にはのど元にある竹刀の切っ先が真剣に見えた、それ程の威圧だった。
「誰かと思えば貴方ですか」
「よ、お久しぶり」
「物取りに掛ける情けはありません。今から処断するので覚悟して頂きます」
「即断即決だね、嫌いじゃないよそう言うの。でも裁判位はしてくれないか」
「不要」
「うわ、言い切ったよこの娘」
「加えて不敬罪も適用します」
「なぜ」
「私を小娘と侮辱したその罪は軽くありません」
「“小”娘なんて言ってない」
「その見下した態度で十分だ」
「血気盛んな女の子だね」
「今なんと言いました?」
「分かった。“好戦的”でどう?」
「反省の態度も見られない、加えてシロウの敵だ―」
「一応、共闘の間柄なんだけれど」
「問答無用!」
セイバーが竹刀を振り上げた瞬間である。
「待ってくれセイバー」
士郎が現れた。
「よー」
真也は努めて気さくに声を掛けた。
(この男、シロウが現れるのを見越して時間稼ぎを……)
迂闊。してやられたとセイバーは悔しさを隠さない。セイバーは姿勢も警戒も解かず、士郎に進言した。
「シロウ。この男はトラブルの元です。命令して頂ければ直ぐに片付けます」
「ゴミか、俺は」
「せめてもの情けだ。生ゴミ、不燃ゴミ、粗大ゴミ、好きなゴミを選ぶと良い」
「その発言は色々な意味でショックだよ」
「だがペットボトルは駄目だ。貴方にリサイクルする価値など無い」
「情け容赦ない貴女が素敵」
士郎は頭を掻いた。どうしてこの様な真似をしたのかと考えて、考えるまでも無いと溜息をついた。士郎はこう告げた。
「堂々と入れよ。桜に会いに来たんだろ? 追い返したりはしない」
「士郎の顔を見たくなかったんだ」
「面と向かってそれだけ言えれば、清々しい」
「衛宮君に会えると思ったら恥ずかしくて、つい、」
「キメェ」
「もちろん言ってみただけ」
「桜なら今買い物に出かけてる。セイバー、竹刀を降ろしてくれ」
セイバーは不承不承竹刀を納めた。士郎は言う。
「どうする? 桜を待つか?」
「いや帰る。長居は出来ないしセイバーが怖いし」
「衛宮士郎。シンヤを預かっても?」
その声はライダーであった。士郎は同意した。真也はライダーに首根っこを掴まれ引き摺られていった。セイバーは士郎に詰め寄った。肩を怒らせ両手を腰に添え、見上げ咎める姿を例えれば“ぷんすか”が適当だろう。
「シロウは甘すぎます。何の咎めも無しなど、増長するだけです」
「桜が心配だったんだろ。真也(シスコン)なら無理はないって」
「何故あの男の肩を持つのです。嫌っていたのではないのですか」
「んー、強いて言うなら男の連帯感?」
「まったく不可解です。理解しかねる」
彼は笑みを浮かべた。
「何故そこで笑うのです」
「安心した。それが理解できないセイバーはちゃんとした女の子だったんだなって」
「……言葉のアヤです。忘れて下さい」
「分かった」
彼の前に俯いて前髪を垂らし、羞恥を隠すセイバーがいた。初めて見るその姿に彼の鼓動が強く打った。
◆◆◆
真也のライダーに対する第一印象はクールだった。交友が広い彼は経験があったしその自信があった。だが今回ばかりは外れたと落胆した。言葉の抑揚、言葉遣い、仕草、それらは平坦だったが彼女は怒っていたのである。
「よくものこのこと顔を出せたものです」
そこは衛宮邸の離れ、桜に宛がわれた部屋である。ライダーはいつか見た様にベッドに腰掛け脚を組んでいた。真也は床に正座だった。何故この様な扱いを受けるのか、彼は異議を唱えたかったが甘んじて受けた。ライダーの性格をよく知らない以上下手に逆らうのは賢くない。
「怒っているなら理由を話してくれ。可能なら改めよう」
「怒ってなどいません。シンヤの図々しさに呆れているのみです」
「その理由を聞いている」
「シンヤはサクラを見捨てています」
「どこをどう解釈してその結論に至ったのか知らないけれど、俺は桜を見捨てていない」
