冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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第二部
31 カイーナの環・1


その日は良く晴れた暖かな日だった。風も無く空に浮かぶ雲もする事が無いとのんびりしていた。衛宮邸は住宅街でも奥まった所にあるため人通りも少なく車も余り通らない。まるで時間が止まったかのような静けさだった。その静かな衛宮邸の居間で一人茶を啜るのはセイバーである。

 

(静かなものだ)

 

セイバーが居間から庭を見れば雀たちが戯れているのが見えた。跳んでは降り立ち、集っては離れ、囀っていた。暫くぼうと見ていると、唐突に“燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(いずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)”という格言を思い出した。どうして知っているのか、彼女は不思議に思ったが知っている事に不都合は無いと気にするのを止めた。

 

雀のような小さな鳥には鵠(くぐい)のような大きな鳥の志は理解できない、と言う意味である。出典を遡れば。中国の陳渉が、若いころ農耕に雇われていた時に、その大志を嘲笑した雇い主に贈った言葉だ。 だが“この格言はどちらがおかしいのだろう”彼女はそんな事を考えた。陳渉の立場で考えれば、志を理解できない雇い主を嘆いているのだろうが、価値観など人によって異なるのだ。一族を背負う雇い主に言わせれば、陳渉の言葉は地に足が付いていない若造の大言荘厳だと考えただろう。

 

男ならば一国一城の主を目指せ、とは言うがそれには相応の対価が必要だ。その対価とは人間性、人道性に他なるまい。大望を持ちそれを掴み取ろうとする事、それは今有るシステム(系)を崩し己の希望通りに再構築することに他ならない。人を気遣っていてはそのような事は不可能だ。如何に立派な思想だろうと、どうしても強いる、強いられてしまう人々が生じる。その人々は転じて敵になる。

 

脇目も振らない生き方、それは身内もお座なりにする事に他ならない。いつしか内も外も敵だらけとなろう。その先にある結末は、暗殺に処刑と、碌でもない終わり方である。かく言う彼女自身も、国を人々を守ろうという大志の果て、己の身内に刃を向けられ、その結果得られたものは死者の群れと絶望のみであった。

 

(血反吐を吐いて全てを捨てても手に届かない物がある。答えを求める事自体間違いなのかも知れない。理想の王か……今となっては虚しい言葉だ)

 

1stバーサーカー戦を思い起こせば、あの時士郎がイリヤスフィールの殺害を認めていたならば、彼は正義の為に身内を犠牲にしたと思うだろう。そうすれば舞弥が解きほぐしつつあった彼の特性を、彼自身が固めてしまう事は想像難くない。仮に聖杯戦争を生き残ったとしても碌でもない結末が待っている。彼女が己すら捨てて国に尽くそうとした事、彼が己すら捨てて正義に殉じようとした事、それは同じだ。彼女はそれを否定した士郎の選択にそれらを見いだしたのだった。

 

(選定のやり直し、この願いという答えを私は求めるべきだろうか。他の誰かが王となりやり直したところで結末は同じなのではないか。やり直した結果が望む結果だと誰が保証できる……)

 

セイバーが物思いに耽っていると、ガラリという玄関の開く音が響いた。家の周りを清掃していた主が戻ってきたに違いあるまい。時刻は午前11時。昼食の準備を始める時間だ。今日の昼食は何だろうか、それに思いを馳せていると目の前にイリヤスフィールが立っていた。紺藍色のコートにロシア帽。ルビーのような朱い瞳に、白銀の髪を流していた。脇に立つ、士郎は頬を掻いていた。どうやって説明するべきか迷っているようだった。セイバーは声が出ない。

 

「……は?」

 

士郎曰く。“掃除をしていたところ木陰に隠れていたイリヤを見つけたので招いた”との事である。セイバーに異論は無い。イリヤスフィール(以下イリヤ)との再会は彼女とて望んでいた事であるし、無いのだが。

 

「何故こうも突然なのですか。シロウ」

「いやだって、相談してたら姉さんがどこかに行っちゃいそうだったし……」

 

セイバーは仏頂面だ。手に持つ湯飲みの水面も彼女の心象に呼応して揺れていた。不満を隠さないセイバーの姿を見て、イリヤはその表情を陰らした。

 

