衛宮邸に続く坂を登るのは舞弥である。この道は我が家に繋がっている訳だが、その道なりを想像すると思わず滅入った。彼女の筋力、体力は同年齢の平均女性より高いが、それでもその手にある重量物は手に余る。その両手につり下がるものは、食料を詰め込んだビニール袋であった。はち切れんばかりに膨らんで、今にも裂けそうだ。足下のアスファルトは、不愉快な程いつも通りで何も語らない。もっとも。“買い出しご苦労様”と労われてもどう反応しても良いのか困る。
アインツベルン陣営が居候をする様になり、食い扶持が増え、調達するべき食料は随分増えた。イリヤの持参金がある故、生活費に不安は全く問題が無いが、二日おきの買い物は勘弁願いたい。八百屋の亭主に“お、とうとう妊娠かい”とセクハラをされるのだ。真に厄介極まりない。本来であればローテーション、それどころか士郎が率先的に買い出すのだが、何時襲撃があるか分らない以上、セイバー、イリヤ、凛、士郎の主力を単独行動させる訳には行かないのである。つまり、衛宮家の家事全般は、舞弥、リーゼリット、セラのノーマーク組3名が家事全般を受け持っており、調理の苦手な舞弥は、必然的に買い出しか掃除を担当する事になったと言う訳である。
であるからして、舞弥の目の前に、普段着姿のキャスターが現れた事は、驚愕以外の何物でも無い。だがこれはどうした事か。倒したはずのキャスターは、殺意すら無く、静かに微笑んでいた。まるで、これからお茶にでも誘われるのではないか、そう錯覚してしまいそうだ。彷徨う亡霊に対峙する様な面持ちで、舞弥はこう話しかけた。
「未だ顕界しているとは驚きました。私たちに復讐を?」
「まさか。私のそれはもう成りましたから。今はとある方の僕、とだけ言っておきましょう。ただ知りたい事があってそのご協力願うわ」
キャスターが指を翳し、暗示を掛けようとした瞬間、舞弥はなんの躊躇いもなくそう告げた。
「情報を希望しているのであれば、率先して応じる用意があります」
「あら、命乞い?」
「確かに死亡は避けたい所ですが理由は別にあります。私なりの誠意と理解して下さい」
キャスターの主である宗一郎を討ったのはアーチャーだ。アーチャーは真也に倒された、そう凛から聞いていた。キャスターのいうある方とは誰か、簡単な推理である。
「そう、察しの言い方だこと。できるなら、その察しを主にも分けて頂きたかったわね」
「希望する情報を言って下さい」
「折角の申し出だけれど、一分一秒を争うから直接読み出させて頂くわ」
キャスターは言峰綺礼、衛宮切嗣、アイリスフィールの関係、つまり第4回聖杯戦争の情報を読み出した。切嗣は情報を重要視しており、キャスターも驚く程の緻密な情報を得る事が出来た。そして遠坂時臣の死因を読み出した後に、舞弥を解放した。
「記憶は封じさせて頂くわ。申し訳ないけれど、性分だから」
「問題ありません。二の腕のたるみも合わせて消去してくれると助かります」
「我が主が偉業を成し遂げた暁に、私の元を訪れなさいな。ダイエット薬を格安で調合しましょう?」
舞弥が我に返ると、生活道路に一人立ち尽くしていた。不可解に思ったが、胸のつかえが少し取れていたので、気にしない事にした。
◆◆◆
場所は変わり遠坂邸。ダイニングのテーブルでぽつねんと腰掛けるのは葵である。白いクロスの上に置かれたカップにはレモンティーが注がれていたが、口は付けられていない。浮かぶレモンも既に出し殻状態だ。桜が消え、ライダーも消えた。凛も聖杯戦争が終結するまで、衛宮家に泊まる事になった。人の気配が全くないこの洋館に彼女は一人。まるで幽霊屋敷に住んでいるかの様な気分である。英国では幽霊の棲む物件は人気だそうだが理解出来ない、したくない、葵はそう考えた。家はこれ程大きいのに、食事に使うテーブルはこれ程大きいのに、部屋が埋まる事は無い、席は何時も余っていた。葵は溜息を付く事すら出来ず、ティーカップの水面映る己の顔をじっと見ていた。
「時臣さん。残してくれたこの家は広すぎます」
記憶の中の夫は何も答えてくれなかった。
「だめね、亡くなった人に頼るなんて」
