その戦場跡は酷い物だった。天井の至る所に亀裂が入り、崩落し、あちらこちらに欠け落ちた岩が転がっていた。大地、つまり足下の岩盤は生々しく抉られていた。存在する物はただの静寂である。それ故、その二人は互いの状態が良く分かった。
「真也、死んだか?」
「黙れ、傷に響く」
二人は生きていた。二人は仰向けで、あべこべに寝そべっていた。上肢を起こせば向かい合うのは道理である。真也の胸を見た士郎は呆れていたが、それは真也も同様であった。
「なんで心臓を刺されて生きてるんだ」
「なんで心臓を打ち砕かれて、治ってる」
「「……」」
「「だれがお前に言うか」」
真也が未だ活動出来るのは彼の持つ魔術の特性だ。心臓の隔壁に開いた穴を、不可視の力場を作りで塞ぎ、出血を防いでいた。それはカサブタの概念である。心臓は止まりかけてはいたが、魔術をもって血液そのものをを押し出し、循環させていた。魔術のポンプという訳だ。その魔力の源泉はキャスターが構築した祭壇(バッファ)であった。再生を行うにはほど遠い魔力量だが、彼は己の従者の、手際の良さと配慮に感心するより他は無い。
(流石主婦だ。気が利く)
受肉を果たしたその暁には、その忠誠と働きに報いねばなるまい、彼はそんな事を考えた。その時は凛の従者やもしれないが、それはそれだ。士郎の場合はもちろん全て遠き理想郷(アヴァロン)の加護である。ふと眼が合った。
「俺を一回殺したな、この野郎」
「黙れ、こっちは今尚士郎に殺されっぱなしだ」
そうは言いつつも、二人は己の右手を握ると、軽く小突き合わせた。まだやる事がある。達成感を分かち合うのはその後だ。気合い一閃。自由に乏しい身体に気合いを入れ、よろめき合いながら、互いに支え合いながら立ち上がれば、ゴロリ、ゴトン、と音がした。それは天井から崩落した岩盤の、積み上がりが崩れた音である。
それから現れたのはセイバーとライダーであった。葵がその光景を見ていれば西遊記の孫悟空が生まれるシーンを思い出したであろう。もちろん堺○章の方である。士郎と真也はゴジラの誕生を連想したが、もちろん敢えて言わなかった。ライダーはセイバーの手を掴み、積み上がった岩塊を足場に、セイバーを引っ張り上げた。そして彼女を背負うと歩き出した。
セイバーの耐久はバーサーカーと同等のAである。真也の手加減(トラウマ)が狙いを僅かに逸らした事も起因し、攻撃を耐えたのであった。だがダメージは相応でライダーの為すがままだ。首から上を動かし士郎と真也の無事を確認すると力なく微笑んだ。真也は安堵するより他は無い。
「ライダーも無事だったか。本当に良かった」
「はい。セイバーが楯となってくれましたから。貴女に感謝を」
「アオツキシンヤ」
ライダーの右肩に顎を置く、セイバーは笑っていた。
「実は貴方に謝罪をと思っていたのですが、その気も失せました。逆に苦情を申し立てたい程です」
「なら俺が礼を言うよ。計画に応じてくれたこと感謝の言葉も無い」
「シンヤ、私は言いたい事があります」
そこには目隠しを付けた、もっとも親しいサーヴァントの微笑みがあった。だが何故だろう、腰が引けた。
「愛の告白、とか?」
「もちろん」
「まじ?」
「愛の鞭を思う存分振る舞うとします。終わったら覚悟する様に」
「……」
散々抓られた左頬の痛みがぶり返す。3人のやりとりを見て、士郎は理解出来ないと呟いた。
「というか、真也。二人を思い出したのか」
その問いに答えたのはライダーであった。
「サクラは記憶の消去ではなく、記憶の呼び出しを妨害していた。そして、それをシンヤに強いていた、が正解です。実戦経験、戦況も忘れてしまえば意味が無くなりますから。」
士郎は感心しきりだ。
「ライダーって意外と物知りなんだな」
「魔術の心得はあります」
彼女には気がかりが一つあった。真也からの魔力供給が止まっているのだ。彼女は単独行動のスキルを持っている為、一日であれば顕界は可能だ。キャスターも二日は顕界できるであろう。だが桜が魔力供給を止めたタイミングが良すぎる。それは彼が技を放った直後であった。これは偶然か? 知ってか知らずか、マスターの兄は通常運転だ。
