冬木市シスコン奮闘記   作:D1198

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最終話

キャスターの負ったダメージは致命的なモノでは無かったが、それはキャスターに限っての話であり、計画という意味では致命的だ。身を横たえる従者の顔は、苦痛に歪み眉を寄せ血を吐いていた。その声は正しく息も絶え絶えだ。

 

「申し訳ありません、マスター。このダメージでは魔術の行使は、」

「キャスターは霊体化して凛たちと合流、桜の中に有るあちらへの孔を閉じろ。それがアンリマユの燃料なら閉じれば終わる筈だ」

「成長阻止臨界点は超えています。閉じるか破壊するよりありません」

「なら予定変更。俺らは言峰綺礼の討伐とアンリマユ誕生阻止を図る。俺らが失敗した場合、桜の魔力をつかって体勢を立て直し、アンリマユの討伐に当たれ。戦力はセイバーとライダー、キャスター、そして凛だ。 もしそうなったら当初の予定通り遠坂の事を頼んだ」

 

真也がそう告げると、キャスターは口惜しそうに、姿を消した。

 

 

◆◆◆

 

 

左が真也、右に士郎。鉢である岩盤の上に二人が立ち並べば、黒い尖塔に立ち塞がるは言峰綺礼である。新しいガーディアンの誕生という訳だ。塔からあふれ出す魔力の光、それを背に受ける様は光背そのものである。

 

「士郎、綺礼は元代行者だ」

「知ってる。お前、体術の心得はあるか?」

「喧嘩殺法」

「それって素人って事じゃないか」

 

「五月蠅いな。ちゃんと勉強してる」

「なんだその勉強って」

「プロジェクトAとか少林サッカーとか」

「分った。お前実は馬鹿だろ」

 

「実戦経験は士郎より上だ。そういうお前はどうなんだ」

「アーチャーから基本は習った」

「と言うか、宝具投影しろよ」

「お前を説得する(ボコる)のに、グングニルとカリバーンを投影して、その後お前に心臓を破壊されてる。対アンリマユ用にエクスカリバーを残して、今日はカンバンだ」

 

「……そんなモノも投影出来るのか」

「正しくは、永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)。神造兵装を辛うじて再現出来る劣化品。それでも、姉さんの魔力供給を受けないと使えない代物だ。つまり、干将・莫耶ですら投影してしまうと、後が無い」

「つまり何か。崖を登るのにすら難儀する俺らが、元とはいえ代行者をゲンコツで倒すと」

「怖ければ逃げろよ。尻尾巻いて逃げる奴が居ても役に立たないから」

 

「言っておくけどな。凛ではなく士郎を選んだのは凛がこの土地の管理者だからだ。死なない限り助けないからな」

「こちらのセリフだ、ばか」

 

何故だろうか、進退窮まった状況に於いて二人は笑みを浮かべていた。それが現実逃避なのか、軽口による発破の掛け合いなのか、二人には良く分からなかった。

 

「相談は終わったか?」

 

綺礼を見る真也の顔は、不審と戸惑いである。理解出来ないという意味だ。

 

「言峰綺礼、おっぱじめる前に幾つか質問がある」

「この状況だ、答えられるものなら応えよう」

「どうしてこの場所が分った。どうやって入った。大聖杯の場所を知る者は凛だけの筈だ」

「大聖杯を維持出来る程の霊脈は多くない。柳洞寺の参道前に衛宮の自動車があった。崩落した穴を覗けば、案の定という訳だ」

 

「タイミングも見計らっていたと言う訳か」

「もちろんだ。セイバーは気を失っていたが、ライダーはほぼ無傷。だから詠唱中のキャスターを狙った」

 

継いだのは士郎である。静かに見据えこう問うた。

 

「死んだ筈のお前がどうして生きている」

「私の心臓は聖杯の泥で出来ていている。キャスターの術では死にきれなかったと言う訳だ。キャスターは人間の心臓を前提に術を打ったのだろうな。優秀すぎた、そんなところだろう」

「どうして、聖杯の泥になんてなった」

「前回の聖杯戦争に於いて、私は一度死んだのだよ。時同じくして契約していたサーヴァントが泥に飲まれた。パスを通じて流れた泥は心臓モドキとなった。ここまで言えば分るか?」

 

再び真也である

 

「もう一つ聞きたい。枠という意味では最後の問いだ。なぜ俺らに立ち塞がる。キャスターは俺のサーヴァント。俺への遺恨なら、俺を直接狙えば良いだろう」

「理解しながら聞くとはお前も大概に質が悪い」

「言峰神父、お前が言う事に意味がある」

「信じるかどうかは勝手だが、“お前が私を殺そうとした事自体に遺恨は無い ”」

 

足を肩幅に広げ、軽く肘をまげ、佇む綺礼の姿は自然体。体術の心得がある、二人はそれを悟った。

 

