桜が士郎と出会ったのは中学生の時である。暴行され掛かったところを彼に助けて貰ったのが始まりだった。再会したのは穂群原(ほむらばら)。運命の出会いかもしれない、そう考えた自分に呆れつつも、そうであれば良いと考えた。料理を学ぶ事を良い訳に押しかけた時、彼は当初拒否をした。しつこく食い下がり、渋々認めさせた。迷惑を掛けているだろう、そう思いつつも喜んだ。
クラスの友人にもなぜ彼だと聞かれた事がある。彼女は誤魔化した。彼なら兄という呪縛から助けてくれるかもしれない、その様な事は誰にも言えないからである。共有する時間を重ねるにつれて、彼の良いところを知っていった。小さかったが確実に好意を持った。それが兄より大きくなれば良いと本気で願った。そして、彼が桜を見ていない事も何時しか気がついた。
聖杯の事を知り、“士郎への好意は真也の妹という呪縛から逃れる為だった。だが士郎と結ばれてもその呪縛は逃れられない。聖杯にはそれから解放を願う”という自分自身の真実を知った時、彼女は打ち拉がれた。兄に置いていかれ、追い打ちを掛けられた。この時は本当に辛かった。士郎の声、何気ない気遣いが嬉しかった。舞弥とセイバーの牽制を受けながらも何かと気遣いを受けた。ほんの些細な事で救われた。助けられたのは事実だった。だからこそ桜は笑うしかない。
(星の巡り合わせが悪いって本当ですね。だってそうでしょう?)
全ての発端は、桜が真也に“妹という呪縛から逃れたい”という願いを伝えなかった、伝えられなかった事にある。彼は“士郎に好意を持つ妹が何か願いを持っている”そう判断したからこそ、ライダーと初めて出会った夜に士郎を助けに行ったのだ。
もしその願いを話していたなら、真也は士郎を助けに行かないだろう。そうすればサーヴァント戦を目撃した士郎はランサーに一度殺害される。その後凛に蘇生され、家に帰ればもう一度ランサーに襲われる。舞弥が居る以上、置き去りにして逃げる事ができない士郎はそこでお仕舞いである。
先に舞弥が殺害された場合。流されるまま土蔵でセイバーを召喚、凛と合流し、聖杯戦争の事を知り、言峰教会に向かい、バーサーカーと遭遇する。この展開では士郎への共闘もちかけ、真也の凛への告白イベントが生じない。凛がマスターである事を真也が知っている以上、桜が聖杯を欲している以上、生徒が下校した校内で士郎を襲い追いかける凛は恰好の的だ。彼女は士郎なら造作も無いとアーチャーを家に戻している。魔眼を使えば遺体すら残るまい。この時点での彼は桜以外の全ての物は等価値だからである。
凛を失った士郎は単独で聖杯戦争に参加する事になる。バーサーカー戦に真也が参加しない以上、キャスターはセイバーに目を付ける。彼女の魔術で士郎は柳洞寺に誘われ、令呪を奪われた上で殺害される。なぜならアーチャーが居ないからだ。
タイミングの都合でアーチャーが存在していた場合。舞弥を失い凛を失った士郎は、再び正義の味方を再び目指す、ならばアーチャーはは士郎を殺害するだろう。
聖杯戦争が無ければ、桜は舞弥から牽制を受ける事は無かった。だがいつかは妹という呪縛に突き当たっただろう。いずれにせよ桜と士郎は結ばれなかったのだ。
(助けてくれた事、本当に嬉しかったんですよ。先輩と居る時兄さんの事を忘れられた。感謝も、尊敬もしてます。先輩に手を挙げるなんてしたくなかった。でもそれだけは許せなかった。だって、私は“そうだから”先輩を好きになったんですよ)
真也という好意を持つ人物を傷つけられた悲しみと怒り、その激情を士郎という好意を持つ人物に向けざるを得ない苦しみ。その激しい葛藤は大聖杯に居るそれを呼び起こすに十分だった。