「サクラをこの家に置いていった、共に戦うと約束しておきながらあっけなく反故にした、そう言えば宜しいでしょうか」
「あのな。共闘に至った理由話しただろ。なにより桜の意思だぞ。そもそも、心配したから、見捨ててなんて居ないから、様子を見に来た。OK?」
「桜が辛い目に遭っていると言うのに」
「分かった。殺してくる」
ライダーは冗談かとも思ったが、彼の瞳が鋭く光っていたので慌てて止めた。彼女が寒気を覚える程であった。
「止めなさい、最後まで話を聞きなさい」
首根っこを掴まれ動けない。真也の足の裏がカーペットを蹴ってどんどんズレていった。その様は昆布の如く。
「安心してくれライダー。肉片一つ残さないから」
「冷静になりなさい。共闘が崩れます。バーサーカーを対処出来ねば、結果は同じです」
「HANASE!」
「離しません」
「士郎の野郎! 桜をたらし込んでおいて金髪美少女サーヴァントとイチャイチャとは良い度胸だ! セイバーこっちに来い。はいマスターどうぞ私を存分にご賞味ください、とかいって組んずほぐれつ!」
埒があかぬとライダーは鎖を幾重にも巻き付けた。床に転がした。床の上で飛び跳ねる彼は正しく俎上の魚(そじょうのうお)。彼女は身を傾げ覗き込む。暴れる真也を窘めるその様は子供を説教する母親である。
「ライダー! お前は味方じゃないのか!」
「私はサクラの味方です。シンヤの味方ではありません」
「はなせーっ!」
「シンヤのサクラに対する―」
情熱、愛情、執着、彼女は悩んだ上でこう告げた。
「倒錯さは判りました。とにかく落ち着きなさい」
ライダーが手短に桜の境遇を話すと彼はそう言う事かと落ち着いた。
「そう。家事にかこつけて桜を牽制してるって事か。まるで灰被り姫だな」
ライダーは首を傾げた。すんなり受け入れた事が意外だった。意外そうなライダー姿を見て彼はショックを受けた。
「あのな。セイバーを襲ったら共闘がお釈迦だろ。そもそも兄である俺がそんな事をしたら、士郎はともかく、他が桜をどう思うか、考えるまでも無い」
「いえ、苦情を申し立てるという意味です」
「……」
「……」
「ちょっと所用を思い出した」
「ですから待ちなさい」
「HANASE!」
「兄が口を出せば妹の立場が悪くなります。サクラが了承している以上ここは耐えるべきです。それよりシンヤ、ここからが本題です」
暴れていた真也は腰を落とした。ライダーが真剣だったからである。
「どうぞ」
「サクラを連れ帰るべきです」
「なぜに」
「私の見立てではサクラはシンヤを求めています」
「何を言い出すかと思えば。桜は士郎に好意を持っている、ライダーがそれに気づいてないのか」
「私が推測するに今の状況は全てはシンヤがサクラを不安にさせている事が原因です。サクラが拒否してもそれは言葉のみです。手を掴んで、抱き上げて、強引に連れ帰りなさい。サクラの様なタイプは強引に縛り付けた方が良い。憎悪と愛情は表裏一体、シンヤが応えればサクラは深くシンヤを愛するでしょう」
「ライダーの意見は推測の域を出ない。桜は士郎の家に繁く通っていたのは事実、それは好意が無いと出来ないことだ。ライダーの見解は尊重するが行動を起こすには根拠が弱い」
「その理由にはこじつけを感じます。まるでそうあっては困るから理由を後付けしている様に感じます」
「桜は本心を隠す傾向があるから、ライダーの見解が正しかったとしよう。でも兄妹というカップリングは茨の道だ。士郎と共にあれるならそれは正しい道、違う?」
「……」
「……」
「私はシンヤが良いと思うのですが」
「なにが?」
「サクラの伴侶になるべきです」
「冗談は止めれ」
「判りました。対価無しとは言いません。サクラを連れ帰れば私もつけます。お買い得です」
「へ?」
「背の高い女はお気に召しませんか」
