冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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29 聖杯戦争・16

凛が目を覚ました時に最初に見た物は見覚えの無い天井だった。鉛のように重い身体に活を入れ身を起こせばやはり見知らぬ部屋である。アーチャーに問いかければ衛宮邸の離れだという。その部屋にあっては違和感を感じる鞄を見て、桜が使っていた部屋だと察しを付けた。趣味が悪いという訳ではなく、自分の部屋に置かれた友人の鞄、そういう類いの違和感だ。身体に魔力を走らせればおかしいところは見当たらない。立ち上がり身繕いすれば服に皺が付いている。脱がされるよりはマシかと諦めた。

 

部屋を出て母屋の居間に及べば士郎が立っていた。エプロン姿で朝食の準備をしているその姿は紛れもなく主夫である。桜が居なくなったので自然彼が食事の当番だ。互いが互いに気がつくと朝の挨拶を交わした。

 

「遠坂、もう良いのか」

「だから、起きてるの……」

 

初めて見る凛の寝起きに彼は少し引いた。もちろん良い意味では無い。

 

「気分は、聞くまでもなく悪そうだ」

「最悪よ」

「コーヒー飲むか?」

「紅茶ある?」

「すこし待ってくれ」

 

ちゃぶ台に向かってぺたりと座り、ぼうとTVを見ていると、いつの間にか目の前に紅茶があった。士郎が置いたのだが彼女はそれに気づかなかった。彼は朝食を配膳しつつ凛に問いかけた。

 

「遠坂、朝食だけれど、」

「要らない。食べない主義なの」

「そっか。ならセイバー呼んでこないとな」

 

セイバーが瞑想して居るであろう道場へ向かおうと、士郎がエプロンを取り纏めていた時である。思い出した彼女はこう聞いた。それには嫉妬も混じっていた。

 

「投影魔術なんて驚いた。衛宮君って何者?」

「実は俺も良く分からない。事実なのは使えるって事だけだ」

「儀式ではなく戦闘に耐えうる投影だなんて、聞いた事ないわ」

「アーチャーに教わった。同系らしい」

「……そう」

 

まさか、と思ったが凛は考えるのを止めた。怠い、とにかく億劫だ。彼女は朝に弱い方だったがそれでもこの脱力感は異常だ。キャスターの幻術を受けたせいだろう、そう考えたとき、殺してしまった彼の姿を思い浮かべた。胸が詰まるように苦しくなった。我ながら重傷だ。こんな事では先が思いやられる。一刻も早く忘れるべきだ。そう何度も念じた。だが一つの疑念が宿る。何故キャスターは別れた事を知っていたのか、振ったのではなく振られた事まで知っていたのである。

 

「遠坂」

 

物思いに耽っていた彼女は士郎の声で我に返った。彼はちゃぶ台の向かいに腰掛け凛を見据えていた。居間には食事の匂いが漂う。なんと言う事だろう。凛は士郎たちの朝食に気づかない程に没頭していたのだった。見れば居間に二人っきりだ。士郎に配慮しセイバーも舞弥も席を外していた。彼の決意は露知らず凛は気怠そうに答えた。

 

「なに?」

「遠坂に伝えたい事が二つある。聞いてくれるか」

「良いけれど、その前に紅茶のお替わりいい?」

 

腰を折られたと愛想笑いするより他は無い士郎だった。こほんと一つ咳払い。士郎はこう切り出した。

 

「まず一つ目。舞弥さんとセイバーに親身にされて気づいた事がある。俺はずっと皆の為にある事と、特定の誰かの為にある事の違いに悩んでた」

「……」

 

凛は手に持つ紅茶の波紋をじっと見ていた。

 

「俺は問題をはき違えていた。皆の為にある事と特定の誰かの為にある事の違いは信頼。信頼は時間と比例するから、不特定多数の人とは作れないよな。俺はそれが分かってなかった。信頼してないって思われれば、そりゃ怒る。俺はあの時、1stバーサーカー戦の事だけれど、最低舞弥さんとセイバーに一言だけでも言うべきだった。そんな簡単な事だった。そうすれば遠坂と真也にも伝える事が出来た。たとえ失敗したとしてもその意味は大きく違う。そんな事も知らずに、一人で全て背負おうとして、だれも信頼せず、仲間仲間っていって恥ずかしい」

