コンビニを出ると駅前の、手頃なベンチに二人は腰掛けた。真也は購入したコーヒー缶とからあげクンレギュラーをビニール袋から取りだした。一つ頬張ってはゴクリと飲んだ。至福に満ちた顔で、もぐもぐと食べる。凛は不機嫌さを隠さずじぃっと彼を見る。
「……」
彼は渋々とからあげクンを差し出した。
「一個だけだぞ」
「誰がほしいなんて言ったのよ!」
「物欲しそうに睨んでいるから」
「睨んでるのはアンタよ!」
爪楊枝に刺さっているからあげクンを凛の口に放り込んだ。もぐもぐごくん、凛は口を押さえながら慌てふためいた。
「たべちゃった、たべちゃったあ~」
「おいしいだろ、やっぱりレギュラーだよな」
「そーよね、やっぱりレギュラー……じゃなくてアンタなんて事すんのよ!」
「買い食いする、からあげクンは格別だぞ。何が不満なんだ」
買い食いすると桜に怒られるので滅多にできないのであった。買い食いだったばかりの昔が懐かしい、と彼の目は遠い。それどころでは無い凛はその顔を果実の様に赤くしていた。
「かかかか、か」
「か?」
「か間接き、」
「爪楊枝は口についてないから、間接キスは成立しないぞ」
「……」
「ていうか遠坂って意外とウブなんだな」
「………………」
自覚はないが凛は同年代の少年を馬鹿にしていた。彼女のおぼろげな記憶に浮かび上がる亡き父の姿。美しく気高く、偉大な魔術師だった。父に相応しい娘であろうと、魔術師になろうと彼女は歯を食いしばって頑張ってきた。
容姿に気を遣うのもその一端だ。遠坂家の家訓である“どんな時でも余裕を持って優雅たれ”優雅とお洒落は少し違うと考えたが、身なりのなっていない人物が優雅を語っても説得力はあるまい。彼女は必死になって自分を磨いた。
その結果彼女はモテた。多くの少年の注目を浴び、告白された事など数知れず。
粗野で単純で女の事しか考えていないチャラ男は問題外。スポーツ少年はそれなりに好感を持ったが、そういう少年は凛に近づかない。話しかけただけで真っ赤に頬を染める、初々しいと言えば聞こえは良いが、彼女には幼く見えた。なにより女の扱いを知らない。私と釣り合いはとれないわね、と無意識に思っていた。
真也も例外ではない。ナリは良いが素行不良、浮いた話は聞かないがお調子者。誠実な士郎の方がまだ好ましいと考えていた。正直彼女の嫌いなタイプであった。どうしてコイツが私に次ぐ成績なのか、苛立ちすら感じていた。
極めつけは度し難いシスコンである。めそめそと泣く真也を綾子が慰めているシーンは幾度となく目撃した。
“同い年の女の子の前で泣くか、普通”
どうひいき目に見ても格好良くない。たまに言葉を交わせば自覚があるのか無いのか神経を逆なでしてくる。関わるまい、と言うのが凛のスタンスだった。
だもので。
真也の“ウブなんだな”という発言はえらく凛の矜持を傷つけた、否、煽った。不愉快、放置して立ち去るべきだ、でもこの男には聞かなくては成らない事がある。堪えに堪えてこう言った。
「面白い事言うのね、蒼月君は」
歪、不自然、噴火する直前の火山、そんな顔である。
「そう? だってミス・パーフェクトが男経験無いなんて意外だと誰でも思うだろ。てっきり数多くの男たちを泣かせた上で、釣り合いがとれないから男の子たちを袖にしているのかと」
「人聞き悪い事言わないでもらえる? 私はあなたと違って品行方正なの。そもそも、袖にするしないを男性経験の有無で決めるなんて愚かな人間の判断だわ。崇高な考えがあると思わないのかしら、そういうのを下衆の勘ぐりって言うのよ」
「色々言うけど結局経験無いって事だろ、それ」
からかう訳でも無く、悪意がある訳でも無く、真也は淡々とからあげクンを食べる。言うまでも無く真也は凛が苦手だ、可能であれば言葉を交わしたくない相手である。でもマズい光景を見られたから渋々対応している。だもので他一般少女と比較してどうしても対応が荒くなる。
「……そもそも貴方に言われたくないわね。蒼月君だって彼女居ないでしょう」
「その発言は男性経験が無い事を認めるんだな?」