「蒼月真也。お前は私と同じだった。幸福を感じられないと言う存在に於いて、私より酷かった。お前は幸福を感じない事すら疑問に思わなかった。ただ蒼月桜の維持の為だけにあった。

 

だがお前は遠坂凛と出会い、苦悩を得、善悪の認識をする様になった。遠坂葵にその存在を肯定され、挙げ句の果てに遠坂凛に癒やされたお前は、人並みの幸福を感じる様になった。だからこそ遠坂凛を先に帰させたのだろう? 近しき者の幸せを願う、身を案ずる、責を負う、それはありふれた善意だ。

 

以前のお前なら、遠坂の存在を最優先し、キャスターに命じた上で一人残し、連れ帰った筈だ。それがもっとも合理的な判断だからな。キャスターはサーヴァント、大聖杯を破壊した上で、霊体化してしまえば、脱出など造作も無いだろう。

 

だがお前はそれをせず、この場に残った。それは何故だ。お前の今の行動は、傍目類似しているが根本に於いて異なる。それは自己の尊重に他ならない。見届ける、責を負う、こうありたいと願い、周囲と折衝を図った」

 

「盗み聞きか。神父らしくない趣味だが、つまり何が言いたい」

 

「生まれながらに持ち得ぬ者だったお前は、聖杯戦争という僅かな期間で、私が求めても得られなかったモノ、手に入れたというのに、手に入らなかったモノ、どのような戒律をもってしても、指の隙間からこぼれ落ちた無数の澱、お前はそれを手に入れた。正直言えば感傷なのだよ。蒼月真也、私はお前を羨んでいる、妬んでいると言っても良い」

 

「そうか。言峰綺礼、お前はあり得ただろう俺のなれの果てか」

「どちらがなれの果てなのかは、まだ分らんがね」

「もう一度聞く、なぜ俺を直接狙わなかった。なぜキャスターを狙った。死に体の俺らなら造作も無かっただろう」

「お前を倒せば、キャスターは私の存在に気がつく。格闘戦に劣るとはいえサーヴァントだ」

 

綺礼は手の平を上に向け、広げた。泣き出しそうな空を探る仕草であるが、その腕の広がりこそが彼の世界の大きさだ。

 

「私が支配出来る世界は手足が届く距離に限定される。距離を維持され、飛び道具(魔術)を使われれば打つ手がない」

「なるほど。それは道理だ」

「何よりそれでは、誕生を祝福出来ない」

「……アンリマユの肯定か。予想はしていたが、本気だったか」

 

「恐らく。結論は異なれど考え方は蒼月、お前と同じ筈だ」

「善悪は認識によって生まれる」

「その通りだ。善悪が問えぬならば、生まれ出でるモノを祝福するのは道理であろう。愛情とは、その存在を肯定する強い思念に他ならない。つまり、私はアンリマユに愛情を注いでいる、と言う事か」

 

綺礼は己の出した結論に満足さを隠さない。対し真也の心は痛んだ。それは生まれて初めて持った母親に対しての確執である。再び士郎が問いかけた。

 

「なぜキャスターをし損じた。女の人は殺さないって訳でも無いだろ。それとも奥さんか娘さんを亡くしでもしたのか」

「さてな。私は討ち取るつもりであったが、ご覧の通りこちらも心臓を破壊され死に体だ。お前達と同じように見た目ほど余裕は無い。手元が狂ったのかもしれん」

「言峰、お前はその回答に自分自身納得していない」

 

「確かにな。ではこれならばどうだ。私の願いはアンリマユの誕生のみだ。蒼月真也は死を前にして得た。私は死を前にして、なお得られない。ではコレは? 初めからこの世に望まれなかったモノ。誕生する意味と価値のないモノ。悪が存在する意味。悪が救いを得る事が正しいのか、得られない事が正しいのか、アンリマユは死を間際にしてその答えを示すだろう」

 

「だからキャスターを見逃したのか。賛同者が欲しいなんて意外と俗物的だ」

「違うな。私はその答えを求めている」

 

真也が士郎を継いだ。

 

「アンリマユがどちらの答えを示そうとお前の答えとはならない」

「ほう、お前なら答えを提示出来るのか」

 

「そんなものは無いさ。生憎と俺は、正誤を求める聖堂教会の教えは嫌いでね。強いて言えば、答えは己が内に求め続ける事が正解。言峰綺礼。お前に一つだけ言っておく。

 

俺は確かに、生まれながらにして持ち得ぬ者だった。けれど初めから望まれなかったモノではない。お前の言う通り誕生は祝福されるモノだからだ。そして、それはお前も同じだ。生まれ出でた時、お前の誕生に意味があった」

 

綺礼は表情らしい表情を見せた。

 

「言峰綺礼、お前の親はどうした」

「私が殺したよ」

 