ライダーが蒼月の家に戻った時、真也がリビングで倒れていた。慌てて駆け寄れば失神しているだけだと判断した。彼女は気を失っている桜をベッドに寝かすと、続けて真也もベッドに寝かし毛布をかぶせた。ライダーは真也の涙を拭うと部屋を出て行った。彼女は、桜の影が蠢いている事に気がつかなかった。
◆◆◆
士郎が山道を登り切れば門が聳えていた。正面から入ろうと物音立てず歩み寄ったが、彼は迂回する事にした。キャスターはセイバーたちに注意を向けているに違いない、そう考えたからである。干将・莫耶を投影し、勝手口から侵入すれば、本殿の軒先に舞弥が蹲っていた。隈無く視線を走らせれば、正門に紫のローブを纏う人影が見えた。真也からの情報からキャスターに違いないと士郎は察しを付けた。音も立てずに舞弥に駆け寄った。
「魔術師も地に落ちたもの。これではまるで盗賊だわ。全く嘆かわしい」
キャスターが目の前に立っていた。境内は彼女の結界、士郎の侵入に気づいていたのである。もちろん士郎も予想はしていた。物陰から出た士郎は胸を張って対峙した。恐怖も不安もあったが、舞弥を攫ったキャスターに対しての怒りが勝っていた為である。
「俺は魔術師なんかじゃない」
「なら何者?」
「魔術使いだ」
「ま、何とでも名乗ると良いわ。剣を捨てなさい、坊や」
凛の読み通り追い詰められているキャスターに余裕が無い。無駄口を叩き、時間稼ぎをするべきか迷ったが、これは士郎にとって予想通りの展開だ。宗一郎の姿が見えないのが気になるが、やむを得まいと、彼は腹を括った。舞弥はキャスターの背後、数メートルのところである。舞弥、キャスター、士郎を線で結べば彼の背後には、物が置ける程度の台があった。彼はスタングレネードが炸裂する時間が来るのを待つ為、無駄口を叩く事にした。
「舞弥さんを離せ」
「取引できる立場だとでも?」
「うるさい。お前の様な奴と取引などしない。舞弥さんを離せ」
取り付くしまが無いとキャスターは溜息を付いた。これ見よがしに手を士郎に翳した。魔術を使おうとしている事は明白である。
「よろしい。ならば立場を教えてあげましょう」
心中でカウントダウンしていた士郎は、しゃがみ込み目を瞑り耳を塞いだ。彼の奇行に意表を突かれたキャスターは無防備だった。激しい閃光と爆音が士郎の背後で吹き荒れた。眼と耳をやられたキャスターはたじろいだ。士郎は斬り込み一刀を振るう。その斬撃はキャスターを切り裂き、打ち倒した。止めを刺そうと駆け寄ったが、本殿の中から現れた人影に気づき、断念。舞弥を抱え走り出した。目指すは一路、正門である。
走る、走る、走る。幾ら女性といえ相応に重さがある。全力疾走は厳しいがそれでも力のあらん限り士郎は走った。激しい閃光と音によって五感を飽和させ意識を揺さぶり、無力化する事がスタングレネードの目的だ。目と耳を潰されたキャスターは魔術が使えない、彼はそう踏んでいた。事実そうだった。門まであと10メートル。
「衛宮」
彼はその声に止まってしまった。止まらざるを得なかったのである。それは“止まらねば殺す”という警告だった。士郎は腕に抱えた舞弥を石畳の上に降ろすと振り返った。月光に浮かび上がる人物は殺意も敵意も感じられない立ち姿、宗一郎だった。
「衛宮、インフルエンザはもう良いのか」
その声は抑揚無く淀みなく。彼は教鞭に立つ何時もの姿であった。その立ち振る舞いに欺かれてはなるものかと丹田に力を籠めた。士郎は努めて生徒らしく答えた。
「ええ、俺の身内を攫われたと知ったら全部吹き飛んでしまいました」
「随分都合の良いインフルエンザだ」
「葛木先生、念のため聞きます。退いてくれませんか」
「お前が今手にしているものは何か、それを忘れたか」
「そうですね、説得力は無い……ならマスター同士、遠慮は要らないって訳だ」