ひゅるりと夜風が吹いた。彼女の髪を結うリボンは風に薙ぐどころか、鋭利に尖っている。ぴこんぴこんと怒髪天を衝く勢いだ。
「………ぷち」
「ぷち?」
こめかみに血管を浮かび上がらせ“おほほ”と女は笑う。するとだまって左人差し指を向けた。少女の体から魔力がみなぎって、それが左腕に集中する。その腕には魔術刻印がびっしりと刻まれていた。彼にはそれが指さし魔術の“ガンド”であると分かった。彼女は終始無言だったがその目は“コロスコロスコロス”と語っていた。察した真也は慌ててその腕をつかんで空へ向けた。
「公衆の面前でそんなもの(術)を使うな馬鹿!」
「離せ! この、この、こ、このぉぉぉぉぉぉ!」
凛の憤りは言葉にならなかった。彼女は品の悪い言葉はあまり知らないのだ。育ちが良いのは意外と本当らしい、と真也は反省した。その天罰だろう。カラン、残りのコーヒー缶とからあげクンが大地に散った。あぁあ~と崩れ落ち、涙する。あまりの展開に凛はどう反応していいのか分からなかったが、辛うじてこう言った。
「……関わったのどう考えても失敗よね、これ。好きで関わった訳じゃ無いのだけれど」
「俺だってそうだい」
がっくりと大地に両手を突いて涙する、同い年の男の子。道行く人影の視線が突き刺さる。主に凛に突き刺さる。勘弁してよ、凛は黙ってからあげクンと缶コーヒーを買ってきた。黙って彼に差し出した。おぉと涙するその少年はまるで女神を仰いでいるようだった。
「遠坂凛。君への侮辱は訂正と謝罪をしよう。君は良い奴だ♪」
「随分安いのねアンタ……」
彼はベンチに腰掛けもそもそと食べる。凛は隣に座り仏頂面だ。彼女は周囲に聞かれないように小声でこう言った。やりきれない、と雄弁に語っていた。
「私はこの冬木市を治める魔術師よ。アンタの事を聞きたいから、場所を変えましょ。言っておくけれど拒否はみとめないから」
彼はむぐむぐと頷いた。話を聞きたいのは同様だったからである。
「あと口にものを入れたまま口を開けるな。行儀が悪い」
◆◆◆
その喫茶店は凛もよく知る店だった。壁には煉瓦が敷き詰められており、調度品は歴史を感じさせるアンティーク。天井には淡い光が漂い、店全体を暗く柔らかく包んでいた。喫茶店にありがちな奥に深い縦長の部屋ではなく、レストランのような縦にも横にも広がった店だった。
テーブル頭上の照明を巧みに使い、生み出す明暗は恋人たちを世俗から切り離す、その様な夜の空間を演出していた。
奥まった席にいるのは凛と真也である。右を見てもカップル、左を見てもカップル。真也はカタカタと震えながらコーヒーの詰まったカップを手に取った。
(夜遅くにやってる店なんて他に無かったからここに来たけれど、これってまずくないだろうか。誰かに見られて桜に告げ口されたら、かなり危険な気がする……)
挙動不審の真也を見て凛は随分機嫌が良い。両肘をテーブルにのせて、組んだ両手にあごを乗せて、挑発するように真也を見ていた。組んだ脚の先にある足首をふらふらと振っていた。
「あら? 蒼月君は随分緊張しているみたいだけれど、周囲のカップルが気になるのかしら?」
「まったく気になってません」
「そう?」
「そうです」
「私は嬉しいけれど。どう見えるのかしらね、私たち」
「何が言いたい」
「別に。意外にウブなのね、そう思っただけ」
してやったり顔の凛だった。勘違いしてるよこの娘、と真也は思った。もちろん。勘違いの方がまっとうだとは全く気づいていない。
「兄妹に見えるんじゃないかな」
「あらいやだ。貴方みたいな可愛げの無い弟だったら厳しく躾ないと」
「ちちち。俺が兄、遠坂が妹だ」
「……貴方、私をどうするつもりよ」
勿論シスコンのことを言っていた。
「何を考えているか知らないが、俺は妹に手を出すような困った奴ではありません。万が一遠坂が妹なら、兄として、妹を、いやだから………すまん。俺が悪かった」
「なんだか良く分からないけれど不愉快ね」
未成年ではないか、不審に思った店員がやってきた。
「水のお替わり如何ですか?」
「「はい。頂きます♪」」
