先ほどまで壁だった石の塊、先ほどまで胸像だった青銅の塊、手すりだった木の破片。そこいらじゅうに散らばった、城のロビーを構成していた諸々のなれの果て。その中に佇むランサーは随分としんどそうだった。持ち慣れた真紅の槍ですら億劫そうだ。精悍な面は埃と汗に汚れ、額から血を流し、口元には吐いた血の痕が走り、疲労感と相まって酷い有様である。
だが、一仕事終えたという達成感がありありと浮かんでいた。真也も似た様なものである。全て一人でやってきた真也だったが、誰かと困難を乗り越える事も悪くない、と思ってすらいた。ランサーが初めから自分のサーヴァントだったなら、今の状況にも避けられたかもしれない……らしくなく、その様な意味の無い妄想すらしていた。
「お疲れ。流石のクー・フーリンも手こずったな」
「ぬかせ。楽勝にきまってるだろ」
「嘘つけ。土壇場で一発でかいの喰らったろ。冷や冷やしたぞあれ。最後でゲイボルクが出なかったらかなりやばかったからな」
ランサーが睨みを利かせていなければ真也が12の試練を殺した直後、彼はバーサーカーによって叩き潰されていただろう。
「は、あの程度でくたばるなら英霊なんぞやっちゃいねえよ」
「減らず口をたたけるなら心配ないな」
意味の無いくだらない事を言い合う二人の耳に。
「やだっ! バーサーカー! 死んじゃやだよう!」
イリヤの悲痛な声が届いた。見ればイリヤはバーサーカーの骸に縋り付いていた。再び立ち上がり、安心を与えて欲しいと嘆いていた。映画を編集し、そのシーンだけを取り出せば同情、憐憫、哀愁を誘う光景である。彼の瞳にはその姿がどこかの兄妹と重なった。心ここにあらずの様相で真也はしばらく見ていたが刀を手に足を踏み進めた。亡霊の声に誘われるかの様である。ランサーの声には咎めも、称賛も無い。
「やるのか?」
「これはけじめだ。俺は戦う前に投降しろと警告した。彼女は拒絶した。彼女は俺を殺すと言った。俺もまたそう言った。俺は命を賭け、彼女も賭けた。勝敗は決まった。負けたから掛け金を返せなんて通用しないさ。聖杯戦争に参加した生粋の魔術師である彼女なら尚更だ」
「あの坊主はどうする」
「士郎との勝負は俺の勝ちと言うことだよランサー。俺にはそれ以上の意味もそれ以下の意味も持たない。けど士郎はそう思わないだろうな」
足音に気がついたイリヤは、怯え堪らず後ずさった。真也のゆっくりとだが確実な歩みに、その身を恐怖で硬直させていた。イリヤが抜いた一本の髪は、風に巻き上げられる様に揺れると、宙で毛玉の様に絡まり一つの形を成した。それを例えれば、あやとりで織りなした鳥が近いだろう。カナリアかフィンチと言った可愛げのある姿のそれは、彼女が生み出した独立動作の使い魔である。生み出したのは8羽。高速で飛来するそれを真也は霊刀を振るい、殺した。
怯えるイリヤの次手は、ミサイルにも宇宙船にも見えるブレード型の使い魔だった。硝子細工の剣、表現としてはそれが適当だろうか。彼女の頭上に浮かぶその剣は4振り。レーザーの如き速度で撃ち出されたそれを真也は斬り付け、殺した。彼女の殺し方、狙い方があまりにも素直で読みやすい。
視界の片隅にある影が動いたかと思うと、二人の女が立ちふさがる様に現れた。白銀の髪、紅い瞳、イリヤに似た彼女たちは白を基調とした装束を纏っていた。メイドの様だが看護婦をイメージさせる仕立てである。一人は身の丈程あるハルバートを構え、もう一人は手刀を向けていた。その腕には魔術刻印が唸りを上げていた。イリヤの命で控えていた彼女らは主の危機を見逃せず飛び出したのだった。
ハルバートをもつ片方が襲い来る。己の体重より重いその武器を軽々と振り回すその様は死をもたらす扇風だ。彼はその一撃を斬り落とした。突如武器の重量が減り、バランスを崩したその女の腹部に柄を打ち込んだ。カウンターである。そして腹部に蹴りを入れ壁に叩き付けた。無力化した。
機械の様なタイミングで飛来する呪いの塊を斬り殺すと、一瞬でその懐に踏み込んだ。その女の鳩尾に拳をたたき込み、無力化した。今の真也の速度は、彼自身にもランサーから見ても遅いものであったが、それでいて尚、その二人は追従できなかった。一人は蹲り、一人は地に伏せ、呻いていた。真也はその二人に目もくれず、イリヤに向けて歩いた。
「安心してくれ、この二人は殺しちゃいない、俺の狙いは君だけだ」
真也の足音が嫌に耳に付く。まるでナイフで心臓を撫でられているかの様だ。もしくは頭蓋を直接小突かれている不快な感覚。彼女に歩み寄るのは絶対の死。その少女は怯え、足下の確認すらせず、背を向け駆け出すと、躓いた。その城のロビーは戦闘で瓦礫と化していた。それを確認する余裕すら無かった。
破壊され、荒れ果てた城のロビーである。生き残っている電灯は、数えるしかない。地を這うイリヤは、その城の影にまぶされていた。唯一の光は、死を意味する蒼く光る瞳だった。皮肉にも程がある。恐怖のあまり這う事も出来なくなった、バーサーカーのマスターを真也は見下ろした。身体が震え、歯も鳴りだした。
「消えて無くなるだけで痛みは無いから。怖ければ目を瞑っていると良い」
魔眼を持ってその幼い身体を見れば、全身を埋め尽くす程に走る、おびただしい数の魔術回路と、魔術処置が見て取れた。これほどの負荷ならば真也と同様に、彼女もまた長くは無いだろう。何らかの機能も持っているかもしれない。これらを殺せばどうなるか、彼はそんな事を考えたが、忘れる事にした。殺そうとするモノの寿命を考えてどうになる、と一蹴した。
