冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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46 カズム・6

その表現は適切では無い。凛にはそう見えたと言う事だ。顕れた真也の顔は、黒とあかね色が織りなす呪いの帯が、幾重にも絡まり纏わり付き、眼・耳・鼻・口を、覆い隠す様に封じられていた。影の特性か、頭部から有るべき立体性が失せ、まるでどこぞへの世界に繋がる孔の様になっていた。頭部のみのマミーと言えば滑稽に聞こえようが、その意味は蒼月真也という存在の抹殺に他ならない。桜は、兄の頭部のみを虚数空間つまり影の中に、置いていたのである。

 

流石の凛も態度を一気に硬化させた。“桜は真也を使って凛に復讐しようとしている”ライダーの苦悩めいた言葉が頭の中で幾度となく繰り返された。何かするであろうと予想はしていた、だが自分の妹がここまで走るとは思わなかった。姉の変化を見た桜は気分が良い。事実その声のトーンは高かった。桜の心境は正しく、できの悪い生徒を叱咤しつつも、優越感に浸る困った教師のそれある。

 

「間桐の魔術は束縛、それを忘れましたか? 桜(わたし)にはこんな芸当(魔術)はできませんけれど、桜(わたし)に刻まれた特性を、アンリマユ(わたし)が利用するぐらいは可能なの」

 

それは桜の策だ。感覚を封じれば遠坂凛という切り札は効かなくなる。単純な理屈。

 

「しん、や?」

 

凛は声を絞り出すのが精一杯だ。

 

「無駄ですよ、姉さんは届きませんから。今の兄さんは感覚を封じているから。大分弱くなっちゃいますけれど、私の言う事を何でも聞いてくれるの」

 

驚愕が戸惑いに変わり、怒りを通り越し冷静になった頃。手心はもう加えまい、凛はそう決意した。これでも妹に気を使っていたのだ。事実、その表情に労りは無かった。

 

「随分と楽しそうね、桜。そんな趣味が合ったなんて意外、いや納得だわ」

 

「勘違いしないで下さいね。私だってこんな事したくないけど、仕方が無いです。だって、姉さんが生きてるから。あれだけの事をした姉さんを兄さんは許しました。なら私も酷い事をして、許して貰わないと不公平でしょう? 

 

流石が私の兄さん。今の兄さんには、光も音も匂いも空気も無くて、時間の流れすら断たれてる世界で、魔力だけで強引に生きてる。この状態でもう丸一日。常人なら発狂してしまいかねない死ぬより辛い状態に陥れた私に、怒らないんですよ。 ただじっと耐えて、私に尽くしてる。自分は衰弱してるのに“桜、大丈夫か”って聞いてくる。私を心配してくれる。

 

姉さんは兄さんを殺そうとした、私は兄さんを死ぬより辛い目に遭わしている、なのに怒らない。つまり、兄さんは姉さんより私の事を思ってるって事です。そう、そうです。私は姉さんのそんな顔が見たかった」

 

姉妹の事だと今まで静閑していたセイバーであったが、勘弁ならぬと口を挟んだ。

 

「行き過ぎた愛という厄介な物は幾度となくお目に掛かったが。サクラ、お前のそれは極めつけだな。お前の兄がどれ程お前を案じているのか、それが分らないのか」

「セイバーさんって誰かを好きになった事無いんですね。どんなに好きでも振り向いてくれないって」

 

それは苦しいこと。

 

「どんなに近くても触れてはいけない」

 

それは悲しいこと。

 

「どれだけ想っても結ばれないと言う確定された未来」

 

それは絶望。

 

「それが分りますか? したくなくてもせざるを得ない衝動」

「桜、アンタ、真也の状態判ってんの?」

「もちろん。兄さんは少しずつ忘れてます。その内姉さんの事も忘れるから。忘れれば、私は兄さんを辛い目に遭わせずに済む。だから、これは、ぜんぶ、ねえさんのせい。姉さん。死んで下さい」

「一つ聞くけど、私への当てつけの為にそうしてる訳?」

 

「姉さんだって、兄さんを殺そうとした。あの場所に兄さんの血が大量に落ちていましたから。そう言う事でしょう?」

「答えなさい」

「ええそうです。おかしいですか?」

「私は真也の命を狙ったけど、真也の存在自体を否定した訳じゃ無い。だって、一回も忘れた事なんてなかったんだから。けどアンタは違う。真也を目的じゃ無くて手段にしてる。はっきり言うわ、それは道具扱い。とにかく解放しなさい。桜、アンタ後悔するわよ」