「悪い、士郎。肩貸してくれ。急がないと。下手すると二人は俺が死んだと思ってる」
「このまま放置すると、心臓の機能が完全に停止して、真也は正真正銘ロボットか。それは勘弁してやる。真也のロボットダンスなんて見ても面白くないから」
「調子に乗りすぎだ、このバカシロ」
「ノリシロみたいに言うんじゃねえ」
真也は士郎の肩を借りながら、心臓を堪えながらも歩き始めた。数歩後を行くセイバーとライダーには、二人が肩を組んでいる様に見えた。
「士郎。ランサーは?」
「アサシンに足止めされた。この時間なら多分、」
「そう」
「なにか約束でもしてたのか」
「決着を付ける筈だった」
「そうか」
歩く度に痛みが走る。だが先送りはもう沢山だ。
「士郎。謝る。安易にイリヤを殺そうとした事、家族は一緒に居るべきってお前の言葉。痛い程に身に染みてる。済まなかった」
「なんだ突然」
「出来る時にしておくべきだってな。士郎にはまだ間に合うから」
「「……」」
「真也、お前に俺の負債を喰わせた事謝る。ごめん」
「「……」」
「嘘に決まってるだろ 、タコ」
「初めから信じてない、イカ」
「ばーか」
「ばーか」
二人の背を見つめるサーヴァントは、静かに見つめるのみである。
◆◆◆
桜を組み拉ぐ凛の口調は淡々としていた。
「そうよね、孔はまだ開いてない以上、使いすぎれば無くなるのは道理よ。不発に終わった前回の聖杯戦争、魔力は殆ど使われず持ち越したにも関わらず10年のインターバルがあったのは術式再起動に必要なクールダウンや、周辺環境が落ち着くまでの必要時間。つまりアンタが使ってたのは霊脈から引き上げた10年分の魔力って訳だ。
英霊7人分の魂を再現する魔力量の1/6の訳だから、それでも相応な量なのだけれど、アンリマユを成長させる分と分け合ってたから、こんなものよね。蒼月で家計を預かっていたって聞いたけれど、私への復讐に目が眩んで、魔力という収支バランスを見損なったって訳。主婦は向いてないんじゃない?」
それは確かに桜の見落としだ。だがこの状況は彼女の望んだ結末でもあった。
「もう良いわね。これで終わり、家に帰るわよ桜」
「帰る訳無いでしょう、帰れる訳が無い。だから姉さん、私を殺しなさい」
「そう、兄と同じようにアンタもそのつもりだったのか。真也を殺し、私に妹を殺させる、それがアンタの復讐。そこまでやるとは思わなかった。違うか、分っててもどうにもならかったって事ね。本当に腹が立つ程姉妹だわ私たち。でも、そうはいかないから。早く立ちなさい。家に帰るわよ。母さんもきっと喜ぶわ」
「何処に帰るって言うんですか! 兄さんを殺した以上、お母さんにはもう会えない! 会わす顔が無い!」
「ばかね、遠坂の家に決まってるじゃない」
「帰りません! 今更、今更です!」
「安心して。アンタの記憶消すから」
「……え?」
「アンタの中の蒼月と間桐の記憶を消すの。次に目が覚めた時にはアンタは病院のベッドの上、事故で記憶を無くしたという設定で、仮面を被った皆に同情されながら退院、晴れてアンタは遠坂の家に戻る。そしてこっちの母さんと、私と、生活するって寸法。全て元通りって訳。良かったわね。最後の最後でアンタの願いは漸く叶う」
「い、いやです!」
「いや? どうしてよ?」
「私の家はあそこじゃ無い!」
「本当に馬鹿な娘ね。お兄さんを殺して、母親を殺すって決めて、思い出は残したまま、逝きたいなんてそんな都合の良い話はないわ。これは私たちがしでかした事だから諦めなさい。そうそう事前に言っておく。私はこれからアンタの姉を演じ続ける事になる。出来るだけ良い姉に務めるけれど、多分桜を好きになる事は一生無い。私たちは生涯、家族のフリをし続けるの。皮肉なものね。血の繋がらない家族と温かい家庭をもって、血の繋がる家族とは仮面を被るなんて」
凛がポケットから取り出した物は術式結晶(コードセル)である。それは魔力を注がれ、呼応し鈍い光を放つ。これを桜の身体の撃ち込めば全てが終わる。見た事は無かったが、放射能性物質の光はこう言うものなのだろう、桜はそう恐怖した。