「多分それが決定的な違いだ。俺はせずにすみお前はしてしまった。祝福してくれた存在を殺して(否定)しまった。生まれたアンリマユが祝福する言峰綺礼を殺すならば、アンリマユが示す答えは同じ。そして、お前が俺のなれの果てというなら、お前が止まれない、止まらない事は良く理解出来る。だから言峰綺礼、今からお前を討つ」

 

「持ち得る者が持ち得ない者を討つか、これはまた罪深い」

「善悪は認識なんだろ?」

「確かにそうだ。蒼月真也、お前は私にとっての悪だ」

「上等」

 

綺礼は無手だ。対して士郎も真也も無手。生憎と大聖杯が収まる岩盤の表面は多少の凸凹はあるものの、ほぼ平坦と言っても良い。つまり何の障害物も無い一様のフィールドである。奇襲が不可能ならば、取り得る手段は真っ向勝負。つまりは格闘戦だ。

 

だが、士郎と真也のフィジカル・コンディションは最悪と言っていい。その様な劣勢の中、強いカードが一枚有った。二人は互いの考えている事なら手に取る様に分るのである。2:1ならばそれは武器となる。

 

「真也、お前、言峰綺礼を殺せるか?」

「やるしか無いだろ」

 

二人と一人が動いたのは同時だった。2:1という数のアドバンテージを活かすにはタイミングが重要だ。二人は綺礼への初撃を左右同時攻撃とした。だが馬鹿正直に踏み込んでは、迎撃してくれと言っている様な物だ。それ故二人は左右に位置を切り替えながら肉薄する事にした。

 

真也が左、士郎が右。

士郎が左、真也が右。

最後は、

士郎が左、真也が右だった。

 

真也が右拳を打ち込めば、士郎は回し蹴りである。二人の攻撃は綺礼の腕に防がれていた。真也は桜とのパスにより魔力は足りているが、心臓の制限により根本的に力が入らない。魔術がうまく発動出来ないのだ。

 

士郎の場合、鍛えられてはいたがスペック自体は一般人の延長線上である。共に攻撃が通じなかった。

 

退くか、続けるか、その選択に迫られた二人は、再び攻撃を選んだ。綺礼に何のダメージも負わせていないのだ、一度離れ仕切り直した所で、結果は同じ。綺礼の笑みは緩いと物語る。

 

最初は真也だった。拳を大きく引き、掲げ、綺礼の左舷に踏み込んだ。綺礼までの距離が近いにも関わらず、モーションの大きな攻撃を選んだのは陽動である。

 

綺礼の注意が真也に注がれたその瞬間を、士郎が狙う。彼は身体を回し、右肘を、綺礼の脇腹に撃ち込んだ。肘打ち。右足を軸にし、回転力を乗せていた。肋骨は人体急所の一つだ。筋肉も少なく骨は折れやすい。如何に綺礼とはいえダメージは免れまい。それは甘い考えだと二人は思い知らされた。

 

なぜだろう。士郎の目の前に綺礼の肩が遭った。ダンと綺礼の足が岩盤を踏み抜く音は、尋常でない程に大きく、重かった。打ち抜きの衝撃が岩盤を伝わり、士郎に届く程だ。それは震脚であった。

 

続けて、ズンという重い衝撃が士郎を襲った。綺礼の肩は士郎の重心を打ち貫いたのである、それは靠撃(こうげき)だ。士郎は蹈鞴を踏むどころか吹き飛ばされた。衝撃により呼吸もままならない身体が、岩盤に叩き付けられた。肋骨に入ったヒビは鞘に癒やされたが、意味の無い攻撃を繰り返しては、体力が目減りする一方である。

 

綺礼が士郎に撃ち込んだ攻撃は、自然、真也から遠ざかる事でもある。間合いを外された真也は綺礼に腕を掴まれ引き寄せられた。ダンと重苦しい音は2度目の震脚。綺礼の拳は、真也の芯を捕らえた。

 

寸勁とは。呼吸方法や、重心移動、骨格の位置関係、筋肉の張り、重力までも用い、最小動作で最大の威力を生み出す技法である。もちろん体格体重に比例し193センチ、82キロの綺礼が生み出すそれは人間の常識を越えていた。真也は吹き飛ばされ、岩盤を転がった。内臓へのダメージが生じた。

 

「がはっ!」

 

真也は岩盤に手を立て、四つん這い。痛みを堪え、身体に鞭を打ち、どうにか身を起こせば、口から血が溢れていた。吐血はもう慣れたと口を拭えば、目の前に綺礼が居た。

 

「この腐れ神父。拳法習う暇があるなら教えを説けよ」

「もちろんこれは説教だ。異教徒の身体に説いているからな」

 

歩み寄る綺礼の身体が弧を描く。そんな馬鹿なと真也は驚きを隠さない。綺礼の為す、歩みの動作と攻撃の動作の繋がりに、途切れがないのだ。予備動作のない攻撃など奥義級である。