 

凛は沈黙したまま聞いていた。士郎は切嗣に一言詫びた。

 

「誰も彼も助けると言う事は、誰からも信頼されないって事だ。当然だろ? 普通の人には敵が居る。敵を助ければ味方だった人も敵になる。気がつけば敵しか居なくなる。負の連鎖だ。俺はそれで良いと本気で思っていた。だけれど、それが酷く寂しい人生だと感じた。遠坂、もう一度謝る。あの時は本当に済まなかった」

「正義の味方は、もう良いの?」

「もういい。俺は家族の為にある。そしてもう一つ」

 

彼は居住まいを正した。

 

「俺は遠坂だけの味方になりたかった。笑った顔も、怒った顔も、叱ってくれた時の声も、俺の名前を呼ぶ時の声も、不謹慎だけれど、遠坂と一緒に居られた事は夢を見ていたみたいだった。俺は遠坂の事が好きだった」

「過去形なんだ」

「俺は遠坂より身内の方が大事みたいだ。柳洞寺の参道を登る時、俺は舞弥さんとセイバーの事しか考えなかった。遠坂の事は完全に頭から消えてた。遠坂と信頼関係を結べればと思ったけれど、キャスターは倒した、アサシンも倒した、ライダーとは決別、ランサーも駄目、ならバーサーカーをどうやって倒す? 姉さんを殺すしか無い。でも俺はそれを受け入れられない」

 

「具体的に考えてるんでしょうね?」

「実はまだ纏まってない。ただ何とかして会おうと思う。危険かもしれないけれど、何度でも話し合いたい。セイバーと舞弥さんは理解してくれてるから」

 

凛は笑った。

 

「そうね。それに付き合う理由は私に無いわ。なら急ぎなさい。私が倒してしまう前にイリヤスフィールをどうにかしなさい。無謀だけれど愛情溢れる決断に免じて衛宮君を倒すのは最後にしてあげる」

「俺の自己満足に付き合ってくれてありがとう。もう思い残す事は無い」

「衛宮君は優しいのね。それだけ思われるセイバーたちが羨ましい。どこかの誰かは意地悪な事ばっかり言うの」

「もし泣かされたら、遠慮無く言ってくれ。俺が代わりにぶっ飛ばすから」

「法の不遡及って知ってる?」

 

穏やかだった士郎の表情が鋭くなる。もし真也がここに居れば直ぐにでも拳を振るっただろう。

 

「……あの野郎」

「良いのよ。もう帰るわね。少し疲れた」

 

士郎の見送りを受けて彼女は衛宮邸を後にした。

 

(信頼、か。桜のこと隠してたの間違いだったかしらね。母さんにも真也にも桜にも全員に話して会わせるべきだったかもしれない)

 

その朝は突き抜けた様な蒼い空であった。不思議な事に彼女の身体は少し軽かった。

 

 

◆◆◆

 

 

目を覚ました桜が最初に見た物は登ったばかりの太陽だった。カーテンの隙間からそれが見えた。はてなと考えた。見慣れている物なのに妙に懐かしい。そのカーテンも、身体を包む布団の感触も、感じるその場の空気も、匂いも、部屋の圧迫感も、全てが懐かしい物だった。

 

「……」

 

のそりと寝返りを打てば柔らかい白色と、暖色で彩色された部屋が一望できた。ここで漸く彼女は自分の部屋だと気がついた。どうしてここに居るのか、衛宮邸の離れに居たのでは無かったのか。陽炎のような記憶を思い出せば涙が溢れた。衝動に駆られたとはいえ反逆紛いの事をしでかしたのだ。もうあの家の敷を跨ぐ事は適うまい。

 

自分の家に帰ってきたと言う事はライダーが運んだのだろう。彼女はのそりとベッドから這い出た。部屋着に着替え、顔を洗い、髪を櫛で梳き、身繕いをし。冷蔵庫を覗けば朝食ぐらいはどうにかなりそうだった。この家を出てまだ一週間と経っていない、食料品の鮮度は落ちているが問題は無い。

 

エプロンを纏い髪を結った。少し髪が長くなったかもしれない、そんな事も考えた。それは冷蔵庫から、ほうれん草とベーコンそして卵を、取り出した時の事であった。

 

「おはようございます。サクラ」

 