水の入ったグラスをテーブルに置くと鈍い音がした。凛は椅子にふんぞり返り、腕と脚を組んで真也を睨む。その瞳は警戒をにじませた。
「もう何度目かの台詞なんだからいい加減に応えて欲しいわね。アンタ誰?」
「蒼月真也」
「そんな事は知ってるってのよ。どういう人間かって聞いてるの」
「そんな事いってもな。俺は俺としか」
「なら質問を変えるわ。あんな事ができる理由は?」
「教わったから」
「誰に」
「母親」
「その人の名前は?」
「蒼月千歳」
「あおつきちとせ、ちとせ、あおつき、ちと……」
記憶の蔓をたぐり寄せる凛を見て、真也はそれが徒労に終わるだろうと考えた。彼は千歳という名が偽名であろうと考えていたからである。父親不明、自分の母親の出生も知らない。問い詰めても過去の話だと答えない。封印を施さねばならない程の血と力、まっとうな筈が無い。
ごく希に会う母親の知人は“千の字”や“ミレニアム”と呼ぶがその由来も知らなかった。子供にも本名を明かさないのであれば、俺も桜と同様に養子ではないかと疑った事もある。そしたら本気で殴られた、それは遠くない過去であった。
「心当たりないわね。どういう魔術を使うのよ?」
「知らない」
「は?」
「親で師匠だが、俺が学んだのは剣を使った戦闘術だけだ」
「貴方は魔術を使うんでしょ?」
「いや、あなた、これが、さーっぱり。なーんもつかえましぇん」
「受け継ぐ様な魔術刻印はあるのよね?」
「ない」
「ひょっとして、ふざけてる?」
「おちょくる気は全くない。興味が無いって言ったらそうかで終わった」
(つまり個の資質に依存ずる魔術と言う事か。特異者? 子であるコイツが魔力を持っている以上、受け継ぐ因子があるのは間違いなさそうだけれど……血に依存? 良く分からないわね)
(お袋が原初のルーンを使うってのは言わない方が良いんだろうな)
「……まぁ良いわ。明日にでも一度挨拶にきなさい」
「何故に」
「よそ者魔術師は管理者に工房建設の許可を貰わないといけない、聞いてないの?」
「工房なんて無いし」
「は?」
「だからそんなご大層なものは無い。一般の普通の家だ」
「ならアンタの母親は日頃何やってるのよ」
「誰かによる依頼の遂行か俺への戦闘訓練。つまり根源に至る道云々ってのはまったく関知してない。つまり魔術師じゃない。Ok?」
凛の表情が憮然としたモノに変わる。凛が憤るのは千歳の有り様だ。魔術を扱うのに魔術師ではない、魔術師でなくても魔力を持ち、それを行使する。更には真也のお気楽な態度が気に入らない、そんな蒼月家の存在が気に入らない、とその眼は語っていた。
「とにかく一度来なさい。話はそれからよ」
「お袋はいま不在。帰りは2週間後の予定」
「それで良いから来なさい」
「話は伝えておくよ。それはそれとして俺からも質問がある。登場のタイミングが随分良かったのは何故?」
凛は押し黙ったあと語り始めた。どうだろうと冬木に身を置く者だ、無関係ではいられないし、そうはさせない、良い様にコキ使ってやる、その眼はそう語っていた。
「10年前に冬木で起こった大火災のこと、知ってる?」
「瘴気が絶えない、未だ焼け野原同然の公園か?」
「そう。瘴気の濃さは変動しているのだけれど、最近高めだから調査してたの。それと時同じくしてグールが現れた。これは一週間前の事よ」
「今日で2体目と言うことか、警戒してたって事ね。でも妙な話だな、いくら瘴気が高くてもそう簡単にグールが生まれる物か?」
グールと一口に言っても様々だ。純然たる悪魔の場合もあれば、アンデットの類いも存在する。あれは後者だろう、と彼は考えた。
(ならば吸血鬼に吸われたのか? それであれば大事だ)
真也がのんびり考え込んでいると凛が呆れた様にこう言った。
「だからそれを今調査しているのよ」
「分かった、任せるよ」
「アンタも来るのよ」
「えー」
◆◆◆
「私はお腹がすきました」
「さっき食べたばかりでしょ」
「もう眠たいです」
「一晩ぐらい寝なくても死なないわよ」
「女の子はもっと気立てが良くあるべきです」