ライダーは人差し指を入れて胸元を見せた。だが能面なのであまり色気を感じない。誘惑に傾いてしまう彼だった。
「本当?」
「嘘です」
「……帰る」
そんな馬鹿な、だがしかし、ひょっとして。と期待してしまった自分が悲しくも愚かしい。彼は渋い顔で立ち上がった。ライダーは言う。
「サクラに会って行きなさい」
「元気だって分かったならそれでいいや。来た事は内緒にしてくれ。ぎゅっとしてしまいそうだし」
「すれば良いでしょう」
「あのな。折を見てまたくるよ。その時は電話でも掛ける」
ライダーは真也のベルトを掴んだ。
「会って行きなさい」
「予定があるから駄目」
「バーサーカー戦対策ですか?」
「そんな感じ。だから今日は駄目」
「なら明日は来られますね」
「いやだから、」
「今日は、と今言いました」
「えーと、」
「来なさい」
「……分かりました」
彼は思わず頷いた。彼女の気迫が徐々に強まったからである。
◆◆◆
早朝目が覚める。射撃訓練に向かう舞弥を見送ったあと道場でセイバーと汗を流す。桜の作った朝食を食べ道場でセイバーと汗を流す。昼前に凛がやって来る。昼食を皆で食べ午後は凛の魔術講義を受ける。昼食を共にすると言うのは士郎の提案だ。食事を共にすると言うのはコミュニケーション的に意味があるのである。
凛の帰宅後、魔術講義を復習する。桜の作った夕食を食べる。陽が落ちればセイバーらを連れて夜の冬木市を練り歩く。もちろんキャスターとアサシンを探す為だ。収穫が無い事に落胆を覚えながら帰宅。そして夜。士郎はいつもの様に強化の鍛錬に励んでいた。
胡座をかき呼吸と神経を整える。
「……」
そこは土蔵の中だ。雑多とした庫内、適度な圧迫感、外気と切り離された感覚が魔術の行使に適していた。そう理由を付けたところで彼が一番慣れている場所だからだろう。彼の前にあるのは鉄パイプである。魔術回路を起動させそれにそっと手を添えた。
・基本骨子、解明
・構成材質、解明
・基本骨子、変更
・構成材質、補強
鉄パイプという存在の隙間を走る魔力は弾けて消えた。失敗だ。彼は息を吐いた。それは通常の呼吸のつもりであったが、落胆が混じっていた。凛の指導で成功率は随分向上している。彼女が施したのは精神集中や魔力の捉え方、魔術行使における正規の基礎訓練でありそれが効果を見せていた。だが芳しくない。滅多に成功しないが希に成功するに変わった程度だ。
「……」
焦燥が募る。セイバーとの鍛錬で近接攻防の感覚が掴めつつあったがそれは非常時の為の物だ。マスターである彼はサーヴァントと戦う事は無い、戦ってはならないのである。それが当の然だ。戦いとは実際に剣を持って振るう事のみでは無い。状況判断やサーヴァントへの支援も戦いの一つだ。周囲の人間にそう言われた、彼もそう思った。
だが。
理屈で分かっていても納得が出来ない。幾ら役割とは言え、セイバーたちが戦っているのに何も出来ないのが悔しい。黙ってみているのが辛い。なにより今のままでは足手まといになりかねない。先のランサー戦を思い出せば一目瞭然だ。ランサーは士郎へ強襲を掛けたが、もしあれが成功していたら。結果的には逃げられたがそれはそれだ。マイナス要因は少ない方が良い。サーヴァントを倒せなくとも、逃げられなくとも、せめて糸口ぐらいはたぐり寄せられる様になりたい。
「………」
そう思ったところで、目の前にある強化に失敗した鉄パイプは現実の厳しさを教えていた。思念が深く沈み込む。
「そろそろ倦怠感が出てきているのではないか?」
その声が士郎を現実世界に引き戻した。座したまま振り返り見れば赤い外套服の男、アーチャーが士郎を見下ろしていた。
「何か用か」
士郎は彼が好きでは無かった。人を小馬鹿にした様な物言いが鼻につくのだ。そういう人間が存在すると理解はしているが、実際に面と向かうと立つ物は立つ、もちろん立つ物は腹だ。なお士郎が嫌う理由はただその礼儀のみである。
