冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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40 カイーナの環・10

覚めれば見慣れた天井である。そこは彼の家、彼の部屋だ。おもむろに視線を降ろせば、板に足を四本取り付けただけのシンプルな勉強机が見えた。その上にはデスクライトやテキスト、ノートが雑多に置かれていた。自分は高校生だった、彼はそれを思い出した。壁には穂群原(ほむらばら)の学園服が掛かっていた。随分と懐かしさを感じさせた。

 

視線を更に横に動かすと本棚があった。DVDや書籍が収めてあった。漫画はそれ程多くない。嫌いと言う訳ではなく、内容の割にかさばるため避けているのである。であるから、友人から借りたり、漫画喫茶で済ます事が多い。

 

改めて見渡せば、妹の言う通りガラクタが多い。クローゼットの前に狙撃銃“H&K PSG-”を模した電動エアーガン立てかけてあった。もちろんサバイバルゲームに興味は無く、ただ何となく気に入っておいてあるだけだ。友人の家に遊びに行きインスピレーションを感じた物があれば、頼んでもらい受ける事はしばしばだ。買い取る事すらあった。クローゼットに収めた段ボールには、子供が遊ぶロボットのおもちゃや、アメコミのフィギュア、本物であろう壊れたブランドの時計、使い道のない銀塩の一眼レフカメラ、VHS-Cのビデオカメラもある。A君曰く“種々雑多”、B君曰く“カオス”そのような段ボールである。リサイクルをするには微妙なモノが多い故、渋々処分をした。捨てたのではない。何気なく士郎に溢せば彼は二つ返事で引き取った、そう言う事だ。集めては妹に怒られ、衛宮邸の土蔵に献上する、そんな事を希にだが繰り返した。彼はそれを思い出した。

 

(ガラクタを集める様になったのって何時だったか)

 

そう思いだしても記憶に無いので毛布にくるまった。腕の中に変わり果てた妹がいると漸く気がついた。もう戻れないかもと覚悟を決めバーサーカーに挑めば、この様な形で家に戻って来た。闇夜に肌を晒す妹は静かな寝息を立てていた。

 

もぞりと身体を動かすと、腰の辺りに水を滴らせた様な冷たい感触があった。白いシーツに染みが落ちていた。妹のものである。それが夢に落ちる前の出来事を思い出させた。見た夢はなんだったか。葵と凛と桜があの屋敷で笑っている夢ではなかったのか。その夢がとても遠い。今の状況を誰かに相談したい。それに意味は無い。したところで、彼の行動は変えられないのだ。

 

妹が自分の意思で、世界の破滅を望んでいる以上、どうにもならない。妹がそれに至った理由を聞いてはならない、考えてはならない、知ってはならない。知れば、妹を倒さねばならなくなるかもしれない。だがそんな事は出来はしない。凛と桜に挟まれただけで気を失ったのだ。その理由を知った直後、また気を失う。妹を手伝えなくなる。彼に存在理由が無くなる。心臓が痛んだ。溜らず蹲る。残された時間はどれだけだ。世界が終わるのが先か、己が終わるのは先か。出口が見えない。右を向いても上を向いても、真っ暗だ。

 

 

◆◆◆

 

 

家の外から死者の嘆きが聞こえれば、人の気配が消えていく。不可解だ。影は妹が操っているはずだ。その妹が寝ているのに何故影が動く。他の何かなら捨ててはおけない。妹が人を殺すのは仕方が無いが、他の誰かは見過ごせない。抱えた矛盾を飲み込み彼はベッドを抜け出した。身繕いもそこそこに家を出た。

 

その災いは妹だった。冬木市の住宅街を見下ろせる高台に立てば、人々が影に喰われていた。まだ空には星が煌めく時間である。夜が明けるには数刻必要だろう。津波の様な黒い影が家々を覆い尽くすと、水に浸したオブラートの様に地面に溶けていった。人が喰われた。家屋には傷一つ無いにも関わらず、人生を営んでいた人だけが喰われた。被害は40棟、60人。問題はそれだけの魔術の発動に関わらず、魔力を感知できなかった事だ。つまり、あれは魔術ではなく挙動に過ぎない事になる。朝になれば大騒ぎだろう。“あの影は誰が操っている”その疑念は消しきれず心の片隅に小さく残った。心臓が痛み、表情が歪んだ。

 

「早く逃げろよ。でないと壊れた兄妹が喰っちまうぞ」

 

そう呟いた時には昏かった空がぼんやりと白んでいた。何をする事も無く、ぼうと町並みを見下ろしていると、妹の声で話し掛けられた。

 

「こんな所にいたんですか兄さん」

「どうしてここに?」

「兄さんの居場所なら世界の果てでも分かります。酷いです、一緒に朝のまどろみを過ごしたかったのに」

 

振り返れば、桜の背後に見慣れぬ男が控えていた。黒い陣羽織に、消し炭色の袴を纏っていた。呪われた容貌だが、風流な雰囲気を醸し出していた。その男は主の兄に皮肉めいた笑みをもって、挨拶とした。敵かと思ったがそうではないらしい。

 

「その男は?」

「アサシンです。ようやく再構成出来ました。でもアーチャーは損害が大きくてしばらく掛かりそうです。首の切断面が完全に死んでいて、その面がどうやってもくっつかないんです。何処の誰かは知らないけれど、どうやったんでしょう」

 

黒い影がアーチャーを喰らったのは、真也が立ち去った後だ。つまり彼女はアーチャーを倒した人物を知らないのである。

 

「桜。残りは何体だ?」

「2体です」

「セイバーと誰にする」

「ライダー、と言いたいんですけれど、彼女は私たちによくしてくれましたから。ですから、イリヤスフィールを狙います」

「なぜ?」

「あの娘は私と同じ、もう一人の小聖杯です。無くても良いんですけど、天の杯が完全に動けば誕生も確実ですし」

(……小聖杯? 私と同じ? 天の杯?)

「先輩の家にお邪魔した時に見て分りました。あの娘はバーサーカーとキャスターの魂を持っている筈です。それで揃います」

「桜、頼みがある。ランサーとは因縁があるんだ」

「因縁ですか?」

「アイツとは全力を持って戦うという約束を交わした。バーサーカーを倒せたのはランサーのお陰だ。だから」

「いいですよ、兄さんの我が儘を聞くのも妹の役目です。こちらも直ぐに生まれる事は出来ませんし待ちます」

「助かる」

 

妹に作った笑みを見せると、彼は再び街を見下ろした。何時しか影は消えていた。

 

「今日はもう良いのか?」

「兄さんが辛そうだから、生まれるまで止めます」

(生まれる?)