彼女が振り返ればライダーが立っていた。

 

「おはようライダー。カーテン開けて貰って良い?」

 

彼女が開ければダイニングとキッチンに陽の光が差し込んだ。朝日を浴びて輝くライダーの髪は宝石のよう。

 

(そういえばアテナか誰かに嫉妬された髪だっけ……)

 

嫉妬を禁じ得ない桜であった。それはさておき彼女は言う。

 

「これから朝食作るけれど、ライダーも食べる?」

「コーヒーだけ頂きます」

「少し待っててね」

 

桜は少し意外だと思った。ライダーは今まで一切の飲食をしなかったからである。彼女と真也がこのテーブルで話し合いをした事など桜は知るよしも無い。ライダーが白いコーヒーカップを持つ貴重なワンショットを目に焼き付けると、桜はスクランブルエッグを作り出した。フライパンが音を立てる。それを見ていたライダーは首を傾げた。

 

「サクラ。二人分にしては少量では?」

「一人分だから。それともライダーも食べたくなった?」

 

実物を見て食欲が出るとはますます意外、ライダーの分を作ろうと桜は笑いながら冷蔵庫を開けた。

 

「いえ、シンヤの分ですが」

 

その手が止まった。ライダーの言葉を理解するのに暫く時間が掛かった。桜は全てを忘れて駆け出した。ライダーは黙ってコンロの火を消した。ダイニングキッチンを出た桜は階段を駆け上がり、脚を踏み外した。脛を段差の角に打ち付けたが気にせず登り続けた。スリッパは脚から脱げ落ち、階段の根元に散らばっていた。息を切らし、ノックも忘れ、その部屋を開けるとベッドに駆け寄った。兄が居た。

 

寝息を立てるその頬に触れてみる。柔らかく温かい。本物である。少しやつれ、顔色も悪いが、紛れもない兄だった。涙が幾筋も頬を走った。溢れた涙が、頬を伝わり、顎からぽたりぽたりと滴った。嗚咽を抑えるのがやっとだ。

 

「私、帰ってきたんだ……」

 

それは桜がと言う意味であり、兄がと言う意味も持った。転じて日常を意味した。桜は堪えきれず縋り付いた。その手は毛布を破りかねない程に掴んでいた。ライダーはリビングでコーヒーを静かに楽しむのみである。

 

 

◆◆◆

 

 

真也が目を覚ましたのはそれから30分後だ。何故ベッドで寝ているのか、不可思議に思いながら身を起こすと胸が痛んだ。もちろん比喩では無い。心臓を左手で押さえ、暫く蹲っていると幾らか楽になった。相対的な意味であり、痛み自体は収まっていない。

 

着替えもせず部屋を出て階段を降りた。扉を開けるとそこはリビングである。テーブルにはライダーと桜が向かっていた。二人は朝食を取っていた。

 

「おはようございます。兄さん」

「おはようございます。シンヤ」

「おはよ」

「兄さん。朝食どうしますか?」

「スープだけで良い」

「少し待って下さいね」

 

彼はライダーの隣りに腰掛けた。そこは彼の指定席である。母である千歳の席にライダーが座っているのは何とも奇妙な感じだ、彼はそう思った。手元にあるのはマグカップ型のスープカップで、コーンポタージュが収まっていた。そこから生える銀色のスプーンを手に持って意味も無く掻き混ぜた。飲んだ。美味しかった。慣れ親しんだ味である。彼はこう言った。

 

「なんで?」

「先輩に追い出されちゃいました」

 

真也の意図は“士郎の家に居るはずの桜がどうしてここに居る”という意味である。あっけらかんと答えた妹に違和感を感じた。次の問いかけには、追い出された事は大事ではないか、なぜあっさりと答えるのか、という意味があった。

 

「なんで?」

「その、ついかっとなって先輩を襲っちゃって……どうしよう」

 

桜自身は深刻に考えていたが、真也にはとてもそうは見えなかった。強いて言うなら皿を割ってしまった、その程度に見えた。彼の身体は傾いていた。

 

「なんで?」

「兄さんを斬ったのセイバーさんだって、知ったから」

 

彼はすっかり忘れていた。彼の身体はもっと傾いた。

 

「それには俺も荷担している。俺も謝るから士郎の所に戻るぞ」

「もう良いの」

「なにが?」

「聖杯はもう要らない」

 