「あーおーつーきーくん?」
「ごめんなさい。俺が悪かったです」
二人は夜の新都を徘徊していた。万が一吸血鬼なら早めに手を打たないと手遅れになる。新都が死都など凛にとっては冗談には成らない。真也にとってもそうなのだが、この不真面目な態度は何なのかと、凛はどんどん苛立っていった。
(これなら一人でやった方が良いぐらいだわ)追い返してやろうと凛が振り返るとそこに居るはずの真也が居ない。街灯の光を浴びるガードレールと道路に記された標識が、ぼんやりと浮かび上がる。
他には照明が落ちた無人のビルと、暇そうに突っ立っている信号機が見える。(逃げた……?)ふるふると怒りがこみ上げる。(明日会ったら覚えてろ……)と、地団駄を踏めばしゃがみ込む真也の姿が見えた。街の暗闇に紛れ、溶け込んでいた。
気分でも悪いのか、と駆け寄れば彼はアスファルトの上に指を走らせていた。暗くてよく見えないが、液体の様に見えた。
「当りだな」と彼が言った。
「血?」と凛が言うと彼は頷いた
その血痕は街の隙間、裏路地に続いていた。その異様な雰囲気は、まるで異界にでも繋がっている様な錯覚に陥らせた。
真也はコートのボタンを開き、いつでも抜刀できる様にする。凛はポケットに魔力を込めた宝石を忍ばせていた。真也が先陣を切り、凛がそのバックアップだ。男の子の後ろに控える、その配役に不満な凛だったが適切だと自分を納得させた。少なくとも体力は桁違いだったからである。
裏路地は淀んでいて、不快だった。空気は鼻につき、目に染みて、喉にまとわりつく。頭上の月が笑っていた。その笑いは嘲笑なのか見守る微笑みなのか凛には良く分からなかった。暫く歩いたころで真也がぴたりと足を止めた。その先にあるもの、凛がそれに気づくと警戒しながら近づいた。彼は彼女の傍らで周囲を伺っている。
それは先ほどまで生きていたであろう人間の肉塊だ。左首の肉がごっそりと持ってかれている。死んでいた、彼は死んでいた。それにも関わらずうめき声を上げいる。もう数刻すればこの死体は動き始めるだろう。彼女はすくっと立ち上がり赤い宝石をかざした。印を切り呪文を唱えると、アストラルの淡い光が迸った。灰に変わりつつあるそれを見ながら彼女は呟いた。
「妙ね。体内にある妖気がまだ少ない事から考えるとこの人は二次的な存在、一次じゃ無い」
「被害が拡散する前に押さえられたのは幸運だな、まだ親玉がどこかにいるって事を除けば」
「親玉って何よ」
「そりゃ、グールの親玉だろ」
「グールの親玉は通常吸血鬼だわ、それが冬木に居るっての?」
「吸血鬼は普通血を吸い、肉は食わない。戯れに遺体を破壊することもあるが、滅多に無い。だからおそらく別口だ」
「状況をまとめてみましょ、グールはこれで3体目、1体目は1週間前、2体目は昨日、日が変わってこの3体目。だんだん間隔が短くなってるわ、何か関係があるのかしら」
「2次被害が少ないことを考えると、親玉の活動になんらか制限があると考えるべきだな」
「それはおかしい。連中にとって肉をあさることが至上命題よ、制限なんてありえない」
「いずれにせよ。問題は次に、いつ親玉グールが行動を起こすか、と言うことだけれども……2体目は俺が焼いてしまったから分からない、1体目はどんな奴だった?」
「妖気の強さから言って、あんたの言う親玉グールだとおもう」
「だがそれは凛が討伐している、理屈ならもう居ないはずだけどな」
「複数居るってのもなおさら考えにくいわね」
真也は髪をかき上げながらこう言った。
「長い夜になりそうだ」
「なに格好つけてるのよ」
「……」
凛はその騒ぎを遠巻きに見ていた。その視線の先には警官が現場を押さえていた。“Keep Out”のテープを取り囲む野次馬たちが見える。人々は猟奇殺人だと囁いていた。彼女は苛立った。直接調べたいがこうも人が居てはままならない。警察にパイプは無いからどうにもならない。
手がかりを探してた二人はこの現場に出くわしたのだった。とうの真也はちょっと見てくると言ってどこかへ行ったきりだ。
(何処行ったのよアイツっ!)