「100人、200人食べたところで焼け石に水ですし、当面は問題ありません」

 

妹が兄の背中に身を寄せ、胸に腕を回した。その背中に頬を添えた。彼は己の胸にある妹の手を恐る恐る握った。

 

「辛いですか? 苦しいですか? 可哀想な兄さん。兄さんは純粋だった。私だけの兄さんだった。苦しむなんて事無かったのに、姉さんなんかと出会ってしまったばっかりに、呪われてしまった。でももう少しの我慢です。私が全部無くしちゃいますから」

「草津、行きそびれたな」

「兄さんが居るなら何も要りません。兄さんが居るなら何処でも同じです。ここは悲しいでしょう? 兄さんはもう休んで下さい。サーヴァント集めは私がやります。でもどうにもならなくなったら絶対助けて下さいね」

 

彼の足下に影が落ちると徐々に沈んでいった。

 

「ギルガメッシュに負わされた怪我は?」

「まだ掛かりますから、無理はしません」

「気をつけてくれ。アサシンが居るなら……まぁいいか。俺も心残りは無い。そいつの剣技は俺よりずっと上だ」

 

彼女は淑やかに笑い出した。強大な力を得て、余裕が出来た。

 

「変な事言ったか? 俺」

「逆です。言ったでしょう? 今度は私の番。私が兄さんを守ります。辛い事も苦しい事も全部無くなって、兄さんは私の中で永遠になるんです。兄妹はずっと一緒です。本当なら吸収しちゃうんですけれど、兄さんだけは特別。だから兄さんを私と同じにしちゃいます」

「同じ?」

「直ぐに分ります。先に祭壇へ帰ってて下さい」

 

既に下半身まで沈んでいた。

 

「……さくら、ごめん」

「どうして謝るんですか?」

「俺は桜を助けられない。止められない。10年前出会うべきじゃ無かった。そうすれば桜はこうはなら無かった」

 

なぜ、そんな辛そうな顔をするのか。なぜ、そんな悲しい事を言うのか。あの女が、あの女さえ居なければ。

 

「兄さんは辛い目に遭って疲れてるの。その日が来るまでのんびり散歩でもして下さい」

 

彼女の兄は歪な笑みだ。精一杯の作った笑みを見せると完全に泥の中に沈んだ。桜のそれは呪いの言葉である。

 

「………姉さん」

 

桜の影の中。彼がその世界に足を踏み入れるのは2度目だ。一度目は衛宮邸から撤退する時。ただ一度目と異なり意識を持ったまま潜るのは初めてである。見渡す限り真っ黒だ。正しい表現をするならば、一切の光がない世界。その何も無いはずの世界に、ある意思があった。意思と言うよりは、怒り、恨み、妬み、悲しみなどの負の感情である。人が持つあらゆる悪がそこに満ちていた。見渡す全てが呪いで、数える事などできはしない。彼方であり近傍でもある、測定出来ない底から、その呪いが降ってきた。或いは。手の届かない彼方の空から、登ってきたのかもしれない。腕の様な触手の様な、その呪いは彼を捕らえると彼を侵食、汚染し始めた。

 

彼の身体は呪われしまった。今や彼の容貌は桜と同じだ。黒い髪は灰の様な無味な白になり、皮膚は陶器の様な冷たい白、身体には地獄の炎の様な赤い入れ墨が走る。呪いの手が彼の心臓を掴むと、桜に心臓を文字通り握られた。それは命(意思、記憶、感情、思念)を支配された事を意味し、桜の狙いでもあった。ただし、その世界を埋め尽くす程の呪いですら汚染できないものが二つ存在する。呪いよりなお深い魔眼と、遠坂の為だけに存在する精神構造だ。

 

誰かの記憶が奔流となって流れ込む。それは鉄砲水の様に圧倒的だったが、彼は正気を失う事無くそれを見た。広がるのは薄暗い地下の神殿。神殿と言っても邪神の類いだ。緑に見えるのは、苔か、腐敗の色か。そこに横たわっていたものは、蟲たちの苗床にされた妹の諦めだった。4歳の幼い妹は養祖父臓硯に、肉体、神経、魔術回路、精神と魂を犯され続けた。その虐待は千歳に救い出されるその日の到来まで続き、二年間に及んだ。性別が異なる、精神構造が異なる、それ故その絶望は半分も理解できなかった。

 

そしてその記憶の更に奥。魔眼が虚数世界の底に横たわるそれを捕らえた。それは生まれる事を望む胎児であった。形を成したばかりのそれは、既に呪っていた。それから生える菌糸の様なそれは、妹の無意識を犯していた。それは妹を操っていた。

 

(そうか。俺の妹はお前に誑かされていたのか)

 

桜を助けねばなるまい。世界の滅亡は桜の意思では無い、それを知ってしまった以上、見過ごせない。今までそうであった様にこれからもそうなのだ。だがどうする、どうしたらいい。どうすれば桜を助けられる。その身はもはや桜(アンリマユ)の側。それ以前に桜に刃を向ける事など出来るはずが無い。彼では桜を倒すどころか、止める事すら出来ない。

 

(どうしたら良い)

 

 

◆◆◆

 

 

その洒落た部屋は新都にあるキャスターの仮の住まいである。パティ色を基調としブラウンのカーテンでアクセントを付けた、シックなカラーリング。ベッドはキングサイズで、手足を広げる事も出来る。はしたないとは思いつつも、一度やってみれば随分と気分が良い。壁一面を成す、窓ガラスからは新都を一望出来た。晴れれば日本海も見渡せる絶景だ。夜景も美しく申し分ない。

 

そこは高級ホテルの一室である。彼女の主はホテルにでも泊まると良い、と彼女に告げクレジットカードを手渡した。彼女はその助言に忠実に従った。ただ、二人には金額という意味で大きな隔たりがあった。ホテル内にあるレストランの味も悪くない、ロビーに置いてるガイドブック、それに記される周辺のレストランも興味をそそる。イタリアン、チャイニーズ、フレンチ。彼女の使う宿泊費の総額は、真也の想定する金額の5倍はあるだろう。とても悲しい意思疎通の齟齬であった。だがそれらはあという間に些末になった。

 

良いマスターだ、キャスターがそう思ったのはその日の夕方までである。彼女が蒼月の家を発ったその数時間後、想定通りにランサーがマスターを訪れた。ここまでは良い。彼女のマスターは想定通りにアインツベルン城に向け出発した。ここまでも順調だ。突然セイバー陣営にボコボコにされた。予定外である。遠見の水晶玉に、カフェオレをぶちまけたのは彼女だけの秘密だ。報復だといきり立ったが、辛うじて堪えた。彼女の命は情報収集であり、戦う事では無いのだ。

 

ランサーの面倒見の良さに驚きつつ、美綴綾子という味方の存在を微笑ましく思い、緊張と期待と興奮を持って二人の夜を見守れば、何も起こらず落胆した。そしてアインツベルン城、バーサーカー戦。バーサーカーを倒した事に胸をなで下ろし、イリヤスフィールを殺せなかった事に憂慮し、そしてギルガメッシュ乱戦を食い入る様に水晶玉を覗けば。彼女のマスターはボコボコにされた。注いでいたコーヒーを溢れさせ、腿を火傷をした事は彼女だけの秘密である。

 

彼女は己のマスターに主従関係以上の想いは持っていない。望んでもいない。求められない事は、彼女にとって僥倖だ。とはいえ嫌っている訳でもなかった。慟哭をひた隠しにしながら戦いに赴くその様は、彼女には涙を堪えながら立ち上がる子供の様に見えた。可愛いマスターだ、というのが彼女の所感である。

 

非正規とはいえ契約も正式に交わした相手である。それゆえ果たすべき忠義は過分でも構うまい、と考えた。彼女にとって彼は男女関係を抜きにして重要な存在となった。だが彼女のそのマスターは運が無い。消えかかったところを反転した桜に回収されしまったのである。その結末は彼女のマスターにとって最悪の展開だ。もう我慢出来ぬ、この危機に傍観していては、なんの為の臣下か。手を拱いていては、役立たずと自分で言っている様なものだ。だがしかし。情報収集に徹し、彼女から連絡を取る事は叶わず、と厳命されているのである。