士郎は忍び寄る宗一郎に干将・莫耶を構えた。宗一郎の背後に控えるキャスターは沈黙していた。マスターを立てるという配慮もあったが、それ以上にマスターの敗北など微塵も考えていなかった。
幽鬼の様な立ち振る舞いの宗一郎に、士郎の心のアラームは鳴りっぱなしだ。セイバーとアーチャーの鍛錬から、まともに打ち合ってはならないと理解した。だが舞弥を抱えては逃げ切れない。彼は腹を決めた。
剣を持っている士郎に対し、宗一郎は無手である。間合いは有利、士郎は己の距離になり次第仕掛けるつもりだった。だが宗一郎はその一歩外で立ち止まり構えた。昔映画で見た酔拳にも似ている、士郎はそんな事を思った。
間合いは宗一郎の方が広い。直感で仕掛けてくると悟った士郎は、刀身をクロスさせ刃を身体の外に向けた。大きな鋏を持っている様な姿である。二振りを身体から離しているため重心は身体の芯の外だ。つまり、剣の重量を利用し即座に態勢を変えられる様にしてあった。
士郎の目的はとにかくセイバーたちが駆けつけるまで時間を稼ぐ事である。舞弥もセイバーも、彼にその実力があると見込みを立て、信頼し、彼を送り出したのだ。その責は追わねばならない。即死さえ免れれば、骨の1本や2本、構わない。その覚悟を持っていた彼はその見通しが甘かった事を知る。
士郎の瞳に映る宗一郎の身体がブレた。士郎の側頭部を狙って、ガードを回り込む様に飛んできた宗一郎の拳は、士郎の右手にある干将を砕いた。拳が剣を砕くなど有り得ない、と士郎は目を剥いた。そしてキャスターの術かと察しを付けた。防御のため士郎が反射的に身体を動かしたのは鍛錬の効果だったが、防げた事は運に他ならない。
それはそうとしても宗一郎の初撃を躱せた事は幸いである。どこから攻撃が飛んでくるか分からない以上とにかく宗一郎の間合いは危険だ、だが舞弥が居る以上逃げる事は叶わない。残った左手の莫耶を突き出す様に構え、右腕は頭部に添えてガードした。防御の構え。投影する時間が無い。右腕で頭部の防御が間に合うかは分からないが無いよりマシだ。宗一郎の拳は、士郎の防御をかいくぐり、彼の後頭部を打った
「がっ!」
足から力が抜け、蹲った。士郎は己の出した声が踏まれた蛙みたいだと、どこか他人事の様に聞いていた。意識はまだ在ったが身体が動かない。コンセントが抜けてしまった扇風機の様だ。
「宗一郎様、後は私にお任せ下さい」
近寄るキャスターに残った左手の莫耶を投擲したが、キャスターに命中する前に宗一郎によって砕かれた。士郎は鳩尾に宗一郎の一撃を喰らい完全に崩れ落ちた。その衝撃は意識を揺さぶり失神に一歩前である。朦朧とする意識の中ですら士郎はキャスターの取り出した珍妙なナイフ“破戒すべき全ての符”をじっと見ていた。
“同調開始。基本骨子、解明。構成材質、解明……”
彼は無意識にそう唱えていた。
◆◆◆
時を遡ること数刻。つまりセイバーが士郎を送り出した直後である。セイバーとアーチャーに対峙するアサシンが流れる水の様に構えたとき、セイバーは隣のアーチャーが笑みを浮かべている事に気がついた。
「何がおかしいのです」
「セイバーと轡を並べる機会が来ようとはな。驚きを通り越して、不覚にも踊り出してしまいそうだ」
「それ程意外か? 貴公の言っている事は要領を得ない」
「星の巡り合わせ、と言うのだろうな」
彼女が良く分からないという顔をした頃には、弓兵は狩人の顔である。
「セイバー、君が斬り込め。切り口を開く」
「承知した」
「私を信用するのか」
「シロウを鍛えて貰った、その返礼だと思って下さい」
「君の甘さも大概だな。遠からず命取りになるだろう」
「アーチャー、貴公はその皮肉めいた態度を改めるべきだ」