「今のお前の身体は腹にある宝石から供給される魔力で保っている。魔術は成功しようと失敗しようと魔力を消費する、程々にしておく事だ」
「そんな事言われなくても知ってる。アーチャーが俺に何の用だ。遠坂の側に居なくて良いのか」
「マスターの家はここと違って結界が万全でな、そうそう襲われる事はなかろう。他にも番犬が居る」
士郎はその番犬が何を意味しているのか気になったが、聞き流した。なにぶん遠坂家は名門だ、魔術的に強力な何かが存在してもおかしくはない、彼はそう考えた。彼が遠坂家に関して知り得る事は必要最低限のみである。
「そーかよ。嫌みを言いにわざわざ来るなんて良い性格してる」
気分を害した、皮肉めいた男に笑って付き合う必要は無い、士郎は立ち去ろうと立ち上がった。扉を開けて外に出た。
「衛宮士郎、お前の魔術は強化と投影だな?」
士郎にとってそれは聞き流せない言葉だった。強化の事は凛に伝えた、だから知っていてもおかしくはない。だが投影の事を知るのは舞弥とセイバーのみだ。余計な事を言うなと釘を刺したのはその二人に他ならない。あの二人が漏らすとは考えにくい、考えたくない。士郎は必死の形相でアーチャーを睨んだ。
「どうしてそれを知ってる」
「安心しろ。あの二人が私に伝えたのではない。お前と私の魔術は同系、だから知っている」
「話が見えない。仮にお前が“そう”だから俺が“そう”だと分かったとして、アーチャー、お前は何が言いたいんだ」
「この夜更けにわざわざ与太話をしに来たのだと思っているのか。鍛えてやろう、そう言っている」
◆◆◆
「道場があったな。付いてこい」
歩み始めた弓兵に月の光が落ちていた。付き従いつつも、警戒を解かないのは士郎だ。何故アーチャーが同系なのか、何故それを知っているのか気になった。なにより不可解なのがアーチャーが士郎に手ほどきをする理由である。裏がある、当然そう考えた。
「遠坂とはバーサーカー戦のあと敵対する、なのにどうしてだ」
「お前の魔力生成量は少ない。魔力切れになれば身体を動かす事すらままならない。そうなればバーサーカー戦に於いてお前は足手まといになりかねない」
理には適っている。士郎自身、魔術鍛錬に対し停滞感、息詰まり感、閉塞感を感じていた。もしそれが打破できるのであれば願ったり叶ったりだ。だが不安は払拭できない。まるで砂漠に迷い渇き苦しんでいる旅人の前に、何の脈略もなくペットボトルが置かれている様な都合の良い不自然さだ。
「アーチャー、二人に相談したいが良いか?」
士郎の発言を聞いてアーチャーは笑みを浮かべた。もちろん好意的な物ではなく、小馬鹿にした笑いである。士郎には嘲笑に見えた。
「子供かお前は」
「……いま何つった」
「私たちは期間限定とは言え共闘の仲であり、新規に他陣営と手を組むのではない。お前自身の事だ。自分の事すら自分で決断できないのであれば、とんだ見込み違いだ。鍛錬以前の問題だな。怪我をしないうちに令呪を破棄する事だ」
「論点をすり替えるな。陣営の話だ。余所の陣営と何かしようってのに相談無しに進めるなんておかしい」
用心深い、加えて組織に付いて考えている、アーチャーは心中で舌を打った。短期間で効果を出すには手荒に事を進めなくてはならないが、それをあのセイバーが見過ごすか、アーチャーにはその確信が無かった。少なくとも成果を見せるまでは秘密にしておきたかったのである。
(セイバーが吹き込んだのか? 面倒な事を)
「アーチャー、お前の狙いは何だ。そもそも遠坂は承知しているのか?」
「お前に危害を加える、もしくは殺害するのであればこんな回りくどい方法はとるまい」
「お前は真実を語っていない」
子供じみた理由だがやむを得まいと、アーチャーは渋々決断した。
「私は蒼月真也を警戒している」
「だからなんだ」
「あの男は凛に告白したぞ」
「……」