 

「兄さんは出会わなければ良かったって、私に言ったんです。そんなこと認められる訳無い、それを言わせた姉さんが憎い。だから最大の苦しみの中で死んで下さい」

「それで私を殺すって訳。だったらさ、私が死んだらアンリマユと手を切る?」

「する訳無いでしょう。姉さんを殺して、世界を滅ぼして、兄さんと永遠になるの」

 

桜は目を瞑り、一拍の溜めの後、こう続けた。

 

「さよなら姉さん。再会したとき実は結構嬉しかったんですよ」

 

桜の足下に落ちる影から黒い帯が伸びる。凛を仕留めんと襲い来る様は、まるで彼岸花だ。セイバーは凛を抱きかかえると跳躍。凛でも対処出来る地点に着地した。彼女は帯を斬り捨てようと思えば出来たが、敢えてしなかった。まだ悟られる訳にはいかないのである。

 

「へえ、セイバーさん随分パワーアップしてる、どうして?」

「手の内を敵に明かすと思ったか、サクラ」

「そう、マスターを鞍替えしたんだ。意外と尻が軽いんですね」

「重い方が良いと考えていたが、先ほど改めた。何事も度が過ぎると毒にしかならない、とな」

「私が毒女だって言いたいんですか」

 

セイバーの腕の中の凛は笑いを堪えていた。その例えが余りにも合致していたからだ。

 

「リン、毒女とはどのような意味ですか?」

「毒婦の事よ」

「なるほど。自覚が無いならなお質が悪い」

 

二人の挑発に桜は我慢がならない。何故なら桜本人は純粋だと思っているからである。自分の想いを馬鹿にされれば、誰とて腹は立つ。それが例え歪んでいようとも。だもので。紡ぐ桜の言葉は呪詛のよう。

 

「アサシン、セイバーを殺しなさい」

 

控えていたアサシンは主に命ぜられるまま、セイバーたちに歩み寄る。ゆったりとした歩みで、とても合戦上に赴く剣客には見えない。だがそれ故に恐ろしかった。アサシンの敏捷性はセイバーも知るところ。桜に括られた影響で更に強化されており、尚且つ平坦で障害物の無いフィールドだ。状況はお世辞にも分は良くない。それでも勝利をたぐり寄せるのが彼女の戦い方だった。セイバーは抱いていた凛を降ろすとこう言った。

 

「離れていて下さい。アサシンは私が抑えます」

「セイバー、今のアサシンの敏捷性は貴女と桁が違うわよ」

「心得ています」

 

セイバーが愛刀を構えれば、アサシンもピタリと止まった。それは間合いの一歩外の距離だ。もちろんその距離はアサシンの物であり、セイバーは一歩及ばない。いつか見た様に、ゆるりと佇むアサシンに対しセイバーには余裕が無い。だがそれでも礼を欠いてはならぬとこう言った。

 

「因縁だな、アサシン。倒した筈の貴方とこうして再び相まみえようとは」

 

アサシンは静かな表情であった。眠っていると見誤ってしまいそうな程だ。その口調は句を詠んでいるかの様だった。

 

「死して呼び出され、また死して呼び出された。巡り合わせと呼ぶには少々質が悪い。前の生では魔女に門番を申しつけられ、その不幸を嘆きながらも仕方なしと、その努めに甘んじていたが未練もあった」

 

目を開き笑う。不適さの中にも雅がある、セイバーはそう思った。

 

「地を存分に駆け、剣を奮えるなら、この身の不運も帳尻が合おうというものだ。佐々木小次郎の影武者であるこの身であれば尚のこと」

「そうか、貴方はあの地に縫い付けられていたか。そうとは知らず失礼な事をした」

「征くぞ」

 

凛はこの戦いを行うべきか、それを考え倦ねていた。桜の手に落ちたアサシンは脅威だ。アサシンの敏捷はA++である。能力を上げたとは言え、方やセイバーの敏捷性はB。根性で追従出来る差では無い。直感を用い、耐久に物を言わせれば数手は持ちこたえられる。それを前提にライダーを投入しペアを組ませればまず勝てる、その確信はあった。アサシンの筋力と耐久力は変わっていない、如何に敏捷性に優れようと、ただの鎖とはいえライダーのそれはアサシンにとって天敵だ。強襲を掛け、絡め捕り、セイバーで止めを刺す。ここで倒すべきか?