「キャスター、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)を用意しなさい」
魔力で編んだ欺瞞というヴェールを脱ぎ去ったキャスターは空中から現れた。“ふわり”と音を立て、ボトルグリーンのマントが広がる様は翼の様。ヴァイオレットカラーのローブは古式の誂えだ。マントと同じ色の頭巾を目深に被り、口元が見えるのみ。
「何故私が居るとお気づきに? 私が編んだ欺瞞は少なくとも現世の魔術師で感知できるようなものではありません」
「アンタの役目を考えば、この場に居ない事が一番不自然なのよ。私たちを監督していた、そうでしょ?」
「中々に鋭い方ですこと」
「簡単な推理よ」
「お考え違いの無い様に申し上げておきます。私はマスターより凛様のフォローをせよと確かに申し付けられておりますが、これは主替えを意味しているのではありません。委譲とはあくまで命令権の委譲、ゆめゆめお間違えのなきよう」
「アンタの主と私の狙いは同じ、文句ある?」
「ええ一つだけ」
「なら、早く言いなさい。時間の無駄だから」
キャスターが片足一歩分身体を引き、左手の平で誘ったその先には彼らが立っていた。セイバー、ライダー、士郎、そして。凛は目を剥いた。彼女の瞳には真也が立っていたからである。士郎の肩を借りて、その表情は苦痛に歪む。満身創痍の体ではあったが、確かに存在していた。それは桜も同じであった
「真也?」
「兄さん?」
驚くのは姉妹ばかりなり。
「真也、なんでアンタ生きてるのよ」
「実は凛様。ここだけの話なのですが」
キャスターの説明を聞いた凛は脱力するより他は無い。
「魔術って。真也、アンタ死ぬつもりだったんじゃ」
「マスターに影響を与える方がもう一人いらっしゃるでしょう? 凛様のよく知るお方です」
「……そう、やっぱりこの状況で母さんと会ってたんだ」
「坊やと引き分けになった事も葵様のお陰です」
「心配して損した」
それと同時に兄と妹の視線が合えば、その妹は怯えるのみである。
◆◆◆
士郎の肩を離れた真也は一歩踏み出した。一歩、また一歩と、妹に近づいた。歩く度に身体の芯が痺れるが、ここは踏ん張り所だ。兄の歩みに応じて妹は一歩、また一歩後ずさる。
「桜。俺らの負けだ。俺らは、士郎たちと姉さんに負けた。悪い夢はここでお仕舞い。帰るぞ」
「兄さんは全部知ってたんですね。いえ、この茶番を全部作り上げた」
「考えはした。でも俺は桜に抗えなかったから皆に助けを求めた。だからこれから皆に御免なさい、ありがとうって言うんだ。俺も一緒に付いていくから。それと茶番って言うのは良くない。桜救出大作戦って大事で立派な計画だ」
桜を見る真也の瞳は蒼く光っていた。それに危機を感じたアンリマユは、桜に帯状の影を作らせた。それを例えるなら黒いプロミネンス。虹の様に弧を描き、回転する様に走るそれは魔力で編んだ鋸だ。桜の魔力は空。アンリマユもまた魔力を成長に費やしてしまっている。それ故この地に落ちる霊脈から、魔力を引き上げる事にしたのである。
「シンヤ、これを使うと良い」
セイバーが放り投げた物は彼女の宝具であった。それは蒼と金が織りなす神造兵器。風王結界は在らず白銀の刀身が輝いていた。彼は担い手では無い以上、それはただの剣でしか無いが、彼にとってはそれで十分だ。襲い来る二つの黒い帯を彼は殺した。
「酷いです! 裏切ったばかりか欺していたなんて! 私だけ知らなくて、皆で私を笑ってたなんて!」
「それについては弁解のしようが無い。でも誰も笑ってなんかいない。命がけで桜を助けようとした。取りあえず謝っておく。済まない。全部済んだらもっと謝る」
「信じられません!」
「でも、それはお互い様だろ。桜も本心を誤魔化す為に嘘を付いている」
「何で分るんですか! 私の何が分るって言うんですか!」
「例え俺がロボットでも、俺らの関係が歪でも10年は幻じゃ無い。桜は今自分がしでかしてしまった事に、後悔し、恐がり、怯えている、だろ? 思い出すよ。興味本位で、お袋の部屋に忍び込んで霊薬を割った時の事を。今の桜はその時の桜にそっくりだ。“どうしようお兄ちゃん。お母さんの大事なモノ壊しちゃった。追い出されちゃう”って泣いていた……8歳の時だったか?」