アーチャーは嘘は言っていない。凛が返事をした事を伏せただけだ。密かな好意を凛に寄せている士郎にとってその発言は衝撃的であり、微妙な言い回しに気がつかなかった。
「ここだけの話だが凛には相応しくないと考えている。故にその牽制をしたい。今のお前では凛の歯牙にも掛かるまいが、実績を積めばその限りではなかろう。私は個人的にも凛を気に入っている。それは聖杯戦争後の事を含めてだ」
「どうして俺に言うんだ」
「凛に気がある事はお前の接し方を見れば一目瞭然だ。射止めるかどうかはお前次第だが……黙って見過ごすか?」
士郎はアーチャーは凛が返事をする前に何とかしたいのだと解釈した。加えて黙ってみている事はマスター以前の問題だと士郎は考えた。
アーチャーはあの二人がその関係を聖杯戦争が終わるまで内密にする、と言う申し合わせを知っていた。つまり士郎は当面知る術が無い。仮に発覚しても士郎の成長が間に合わなかっただけだ、と弁明も立つ。付け加えれば士郎が叩き上げられた時点で発覚しても何の問題も無い。
「……どうすれば良い?」
「良い地図がある。それに従って進むだけだ」
「分かった。頼む」
(恋は盲目か、良く言ったものだな)
あっさり手のひらを返した士郎を見て、アーチャーは複雑な心境だった。この士郎にしてあの凛である。
◆◆◆
道場に灯りが付いた。その中心で立ち会うのは士郎と弓兵。どの様な過酷な鍛錬でも受けて立つと士郎は鋭い面持ちで弓兵を睨み上げた。赤い外套服の男は開口一番こう言った。
「服を脱げ」
「……」
そして沈黙が訪れる。士郎は目の前の屈強な男をじっと見た。筋肉ダルマは過剰な表現だが相応に逞しい。士郎は真面目な表情のまま暫く黙っていたが、耐えきれずこう聞いた。聞き間違いだと非常に芳しくないからだ。主に身の上の危険と言う意味である。
「悪い。もう一度言ってくれるか」
「何度も言わせるな。服を脱げ、と言っている」
士郎は手のひらを口に当てて明後日の方向を見た、考えるポーズである。続けて腕を組んで首を傾げた、むぅと唸る。考えるポーズだ。思い至った士郎はこう言った。
「気持ちは嬉しいんだけれどそういう趣味は、」
「誰が若道の趣味など持ち合せている!」
「いやだって、服を脱げとか、」
「えぇい! 黙れ!」
この展開はもうウンザリだとアーチャーは士郎を組み拉いだ。“己に繋がる衛宮士郎ではない”そう頭で理解はしていても士郎は士郎。脱がす理由を前もって説明すれば良かったのだが、アーチャーにとっては苦渋の決断だった為つい説明に粗が生じてしまった。腕を背中に捩り上げ、頭を掴み床に押え付けた。その姿はまさしく強姦魔である。
「え、わ、ちょ、何する本気かお前!」
「こんな事をしている自分が情けなくて頭が割れるわ! 四の五の言わずにさっさと脱げ! というか一語一句同じ台詞とはどういう了見だ!」
「2回目かよ! 誰かを襲ったのかよ! やっぱりホモじゃねえか!」
「黙れと言っている! 好き好んでしているとでも思ったのか! この戯けっ!」
アーチャーは士郎の両手首を掴んで万歳させると、トレーナーを捲り上げた。ビリと破れる音がした。床の冷たさが身に染みる。強姦魔は敵だ、悪だ、決して許してはならぬと士郎は誓った。アーチャーは逃がさぬと士郎のベルトに手を掛けた、その掴みを基点に引き釣り寄せ跨がった。もちろん士郎は青ざめた。
「おちつけ、な、なっ?!」
気の進まない仕事は迅速かつ無心で済ませる、その信条の元アーチャーは鬼気迫る顔。
「舞弥さん! たすけーっ! むぐっ!」
アーチャーは士郎の口を塞いだ。もちろん手のひらで塞いだ。暴れ藻掻く士郎に構わず、フリーの手の平を彼の腹部に添えた。無骨な指が士郎の恐怖を誘う。彼が感じるおぞましさは如何ほどのものか。あぁなんと言う事だろう。知らない男の口車に乗って、ほいほい付いて行ったばかりに、こんな目に。哀れ士郎はこれから―
(お、犯される!?)