 

アサシンを失った桜はどう動く。簡単に倒してしまえば、アーチャーが使えるまで身を隠すだろう。その間もアンリマユは成長を続ける。真也の意識が封じられいる以上、“桜の基準で”良い妹を演じる必要が無い桜を追い詰めれば、人々を再び喰らい可能性は十二分にある。

 

ランサーの動きもいまだ不透明だ。綺礼はアンリマユの誕生を是としている、恐れがある。つまり、凛たちが勝つ事を表向き支援しているが、どこかの時点でランサーを用い反旗を翻す。ランサーが完全に味方になっていない状態で、こちらが有利になるのは贔屓目にみても芳しくない。綺礼の望みは凛らと桜が争う事を愉しみつつ、アンリマユの復活を願っている事だからだ。

 

なにより。桜には有利そうに見えて、劣勢だと思わせなければならない。初期条件で桜は己の優位性を疑っていない。その均衡を保つ為に、一つ負ければ一つ勝利を与えなければならない。例えばアサシンを倒した場合、見かけ上イリヤを引き渡す。例えばアーチャーを倒した場合、ランサーと決着を付けその魂を与える。例えばイリヤを与え優位に立たせ、凛が追い込まれている様に見せかけて、実は逆。大聖杯に追い込み一気に畳みかける。桜の視点は狭い。良くも悪くも兄に捕われている。木を見て森を見ずと言う奴だ。少なくとも今の状況であれば、アサシンを倒すのは時期尚早だ。凛はそう判断した。

 

だが。いたずらに時間を費やし、真也が凛を忘れ完全に桜の手に落ちれば、それは最悪の展開と言って良い。そもそもその極限状態の真也がいつまで持つのか、その懸念もあった。凛の瞳に映る彼の姿は呼吸すらままならない、空気の渇きに苛まれている。微動だにしないがとても苦しそうだ。焦燥に駆られる。全戦力を投入し、この場で解放したいという欲求を凛は辛うじて押さえ込んだ。

 

 

◆◆◆

 

 

セイバーも凛と同じ結論に至っていた。アサシンを倒さない、その為には桜を動かすしか無いが、それは凛と士郎の役目だ。その為には、決着を付けずに時間を稼ぐ必要がある。だがそれは言うほど簡単な事では無い。セイバーの直感が危険を訴えていた。前回は相手に地の利が有ったとは言え、アーチャーと二人がかりで倒したのだ。ただアサシンの間合いは分っている。多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)という切り札も知っている。

 

打倒する勢いで攻めてもアサシン攻略は難しい。それ故、受けに回り、カウンターを狙う。消極的な攻めは、彼女の趣旨に反するが、この際我が儘は言っていられない。幸いにして耐久は大幅に上がりバーサーカーに匹敵する程だ。胴体は強固な鎧で防御されている故、守るべきは頭、首のみでいい。彼女は柄を握る拳を頬に寄せ、その不可視の刃をその頭に翳した。雄牛の構え。その様を例えるなら、その刀身は帽子の鍔だ。頭上に輝く陽の光が、風王結界が生む風の巣に乱され彼女の額に落ちる。その影は淡く揺らぎ、正しく陽炎のよう。彼女の立ち位置はアサシンが手にする長刀、それが練り上げる結界の一歩外である。木枯らしで舞う枯葉ですら、その均衡を破りかねない程の静寂を、破ったのはアサシンだった。

 

「セイバーよ、我が剣の質を見抜き、虚を突き反撃を狙う、のは構わんが、少々消極的ではないか?」

「今の私には勝負に拘っている余裕が無い。アサシンそれは貴方も知っているはずだ」

「耳が痛い。この世が地獄になり果てるかどうかの、瀬戸際とあってはな仕方無しか。だが、こうして睨み合っていても拉致があかん……ならば」

 

ドクン、セイバーの心臓が強く打った。アサシンが一歩踏み出した事、目の前にアサシンの斬撃が迫っていた事、地を這い土を舐め、砂埃に塗れた彼女が、身を起こした事、その三つは、彼女にとって全て同時だった。アサシンは普通乗用車1台分の距離を刹那の時で詰め、セイバーが反応しきれない打ち抜きで、彼女の死角を狙ったのだ。彼女が躱せたのは直感と幸運にすぎない。直感に従い、全力をもって飛び退いた。幸運をもってその一撃を躱した。初手で勝負が付かなかった事実に、アサシンは喜びを隠さない。