「シロウ。やっぱりお邪魔みたいだから帰るよ」

「そんなことないって。セイバーは少し心配性なんだ」

 

誰のせいだ、彼女はその不平を飲み込んだ。

 

「主の招いた客人であれば、私に異存などありません……ようこそおいで下さいました。歓迎いたします」

 

居間に揃った女性陣、それは舞弥、セイバー、イリヤの3名なのだが、彼女らは無言で見つめ合い言葉を発しない。主である士郎の意向とは言えイリヤは敵マスターである。それも一因だが、二人にはそれが霞んでしまう程に複雑な事情があった。イリヤスフィールから見れば、セイバーは母と己を捨てた切嗣のサーヴァントであり、舞弥に至ってはその愛人だと疑われても致し方ない立ち位置だったからである。

 

彼女らを前にしてどうするべきか考えた士郎は、安直だがお茶と豪勢な茶請けを出した。羊羹を興味深そうに食べるイリヤを見て士郎はコホンと一つ咳払い。

 

「姉さん、改めて紹介するよ。セイバーと舞弥さんだ」

 

士郎の促しでセイバーは湯飲みをちゃぶ台に置いた。

 

「イリヤスフィール。覚えているかどうかは分かりませんが、」

「覚えてるよ」

「そうですか。壮健で何よりです」

 

続いて舞弥である。切れ長の瞳にイリヤが映っていた。

 

「久宇、舞弥です」

「誰?」

「切嗣の助手をしていました」

「どういう関係?」

 

舞弥は一瞬声を詰まらせた。イリヤはそれだけで察した。

 

「そう、キリツグは私とお母様を捨てて幸せに暮らしてたんだ」

 

彼女は怒る訳でも無くただ悲壮を見せた。舞弥が続ける。

 

「それは違います。切嗣は一瞬たりとも貴女を忘れた事はありませんでした。病魔に犯された身体を押してまで何度も助け出そうとした。結界に阻まれ叶いませんでしたが」

「聞いてくれ姉さん。前の聖杯戦争後のオヤジの事を伝えたい」

 

士郎は知る限りの事を嘘偽り無くイリヤに伝えた。切嗣が士郎を養子にした事。その5年後に原因不明の病で息を引き取った事。士郎が正義の味方を目指し、舞弥とセイバーによって救われた事。最後に彼は一つの願いを言葉にした。

 

「姉さんがどれだけ辛かったのか俺には想像できないし、過去の分は俺にはどうにもならない。だからこそオヤジが出来なかった事、心残りだった事を俺が替わって姉さんに償いたい。これからの姉さんの辛いことを俺にも背負わせてくれ。俺は、俺は姉さんと一緒に暮らしたい」

 

イリヤは驚いた顔を見せた。

 

「私たちはマスター同士なのよ」

「知ってる。でもそれを諦める理由にはしたくないんだ。柳洞寺の裏にオヤジの墓がある、一緒に会いにいかないか」

 

セイバーは意外だと思った。包み隠さず率直に伝える、という作戦は彼らの経験による判断であった。だがそれは士郎にとって都合の良い内容でしか無い。セイバーはイリヤが怒り出す可能性を憂慮していたのである。少なくともこれ程簡単に話が進むとは予想していなかった。切嗣への復讐を第一優先としていたイリヤだったが、更に優先される事項を得てしまったのである。人間は二つの事項に対し同時に怒ることは出来ないのだ。舞弥が一本のビデオテープを差し出した。

 

「これは切嗣からのメッセージです。見ては頂けませんか?」

 

イリヤはパンドラの箱でも見ているかのような目だ。セイバーは続けた。

 

「シロウはイリヤスフィールの事を最優先に考えています。最初に戦火を交えたあの時を思い出して下さい」

「あの後どうなった? 知り合いみたいだったけれど」

 

静寂に包まれた。皆が皆沈痛な面持ちである。

 

「え、えっと。へんなこと言った?」

 

突然変わった空気に怯えるイリヤであった。苦手な虫を見つけてしまったような姿である。

 

「拗れました」

 

とはセイバーで。

 

「拗れたわね」

 

舞弥だ。士郎は愛想笑いをするのみである。彼の思いを知ったイリヤは表情を和らげた。

 