その様な事10年前に卒業したはずだ。意を決して紅茶を飲めば、苦みについ舌を出した。呼び鈴が鳴る。誰かと警戒しながら扉を開けると、敷地を隔てる門の外に立っていたのはいつか見た外国人の女性だった。失礼だとは承知しながらも、閉じた門越しに警戒と戸惑いを織り交ぜ、何用かと問いかけるとその女は深々と身を下げた。片膝を突き、頭を垂れた。時代めいた仰々しい挨拶に戸惑うのは葵のみである。遠坂の家は、住宅街の外れ。人目が少ない事に、感謝し彼女は慌てて門を開いた。また凛に怒られると思いつつ。葵が恐る恐るもしと声かければ。
「我が主、蒼月真也の僕でメディアと申します」
「真也さん? 僕?」
突然の事で理解が及ばない。
「突然の訪問にかかわらず葵様直々のご対応、身に余る光栄と存じます」
「メディアさん、でしたか。貴女は私を知っているのですか?」
「はい。かつては凛様の敵であったこの身、葵様に無礼を働いております」
敵であった、今は違う。無礼を働いたと言うが思い当たる事が無い。葵の理解が及ばないまま、キャスターは続けた。
「本来であれば葵様にお目通りを計るなど、とても許されるべき事ではありません。ですが、火急の事態ゆえ恥も外聞も捨てはせ参じました。葵様。身勝手は百も承知でお願いいたします。何とぞお力添えを頂けないでしょうか。我が主は、御家をことを第一に考えております。それが命の燃やし尽くし所と言わんばかりに」
「とりあえずお話しを伺わせて下さい。どうぞこちらへ」
真也の名前を出されては葵も無碍には出来なかった。
◆◆◆
キャスターが通されたのは遠坂家のリビングである。硝子製のローテーブル越しの葵はティーポットを手に、紅茶で持て成していた。火急だと伝えた上でのマイペースぶりに流石のキャスターも閉口するしかない。とはいえ、立場上急かす訳にも行かずじっと耐えていた。
「どうぞ」
「恐縮です」
キャスターの二つの用件を聞いた葵は二つ返事で頷いた。
「分りました。協力します、いえ是非背負わせて下さい」
「葵様の寛大なる、」
「キャスターさん。それは止めて頂けませんか? その、くすぐったくって」
「では、お言葉に甘えまして相応に。葵様、何分猶予がありません。酷な事を申しますが、」
「ここです。この部屋で時臣は殺されました」
「凛様はご存じなのですか?」
「いえ。知るのは私と綺礼さんだけです。犯人は未だ見つからず。聖杯戦争に関わる者、だろうとは思うのですけれど。当時私は実家に避難していて、現場を直接見た訳ではありません。使用人が駆けつけた時には事切れていたそうです」
「失礼します」
キャスターは立ち上がり呪文を唱えると、その部屋に残された残留思念を読み取った。石造りの古い洋館だった事が幸いし、当時の状況を辛うじて読み取る事が出来た。石は思念を残しやすいのだ。かつてこの部屋で時臣、ギルガメッシュ、綺礼が陰謀を巡らせていたのである。それを知ったキャスターは人間関係のあまりの深さに目眩を起こしそうだった。だが葵には奇行にしか見えない。
「あの?」
「石は意思という訳です」
「はあ」
笑っていいのか分らない。キャスターはバスケットボールでも持つかの様な仕草をすると、その間に幻影を浮かばせた。
「葵様、この短剣に心当たりはありますか?」
「恐らく凛の持つ短剣です。綺礼さんから譲られた儀礼用の短剣だとか」
綺礼のあまりの悪趣味さに、思わず顔をしかめるキャスターだった。
「葵様、その剣をお借りしても宜しいでしょうか。理由は聞かないで頂けると助かるのですが」
葵は目を瞑りしばらく考えた。真也のサーヴァントだというなら、二つ返事で貸したいが凛に無断で貸すならば理由は必要だろう。
「キャスターさんはなぜ真也さんのサーヴァントに?」
「一度敵として戦い、破れ、その後軍門に降りました」
「何故真也さんの元へ?」
躊躇いののち彼女は答えた。
「宗一郎様、前マスターの仇を討つ為です」
「そう、敵の元に身を投げる程必死だった、それ程に悔しかったと言う訳ですね。真也さんはなぜキャスターさんを受け入れたのですか?」