 

「我が居合い、よくぞ躱した。だがいつまで躱せるかな?」

 

セイバーは面に付着した土埃を拭う事無く立ち上がった。恐るべきは敏捷性である。畏怖すべき剣技だ。だが、初撃を躱した事は紛れもない事実である。黒化した影響か、キャスター戦の折と異なり、太刀筋を捕ら得る事が出来た。それは桜の配下となった代償でもある。捕らえたところで反応しきれる斬撃では無いが、それはセイバーにとって一片の光明だ。タイミングさえ捕らえられるなら勝機はある。

 

ライダーが未だ控えている事実に多少の不満を感じつつ、感謝もしつつ、セイバーは構えをとった。不謹慎だとは思いつつ、彼女もまたこの立ち会いに興が募り、そして己を戒めた。実際の所ライダーには手が出せなかったのだった。初めから並び立っていたならば話は別だが、アサシンとセイバーの間合いは既に剣士の距離だ。下手に手を出せば、セイバーのリズムを崩す恐れがあった。猛々しいまでに煌めく騎士の瞳を見よ。万が一、セイバーが討たれればその瞬間にアサシンを狙う、ライダーはそう腹を決めた。まるで敵討ちの様だと苦笑するより他は無い。セイバーは柄を握る拳を右頬の傍に置いた。今度は、刀身を屹立させた。それは八双の構え。強いて言うなら、杵を持つ構えが近い。

 

「我が剣技を前に余裕が無いと悟ったか」

 

やる気になったセイバーにアサシンもご満悦だ。口元も歪む。彼は奥義を繰り出すべきか迷い、止めた。燕返しには構えが必要だとセイバーは知っている。その隙を見逃す彼女ではなかろう。なにより。

 

「無粋」

 

一太刀に勝負を預ける事が誉れだ。セイバーの手にある風の結界が、つむじ風の様に唸りを上げていた。深と静まりかえった、衛宮家の庭。暗殺者と騎士の殺意が破裂した。アサシンの踏み込みと、セイバーの風王結界が解かれたのは同時だった。今まさにセイバーの首を跳ねようとしていたアサシンの身体は、吹き荒れる風に押しとどめられたのである。彼は体格の割には随分軽い。如何に敏捷に優れようとも、風に煽られては逃れようが無い。巻き上げられては足つきすら覚束ない。それがセイバーの狙いだ。彼女の碧の瞳が見開かれた。

 

「あぁぁぁっ!」

 

彼女の雷光の様な一撃は妙に軽い音を立てた。まるで手応えが無い。否、とても小さかった。風が踊り狂う衛宮家の庭は土埃が舞い上がり、落ち葉は砕ける。乱破な世界の中で、愛刀を打ち抜いた彼女が見た者は、大きく飛び退いたアサシンであった。彼は露わになったセイバーの剣、その刀身を刀身で受け止め、彼女の渾身の一刀を利用し大きく退いたのであった。恐るべき身のこなし、恐るべき剣技であった。軽い音とは、彼の持つただの長刀と彼女の神造兵器の刀身同士がぶつかった音である。セイバーの手にある美しい剣を見たアサシンは。

 

「美事」

 

実に愉快だと呟いた。アサシンは己の“長刀の僅かな変化”にまだ気がついていなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

時を遡ること数刻。それは桜と凛の対峙だ。

 

「さて、姉さんの相手は私です」

「そうくるわよね、やっぱり」

「当然です、相手の都合なんて考える理由なんてありませんから」

 

凛は懐に有る宝石剣を意識した。まだ駄目だ。これはまだ見ぬ事態に対する切り札、今抜く訳には行かない。

 

(あー、すごい腹立つ。ここで全戦力を投入して泣かしたいわ)

 

悔しさを腹に押し込んだ凛の隣りには士郎が立っていた。

 

「桜、俺も相手だ」

「酷いです先輩。あんなに親切にしてくれたのに」

 

そうは言う桜であったが、悲しみは微塵も感じさせなかった。

 

「あの時の桜に戻るなら、そうしてもいい」

「本当に意地悪です。あの時の私も今の私も同じなのに。元カノには優しくするのが、先輩でしょう?」

「付き合ってた訳じゃ無いだろ」

「そうですね。でも毎日先輩の家に通って、一緒に料理したり、料理当番を奪い合ったりして、恥ずかしい思いもして全部見せたんですよ? それって、薄情じゃ無いですか?」

 