イリヤは死の恐怖に怯えていたのではない。彼女はとうに死を受け入れていたからだ。その身は英霊たちの魂の受け皿としてのみ作られた。小聖杯として機能すればどの道人格はなくなる。なにより1年持たない身体だ。なのに何故、怯え震える。彼女を見下ろす絶対の死。この眼をもって彼女の全ては消えて無くなる。そう。一緒に暮らしたいと、精一杯の思いと共に告げた弟の記憶も消え失せる。復讐のみだった彼女が持った、ほんの僅かだが、確かな温かい気持ち。それが完全にこの世から消失する。それは如何ほどの恐怖か。
「こわい、怖いよ。シロウ、助けて……」
紅い瞳から涙が溢れた。真也が掲げた切っ先は恐怖に震える幼い声で止められた。
「勝手なことを。それは今更だろう。そう思うのであれば戦うべきではなかった。全てを放棄し、士郎の元に帰るべきだった。それができない仕方の無い事なら、これは当然の結末だ」
イリヤの死の点は何の因果か心臓だ。その点は相応に大きく、背後からでも突く事ができる。仰向けにさせる手間が省けるというモノだ。
「さよなら」
彼の死突は点を逸れ少女の脇にある床を突いていた。彼はおやと首を傾げた。疲れているから手元が狂ったのかもしれない。何せ相手はあのヘラクレスだ、こんな事もあるだろう。そう思い、もう一度突けばまた外した。二度もミスをするとはらしくない。足場が悪いのだろうか。そう思い床を確かめれば、気になる様な、歪みや不安定さはない。足を滑らせたのかもしれない。足場を確認し慎重に突けばまたまた外した。その切っ先はイリヤの目の前に落ちている。息を呑むかの様な怯えた声が響いた。妙だ、いくら何でもおかしい。外部の要因に違いない。イリヤが結界を張った、暗示を掛けられた、その他、魔術的な要因を確認したが異常は無い。その後も数度繰り返したが点を突けない。見えない力に、逸らされているかの様だ。
「もう点を突くのはやめだ。ならば、その首落とす」
振り下ろした刃は、紙一重で止まっていた。身体は正常だ。だから際で止める事が出来た。外部的要因ではなく、問題は彼の内にあった。真也はギリと柄を潰さんばかりに握りしめた。イリヤを殺せない、彼はその事実に気がついてしまった。
「ふざけるな!」
彼は渾身を持って霊刀を振りかざし、打ち下ろした。刃は止まっていた。
「この期に及んでなぜ殺せない! 一週間前だ! この幼い身体に刃を突きつけたのは、ほんの七日前だぞ! あの時は何の躊躇いも無かった! セイバーさえ邪魔しなければ真っ二つにできた! しかけた! なぜ今それができない!」
もう一度力任せに突いた。それは当然だと言わんばかりに、諦めろと言わんばかりに、床を穿っていた。何度も突いた。悉く外れ床を掘っていった。その様を例えれば針の穴に糸を通せない、不器用な裁縫師に他ならない。つまり。その存在に意味が無い、と言う事である。
「イリヤスフィール! 俺はお前を殺せない! この意味が分っているのか! 凛の敗北が確定してしまう! 凛が真実を知ってしまう! 何の為にこの場に立っていると! 何の為に這いつくばり、往生際悪く生きてきたと! 全てなくなる! 今度こそ全てが無くなる!」
見下ろす少女は怯えるだけだ。声すら出せず、涙を流し、身を繭の様に丸めるだけだ。カツンと最後の死突が止まった。
「お願いだ。殺させてくれ、たのむ、たのむから」
凛に別れを告げ、桜を見放し、全て無くなった。だから完全に戻った、その筈だ、彼はそう思った。それは誤りだ。凛と桜。この二人に挟まれた彼は、二人の利害に挟まれた。片方を立てれば片方が立たず。それは葛藤を生み、苦悩を生み出した。苦しみという概念を知れば、当然人も持っていると知る。そうすれば、今まで通り傷つけることなど出来るはずが無い。
(キャスターは殺す理由が無かっただけだ。殺そうと思えば殺す事が出来た。その有り様が桜に似ていたから、ただしなかっただけ。殺そうと思えば出来た、ただそうしなかっただけ、その筈だった……)
バーサーカーの止めを刺したのはランサーだ。作戦だと体の良い口実を付け、無意識にそう仕向けた。魔術師ならサーヴァントを殺す事など躊躇うはずがない。出来るはずだ。出来なくてはならない。ならば。
「それが出来ない俺は何だ」
心を得た彼は人を殺す事に躊躇いを持った。何かと理由を付けて、それを回避する様になった。追い打ちが、凛のサーヴァントを殺害してしまった事である。深い後悔と呵責はもうしたくないと彼に刷り込みをかけた。人はそれをトラウマと呼ぶだろう。人ですらない存在すら手を掛けられなくなった。
「そうか。俺は兄でもなくなって、誰かの特別にもなれず、魔術師でも無くなっていたのか。セイバーを討つ事もできないから、凛の脱落を無効にする、勝者の居ない聖杯戦争と言う結末も、泡と消えた。俺はランサーの背後に居るマスターを殺せない。そいつはきっと凛に暴露するだろう。俺は、何も出来ない。今度こそ完全に無くなった……俺はどうしたら良い」
膝を折り、座り込んだ。身体から力が抜けた。霊刀を杖にせねば上肢すら支えられなかった。バーサーカーの遺体が消え、それは近くに居るイリヤに回収された。その時だ。
「最悪の結末だ。これほど興の沸かぬ見世物も珍しい」
その声は、尊大な言い回しの割には軽い声だった。率直に言えば耳に障る軽薄な声。だがそれが、否が応にもよく心に響いた。否、鷲づかみにされたが表現として相応しい。強制的に強いている様である。突如、頭上から降り注いだ声にランサーが見上げれば男が立っていた。
階段の上、先ほどまでイリヤが立っていた場所に佇むのは、黒いライダースーツを纏う男だった。黄金の様なこんじきの髪とルビーの様な紅い瞳、その男は万物をひれ伏せようとする重厚な面を持っていた。その男、ギルガメッシュは階段の上に立ち、汚物でも見るかの様な眼差しで真也を見下ろしていた。ギルガメッシュは真也がイリヤを殺せないという綺礼の確信を持った断言に、落胆と僅かばかりの称賛を送っていた。もちろん落胆とは真也に対してであり、称賛は綺礼にだ。真也はそのまま俯いていた。