 

右肘が襲い来るがダメージにより躱しきれない。真也は脳天を狙っていると見定めた、綺礼の肘に敢えて踏み込んだ。頭突きである。頭蓋を鈍い音が貫いた。静寂が訪れた。綺礼と真也はその姿勢のまま硬直していた。

 

「威力が乗り切らないうちに頭をねじ込み相殺したか。なかなかの技量と度量だ。特筆するべきはお前たちのコンビネーションだな。見事なモノだ。とても即興には思えない」

 

真也の額が割れ血が流れていた。それがまた綺礼の肘を濡らしていた。

 

「だが詰めが甘い。蒼月、その状態からどうするつもりだ」

 

どうするも、こうするも無い。攻撃のみである。

 

 

◆◆◆

 

 

格闘技に限らず、戦いの全ては積み立てが全てだ。勝てる様に己を鍛える、勝てる様に技を学ぶ、勝てる様に相手を調べ、勝てる様に地形効果を活用し、勝てる様に間合いを図る。勝敗とはそれら準備の積み立て、その帰結に他ならない。残念ながら今の真也はその準備がなっていない。

 

それでも勝ちを狙うならば何かを削るか、イカサマをするのみだ。真也は立ち上がると同時に、右手に掴む小石を親指で弾き綺礼に撃ち込んだ。転がされた時に掴んだのである。

 

サーヴァントに張り合う存在が、この様な小細工に訴えた事が意外だったのか、単に意表を突かれただけなのか、綺礼は二の足を踏んだ。

 

真也は迫る綺礼の肘打に構わず踏み込んだ。それはフェイントだ。胴に拳を撃ち込むと見せかけ、潜り込み、腿を掴み持ち上げた。綺礼の肘が真也の背中を貫いた。ミシリ、それは左肩甲骨にヒビが入った音だ。

 

「ぐっ!」

 

綺礼の技は体重移動(シフトウェイト)が基点、足を持ち上げればそれは叶うまい。真也の意図を見抜いていた士郎の拳は、急所である綺礼の米神を狙っていた。綺礼は筋力と体重に物を言わせ、真也のベルトを掴み、仰向けに倒れる様に彼の身体を持ち上げた。投げる様に身体を捻る。さすれば、士郎の目の前に真也の身体があった。綺礼と士郎の眼が合った。

 

「「っ!」」

 

綺礼に投げ飛ばされ二人はもつれ合う様に転がった。そして岩盤に叩き付けられた。腕を回し、頭部を守ったが、四肢が痛む。擦過傷、裂け傷もある。なにより骨に響く感触が堪えがたい。正直にいえば、のたうち回りたいぐらいだ。

 

痛みを堪え士郎が身を起こせば、目の前の真也は蹲り身を震わせていた。骨折に衝撃が加わり激痛となっているのである。士郎はそのまますっくと立ち上がった。気遣いたいが今それをしても意味が無い。綺礼を見る士郎の目はイカサマを疑う目であった。

 

「流れる様な重心移動、鎚の様な踏み込み、肘打……神父が八極拳だなんて」

「詳しいのだな。その通りだ。師の套路を真似ただけの内に何も宿らぬ物だが、死に損ないの相手には十分の様だ」

 

士郎が背後の尖塔に気を配れば、それは膨張していた。内部に異形の英霊が、形を成している。腕、足、翼も視認出来た。それは一刻も早い誕生を渇望していた。もう時間が無い。士郎は覚悟を決めた。

 

「真也、どうにかして死ぬ気で隙を作れ」

「あ、あ、」

 

蹲る彼の言葉は、悶絶か応答なのか、判別が付かない。だが、同意は確実に見て取れた。

 

「投影開始(トレースオン)!」

 

士郎の手にあるモノは片刃の夫婦剣、干将・莫耶である。どうした事か、綺礼は腕を腰に回し、胸を張っていた。その醸し出す雰囲気は大学講師である。できの悪い学生を嘲笑する視線であった。

 

「今頃か。使いたくなかった、使えなかったのではないのか」

「うるさい。お前には関係ない」

 

実際の所これは自殺行為だ。士郎に残っていた投影のキャパはエクスカリバーイマージュ、一振り分。干将・莫耶を投影してしまえば、足りなくなる。それでも投影せねばならぬなら、足りない分を補う必要がある。何を以て補う? 己を削るより他は無い。

 

覚悟を決めた士郎に真也もまた腹を括った。魔術を発動させれば、癒やされたばかりの拙い心臓は、負荷に堪えきれず意識が遠のいた。それでも尚、彼の踏み込みは足下の岩盤を打ち砕く程である。真也は腕を十字に組み頭部をガード、突貫した。

 