「俺が優しくする、そう言ったら桜はアンリマユと手を切るか? あれ程兄想いだった桜が、そんな事をしている姿を見る事が俺にはとても辛い」

「もう遅いの。だって私は兄さんのモノだから。残念でしたね、先輩。先輩が私を受け入れていたら、こんな事にならなかったのに」

 

二人に分け入った凛の口調に感情は無かった。それは押し殺している結果だった。

 

「そろそろ、その不愉快な口を閉じなさい」

 

“アンタが衛宮君に好意を持った振りをするから、あのバカは私に嘘の告白をした”

 

凛はその言葉を飲み込んだ。

 

“桜の為だけにあった真也なら、キャスターの持ちかけたセルフギアススクロールに喜んで署名し、操られ、桜の為になったと笑いながら死んでいった”

 

凛はその言葉を飲み込んだ。

 

「聞いていて正直気分悪いわ」

「そうですね、私も不愉快です。姉さんさえ居なければ、こう成らなかった。今でもお母さんと兄さんと私で静かに暮らしていたんです」

 

“自分は何も悪くない、そう考えられる桜、アンタがとても腹立たしい”その姉は辛うじてその言葉を飲み込んだ。

 

 

◆◆◆

 

 

桜の足下に落ちた影から、無数の帯が立ち上る。凛が宝石“トパーズ”を握り構えた時と、士郎がカリバーンを投影した時と、傀儡となった真也が二人に対し強襲を掛けたのは同時だった。凛と士郎は意表を突かれた。真也が動けるとは思いも寄らなかったのである。それは桜の子供だましの簡単な引っかけだった。

 

“兄さんが動けるなんて、思いも寄らなかったでしょう?”

 

その致命的な子供だましを切り抜けたのは、士郎が手にするカリバーンであった。セイバーの戦闘経験が宿るその剣は、寸分違わず真也の首を狙った。士郎が辛うじて、それは条件反射のレベルであったが、抗い左腕を斬り落とす事に留まった。その斬撃で真也の突進が停止する。凛は目の前の彼に向かい、雌黄色の宝石“トパーズ”を投げつけた。

 

「Ein KOrper(灰は灰に) ist ein(塵) KOrper(は塵に)!」

 

威力は弱めたものの、それはあの夕方の再現だ。魔力の籠もった真空の刃に、彼の身体は巻き上げられ、斬り付けられ、全身から血をまき散らし、彼女にとって特別な彼の身体が、地に叩き付けられた。その時間はとても緩やかだった。嫌みな程、ゆっくりと見せ付けられた。もろもろの全てがこみ上げる。僅かでも気を抜けば泣き出してしまいそうだ。桜は笑っていた。二人の苦悩を感じ取っていたからだ。

 

「酷いですね。二人とも。トモダチなのに、元カレなのに」

 

士郎は聖剣の切っ先を突きつけた。

 

「桜、真也は無力化した。投降しろ」

 

凛はおかしいとは思いつつ、桜に向き直った。脆すぎる、だがダメージを与えたのは確実だ。事実、真也は塀の足下に蹲っている。

 

「奇襲の割には、悪くなかったわ。完全に予想外だったから。でもこれで終わりよ」

 

真也を抑えたのだ。桜を捕らえルールブレイカーで解放、その為に凛がライダーを呼ぼうとした時、真也はなんの予兆もなく立ち上がった。まるで、見えない手が腹のみを掴んで、強引に立たせた様な動きだった。手と足と首に力が入っておらず、諸々をもたげるその様は、幼い頃に見た棒使い人形の動きに似ていた。それは悪夢にすらなった動きだ。

 

二人は目を剥いた。真也の全身に刻まれた切り傷が、瞬く間に塞がっていった。極めつけが、士郎が斬り落としたはずの左腕である。皮膚が破れ、筋肉が砕け、露出する骸骨が血に濡れていたその断面が、泡ぶくの様に盛り上がったかと思うと、成長する若葉の様に伸び、そして腕となった。二人はその過程の中に魔力の働きを見た。切り落ちた腕の断面に、見た事も無い術式が描かれていた。それは魔術を用いた再生だ。セイバーと同等かそれ以上の再生能力、驚きを隠さない二人の顔を見た桜は自慢げだった。

 