「雑種。貴様の相手を務めた者は、神の血を引くヘラクレスだ。身に余る栄誉をその様な薄汚い慟哭で穢すか」
「お前が何処の誰かは知らない。失せろ、今の俺は何をしでかすか判らない」
真也の双眸が蒼く光っていた。
「控えろ。我を仰いで良いと誰が許した。誰の許しを得て、我に口を開いている。気がついているのか、その不愉快な目が存在しうること自体、我への挑戦、王への冒涜だ。その罪、万死に値する。即刻、我の前より消え失せるが良い」
「そっちが現れて消えろとは随分と良い性格をしている。立ち去れば良いのか?」
「痴れ者が。我が失せろと言ったのだ。疾く自害するが礼であろう!」
王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)発動し、ギルガメッシュの背後に複数の宝具が顕われた。威嚇する様に立ち塞がるのはランサーである。
「なんでてめえがここに居る」
「芝居は終わりと言う事だ。退くが良いぞ、ランサー。貴様に命じられた使命はバーサーカー戦まで。それが終わった以上関わる理由はあるまい?」
「そうか、あの男はお前の仲間か」
「ただ同じ陣営に属する、いけ好かない、信用できない野郎だ。仲間なんかじゃねえよ」
さてどうする。ランサーが身の振りを考えていると綺礼より念話が入った。
『下がれランサー』
『取り込み中だ。後にしろ』
『下がれと言ったぞランサー。お前を使わしたのはバーサーカーに狙われたその被害者を助ける為だ。それが終わった。他に理由はない』
綺礼は真也を殺すつもりだと、ランサーは悟った。綺礼が持つ令呪は残り一つ。意に背く行動を取れば令呪による強制は自害だ。万が一真也殺害ならば、誇りにかけて綺礼を討つ。そう覚悟を決めたランサーはギルガメッシュに対して、槍を守備寄りに構えた。
「真也。ここからは商売抜きだ。僅かだが時間を稼ぐ。お前の脚ならどうにかなるだろ。全力で逃げな」
「なぁランサー、アイツは強いのか?」
「ああ。いけすかねえが、強さは折り紙付きだ……お前は何を考えた?」
「やるよ。ランサー、俺はやる」
彼はそう言うと、ふらりと立ち上がった。それを察したランサーの発言は手向けだと言わんばかりだ。
「もう敵になっちまったが。真也、お前は気に入っていた。その眼は使わない方が、都合が良いはずだ」
真也は黙って魔眼殺しを身に付けた。治癒、結界、身体強化を真也に刻んだ。彼の手にある霊刀には北欧神話の軍神ティールを意味するテイワズのルーンを刻んだ。何か言ってくるであろうと思っていた綺礼は何も言わない。ランサーの疑念はますます強くなる。
(直ぐ殺されては不都合がある、時間的な意味で何かを狙っているのか)
いずれにせよ、負傷したまま敵前に放り出す事など出来はしないのだ。真也は苦笑を禁じ得ない。
「もう敵だってのに、人が良いなお前は」
「見届けてやる、派手にやれ」
「ランサー、世話になった」
「礼なんざ言うんじゃねぇ」
「ばか言え、結構楽しかったぞ。誰かと組んで苦楽を分かち合うっていいもんだな。もっと早く気づけば良かった」
真也見上げる人物は、一挙手一投足すべて不遜な態度だった。意図的に行うならば返って疲れるだろう、真也はそんな事を考えた。見てみるが良い、一階の真也を見下ろすその男は、わざわざふんぞり返っている。
「意味なき者、価値なき者が我に刃向かうか」
「関係ないだろう。刃を持つ者に、刃を向けた。単純な話し。王がその理を知らないのか。それがいやなら宮殿に帰り、臣下に泣きつくと良い」
「ふ、愚鈍もここまでこじらせれば、興も募る、か。名乗れ雑種」
「蒼月真也」
「刻め、そして畏怖せよ。我はギルガメッシュ。この世の全てを統べる王なり」
「シュメールの王君とは、驚いた」
何故そのような人物が居るのか不思議に思ったが、直ぐに忘れた。それに意味は無い。
「跪くが良い。我を仰げば、道を見いだせるかもしれんぞ」
「断る。でなければこの場に立ってはいない」
真也は抜刀すると鞘を捨てた。腕を組み見下ろす不遜さは同じだが、その様を見たギルガメッシュは笑みを浮かべた。
「愚鈍も愚鈍なりに引き際を悟ったか。良かろう。その身と魂、せめて華々しく散らせてみるがいい。趣を興じれば、この愚挙なる舞台にも華が咲くというモノだ。我の刻を無駄にさせるなよ、雑種」
「悉く自分が中心か」
「たわけが、王道を征く者が雑種に配慮する道理などなかろう」
それは開戦の狼煙だった。真也は大地を蹴ると宣戦布告と言わんばかりに咆哮を上げた。
「同感だ!」
士郎たちが森に入ったのは真也たちより早かった。それでも尚、到着が遅れたのは森を走る真也たちが速すぎたのである。追いつくと良いと考えていたが姿も影も形も見えない。或いは先行しているのかもしれないと、抱いた淡い期待は藻屑と消えた。
城から離れた森の中ですら、戦闘による激しい音と地鳴りが届いていたからである。始まっている、そう思った彼らは急ぎ森を抜け、アインツベルンの城を視界に捕らえれば、聞こえていた音は剣戟ではなく、絨毯爆撃の様な激音だと気がついた。周囲を伺いつつ、城壁に取り付き、開いた穴から中を覗けば真也が見知らぬ相手と戦っていた。セイバーは目を剥き驚きを隠さない。何故ならギルガメッシュは先の聖杯戦争で争った相手だからだ。そもそもクラスは全て埋まっている。共に覗き込んだ士郎は、ギルガメッシュの宝物庫より撃ち出される宝具の数々を魅入られる様に解析していた。
(ダインスレフ、ハルペー、デュランダル、ヴァジュラ、カラドボルク、ゲイボルク……)
突如呆けた主にセイバーは彼の肩を揺する。
「シロウ?」