 

彼女は泣く泣くその責務に没頭した。なぜだろう。彼女はその頃からその左手を鳩尾に宛がう様になった。よく考えてみれば、桜に従う、否、従わざるを得ない極限状態のマスターに接触を図れば、彼は否が応でも妹の望む命をキャスターに下さなくてはならない。それでは本末転倒である。そう自分を何度も誤魔化した。であるからして。彼女は調達した、すり鉢にシソ科のヒキオコソシとリンドウを入れすりつぶし、呪文を唱えれば、ボンと煙が立ちあがる。生成した白い粉を、煎じて飲めば、突っ伏した。

 

「ぶ、無様だわ。こ、この、魔女とまで蔑まれた私が」

 

フルフルと身体が憤りで小刻みに震える。

 

「ストレスで胃痛とは。己に胃薬を処方するとは。お、おほほほ。流石ですわマイマスター。これ程の恥辱、受けた事はありません……」

 

であるからして。

 

『キャスター』

 

というマスターからの何食わぬ念話が届いた時、彼女はプツと切れた。立ち上がり、背筋を伸ばし、めいいっぱい空気を腹に取り入れた。

 

『マスターーーーーーーッ!!!!』

 

彼の頭蓋に木霊する事8回。その金切り声に思わず、蹌踉めいた。彼の立つ場所は大空洞に通じる入り口の、脇。森の中だ。小川に突っ込んで冷たくなった右足に難儀しながら。

 

『何を怒ってる』

『怒ってなどおりません! 呆れているだけです!』

『なら良いけど』

『よ、く、あ、り、ま、せ、ん!』

『説教なら後でちゃんと聞く。それより時間が惜しい』

 

彼からはキャスターの姿は見えないが、仏頂面は見て取れた。彼女のそれは渋々の体。

 

『状況は把握しております。今後は問題に直面する前にお申し付け下さい』

『問題ってのは事後に生じるものだぞ』

『困った時のみ連絡されるのは愚者の行為と申し上げております』

『わかった。気をつける』

『結構です。ゆめゆめお忘れ無きよう』

『キャスター、今の桜は一体何だ。どういう状態だ』

『大聖杯の内にいるサーヴァントの様な存在に憑依されている、が説明として適当です』

 

 

◆◆◆

 

 

『桜様の申し出を受けたのは妙手と言わざるをえません。あの状況で桜様を拒絶していれば、マスターは殺されていたでしょうから。先の日に、あのお嬢ちゃんに殺され掛かった様に抵抗すら出来ず、いえ、せず死んでいたでしょう。マスターはその様な臣下泣かせの困った精神構造をお持ちです』

『皮肉はいい。そのサーヴァントの様な物とはなんだ』

『前々回、つまり第3回の聖杯戦争に於いて、アインツベルンが召喚したイレギュラーの英霊、反英雄“アンリマユ”それが正体です。大聖杯に残されている記録からの情報ですので間違いは無いでしょう』

『拝火教の悪魔が桜を操っている? それはどういう事だ。なぜ桜が操られる』

 

『桜様はアインツベルンの作る小聖杯と並び立つモノです。この地の聖杯を作り出した御三家の内の一つ、マキリ、その魔術の家によって生み出されました。何者かまでは分りませんが、恐らく当時の当主がアンリマユの断片を桜様に移植したのでしょう。それは人知れず、徐々に桜様を小聖杯として作り替えた』

『そのアンリマユの狙いはなんだ。あの黒い影と関係は?』

『黒い影とはアンリマユが行使する桜様の魔術です。桜様が元来持っている“架空元素・虚数”と後付けされた“吸収と束縛”との融合の結果です。アンリマユの狙いは、恐らく受肉することでしょう』

『世界を滅ぼす為か』

 

『正確には全ての人間を殺す為、です』

『アインツベルンってバカなんだな』

『幾ら高潔であろうと強い願いというのは狂気に等しい、という事です』

『状態は分った。どうすれば桜を助けられる。ついでにアンリマユの誕生を阻止出来る』

 

キャスターは盛大な溜息を付いた。

 

『なんだそれは』

『その質問は聞かれるだろうとは思っておりました。ですがあまりにも馬鹿馬鹿しく』

『ハッキリ言ってくれ』

『マスター自身が止めれば良いでしょう、と心の底から申し上げたいのですが。その魔眼は神の呪いすら殺す代物です。負荷は相応かも知れませんが、大聖杯に赴きアンリマユを殺す事とて可能でしょう。いえ、桜様とアンリマユを繋ぐ点を殺しさえすれば解放も可能。その後私が大聖杯を閉じる事もできますし。生まれる前のアンリマユであれば破壊する事も可能です』

 

『できない』

『そうでありましょう。そうでありましょうとも。桜様の望みはマスターの望みでありましょうから』

『分ってるさ。矛盾してるって言いたいんだろ。桜を止める事は桜に刃を向ける事だ。この身は既に桜のモノ、桜に刃を向けるなんて出来ない。出来る事と言えば、俺の中にある凛と桜、その凛の部分を使って、凛を視界に収めない様にしながら目を盗んで話すぐらいがせいぜいだ。俺はあの桜を妹だと認識してる。手を振り払い、見捨てた桜はそれでも俺を兄と呼んだ。桜への敵対行動は無理だ』

 

『マスターは遠坂という血に呪われていますわね。これではまるで令呪に縛られるサーヴァントの様ですわ』

『言い得て妙だ』

『何故嬉しそうなのですか。私は褒めてなどおりません。私にはマスターのご意志を計りかねます』

 

 

◆◆◆

 

 

『まったく、不運ですこと。英雄王との戦いの後、マスターを回収したのが、桜様では無くお嬢ちゃんでしたら話は簡単でしたのに。ライダーが連れ去りさえしなければ』

『それはいいっこ無しだ。ライダーは桜のサーヴァントだし凛を嫌ってる。答えが分ってるなら誰だって選択に悩まない』

『ではどうなさいます』

『凛と士郎に俺らを討たせる。もちろん桜を殺すのは無し』

 

『マスターはどうなさいます?』

『どの道先がないから死んでも問題ない』

『あのお嬢ちゃんの置かれた状況を知っての上で、そう仰います?』

『そう』

 

『おほほ、酷い方。マスター程の碌でなしは早々居ませんわよ』

『皮肉は良い。俺だって判ってる。でも他に打つ手が無い。この逼迫した状況で戦力を持つのは彼女らだけだ。俺らが桜が勝てば、凛たちは死んで俺らはお袋に討たれる。お袋はそういう仕事で、それが可能な人物だ』

 

キャスターがその話を気に止めた。

 

『マスターの母君はそれ程の?』

『今の俺ですら勝てない。だから別の回答を作る必要がある。それは桜は無事に遠坂に送り返すこと。士郎たちに俺らを倒させるには彼らを纏めないと』

『ですがマスター。仮に桜さまを解放したとしても、遠坂に戻る事を良しとはしませんわ』

『だから桜の記憶を封じろ。蒼月、間桐の記憶を消し、遠坂に捨てられる前までもどせ。お前ならそれができるな?』

 