更に傾いた。

 

「士郎の事はどうするんだ」

「もう良いの」

「……士郎の事を諦めた?」

「うん」

 

沈黙が訪れた。彼の身体は45度以上傾いていた。

 

「はうっ!」

 

卒倒した。

 

「兄さん!」

 

倒れたマスターの兄を見て“倒れたくもなるでしょう”ライダーはそんな事を考えながらコーヒーを飲んでいた。

 

 

◆◆◆

 

 

どうしたら良いのか分からないが、とにかく現状把握だ、そう考えた彼は士郎に電話した。キャスター戦の顛末である。全員無事だと知り溜飲が下がった。

 

『なんとか終わった』

「そう。キャスターは倒したか。桜が迷惑を掛けた。済まなかった」

『どういう風の吹き回しだよ。真也が謝るなんてさ』

「色々あったから」

『いや良い。黙ってた事に同意した俺も共犯だ。悪かった』

「桜はまだ動転してると思う。ほとぼりが冷めればまたよろしく頼む」

『いや、もう来ない方が良い』

「士郎」

『多分、桜は真也の側に居ないとダメだ。そんな気がする』

 

士郎を襲った時の狂気じみた桜を思い出したのだった。

 

「……分かった。学校では今まで通り接してくれると嬉しい」

『お安いご用だ。そんな事より真也。お前、一人でやったんだって?』

「キャスターの事か」

『経験上語るけれど、信頼しないと信頼して貰えないぞ』

 

真也はライダーの事を思いだした。

 

「言いたい事は理解できる」

『多分、お前の理解は足りてない。気をつけろ。お前そんな事じゃ全部無くしかねないぞ。最悪一人になる』

「敵の忠告は随分重いな」

『それと。遠坂泣かしたら覚悟しとけ』

 

そんな事はもうあり得ない、と返す前に電話が切れた。心臓が痛んだ。兎にも角にも桜に話を聞かねば身の振り方も決められない。真也はソファーに腰掛けた。そして硝子製のローテーブルを挟んで、やはり同じように腰掛ける妹を見据えた。

 

「説明してくれ桜。どうして聖杯が欲しいなんて思った。何故今諦めた。どうしてあの時諦められず今諦める事が出来た。桜に全ての責任が在るとは思わない。負わせるつもりもない。ただ、多くの人に迷惑を掛けてしまった。謝りに行かなくちゃいけないけど、それには桜の説明が必要なんだ」

 

真也のその発言にライダーは滅法驚いた。ライダーが桜の夢で見た真也像を語れば、妹を甘やかす、言ってしまえば駄目兄だった。そう、真也は桜に説教をしていたのだった。

 

黒革のソファーに腰掛ける桜は揃えた膝に両手を置いて姿勢正しく座っていた。その視線は臆する事なく真っ直ぐに兄を見据えていた。覚悟を決めた証である。

 

「その前に聞きたい事があります」

「なに」

「美綴先輩はどうしましたか」

「何で綾子が出てくる」

 

「答えて下さい兄さん。とても大切な事です」

「……告白されたけれど断った」

「遠坂先輩は?」

「少し付き合ったけれど別れた」

 

「私の為ですか?」

「理由は色々だ。言っておくけれど、桜の為だなんて思わないでくれ」

 

半分嘘である。彼は桜を見捨てられず戻ったが、凛を傷つけたくないのも理由だった。

 

「あくまで俺の都合だ」

「私悪い子なんです。美綴先輩が兄さん好意を寄せてるって言った時、そんな無駄な事をって確信した。遠坂先輩にも同じ事を言った。兄さんは私を裏切らない、それに甘えてたんです。だから兄さんと遠坂先輩が付き合ってるって聞いた時ショックでした。けれど罰が当たったんだなって、そう思った」

 

彼は黙って聞いていた。

 

「私を拒絶するなら優しくなんかして欲しくない、ずっとそう想ってた。兄さんの優しさがずっと辛かったんです。だから私は先輩と聖杯に逃げた。でもういいの、私兄さんの側にずっと居ます」

「……俺は桜にとって兄以外に成るつもりは無い」

「それでも良いです」

「バカを言うな」

 

「バカじゃありません」

「あのな、女の人にとって結婚出産が全てだとは言わないけれど、幸せの普遍である事は間違いない。桜はそれを捨てるのか」

「もう一つあります。大切な人のお世話をする事です」

「ダメだ」

 