「いや。なんでもない。セイバー。侵入しよう。姉さんを探さないと」
「危険です。誰が敵か味方か判りません」
「金ぴかと真也のどちらかは味方って事か」
凛の発言に違和感を覚えるセイバーだったが、切迫した状況である。聞き流す事にした。
「その判断は早計です。あの金髪の男もイリヤスフィールを狙っているのかも知れません。劣勢の蒼月真也を黙ってみている以上、ランサーは彼の仲間の可能性があります」
士郎はセイバーの発言に違和を持った。
「セイバーはあの金髪を知っているのか?」
「ええ。ですがその説明をしている猶予はありません。これ程暴れているにも関わらず、姿を見せないならば、バーサーカーは倒されたとみるべきでしょう」
「ならイリヤスフィールは……」
死んだのか、凛は慌ててその発言を飲み込んだ。焦燥を堪えて士郎は強く食いしばった。セイバーが続けた。
「それは判らない。蒼月真也がイリヤスフィールを狙っていた以上、討ち倒したのならば戦闘を行う必要が無い。城内の有様を見れば相応に激しい戦闘だった筈です。消耗も激しいでしょうし連続戦闘は避けうる事が自然な判断だ。あの男の脚ならそれが可能しょうから」
「真也が敢えて戦う理由がある、目的は達せられていない、つまり姉さんはまだ生きているってことか」
「あくまで可能性です。とにかく迂闊に仕掛けられない。思惑と関係が見抜けない以上、踏み込んだ途端あの3人を敵に回す可能性がある。そうなれば目も当てられません。機を伺うべきです。私たちは裏手から入りイリヤスフィールを探す、その間に潰し合いをさせ消耗させましょう。勝敗が決した瞬間は気が抜けるものです。奇襲を掛けるのであれば、その時が最善です」
セイバーの発言を聞いた凛は独白するかの様に呟いた。
「真也が殺されるのは困る、ってのは都合が良すぎ?」
「それは何故です遠坂凛。あの男は貴女にとって敵だったはずです」
「聞かなくちゃいけない事が出来たのよ」
銃弾の様に撃ち出すギルガメッシュは圧倒的だ。士郎は決断を下した。
「セイバーと俺はここで待機。遠坂は裏手から入り込んでイリヤを探してくれ」
「遠坂凛、裏手まで案内します。シロウ、くれぐれも単独行動はしない様に」
士郎が同意したのを見ると、セイバーと凛は連れだって歩き始めた。凛は不可解さを隠さない。
「どうしてセイバーがこの城の間取りを知ってるのよ」
「私は前回の聖杯戦争で、アインツベルンのサーヴァントでした」
「じゃ、なに? セイバーは前の聖杯戦争で縁深き者と敵対していた訳?」
「はい」
「……今回の聖杯戦争ってぐちゃぐちゃね。頭がこんがらがってくる」
凛の先を行くセイバーの表情に余裕はなく、言いしれぬ不安に駆られていた。敵である人間が敵かどうか確証が無い、選択を誤ると取り返しが付かなくなる、彼女の直感がそう告げていた。
(敵は、誰だ。この戦場に居るのか……?)
◆◆◆
矢継ぎ早に繰り出される宝具“ゲートオブバビロン”の連続射撃により、ギルガメッシュと真也の戦闘は一方的な展開を見せていた。もちろん優勢なのはギルガメッシュだ。真也は逃げ回るのみである。床を蹴り、壁を走り、天井に着地する。ロビーを面で動き、躱せる物は躱す、躱せないモノは霊刀で受け止め滑らし凌ぐ。直撃こそ避けていたものの、その威力は驚異的で、一発でも食らえば真也は終わりだ。ランサーと同等の敏捷を誇る真也だったが、それらを全て掻い潜り踏み込むなど神業に近い。唯一の幸運は、ギルガメッシュが慢心している事だ。用心深く、制圧飽和射撃を受ければ、為す術もなく肉塊となろう。
“ダインスレフ”を霊刀で受け流したが空中である。当然踏ん張りが利かず、そのまま吹き飛ばされ壁に打ち付けられた。崩れ落ちた。2発目。迫る“ハルペー”を転がり躱す。3発目“デュランダル”を渾身を持って弾いた。態勢が乱れる。
焦燥が募る。切っ掛けが掴めない。これではいずれ消耗し、仕留められるだろう。回避に徹する真也の視界にあるモノが目に映った。城の正面扉を粉砕するギルガメッシュの一撃を回避したその際、左腕を掲げ、十字を切る様に二回打ち振るった。
指先が空気を切り裂き、真空の断層を作り出した。真空の刃“かまいたち”である。彼が唯一持つ飛び武器だ。二つの半月状のそれは大気を疾走した。一つはギルガメッシュの宝具に掻き消された、虫を轢いても気づかないダンプの様な力の差で蹂躙された。もう一つはあらぬ方に飛んでいき、ギルガメッシュが気にも止めないそれは、彼の頭上にあるシャンデリアを斬り落とした。落下するそれを粉砕しようと、ギルガメッシュが剣の群れを頭上に向けると、その瞬間を狙い真也が踏み込んだ。縮地。その速さで世界が歪む。
落下するそれに構うことなく打ち込んだ真也の一撃は、運悪く落下軌道を変えたシャンデリアに阻止された。二人は同時に跳躍した。ガシャンと、落下したシャンデリアは、けたたましいが軽薄な音を立てた。それを契機に二人の立ち位置はひっくり返った。真也が2階、ギルガメッシュが1階だ。その侮辱にギルガメッシュの怒りは最高点である。
「我を地に付かせるか! 我を見下ろすか! その罪、地獄で焼き尽くすが良い!」
「落ち着けよ英雄王。格下に噛み付かれる、そんな事だってある。それが嫌なら、もう少し慎重になるべきだ。視点を変え、多面的に物事を見ると良い」
真也には侮蔑も挑発もない。己の持つ全てをつぎ込み、ただギルガメッシュに挑む者として立っていた。その静かな佇まいにギルガメッシュの憤慨も自然収まった。
「くだらん、慢心せずして何が王だ。我の眼は玉座にのみ存在する。他者の視点など持つに値せん」
「確かにそうだ。他人の顔色をうかがう、せせこましい王様なんて俺だって御免被る。だが王よ。国を失いなお玉座にしがみつくのは無様だと思わないか」