腕を組んで脚を鳴らし、苛立ちを隠さない。すると目の前に缶コーヒーがすっと出された。真也である。
「お待たせ」
彼女はむっすりと手に取った。
「………収穫は?」
「当りだ。幸か不幸か4人目」
彼は隠形術を生かして諜報をしたのだった。現場からボヤが上がる。見れば救急車両が燃えていた。大騒動を尻目に二人は立ち去った。
「何をしたのよ」
「遺体にガソリン撒いて火をつけた」
「随分無茶するわね」
「仕方ないだろ。死体が検死中に復活して犠牲者が出たら手に負えない。冬木市がラクーンシティになる」
「らくーん? なにそれ」
「なんでもない。ところで凛、警察車両の中で面白いものを見つけたんだけれど、見てみるか?」
彼が差し出したのは被害現場を記した地図だった。その地図に二人は自分が倒したグールの場所を書き込んだ。多少のブレ、揺らぎははあるがその線は収束された一つの方向性を示していた。凛が俺に言う。
「焼け野原から柳洞寺方向へ向かっているように見えるわね」
「一直線ととるか、蛇行しているととるか悩ましいところだな」
「いずれにせよ、柳洞寺方向ってのは間違いなさそうね」
目的地があるのか、それともその道なりに意味があるのか。真也がぼんやり見ていると、地図上の線は神社を踏んでいることが分かった。その神社はパワースポットで有名なところである。あるキーワードが頭の中にぽんと浮かぶ。
「遠坂、冬木市の地脈は分かるか?」
凛はしばらくの呆けた後、あり得ないと言わんばかりに、首を振ってこう言った。
「地脈を吸い上げているってこと? グールにそんな芸当無理よ」
「事実は小説よりも奇なりだ、やってみよう」
「まあいいけれど。地脈の地図は家だから一度戻るわよ」
◆◆◆
凛の家は高級住宅街の一画にあった。豪邸で日本には珍しい石造りの家だ。洋館と言う奴である。庭など何坪あるだろうか、ぱっと見たところ野球すらできそうな広さがあった。そして、術が施された宝石が庭の至る所に設置してある。警報術式か、それとも撃退術式か。
真也は要塞と言っても良い程のこの家を見て、何気なく「このでかい屋敷に一人で住んでるのか?」と聞いてみた。すると凛はしばらく黙ったあと「数名の使用人と母さんとで暮らしてる」と言った。
「母親か。まぁ遠坂も人の子だもんな」
「声に出してるわよ、アンタ……」
「あるぇ?」
玄関に至るとこれがまた大きい。ワンルームアパートほどはあるだろう。その場所に黒髪の女が一人待ち構えるように立っていた。20代後半で、チュニックにデニムパンツという動きやすい格好をしている。彼女は遠坂家の使用人だった。
「お帰りなさいませ、凛さま」
「いま戻ったわ。この男は蒼月真也。一応客人だから客間に通して」
「かしこまりました」
「母さんは?」
「ご自室におられます」
「もう寝た?」
「はい」
「そう」
豪邸だとか使用人だとか、非日常な有様を目の当たりにして呆ける真也に凛はこう言った。
「すぐ行くから大人しくしてるのよ」
「お、おおぅ」
真也が通された客間は客間で立派だった。黒皮のソファーにガラス製のローテーブル。天井にはシャンデリア、チェストもある。調度品は何から何まで高級品だ。敷かれた絨毯のなんと心地良さは一品だ。成金趣味ではなく全体的にシックな装いで、重厚さを醸し出していた。一言で言えば優雅。
(むぅ、あるところにはあるもんだ。我が家も金に困っているわけではないけれど、お袋も桜も家財に執着しないから、どれもこれも簡素な物だ。簡素と言えば桜だ。もう少し洒落っ気出してくれるといいのだが、いかんせん垢抜けない。もともと器量良しだから本気で着飾れば相当な物だと思うのだが。何とかせねば。綾子もサバけてる方だし、タイガーはタイガーだし、機会があれば遠坂に相談してみようか、でも桜は遠坂を嫌ってるし……)
真也が調度品の造形に感心していると、カチャリと扉が開いた。凛かと思って振り返るとそこには妙齢の女性が立っていた。髪は黒く長くて艶をもち、薄緑色のワンピース、全体としてゆったりした装いである。そう、まごうこと無く貞淑な女性だった。
その女性は真也を見るととても嬉しそうにこう言った。
「まぁ♪」
真也は戸惑った。凛は母と使用人がいると言った。この人はとても使用人に見えない。つまり。