「嫌です」

「ダメだって言ったら駄目」

「イヤな物は嫌。大体私が誰かと結婚したら兄さんはどうするんですか。兄さんはご飯だって片付けだってできないじゃないですか」

「それは妹が気にする事じゃない」

 

「なら誰が気にするんですか」

「俺の事だ。桜には関係ない」

「兄さんの事です。言っておきますけれど、美綴先輩、遠坂先輩以上の人なんて現れませんよ」

「そうだろうな」

 

「そこまでされた以上、妹にも意地があります」

「訳が分からない。妹はいずれ兄の元を去るから妹って言うんだ」

「兄妹はどれだけ経っても兄妹です。ずっと変わりません」

「……桜」

 

「はい」

「我が儘もいい加減にしろ!」

「兄さんが悪い! 私がこうなったのも全部兄さんのせい!」

「何時から人のせいにするようになった!」

 

「兄さんと出会った時からです!」

「嘘をつけ! 何も言わなかったじゃ無いか!」

「兄さんが勝手にするから!」

「希望と違ってるなら違ってるって言え!」

 

「全部嬉しかったから言える訳無い!」

「どれだけ苦労したと思ってる!」

「だから、その恩返しをさせて!」

「桜が幸せになるのが恩返しなの!」

 

「勝手に決めないで! 私の幸せ私が決める! 妹は兄さんの人形じゃ無いの!」

「あぁもう! 兄妹はダメだって言ってるだろ! 何度言えば分かる!」

「分かりません! ぜーったい、分からないんだから!」

 

更に言い合う事数刻。息が切れていた。真也が幾ら睨もうとも、彼の妹は一歩も退かなかった。桜は窓の外を見てぽつりと呟いた。その視線は過去を見ていた。

 

「私気づいちゃったんです」

「なにが」

「兄さんと離れてどれだけ幸せだったか」

「それがどうしてこうなる」

 

「兄さん、安心してください。死ぬまで、ううん、お墓の中でも生まれ変わっても私がお世話します」

(……重い。我が妹ながら重い)

 

ライダーはこの兄にしてこの妹ありと考えたりした。とんでもない事を口走っているのにも関わらずとても幸せそうな顔である。戦況は芳しくない、と思いつつ彼は妹の説得を続けた。

 

「桜、俺は怒ってるの」

「はい、私を怒って下さい」

 

妹は身を乗り出した。嬉しそうな顔を見せていた。

 

「冗談じゃ無くて」

「はい、遠慮無く叱って下さい」

 

更に身を乗り出した。組んだ両手は顎元に、その姿は懇願するかのよう。だが妹は頬を染めていた。

 

「あの、な」

「兄さん、悪い私を罰して下さい。はやくっ」

 

どうにもならない。彼は妹の肩を掴んで、ソファーに押しやった。彼は諦めた。時が解決してくれるかもしれない、そんな期待を持ってこう告げた。

 

「言っておくけれど、お袋の説得が残ってるからな。俺は桜の味方なんてしないぞ」

「構いません。お母さんも説き伏せちゃうんだから」

 

溜息が出た。盛大な溜息だった。堪らず髪をかき上げた。暫定的とはいえ、それを認めるのは非常に憚られた。

 

「……お帰り桜」

「はい、ただいま戻りました」

 

二人を見ていたライダーはコーヒーを静かに啜っていた。その心中で狂喜乱舞していたライダーは真也が時折心臓を抑えている事に気がついた。

 

「……」

 

 

◆◆◆

 

 

身体が重い。それが真也の率直な意見だった。死にかけた事も数度あったが、これ程の脱力感は初めてだった。ソファーにもたれ掛かる彼の姿は、まるで病人、下手をすれば死人のようであった。それ程疲れ切っていた。苦悩を堪えんと、手を額に当てればその指の隙間からは台所でエプロンを揺らす妹の姿が見えた。

 

「桜の接し方間違った……」

 

その呟きは懺悔のようであった。彼の隣りに腰掛けていたライダーは言う。

 

「それは言い過ぎでしょう」

「桜の幸せを奪ったんだぞ、俺」

「サクラは幸せです」

「それは一般的じゃ無い」

「今更です。少なくともシンヤの接し方の結果が今のサクラなのですから。臆面無く言い合い、笑えればそれ以上求めるべきではありません」

 

