綺礼と別れ、家に戻った士郎たちは作戦会議を始めた。気分は酷く悪いが、泣き言は言っていられない。状況は刻々と進んでいる、動く身体があるならば嫌でも動かさねばなら無いのだ。
そこは何時もの居間である。何時もの様にちゃぶ台を囲むのは、セイバー陣営の面々だ。士郎は明るく努めていたが、その表情には影があった。士郎が重苦しく「方針は変わらない。アンリマユの誕生は絶対阻止だ」と厳かに言えば、舞弥はいつも通りの落ち着きをもって「士郎、セイバーが居ないけれど」と聞いた。その問いにはイリヤが「セイバーは屋上で警戒してるわ」と答えた。舞弥は理解出来ないと首を傾げた。
「士郎。セイバーを作戦会議に出席させなくて良いの?」
それに答えるイリヤの態度は年長者のそれだ。
「見ているだけで陰鬱になりそうな雰囲気だもの、居ない方が良いわ。どのみち警戒は必要でしょ」
「続けるぞ。真也と俺らの関係から考えられる攻防パターンは3つある。一つ目。真也が先行してきた場合。この時は遠坂を使って真也を封じて倒す。遠坂を見るどころか、近づくだけで、その効果が生じるから問題は無い。けれど遠坂が切り札って事は向こうも分ってるだろうから、これは一番可能性が低い。桜と真也が二人同時で来た場合も大体同じ。遠坂を守りつつ真也を無力化して桜を倒す。二つ目。桜が先行してきた場合。桜は遠坂を狙ってくるだろうけれど、桜は戦い方を知らないから突くとしたらここだ。可能であれば足止め後、ルールブレイカーを使って桜を解放する。俺らにとっては一番好ましい展開になる」
士郎はお茶を飲んだ。
「三つ目。戦わずに攻めてくるパターン、つまり、俺らにとって最悪の展開になる」
舞弥が静かにその意味を確認した。
「人質を取るのは常套手段ね」
「被害を出したくなければ、姉さんを差し出せ、と言ってくるかもしれない」
「世界を滅ぼそうというのに、そんな駆け引きをするかしら」
「真也は俺らが阻止しようとする事は分ってるはずだ。なにより、被害は出したくないと俺が決断する事を見抜いている筈」
「全く貴方たちは面倒な関係ね。分かり合ってるなら手を取り合えば良いのに」
イリヤは湯飲みの茶柱を不思議そうに見ていた。思い出す事は彼女を殺せなかった敵マスターの嘆きである。
「シロウ、あの男はそれをすると思う?」
「真也自体は良く思っていない、と思う。けれど桜(アンリ・マユ)に従っているなら、従わざるを得ない。だから先手を打ちたい。ランサーには偵察に出て貰っていて、見つけ次第連絡が入る事になっている。これは機動力が勝負だ。発見次第、セイバーに俺と遠坂を運んで貰って、ランサーと合流し強襲を掛ける、これが基本プラン。だがサーヴァントはあの影を見るだけで威を削がれてしまうから、いずれにせよ厳しい事は間違いない。アジトが見つかれば一番良いけれど」
舞弥もそのプランに異存は無かったが、綺麗すぎだと感じた。目の前の義理の息子は受け入れないだろうとは思いつつ、こう告げた。
「遠坂さんを囮にするというのは?」
「桜の影は神出鬼没だ。危険すぎる。切り札の遠坂を失えば俺らに後が無い。真也は虚を突くのが巧いから、一番あり得る事は戦力分断を仕掛けてくる事だ。自動車を突っ込ませる、火災を起こす、停電させる、色々考えられるけど、それは囮。混乱を起こしその機に乗じて強襲を掛ける。つまり一撃離脱、またはそれの繰り返して、こちらの消耗を狙うかもしれない。その為のセイバー(警戒)なんだけど、セイバー以外の俺らは休まないといけないから」
舞弥は溜息を付いた。ただでさえ戦力に乏しいというのにセイバー陣営は非道に訴えられないのである。
「嫌らしい性格なのね」
「それは同感。ワンマンアーミーの真也に対抗するには、緊迫した状態でも一糸乱れぬフォーメーションが必要だ。けれど正直俺らは日が浅い。方や桜と真也は10年の関係、想定していても防ぎにくい。だから、俺らに出来る事は連携を密にする事、極力一緒に居る事だ。申し訳ないけれど全員居間で雑魚寝だな。真也に隙を見せるのは致命的だ」