『可能です。ですが桜様が、あのお嬢ちゃんが受け入れるでしょうか』

『確かに勝手な話だ。だが桜はまだ16歳。人殺しの過去を背負うには若すぎる。俺が死ねば桜がどうなるか分らない、それを防ぐ必要がある。同じ桜という妹を持つ姉兄なら、妹の事を考えるって信じたい』

『桜様の記憶を封じる事に関して、私は口を挟める立場ではありません。お嬢ちゃん……凛様と相談なさいませ』

『にしてもキャスター。この短期間でよくそこまで調べられたな』

 

『私が以前何処に陣取っていたか、それをお忘れ?』

『柳洞寺は大空洞の真上ね、なっとくだ』

『サーヴァントは小聖杯である桜と相性が悪い為、対抗する術式を開発しております。ご承知起き下さい』

『気が利くと言いたいけれど、できるのかそんな事?』

 

『はい。どのように大聖杯のシステムにアクセスするかが問題でしたが、それも無事解決です。マスターは大聖杯と繋がっております。マスターを介し大聖杯の術式に細工を加えれば容易』

『ハッキングみたいなモノか。どうにか間に合わせてくれ。それは必須になる』

『マスターが時間を稼いで頂けましたので作業に集中出来ました。間に合わせて見せましょう』

『だから皮肉は良い』

 

 

◆◆◆

 

 

『しかしマスター。凛様はともかく、セイバーたちが提案に応じるでしょうか』

『話してみないと、と言うところだが。世界の危機が迫っているなら、動かざるを得ないだろ』

『桜様を殺す手段に訴えるかも知れません』

『凛を説得して、凛に士郎らを説得させる、か。難しいな。見返りがあれば……セイバーには願いが有ると言っていた。その線で攻めよう』

 

『それは無理ですね』

『なぜ?』

『聖杯は万能の願望機ではありません。あらゆる解釈を持って人間を殺す方向性をもった渦です。セイバーの持つ願いがどのような願いか知りませんが、秩序・善の属性を持つ者に値する結果にはなり得ないでしょう』

『セイバーの願いは叶えられない、と言う事か。また微妙な話だな。お前の願いは叶わない、だから手伝え、と言っている事に等しい。あの堅い性格だ。全てを放り投げる性格ではないだろうけど』

 

『でしたら、受肉を持ちかけてみますか? あの坊やに熱を入れているようですし、案外受け入れるかも知れません』

『受肉か。けれど、その出来損ないの願望機でどうやって受肉する?』

『マスター、貴方の臣下が誰かお忘れですか』

『神代の魔術師である君なら造作も無い、か。ところでアンリマユはどうやって受肉する? 君程の魔術の腕を持っているとは思えない』

 

『大聖杯の基幹システムを応用していると推測します。呪いが物質化し泥となった、質量を持った事もその影響でしょう』

『システム?』

『魂の物質化です。“天の杯(ヘブンズフィール)”と言うそうです』

『……それ、魔法じゃないのか?』

『はい。第3魔法だと記録されています』

 

『極秘の第3魔法……不味いな』

『なにがでしょう』

『魔法の使用は御法度なんだ。無事済んだとしてもこの地の管理者である凛が責任追求される』

『それが問題ですか?』

『遠坂家に3人揃わないと意味が無い。キャスター、お前も受肉しろ』

 

『凛様をフォローしろと?』

『そうだ』

『……個人的には躊躇うご指示です』

『この期に及んで駄々をこねるな。セイバー、ライダー、キャスターの3名だ。できるか?』

『ライダーも、ですか?』

 

『彼女は桜を心配してる。嫌だとは言わない筈だ。それに姉にだけプレゼントってのも不和の元だろ』

『ではセイバーは諦めなさいませ。桜様の持つ5体。そしてあと一人。ランサーかセイバーで計6体。この魔力量でライダーと私の受肉は可能です。セイバー陣営に内密にすれば、いえ、そもそも彼らに報いを与える理由は無い筈です。彼らは漁夫の利でイリヤスフィールを手に入れたのです。あえて危険を冒す必要はありません』

『だめだ。桜を抑えるには俺ら以外の勢力が必要。それにはセイバーと士郎に他ならない。これは士郎らに対する見返りであり、その後の事に関わる。士郎には冬木を守って貰わないといけない。一人は辛いだろうが、誰かが傍に居れば苦境でもそれは幸いだ。それに葵さんと桜と凛の家族3人を一緒に居させるべきと俺が言っている以上、士郎は別だとは虫が良いだろ。その前提で作戦を考えてくれ』

『人が良いというか、剛気というか。マスターは少し変わりましたわね』

 

『質問は無しだ』

『英霊の魂を7体揃え、あちらの世界への孔を開き、魔力を確保すれば如何様にもなりましょうが。マスター、その意味をおわかり?』

『分ってる。アンリマユを生み出す事と同義だ。桜が持つサーヴァントは5体だから、まだ孔は開いていない訳だけれども、その時間猶予はどれ程見積もれる』

『アンリマユの成長度合いとから推測すると、孔を開き、即座に受肉作業に入れば3体分の時間は優に稼げます。ただ、成長度合いの見通しは確実ではありませんし、孔を開く事は成長を促進させる事と同義です。なによりそこに至るまでの工程が確定できません……危険は相応にあると覚悟なさいませ』

 

『分った。その線で進めよう』

『ランサーは如何なさいますか?』

『俺が、倒す』

『……よろしいのですか?』

 

『ランサーとは決着をつける約束だ。それに、ランサーならきっとこう言う“リスクを重視して、妥協するのはイケてねえ、安易な道を選ぶのは趣味じゃねぇ。半端な奴なら相手にしねえ”ってさ。聞いてくれ、キャスター。俺らは何もせずこのままなら全部失う。なら、その見返りは全部得るべきだろ? まぁ、セイバー次第なんだけど、多分大丈夫だ。君の言う通り、彼女の情は士郎にある』

『矛盾してますわマスター』

『俺の心臓の事なら気にしなくていい。キャスターでも聖杯ですらどうにもならない、なら仕方ない』

『有ります』

 

『……まじ?』

『マスターの母君は魔術師ですね?』

『そうだけど?』

『腕前の程は?』

『俺よりずっと上』

 

『今どちらに?』

『仕事中。このタイミングなら帰宅は聖杯戦争終結後だな』

『マスターの心臓を再構成する事により、解決が可能かと』

『再構成なら意味が無いだろ。作り直しても同じなんだから』

『ですからその際に強い思念を込めます。愛情と言えばおわかり?』

『高い魔術的な技能と俺に対する愛情を持つ者、まさか君だとか言うなよ』

 

そんな事は幾ら忠義を尽くそうとも臣下にすぎないキャスターには不可能だ。

 

『ですから、マスターの母君です。心臓を再構成するだけの魔力を聖杯から確保、母君が戻り次第、再構成処置』

 

そうだろうな、と彼の声は少し落胆していた。

 

『それはない。お袋は俺に対して母親的な心を持っていないんだ』

『……喧嘩でもなさいましたか』

『俺が覚えている限り、彼女から母親的な意味での抱擁を受けた事は無いよ。恐らくお袋は俺を根本的に嫌悪してる。理性を持って母親らしく振る舞っているだけだ。理由は知らんけどね。もちろん桜には親として接していたけれど』

『……』

(……お袋の奴、試練だとか言ってどこかで見てるんじゃ無いだろうな)

 