「私の性分だ。もう何ともならん」
「あの男に似ていると言っています」
もちろん真也の事である。
「侮辱にも程があるぞ、セイバー」
「そう思うのであれば直しなさい」
古い友人の様な二人の関係に、アサシンは苦笑するより無い。
「見合っているのも飽きてきた。来ぬと言うならこちらから行くぞ?」
二人は同時に踏み込んだが、先行したのセイバーである。彼女は迷いなど無いように、撃ち出された矢のように斬り込んだ。その瞬間は、アサシンの間合いであり、セイバーにとっては間合いの外である。猪武者のように迫り来るセイバーの首を斬り落とさんと、アサシンが踏み込んだ時である。彼の目の前に夫婦剣の片割れ“莫耶”が在った。アーチャーが投擲したのだった。
セイバーとの距離からアサシンは莫耶を叩き落せば、流石に構え直す時間が無いと判断し、その敏捷性を活かし躱す事にした。アサシンのそれはA+であった。アサシンが脚の位置を整えないうちに、つまり斬り落とすのに適した姿勢になる前に、セイバーが一刀を振るった。彼女の刃が4時から10時の方向に走る。
セイバーが風王結界で刃を隠す以上、アサシンには正確な間合いが読めない。彼はその一刀を大ぶりで躱すと、その先に“干将”の刃があった。アーチャーの投擲である。彼はアサシンの回避先を読んでいた。
セイバーが斬撃、アーチャーが投擲、息の尽かせぬ連撃で、二人はアサシンを門に追い立てた。逃げ道を塞ぎアサシンの敏捷性を封じるのが目的である。加えて門に近ければ士郎へ近づく意味も持っていた。
(意外と呼吸が合ってるじゃない……)
セイバーとアーチャーは実は知り合いなのではないかと勘ぐる凛であった。実際はセイバーを知っているアーチャーが合わせているだけであったが、効果は十分だった。彼はセイバーの事を殆ど忘れていたが、並び立つ事によって徐々に思い出していたのだった。数日前、道場で彼女にボコられた事も一因だ。
連撃を数度繰り返した後、アサシンは立ち止まり構えた。愚かな事を、とセイバーは思った。このタイミングでは斬撃か投擲のどちらかは確実に当たる。その機を逃すつもりは彼女には無かった。
「いざ……」
アサシンの呟きは呪文であったのか、セイバーはそう思った。でなければこの現象は説明できまい。アサシンの刃はその瞬間、二振り在ったのだ。斬撃の一つはセイバーを襲い、もう一つはアーチャーの夫婦剣を叩き落した。彼女は階段に膝を突いていた。躱すため姿勢を乱す程に飛ばねばならなかったのである。
「多重次元屈折現象……」
信じられないと凛は呟いた。驚きを隠せないのはセイバーもアーチャーも同じである。狐に化かされた様な3人を見て流石のアサシンも愉快そうだ。
「見ての通り奇術の類いよ」
アーチャーは迷った。これ以上の追い立ては不可能だ、つまりこれ以上進む事が出来ない。だがどうする。士郎を落とされれば、セイバーは敵の手中に落ちる。そうすれば状況は最悪だ。彼は固有結界を発動し、アサシンに対し飽和射撃をするべきか考えた。だがセイバーに手の内をバラす事になる。
剣を携えアサシンに迫るセイバーは騎士そのものであった。
「アーチャー下がれ、私が血路を開く」
決死の覚悟で挑むセイバーの姿を見て彼もまた覚悟を決めた。
「騎士道にこだわっている場合か、もっと良い方法がある」
「どうするつもりだ」
「斬り込め。何も考えず、アサシンの首を落とす事のみを考えろ」
「何を考えた」
「やれば分かる」
「?」
「なに、昔取った杵柄だ」