「……私が桜様に似ているから、と」
あまりにも、彼らしい理由で葵は笑みを隠せなかった。
「あの子たちに必要というのであればお持ち下さい。凛には私から伝えておきます」
「ありがとうございます。私の存在は聖杯戦争が終結するまで、どうかご内密に」
「分りました。陰謀ものスパイものの映画は大好きですから」
主と縁深きこの婦人は少々ズレている、キャスターはそんな事を思った。
◆◆◆
そこは穂群原(ほむらばら)学園の屋上である。見上げれば陽が南中に達しており、直昼休みだ。コンクリートを一枚隔てた下層フロアには教室があり、生徒たちが思い思いの様で授業に向かい合っている。キャスターがこの場所を選んだのは、人の気配が多く、尚且つ人目に付かない場所である。事実、屋上には誰も居なかった。
その場に立つ真也はぼんやりと屋上を見渡していた。時々授業をサボって昼寝をしていた事もあった。なぜか別クラスの綾子がやってきて、文句を言い彼を教室に連れ帰る、それは学園の生徒がよく知る日常の一コマである。その頃。士郎とはただ反目し合う関係で、凛とはただの同学年だった。キャスターがこの感傷的な場所を選んだのは、他に意図があるのでは彼はそんな事を考えた。
「マスター、ご決断を」
キャスターの報告を聞いた真也は余り驚かなかった。意外とも思わなかった、予想通りとも思わなかった。ただ、違和感が無かった。
「マスター。確かに証拠はありません。ですが黒です、言峰綺礼は間違いなく黒です。あの男は遠坂時臣の弟子、凛様の兄弟子です。心の状態を把握する事も難しくは無いでしょう。加えて、前回の聖杯戦争の参加者であり、今回の聖杯戦争の監督役、遠坂、アインツベルンの事情に精通している筈です。加えてマスターと戦ったあと凛様たちは言峰綺礼と会い、情報を交換しています。推測ですがその時点で桜様とアンリマユの関係に気づく事も可能です。ギルガメッシュすら教会の人物でした。ランサーを持ち、全ての陣営について把握し、一連の騒動、いえ陰謀の中心に立つ事が出来ます。確証がない以上躊躇うマスターの気持ちは分ります。我々の置かれた状態をお考えください。あの男はアンリマユの誕生を是としている可能性があります。危険すぎます。あの男に悟られては我らの悲願が水泡と化しましょう」
真也は屋上に設けられたフェンス越しに、彼方に見える新都を見た。苛立たしい事に明瞭に見えた。まるで考えるまでもない、と言わんばかりである。
「言峰綺礼がランサーのマスター、か」
「はい」
「キャスター、これは汚れ役だ。本来俺がしなければならない事を、お前に押しつける事とになる。それでも進んで引き受けるというのか」
彼女は傅き頭を垂れた。
「偉大なる我が主よ。僕に過ぎぬ私へのお気遣い、歓喜の余り言葉となりません。ですが偉業をなすことに躊躇われては本末転倒。忠臣たる私が賜った使命を成し遂げる事に、なんの躊躇いがありましょうか」
「凛たちにランサーは必須だ。早すぎても遅すぎても計画に支障が生じる。隠れ、見張り、見定め……言峰綺礼を最高のタイミングで討て」
「全ては御心の成すままに」
主の決断にキャスターは笑みを浮かべた。私情を挟んでいなければ良い、彼はそんな事を考えた。そして落ち着きなく頭を掻いた。
(臣下モードのキャスターを相手にすると、大事な何かが壊れそうだな……)
思わず言葉にもなった。
「こうガラガラって。庶民感覚的な何かが」
「ご到着ですわ、マスター。感動の再会と言う事ですわね」
立ち上がったキャスターの視線に促される様に、その方を見ると。屋上に設けられた屋内へと続く階段、それを収めている小屋の前に、黒い装束と淡いアメジスト色の長い髪を風に流すライダーが立っていた。何日ぶりだろう、彼はそう思った。最後に会ったのは桜を遠坂家に置いてきた時だ。数日しか経っていないのに、随分と懐かしく感じた。キャスターは幻術を用いライダーに接触したのである。
「ライダー、久しぶり」
と真也が努めて明るく挨拶すると。ライダーはズカズカと歩み寄って、右ストレートを真也の左を頬に打ち込んだ。
「へぶっ!」