彼の踏み込み、彼の疾走は平時の1/10もない。動きも単調だ。それでも綺礼の意表を突くには十分だった。元来、綺礼の追える速度ではないのである。

 

迎え撃つ綺礼はそのタイミングを辛うじて読んだが、カウンターを狙えば己もダメージを受ける。そこで闘牛士の要領で身を翻すと、真也の足を払い、相撲の要領で鉢状岩盤から放り投げた。崖を肉の塊が転がり落ちる音がする。

 

仕留めきれなかったが、まあいい。分断がなれば好都合だ。片割れを潰す、その後残りを確実に潰す。姿勢を正し、士郎に向き直った綺礼の目の前に莫耶があった。完全に予想外の攻撃に綺礼は躱す事叶わず、その投擲は綺礼の右肩を打ち貫いた。肩から右指先に、血を滴らせながらも綺礼は笑っていた。

 

「投擲も可能とはな。付け加えれば狙いも悪くない。多芸なものだ」

 

綺礼は夫婦剣の片割れを引き抜くと、背後に広がる暗がりに放り投げた。武器として使う事も考えたが、とっさに解除されても面白くない。右腕は完全に逝っていた。

 

突如昔を思い出した綺礼は、堪えきれず笑みをこぼした。綺礼のそれは何時もの馬鹿にした様な笑みではなく、心底愉快そうな笑みであった。何時もと異なる様子に、士郎も怪訝そうに眉を寄せた。

 

「なにがおかしい」

「あの時もこうだった。10年前に切嗣と戦った時も、私は右腕を潰された。因縁とはこう言う物を言うのか。来い、衛宮士郎。あの時は心臓を狙い敗北したが、此度は確実に頭を潰す」

 

朦朧と真也が瞼をあければ、鉢状岩盤から溢れる光が見えた。彼は舞台から転がり落ち、照明が当たらない、観客席から見えない、光と影の淀みの中に大の字である。

 

戻らねば。一人で太刀打ち出来る相手ではない。だが身体が動かない。戻り、戦わねば。ここで終わっては合わせる顔が無い。立ち上がらねば。

 

「……っ」

 

そうは思うが力が入らない。ここで膝を折っては、あの男に笑われる。だが限界だ。ここまでか、と諦めかければ。その男とは誰だったか。

 

士郎か? 違う。アーチャーか? それも違う。男友達は相応にいるが、笑われ心底悔しさを感じる人物などそうは居ない。誰だったかと思い馳せれば、大の字に伸ばした左中指に冷たい感触があった。

 

何事かと、視線を走らせれば、それは赤い何かであった。焦点定まらない眼球が見ているモノは真紅の槍である。それはかつてのギルガメッシュ第2戦の折、回収した槍であった。鉢状岩盤の麓に転がしておいた物が、崩落の衝撃により転がってきたのだ。

 

濁っていた瞳が鋭利に輝くと、彼はふらりと立ち上がる。

 

「お節介め」

 

士郎の瞳に映る綺礼は、鉢という舞台の際に立っている。己の武器は、右手にある一振りの干将のみ。目の前の男には敵わないだろう、それは直感で分かっていた。一人では勝てない。

 

ひっくり返すカードは、舞台から転げ落ちた同級生だ。気配を読むには遠すぎる。だが確実に士郎の意図を理解している、その確信はあった。だが遅い。あまり遅れては悟られる恐れがある。普通の魔術師ならともかく、目の前の男にそれは致命的だ。

 

「どうした。来ないならこちらから行くが?」

「……」

 

士郎が腰を落とせば重心は前のめり。柄を持つ右手は頬の近く、切っ先は下へ向いて、クロスさせ左手を刃先に添えれば、同級生とのタイミングが取れた。遅いと、心中で文句を唱えつつ士郎は踏み込んだ。

 

士郎を迎え撃つ綺礼は“そうだろう”と予想していた。如何にダメージを負っているとはいえ、弱体化しているとはいえ、聖杯戦争に於いて何度も死にかけ、生き残ってきた存在だ。綺礼は蒼月真也の強襲は予想していたのである。

 

付け加えるならば、僅かな間を持った士郎の態度に確信を持った。目の前には夫婦剣の片割れを持ち迫る子供と、背後には崖を駆け上る子供の気配があった。士郎は斬撃か、投擲か。この距離とその構えでは投擲に切り替えるには無理がある。それを以て綺礼は斬撃と判断した。万が一投擲に切り替えたとしても、斬撃から投擲までの構え直しに時間が掛かる。対処する余裕は十分にあるだろう。

 

故に、先に背後の子供を仕留める事にした。気配を読み、間合いを探り、振り向き視れば。その子供は真紅の槍を持っていた。“なんだそれは”綺礼は予想外のそれに気を奪われた。あの英霊は消滅した筈だ。だが、この世界に残したモノが在ったのだ。

 