彼女のそれは溜息と言うよりは苦悩に近かった。

 

『どうして、次から次へと不運が続くのかしら。見えない何かに振り回されているようだわ』

『俺に言われてもな』

『マスター。自分の死を念頭にしていませんか。マスターの生を願っている者も居るはずです』

『そうだな、そうかもしれない。けど、どうにもならないだろ』

 

『なりません。せめて生き残ると宣言なさいませ。出来る出来ないは別です。命を賭して、大義を掴むなら善いでしょう。ですがマスターは矛盾しております。宜しいか? マスターを代償にあの二人が幸せを掴むなどあり得ません』

『キャスターの言いたい事は分る。俺だってあの二人を見届けられれば、そう思う。凛も桜も最終的に俺を許してくれるかもしれない。諦めた俺を怒るかもしれない。だがキャスター、君は記憶に障害が出るかもしれないと言ったな? それが既に起きている。末期の俺が皆を覚えているか、正気を保っているかどうかすら非常に怪しい。正直に言うと、セイバーの顔が思い出せないんだ。士郎の母親の名前もな。その俺に手加減するのは危険すぎる。全力で掛かる事が肝要だ』

 

おかしい、いくら何でも症状の進行が早すぎる、キャスターはそう呻いた。進行を操作出来る人物……キャスターの心当たりは一人のみである。

 

『マスター。その原因ですが、』

『いいんだよ、これで。キャスターの気遣いには涙が出る。でも、俺はあの二人をかき回しすぎた』

 

キャスターは納得がいかなかった。生きる意思さえあれば道を開く可能性がある。ならば、どうする。彼に生きる意思を与えられる者、姉妹以外で真也に影響を与える者、キャスターにはある人物が浮かび上がった。

 

『やるぞキャスター。こいつは大博打だ。ライダーに連絡を取ってくれ』

『承知いたしました』

 

声のトーンが上がった従者に、彼は少しだけ驚いた。

 

 

◆◆◆

 

 

桜と真也が立ち去った後、士郎らセイバー陣営の面々は急遽その対応に追われた。二人に何があった、何故人を喰らう、何故セイバーを求めた、これからどうするべきか。混沌とする衛宮家の居間で、回答という名の秩序を与えたのはイリヤであった。桜を目撃した彼女は、互いに小聖杯である事を確信したのである。大聖杯内にアンリマユが潜んでいる事、生まれるには英霊を7体あつめ孔を開く必要がある事を話した。そして、桜がそのアンリマユに操られている事も。

 

完全では無いが、状況を把握した士郎はまずは十分だと立ち上がった。キャスター戦のおり解析した“破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”を使い、桜を解放するのである。自ずと真也も解決するだろうとの確信があった。だが、2つの大問題が立ち塞がる。ルールブレイカーを使い、イリヤをセイバーの主とし彼女のステータスを大幅に上げた今なお真也を抑えるには不安が募る。 加えて、バロールの魔眼という最悪の代物まで持っているのだ。戦力が足りない。残るサーヴァントは、ランサー、ライダーの2体。どうにか協力を取り付けたいが、どこに居るのかすら分らない。加えて猶予も無い。蒼月兄妹が再び現れるまでに戦力を整えなくてはならないのだ。

 

二人を助けたいという士郎の方針に対し、舞弥とセイバーは異を唱えた。躊躇う事無く殺すべきだと進言した。二人にとって士郎は最優先なのである。なにより真也と相対したセイバーは、手心をもって倒せる相手だと侮っていなかった。複雑な事情を持つイリヤも渋々ながらも同意した。桜が凛を姉と呼んだ事を根拠に、士郎は保留とした。凛は回答を避けた。

 

陽が落ちかかった紅の時、住宅街のアスファルトに薄い影を落とすのは、主力の、セイバー、凛、士郎の3名である。ルートを決め、時間通りに歩き、他サーヴァントとの接触を図る。舞弥とイリヤは少し離れた車内でバックアップだ。セラとリーゼリットは不承不承留守番をしている。セイバーとイリヤが居ない以上、彼女らが襲われる心配は無い。多少なりとも得た希望に士郎の表情は明るかった。

 

「もはや聖杯戦争は形を成していない。事情を話せばランサーも受け入れてくれると思う」

 

士郎に応えたのはイリヤだった。

 

『ランサーはともかくライダーが微妙ね。サクラのサーヴァントだもの、もう食べられてるかもしれないわ』

「桜とライダーは仲が良かったからな。彼女は助けたがっているはず、多分大丈夫だよ」

『逆に食べられてたら、それを判断材料としなさい。率先して己のサーヴァントを喰らう程なら手遅れよ』

 

彼らはイヤーフック型の無線機で会話していた。士郎はもちろんのことイリヤもその機械に早々に馴染んでいたが、機械に不明瞭な凛は戸惑い落ち着かない。士郎が言う。

 

「姉さんは逃げて欲しいんだけど」

『だめ。アンリマユが世に出れば どこにいたって同じだもの。可愛いシロウだけ戦わせる訳にはいかないの』

 

士郎は落ち着かなく頭を掻いた。ローティーンの身体を持つ少女に、世話を焼かれると何かと困る。一つ年上の18歳と言われてもピンとこないのだ。彼は誤魔化す様にこう聞いた。

 

「それよりセイバー。調子はどうだ」

 

数歩先行する彼女は振り向くと、堂々と宣言した。

 

「安心して下さいシロウ。マスターはイリヤスフィールとなりましたが、私がシロウの剣だという事は変わりありません」

「そうじゃなくて」

 

真也に負わされたダメージも、消費した魔力も、イリヤによって完全に回復していた。新たなマスターから供給される魔力は、士郎の倍では収まらない。抑えていても全身から溢れる魔力は相当なものだ。魔力放出を持って身体能力を向上するセイバーは、今やバーサーカーに逼迫する程の力を得ていた。

 

『気になっているのだけれど、セイバー。私の弟にちょっかい出したらだめよ』

「ちょっかいとは聞き捨てなりません。私とシロウの関係は正当だ。やましい事など無い」

『念のために伺うけれど、正妻って言いたいのかしら』

「なっ! にを馬鹿な事を。私はシロウの剣だ」

『とてもそうは見えないけれど。そうでないなら勘違いをしているのね。可愛い弟の伴侶は私が選ぶから』

 

セイバーはイリヤに色々思う事はあるが、少し疎ましく思っていた。主である士郎の命を狙ったあげく、手の平を返し、あの家にやってきた。事情も事情だ、それは良しとしよう。だが姉の様に振る舞い士郎との関係に口を出されては勘弁願いたい。だもので彼女は士郎に詰め寄った。

 

「シロウからもイリヤスフィールに言って下さい」

「え」

「シロウ、私とどちらが大切なのですか。まさか、姉とは言いますまいな? 姉など碌なものではありません」

『剣の英霊ともあろう者が、偏見とは嘆かわしいわね。それとも姉に恨みでもあるの?』

「イリヤスフィールには関係の無い事です」

 

セイバー、イリヤ、士郎。一緒に居る家族を、凜はぼんやりと見ていた。そこにあるものは羨望と嫉妬と、後悔である。

 

 

◆◆◆

 

 