「そう。シロウって優しいんだ」

「なら、」

「でも、ダメ。聖杯を持ち帰る為だけに10年間生きてきたの。今更変えられない。あの男の居場所を聞こうと思ったんだけれど、それは止めておくね。シロウに辛いことはさせたくないし」

 

イリヤは立ち上がり皆に背を向けた。

 

「姉さん。俺は諦めないから。何度でも言うから」

「ダメだと言っているのに、本当に困ったシロウ。でも良いわ。その想いに免じて何度でも聞いてあげる」

 

また会える、その確約を取れた彼は安堵した。直ぐに打ち解けられるとは彼も思っていなかったのである。

 

「何処に行けば会える?」

 

真也を倒すまでは来てはならないと一つ念を押して、彼女は城の位置を教えた。衛宮邸の門の前に立てば、徐々に小さくなるイリヤの後ろ姿が見えた。じっと見つめる士郎にセイバーはこう問いかけた。

 

「シロウ、実際にどうするつもりなのですか?」

「分からない。ただ一つ、バーサーカーが居る限り、姉さんがマスターで有る限り難しいって事だけは確実だ。でも今は説得を続けるしかない」

「シロウ。最悪私が、」

 

彼女のその発言には二つの理由があった。一つはイリヤと士郎が共にあるべき事に賛同している事。もう一つは己の聖杯への願いに自信が無くなりつつある事である。士郎は断腸の思いで申し出たセイバーの言葉を遮った。

 

「それはダメだ。そんな事をしたら俺は動けなくなる」

 

即答した士郎の言葉に安堵はするものの、彼女の沈痛さは消えない。

 

「初めて知りました」

「なにがだよ」

「身内同士で争うと言う事がこれ程辛いとは」

 

見えなくなったイリヤの後ろ姿を士郎はじっと追っていた。

 

 

◆◆◆

 

 

時を遡ること約半日。家を飛び出た真也は真夜中の冬木市を徘徊していた。もちろんバーサーカーを倒す為である。この状況で遭遇すれば倒すどころか返り討ちされる事は明白だが、もはやどうでも良かった。まずは住宅街だと徘徊した。商店街、学校、公園、墓地、空き地と回ったが収穫がない。新都も彷徨った。中央公園、臨海公園、工事現場、裏路地も同様に見つからなかった。

 

時計を見れば午前2時を回っていた。コンビニに入り缶コーヒーとからあげクンを購入した。公園のベンチに腰掛け、食べようとしたが喉に通らない。そこは凛の口に放り込んだ場所であった。それは何時の頃だったかと思うが良く思い出せない。彼はコーヒーのみを胃に押し込むとその場を後にした。からあげクンはそのまま廃棄した。

 

そこはビルの谷間である。人通りは無くネオンも無い。申し訳程度に街灯が立っている程度だ。このまま進めば黄泉に紛れ込んでしまうのではないか、そう思わせるに十分な程、暗く静かで薄気味悪かった。冷たい風が纏わり付く様は、黄泉に引き擦り込もうとする亡者かと思われた。

 

「……」

 

歩いていた彼は立ち止まると周囲の気配を探った。何時の頃からか誰かに見られている、彼はそう感じた。感覚では無い。直感である。現に彼の五感はなんの警告も発していない。遠くない、直ぐ近くだ。だが探りきれない。

 

(追跡しているが、殺意がない。実体が無いが存在する……幽鬼の類い?)

 

彼に心当たりは無かった。残りのサーヴァントはセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカーである。彼が察知できない程に気配を消し、さらに追跡できる英霊など存在しないのである。強いて言えばランサーかアサシンだがランサーにその理由は無く、アサシンは既に消滅している。

 

直感に従い、つまり何の根拠もなく裏路地から裏路地へ渡り歩けば、妙な場所に出くわした。薄暗いその道は晴れだというのに濡れていた。ピチャリと水たまりを踏んだ。鉄の匂いがする。目を凝らすと“中身の詰まった”スニーカーがあった。千切れたMA1ジャケットの袖にも中が詰まっていた。他に指やら目玉があった。水たまりとは血だまりである。そこには死体が転がっていた。彼はそれらが5人分だと察しを付けた。末端部分しかないのは食い散らかした後なのだろうとも考えた。だが妙だ。残った遺体の断面を見ると、裂けたのでもなく、砕けたのでもなく、千切られたのでも無い。炭のように黒色化し崩壊、つまりボロボロに成っていた。一体何がどんな方法で喰らったのか。極めつけが周辺域の魔力量である。それこそアイスクリームをスプーンで掬ったかの様にゴッソリと無くなっていた。