その拳は猛烈で真也は前転、後転、側転、バク転を織り交ぜつつ、屋上を転がり続け、転がりが止まらず、端のフェンスに衝突し漸く止まった。彼はずり落ちた。その様を例えるなら、大股開き。余りにもみっともない態勢のまま、沈黙が続いた。キャスターはそれをおかしそうに見ていた。ライダーは打ち貫いた姿勢のままである。真也はのそりと立ち上がると、パンパンと衣服に付いた埃を叩いた。
「おい、この冷血不感症女。本気で打ち込んだだろ、お前」
この場合の本気とは全力という意味では無く、手加減しなかったという意味である。いずれにせよ、真也でなくては頭が飛んでいった事は間違いない。全盛期のバリー・ボンズもびっくりの勢いで。ツカツカとライダーが臆面無く詰め寄ると、ずいと真也に詰め寄った。流石の彼もその威圧に思わずたじろいだ。ライダーの魔眼殺し越しにですら、怖い顔が見て取れた。不意に、バケモノとしてのメドゥーサと対峙している様な感覚に陥った。髪の毛が蛇で、のたうち回ると言う意味である。迂闊に口にしてはもう一発食らうに違いない、だもので彼は必死にそれを堪えた。
「シンヤ。勝手に消えて今の今までどこに居たのですか。どれほど探したと思っていますか」
「マスター。ライダーは冬木市全域を走り続けていました。もちろん桜様とマスターを探す為です」
背後から届くキャスターの声に苛立ちつつも、ライダーはガンたれを止めなかった。
「キャスターの事も聞いていません」
「……言う機会が無かったんだよ」
ライダーは頭に拳骨を堕とすか、首を絞めるか、肩を握りつぶすか、多々考え、頬を抓りねじり上げる事にした。かつてセイバーが士郎にした事を思い出したのである。
「いた、痛い!」
「シンヤ、私は怒っています。どのようにしてこの怒りをシンヤに伝えれば良いのか、その手段を持たない事を非常に悔しくおもいます」
「いてててててて!!!」
「ライダー。マスターの素顔を知っているなら、その魔眼殺しを取り去ってご覧なさいな。それを付けていると外観は見えないのでしょう? 話を聞きたくなる、聞かざるを得なくなる事請け合いよ」
キャスターの知った様な物言いに、苛立ちを感じながらも魔眼殺しを取り外し、マスターの兄を見れば彼女は言葉を失った。そこには脱色した様な、禍々しい姿の真也が居たのである。ただし、頬を粘度の様に捻らす、情けない顔をしていた事は言うまでも無い。
「とりあえす、その指をはなへ」
ライダーは渋々解放する事にした。
◆◆◆
穂群原の屋上で催されるのは密会である。参加者はもちろんライダー、キャスター、真也の3人だ。彼女らはキャスターが持参したピクニックシート上に正座で睨み合っていた。というよりはライダーが一方的にキャスターを睨んでいた。彼はピクニックシートに違和感を感じつつ、桜に見られれば色々な意味で危険だ、彼はそんな少し暢気な事を考えていた。沈黙が続き、拉致があかぬとコホンと一つ咳払い。彼はこう切り出した。
「ライダーには相談があって来て貰った。相談ってのはこれからの事」
「これからですか?」
「そう。桜の事、そして全部終わった後の話だ。異存は?」
「ありません」
「キャスターとその算段を立てた」
桜がアンリマユに憑依されている事、桜の記憶を遠坂まで遡り封じる事、その為には士郎らに真也を倒させる事、事後の対応としてセイバー、ライダー、キャスターの受肉、彼はそれらを掻い摘まんで話した。その説明で抜けた事、不十分なところはキャスターが補足説明を加えた。
「この計画で重要な事は聖杯戦争の後の事だ。ライダーにはこれを念頭に凛の同意を取り付けて欲しい」
「お断りします」
「……なんでだ」
「承服出来ません」
「桜はまだ16だ。人殺しの咎を背負わせるつもりか」
「それはシンヤの事を忘れさせる事を意味します」
「あの娘は、間桐で傷つき、蒼月で翻弄された。その結果人を殺めてしまった」
「忘れましたか。傷つけ合う事は厭うべきものでは無いと」
「程度ってあるだろ。失恋のレベルじゃ無いぞ。ライダーは桜の人生を台無しにするつもりか」