3人の前に、沈黙した家々が連なっていた。影に喰われた人達の家だ。暗く、物音一つ無い。ニュースでは大々的に報道され、“KeepOut”と印刷されたテープで封印されていた。“真也は桜をどう思っているのか”士郎はそんな事を考えた。ちらほら見える警官とマスコミであろう人影。関わっては厄介だと士郎たちは立ち去った。夕方だというのにその街に人影は無くひっそりとしていた。誰も彼もが恐れていた。会話が途切れ、カツコツと足音だけが響く中、士郎は意を決しこう告げた。

 

「遠坂、そろそろ話してくれ。真也に聞きたい事ってなんだ。今の状況はそれが関係するんだろ?」

 

凛は観念して話し出した。この状況が彼女の行動に起因するなら、もはや隠し通す事は不可能である。

 

「一つ言わなかった事があるのよ。魔道の家が一子相伝ってのは知ってるわよね? 如何に資質があろうと伝承出来るのは一人のみ。ところが私たち姉妹は、魔道の名門という強い庇護が無ければ、その存在自体が危うくなる程に非常に希有な才能を持って生まれた。私は五大元素使い(アベレージ・ワン)、桜は架空元素・虚数。また、この冬木にはもう一つの魔道の名門があって、それを間桐というの。今から10年前。その家は衰退、断絶し掛かっていて、当主間桐臓硯はその後継者を求めていた。私たちの魔術師としての大成を願った父さんは桜を養子に出す事にした。利害を一致させたって訳。間桐と遠坂は同盟関係だったから。

 

桜が養子に出された2年後、つまり10年前。間桐の当主、間桐臓硯は暗殺され、同時に桜は失踪した、ここまでは良い? ここから先は状況に基づく私の推測。もともと桜は私と同じ髪の色、私と同じ瞳の色だった。けれど今は髪も瞳もすみれ色。これは何故か分る?」

「……魔術処理を受けた」

 

士郎の呟きに凛は頷いた。

 

「狙いは間桐の属性をつける為だろうとは思うけれど、間桐臓硯はそうとう無茶をしたんでしょうね」

「誤魔化すな。そうとうってなんだ」

「虐待紛いの事を受けていたはず」

「遠坂。それは真也の母親が桜を救い出した、って言わないか? でなきゃ10年も育てる訳が無い。桜が笑うはずが無い」

「私もそう思う」

 

イリヤは表情無く聞いていた。彼女は切嗣に捨てられたと欺され、それを知らず士郎を殺そうとしたからだ。口を挟める訳が無い。舞弥は侮蔑の表情を浮かべていた。凛にと言うよりは魔術師の家に対しての意味が大きかった。アインツベルンも間桐も遠坂も碌なものでは無い、だから魔道の家は嫌なのだと、その眼は語っていた。声を上げたのはセイバーだった。それには侮蔑と怒りが籠もっていた。

 

「遠坂凛。貴女の言っている事は恩人に仇をもって返した、という風に聞こえるのですが」

「私も、そう思う」

「それは私たちも憚っていた、と言う風に聞こえます」

「認める」

「貴方の妹を立ち直らせ守ってきた、あの男に対し、貴女が何をしたのか覚えているのか」

「忘れるはず無いでしょ。この手で殺しかけたんだから」

 

セイバーから表情が消えた。

 

「何があったのかは知らないが、貴女の行動は人の道に反するものだ。次ぎに発する言葉は十二分に留意しろ。我らはお前の悪事の片棒を担がされたのだ。生半可な釈明では納得しない。答えろ遠坂凛。その罪、どのように償うつもりだ」

 

士郎はセイバーを制止した。

 

「遠坂、それを知っていてどうしてそんな事をした。それが今の状況とどう関係する」

「それは、」

「その辺にしておけ。よってたかって、いびるってのは端で見ていて気持ちの良いもんじゃねえ。それが、知らず善人ぶってる連中なら、滑稽すぎて笑う事もままならない。いや、哀れと言うべきだな」

 

スーツ姿のランサーが闇夜から現れた。彼は驚きと警戒を隠さない士郎に軽薄な笑みを見せた。

 

「よう、精が出るな。坊主」

 

セイバーが割って入った。今の彼女は普段着姿で、帯剣はしていない。だが即座に斬り付けられる準備は整えている。

 

「ランサー。丁度良い、貴様にも洗いざらい吐いて貰おう。その思わせぶりな言い方、返答次第では容赦しない」

「セイバーよ。今のお前はタネがバレている事に気づかず、見世物を続ける奇術師だ。笑うに笑えねえ」

「その発言、聞き捨てならない」

「恥の上塗りをするなって事だ。真実って奴を教えてやる。言っておくが、いい話じゃねえぞ。厠に顔を突っ込んだ方がまだマシな程、最悪の気分になる事は保証する。それでも付いてくるか?」

 

 

◆◆◆

 

 

無言を貫くランサーの後に続けば、そこは“紅州宴歳館 泰山 ”である。知る人ぞ知る、辛い店で有名な店だ。凛と士郎が店に入れば綺礼が麻婆飯を食べていた。4人掛けのテーブルに、大皿5枚。既に食い散らかした後であった。その辛さを想像し思わず顔をしかめるのは士郎である。綺礼は最後の一口を食べると、レンゲを置いて両肘を立て指を組み合わせた。二人に一瞥を投げる。何故だろう、聖職者と言うよりは大学教授に見えた。ランサーは詰まらなそうな顔で、足早に去った。綺礼は二人を席に促した。

 

「二人だけか」

 

応えたのは凛である。

 

「綺礼の顔は見たくないってさ」

 

凛は気にせずパイプ椅子に腰掛けた。

 

「ふむ。ならば仕方あるまい」

「それより呼び出した理由を聞かせて欲しいんだけど」

「知っている事を全て話せ」

 

呼び出しておいてそれか、と士郎は不満に思ったが、腰を折るのも賢くないと、椅子に座った。士郎は大聖杯の中にアンリマユが存在し、それが桜を操っているだろう、一連の事を話した。綺礼は満足そうに頷いた。それが士郎の癇に障った。

 

「ふむ、私の予想とほぼ同じだ。ならば手を打たねばならんだろう。簒奪者が良いように暴れている、この状況は見過ごせないからな」

 

店員は目の前にある空になった皿を片付けると、厨房に下がっていった。士郎が言う。

 

「言峰。ランサーと言峰はどういう関係だ」

「ランサーは私のサーヴァントだ」

「……は?」

「ランサーがアンタのサーヴァント?」

 

士郎は間の抜けた声を出した。凛は眼を見開き、驚きを隠さない。というよりは、その言葉の意味を理解出来ないと言った様相だ。

 

「ちょっと待てよ。それはどういう事だ。言峰がマスターだなんて聞いてないし、そもそも監督役がありなのかそれは」

「誤解の無い様に言っておくが。もとより私に望みなど無い。ランサーを得たのも、よりよい願望者に聖杯を与えたかっただけだ。各陣営を一通り調べたところで、誰を支援するか迷っていたところ、あの男を思いついた。知っての通りあの男はマスターでは無いにもかかわらず、聖杯戦争に巻き込まれた。バーサーカーのマスターは、マスターでは無いあの男を限定して狙っていた、つまり私怨だ。聖杯を求める儀式と言う意味に於いて、お世辞にも好ましい状況では無い。 当の本人も、どうにかしてくれと私に陳情している。私には監督役としての立場もある以上、無視は出来なかった。だから貸し与えたのだが……どうした凛。酷く顔色が悪いが」

