それは衛宮邸の居間のこと。ちゃぶ台を囲むのはセイバー陣営の面々だ。アインツベルン城から戻った士郎ら一行は、イリヤが戻った事に、安堵と幸運を噛みしめつつも頭を痛めていた。問題は山積み、とにかく状況が読めない。ちゃぶ台に向かい湯飲みを啜れば夏期講習を申し渡された様相で士郎は呟いた。
「あの金ぴかはなんだ」
セイバーがそれに答えた。やはり湯飲みを持っていた。それには“せ”とひらがなで書かれた、お土産屋によくある表面が滑らかな湯飲みだ。舞弥が買ってきた物である。当初馬鹿にしているのかと憤慨したが、既に慣れた。逆に気に入ってすらいた。
「シロウ。彼は前回の聖杯戦争に於いてアーチャーのクラスとして呼び出されたサーヴァントです。10年経った今なお顕界している理由は不明ですが」
「ランサーと真也は味方じゃなかったのか。金ぴかと真也が戦っていた時、ランサーは黙って見ていた事が不可解だ」
セイバーの隣りに陣取る舞弥が答えた。やはり湯飲みを持っていた。
「話を聞く分には、直前で仲間割れ……というのは無理があるわね。共にバーサーカー打倒を狙っていたならば、イリヤを士郎に手渡す理由がランサーにないから。マスターを殺す事は聖杯戦争に於いて常套手段よ」
「なぜ真也は姉さんを殺さなかったのか。勝負は真也が勝った筈だ」
イリヤが答えた。作法が良く分からず戸惑っていたが、義理の弟の促しで好きな様に茶を愉しんでいた。
「殺したくても殺せない、そんな事を言っていたわ。あの時わたしを殺しかけた人とは別人ね。ねぇ、シロウ。一体何があったの?」
「桜が消えた。遠坂家に戻ったはずの桜が消えた。ライダーが真也を連れていった。家にも戻っていない、何処へ消えた」
セイバーも理解出来ないと神妙な顔だ。
「あの男が連れ去った……と言うのも無理がありますか」
「それが出来るならとっくにしてる。それ以前に桜の引き渡しを受け入れないだろう。というか、なんで真也はバーサーカーと戦った」
「それはイリヤスフィールが狙っていたからでしょう」
「弩級シスコンの真也が桜と別れ離れになれば、死んでしまう事は想像難くない。だがアイツは死なずバーサーカーと戦った。そもそもどうして、桜を明け渡すという遠坂の条件を呑んだんだ」
それは何故だ、何を意味する。綺礼は“妹だけではない真也には闘争しか残っていない”と言った、士郎はそれを思い出した。
(桜と遠坂は実の姉妹……)
士郎の頭に“真也が遠坂を桜と同じように扱っているとしたら”という仮説がぽんと立った。それが事実なら真也が凛を欺す事などあり得ない。凛が嘘をついているか、勘違いしている事になる。セイバーが続けた。
「シロウ、遠坂凛は?」
「これから来るってさっき電話があった。遠坂の母さんとの話し合いで少し揉めたらしい、本人はひた隠しだったけど、声に張りが無かった」
「せっかく戻った子がまた居なくなれば衝撃も相応でしょう」
「あの黒い影は何だ。姉さん、心当たりはあるか? 」
「無い訳では無いけれど、推測どころか憶測の域すら出ないわ。とても話せない」
イリヤの背後に控えていた二人の内の一人が口を開いた。イリヤの従者であるセラだ。彼女はイリヤを連れていく士郎を見過ごせず衛宮邸にやってきた。勘弁ならぬと不愉快さを隠さない。
「エミヤシロウ、先ほどから聞いていれば姉さん姉さんと馴れ馴れしい。分を弁える知恵すら無いのですか。 貴方はあの衛宮切嗣の後継者、つまり我々にとって忌むべき存在。恥を知りなさい」
イリヤに似た容貌のメイドは士郎を嫌っていた。それどころか事ある毎に突っかかってくるのだ。自然士郎は渋面顔になる。誤魔化す様に茶を啜る。方やイリヤは香り立つ日本茶に、新鮮さを感じ上機嫌である。