「私に言わせれば10年遅い言葉です。シンヤはサクラに愛を与え、同時に、苦悩を与えた。私に言わせれば、シンヤがサクラを支え共に背負うべきです。そもそも何故遠坂凛に頼むのです」
「他に頼る人が居ない。戦況は話しただろ」
「分りました」
「おぉ、たすかる」
「チトセを探してきます。キャスターの手を借りれば可能でしょうから」
「まったく分ってねえし……あのな。お袋が隠れているなら、キャスターでも骨が折れる作業だ。やめておけ。そもそも、探し出してどうする」
「シンヤを引っぱたいて組み拉いでもらい、キャスターの宝具でサクラ解放、その後アンリマユを調伏します」
「今この状況で現れないなら恐らくお袋にその意思はないって事だ。手伝いはしない」
「聞いてみなければ分らないでしょう」
「あのさ。全てを手に入れるって俺の話を聞いてたか? お袋に介入されると台無しになる」
「あの女の手を借りる事には嫌悪感を拭えません。今の状況を招いたのは、遠坂凛がサクラとシンヤを引き裂いたからです」
「その原因は俺だ」
「関係ありません」
「いや、あるだろ」
「お断りします」
「……なに意固地になってる」
「シンヤに言われたくありません」
半眼で睨む真也の視線、ライダーはついとそっぽを向いた。
「なに器の小さい事を言ってる! けちけちするなよ! お前それでも地母神か! 人間のいざこざぐらい、笑ってばばーんと受け入れろよ!」
「私はギリシャ神ですから」
「あぁそうだろうよ! ギリシャの神々は人を答えの無い苦悩と混沌に追い込むのが好きだからな!」
「理解しているなら問題ないでしょう」
◆◆◆
協力してくれ、お断りします、何が不満だ、遠坂凛が不満です、その理由を話しただろ、お断りします……二人はそれを何度も繰り返した。意見は平行線のまま、交わらない、傾向すら見せない。仕方が無いと、真也は卑怯と思いつつ、気恥ずかしさを覚えつつ、ライダーにその想いを伝えた。
「ライダー。この聖杯戦争は異常だ。参加者の大半が関係者、俺らはその意味に気づく事無く、いや、見ない振りをして争いを始めた。今や誰もが誰かを傷つけ、誰もが誰かに傷つけられてる。皆が加害者であり被害者だ。俺はこの状態を何とかしたい。この負の連鎖を断ち切りたい。その為には、どこかでリセットする必要がある。そうすれば遺恨は消えなくても明日は見えるはずだ。一人が皆を許し、皆は一人を許す、それには部外者、この場合はお袋の事だけど、その力を借りては駄目だ。俺ら自身の手で行わないといけない。とまあ博愛主義を翳してみるが、とどのつまり俺はあの二人が憎しみあうところは見たくない。だからライダー、その為に手を貸してくれ」
真也は腕を組み、口はへの字。己が口走った恥ずかしいセリフに耐えていた。
「返答の前にシンヤ、遠坂凛とサクラどちらが大切です」
「なんだそれは」
「答えなさい」
上から視線に納得がいかなかったが、素直に答えた。ここまで拗らせたのだ、格好を付けても仕方あるまい。
「両方。けど勘違いするなよ、あの家に3人揃えるって意味だ」
彼はまた頬を抓られた。
「いっててて! だって仕方ないだろ!」
「今までのシンヤの行動を聞く限り、とてもそうは見えません。遠坂凛を贔屓している様に見えます」
「だって俺、凛にイロイロしちゃったし」
「サクラにだってしているでしょう、10年間です」
「だったら尚更良いだろ。凛と出会って一ヶ月も経ってない」
「大体。今の今まで連絡一つ寄越さず、また勝手に突っ走りこの始末。そもそもサクラがどれほど辛い目にあっていたと思うのです」
「仕方が無いじゃないか、凛が会うなって言ったし。幾ら俺でも遠坂の結界に気づかれず侵入するなんて無理だ。ライダーが来てくれていたなら、そうならなかったと思うぞ」
「人のせいにする様になりましたか。その性質、矯正しないといけません」
ライダーは組んだ拳をバキボキと鳴らした。ライダーに反撃する事叶わず、苦悩しながら彼女の断罪、否、折檻の到来に恐れ戦いていると、助け船を出したのは静閑していたキャスターである。