これは堪らないと、セイバーを呼ぼうと、士郎が令呪を使おうとしたその直前、自分の身体が熱い事に気づいた。そう言う趣味があるのかと己に絶望しかけたが、発熱しているのは魔術回路だと気がついた。
「……?」
不思議な事に魔術回路が無い筈の領域も熱を帯びていた。じんわりとした熱が、直に焼き付く程に熱くなった。時が刻むこと暫く。アーチャーは士郎を解放した。
「立て」
アーチャーの指示に従い、士郎がふらりと立ち上がる。ジワッと汗を掻き、呼吸も荒く、頬を紅葉させる士郎の姿を見ながらアーチャーは告げた。自己嫌悪に支配されていたのは言うまでも無い。
「仕込みは終了だ」
「……俺の体に何をしたんだ」
「これから閉じている全ての魔術回路を開く。衛宮士郎、お前に施したのは予備加熱の様なものだ」
アーチャーは右拳を士郎に突き出した。完全には握られておらず僅かに開いている。丁度、何かの柄が収まりそうな大きさだった。本能で察した士郎はその拳に左手を添えた。アーチャーは凛がこの場に居ない事を心底感謝した。
「意識を集中しろ、全て見ろ、何一つ見落とすな」
アーチャーの右手に小さな稲妻が走ると、夫婦剣の片割れ“干将”が姿を現した。投影である。アーチャーの魔術行使の影響を受けて、共鳴し、士郎の魔術回路が目を覚ます。
「か、は、」
士郎の全身を火花が駆け巡る。その衝撃に耐えきれず彼は蹲った。アーチャーはお構いなしだ。
「お前の魔術回路とは作る物ではなく表すものだ。一度作ってしまえば後は表面に出すか出さないかの物でしかない。お前の師や凛には考えられない盲点だろうよ。まっとうな魔術師なら通常の神経そのものが回路になっている異端など知りはしまい」
身体を走る衝撃が、正座で脚が痺れる程度に収まった頃、アーチャーは促した。静かに佇むその様は師匠の様である。
「やってみろ」
蹲る士郎が身を起こす、その様は泉の水を手柄杓で掬うかの様。自己暗示を掛け結んだ夫婦剣の片割れは、直ぐに砕けて消えた。
「……」
士郎の状態を見立てたアーチャーは夫婦剣の片割れを投影、蹲る士郎に向けて打ち下ろした。第3者が居れば無防備な少年に斬り付ける残忍な男に見えただろう。だがそうはならなかった。
“ギィン”と耳を突く金属音がする。アーチャーのその一刀は士郎の“干将”によって防がれていた。やれば出来るだろう、とアーチャーはご満悦だ。士郎は己が編み出した高精度の投影品に面食らっていた。声が出せないのは体調が戻らない事も影響したが、投影の実感に戸惑っていたからだ。
「衛宮士郎。お前は戦う者ではなく生み出す者に過ぎない。余分な事など考えるな、お前にできる事はそれだけだ、ならばそれを極めてみろ。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ、お前にとって戦う相手とは自分のイメージに他ならない」
アーチャーは干将・莫耶を揃えて投影した。その夫婦剣を見る士郎の眼差しは探る様である。立ち上がり両の手のひらを見る。
“投影、開始(トレース、オン)”
自己暗示と共に小規模の稲妻が走れば、現れたのは陰と陽、2極を表す二振りにして一振りの夫婦剣だった。幅広の片刃の短剣である。その刃が描く曲線は恐ろしいまでに美しかった。彼は何度も握り返した。相応に重い剣が不思議な事に身体に馴染む。
アーチャーは黙って構えた。士郎は戸惑った後その構えを真似た。
「俺とお前が成すこの型は言ってしまえば二刀流だ」
アーチャーは左手の莫耶を小さく振って士郎に打ち込んだ。その一撃は士郎の右手にある干将を砕き彼を吹き飛ばした。バランスを崩し、蹈鞴を踏む事さえ出来ず道場の壁に叩き付けられた。ショートフックの様な短い動作の一撃が非常に重い。背中を打ち咳き込む士郎にアーチャーは言う。