(この女性が遠坂の母親……どういう奇跡だ)
「まぁ♪ まぁ♪ まぁ。本当にお客様がいらっしゃるなんて♪」
「は、はあ」
彼女は歩み寄ると、思い出した様に深々とお辞儀をした。
「大変失礼しました。私は遠坂の当主である遠坂凛の母で遠坂葵と申します」
「申し遅れました。私は蒼月真也といいます。夜分遅くに大変申し訳ありません」
「とんでもありませんわ。娘が連れてきたのですから、ごゆっくりなさってください」
誘われるまま腰掛けると使用人の女がココアを持ってきた。
「お口に合うと良いのですけれど」
そのカカオの香りは真也の気分を随分落ち着かせた。美味しいですねこれ、という素朴な感想は葵を随分と満足させた。
「ところで娘とはどのような関係でしょうか?」
「ご当主と私は同学年でして、」
彼は迷ったあとこう言った。
「学業で競い合う仲です」
葵はロングコートに隠された長細い何かが武器であろうと見当をつけた。つまり同業である。娘が深夜に連れてきたのだ、自ずと知れた。
だがそんな事はどうでも良かった。父である時臣を神格化する程に信奉している娘が、男の子を家に連れてくるなど、葵にとっては驚嘆以外の何物でも無かったのである。
恋愛はともかく懇意にして貰おうと考えた。小さい頃から夫の良いところばかりを語り続け、こんな娘にしてしまったのは私の落ち度。娘に男性経験を積んで貰おうという親心であった。礼儀正しいのも合格点、そんな事を考えた。
「そうでしたか。娘がお世話になってなんとお礼を申し上げて良いのやら」
だから学業を競い合う仲ですお世話なんてしていません、と真也は心中でツッコミを入れた。
「とんでもない。ご当主のおかげで勉学にも気合いが入ろうものですから」
「真也さん、とお呼びしてもよろしいでしょうか? 私も葵で結構ですから」
「はい。光栄です」
冷静さを装っているものの、綺麗な未亡人に名前で呼ばれて心中穏やかで無い真也だった。
「娘の事をどう思いますか?」
真也は逆流しかけたココアを何とか胃袋に押し込んだ。葵は親として心配しているとも、男女関係的な意味にもとれる質問をした。とどのつまり好意を持っているかという探りを入れたのである。真也は個人的感想はさておいて客観的な評価を回答とした。
「ご当主は勉学も運動も大変優れた方です。人望もありますし、なにより見目麗しい。ご心配なさる事はないでしょう」
(あら、手強い方)
(なんつー事を聞くんだ。この人は)
ばばん、と部屋の扉が勢いよく開くと凛が現れた。その手には古文書が握られていた。
「母さん! 何かってしてるのよ!」
「これ。大声を出すなど品がない。お客様の前ですよ」
彼女はズカズカと葵に詰め寄った。トーンを落とし控えめに。
「その男は私が連れてきました、勝手にされると困ります」
「ごめんなさい、お客様など久しぶりで♪ それに凛が男の子を連れきたと聞いたら尚のこと我慢できなくて♪」
あらいやだ、ホホホと品良く笑う葵。凛は苛立ちを隠さない。
「勘違いしないで、使役のため呼んだのよ。というか一度寝たのにわざわざ起きてくるなんて」
「これ、凛。使役だなんて真也さんに対して失礼ですよ」
「……しんや?」
凛の突き刺さる様な冷たい視線、真也は諦めた様にココアを飲んだ。
◆◆◆
地図に記したグール発生箇所は地脈図と綺麗に一致した。「嘘……」と驚きを隠さない凛である。事実は事実、グールと地脈と何らかの関係があるとみるべきだろう、二人はそう考えた。気を取り直した凛が言う。
「まあいいわ、この地脈に沿ってみましょ」
二人は再び新都に足を運んだ。推理通りなら地脈、と言っても枝の一つ。末梢も良いところだがこれを辿れば親玉グールに出会う確率が高い。何より今夜は満月だ、確率も高いと踏んだのだった。
夜の道を二人で歩けば人通りは無く静まりかえっている。小道ではあったが灯りには事欠かない。あと1,2時間もすれば空も白むだろう。だが、漂う妖気は尋常でなく非常に陰鬱とした雰囲気だ。
凛は先陣を切り颯爽と歩く、その様は夜を切り裂かんばかりである。
「ところでアンタはどうやって戦うの?」
「基本的に刀、あとは魔力を使ったどつきあい」
「ふぅん流派は?」
「風神流。早きこと疾風のごとし、猛々しきこと嵐の如く、そんな感じ」