舞弥が居間を見渡せばその凛が居ない。彼女が「そう言えば遠坂さんは?」と何気なく聞けばイリヤが「リンならフラフラと出て行ったわよ」と応えた。
「変だな。トイレにしては長す……あ」
「士郎、幾ら何でもデリカシーに欠けるわね」
ばつ悪く誤魔化す様に頭を掻く士郎。それを見る舞弥とイリヤは呆れを隠さない、ピンポーンという来客を告げる音が鳴った。何時もと何も変わらない音色だが士郎には随分間が抜けて聞こえた。時計を見れば7時を回り、陽もすっかり落ちて星も見えている。勧誘か、N○Kか、誰か分らないが危険だ。早々にお引き取り願おう、そう思いつつ玄関の扉を開ければ、そこに立っていたのは見知った同学年の生徒、美綴綾子だった。
Beepとプリントされたライトグレーのスウェット、デニムのミニスカートに黒のスットッキング。クリーム色のスニーカー。アウターにはホワイトとココアブラウンが織りなすツートンのカーディガンを羽織っていた。チェスナットブラウンの髪はボブカットで挑発的に刈り揃えられていた。そこから覗く鋭い眼差しは健在だったが、随分穏やかさを感じさせた。活動さを感じさせる中に柔らかさ持っていた。普段着だが、スタイルが良いので随分と様になってみえる。モデルになれるのでは無かろうか、士郎はそんな事を考えた。そして余りにも意外な来訪、珍客に彼も戸惑うより他はない。
「美綴?」
「よ。久しぶり衛宮。インフルエンザをこじらせてる割には元気そうだ」
「なんでさ」
「遠坂を探してるのよ。家に行ったらお母さんしか居なくて、どこに居るのか聞いても教えてくれなくて。そう言えば衛宮も“そう”だったって思い出したってわけ。いやー、我ながら盲点だったわ」
気まずそうに照れを隠す綾子に対し、士郎は状況を思い出した。
「申し訳ないんだけど今忙しくてさ。お引き取り願えないだろうか」
「聖杯戦争だろ?」
「……は?」
「聞いたよ、真也から」
「……美綴も魔術師とか?」
「正真正銘一般人」
「なのに話したのかアイツ」
「おかしい? 10年越しだよ」
「ならなんで今頃? もっと前から関わっても良いだろ」
「最近教わった。遠坂に直接会って話したい事があってさ、取り次いで貰えない?」
「話ってなんだ」
「女同士の会話ってこと。相変わらず野暮だね」
「まぁ、良いけどさ。上がって」
綾子が初めて訪れる士郎の家は随分と賑やかだった。凛が居るだろう離れに向けて、廊下を歩けば、出会う人物は女性ばかりなり。和風建築に外国人は随分と新鮮さを感じたが、問題はそこでは無い。綾子のその言葉尻は少々刺々しかった。
「衛宮、この家随分賑やかね。外国の人ばかりだ」
「そうだな」
「そう言えば衛宮のお母さんも日本人らしくないね」
「そうかもな」
「衛宮ってひょっとしてハーフか、クォーター?」
「なんでさ」
「日本人らしくない体型だし、赤毛だし」
「純日本人」
「先祖に外国人が居るかもね」
「可能性は否定出来ないな。日本人は中東と同じルーツを持つって言う説もあるし」
「あー、聞いた事あるわ。YAP遺伝子だっけ?」
「意外と詳しいな」
「意外は余分だ」
廊下を曲がる。家主と二人気になった事を確認しこう聞いた。
「でだ。衛宮。さっきから気になってたんだけど、なんで女の人ばかりなのよ」
「色々あって」
「念のため聞くけれど。私をどうこうしようって腹だったわけ? このハーレムに加えようとか」
「するか」
「なら良いけれど。それにしてもみんな綺麗ね。腹が立つぐらい」
「そう思う」
「おぉ、衛宮よ。お前もか」
「シーザー乙」
離れにたどり着き、凛に宛がわれた部屋をノックすれば返事がない。幾度叩けども声がない。綾子に頼み扉を開ければもぬけの殻。はてな。おかしい。呼べど叫べど返事がない。漠然とした焦燥が沸く。騒ぐイリヤを放置して部屋から部屋を渡り歩けば、やはり見当たらない。トイレ、浴室、道場、土蔵、どこを探しても影どころか凛のリの字さえ見えない。
「あれ?」
半眼で睨む綾子を放置し士郎が心当たりを探っていると、
「コラー」
イリヤが騒いでいた。
「なんだよ姉さん」
(姉さん?)