崖上に立つ綺礼に目掛けて、崖を駆け上がる真也の身体は、重い。鈍い。力が抜けそうになる。だがこれが最後だからと、己の身体に言い聞かせた。これで仕留められなくては、もう終わり。綺礼に殺されるだろう。よしんば殺されずとも、誕生したアンリマユに殺される。だから動け、そう何度も言い聞かせた。

 

それ以上の問題が不殺のトラウマだ。槍を見よう見まねで構え、突進したは良いが穂先がブレる。この槍を以て、この穂先を綺礼の心臓に突き立てねばならぬというのに、無意識がそれを拒絶する。綺礼に近づく度に、崖上に近づく度に、その抵抗は大きくなる。まるで強風に逆らって走っているかの様だ。

 

崖上の振り返った綺礼と眼が合った。読まれていた。だがやり直しは効かないのである。突っ切るしか無いが槍は暴れ安定しない。綺礼の心臓と言う狙い諦め、この際何処でも良いと目を瞑り崖の斜面を踏み抜けば。

 

“槍を使うなら脇を締めろ、マヌケ”

 

それが幻聴なのか、英霊の座からの呼びかけなのか。真也にとっては大した問題では無かった。あの槍兵は確かにこの世界に居たのだ。共に戦い笑い合った事が事実ならば、ならばそれで十分だろう。

 

“お節介槍兵め”

 

笑みが溢れた。彼の疾走は崖を登り切り、その手にある真紅の穂先は綺礼の心臓を捕らえた。

 

「ぐはっ!」

 

士郎の目の前には仰け反った綺礼の後ろ姿があった。どうした事だろう。その胸には真紅の槍が突き立てられていた。はてな。あの同級生はどこからあの槍を持ちだしたのか。最後の敵が岩盤に串刺しにされ、絶命した事を確信すると、士郎は干将を放り投げた。時間が無い。

 

振り向き視れば、アンリマユは誕生直前である。胎盤を突き破ろうと手足を動かしている。彼は自分の家族たちに済まないと謝り、己が心象世界に展開する設計図は、人の手に余る“神造兵器”である。

 

「投影開―」

 

その自己暗示は赤槍の投擲に中断された。士郎が数秒後、通過するだろう地点に、それが突き立てられていたのである。良く分らないが同級生はそれを使えという。迷った彼がその槍を手にとれば、彼の魔術回路がそれが宝具だと囁いた。

 

「解析開始(トレース・オン)!」

 

真名判明。この対人宝具ならば、アンリマユすら仕留められる。加えて低燃費型宝具ならば彼にも撃てる。ただレンジが短いのが欠点だ。

 

彼は躊躇う事なく崖から身を投げると、大魔方陣の上を走り出した。回路を走る膨大な魔力の影響で意識が揺れる。歯を食いしばり、帰りを待つ人達を思い浮かべ必死に抗った。

 

麓で見上げるその黒く禍々しい塔は、忌々しくも天空の塔だ。ただし、天の蓋が抜けないならば、所詮井の中の蛙。士郎が魔力を注ぎ込めば、その宝具が敵を討たんと吠えた。真名解放。

 

「刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)!」

 

その魔槍の呪いが成立したのはアンリマユが誕生する前だった。従って、例え胎盤が裂ける光景を士郎が見たとしても意味が無い、すでに死は確定されているのである。因果の逆転は、そのサーヴァントの心臓を貫き、破壊し尽くした。

 

「―――!」

 

誕生をキャンセルされたその悪魔は、知覚できない断末魔を上げながら崩れ、胎盤の中で息絶えた。

 

 

◆◆◆

 

 

役目を失った黒い尖塔が崩れ出す。亀裂が入り、裂け続けた。それの進行は収まる気配がない。傾き、重量バランスが崩れたそれは、尖塔の中程から曲がり始めた。直に、真っ二つに折れるだろう。大聖杯も既に停止していた。

 

塔の裂け目には、生まれ損なった悪魔の腕が突出し垂れていた。人によって生まれさせられ、人によって否定された、哀れな反英霊の最後であった。悪魔とはこの様に、人間の都合で生まれさせられるのか、士郎のその感傷は一秒も持たなかった。

 

決壊したダムの様に羊水を吹き出したのである。水圧死。こんな馬鹿な死に方をして堪るかと彼は血相変えて逃げ出した。鉢の縁にいる同級生は四つん這いで蹲っていた。死んではいないなら、小突いてでも歩かせよう。慌てて駆け寄ればその同級生は這う岩盤に拳を打ち込んだ。良く分からないが、憤っているらしい。

 

「おまえ、どうしたんだこの槍」

「分るか士郎。この意味が。俺はあの軽薄な槍兵に負けたって事だ。完全無欠の敗北、完敗だ。おまけに勝ち逃げされた。とどめが不戦敗だ。くそ、腹が立つ!」

「悔しがる真也なんてゲシュタルト崩壊しそうだ。もっと見てみたいけれど脱出が先だ。死ぬ気で走れ」

 