 

「……」

 

サーヴァントかそれとも他の何かか。いずれにせよ人間業ではなさそうだ。夜が明けたら綺礼に一報を入れる、そう決めると彼は立ち去った。明日のワイドショーは忙しいだろう、彼はそんな不謹慎な事も考えたが、何より不可解な事が一つあった。

 

(なぜ桜を連想した?)

 

会えない事が相当堪えているに違いない、彼は未練を振り切る様にそのまま闇夜に姿を消した。聞こえない声で“兄さん”と何度も繰り返す黒い帯の塊に彼が気がつくことは無かった。

 

 

◆◆◆

 

 

彼の一晩に渡る捜査は収穫無しである。昇ったばかりの太陽が、東の空を紅に染めていた。明けの明星も浮かんでいる。相応に美しいその光景は彼に何の情動も与えなかった。この精神状態で一句浮かべばそれはそれで異常だ。彼は苦笑しながら蒼月邸の門を開けると、足を止めた。

 

それは紫色であったが大部分を血黒色で汚していた。人型であったが末端、つまり手足が消えかかっていた。フードの影から覗くのは陶器の様な白い肌と血に濡れた唇である。玄関の前でキャスターが倒れ、蹲り、そして消えかかっていた。キャスターは逃走と欺瞞に秀でると聞く。士郎たちが討ち漏らしたのだと真也は判断した。

 

(逃げたは良いが、新しいマスターも見つけられず、どうにもならなかった、って事か)

 

士郎らを非難するつもりは全くなかった。キャスターは陣地内であれば魔法の真似事も可能だ。加えてあれ程のまやかしを使うのであれば、誤魔化されても無理もない。何の意図を持ち彼の家に来たのか、彼はそれを考えようとして止めた。偶然だろうと考えた。力尽きたところが偶々彼の家の前だっただけだ、彼はそう考えた。コートを翻し抜刀。

 

「次はない、俺は確かにそう伝えたぞ」

 

せめてこれ以上苦しまないように、と刃を首に突きつけた瞬間である。

 

「宗一郎様……」

 

亡くして尚求める人の声、彼の手は止まってしまった。

 

「……」

 

彼は葛藤したあとキャスターを抱きかかえ家に入り、ソファーに寝かした。士郎たちがキャスターを討伐し二日経っている。顕界も際だろう。彼はキャスターの右手を掴むと握り、彼女の手の平を自分の胸に宛がった。

 

「聞こえるか。死にたくなかったら死ぬ気で繋げ」

 

聞こえたのか聞こえなかったのか、それとも魔力の源を感じただけか。小人の囁きの如き、か細い声で呪文を唱えると、彼女、キャスターは真也とパスを繋いだ。彼の魔力が流れ込む。消えかかっていた身体が塗り直された。蒼白だった身体に血の気が戻るかのようだ。

 

隠れたローブの下にある開いた瞳には生気と意思が満ちていた。真也が立ち上がるのとキャスターが身を起こすのは同時だった。何も言わず背を向けた真也にキャスターは問いかけた。

 

「聞きたい事があるのでは無いのかしら?」

「貴女を助けたのは気まぐれだ。何も求めないし、求められても応じない。ただ、聖杯を求めるなら出て行くこと。それを望むなら余所に行ってくれ。そうでないなら好きにするといい。所詮キャスターの魔術で組んだ契約だ、そちらで破棄できるんだろ?」

「これは驚いたわ。随分と優しくなったこと。まるで別じ、」

「俺は夕方まで寝る。邪魔をしないなら、寛ごうとも入浴しようとも、どうでも良い」

 

取り合う気は無い、彼の態度に憮然とするキャスターだった。悪女願望がある事は既に露呈しているのである。

 

「手持ち無沙汰なら家の片付けと、できるなら夕飯もよろしく。お金はここ」

 

彼はそう言ってリビングから出て行った。彼女が己の居るリビングを見渡せば散らかっている事が見て取れた。テーブルの残骸が二つ。テーブルに載っていたであろう小皿や、リモコンが床に散らばっていた。