綾子の足下にいる人物は、やたらに可憐だが贔屓目に見ても10代前半である。複雑な家庭事情に違いない、綾子は何も聞かない事にした。
「リンなら外出した様ね。靴がないわ」
「……外出した? 何しに?」
「さっきから何度も言ってるのに。シロウなんて知らない」
「ごめん、謝る。だから教えてくれ。遠坂はどこへ行ったんだ」
「本当に謝ってる? 申し訳ないと心から思ってる?」
「もちろんだ。この通り。ごめんごめん」
しゃがみ、姉と同じ視線にし、拝み手で謝罪の意を表す弟に、イリヤは幼い彼女をあやす父の面影を士郎の中に見た。
「血は繋がって無くても親子なのね。いいわ、許してあげる。リンは葬儀の列にでも並びそうな悲壮さを醸し出していたから、多分碌でもない事を考えてるわよ」
「碌でもない事……」
考える事数秒。脳裏に彼を挑発した凛の姿が浮かび上がった。士郎は血相変えて、玄関に向けて走り出した。慌てるのは綾子である、彼女に全く事情が読めないからだ。綾子が「ちょ、どうしたのよ!」と玄関で靴を履く士郎に問いかければ彼は「遠坂は罰を受けたがってたんだ。まずい」と応えた。制止したのはイリヤである。
「待ちなさいシロウ。どこを探すというの」
「まだ遠くに行ってない筈だ。見つけ出して止めないと」
「もう相応に経ってるわ。闇雲に探していては手遅れになるわね」
「でもさ!」
「リンには符陣(マーカー)を刻んでおいたから追跡出来るわよ」
彼は姉に駆け寄ると「流石姉さん! 愛してる!」と頬にキスをした。イリヤは「当然ね」と意にも返さない。色々な意味でショックを受けた綾子は「ちょ、衛宮?」と戸惑っていた。
「でも、そこまで読んでいたらなら、釘を刺して欲しかった!」
「引き留めても別の機を伺って同じ事をするわ。私にリンの根本を正す事は出来ないから。止めるなら急ぎなさいシロウ」
「セイバー!」
主の呼び声に現れたのは綾子より少しばかり歳下であろう、これまたたいそうな美しい娘であった。綾子は驚くばかりなり。
(またふえたっ! すごい美人!)
「何事ですかシロウ」
「遠坂を探しに行く! 姉さんを背負ってくれ!」
「分りました」
「舞弥さん! リズセラ! 留守番頼む!」
纏めるな、省略するなとセラの異議が飛んでくるが彼はお構いなしに靴を履いた。
「ちょ、待ちなって。私は訳が分からないんだけど」
「遠坂を思いとどませないと、真也に殺される!」
綾子は訳が分からないまま、出発した士郎を追いかけた。
「あぁもう! 一緒に行くから置いてくな!」
◆◆◆
聖杯戦争の影響か、それとも簒奪者への恐怖か、平時賑やかな新都が閑散としていた。時刻は午後の7時半、ネオンはいつも通り灯っているというのにうら寂しい。まるで墓場の様である。大量失踪事件が続き早々に締める店が多いのだ。人影もまばらで、都合で融通の利かない大型チェーン店と駅前交番が細々と運営している程度である。
彼女が歩くその道も例外ではない。何時もであれば相応に人通りのある、その通りも嘘の様にひっそりとしていた。だがこの様な場合でも、否。この様な人が避けるべき場所、時だからこそ、そういう人種はいるのだ。彼らは自分だけは大丈夫だと思っているのである。ビルとビルに囲まれた、人通りが少ない相応の道、コインパーキングの電飾広告と街灯が放つ光の、そのお零れが照らす程度の薄暗い脇道、そこに柄の悪い男達が数名たむろって居た。
ニット帽に、ブルゾン、カーゴパンツ、ゆったりとしたスポーツカジュアルの装い。顔ピアス、不自然な程黒い肌、髪の傷みなど考慮しない強く染めた髪はチリチリで、皆が皆一様な恰好だ。映画や雑誌でよく見る、アフリカ系アメリカ人の恰好だけを真似た連中である。ポリシーなどあるまい、彼らを見下ろす凛は不遜に見下ろしていた。