あちらこちらで巨大な岩石が落下している。その内の一つが大聖杯の基盤システムを直撃、破壊した。200年に渡るシステムが終わった瞬間であった。真也は己の末路であったかもしれない骸に、僅かばかりの弔いを捧げると、士郎と共にその場を後にした。

 

大空洞は崩壊を続けていた。足下の亀裂を踏み越え、落石を読み、避ける。二人は痛みを堪えつつ、肩を貸し合いながら、小刻みに走り続けた。大聖杯が収まる広大な空洞を後にし、士郎と真也が戦った空洞に達し、アサシンとランサーが戦った洞窟に向かえば、岩石で塞がっていた。行き場が無い。つまりは雪隠詰めという事だ。

 

何故だろうか、天より光が落ちていた。見上げれば孔があった。それは天のおとし蓋に開けられた孔だった。綺礼が侵入したであろう、その孔から見える空は紅に染まっていた。夕方だ。朝一で突入したが相応時間が経っていたらしい。士郎は静かにこう問うた。

 

「なあ真也。天井まで10メートルだ。岩盤を抜けるのに更に10メートル。跳べないか? 何時ものお前なら出来るだろ」

 

出来ない事など分っていた。

 

「済まない」

 

肩を組んでいた二人は組み合った。崩落は激しさを増す一方である。至る所で崩れ、岩が落ち砕けていった。その音と衝撃が身体に響くが気にならなかった。地下水脈があったのか、ひび割れた岩盤から水も噴き出している。水が足下を濡らすが心配する事はない。溺死より圧迫死が確実に先だ。真也が言う。

 

「最後の最後が、和解した天敵か」

 

士郎が答えた。

 

「まぁ、これ以上悪い話は無いから、あとは上がるだけだな」

「じゃあな士郎」

「じゃあな真也」

 

目を瞑り、組み合う腕に力を籠め、最後を覚悟すれば。

 

「お取り込み中申し訳ないが、逃げる気はあるか?」

 

それは余りにも唐突な声だった。崩落の轟音が響き渡る空洞内にて、その声はいやに強く聞こえた。まるで直接心に響く様だった。

 

なにより不思議なのが余りにも場違いな声だったからである。例えるならば、沈む征く豪華客船。浸水する海水に追い立てられた主人公が、とある一室に飛び込めば安全な己の家だった……それ程にその声は、この現状に対し落差を有していたのである。組み合う二人が、かみ合う歯車の様に頭を動かし、その方を見れば一人の女が立っていた。

 

デニムパンツにスニーカー。カーキ色のミリタリー風ハーフコート纏っていた。黒く長い髪は、襟首で三つに結っていた。化粧っ気のない表情には鋭い瞳が浮かんでいた。綾子を更にハンサムにして、女性的に成熟させればこの様な顔になるだろう、士郎はそんな事を思った。彼はその女性と面識がない。遠目に見た事があるのみである。だがこれ程に強い存在感を示す人物を他に知らなかった。

 

「真也の、母親?」

 

士郎の呟きに対し、真也は凝視したまま固まっていた。どのように対応するか、判断が付かなかった。そうしていると一際大きい、破滅的な地響きがあった。とうとう天井が抜け始めたのである。3人の頭上に岩石の落下群が迫る。

 

その女は、応とも否とも言わない子供を前にして小さく溜息を付いた。仕方が無いと言った様相で二人を脇に抱えると、跳躍した。右脇に士郎、左脇に真也を抱える女は、落ちる岩を足場代わりに八艘飛びに駆け上がっていった。徐々に高度が高くなる。

 

士郎の瞳には、埋まっていく大空洞の様が逐次流れていった。

 

大地でもあり、天井でもあった岩盤を抜けると空があった。その女は最後の落下岩盤を踏み抜くと、高く、高く跳躍した。空気は冷たくも美味しかった。

 

士郎の眼下には地下帝国に飲まれていく柳洞寺があった。崩落する柳洞の山は紅に染まり、不謹慎ながらも雄大さと美しさを感じさせた。火柱を噴き立て溶岩を垂らす火山を見ているかの心境だ。

 

それよりも素晴らしい事が空を飛ぶ事である。それは飛翔ではなく跳躍であったが、彼にとってその差は無かった。眼下に広がるのは樹木の絨毯である。太古に置いて飛翔が魔法であった事を今更ながら思い知らされた。遠くに、冬木の住宅街と、更に遠くには新都が見えた。紅に染まるそれらは、長い一日が終わったのだと告げていた。

 