 

「これはまた随分と散らかしたもの……」

 

彼女は溜息を付くと片付け始めた。言われたからでは無い、単に散らかっているのが我慢ならなかっただけである。

 

 

◆◆◆

 

 

真也は令呪を持たない以上、直接契約するほかは無い。その為供給される魔力の大半を顕界に取られ殆ど魔術は使えない、そう思っていたキャスターの期待は良い意味で裏切られた。注がれる魔力量が尋常では無いのである。大魔術は不可能だが多少の無理は利きそうだ。彼女が真也の下に訪れたのは、追い込まれた上での賭だったのだが、彼女はご満悦である。

 

(まだ運命という神には見捨てられていない……それで十分だわ)

 

頼った、縋った、とは意地でも思わないキャスターであった。彼女は満足そうに右手を掲げると、呪文を唱え破損したテーブルを修復した。まるで時間が巻戻ったかの様である。散らかった物を片付ける為に魔術を使うのはポリシーに反すると手で整えた。床の埃が気になった。カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいるからだった。カーテンを開けると朝日が差し込んだ。縁側の向こうには相応に立派な庭があった。綺麗に割れて居る岩が視界に入ったが気にしなかった。

 

彼女は元主婦の感で掃除機を見つけるとおもむろに掛けだした。袖を捲り床の雑巾掛けをする。食器も洗った。リビングと異なり台所は整理整頓が行き届いていた。真也の管轄外だからである。冷蔵庫を開けると、食材は心許ない。日中であれば出かけるのも構わないだろう。なにせ残っているのは魔術師紛いの連中である。キャスターは千歳の服を借りると財布を手に商店街に向かって行った。これは作戦だと言い聞かせながら。

 

真也が眼を覚ましたのはその日の夕方である。多少の気怠さを感じながら身を起こせば、内包する魔力が随分と少ない事に気がついた。彼が髪をかき上げたのは、その理由を探っているからである。

 

「……」

 

一階からこの家にとって異分子である人の気配がする。ライダーは桜と同系だったのだな、彼はそんな事を考えた。キャスターを思い出した彼は着替えを持って浴室に向かった。火傷しそうな程に熱いシャワーを浴びてリビングに入るとそこは別世界だ。窓硝子に曇りは無く、フローリングは輝き、ソファーに抜けた髪は無い。どういう理屈かへし割った筈のテーブルも直っている。

 

「片付けろとは言ったけど、ここまでやられると勿体なくて使うのに躊躇しそうだな」

「あら、漸くお目覚め?」

 

振り返るとゼニスブルーの美しい髪が揺らいでいた。彼に見覚えの無い女性は、見覚えのある服を着ていた。ローライズのデニムに、鳥の子色のバタフライ・スリーブブラウス。彼の母である千歳はスポーティな恰好を好み、フェミニンな服を持たない。それを嘆いた桜がプレゼントした物だった、と彼は思い出した。その女性の年の頃は30前後、どこからどう見ても主婦だが、耳が尖っていた。

 

「ま、サーヴァントを一人顕現させる程の魔力を消費して、普通に動けるだけでも大した物だけれど」

「……」

「申し訳ないとは思ったけれど服を借りたわ。貴方の母親は少し淑やかさに欠ける様ね、地味というかシックというか、無骨な衣服の多いこと」

「……」

「まだ髪が濡れてるわよ、ちゃんと拭いてきなさいな。せっかく綺麗にした床に滴ってしまうじゃない」

「……」

 

戦ったキャスターのイメージとその素顔が一致しない真也は呆けるしか無い。ポカンと魂が抜けたような彼を見て、キャスターもおかしいと眉を寄せた。

 

「なにか仰いなさいな。それとも契約の影響で話す事が出来ないのかしら」

「……誰?」

「本当に不愉快な坊やね……」

 

彼の目の前に出された料理は初めて見る物だった。オリーブオイルやハーブ、豆類をふんだんに使っていた。地中海料理だと察しを付けたが良く分からない。取りあえずメインディッシュと思われるラザニアの様な料理を口にした。珍妙な味である。

 

「なんていう料理?」

「ムサカと言うのだけれど、ギリシャ料理はご存じないかしら」

「んなもん初めてだよ」

「意外だわ。香辛料が揃っていたからてっきり」

 