「だが一般的な二刀流と異なり両手に同じ重さの、同じ形の武器がある。この剣はリーチが短い、つまり小回りが利くという利点を持つが、それはあくまで一面を表しているに過ぎない。剣の重心と握り手の位置を決して忘れるな。幾ら軽くても腕のみで振るな。攻守全てを己の重心を基点に練り出せ。それば武器ではなく己の身体の延長と知れ。型に攻守の区別は無い。つまり双剣とは、」
「踊るって事か」
「その通りだ」
士郎は砕かれた干将を投影し踏み込んだ。左手の莫耶を正拳突きの要領で突いた。アーチャーは内から外へ向ける一振りでそれを弾き返す。士郎は己の軸足を基点に、そのはじき返された反動で身体を回す。右手にある干将でアーチャーを斬り付けた。その士郎の一撃は空を切った。アーチャーにとっては受け流す必要も無い、回避のみで十分だったのだ。
士郎のそれは勢いを乗せた大ぶりの一撃である。空を切れば身体を無防備に晒す。アーチャはその士郎の隙に膝を打ち込んだ。脇に打ち込まれ身体をくの字に曲げた。呼吸が止まり崩れ落ちる。
「相手との位置、相手が持つ武器の特性、相手の性格、そして己自身……全てを内包しろ。お前は半分しか理解していない」
士郎は額の汗を拭い立ち上がった。
「そこまで言われれば幾ら俺でも気づく。これは敵を倒す技じゃない、結果的に敵を倒す技だ。剣を持ち技を繰る俺自身が剣となる……生み出す者ってそう言う事なんだろ?」
アーチャーは初めて笑みを浮かべた。対峙した二人が織りなすその技は水の様に滑らかで淀みなく。その演舞の銘は“流極水演舞”。二人は踊っていた。脚裁きの音、刃が風を切る音、そして希に刃同士が“しゃらん”という鋭い音をかき鳴らし……士郎は倒れた。仰向けになり手足を広げ、喘ぐ様に呼吸を貪る。衣類は汗でへばり付いていた。見下ろすアーチャーは少々不満だった。彼は言う。
「魔術回路の覚醒から、投影、この短時間で良くやった方か」
見れば3時間は経っている。士郎は文句を言う気力すら持ち合せていなかった。
「また折を見てくるが日々の鍛錬を怠るな……お前に言う事ではなかろうがな」
そろそろ戻らねば凛が気づくかも知れない。アーチャが士郎に背を向けると彼の目の前にセイバーが立っていた。彼女は笑っていた。微笑では無くただ笑っていた。
「何か用か?」
彼女は黙って竹刀を投げつけた。何のつもりだとアーチャーはセイバーを見た。
「アーチャー、貴方の技は見事です。相当な修練を積んだのでしょう。是非私も手合わせをしたい」
セイバーは構えた。青い装束に白銀の鎧と何時もの恰好だ。これで得物が宝具であれば洒落にはならないが、その手にあるのは竹刀だった。アーチャーにはセイバーの動機が分からない、転じて幾ら手合わせとはいえども、彼には応じる理由が無い。
「謹んで辞退する、さらばだ」
付き合いきれないと姿を消そうとしたアーチャーにセイバーは打ち込んだ。その竹刀の一刀はアーチャーの腹を掠めた。その一撃は如何ほどのものか、竹刀の切っ先が空気を巻き込み彼の鎧を抉っていた。戯れにしては度が過ぎる、アーチャーは態度を硬化させた。
「……どういうつもりだ」
「つれない事を言うなアーチャー……参る」
彼女は笑っていた、否、そう見えただけだ。彼女は笑ってなどいなかった。袈裟切り、真一文字、唐竹割り、怒濤の様に繰り出されるセイバーの一撃は鋭く重かった。幾ら竹刀でも洒落になら無い威力である。セイバーは笑いながら怒っていた。辛うじて躱していたアーチャーは我慢ならないとこう告げた。
「その不遜かつ挑発かつ怒りの籠もった表情は何だ。とても手合わせを所望する態度には見えない」
「乙女に随分と酷い事を言う」
「……は?」
アーチャーは我が耳を疑った。セイバーが自身を乙女など称するとはあり得ない。近くに桜は居ない、彼女は演じてなど居なかった