ライダーの言葉は理解できる。だが受け入れられない。そう苦悩しながらぐったりしている真也にライダーは言う。

 

「シンヤ、一つ聞きたい事があります。なぜサクラの元に?」

「それをライダーが聞くのか」

「後悔を?」

「分かった。ライダーに隠し事は無しだ。どの選択をしても後悔はあった。俺は凛の事が好きだ。側に居たい。自分でも信じられない。でもそれは桜も同じだ。凛を選ぶと言う事は選べば桜を苦しませる事だ、そんな事出来ない、出来る訳が無い」

 

彼は凛と付き合っている事を聞いて、妹が倒れた事を言っていた。

 

「そして凛を選べば俺は彼女を危険に晒す。だけど……どれだけ考えても答えなんて出なかった。なら単純な計算の結果に頼るしか無かった。要因を積み上げメリットとデメリットを機械的に判断した」

「そうですか」

「そう俺は男としてじゃなく兄として戻った。許せないか?」

「シンヤは運が悪いですね」

「最近そんな気がしてきた」

 

桜は妹で良い、そう決めた事を知らないのだった。暫くぼうっとしていると目の前に桜が居た。彼女は笑っていたが米神に血管を浮かび上がらせていた。訳が分からないと真也は眉を寄せた。

 

「まだ話があるのか」

「思い出しました。バーサーカーの件でお説教します。そこに座って下さい」

 

彼女が指さしたのは床の上。彼は正座で桜の説教を2時間受ける事になった。そして夜。またしても二人は言い合いをしていた。真也はこの妹をどうしてくれようかと考えていた。桜はどうしてこの兄は意固地なのかと考えていた。兄の部屋の出入り口で押し問答である。パジャマ姿の妹は枕を持って押しかけていた。

 

「一緒に寝て、」

「駄目です」

「何もしないから、」

「駄目です」

「この間まで時々、」

「もうこの間じゃありません。だからダメです」

 

暫く離れていたのだからそれ位と妹は潤んだ瞳を見せた。つまりは泣き落としである。聖杯戦争前ならば確実に折れたのであるが。

 

「桜はもう年頃なんだからそんな事ダメです。お休み桜」

 

兄は斬り捨てた。残酷なまでに無慈悲な音を立てて扉は閉じた。トボトボと部屋に戻っていった妹は敗残兵のよう。彼は部屋の電気を消しライダーの前を通り過ぎた。照明の落とされた部屋は窓から漏れ入る街灯と月明かりのみである。薄暗い部屋のに浮かび上がる彼女は孔雀サボテンの花に見えた。それは夜に向かって咲いていくのである。

 

「シンヤ」

「ライダーも女の人なんだから、早く出て行きなさい。夜に男の部屋だなんて、軽率だぞ」

 

ベッドに潜り込んだマスターの兄は実は別人ではないかとライダーは疑った。それ程信じられない発言だったのだ。“桜のサーヴァント以上は求めない”と彼が言い放ったのはつい先日である。それはさておき彼女には確認しなくてはならない事があった。

 

「シンヤ」

(無視無視)

「シンヤ」

(無視無視)

「シンヤ」

(無視無視)

 

真也は布団から手だけを出して振っていた。犬でも追い返す様である。

 

「服を脱ぎなさい」

「無視無視……は?」

 

彼女は掛け布団を引っぺがすと、真也に跨がった。状況に理解が追いつかず彼は呆けた。彼女はTシャツの裾に手を掛けた。もちろん脱がすつもりだ。そうはさせじと彼は抵抗した。

 

「わ、何するお前!」

「温和しくする事です。不用意な怪我をします」

「強姦魔かよ!」

 

彼女はシンヤの手首をそれぞれ掴むと押しつけた。

 

「ちょ、やめ、」

「安心しなさい。天井の染みを数えている間に終わりますから」

「その台詞サーヴァントの間で流行ってるのか!」

 

かって襲われたアーチャーにも同じ事を言われたのだった。

 

「いい加減にしないと、むぐ!」

 

彼は口を塞がれた。唇ではなく彼女の手の平だった。ライダーはとてつもない美人である。付け加えてスタイルも良い。そんな女性に迫られる事はとてつもない幸運だが、桜と凛に義理がある。どうにか逃げねばと考えていた彼はそれが勘違いだと悟った。