「アンタたち、暇そうね」
突然声を掛けられたゴロツキ達が、その方を見れば少女が一人立っていた。とてもこの時間、この場所に居そうでは無い雰囲気と容貌で、理解出来ぬと警戒の眼差しを見せていたが、その見目麗しさに品のない笑みを浮かべ始めた。
「暇っちゃあ暇だな」
「そーそー」
「どうしたの君」
「最近物騒だから、俺らと一緒に居た方がいいよ?」
凛は淡々とこう告げた。
「面倒だっての」
「あん?」
「私溜ってんのよ。付き合ってくれない? アンタたち、そう言う事だけなんでしょ?」
しばらく呆気にとられていた男たちだったが、凛の意図に気づくと、その手の表情を作った。もちろん人様に見せられる真っ当なものでは無かった。
鼻が曲がりそうな程強い香水の臭いを放つ男たちは、凛の頭と、二つの腕、そして二つ脚を掴み、拘束した。流石の凛も為す術がない。為す気も無い。ぼんやり見上げれば、これから彼女を貪ろうとする欲望に歪んだ、男たちの顔の様なものが見えた。彼女はそれを意識から消した。更に視線を高くぼんやり空を見上げれば、ビルの隙間から見上げる空は、腹が立つ程に綺麗な星空だった。皮肉としては効き過ぎている。冬の大三角を見ながら、彼女はゴロツキ立ちに暴行されるのだ。いや、暴行というのは正しくない、彼女はそれを望んできたのだから。この行為に意味があるのか、そう聞かれば誤りである。彼女の贖罪にはあの兄妹が必要だが、凛はその二人を倒さなくてはならないのだ。ならば、せめてこの身には罰が必要だ。怪我をしてしまえば、戦いに支障が出る。桜は蟲に陵辱されたという。士郎にそれを望んだが、彼は拒絶した。ならばこうするより他はない。
「どうしたの? カレシにでも振られた?」
「そんなところ」
「酷いカレシだね、こんな可愛いのに」
「私が酷い事をしたのよ」
「へえ、どういう意味?」
「関係ないでしょ、早くして」
腿を掴む男たちの指の感触がおぞましい。力加減など知らない男たちの腕が、彼女の腕を締め上げ、痛みが走る。コートは脱がされ、真紅のシャツは捲り上げられた。顎を掴まれ寄せられた時、堪えきれず涙が溢れた。口付けは駄目だ、それだけは駄目だ、抗おうと唇を強く結んだが力を抜いた。諦めた。桜と同じように諦めた。彼女の涙が男たちの欲望を煽る。
「お、泣いているの君?」
「ひょっとして、処女?」
「おいおい、マジかよ」
「ぜってー遊んでると思ったのに」
「最初は俺からな」
「さっさと済ませろよ」
一人の男が、凛の腿に割り込み。
一人の男が、凛の胸に手を伸ばし。
一人の男が、凛の唇を奪い取ろうとし。
凛が求めてはならぬ助けを彼に求めた時、ガチャンという何とも軽い音が響いた。何事かとその方を見れば、自転車が乗り捨てられていた。コンクリート製の、薄汚れたビルの間に二人立っていた。一人は赤毛の少年、一人はチェスナットブラウンの少女。兄妹ではないだろう、似ても似つかぬ人相をしているからだ。カップルか、そう考えたがそれを改めた。並び立つ二人は、まるで共闘者である。二人は凛に対し怒りと呆れを持っていたが、男たちには何の感慨も持っていない。それどころか視界にも映っていなかった。綾子は間に合った事に安堵しつつも盛大な溜息を付いた。
(また、馬鹿な事を。真也を追い込むって分ってないのかこいつは)
綾子を凛の友人だと思った連中はやはり同じように接する事にした。彼らはもう収まりが付かなかったのである。短絡的に同じレイプ願望の仲間だと思ったのだ。
「この娘のトモダチかな?」
「ちょうど良かった。一人じゃ不安がってるんだ、一緒に遊ばないか」