「……聞いた事ないわね。速そうではあるけれど」
実はこの名前は隠語で、実際には封神流と書く。千歳には伏せておく様言われていた。
「遠坂は?」
「宝石魔術」
「ほぅ」
「分かってるの?」
「何となく」
「アンタね……」
文句の一つでも言ってやろうと凛が詰め寄った時「うーあー」と声ならぬ声がした。
「何か言ったか? ひどく聞きづらい声だったが」とは真也が言う。
「ううん、なにも」とは凛。
ゆっくりと行く先へ視線を向けると、ほんの数メートル先に異様な人影が立っていた。顔は青白く、目はうつろ、口はぼんやりと開いて、口から唾液と血を垂れ流し、ビジネススーツをこれでもかと言うほど汚している。好意的に見れば20代後半のサラリーマンに見えなくも無い。
「こいつ、一週間前倒した奴だ」と凛が誰に言うまでも無く呟いた。
「奇遇だな。昨日倒した奴だぞ、こいつ」と真也が言う。
「復活したっての」
「ってことになるな」
グールは何もせずじっとしていた。凛が懐から宝石を取り出すと呪文とともに投げつけた。魔術が発動し宝石はグールのアストラル界に干渉した。それはあっけなく崩れ落ちた。
「「……」」
崩れた灰となったグールを見て凛はぽつりとこう言った。
「どう考えたら良いのよ、これ」
「これだけ見たらどう都合良く解釈しても普通のグールだな」
「私こんなのに煩わせられていたわけ?!」
凛は憤りをビルの壁にぶつけている。激しい蹴りの応酬だ。その姿に男の純情が崩れる様が見えた。
「……」
それはさておき、真也は崩れたグールのなれの果てを確認した。それは灰に似ていて、僅かな風ですら空に舞い消えそうな程であった。
(うーん、謎は謎のままだが)
いずれにせよこれを放置するわけにも行くまい。とてもそうは見えないが、推測通り復活されると厄介だ。回収し、処理もしくは封じておこう、と彼は考えた。コンビニでゴミ袋を買ってくる旨を凛に伝えて、その場をあとにした時だ。
もぞり。
それはスライムのように蠢くと、CG映画のような滑らかな曲線を描いて復活した。凛は魔術宝石を取り出そうと懐に手を伸ばすが、間に合わなかった。
「っ!」
それは恐るべき早さを見せたからである。少なくともゾンビ如きでは不可能な速さだった。凛の首を掴み、食いちぎらんと牙を剥いた。
真也は駆け寄りながら左手を頭上に掲げると、大地へ打ち下ろした。高速の一刀が、局所的な空気圧力差を生み、真空の刃を生み出した。かまいたちである。その刃は走り、グールの両腕を切り落とす。踏み込み。グールの懐に踏み込んだ彼はそのまま蹴り上げた。数十メートルかち上げて、大地にたたき落とす。
急ぎ凛の首を絞めている両腕を外すと放り投げた。凛は苦悶の表情を隠さず、咳き込んでいる。グールは俺らをあざ笑うかのように、かかかかか、と。声を出す。切り落とした奴の両腕が復元されていく。
「こんのぉっ!」
凛が最大出力でガンドを撃ち放つ。グールに向かうその黒い弾丸は逸れて暗闇に消えていった。それは跳躍し、避けた。ビルの壁に張り付き、愚弄するかの様な双眸を見せている。
「真也、コイツ変だわ」凛は構える。
「同感。魔力も随分高い」凛の発言に妙な違和感を感じつつ真也は抜刀した。
「地脈から力を吸い取った?」
「だろーなー」
グールは口を開くと黒い魔力の弾を撃ち出した。次から次へと繰り出される様は銃撃の様である。真也は攻撃を避けて切り込むが、近づくと高いビルの上に逃げる。凛がガンドで攻撃するが避けられる。グールはビルの壁に“立って”愚弄するかの様に見下ろしている。一般人が見ればその様は悪夢の様だろう。
さてどうすると二人は考えた。時間を掛けると人目に付く、第3者がこの場に現れれば被害者を出しかねない。
「素直に向かってきてくれれば即座に切り捨てられるんだけど」
「であれば必要なのはアレの足止めね」
二人は眼が合った。
「任せた」と凛は駆けだした。
「了解」と真也が答えた。
凛は軽量化の呪文と防御結界呪文を自分に掛け、ガンドで挑発しながら夜道を駆けた。裏路地は左右を壁に囲まれている、その地形効果はグールに存分な恩恵を与えた。上下左右、四方八方に駆けるその様はまるで家蜘蛛である。彼女の技量では当てる事は難しい。
(聖杯戦争のいい模擬戦ね、これっ!)