 

綺礼は表情一つ変えない。だが士郎には笑っている様に見えた。士郎の声は掠れていた。

 

「遠坂、ランサーのマスターが目の前に居るぞ」

「状況を確認したい。衛宮、お前は何を言っている」

「俺たちは真也がランサーのマスターだと思っていた」

「それは勘違いだな。繰り返すが貸し与えたに過ぎない。その深刻そうな表情はなんだ。説明しろ」

 

士郎から経緯を聞いた綺礼は、静かにこう告げた。

 

「第4次聖杯戦争の話だが、マスターとして参加していた間桐雁夜は刻印蟲に犯されていた。間桐の魔術は、蟲を使うと聞いている。桜が魔術処理を受けたというならば、魔道生物にその身を陵辱されていただろう事は想像がたくない。私も蒼月桜の事は調べた。役所から取り寄せた資料によると、10年前の間桐桜、いやこの時点では既に蒼月桜だな。自閉症の疑いがあると診断されている。4歳の子供が魔道生物による虐待陵辱を受けたと考えるのが妥当だろう。幼少の虐待は、トラウマで済む話ではないからな。あの家は、あの男は、その彼女を立ち直らせた、凛。とんだ失態だな。謝って済む話では無いぞ」

 

綺礼のその声に抑揚は無く。何時もの様に尊大で厳かだった。それ故、断罪の宣告に他ならない。凛は表情無く、生気でも抜かれてしまったかの様に、固まっていた。右隣にいる同級生を、静かに見るのは士郎である。声を荒らげ詰ろうとしたがその気も失せた。怒りより、憐憫が浮かんだのだ。綺礼はお構いなしだ。

 

「大凡の状況は読めた。知っての通り、彼女の兄に対する執着は冬木に住まうものなら知るところだ。これは推測だが、兄と引き裂かれた蒼月桜は相応の精神状態だったはず。もちろん良い意味では無い。使い魔である影を通じ、仮死状態の兄を見たならば、反転もやむを得まい、と言うところか。バケモノである事を受け入れた蒼月桜があの男と合流した、これは最悪の展開と言っていい。遠坂である妹と引き離され、遠坂である凛に敵視され、最後に縋った願いすら失った。全てを無くしたあの男は、もはや反転した妹を止めることはもう出来んだろう。止めたくともな」

「言峰。遠坂であるってどういう意味だ」

「意外と抜けているな、衛宮。それとも気づいていない振りをしているのか? 変だとは思わなかったのか? あの男の10年間の行動を振り返ってみろ。全ては妹である蒼月桜の為だけにあった。良心を持たず、躊躇いと呵責が無い。己の一切を顧みず、ただ妹の為だけにあった。その男が何故妹を手放した。それは何故だ。遠坂と桜は姉妹、ここに居る遠坂凛は妹と同じ遠坂の血を引く者。それはあの男にとって、絶対とする妹が二人現れた事に等しい。逆らえる筈がないだろう」

「まて。桜は一緒に居たいと願ったはずだ。蒼月でいたいと言ったはず」

「確かにそれは疑問だ。凛、あの男の間に何があった」

 

真也が凛に告白し“傷つけたくない”別れを告げた事を絞り出した。彼女のそれは壊れたおもちゃの様な声だった。

 

「衛宮、キャスター戦後のあの男の状態はどうだった」

「変だった。俺に謝った事なんて一度も無かったアイツが俺に謝った」

「中々に面白い話だ。二人の遠坂に挟まれたあの男は、心の様な物を持ったのだろう。キャスターが起こした、穂群原(ほむらばら)での騒動は把握している。為す術もなく倒れた学園関係者の中、一人だけ医務室のベッドに寝かされていた者が居た。その者はあの男と縁が深い者だ。その者にはあの男の血が付着していた。奴が好んで着るコートも羽織らされていた」

「桜以外の存在に、命を掛けた」

 

士郎の問いかけに、綺礼は一瞥をもって応えた。

 

「その時点であの男は凛が桜の実の姉だとは知らなかった、そうだな?」

 

凛は沈黙をもって肯定とした。

 

「ならば話は簡単だ。傷つけたくないと発言した以上、心を持ったあの男は、妹以外の存在を、この場合は凛を殺す事が出来ると勘違いしたにあるまい。あの男が凛に対し必要以上にの呵責を感じたのも無理はなかろう。何せ凛は遠坂だ。本能でそれを感じ取っていたのだろうな。ふ、なかなかの青春劇、愛憎劇だ。その結果被害者を出しては、笑い話にもならないが」

 

士郎はこの店に他の客が居ない事に感謝した。腰を浮かせ、綺礼を睨み下ろした。胸ぐらを掴まなかったのは、彼にとっても驚きだった。

 

「言峰。さっきから聞いてれば他人事の様に話しやがって。各陣営を調べたっていったな。狙ってやったんじゃないのか」

「発言はよく考えてするものだ。精神状態など外見から分るはずが無いだろう。体調不良とどう見分ける。面談した訳では無いうえ、私は精神科医では無い。思春期の恋愛事情など神父が関わる話では無かろう。そもそも、ランサーとあの男が一緒に居た光景をどう思うかは、その考えを持つ本人のものだ。己の判断と行動に責が負えないならば魔術師以前の問題だ。違うか?」

 

士郎は言い返す事が出来なかった。

 

「勘違いして貰っては困るが、私もちろん責は感じている。この危険な状況は見過ごせない。早急に手を打たねばならない。アンリマユと言う世界の破滅を願う者を、蒼月真也というセイバーを圧倒する程の者が、警護をしている、この状況はお世辞にも良くないが、絶望という訳ではない。3騎士のセイバーとランサーが未だ健在。なにより、切り札がある」

「なんだ切り札って」

「遠坂凛、これは蒼月真也打倒の切り札だ。ガーディアンを失えばそれほどの脅威ではなかろう。蒼月桜は戦闘訓練も魔術訓練もを受けていないからな」

「ちょっと待てよ。遠坂を使って真也の不意を突くってのか」

「その表現は正しくない。蒼月真也にとって遠坂凛は刃そのものだ。聞けばセイバーを手玉にとる程の存在が、凛を見ただけで気を失ったそうだな。対峙するだけでその効果は十分だろう」

 

勘弁ならぬと等々士郎は声を荒らげた。テーブルに拳を叩き付けた。

 

「俺らに遠坂を楯にして、桜と真也を倒せっていうのか!」

「知らない間に随分と丸まったなお前は。一体どうした。正義の味方を目指したお前らしくも無い。あの二人は冬木を、世界を脅かす明確な敵だぞ。正義の味方には敵が必須だ。嬉しそうに、殺すと言ったらどうだ」

「言峰。テメェは何を言ってるのか分ってるのか。桜は俺にとって大事な後輩、確かに嫌ってはいるが、真也はその兄だ。遠坂は、桜の姉だ。家族同士で殺し合えというのか」

 

「繰り返すが理解している、責も感じている。我々は、誤りを犯したのだ。ならば償わねばならない。これはカイーナの環に墜ちかねん程のな罪なのだ」

「我々? 勝手に巻き込むんじゃねえ」

「先ほどから感じている違和感はそれか。衛宮士郎、お前が何もしていないとでも思ったのか」

「お前なんかと一緒にするな」

「お前がセイバーを召喚する前の話だ。アーチャーとランサー戦を目撃したお前が今生きているのは何故だ。それはあの男に助けられたからだろう?」

 