二人同時に駆け出した。セイバーがアサシンの間合いに入った時、彼女の目の前に三つの斬撃があった。一の太刀:頭上から股下までを断つ縦の斬撃である。アーチャーは頭上に掲げた干将でそれを受けた。二の太刀:一の太刀を回避する対象の逃げ道を塞ぐ円の軌跡を持つ斬撃である。それはセイバーの鎧を掠めアーチャーの腹を切り裂いた。三の太刀:左右への離脱を阻む払いの斬撃、それはアーチャーの莫耶で止められていた。
アーチャーはセイバーの楯になっていた。強いて言うなら二人羽織が近い。セイバーの斬撃を受けアサシンが崩れ落ちた。アーチャーも堪らず蹲った。何か言おうとしたセイバーと駆け寄る凛にこう告げた。
「凛、セイバー行け。時間を無駄にするな」
「貴方に感謝を」
セイバーは門へ消えていった。凛はポケットの宝石を確認しながらこう言った。
「意外だわ。まるでどこかの誰かみたい」
「他に方法が無かった、仕方なかろう」
「斬撃が3つ以上だったらどうしてた訳?」
「根拠はあるが、語る暇が無い。急げ」
逃げ道を塞ぐ斬撃、技の性質から燕返しではないかと彼は察したのだった。物干し竿と言わんばかりの長刀もその判断を後押しした。
「回復後直ぐに来なさい」
「3分くれ」
「1分」
人使いが荒いと、彼は笑うしかない。凛もセイバーの後を追って行った。アーチャーは斬られた腹を押さえゆっくりと立ち上がった。消滅こそ免れたが、回復早々にダメージを負ったと不満も溢したくなる。
「私の目も節穴か。アーチャー、お前が身を挺すとは思わなかったぞ」
アサシンに実戦経験は無いのだった。
「セイバーは囮など引き受けないからな。相応な危険を犯して必ず血路を開く、と考えるだろう」
「それだけではあるまい」
「惚れた弱み、と言えば信じるか?」
「お前も人の子という事か、まぁよいわ」
目を閉じ息絶えたアサシンを尻目にアーチャーは蹌踉めきながら階段を上がっていった。
「戯言を信じるな、他に方法が無かっただけだ」
固有結界を内密にし、安全性に見込みを立てた上で血路を開く方法である。アーチャーが門へ消えて暫く経った頃。アサシンの骸が黒い影に飲まれて行った。それがここに来たのは桜の強烈な印象を探ったからだ。それは初めての獲物に満足するとそのまま姿を消した。
◆◆◆
「シロウから離れろ下郎!」
何事かと凛が境内を覗いた時、セイバーと宗一郎が戦っていた。
(セイバーと戦うなんてキャスターのマスターって馬鹿なの?)
そう凛が率直な疑問を浮かべればそれが間違いだったと知る。宗一郎の良く分からない技を受け、セイバーは押されていた。傍目に見て漸く分かる程に摩訶不思議な技だった。何より異常と思えるのが、宗一郎の拳とセイバーの刃がぶつかれば、金属音を奏でる事だ。火花すら散っている。
状況確認。凛がさっと見渡せば他にキャスターと士郎が居た。彼女は運良く背を見せている。キャスターはセイバーの強襲に戸惑っていた。宗一郎の行方を案じていたのである。この機を逃す凛では無かった。凛は脚力強化と重量軽減の術を掛けた上で、ゆっくりとキャスターに近寄った。ここはキャスターの結界、当然彼女は凛に気づくだろう。魔術刻印が唸りを上げる左腕で牽制しつつ、会話が出来る頃には二人の魔女は火花を散らしていた。
キャスターはゆっくりと立ち上がる。凛はこれでもかと言わんばかりに悪態をついた。
「来たわよキャスター。色々考えたんだけど、やっぱり貴女には消えて貰う事にしたわ」
「我が家にようこそ。アーチャーのマスターさん。でもお嬢ちゃんの様な出来損ないの魔術師には用が無いの」
「は、言ってくれんじゃ無い。太古の干からびた魔女が。目障りだし邪魔だし煩わしいし、何よりその格好が気にくわないのよね。今時紫のローブなんてどこの田舎者よって感じでさ」
「大きく出たわね。まさかとはおもうけど本気で私に勝てると思っているのお嬢さん? だとしたら腕比べどころの話じゃ無いわ。見逃してあげるから、まずその性根をなおしていらっしゃいな」