「控えなさいセラ」
「しかしお嬢様。この品性の欠片もない振る舞い、お嬢様のお側付きを預かる者として、見過ごす訳には参りません」
「私が良いって言ってるのよ、控えるべきはセラよ」
主に命じられては為す術がない。セラは、士郎に忌々しげな侮蔑の籠もった視線を、浴びせるより他はない。空気を読まないのはメイドの片割れリーゼリットであった。
「……」
身を乗り出し、手肘をついてちゃぶ台の上の最中を手に取ると、無表情に食べていた。確信は持てなかったが士郎にはちゃんと喜んでいる様に見えた。イリヤより随分と大人びた容姿に相反する幼い言動。彼女に対しどう接するべきか悩んでいた士郎だったが、思春期を迎えた少女の様に接する事にした。ただ困った事に、その肢体は子供のそれではない。特に胸の膨らみは彼が見た事がない大きさだった。人知の及ばぬ大きさに、多少なりとも意識しながら彼はこう申し出た。
「リーゼリットだっけ? まだあるぞ。食べるか?」
彼女は頷いた。その様を例えるなら餌を目の前に差し出された小動物のよう。
「リーゼリット、アインツベルンの従者が餌付けされるとは何事ですか」
「欲しいならあげる」
「要りません!」
士郎が居間を見渡せば。
(この家も随分人口密度が上がったな)
心中でそう呟いた。イリヤ、セラ、リーゼリット、セイバー、舞弥、そして士郎である。昔馴染みである大河に知られれば大騒ぎとなろう。彼はインフルエンザで伏せっている事になっているのだ。にも関わらず女性陣を連れ込んでいると知られれば、どうなるか。それを考えると頭が痛い。ふと時計を見ればそろそろ凛がやってくる時間だ。
(遠坂の言う真也に聞きたい事って何だ)
来たら問い詰めねばなるまい、彼はそんな事を考えた。
◆◆◆
カランコロンと衛宮邸の結界が鳴れば、瞬時にセイバーと士郎の神経が切り替わる。セイバーが鎧を展開すると同時に、士郎は干将・莫耶を投影した。それを見たイリヤが目を剥いた、アーチャーと同じ武器、同じ性質だった為である。士郎はセイバーを先攻させ、皆には隠れる様に指示をした。
縁側を抜け庭に出れば。武装状態のセイバーが剣を構えたまま硬直していた。対峙するのは真也である。だがどうした事だろう、何時もであれば果敢に斬り込むセイバーが随分距離を取っている。真也は無手、彼の間合いはあれ程広かっただろうか、士郎はそんな事を考えた。
「シロウ! 近づいてはなりません! 直ぐに皆を連れ逃げて下さい!」
悲鳴の様なセイバーの声だ。なぜ彼女は必死なのか。斬り付けたいが、斬り付けられない。何故ならそれは彼女にとっての敗北に他ならないからである。彼女は直感でそれを感じ取っていた。己のサーヴァントの視線の先にいる同級生は、ロングコートを羽織り、長袖Tシャツにデニムを纏っていた。何時もの恰好で静かに佇んでいた。そしてトレードマークの眼鏡。デザインが気に入らないが替えがないとぼやいていた事を思い出した。
だが何かが違う。その様な誤魔化しの言葉など、まやかしだ。甚大、圧倒、致命、破壊、暴風、消滅、真也を見た士郎の脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。セイバーすら恐れる魔界に等しい彼の間合いという結界に、士郎は臆する事無く踏み込んだ。二人の関係は力量差に依存しない故である。この状態でおいてですら、その関係は健在だった。それ以上に真也が無理をしている、士郎はそれを感じ取ったからである。
「駄目だ、シロウ、」
彼女の剣を持つ手は震えていた。彼は手を翳し、懇願する己のサーヴァントを落ち着かせた。