「驚きましたか? すごいでしょう? 兄さんの魔術回路を使えばこんな事も出来るんです。もちろん私が魔力を提供して、私が操っているお陰なんですけれど。勿体ないですよね、兄さん自身はこの使い方を知らないの」

「その割りにトロいのは何でだ」

「流石先輩、洞察力が良いです。兄さんは野生動物を上回る感覚で戦況を把握するんですけれど、今は私が封じちゃってますから」

「そう、桜、アンタが操っているって事」

 

「正解です。さてどうしますか、先輩、姉さん。確かに今の兄さんは鈍いですけれど、痛みは感じてるんですよ? 暗闇の中の兄さんは、突然襲われた激痛に、失神しかけています。魔力で強引に復元された訳ですけれど、初めて知る身体の感覚に、戸惑って、嘔吐しています。無理も無いですよね、術を使わなければ治らない怪我を、初めて知る己の能力で治しちゃうんですから。全身の細胞が暴れる感じ、何度も何度も、吐くものなんて無いのに吐いています。また、斬りますか? あ、いま。“桜無事か、大丈夫か”って聞いてくれました。意識を失いかけているのに、聞いてくれました。これって自分より私の事が大事って事ですよね? もう一度兄さんを仕向けますね。兄さんを斬って下さい先輩、兄さんを切り刻んで下さい姉さん。そうすれば私はまた幸せになれる。兄さんは身を顧みず、私の事を想ってくれるから」

 

桜は両手を頬に沿え、恍惚の表情だ。瀕死状態の兄に気遣われた彼女の瞳は蕩け、頬は赤く染まり、唾液が大量に分泌されていた。性的興奮すら感じていた。凛と士郎。二人が最初に感じた感情は畏怖だ。その後戸惑い、そして怒りを感じた。凛はもとより、士郎ですらキレかかった。桜は真也の妹という強い概念を持っている、であるから真也を想っているはずだ、そうライダーは言った。だがこれはなんだ。桜のこの所行を、愛する者に対する行為だというのか。士郎は、桜の反転した愛情、病的な慈愛、狂った想い、その余りの昏みに、封じた“正義の味方”が揺り動かされた。目の前の少女を敵だと、士郎が認識し掛かった時、彼を止めたのは彼の姉であった。イリヤである。

 

「それ以上の狼藉を働くなら自害するわ。だからここは引きなさいサクラ。私が死ねば天の杯は動かなくなる、そうなれば全てお仕舞い。悪い取引じゃ無いと思うけど。サクラが生まれればどの道死ぬんでしょ?」

「素直に出てきてくれてありがとうイリヤ。姉さんをここで殺して貴女を連れ去ります」

「そう、お姉ちゃんが怖いのね」

 

イリヤに表情は無かった。それ故真実味を帯びていた。桜にはそう感じられた。

 

「……なんですって」

「怖いからここで始末する。それだけの魔力を持っていて、姉を恐れてる。みっともないわ。今のサクラは魔力という虎の威を借りた、うさぎさんってこと。いえ、穴蔵に潜るモグラさんかしら。ナイフを持って粋がっている、強がっている連中と替わらない。貴方はどちらかしら。最終的に身の証を立てるのは行動よ」

 

二人の小聖杯が火花を散らす。緊張を解いたのは桜であった。

 

「感謝します。イリヤ。ここで殺してしまっては味気ないところでした。ですからここで殺すのは止めにします。まだ私の気は晴れませんから。まだ兄さんの愛を感じたいから」

 

冷静さを装っていたが、耳にする事すらおぞましいと言わんばかりのイリヤである。

 

「天の杯はアインツベルン城に置いてあるわ。時間が無いなら急ぎなさい、見つけるのは大変なのだから」

 

 

◆◆◆

 

 

「アサシン」

 

彼は視線をセイバーに向けたまま、主である桜の呼びかけに沈黙をもって応えた。

 

「イリヤを抱いてアインツベルン城まで走りなさい」

 

想像通りの命令に彼は呻くのみである。もっともおくびにも出してはいない。

 

「はて、それはどうした事だ。その影に放り込めば瞬く間に彼方の城に辿り着くのではないのか?」

「この娘を私の影に捕らえると死んでしまうでしょうから。だからアサシンが運ぶの」

「それは難儀なことだ。だが主よ。こちらも取り込み中だ。セイバーを倒せ、そう言ったのは誰であったか」

「黙りなさい」

 