「愚かとはほとほと罪だな。この世の全てが俺のモノ、つまりは我の国よ。よいか。草木の一片、石ころの一つ、財宝、人民、酒、悦楽、大地の恵み、雲の動き。現在、過去、未来、太古であろうと、彼方にある時の終焉だろうと、それは変わらぬ」
「そこまで言い切られると本当に清々しい。でも、だからこそ、この最後に陛下を選んだ」
「ふん。己の帳尻合わせに我を利用するか。どこまでも分を弁えぬ不遜な輩よ。よかろう。どれ程あがこうとも、手を伸ばそうとも、決して届かぬ極みがある事を、己の死を持って知るが良い」
ギルガメッシュの背後に、今までとは比べものにならない数の宝具が顕われた。
「散れ」
「参る」
ギルガメシュの放つ剣の群れが、真也の立っていた場所を文字通り、粉砕した。だが真也はただ逃げていたのでは無い。ギルガメッシュに意図的に破壊させ、この城を崩させていたのだ。その衝撃で天井と壁が崩落、ギルガメッシュに降り注ぐ。それは隙である。真也の手にある霊刀が閃光と咆哮を上げる。降り注ぐ瓦礫に構う事なく彼は踏み込んだ。その刃が目指すは英雄王の首。全身全霊を以て挑んだ真也の身体は、対神宝具“天の鎖(エルキドゥ)”に囚われていた。崩落が収まった頃、立っていたのはギルガメッシュである。宙に締め上げられる真也に、ギルガメッシュは当然の結末だと言わんばかりだ。
「我は技と策に興味が無い、それは何故だか分かるか。奸計は力を持たぬモノが縋る見るに堪えぬ無様な代物よ。全てをねじ伏せる、我にその様な矮小は存在せぬ」
鎖が首に食い込み腹に食い込み、手足はねじ上げられた。堪らず真也は絶叫を上げた。
「がぁぁぁ!」
「貴様の役目はここで終わった。潰えるが良い」
ギルガメッシュは一振りの剣を装填した。それで十分だ。直撃を喰らえば、ランサーの結界など一溜まりも無い。射出しようとした直前である。ギルガメッシュはある違和感に気がついた。それは天の鎖の手応え。この感触はまるで。
「天の鎖(エルキドゥ)のこの手応え……貴様、まさか」
流石のギルガメッシュも目を剥いた。
「……この会遇すら神の采配と言う事か、不愉快極まりない。だが。神の血を引く者を討つのは、神の血を引く者のみだ。どのようにしてこの地に生まれ落ちたのかは知らんが、雑種如きに貴様の骸を、肉片一つ、血の一滴すら晒すのは許される事では無い」
ギルガメッシュは士郎らに気づいていた。
「塵一つ残さず消滅する事が我の慈悲と知れ」
ギルガメッシュが背後の宝物庫から引き抜いたのは“乖離剣エア”である。それは細長の回転体をつなぎ合わせた様な、異形の武器、兵器だった。異方向に回転するそれは、空間の断層を生み出した。空間が巻き上げられ捻られる、それはまるで空間の渦潮だ。その威力は如何ほどのものか、城どころか天と地を振るわした。
「エヌマ、」
発動する瞬間のギルガメッシュを一連の鎖が襲った。崩壊し掛かった城のロビーに現れたのは黒衣の騎兵だ。ライダーは二人の戦いに手が出せず機会を伺っていたのである。彼女はエア発動の僅かな隙を狙った。タイミングが早すぎれば、ゲートオブバビロンを使われる、遅すぎれば当然終わりだ。ギルガメッシュは身を翻し、真也を見下ろす位置に降り立った。城内を切り裂く様に駆ける騎兵に怒りを隠さない。
「女如きが我の邪魔立てをするか!」
装填。雨の様に宝具を撃ち出した。ライダーは渾身を持って、城のロビーを立体的に駆け抜けた。一刀が真也の脇腹をかすめ吹き飛ばした。拘束を解かれた彼は、落下、微動だにしない。血の溜まりが広がる。真也の様を見たギルガメッシュは激昂した。雑種どもに晒さない、彼の思慮不意にされたからである。ライダーが隙を見てどうにか真也を連れ出そうとするが、ギルガメッシュは射撃の手を緩めない。機会が無い、宙に身を踊らせるライダーに焦燥が浮かぶ。早く手当てをしなくては真也が本当に死ぬ。
「ならばもろとも屠ってくれる! エヌマ・エリ、」
ギルガメッシュが掲げたエアを射出されたカリバーンが弾いた。それは士郎らの介入である。介入理由はライダーの登場、及び、エアへの警戒感だ。エアを発動されては壊滅だと士郎が感じ取ったのだった。士郎の視界の端を見れば、ロビーの隅で凛が手を振っていた。それはOKのジェスチャーである。イリヤの確保及び無事の意味だ。真也がイリヤを殺さなかった、それで十分だと、士郎は掛けだした。セイバーも主に続いた。隅で見ていたランサーが遅え、と言った。士郎は連続投影。展開しておいた設計図はそのまま維持している。
「投影開始(トレースオン)! 選定の剣(カリバーン)!」
聖剣を手にギルと真也の間に立ちふさがった。士郎に弾かれギルガメッシュの手を離れた乖離剣エアは転がり落ちた。それを見たギルガメッシュはこれ以上怒りようが無い程に怒りの形相を見えた。選んだ相手にのみ使うエアを二度も邪魔されたあげく地に落としたのだ。
「我に逆らう愚か者どもが! 身の程を知れ!」
王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を士郎に向けた。彼に並び立つのはセイバーである。降り注ぐ膨大な数の宝具を二人は凌いでいた。弾かれた宝具が、至る所に突き刺さっていった。士郎は“まるで剣の墓場だな”と他人事の様に考えていた。
「ライダー! 今のうちに真也を頼む!」
士郎の声に呼応するかの様に騎兵は真也の元に降り立った。彼を仰向けにすれば片腹を抉られていた。出血は当然、腑物すらはみ出していた。心臓が止まっていたが呼吸は辛うじて残っていた。真也のしぶとさに感心しながらも、ライダーは胸の谷間から霊薬を取り出し口うつしで飲ませた。抉られた脇は、肉を焼く様な音を立て、煮立てる鍋の様な湯気を出し再生されていった。残りは心肺機能の回復である。真也が魔眼殺しを付けていたのは幸いだ。ライダーは蘇生の術を施した。士郎の令呪が光を放つ。