「大丈夫。コイツとは中学時代からで長くは無いけど、密度は濃いんだ。扱いは慣れてる」
士郎はセイバーを守る様に対峙すれば、陽を浴びて落ちる真也の影は酷く小さい。その影は、少女のカタチをしているのは気のせいか。それはともかく士郎は切り出した。
「取りあえず無事で良かった。けれど真也。事情を説明してくれないか。俺らは何が何だか分らない。いったい遠坂の人達と何があった?」
表情一つ変えない同級生は初めて動きを見せた。
「黒い影の事でも無く、ランサーとの事でも無く、俺の変化でも無く、その質問をするか、お前は」
「その疑問が解ければ、たぶん全部解けるから」
「……士郎、ここに来た用件は二つだ」
「先輩、こんにちわ」
その声はどこから聞こえた、誰が発した。士郎が見渡してもその発したであろう少女の姿は見えない。そえゆえ。真也の足下にある影が、伸び、飛び出す絵本の様に立ち上がり、それが桜と成った時、非常に驚いたが心のどこかで腑に落ちた。この状況に於いて真也の傍らにいる者は、否、真也が傍らにいる者は桜以外有り得ない。士郎は黒い影と桜が関係していると確信した。
顕われた桜は黒を基調とし、赤のラインが入った禍々しい服をしていた。燃え尽きてしまった様な灰色の髪、生気を感じさせない骨の様な肌の色、だがその瞳だけが、妙に赤かった。世界の壁に孔を開け、見える地獄の色はそんな赤なのだろう。その体を表すのであれば、呪い。だが妙に劣情を催すのは何故だ、士郎はそんな事を考えた。意識する少年の視線を感じ取った桜はくすくすと笑う。もう遅いですよ、とその笑みは語っていた。
「先輩、あの時は御免なさい。つい、かっとなっちゃって」
「あの時ってどの時だ」
「キャスター戦の話しです。先輩たちを襲っちゃったから」
「桜、無駄口は叩くな。長居は無用だ。士郎、セイバーを差し出せ。サーヴァントという意味だ」
家族に言及されては士郎も態度を変えざるを得ない。態度を硬化させた。
「何を考えてる」
「答える義務はない。イリヤスフィールで妥協しろ。セイバーはどの道消える定めだ」
「駄目だ。セイバーには願いがある。答えろ、真也。桜は遠坂家に戻ったはずだ。なぜここに居る。お前たちに何があった」
「その問いに答える義務はない、理由もない、意味も無い。士郎、せめてもの情けだ。セイバーを置いて、イリヤスフィールと久宇舞弥を連れてどこかへ逃げろ」
「逃げない。お前、何をしようとしている」
「これが最後だ。差し出すか、差し出さないか。この場で決めろ」
「断ったら?」
「強引に奪う」
「生憎と私の主は一人だけだ!」
セイバー踏み込みを例えれば大砲の一撃である。士郎が時間を稼いでいる間に、可能な限り魔力を練り込め、踏み込んだ。誰もが戦闘が始まるのだろうと考えた。或いは真也を倒せるかもしれない、そうとも考えた。それは誤りである。その光景にセイバーはおろか士郎ですら己の目を疑った。彼女の持つ武器、風王結界は真也の左手によって掴まれ、拘束されていたのである。
「な、」
セイバーは声も出せない。真也の左手に込められた魔力と、風王結界の魔力が反発し、金属をトーチで切断するかの様な鮮やかな火花が散っていた。プラズマが纏わり付く様に迸る。即座に我に返ったセイバーが、引き抜こうと大地を踏み抜いたが微動だにしない。
「勘違いをするなセイバー。俺の言ったサーヴァントとは従者の意味じゃない」
「単に聖杯を完成させる為、って事か」