「まったく、これだから女と小人は手に負えん。前の主もそうであったが、魔の心得がある女性(にょしょう)は皆こうなのか。人使いの荒さは瓜二つよ」

「黙って。減らず口も程々にしないと酷い目に遭わせるから。アサシンの脚なら造作も無いでしょう? だから早くしなさい」

「私はこう見えても虚弱でな。身体捌き(敏捷)には多少心得があるが、剛健さ(耐久)となると、些か心許ない。そもそも私は騎兵ではないのだが」

「脚が折れても良いから、運びなさい。もう“言わない”から」

 

それは桜の最後通牒である。

 

「参道より連れ出された恩がある以上無碍にはできぬか。済まぬセイバー。ご覧の通り水を差されたが、宮仕え故、主には逆らえんのだ」

「良いでしょう」

 

セイバーは剣を下げつつも警戒を怠らない。

 

「娘、こちらに来い」

「イリヤスフィールよ。レディに対する扱いがなってないのね黒のアサシン」

「これまた難儀そうな御仁よの。だが、まあ良いわ。旅は道連れ世は情け、扱いに骨の折れる異国の貴人であろうと、旅の共が居れば身の上の不運も紛れようからな。この務めは果たそう」

 

イリヤを抱きかかえたアサシンの顔には笑みが浮かんでいた。

 

「セイバーよ、また斬り合えるかな?」

 

嘲笑では無い、もちろん挑発では無い。もう一度戦えればこの上ない喜びだという、彼なりのお誘いだ。しかめっ面ではデートすら誘えまい。

 

「その定めならば、幾度でも」

「感謝するぞセイバー」

 

アサシンが衛宮家の和風建築の塀を跳び越えると、もうセイバーたちには追跡する事は叶わなかった。恐るべき隠形である。いずれ立ち塞がるであろう黒アーチャーよりも厄介かもしれない、セイバーはその様な事を考えた。桜がその有効活用を思いつかない事を祈るのみである。

 

「姉さん、怖い私から逃げるか、挑むかはご自由に」

「冗談。首を洗って待っていなさい」

 

桜はおぞましい笑みを浮かべると、影の中へ消えた。凛の瞳は桜を射貫いていたが、その意識は後ろ髪引かれる様に真也の姿を追っていた。降って湧いた静けさ、祭りの後の様な侘しさを感じる己に苦笑しつつも士郎は動き出した。

 

「遠坂」

「分ってる」

「舞弥さん、車を頼む。目的地はアインツベルン城、跡地だ」

 

 

◆◆◆

 

 

「突貫の割には良い出来だわ」

 

カーテンが閉ざされた薄暗い蒼月邸の居間で、そう呟いたのはキャスターである。肩をコキコキと鳴らせば彼女の目の前には設置型の礼装があった。4本脚の木製テーブルには聖堂教会製の装飾に富んだ敷物が敷かれ、その上には神道に用いる神鏡、仏教の独鈷杵などが配置されていた。中央には神鏡、その周囲には独鈷杵(どっこしょ)だ。

 

白熱電灯の明かりに照らされるそれは、ギリシャ風神殿のようにも見えた。突き立てられた独鈷杵が石柱と言う事だ。和洋折衷も良いところだ仕方が無い。一から作っている時間的余裕が無いため彼女は法具店を駆け巡り、買いそろえ、魔術的な細工を施した上で構築したのである。つまり、キャスターは一般的に入手出来る礼装のレプリカで小規模の祭壇を作り上げたのであった。

 

これは桜から真也を介しキャスターへ流れる魔力をストックするバッファである。いざとなればキャスターを介さず直接真也に供給される仕組みだ。大した量では無いが用心に越した事は無い。使わずに済んだならばそれはそれだ。悪巧みは幾度となくしたが、誰かを生かす企てというのは予想外に気分が良い。

 

「誰かの為……宗一郎様が今の私を見たら、不愉快に思うのかしら」

 

悔しさの余り復讐に走ったが、あの時共に逝くべきではなかったのか。のうのうと生きながらえて居る事は不誠実ではないのか。その問いに答えられる人は既に居ない。祭壇を前に、喪に服せば故人の姿と声が呼び起こされた。その寡黙な人物は思い出の中ですら寡黙であった。

 

“好きにせよ。キャスター”

 

確かにあの人ならそう言いそうだ。彼女はその幻を胸に抱くとその家を後にした。

 

 

 

 

つづく!

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