「俺が凌ぐ! 斬り込め!」
かつて真也を倒した令呪を、今度は助ける為に使う。
「しかし、シロウ! 一人では凌ぎきれない!」
「この機は逃せない!」
士郎の手にあるカリバーンには亀裂が入っていた。あと数合で砕けるだろう。彼女もまた覚悟を決めた。
「セイ、」
それは士郎が令呪を行使する直前の事。“ぞわり”表現できない不可解な感覚が、その場に居た全員を襲った。誰も彼もがその存在感を無視できず、全員が手を止め目を剥いた。その視線の先に其処に黒い影があった。ギルガメッシュと士郎の間である。乖離剣エアの行使による魔力の奔流を追い、セイバー、ランサー、ライダー、ギルガメッシュ、4人のサーヴァントの魂を追い、真也の足取りを追い、顕われたそれは見てしまった。心臓が止まっている真也を見てしまった。
同時刻、遠坂邸。
ベッドで寝ていた桜が目を開くと、頭を抱え金切り声を上げた。その事実に耐えきれず、暴れベッドから落ちた。転んで頭を打った。額から血が流れ出しその肢体を染めた。地にひれ伏さんばかりに蹲るその様は“絶望”の権化だ。彼女は笑い始めた。
「あはは、死んじゃった。兄さんが死んじゃった。私を残して、死んじゃった」
夢などではない。夜な夜な町を徘徊して、言い寄る男達を、罪無き人々を喰い殺していたのは間違いなく彼女自身。
「なんだ、少しずつおかしくなってたんじゃ無いんだ。兄さん、わたし、とっくに壊れていたんです」
骸となった兄の姿が脳裏に焼き付いた。
“なんで、なんで私の周りにある世界はこんなにも私を嫌っているんだろう。ただ、母さんと兄さんと3人で暮らしたかった、それだけだった。これはそんなに無理な願いだったの?”
少女の意識はそこで終わった。いや、正確に言えば変わった。いままで押え付けていた無意識が表層に浮かび上がっただけの話し。額から流れた血が、瞳に伝わり、血の涙を流す。それは赤い入れ墨の様な文様に変わっていく。凛が見ていれば令呪だと言っただろう。髪は白くなり、まるで灰だ。瞳は赤く、血の様にどす黒く。全身を魔力で編んだ黒い帯が覆っていく。
“それすら許されないこんな世界なんて終わってしまえば良いのに”
その呪いを吐いたのは黒い少女だった。遠坂の屋敷全体を揺さぶる尋常ではない気配。駆けつけた葵が見た部屋はもぬけの殻だった。ただ観葉植物が黒色に変わり死んでいた。葵は間に合わなかったのだ、そう理解した。
◆◆◆
黒い影の頭が恐怖を感じる程に膨らんでいく。風船に水を入れ膨らます様に似ていたが、その内部で荒れ狂っているモノは膨大な魔力に他ならない。それを阻止する事はもうできない、その場に居た誰もが感じ取った。
「やべぇ! 全員散れぇ!」
ランサーの悲鳴に近い怒号が響いた。彼を通じ見ていた綺礼は、『成った』と笑みを浮かべた。セイバーが士郎を抱えて逃げた。ランサーはイリヤの傍に居た凛ごと抱えて逃げ出した。ライダーは真也である。時が止まった、その刹那。爆発的な魔力の衝撃が吹き荒れた。そのエネルギーは最高ランクF5竜巻に匹敵し、強固な城を崩壊させた。城から溢れた破片が空を切り裂く隕石の様に飛んでいった。
大気と大地の震えが収まった時、彼らが見た物は爆心地そのものである。大地は抉られ、盛り返っていた。木々は城を中心として根こそぎ倒れていた。城は3割ほど形を残していたが、見るに堪えない有様である。もう住む事は叶うまい。
魔術の知らせを感知したセイバーは瓦礫を撤去すると、地下に続く扉を開けた。其処に避難していたイリヤの従者である。彼女は二人を助け出した。爆心地跡を凛が追い求める様に歩けば彼は直ぐに見つかった。ライダーの心肺機能を再開させる術を受け、息を吹き返した。咳き込んでいた。脇腹の傷は不完全ではあるが、治癒し掛かっていた。これならば助かるだろう、ライダーはそう安堵した。そして。恐る恐る歩み寄る凛に気づいたライダーは真也を抱きかかえた。なにを、と呆然とする凛に対し。
「遠坂凛に触らせると思いましたか」
そう言い捨てると、彼を連れて森の中へ消えていった。
「……連れて行かないでよ。聞きたいことがあるんだから」
凛の足下に転がる霊刀がもう手遅れだと告げていた。
「運は無いが、女には恵まれてるな」
ランサーは、詰まらなさそうに、やるせなさそうに呟くと抱いていたイリヤを士郎に手渡した。状況が読めない士郎は戸惑うのみだ。
「ほら、もってけ」
「ランサー、どういう事だ。どうして真也は姉さんを見逃した。なんでランサーが姉さんを助ける」
「めんどくせえこと、ごちゃごちゃほざくんじゃねーよ。助かったならそれで良いだろ」
腕の中いる姉の姿を確認すると、士郎は安堵の息を付いた。気は失っていたが怪我はない。子供とは言えど相応の重さがあったが、士郎は返って安心した。命の重さという意味だ。ランサーはそれが面白くない。
「士郎っつったな。お前は真也を踏み台にして、姉を手に入れた。これだけは忘れるんじゃねぇぞ」
それはどういう意味だ、士郎の問を無視して彼は立ち去った。子供に当たるとは我ながら大人げない、そう自嘲した。
◆◆◆
蒼月の家には戻れない。凛に監視されているとみるべきだ。当然遠坂邸は論外である。アインツベルンの敷地内にある、朽ちた廃屋にたどり着いたライダーは真也を寝かせる場所を探せば、幸いにしてベッドのマットレスと毛布があった。彼を寝かせ、その額に手を乗せれば発熱があった。一時的にとはいえ死に、脇腹を吹き飛ばされたのだ。体力消耗も相応だろう。すきま風が走り、底冷えもする室内である。