士郎にその時の記憶が蘇った。

 

「1stバーサーカー戦の時を思い出せ。切嗣の遺恨を引き継いだお前が今尚生きているのは何故だ。本来ならばあの時お前はイリヤスフィールに殺されていた。だが生きている。それは何故だ。あの男に助けられた。例え殺されずとも、その場合は連れ去られたに違いない。アインツベルンの城に捕われたお前は、セイバーたちの死を黙ってみる運命が待っていただろう。 復讐とは他人に委ねるより、己の手によって果たすべきモノだからだ。又聞きより、直と見るべきモノだからだ。そうならなかったのは何故だ。イリヤスフィールの遺恨をあの男に喰わせた。アインツベルンのマスターとしての誇りと使命、己のサーヴァントを失った、悲嘆と恨み、彼女の10年にわたる情念の負債、と言えば良いか。それは何処に消えた? あの男に喰わせた。

 

お前に投影魔術を指南したのはアーチャーだったな。その結果、素人同然のお前がこの短期間で腕を上げた。不可解な点はあるが、その理由は問題では無い。戦いに於いて、仲間を助けている、役に立っている、それはさぞ快絶だろう。守りたい者を守れる力、それは愉悦だろう。その力をお前はどの様に手に入れた。アーチャーが別陣営であるお前に指南した理由、それはあの男が居たからだ」

 

アーチャーと真也はかつて遠坂家の屋根で、一触即発の対峙をした。ランサーはそれを見ていたのである。

 

「アーチャーとあの男の関係はお世辞にも良好では無かったからな。恐らくアーチャーはあの男がこの事態を引き起こす事を予期していたのだろう。いや、我々がしでかす事をか。その結果お前は第2次キャスター戦を乗り越える事が出来た。あの男が遠坂凛と遠坂桜の間でのたうち回っている事も知らずにな。衛宮切嗣の負債を押しつけ、お前の修練の切っ掛けと成長の時間的猶予を得た、それは何故だ。あの男を踏み台にした事に他ならない」

 

口が渇く。喉が渇く。身体が水分を欲しているのに、汗が止まらない。この神父は一体何を言っている。

 

「お前が答えを得たのは何時だ? 第2次キャスター戦後だろう? つまり生き残ったからだ。それすらもあの男を踏み台にした結果だ。10年信じ続けた正義の味方という己を殺した。その負債は何処へ行った。誰かを守れる力、温かい家族、その理想(奇跡)の代償がこれだ。お前にも償いの刻が来たと言う事だ。衛宮士郎、我々はこの世の全ての悪を作り上げてしまったのだよ。それとも返り咲いてみるのも悪くは無いのではないか? 喜べ少年、君の願いは、この地獄でようやく叶う」

 

衝動のあまり、殴りかかろうとした士郎の拳を止めたのは、今まで呆けていた凛の声である。

 

「二人を殺すしか無い、と言うんでしょ。綺礼」

「その通りだ。私も荷担してしまったのだ、その責は負おう。罪を働いた者に謝罪するどころか、殺さねばならないのだ。凛の心中は察しよう」

「どういう吹き回しよ。綺礼が気遣うなんてさ」

「これでも聖職者なのでね。迷う者には手をさしのべねばならん」

「いいわよ。覚悟は決めたから」

 

二人が店をでれば、商店街を貫く通りである。まだ7時前。何時もであれば相応に人通りのあるこの道は、閑散としていた。シャッターの下りた店舗が続いている。これではまるで、ゴーストタウンだ。ゴムで出来た道を歩いている様な心持ちで、士郎は数歩先の凛の背中を見た。足取りは確実で、乱れなど無い。だが、その中身はがらんどうである。

 

「遠坂、あの二人を殺すって本気か」

「本気も何も、他に方法が無いじゃない。私を使って真也を無力化。セイバーとランサーを使いその気に乗じて二人を討つ。合理的だわ」

「今の遠坂に、俺は気に入らない事が一つある」

 

立ち止まり、振り返った同級生に表情は無かった。

 

「打ち拉がれて、泣き崩れて、それで解決するならいくらでもするわよ。でも、現実は変わらない。それともなに? それが気に入らない衛宮君が協力しないっていうなら、してあげても良いけど」

 

手足を自棄に振り、歩み寄る。士郎の懐に忍び込めば、下から覗き込み、無防備に詰め寄った。彼の眼下には、空っぽになった学園のアイドルが居た。

 

「ほら。殴るなり罵るなりしなさいよ。それとも、わたしを犯せば満足する? 桜の様に陵辱してみる? するなら早くして。躊躇いなんて時間の無駄だから」

 

彼女はスカートを掴むと、たくし上げた。薄桃色の下着が見えた。ほんの僅かでもそれに気を取られた己に激しい怒りを感じた。彼は足早に歩き始める。その脚は五月蠅いほど音を立てた。

 

「帰る。急ぎ対策を立てないと」

「しないの?」

「しない。そんな事したらそれこそ俺は最低になる。真也に殺される」

「もうあの二人は居ない、会えないってまだ理解してないんだ」

「だまれ。これでも堪えるのに必死なんだ。家に帰るまで口を開くな。何も聞きたくない」

「そう。責めてくれないなんて意外と酷いのね、衛宮君は」

 

紅州宴歳館 泰山から少し離れた所に停車する自家用車があった。車内では控える、セイバー、舞弥、イリヤの3名は沈黙を保っていた。彼女たちは無線で一部始終を聞いていたのである。静かでは無く、沈黙。その様を伝えれば、葬儀の列が適当だろう。舞弥は疲れた様にシートに身を預けると、やるせなさそうに髪をかき上げた。

 

「彼とは敵同士だった。彼は何も言わず、武器を持ち、私たちと対峙した。武器を持ち対峙する相手の都合を考えてはならない。これは戦場に於いて鉄則。誤れば私たちが死んでしまう」

 

助手席のセイバーは背筋を伸ばし、姿勢正しくしていたが、膝の上に置いた両手を壊れない程に握りしめていた。

 

「舞弥の言う通りです。ですが、これ程惨めで陰鬱な気分も初めてです」

 

イリヤが見上げれば、サイドウィンドウ越しに月が見えた。それは笑い、笑い、そして、笑い転げていた。空から墜ちてしまいかねない程だ。ランサーも同じ様に、店の屋上で、寝転がり、侮蔑する月をぼんやりと見ていた。

 

 

◆◆◆

 

 

所変わり、新都にある高級ホテル。その一室で、水晶玉に映る綺礼を凝視するのはキャスターであった。それは切り刻んでしまえる程に、冷たく、鋭い視線だった。地獄の炎すら凍ってしまいかねない程だ。

 

「言峰綺礼、だったかしら。愉しそうね。実に愉しそうな顔をしているわよ、貴方」

 

彼は静かに、二人が消えた磨りガラス張りの引き戸を見ているだけだ。だが彼女には大笑いしている様に見えたのである。証拠など無い、だが数々の男を見てきた彼女は直感で黒幕だと感じ取った。

 

「主の屈辱は私の屈辱、この報復はメディアの名を持って果たす事をここに誓いましょう」

 

水晶玉を撫でるその親指は、綺礼の首を横斬っていた。

 

 

 

 

 

つづく!

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