士郎の回答を合図に、真也はセイバーの腹に蹴りを入れ吹き飛ばした。土煙を上げ、衛宮邸の庭を転がり、塀にぶつかった。沈黙が訪れた。桜が笑う。当然の結末という意味であり、兄を称賛する意味も込められていた。令呪を通じて、セイバーが死んでいない事を感じ取った士郎は安堵しつつも、真也を睨み上げた。狙いはともかく、セイバーを攻撃した事実は見逃せないのだ。殴りかかりたい衝動を抑え、理性を行使した。いま彼に出来る事は、とにかく有利な状況を引き出す事のみだ。
「聖杯が欲しいと言ったな。真也、お前の願いは何だ」
「草津の温泉に行く事だ」
「……なんだそれ」
「冗談だ。セイバーは貰っていくぞ」
真也は狂った訳ではない、士郎はそう判断した。ならば付け入る隙はある。真也は士郎の前を無防備にセイバーに向かって歩み寄る。士郎は、干将・莫耶を解除。カリバーン投影。真っ向勝負で勝てる相手ではない。だが、セイバーの戦闘経験が宿る聖剣であれば、意表を突く事は可能だ。その剣を持てば見かけだがの戦闘能力を大幅に上げる事ができる。その意表で、仕留めると覚悟を決めた。
「黙って家族を見捨てるとでも思ったのか」
「……シロウ、逃げて」
「真也?」
その3つの言葉は士郎であり、セイバーであり、そして彼女だった。今の彼にとって最も会いたくない人物であった。その声は彼にとって、空を飛べと命令されているロボットに、地を這えと命令するコマンドに他ならない。彼の妹は全てを滅ぼしたいと願った。例え彼自身が死んでも構わなかった。だが彼女の存在は別だ。その願いに彼女が居ては彼にとって困るのである。だから、考えない事にした。意識から、思考から、掻き消した。だが。幾ら居ない事にしても現実は変わらないのである。彼女としでかした事は無かった事には出来ない、例え神でも変えようのない事実であった。
無視出来ないその声に、振り返れば。門の近く、石畳の上に凛が立っていた。その距離自家用車5台分。だが彼にとっては至近距離、近似ゼロ秒の距離だ。漆黒のウェーブの掛かった長い髪、つり上がった目尻に、ケンブリッジブルーの瞳、赤のハーフコートと、ゴールデンイエローのマフラーを首に巻いていた。その出で立ちは彼が初めて見る姿だったが、その彼女の、色、カタチ、匂い、存在感。それは妹の願いと彼女の存在を維持するという、相反する矛盾を生み出すには十分だった。
その矛盾は、彼の魔術に干渉し彼自身を攻撃した。今の彼には、彼の魔術回路を抑制する安全装置はない。その呪いの威力は倍では収まらず、想像を絶する痛みが彼の肉体と精神を襲った。意表を突かれた事もあったが、その呪いは一瞬で彼の精神を刈り取った。うめき声を上げる事すら叶わず彼は崩れ落ちた。
一体兄の身に何が起きたのかと桜が慌てて駆け寄り、その身を起こせば、眼、鼻、口、耳から血を流していた。完全に失神していた。戸惑うのは桜だけではなく、その場に居合わせた凛と士郎もさることながら、離れから見ていたイリヤらも理解が出来なかった。
「まただ」
士郎の呟きに桜は眉を寄せた。
「また? それはどういう事ですか、先輩」
「前に戦った時も突然不調になった。いきなり気絶するなんて、前回より酷いけど……」
姉は術など使っていない。兄は姉の姿を見た途端に倒れた。原因はともかくその事実に気がついた桜は、
「姉さん」
私の兄になにをしたのか、そう呪いを残すと、兄を抱き寄せ、地に落ちた黒い影に沈んでいった。
◆◆◆
真也が目を覚ますとそこは大空洞だった。いけ好かない祭壇の黒い光だけがあった。ぼうとそれを見ていると、ようやく心臓の痛みに気がついた。まるで刻まれている様だ。封印状態に対して平時の痛みは倍増、気を抜いていては行動に支障が生じる程である。どうしてこう成ったのか、それを考えた。考えるまでも無かった。
「勝手すぎるか。都合良く無かった事になんて出来ないか。世の中上手くいかない」