「そこの君は邪魔だな、帰れよ。それとも混ざるか?」
漸くゴロツキどもに気がついた綾子は、侮蔑を込めて言い捨てた。
「アンタら分ってる? そいつ、蒼月真也の関係者だぞ」
沈黙が訪れた。呆気にとられた。この少女が何を言っているのか理解出来ずに暫く固まっていた。漸く絞り出した声は掠れていた。
「……そんなハッタリ聞くかよ」
「知ってるぜ。インフルエンザで寝込んでるってな、だったら連れてきたら?」
「今なら見逃しても良いけれど。どうする?」
綾子の挑発的な態度に、不愉快さを隠さない一人の男が「あん?」と詰め寄ると、同じように不愉快な笑みを浮かべた。
「へぇ、生意気だとおもったけど、よく見るといけてるじゃん」
警戒した士郎が一歩踏み出すと、綾子は手を翳し制止した。
「先に言っておくわ。少しばかり苦しいと思う」
そう告げた綾子の顔は挑発的な笑み。何を、と言いかけたその男の言葉は綾子に掻き消された。
「ぶっ!」
綾子の掌底が男の鳩尾を貫いたのである。体重の流れと関節を締めるタイミング、練った威力を無駄にしない洗練された一撃だった。鍛えられていないその男は為す術もなく、吹き飛ばされ地に伏せた。強風に翻弄されるゴミ袋の様だ。
「私さ、アンタらみたいな奴嫌いなんだ。怪我しないうちに失せな」
このアマ下手に出てれば、等々。お約束を口にするニット帽の男はナイフを取り出した。その言い回しに覚えがあった綾子は、その男を思い出した。容貌は随分違っていたが、顔立ちと話し方は同じだ、間違いない。
「あ、アンタの事覚えてるわ。冬木市第3中のSだろ」
「知ってるのか?」
士郎の発言は確認の意味を含んでいた。もちろん、叩きのめして良いのか、という意味である。
「冬木の羅刹、この名をかたって粋がってた奴だよ。バレて真也にボコられたんだけど。県外に越したって聞いてたけれど、戻ってきたのか」
直前まで粋がっていたその男は、哀れに感じる程怯えていた。他の者たちも腰を抜かす寸前だ。彼女を指し示す人差し指は、震えていた。
「殺しの情婦(ブラッド・コールガール)!」
「後始末屋(ダスト・スイーパー)!」
「羅刹の広報省(ヨーゼフ・ゲッベルス)!」
「冬木のサッチャー・マーガレット……鉄血、美綴綾子!」
(……そんな風に思われてたのか、私は。17歳の乙女だってのに)
苦悩めいた綾子に士郎は呆れていた。
「何したんだ、お前」
「真也の尻ぬぐいをしてきただけよ」
「あ、納得」
「良いかアンタたち。私はこれでも忙しいんだ。失せれば私は何もしない。でも上手く隠れなよ、真也の報復はきついぞ」
数名が幽霊でも見たかの様に逃げたが、数名が逃げずに怒の形相で歩み寄る。自尊心と恐怖がせめぎ合うその姿は滑稽だった。真也と綾子をよく知らない者たちだったのである。ナイフを片手ににじり寄れば、控えていたセイバーが鋭い眼差しで、主の前に踏み出した。
「セイバーは下がれ」
「しかし、」
「彼らは一般人だ、セイバーを使う訳には行かない」
臆する事無く二人はゴロツキ3名に推して進む。士郎は首に手を添えコキコキと回した。ミキサーの歯の様に鋭かった。綾子は左腕を、ぐるぐる回した。観覧車の様に腰が入っていた。叩きのめした。熨されうめき声を上げる連中を余所に二人は軽かった。まるでアミューズメントで遊戯に興じるかの様だ
「美綴ってさ、武芸十八般だとは聞いてたけど、本当だったんだな」
「器用貧乏って奴、極めてる衛宮には叶わないよ」
「極めてなんかいない」
「そういう奴はそう言う事を言うもんだ。というかさ、いつの間に体術なんて習ったんだ」
「ある奴に倣った」
綾子が見下ろせば、同級生がそこに打ち拉がれていた。身体を抱き寄せ、蹲る凛は綾子を睨み上げていた。なぜ、邪魔をしたのかそう語っていた。