ライダーは判断に迷った。桜から流れる魔力が激しく乱れた事が気に掛かる、桜が念話に応じない事に不安が募る。可能であれば凛が帰宅する前に、桜を連れ出し、この兄妹を連れてどこかに逃げたいが、桜も真也もこの調子ではそれも難しい。とにかく真也の回復を待つ事が専決だ、彼女はそう判断した。ライダーは彼の服を脱がせると、彼女自身も黒い装束を解き、腰掛け、彼を腕の中に招き寄せた。毛布と腕に包まれる彼はその身体を震わせていた。震えは発熱の為か。ライダーには悪夢に魘される子供に見えた。割れた窓から見える空は分厚い雲に覆われていた。日中だというのに薄暗い。まるで蓋をされたかの様だ、彼女はそんな事を思った。
「シンヤ、ここは冷えますね」
それから数刻。真也の容態が落ち着いてきた事を確認すると、食料を求めてライダーは外出した。容態が落ち着くとは意識が戻りやすい事でもある。しばらくすると彼は目を覚ました。身を起こすと全裸だと言う事に気がついた。怪我も出血もないが、酷く気怠い。左脇腹が突っ張っているが問題は無い。そもそもここは何処だ。どうして俺はここに居る。よく思い出せない。
部屋の隅に纏められているのは、彼が身につけていたSWAT風の礼装である。何時脱いだのだろう。俺は着ていたはずだが、覚えがない。不可解に思いながらそれを手に取れば、破損が激しい。とくにジャケットは酷い有様だ。左脇腹など大穴が開いている。これは困った。備品を壊したと知られれば、母に小言を言われる。だが休んではいられない。戦いに行かないと。壊れてしまったものは仕方が無いから、ジャケットは投棄だ。
一通り装着すれば、 黒いパンツに黒いブーツ、上半身はタートルネックの白い長袖シャツだ。上半身の防御に不安があるが仕方が無い。どの道、サーヴァント相手では在っても無い様なモノだ。彼は覚束ない足取りで歩き出した。幽鬼の方がまだまともだろう。
どうにも落ち着かない。妙に身体が軽い。その理由を探れば霊刀が無いことに気がついた。これは大変だ。あれが無いと戦えない。ところが小屋を見渡しても見つからない。何処へいった。こまった。武器が無ければ勝てない。勝てないならば負けてしまう。彼は現実に気がついた。バーサーカーは倒したが彼は負けた。負けて、全て無くなった事を思いだした。彼は駆けだした。
夜の森は非常に危険である。舗装されていない以上、歩くことも覚束ない。木の枝、岩、崖、危険物は事欠かない。危険生物も同じだ。昆虫、は虫類、ほ乳類。生きている人間を襲う生物など数えれば限りが無い。だから人は夜火を絶やさないのである。アインツベルンの森とはいえ日本だ。ハイエナなど居ないが、熊や野犬ぐらい居る。
彼には、自分が何処に向かっているのかも分からなかった。それでもお構いなしに歩き続けた。躓き、転びもした。野生生物の気配を感じるがどうでも良い。
(どうしてこうなったんだっけ?)
わき上がる負の感情、涙が流れた。
◆◆◆
答えが欲しかった訳ではない。ただ、幼い頃全てを捨ててしまったあの娘に安心して眠って欲しかった。ただ、欺してまでも信じてくれたあの優しい娘を傷つけたくなかった。ただ、陽の下を歩く明るいあの娘を巻き込みたくなかった。
願いはどうあれ、彼は一人でやっていくと望んだ。だからこれは当然の結末。それでも良かった。一人である事に疑いなど持たなかった。なにも感じない筈だった。今までそうだった。これからもその筈だった。だから役目が終われば死ぬことも出来た、その筈だった。凛と出会うまでは。すべき事が無くなった。出来る事が無くなった。今度こそ何も無くなった。
(なら帰らないと。帰る? 何処に?)
還る場所などもはや無い。ならば何処でも同じだ。とうとう気力が萎え彼は倒れた。お前の役目は終わった、そう誰かが言った。夜の森にいるのは彼一人だ。
(だれか、だれか、たすけて)
だが誰も居ない。一人で居るとはこう言うことだ。
(そっか。なら仕方が無い)
肉体が、精神が、魔術回路が、彼の全てが止まりかけていた。地を舐める彼の瞳には石ころが映っていた。もう数秒経たず彼はそれと同じになる。その映像が、揺らぎ、色褪せ、霞始めた。
“―――”
消失し掛かっていた彼にとって、その声は何だったのだろう。騎士に使命を与える王か、溺れる者に差し出された一本の藁か、ロボットに対し活動再開を指示するコマンドか。ただ一つ確かなことは、それは彼にとって存在する理由であった。つまり彼を必要とする遠坂の血である。
「兄さん」
心の奥深く、魂にすら刻まれたその声を聞いた真也の瞳に採光が戻った。這いつくばる彼が見上げれば一人の女が立っていた。女と言うには少し若い。10代後半だろう、或いは20代前半かもしれない。彼はその少女に見覚えが無かった。灰の様な白い髪、血の様な紅い瞳、全身から放つのは、怒り、憎悪、嫉妬、負の情念、それは呪いだ。そのような知り合いは居ない。
呪いを纏う少女など心当たりが無い。だが彼には誰か分かった。間違えるはずがない。如何に姿が変わろうとも誰も彼をも呪っていようと、それは彼にとって間違いなく桜だった。彼女は膝を突くと、その手を兄の頬に添え親指で撫でた。卵でも触るかの様な手つきだった。
「良かった、生きていてくれたんですね。兄さんの気配を感じた時、びっくりしちゃいました。わたし」
全てを呪うにしては随分と温和な声だった。
「英霊たちの魂が7人分必要なんですけれど、まだ二人分しか無くて、これから集めるところなの。でも怖い人達が沢山いて困ってたんです。本当はもう少し時間を掛ける筈だったんですけれど、兄さんが死んだって思ったら、つい表に出てきちゃった。だから、にいさんのせい。手伝ってくれますよね?」
妹の言っている事が分らない。だがそれ以上に重要な事があった。
「俺をまだ兄と呼ぶか、俺はお前を捨てたんだぞ」