憤りを込め、髪を強くかき上げ、人相が変わる程に両手で顔を擦ると、ようやく落ち着いてきた。禍々しい塔が彼を見下ろしていた。これは何なのか、その疑問を掻き消した。考え、答えを出せば動けなくなる。桜の為に居られられなくなる、それは正確な表現ではない。桜の願いを叶えられなくなる。桜を手伝えなくなる。それが桜の為なのか、彼は考えない事にした。そして封印を解いた事による障害は新たな症状を生み出した。彼は己の変化に気がつかなかった。それはかつてキャスターが予言した事でもあった。
妹が居ない、それに気がついた彼は空洞を抜け新都に繰り出した。今の桜にはサーヴァントの相手はまだ荷が重い、つまり妹が人を襲っているに違いない。その悪夢から眼を逸らしてはならないと、ビルからビルを跳躍し、夜の新都を駆け抜けた。
夜に行動をすると言う事は人目を避ける事に他ならない。心疚しい事があるのか、まだ人目に付く事は避けるべきという単なる戦術的な理由なのか。彼は、妹が呵責を持っている事を、恐れながらも祈り、その場に降り立った。そこはビルの谷間だ。夜に於いてなお昏き場所。
そこには食い散らかした跡があった。いつか見た光景に似ていた。ただ食い残しはなく、肉片一つ無く、血だまりすら無く、ただ血痕が少々残っているだけだ。漂うのは血の臭い。大地に刻まれるのは、生きながらに喰らわれた痛みと恐怖。それが残留思念として残っていた。魂すら喰らったのだろう。迷う事すら誰かを祟る事すら叶うまい。己のふがいなさに、苦悩と後悔が走り続ける。妹を探さねば、そう踵を返せばそこにギルガメッシュが立っていた。その表情を語るならば侮蔑のみだ。
「我に無礼を働いた穢れた娘を追ってみれば、なんという下らぬ巡り合わせだ。いや、必然か」
(誰だこいつは)
「無様にも生き恥をさらすか。貴様にエアを使わなかったのは僥倖と言わざるを得まい。潔く身を散らす事が貴様の唯一の価値であったのだが、もはや貴様には一片の価値すらない。いや、この地に這う虫螻どもに、その魂と身体を苗床にされては、仕方の無い事か? 連中の怠惰、欺瞞、傲りは、この星を覆わんばかりだ。穢れに穢れた救いがたい者どもは多すぎるからな」
(何を言っている)
「その穢れた連中の娘に囚われるとは不始末にも程がある。その腐った苗床で骸を食い散らかされるが良い。呪われた貴様にはそれが相応よ」
(この男は俺を知ってる?)
「この槍で死に絶える事が最後の慈悲と知れ」
金髪の男は真也を知っている、だが真也は金髪の男を知らない、見た事がある、だが思い出せない、その戸惑いは隙である。ギルガメッシュの背後から一条の赤い槍が撃ち出された。
(あ、これ死んだか)
真也の命を狙ったその槍は、夜と月が生み出す影から顕われた黒い帯に巻き付かれた。列車が急ブレーキを掛けた様な、火花とつんざく音がした。その槍の威力は強大で、その帯の持ち主である娘が渾身と両の腕と右胸を犠牲にしてようやく止まった。その娘とは桜だった。だらりと両の腕を垂らし、口から血を吐いていた。痛みもあったが気にならなかった。兄を殺そうとした事は、痛みを掻き消す程の憎しみを生み出した。ギルガメッシュは忌まわしそうに手を上げた。次弾装填。背後の宝物庫から顔を出す宝具は、総数42。
「聖杯の出来損ない、か。まさかアレに届く程完成するとはな。惜しいと言えば惜しいのだが 選別は我の手で行う。死に行く前に、適合しすぎた己が身を呪うが良い」
斉射すれば二人は肉片すら残るまい。ただ真也は二度も見逃すほど愚かではなかった。刻まれる時間というモノの最小単位、その隙間。ギルガメッシュは四肢を斬り落とされた。ギルガメッシュの視界に迸るのは真也の手刀である。魔力の籠もったそれは蒼白く輝いていた。二人の距離は観光バス3台分。真也はその距離を1まばたきに満たない時間で詰めたのである。