「違います! 私はみんなを殺すんです! 殺しちゃうんです! 姉さんだって、お母さんだって、おにいちゃんだって殺しちゃうんだから!」
桜の背後より黒く禍々しい帯が放射状に広がった。そのたった一つでさえ、疲労し尽くした今の真也を殺すには十分な物。凛と出会う前の彼であれば、それを笑いながら受け入れたであろう。士郎に殺される以前の彼であれば、嘆きながらもそれを受け入れた。
だが彼はもう解放されているのである。迫り来る黒い影が、広がるその様は彼岸花。彼は手にあるエクスカリバーを以て殺した。身体は鈍く、魔力など底をついている。今の彼が行使する力は直死の魔眼。死をもたらすそれを以て妹を助けるのだ。直死の魔眼が呼応し唸りを上げる。桜までの距離は自動車1台分つまり、もう数歩で妹に手が届く。
「もう気が済んだだろ。これでも結構しんどいんだ。そろそろ聞き分けてくれると助かる」
「こないで! こないで下さい! 私は兄さんを殺して!」
「怒ってない」
「何度も酷い事をして」
「もう気にしてない」
「姉さんも、兄さんも、私を助けようとしてくれたのに、それに気がつかなくて、ううん、違う。気がつかない振りをしていた。悔しくて目を背けた。こんな私は、もう死ななきゃ駄目なんです。大丈夫です、一人で死にますから」
「それは駄目だ。桜が死ぬと悲しむ人が居る。桜が死ぬと俺も多分駄目になる。だからそれは止めてくれ」
「私は沢山人を殺してしまいました。誰が許すって言うんですか!」
「俺が許す。違うか、お姉ちゃんとお兄ちゃんが桜を許す。葵さんも許すし、セイバーもライダーも、士郎も。キャスター、君はどうだ」
桜を見定めたまま振り返りもせず、真也がそう問いかければ。
「私はマスターの僕、口を挟める立場にはございません。ですが、ここで桜様に死なれると苦労が報われませんから」
彼女はそう笑って応えた。
「と言うわけだ。全会一致。桜を許す」
「っ!」
一瞬揺らいだ桜の身体が魔力を帯びる。影が伸び真也を捕らえようと弧を描く。斬殺ではなく、締め上げ圧死させるつもりだ。彼はその帯の死の線を断ち切った。
「だめ、駄目です、兄さん。見ての通りです。分っているのに駄目だと分っているのに、私は自分を止められない。アンリマユの言われるがままなんです。こんな弱い娘は、いつか同じ事を繰り返してしまう」
「俺もそうだ。分っていて俺は桜を止められなかった。だから俺はここに居る。だから凛はここに居る。3人でやっていこう。それでも尚、自分が許せないというなら、こうしよう」
桜の目の前の兄は、右手にある剣を掲げる事なく、その左手で彼女の頬を叩いた。頬が痛い、ジンジンと痺れる。何が起きたのか理解が出来ない。この10年、その妹は兄に叱られた事は無い。口喧嘩すら無かった。だがどうした事だろう、それが何よりも熱く、心に訴えかけた。
「済まない桜。桜と再会した時これが出来ていれば、こんな事にはならなかった。俺を許してくれ」
その想いと共に与えられた抱擁に彼の妹は涙が止められなかった。兄の胸には穴が空いていた。穴から覗く心臓は動いていなかった。それでも助けに来た事実に、腕の中の妹は、込み上げる感情を堪えきれず嗚咽を漏らしだした。その姉は、不器用な兄妹に呆れつつも笑うのみだ。
「やっと駄目兄からランクアップね。それにしても随分と手間を掛けさせてくれたわ。この代金は……なによ?」
妹を抱きしめるその兄は凛を手招きしていた。
「すまない、凛。手を貸してくれ。俺一人だと多分手が足りない」
訳が分からず凛がその右手を差し出せば、彼はそれを握り、強引に引き寄せた。抱きしめた。遠くも近い3人のきょうだい達は最初は戸惑い、そして互いの存在を噛みしめた。その温もりを分かち合っていた。
「済まない、桜。勝手な兄で。すまない、凛。俺は酷い奴だった」
堪らずその姉の声も震え出す。
「ごめん、桜。酷い姉で。ごめん、真也。我が儘で」
「「姉と兄(俺ら)で桜を守るから」」
「……ごめんなさい!」
こみ上げる諸々を堪えられず、涙に濡れる妹は赤子の様だった。
「家に、帰ろう」
つづく