「その辺にしておきなさいなライダー。マスターが遠坂を相手にすると役立たずになる事は知っているのでしょうに。判断能力すらおかしくなるマスターにその様な質問をしても意味が無い、時間の無駄です」
「もうすこしオブラートで包んだ表現を求める」
「ところでシンヤ、キャスターとはどのような関係です」
「主従関係、何もいかがわしい事はしてない」
「ええ。主が地獄に落ちれば、躊躇わず共に墜ち、傍に立つ関係です」
「妙な言い方するな」
「あら酷い。地獄まで供をせよと仰った事、お忘れ?」
何故その様な思わせぶりな発言をするのか、彼はこの良く分からないサーヴァントに文句を言いたかった。キャスターのそれはちょっとした報復である。主の危険を幾度も見せ付けられ、だが手を出すなと命じられ、ストレスが相応だったのだ。ライダーが詰め寄った。
「私たちの目が届かないことを良いことに、次から次へと、」
「だから違う。第一、次から次へってなんだ!」
「他にも居るのでは?」
キャスターが、くくくと笑い始めた。綾子とイリヤの事である。察したライダーは疑いの眼差し。彼女は有無を言わさず彼の首筋に噛み付いた。血を吸った。経験者と露呈した。ゴゴゴ。地響きと共にライダーの髪が巻き上がる。孔雀と言うよりは八岐大蛇だ。
「違う、キャスターじゃない」
「なら誰です」
「……桜」
「その上で、遠坂凛を頼ろうと?」
「都合の良い事は判ってる。土下座でもなんでもする。この通り」
彼は深々と頭を下げた。
「だけど他に頼れる人が居ない。俺では桜を救うどころか差し違える事すら出来ないんだ」
「頭を下げるべきは私では無く遠坂凛でしょう」
「叶うならそうしたい。だができない」
ライダーは真也の心臓の事を思い出した。
「……シンヤはどうするつもりですか」
「ライダーも知っての通り心臓の症状は健在。俺は逝くよ。人達を巻き込んだから、その責任を負う、そんな聞こえの良い台詞は今更言わない。ただ遠坂の人たちの為に逝くなら本望だ」
彼女は腹を括りまずこれを先に告げた。それは彼女のしこりである。
「シンヤ、一つ謝罪を。サクラが倒れた夜の事を覚えていますか? あの時サクラは狸寝入りで全て聞いていました。そして妹で良いと決断しています。私はそれをシンヤに伝えようとし、しませんでした」
「そう」
「怒らないのですか? あの時伝えていたならシンヤは遠坂凛と共にいてこうならなかったはずです」
「ばっかだな。未来が分かってるなら誰だって間違えはしない。それに、桜に止められたんだろ? 許すよ、いや気にしてない」
「……連絡役と説得役の努め、引き受けます」
「ありがとう、ライダー」
キャスターはルールブレイカーを用いライダーと真也の再契約を交わした。桜(アンリ・マユ)の眼を誤魔化す為だ。サーヴァント2体分の維持に必要な魔力は桜から供給され問題は無かった。対黒桜用の結界を真也を介し大聖杯に施した。そして記憶消去用の術式結晶(コードセル)をライダーに手渡した。それは何の因果か真紅のルビーだった。そして別れの時。二人が次に会う時は敵同士である。二人は抱き合った。
「ごめん。ライダーには最後まで手間を掛けさせる」
「そうですね。この展開は意外です」
「ライダーは温かいな。誰かに抱きしめられる事がこんなに嬉しいなんて初めて知った」
「受肉の件、受け入れましょう。子育てに不得手なチトセに一言言わないと気が済みません」
「手は上げるなよ、馬鹿みたいに強いから」
「何かありますか?」
「凛に伝言を」
彼はその短い言葉をライダーに託した。
「もっと早く言うべきです」
「……俺もそんな気がする」
「お取り込み中のところ恐縮ですが。マスター、ライダーをお借りしても?」
「どうぞ」
多少名残惜しそうにライダーから離れれば、真也は屋上の隅でフェンスにもたれ立っていた。屋上の対角ではライダーとキャスターがなにやら話していた。キャスターの術で彼には何も聞こえない。
「ライダー、貴女はマスターに近い存在のようです。その上で伝えたい事があります。これは私の独断、それを承知して下さい」
「シンヤに知られたくない、と言う事ですか」