「そんなの、勝てるに決まってるじゃ無い。だってそうでしょう? 貴女みたいな三流魔術師に一流である私が負けるはず無いんだもの」
「そう、なら仕方が無いわ。その増長、厳しくしつける必要があるようね」
「幻術を使うそうだけれど抗魔力を持つ魔術師には効かないわよ。もう一つ、悔しがる顔を見たいから言うけれど、アーチャーも健在よ? 貴女がどう戦うか見物だわ。ほら、急ぎなさいよ。貴女のマスターがピンチみたいだけれど?」
セイバーと打ち合っていた宗一郎に向けて夫婦剣の片割れが投擲された。もちろん士郎である。宗一郎はなぜ士郎が立ち上がれる程に回復しているのか理解できなかった。暫くは動けないと確信に近い手応えを持っていたからだ。何より砕いた筈の夫婦剣を、どこから持ち出したのか手にしている。
キャスターも宗一郎も共々、士郎が投影魔術を使う事もセイバーの鞘を内包している事も知らなかったのだ。宗一郎が士郎の攻撃を捌けば、それはセイバーから見れば好機に他ならない。彼女は反撃に転じた。ライダーとアサシンから受けたダメージがあったが、どうにか押し切れると判断した。
キャスターの注意が逸れた瞬間、凛は支援魔術に物を言わせて一気に踏み込んだ。格闘戦である。ここがキャスターの陣地である以上、キャスターに凛の魔術が効くか疑わしかったからだ。
魔術師が格闘戦をするなど夢にも思うまい。意表を突き畳みかける、その筈だった。凛の掌底はキャスターの防御フィールドで防がれていた。見抜かれていたと慌てて距離を取ろうとする凛を、見逃すキャスターでも無かった。凛は不可視の力場に拘束された。形勢逆転である。悔しそうな凛をあざ笑っていた。
「魔眼持ちの坊やを忘れるなんて、お馬鹿だこと。あの子も魔術師でしょう? この私が体術を警戒しないないとでも思った?」
こんな簡単な事を見落としたのかと、凛は自分を罵った。
「それとも、忘れたかったのかしら? 坊やはお嬢ちゃんから離れたでしょうからね」
「な、」
どうしてそれを知っているのか、何故その言葉がこれ程辛いのか、それは心の傷だった。
「気づいていないみたいだけれど、ここは私の神殿。私の生み出す幻術に耐えられはしないわ。心に傷があるなら尚更。そのまま夢の中で終わらない呵責に苛まれなさい」
凛はキャスターに囚われた。
◆◆◆
人間は個性を持っている。自分がこうだから貴方もそうだ、と人は思いがちだが実際は異なる。同じ人間の姿を持っていてもその中身は異なる。客観的に、同じ条件、同じ環境に置いても、人間の反応が異なる事はその一例だ。
同じ教育環境に与えても成績という名の成果は異なる。同じ映画を見せても、詰まらない、楽しい、感想は異なる。誰かに対し、共感できる人間と出来ない人間が居る。ある誰かにとっては大事な事だが、他の誰かにとってはくだらない事だ、趣味など良い例だろう。これらは元来生まれ持った性質や成長の仕方で変わってくる。違う人間である以上、当然の現象だ。
凛には一つの心のしこりがあった。それは1stバーサーカ戦の事。仮に凛が士郎の立場であったら、彼女は真也を許しただろうか。
この考えを抱いたとき彼女は一蹴した。個人の価値観が異なるのは当然だ、ただそれでは組織活動ができないから、共通の認識、つまりルールを設けて、限定的に自我を抑え、それに追従する必要がある。独善的である魔術師とて、一般社会と隔絶しない限りそのルールに従うより他はない。つまりは秘匿。
イリヤスフィールを選んだ士郎の行動は、凛から見てその共通の認識から外れていた。真也を妨害した事は、士郎自身の不利益、最悪絶命に繋がる事すらあった。そうまでして義姉を守ろうとした理由は何だ。