「がっ!」
それは潰されたカエルの様な声だった。手足を失えば、身体を支える事は叶わない。地を舐める事は必然。だがそうならなかった。ギルガメッシュの首を掴む手が彼を支えていたからだ。その様を例えれば、壊れた人形をどの様に捨てようか迷っている子供である。
「き、貴様! この我に!」
「お前が何処の誰かは知らない。ただ言いたい事が二つある」
真也はその頭と胴体のみと成った英雄王を、後頭部からアスファルトに叩き付けた。アスファルトに落ちた影が蠢き、伸びた帯に捕われた。その様は聖骸布を巻かれる死者に似ていたが、生憎と聖骸布ではなく呪いだった。
「ぐあぁぁぁぁ!」
「お前は肉を持っているけどサーヴァントだな。妹が腹を空かせているから燃料になってくれ。もう一つ、お前は妹を傷つけた。その落とし前は付けさせて貰う」
英雄王の肉体が、締め上げられ、砕かれ、細切れになり、コールタールの様な呪いの泥に沈んでいった。それは溶けていった。
「ギ、ギザ、ま」
妹に喰われる彼の様を例えれば溶ける蝋人形に他ならない。それが人類最古の英雄王と呼ばれた者の最後の言葉だった。
◆◆◆
影から手を引き抜くと真也は膝を落とす己の妹に駆け寄った。
「無事か」
「少し痛いですけれど、大丈夫です」
傷は既に塞がって居たが、宝具を受けたのだ。癒えるには時間が掛かる。
「それよりお腹が重いのが苦しいです」
「そんなに重いのか?」
「はい、3人分です」
ギルガメッシュの魂は数十万人に該当する、それを飲み込んでなお満ち足りない妹に彼は驚く他はない。桜が捕らえたサーヴァントはアーチャー、アサシン、ギルガメッシュ、締めて5人分である。
「確かにあの性格なら消化は悪そうだ。しばらく休もう」
「ねえ、兄さん。あの金髪の人が誰か知らないの?」
「覚えはない。向こうは俺を知っていそうな口ぶりだったけど、あんな強烈な性格、忘れるはずが無いんだけどな。桜、お前は俺が知っている事を知っているのか」
「ええ。英雄王ギルガメッシュ。お城で兄さんが戦った相手です」
(……覚えてない?)
彼は戸惑いつつも、妹の手を取った。
「立てるか?」
「はい」
ビルの谷間に淀む影の中を梳く様に二人は歩いていた。桜は右隣を歩く兄を不思議そうに見た。
「ねえ、兄さん。どうして首を落とさず、わざわざ手足を斬り落としたの?」
「許せ桜。お前の兄は腰抜けだ。敵すら殺せない腰抜けになってしまった」
ギルガメッシュの断末魔を思い浮かべれば、妹に食い散らかされた人々の叫びが彼の脳裏に響き渡る。まるで何時間も音叉の怨嗟を聞かされているかの様だった。彼の脳裏にその悪夢が浮かび上がる。悲鳴という人の声が良く分からない音になる。肉が弾ける音、骨が砕ける音、死ぬ音。その惨状を幻視し思わず目を背けた。桜は笑いながら人を喰っていたに違いない。食事は愉しむモノだ、そう言わんばかり。彼の妹にはその善悪はない、人間が動物を殺し食べる事と同じだ。彼の妹は、人でない一つ上の存在になりつつある。
(これが桜か、これがあの桜なのか)
そう理性で思いつつも、彼の本能は紛れもなく桜だと認識していた。
「桜、どういう人達を襲った」
「社会のゴミですよ兄さん」
「理由無くゴミというのは感心しない」
「ゴミです。あの人たちが居なければ、兄さんは喧嘩をせずに済んだ。警察に捕まる事だって無かったのに」