避ける事は出来る。魔力の弾を喰らっても持ちこたえた。ダメージを覚悟して撃ち出したガンドは宙を切る。それでも当てる事は叶わなかった。逃走と追跡、追撃と迎撃、それを何度か繰り返すと、彼女の目の前に壁があった。袋小路である。
しまったと、慌てて振り返るとそこにグールが居た。双眸を赤く光らせている。
「っ!」
凛は左手を掲げフルオートで撃ち出した。八艘飛びの様な動きで全て避けたグールは、その機動力で凛に迫り、彼女の身体を掴みあげた。防御結界が撓み、虹色の干渉光を放つ。それは限界の証だ、今以上の負荷が掛かれば結界が崩壊する。凛を食い尽くさんと開いた顎は、真也の一閃を食らい宙を舞い飛んでいった。首と胴が泣き別れになったのである。
凛が囮になり動きを止め、そこを真也が狙うという作戦だったのだ。
彼は迅速にグールの身体に近寄ると刀身に魔力を込め屠った。その威力は凄まじく、灰化せずにそのまま消えた。凛はその威力に目を剥いたが、真也が怒っていた事の方が驚きだった。
ころん、と転がった赤い宝石(ルビー)。凛はそれを拾うとそういう事かと理解した。残ったグールの頭は灰になって夜空に舞った。
◆◆◆
そのルビーは曰く付きの宝石だった。人に不幸をもたらし破滅させる、呪われた石。石にはこういうことが良くある。扱いに困った誰かが公園に捨てたのだろう。元々魔石としての一面を持っていたそれは地脈を吸い上げ力を貯めた。そこに浮遊霊が加わり真祖的なグールとなった。これが種明かしだ。
凛はそれを封印する事にした。魔術師が保管するなら安心だと真也も何も言わなかった。無事解決、疲労感が心地よく妙な達成感と安堵が二人を満たす。
「帰るか」
「そうね」
こつこつと靴音が響く。真夜中の冬木市はとても静かだった。先ほどの戦いが嘘の様だ。だから、さっそく凛は真也に詰め寄った。
「どういう事よあれ」
彼には何の事だかさっぱりだ。
「言葉が足りない」
「遅いって言ってんのよ、もうちょっとでやられちゃうところだったじゃ無いっ!」
てっきり礼を言われるのだとばかり思っていた真也はたちまち憮然とした。
「……言いたくないけれど、凛の逃げ足が速すぎなのが問題だ。ちょこまかちょこまかと逃げるから追うのが大変だったんだぞ」
「なによ、私が悪いっての?」
「コンビネーションの事を一切考慮せず、自分だけで突っ走ったんだ。それ以外何がある」
「危険を承知で囮を買った相棒にそういう事言うか、真也は」
「袋小路に逃げ込んだのはどう考えてもミスだろ」
「男のくせに女の子のせいにするのね、男の風上にも置けないわ」
「性別なんか関係ないね、凛が悪い」
「なによ、馴れ馴れしい。名前で呼ばないでくれる?」
「気づいてないのか? 真也と名前で呼んだのはそちらが先だ」
「人の母親を名前で呼ぶからいけないんでしょうが」
「良く分からない理屈だが、彼女には良いと言われている」
「か、かのじょぉ?」
「おかしい所は何も無いだろ?」
「ふ、ふざけるんじゃないわよっ! 人の母親を彼女って、狙ってるわけっ!?」
真也はにへらと笑ってこう言った。
「恋愛脳」
「な、な、な、」
「いやぁ、あの遠坂凛がこんな可愛らしいお嬢さんだとは思わなかった。意外や意外。皆が知ったら驚くだろうな」
「私を脅迫する気かっ!?」
「とんでもない。この事実は凛に親近感を持たせるだろう。それに一役買えると思えば俺も誇らしいよ」
あははと夜道を歩く真也。殺すしか無い、この男を殺すしか無い。私の矜持のため、母の貞操のため、遠坂家の名誉のため。凛が左腕を抜いた。服で見えないがその魔術刻印は臨界運転(フルドライブ)だ。
「はい、君たち。未成年だね?」
「「えっ?」」
と二人が見ればそこには警官の姿、少年課だった。間髪入れず真也は凛を抱きかかえた。がその動きはだいぶ妙だった。どのぐらい妙かというと、あちらこちらから落ちてくる玉入れの球を受け取る様なぐらい妙だった。そして走る、走る。コートを翻し、凛の長い髪を棚引かせながら。
「待たんか、こらーーー!!!」
凛はお姫様だっこに戸惑った。慌ててスカートの裾を抑えるが上手く隠れない。下着が見られてしまったかも知れない、頬を赤く染めながら彼女は叫んだ。
「真也! なによあの挙動不審! 一人だけ逃げようとしたでしょっ!」
「ちゃんとこうしてだっこしてるだろ!」
「嘘つくなってーのよっ! 私が白状するからとか思ったんでしょうがっ!」
「それが分かってるなら大人しくしてろ!」
「変なところ触るなこの変態! さっさと降ろせーっ!」
「了解っ!」
「え?」
警官から刀を隠すためコートの翻しを抑えつつ、凛を抱きかかえつつ逃げるのは骨が折れた。だから、真也は刀を託すと凛ごと公園の藪に放り込んだ。
「刀を預かってくれっ! 後で取りに行くっ!」
そう言って真也は走り去った。その後を警官が追いかける。凛は憤りのあまり身体を震わせる。
「最ッッッ低!」
彼女の頭には落ち葉が一枚乗っていた。
つづく!