簡単である。凛と真也にとってイリヤスフィールは赤の他人だが、士郎にとってはそうではなかった、単純な話だ。義姉と士郎の関係が薄かろうと、それは凛と真也の基準でしかない。それがおかしいなどと言う権利など無いのである。仮に士郎があの場で義姉に殺害されても、凛にその責が無いのと同様だ。凛には関係が無い。そういう関係だった。
キャスターは術を用いてそれにつけ込んだ。士郎を凛に、イリヤスフィールを時臣に置き換え見せ付けた。
幼い頃に死別し、写真や母の寝物語程度にしか知らない父である時臣を救う為に、真也を殺害したとしても誰にも文句は言われないのである。正しい筈だ。間違いなど無い。時臣は身内であり、真也は既に赤の他人である。それどころか嫌っても問題は無い人物だ。出会い暫く経ったころ気になるようになり、心にもない告白をされ浮き足立った。告白が虚偽だった事などどうでも良くなる程に恋い焦がれ、一方的に別れを告げられた。誰もが気にするな、当然の選択だと言うだろう。それでも彼女は受け入れられなかった。
“真也が凛と時臣の関係を知っていたら”
彼の骸に縋る彼女が溢す涙は後悔以外の何物でも無い。
凛たちは知り合う事を前提とした共闘を結ぶべきだったのである。味方とは、互いに知っていなくては成り立たない。利害であり性格であり背後関係という意味だ。それが無い集団を烏合の衆という。平和な会社と会社員の関係であれば問題も無かろうが、命を掛けた状況下では些細な事が致命的になり得る。真也はなし崩しの関係だと言ったが、正しく適当だろう。彼らは腹を割って話し合うべきだった、だからキャスターにつけ込まれた。或いは。思惑と隠し事、それらを前提とするならば今に至る状況は当然の帰結だと受け入れるのみだ。
◆◆◆
凛がキャスターに捕われた事に気がついた士郎は、キャスターに干将・莫耶を投擲した。本音を言えば身内であるセイバーを助けに行きたかったが、キャスターの支援魔術を受けた宗一郎相手では足手まとい以外の何物でも無い。二振りで一振りの夫婦剣は命中し、彼女の背中に突き刺さった。
「あぁ!」
キャスターの悲鳴に気を取られた宗一郎は、怒濤のように飛来してきた矢によって串刺しになった。宗一郎は無数の矢によって塗りつぶされた。アーチャーであった。彼は正門の柱に背中を預け、弓を構えていた。
「宗一郎様!」
士郎は再投影。主であった骸に駆け寄るキャスターに士郎は斬り付けた。そして、踏み込んだセイバーに背中から斬り付けられた。紫のローブは、風に舞う旗のように揺らめくと消え去った。あっけなさ過ぎるキャスターの最後に眉を寄せたのはアーチャーだ。
(仕留めた、か?)
境内からキャスターの施した結界が消え、圧迫感が無くなった。いずれにせよ戦闘は終わりだ。士郎の呼吸は境内を埋め尽くしてしまう程に荒かった。石畳の上で大の字に寝転がる士郎にセイバーは歩み寄った。彼女は両膝を石畳に突いて士郎の額に左手を添えた。
「良くやりました、シロウ。私にとっても誇らしい」
「問題は山積みだけどな」
「確かにそうです。ですが今日のところは引き上げましょう。勝利を祝うのも戦の内です」
セイバーは士郎の手を取り引き起こした。セイバーが舞弥を背負うと、士郎はアーチャーにこう聞いた。
「アーチャー、お前どうする? セイバーもアーチャーもダメージを負ってる。俺の家に来るのが良いと思うけれど」
気を失っている腕の中の凛を見ると、彼は仕方が無いと同意した。葵が気になるがマスターもサーヴァントも居ない遠坂邸が襲われる可能性は低いからだ。バーサーカーは真っ直ぐに真也を狙うであろうし、ランサーは人質を取るぐらいなら死を選ぶ、そう考えたからだった。彼は凛の流す涙をそっと拭いた。
つづく!