「桜の趣味なんだ」

「そう言えば妹さんを見ないわね。まだ学校かしら。兄である坊やに随分と執着しているようだから、拗れる前に説明しておきたいのだけれど」

「居ないよ」

「居ない? それはどういう意味かしら。この家に戻った筈だけれど」

 

「俺らは義兄妹でね。本当の家族が見つかって、その人たちの元へ返した」

「そう」

 

随分と急な話だ、あの妹がそれを納得したのか、と幾つか疑問に思ったが彼女は言うのを止めた。

 

「ごちそうさま。美味しかったよ」

「綺麗に平らげてなんだけれど、一服盛られているとか思わなかった?」

「それは考えなかったな。次回から気をつける」

 

毒気を抜かれたキャスターを尻目に彼は二階に戻っていった。身体と装備を調えていれば日も暮れた。時刻は夜の10時。玄関でブーツを履いていると彼の後ろにキャスターが立っていた。

 

「留守番よろしく」

 

彼は顔も向けずそうキャスターに伝えた。

 

「一つ良いかしら」

「どうぞ」

「私が訪れた理由を聞かないのは何故? なぜ私を助けた?」

「気まぐれ」

 

「嘘を仰いな」

「貴女には魔力を供給してる。俺の意に沿わないなら何時出て行ってもいい。その後何しようと勝手だ。貴女にとって悪い話じゃ無いと思うけれど、何故そんな事を気にする」

「砂漠で渇いている旅人の前に水筒があったら?」

 

真也はブーツの紐を結ぶ指を一瞬止めた。

 

「……覚えているか分からないけれど、貴女は死の間際男の名前を呼んでいた。君は誰かが居ないと駄目な女性の様だ」

「……」

「葛木先生が好きだったんだろ? 愛してたんだろ? 失って辛い、でもどうにもならならなくて無我夢中で彷徨った。僅かな望みに縋り、些細な関係どころか、敵ですらある俺の所に来た。答えは言わなくて良い。俺がそう思った、それだけ。桜も誰かが居ないと駄目な娘だった」

 

「……」

「そんな折り貴女がまた現れた、それが理由」

「その娘の代わり、と言うこと」

「重ねている事は否定しない。繰り返し言うけれど嫌なら何時でも出て行くといい。止めもしないし干渉もしない」

 

真也は立ち上がり玄関のノブに手を掛けた。

 

「坊や。私にアーチャーの首を捧げなさいな。そうすれば仕えましょう」

 

彼女が求めたのは復讐である。宗一郎を仕留めたのはアーチャーなのだ。

 

「あのな、勘違いしてるけれどアーチャーと戦う理由は俺には無い。バーサーカーを倒すだけだ」

「そうだと良いのだけれど」

 

真也がランサーのマスターだ、凛にそう思われている事など彼は知るよしも無いのである。彼は皮肉めいたキャスターの態度に僅かばかり仕返しをしたくなった。居候のくせに厚かましい、という意味である。

 

「そうそう。とても言い難いんだけれど。貴女の料理は不味くも無いけれど美味しくも無い。暫くここに居るつもりなら何とかしてくれ」

「宗一郎様は美味しいと言ってくれたのだけれど……」

 

キャスターは米神を痙攣させていた。

 

「俺は葛木先生じゃない。てか、全部食べたんだ誠意は感じ取ってほしい」

「もうそのままバーサーカーの餌食になりなさいな。そうすれば私としてもスッキリするから」

「後ろから噛み付かれかねないから、もう行くよ」

「せいぜい気をつけなさいな坊や。私の時間と期待を無駄にしないことを祈るわ」

 

彼は堪えきれず笑い出した。キャスターは返答次第では攻撃してやろうと本気で考えた。

 

「何がおかしいのかしら」

「さっきから気になってるんだけど、その言い回し、初めて会った時の凛そっくりだよ」

「あの情動的なお嬢ちゃんが?」

「そう。それじゃ行って来ます」

 

そう言うと真也は扉を閉めた。桜が遠坂家に戻った理由について思案していたキャスターは、反射的に“行ってらっしゃい”と応えてしまい自己嫌悪に陥ったのはここだけの話である。

 

 

 

 

 

 

つづく!

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