「帰るよ遠坂」
「どうしてよ……」
「文句は後で言ってやるから、とにかくそのみっともない形を何とかしな。衛宮、向こう向いてろ」
「なんでさ」
「本気で言ってるなら、はたくけど?」
暗がり浮かび上がるのは着衣の乱れた凛である。悟った彼は顔を一気に染めた。
「ぐえ」
セイバーに襟首を引っ張られる弟の姿に、溜息を付くのはイリヤであった。
◆◆◆
凛を連れ衛宮邸に戻れば居間にライダーが居た。ちゃぶ台に向かい正座する姿はなんとも珍妙だ。リーゼリットとセラは警戒したが、舞弥が取りなしたのだった。士郎は敵意が無い事を確認すると、凛を離れに連れて行く様セイバーに命じた。ちゃぶ台に向かい真正面のライダーを見据えると一言ぽつり。
「なんでさ」
「あなた方と遠坂凛に用があります」
士郎の左に正座する綾子は内心げんなりしていた。目隠しで素顔を隠していたが、隠しきれない程の美しさを、溢していたからである。いくらなんでも不公平だ、彼女は不満を抑えられない。次ぎに真也は気にしないのだろう、そう考えた途端幾分和らいだ。
「衛宮、この人誰よ」
「ライダー、桜のサーヴァントだ」
「そう。ライダーさんだっけ、悪いんだけど私も遠坂に話があって私が先なのよ。先に話させて貰うわね」
ライダーは綾子を凝視した。その威圧は邪魔をするなと言っていた。
「何処の誰かは知りませんが、私の邪魔をしない様に。私は火急かつ重要な使命を負っています」
「そんなの私だって同じだ。というか私の話は重要じゃ無いって言いたい訳?」
付き合ってられないと、ライダーが立ち上がり背を向けると、回り込んだ綾子が立ちふさがった。ライダーは身長172センチ、綾子は162センチ。身長差が随分あるが、綾子は臆する事無く睨み返していた。
「退きなさい」
「後からやってきて図々わね。それとも私には順番を論議する立場にすらないって事? 何処の英霊か知らないけれど呼び出されてせいぜい1,2週間の筈、遠坂との付き合いは私が長い、遠慮しな」
睨み合い火花を散らす二人。緊迫の空気に正直なところ士郎はドキドキだった。気が気では無かった。一般人がサーヴァントと対峙するとは無謀を通り越して自殺行為だ。だが胸を張り、真っ直ぐにライダーを見据える綾子の瞳。姿勢、声、顔立ち、性格。ライダーにとってはそれは好ましいものだったのである。
「桜のサーヴァントだっていうなら、私が遠坂と話す事は桜の為にもなる、これでどう?」
「サクラとシンヤを知っているのですか?」
「知っているも何も10年来の付き合い」
ライダーがちらと士郎を見ると彼は頷いた。信頼に足る人物か、ライダーは綾子の首元に鼻先を近づけた。舐る様な見定め。唐突な予想外の接近に綾子は慌てて飛び退いた。頬が赤い。
「な、」
「なるほど。確かに二人の匂いがします。それに悪くなさそうです」
ライダーのそれは微笑みと言うより、獲物を見つけた様な笑みだった。綾子は得体の知れない身の危険に戸惑うのみである。
「悪くなさそうって、なにが?」
「いいでしょう。名前はなんと言いますか」
「美綴綾子」
「では、アヤコ。共に話すというのはどうでしょうか」
突然名前で呼ばれ、落ち着かない彼女であった。
「人には聞かせたくない内容なんだけど」
「それは私も同じです。サクラとシンヤの命が掛かっていますから」
「……わかった。それで手を打つ」
「それではアヤコ。急ぐとしましょう。士郎、話が終わるまで私たちに近づかない様に」
ライダーに両肩を掴まれ押され歩く、促されるままの綾子は何故だろう。ホテルに連れて行かれる様な錯覚に陥っていた。もちろん性的な意味である。
つづく!