 

真也のTシャツを捲っていたライダーはその手を止めていた。真也の左胸にあるそれを凝視していた。彼女のその声は、微かに震えていた。信じたくないと告げていた。

 

「いつからです」

 

何の事だと自分の胸を見れば、鬱血したような痣があった。心臓の真上である。腑に落ちた。その痣は彼の魔術が彼自身を攻撃している証だった。

 

「多分、凛と別れた時から。違うか、凛を傷つけた時からだ」

「痛みますね? 今この瞬間でさえも」

 

彼は渋々頷いた。

 

「聖杯を狙いましょう」

「だめだ。戦う理由がない以上、桜に危険な真似はさせられない」

「死ぬまでその痛みを受けるつもりですか」

「これは俺の罰だ。償えるかは知らんけれどね」

 

凛を欺いた事を示していた。

 

「心臓はただの臓器ではありません」

「知ってる、霊的にも大きな意味を持つ器官だ。なにせ魂の収まり場所だからな」

「生命、記憶、意識、感情を司るそれに負担が続けば、最悪シンヤの存在自体を脅かすやも知れません」

「らしくなく遠回しな言い方だな。どれぐらい持つ?」

「……もって三ヶ月です」

「そう」

 

彼はこれは参ったと、ベッドに身を投げた。それまでに桜をどうにかしないといけないとは無茶も良いところである。

 

「聖杯は万能です。その可能性に掛けてみるべきです」

「俺が許さない限り再発するだろ」

「聞きなさいシンヤ。今のままでは私は消えるに消えられません。未練を残し亡霊になりかねない程です」

「そこまでしてくれなくても良い、とは言わない。ライダーの気遣いには涙が出そうだ。けれどダメだ」

 

「サクラを一人にする気ですか」

「今の状況を考えろ。仮にイリヤを狙ってバーサーカを倒したとする、もちろん、セイバーも倒したとしよう。だが凛がいる。彼女が勝ちを狙う以上、いずれ敵対する事になる。今の凛に俺を配慮する理由はない、それどころか嫌悪して当然だ。そして。俺は凛に刃を向ける術を持たない。他に質問はあるか?」

 

ライダーは呻いた。何故こうなるのか、憤りの余り誰かを呪ってしまいそうだった。桜はただ助けを求めただけだ、真也はそれを助けただけ、その方法に問題があったとしても、応報がこれでは割に合わない。誰も死んではいないのに、彼一人死に向かっている。

 

何より呪ましいのは打つ手がない事だ。桜に話せば彼女は決死の思いで戦いに赴くだろう。だが凛と桜が争う事態など真也にとって毒酒を飲む事に等しい。時間的猶予を更に縮めかねない。だが兄を失った桜がどうなるか予想も付かない。袋小路だ。聖杯を求める事すら出来ないとは冗談にしても質が悪すぎる。

 

無力さを呪いかねない程に悔やむライダーに彼はこう告げた。それは彼にとって出来うる最大の配慮だった。

 

「桜は明日から学校に行く。無駄に授業は遅らせられないからな。桜が帰ったら3人で出かけよう」

「……シンヤ、せめて良い夢を」

 

彼女は身を翻した。美しい髪が靡く様は泣いている様に見えた。

 

「ライダーもな」

「無茶を言わないで下さい」

 

 

 

 

 

つづく!




次話で第一部完! になります。多分短めです。



【禁断の座談会の様な裏話】
Q:俺って遠坂の事好きだったはずだろ
A:だってあそこまでイリヤに執着した以上、無理じゃん。凛は未だ勝利を狙ってるし。
Q:今までの伏線は?
A:予定ではここで告白タイムだったんだけれど、土壇場(キャスター最終戦)で矛盾に気がついたの。
Q:なっとくいかねぇ! 桜も持ってかれたし!
A:妹であるなら性的な事は禁止、という設定に正したから妥協しなさい。本音を言えば俺だって士郎を投入してドロドロさせたかったんだよ。腹いせで付き合ってやるとかそういう意味で。
Q:もうドロドロ控えめ?
A:個人的に次話は怒濤の展開だと思ってる。プロットに矛盾があってイベント取り消しを祈る程。
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