「マスターの心臓は桜様に握られています。つまり、症状の進行を操っているという事です。そして桜様は意図的に促進させている……これの意味はおわかり?」
「……つまりサクラは、シンヤを使って遠坂凛に復讐を?」
「恥ずかしながら私には扱いかねる事柄です。凛様にお伝えするかどうかは、ライダー、貴女に一任します」
「キャスター、私はあくまでもサクラ側。なによりこれは混乱をもたらします。そしてそれは貴女のマスターであるシンヤを苦悩させる原因となるでしょう。その上での発言ですか?」
「聖堂教会の神は人の行動に正義を求める。その教えは人々に理由と答えを求める、正義とは正しい事、正しい事には悪い事がある、つまり罪と罰。私はギリシャの神々にその名を連ねる者、どこぞのメシアが伝える教えなど関係ありませんから。この混沌は我らにとって希望となりましょう」
「私もギリシャの神々に名を連ねる者です。必ず伝えましょう」
「メディアと申します」
「メドゥーサです」
「よしなに」
「首尾良くお願いします」
ライダーは真也を見ると、微笑み立ち去った。屋上を発った騎兵は学園脇の森へ消えた。歩み寄る己のサーヴァントに不審さを隠さないのは真也であった。
「何の話?」
「女同士の会話です、野暮ですわよマスター」
「悪い話じゃなさそうだし、良いけど。ライダーが笑うなんて良いのか悪いのか……それじゃキャスター。フォロー頼んだ。そろそろ戻る」
「マスター、もう少し時間を頂けませんか?」
「何故に」
「もう一人のゲスト、マスターにとってはある意味主賓です」
キャスターの視線は真也の肩を通り過ぎていた。彼が背後に感じたその気配は、振り返らずとも知り得るものだった。正直振り返りたくなかった、このまま立ち去りたかった。だが。彼にとってその人物はそれを許す存在では無かったのである。
「真也さん」
「あ、葵さん? なんでここに?」
「キャスターさんに頼まれて。学校なんて久しぶりでドキドキしました。姿が見えないと分っていても、気づかれているのでは無いかって。キャスターさん遅れてしまって御免なさい」
キャスターを睨めば、とぼけられた。葵は躊躇う事無く真也の懐に進むとその頬に手を添えた。
「こんな変わり果てた姿になってしまって」
「葵さん。何も聞かず、あの家に戻って下さい」
「どうするつもりですか」
「安心して下さい、あの二人は是が非でも葵さんの元に返します」
「真也さんは?」
「俺の事は気にしないで下さい。それが俺の役目ですから」
「なりません。3人揃って帰って下さい」
「それは無理なんです」
「全てキャスターさんから聞きました。心臓の話も。いいですか、真也さん。私も関係者なんですよ。それは凛と桜がしでかした事、親である私にも責の一端があります。関係ないなどと、酷い事を言わないで下さい」
「葵さん、お願いです。その願いを取り消して下さい。でないと俺はこの身をあなた方に費やせなくなる」
「家族は一人でも欠けては駄目です。それに後悔があるなら尚更、何年経っても癒える事はありません。真也さんの犠牲に成り立つ遠坂はもうあり得ません」
「最悪俺が、俺自身が、ご当主を殺してしまう恐れもあります。分って下さい」
葵は躊躇いの後、真也を引っぱたいた。心地よい音と痛みに、唖然とするのは真也である。彼女は打った頬の痛みを消す様にその頬を撫でた。
「御免なさい真也さん。真也さんの懺悔を聞いた時に私はこうするべきでした。聞いて下さい。私たち夫婦の負債を押しつけてしまいました。桜を立ち直らせて頂いた事には、感謝の言葉もありません。桜が迷惑を掛けました、お世話になりました。凛が迷惑を掛けました、お世話になりました。真也さんがした事はもう気にしていません。御免なさい、そして、ありがとう。家族は一人でも欠けてはいけません。帰ってきて下さい。そして、あの娘たちを、私たちを守って下さい。それが私の願いです」
彼の涙は葵の手を濡らした。それは彼が封殺した願いでもあった。
「……はい、必ず」
「それと。私の前でも凛と呼んであげてください。他人行儀はもう止めましょう」
「はい」
キャスターはマスターの身の軽さに呆れつつも微笑んでいた。
つづく!