「セイバー。君は随分と感情的だな、どういう風の吹き回しだ? とても英霊には見えない」
「知りたくば、私を倒して見せろ」
セイバーは一歩推し進めた。アーチャーは一歩たじろいだ。
「何を怒っている。私は君のマスターを鍛えてやったのだが、それを理解していないのか?」
「そんな事は知っている。シロウを鍛えて貰った事には感謝の言葉も無い。だからこそ私は駆けつけたくなる衝動を抑えてシロウを見守ったのだ。だがそれはそれだ。主人の屈辱は私の屈辱、私が憤るのも理解できよう?」
アーチャーはバーサーカー戦のダメージが回復しきっていなかった。加えて彼のスタンスは二刀流である。分が悪い。セイバーに打たれに打たれた彼は道場の床に崩れ去った。突っ伏した。俗に言う“フルボッコ”だった。
「ふんっ」
竹刀を床に突きつけ息荒いのはセイバーである。理解できないと士郎は言う。
「なんでさ」
「例え訓練とは言え刃を振り下ろすなど過剰です。もし怪我をしたらどうするつもりだったのですか」
正論を突かれ反論できない士郎であった。
(シロウ、貴方は危なっかしい。過保護になった舞弥の気持ちが良く分かる。短い時間ですが、私の全てを持ってシロウを正す。そして守る)
セイバーは士郎に向き直りこう告げた。その表情は真顔だったが僅かばかり揺らいでいた。
「ところでシロウ、がおーといって頂けませんか」
「がおー??」
「もう一度、」
「がおー????」
「もう一度、」
不条理さと屈辱に身を震わすのはアーチャーである。這いつくばる道場の冷たさと堅さがまた腹立たしい。“ぐぬぬ”と溢したくなるのも無理はない。そして道場の外。ライダーは道場での一部始終を見ていた。
(アーチャーが何故他マスターに指南を?)
ライダーにも魔術の心得があった。だが士郎の成長速度、アーチャーの指導の的確さは同系などでは説明が付かない。何か隠しているに違いない、彼女はアーチャーに注意を払う事にした。
「がおー???????」
「もう一度」
舞弥がやってくるまで二人は繰り返していたという。
つづく!
【教えて! アーチャー先生っ!】
士郎が本質的な意味で変わってしまっている、つまりアーチャーが士郎を狙わない。アーチャーが士郎を指南するには、この条件が無いと成立しないイベントです。本人が教えますので、士郎の急成長に不合理がありません。しかも効率よく安全。1stバーサーカー戦で散々言われた士郎の設定変更の理由の半分です。ようやく暴露、長い道のりだったZe……。
他にも
・アーチャーが真也をめっさ警戒している。
・真也殺害を凛が承諾しない(桜とか好意という意味で)
・士郎は凛に気がある
といった条件もあるのですが展開次第でどうにでもなるのかなと。例えばバーサーカー戦への戦力拡充として士郎を鍛えるとか。
【Q&A】
Q:士郎のヒーロー的な意味での活躍が少ない
A:
投影も使えない段階で戦場にツッコめばそれは原作士郎と変わりませんし、このSSにおいて士郎サイドはサブなので必要最低限の描写しかしていません。ご了承下さい。
後半に見せ場を予定していますが、ドロドロがテーマですので少ないです。もっとも、その後半にたどり着くが凄い微妙です。バッドエンディング的な意味です。プロットはエンディングまで起こしてるのですが実際に書くと色々不具合が生じます。書く→プロット修正、この繰り返し。ぶっちゃけ綱渡り状態です。
士郎の活躍を見たいという方は優れたSSがたくさん在りますのでそちらを……と思ったら唐突にdain氏の「Fate/In Britain」を思い出しました。どこまで読んだっけ、読み直してみようか。と思いつつ、その余裕が無いというジレンマ。相応に古い作品ですので最近Fateを知った方、ご興味のある方はググってみて下さい。思い出補正もありますが面白かったです。