桜はゴロツキ達を喰らっていた。子供でないだけマシだ、人の命に差は無いが価値には差があるだろう、そうでも思わないと、その状況を受け入れられなかった。ギリと自然食いしばる。この狂ってしまった妹の凶行を止めるべきだ、この狂ってしまった妹と差し違えるべきだ、彼の心がそう告げた。だが遠坂の血を引くその妹に、そんな事は出来はしない。桜もまた兄の違和感に気がついた。それは彼女が初めて見る兄の苦悩だった。おかしい、苦悩ぶった事は幾度となく目にしたが、本心から苦しむなど無い筈だ。一体何故。
「にいさん?」
彼は妹を桜を抱きしめた。謝罪の言葉を口にした。
「何で謝るんですか」
そして涙を流し。
「どうして泣いているんですか」
妹はただ戸惑うのみである。
「なんでもないさ」
かつて兄が姉と付き合い別れた事、その頃から兄の様子が違った事、姉の姿を見て気を失った事。目の前の兄が何に縛られているか、その妹は理解した。
「大丈夫ですよ。しばらくの辛抱です。今度は私が兄さんを助けますから」
「大丈夫って?」
腕の中の彼の妹は昏い笑みを見せるだけだった。
◆◆◆
真也が、落ちていた真紅の槍を拾えば、それはギルガメッシュが彼を殺そうと撃ち出したモノである。彼が回収する前に死んでしまったため残ったのだ。赤い槍に思い当たりはあるが、それかどうか確証はない。彼は武器に詳しくないのである。
「宝具だな、これ。どうする?」
「私は戦い方なんて知りません。兄さんが使って下さい」
「生憎と剣しか心得がない。宝具の使いこなしには相応に時間が掛かるし、扱えない武器なんて拳にも劣る。真名も分らないとなると、な」
「なら捨てちゃいますか?」
「せっかくだから貰っておこう。役に立つかもしれないし放置するには物騒だ」
「兄さんは何時もそう。そうやって捨てないから、モノが増えるんですよ」
「物持ちは良い方なんだ」
「部屋は散らかりまくり、片付ける私の身にもなって下さい」
「分った。大空洞に持って帰る。それなら良いだろ」
桜は名案を思いついたと手の平を打ち鳴らした。
「そうです。兄さん、私たちの家に寄っていきましょう。家の様子も見られますし休憩もできます。一石二鳥です」
妹であって妹ではない存在を見て、認識がズレる。軽い目眩すら起こした。
「桜は俺を食べないのか」
「変な兄さん。妹はそんな事しません。でも、違う意味で食べたいなって」
「……馬鹿を言え、怪我してるんだぞ。治っているのは見た目だけの筈だ。それに腹も重いんだろ。身体に触る」
「家に帰ればベッドがありますから。それに兄さんが元気をくれれば、へっちゃらです。そんなの気になりません」
「休憩って、桜、おまえ」
艶やかに微笑む妹がそこに居た。
「妹がこんなにHだったなんて、兄としてはとても複雑だよ」
「酷いです。兄さんのせいなのに」
「なんだそれ」
「ずっと、ずーっと好きだったのに、兄さんからはキスすらしてくれなかった」
「しただろ」
「ほっぺになんて、キスの内に入りません。切なくて、悲しくて、苦しくて、ずっと一人で慰めてた。だから、ぜんぶ、にいさんのせい」
「ちょっと待て。俺からはってどういう事だ」
「兄さんの寝込みをおそっちゃった」
「……いつ?」
「初めては私が小5の時。それから身体が高鳴った時に、大体月一ぐらい。兄さんは全く気がつかなくて、気がつかない振りをしてるのかなって期待した事もあったのに、本当に気がつかなかったんですね。酷いです」
小さく舌を出し、戯ける妹がそこに居た。
(人を殺してしまったというのに、殺しているのに、これからまだまだ殺そうというのに、なんだこの日常的な会話は。もう、俺もおかしくなったのか。どこが日常だ……俺はいつまで正気を保てる)
妹に求められるまま指を絡め合い、闇夜に消える兄妹をビルの屋上から見つめるのはランサーであった。
つづく!