「変な兄さん。私たちは兄妹なんですよ。引き離されても死んでも、それは変わらない。ねえ兄さん。兄さんの妹って概念が想像以上に強固で力がうまく使えないんです。ほら、わたし。兄さんを困らせる妹じゃ駄目だから。でも兄さんが来てくれるなら、わたしを認めてくれるなら何の問題もありません」
「力ってなんだ。桜、お前は何を考えてる」
「60億の人間(みんな)殺しちゃうの。この町の人達も、世界の人達も、みんな」
妹の言っている事が理解できない。少なくとも彼の知る彼女はそんな事は言わないはずだ。10年前出会ったばかりの彼女ならいざ知らず。ゲシュタルトが崩壊する。
「桜、それがお前の望みか。お前が、その狂気を望むのか」
「皆にそうであれと願われたから、そうするんです。変な兄さん。本当なら一緒に帰りたいんですけれど、まだうまく力が使えなくて。ごめんなさい、来て貰えますか?」
「……どこだ。何処に行けば桜に会える」
「柳洞寺の地下にある大空洞で待ってます。参道まで来て頂ければ、わたしが出迎えますから。そこで返事を聞かせて下さいね。わたしを拒否したら兄さんだって許さないんだから」
桜は影に飲まれる様に消えた。彼の妹は、全てを呪いながらも、彼を求め、微笑んだ。他人事のような言い方に違和感を覚えたが、どうでも良かった。思い出せ。幼い桜を思い出せ。怯え泣いていた桜を思い出せ。お前は幼い頃、ただ桜の為だけに在ると誓ったのだ。誓いとは破る事ができないから誓い。それを破ったお前には、身に余る幸運だ。そもそも。
“その望みが人道に背く破滅でも、トオサカが願った以上お前に抗う術は無い”
彼は火が入った炉心の様に、力強く立ち上がると夜の森を臆すること無く、柳洞寺に向けて歩いて行った。全てを無くした彼に、桜のさしのべた手を再び払いのける事など出来なかったのである。
~~それは星を祭る祭壇だった。天と地を繋げるが如く燃える炎、揺らめく炎の身は無明である洞窟を照らし、堅く覆い被さる天蓋を焦がしている。しかし、この祭りは正しいものではあり得まい。空を繋ぐと言うが、天は地の底であり、無明を照らす松明は赤ではなく、黒色。空気は濁り、風は封殺され、壁に滲む水滴は悉くが毒の色、龍が棲むとされる地の国は、その実、巨大な龍の胃袋を模していた。ここを訪れるモノはみな、人ではない
この様な異界に救いを求め、このような異景を祭ろうとするモノは、陽の光から逃れる蛇蝎磨羯の類いに違いない~~
その祭壇の禍々しい光を浴びて浮かび上がる彼の妹は、魔に魅入られた少女か、闇を祭る聖女か。
(……呪われた巫女が適当だ)
何かに取り憑かれ呪っている様に見えた為である。彼が妹の姿を認めた時、祭壇を望む岩場に腰掛ける彼女は、己の胸にある心臓に指を差し入れていた。彼は目を見張った。彼の妹は、心霊医療など出来ない筈だ。抜き出したその指が持って居たモノは、小ぶりの妙ちくりんな蟲だった。それはキーキーと泣きわめいていた。妹はおもしろおかしそうに、それを見て笑っていた。何か話している様だが、彼にはとんと聞こえない。
「桜、それは?」
「10年前の負債をいま返して貰うの」
「誰からのだ」
「兄さんが知らなくて良い存在」
彼の妹は笑いながらそれを潰した。
「返事を聞かせて下さい。兄さんは手伝ってくれますか?」
彼は導かれる様に歩み始めた。地に落ちる影が徐々に濃くなる。
「最初に贈ったプレゼントは桜色のハンカチだった。桜が贈ってくれたプレゼントはマグカップだった。桜が大好きなお菓子を我慢して、貯めたお小遣いで買ってくれた物だ。最初の喧嘩は俺が桜のプリンを食べてしまった事。障害物競争で桜が転んだハードルを壊した事もあった。あれは桜にも随分怒られたな。怖い怖くないって言い合ってホラー映画を見た事もあった。結局怖くて一緒に寝た、小5だっけ?」
「はい」
「最初の化け物退治に出かける前の日。桜は泣いて俺を止めて、お袋に説得されて、その日は一緒に寝た」
「わたしが中1の時です」
「ルージュの相談もあったな。塗り方が分からないって。お袋も無頓着だから二人で試行錯誤した。全部覚えてる。桜はどうだ?」
「もちろん覚えています。すべて覚えています。兄さんも覚えていてくれたんですね」
「桜。俺はお前に付く、桜と共にある。お前が望むなら、俺は刃となろう。楯となろう。お前が本当に心から世界の破滅を望むなら……俺もそれを望む」
「嬉しいです」
桜は岩場を降りると兄にしな垂れかかった。首に腕を回し、妖艶な瞳を近づけた。
「では兄さん。契約の証を」
「契約?」
「はい。兄さんとわたしを繋ぐの。怖い人達が沢山居るから、兄さんも魔力は沢山あった方が良いでしょう?」
彼の妹は魔力で編んでいた装束を解くと、その白い肌を露わにさせた。彼女が意図するそれはパスを繋ぐ手段を意味していた。生憎と桜も真也も他の方法を知らなかった。桜は魔術師としての教育を受けていない、真也はそもそも知る必要が無かった。初めて見る、年齢にそぐわない、妹の蠱惑的な肢体に戸惑うばかりである。脳裏に凛の姿が浮かんだ。ズキリと心臓が痛んだ。
「……俺は経験が無い。桜に痛い思いをさせる」
「そんな事気にせずに好きな様にして下さい。全部受け止めちゃいますから。知ってましたか? わたしって結構丈夫なんです。さ、溶け合いましょー」
妹はおかしくなったのか、何も変わっていないのか。目の前に居る少女は妹なのか、妹ではないのか。目の前の妹と記憶に居る妹の姿が、綺麗に重なる様で僅かにズレている。それの意味は何だ。ただ一つ言える事は彼女は、今の彼にとっての全てだ。それ故生じたその疑問に意味は無い。
二人は歩み寄った。祭壇の光を浴びて地に落ちる二つの影は何時までも蠢き、その足下には彼を長らく封じていた封印具のなれの果てが落ちていた。
つづく!