高度が最高点に達し大地が徐々に近くなる。森の中に突入し、落ち葉を散らせながら着地したと思えば森の中だ。抱えられていた腕が緩む。予想よりは雑に下ろされれば脱力感に襲われた。四つん這いの士郎の瞳にはただの大地があった。握り掴めばその手に土と石があった。よく調べれば菌類、微生物確認出来るだろう。

 

終わった。助かった。その言葉がグルグルと頭を駆け回る。気がつけば遠くに救急車のサイレンが聞こえる。明日になれば大騒ぎだろう。いや、これだけ騒ぎが続いたのだ、その話題は三日持たないかもしれない。

 

「怪我はないか。衛宮士郎君」

 

しっとりとした、その声に見上げれば、恩人であろうその女性は笑いもせず、呆れもせず、ただ淡々としていた。だが、旧知の人物と話しているかの様な雰囲気であった。堪らずこう聞いた。

 

「俺を知ってるんですか?」

「もちろん。恐らく君以上に知っている」

 

訳が分からない。どこかで会ったかもしれないが全く記憶にない。記憶を浚う様に視線を泳がせれば真也が目に付いた。千歳を挟んで反対側の彼は同じ四つん這いだが、伏せに近い。どうしたことか、彼は疲労と痛みを忘れる程の、怒りの形相で睨みあげていた。

 

「このババア、今更ノコノコと何しに現れた」

「仕事だと言っただろう。胸騒ぎがして急いで帰ってみれば、この騒ぎだと言う事だ。今ひとつ、親には敬意を払え」

「嘘を付け。何故狙った様なタイミングで現れた。何故この場所が分った。それは見ていたから、違うか?」

「同じ事を言わせるな。ま、お前の形を見ていれば散々な目に遭った事は予想出来るがな」

「っ!」

 

激怒の余り立ち上がれば、真也は右拳を掲げ踏み込んだ。止めたのは士郎である、怒りを微塵も隠さない同級生に多少戸惑いつつ。その母は冷静だった。

 

「言っておく。状況から判断するに君たちは失敗した。脱出に失敗するなど詰めが甘い。欲張りすぎた結果なのだろうが……ま、男の子はこれ位やってくれないと困る」

 

情状酌量の上及第点だ、そう言わんばかりの母親に子の怒りは頂点だ。

 

「離せ士郎! 一発殴らないと気が収まらん!」

「だめだ! 親は殴っちゃいけない!」

 

千歳の発言に、色々思うところがある士郎であったが、士郎は暴れる同級生を抑える事に手一杯だ。

 

 

◆◆◆

 

 

士郎を衛宮家に送り届け、千歳が自分の家に辿り着けば、その家に明かりが灯っていた。気配を探れば桜のモノでは無い。その数二人。物取りにしては様子がおかしかった、悪意が無いのである。付け加えれば人のモノですらない。

 

左脇にある真也を玄関脇に下ろし、右手にある真紅の槍を意識しながら扉を開ければ、二人のサーヴァントに出迎えられた。左にライダー、右にキャスターである。

 

キャスターは頭巾を目深に被り、窺える表情は口元のみ。友好的な笑みを浮かべていたが、営業スマイルと言う事は見て取れた。対するライダーはあからさまである。彼女は不機嫌さを隠していなかった。

 

「さて。これはどう判断するべきなのだろうな。物取りに帰りを出迎えられては対応に困る。剛胆、厚かましい、開き直り、お前らはどれだ」

 

千歳に応えたのはキャスターであった。

 

「蒼月千歳様ですね。我らは桜様と真也様のサーヴァントです」

「聖杯戦争が終われば消える身のサーヴァントが何の用だ。何故未だ顕界している」

「僭越ながら、桜様と直接契約を結ばせて頂きました。小聖杯たる桜様の内にはあちら側への孔がありますので」

「解せんな。聖杯が閉じた今、英霊であるお前達が現世に留まる理由などあるまい?」

「千歳様。まだなにも終わっておりません。寧ろこれからが本番となりましょう」

 

ライダーの握り手は強い。唇は真一文字に結ばれていた。

 

「なるほど。心残りで消えるに消えきれない、と言う事か。桜と真也は相応の信頼関係を築いた様だ。時に桜はどうした?」

「遠坂家、生家におられます。強い疲労はありますが命に別状はありません。ご心配は無用です。明朝には目を覚まされるでしょう。お休みは住み慣れたこの家宅で、とも思いましたがお心の傷を癒やす事は我らにはできません。正直に申し上げまして、桜様とマスター、そして千歳様の関係に苦慮しております」

「ふん。キャスターのそれは気が利くと言うよりはお節介だな」

「マスターは実に世話のし甲斐がある方です」

 

「私は放任主義だ。構い過ぎては子の為にならない。程々にして貰おう」

「我らの用件とはその放任主義の事です。今に至る全てはそこから始まっています。ならばその解決はそれを知る事が必然でしょう。失礼ながら屋敷の勝手は把握しております。お茶の用意も出来ておりますので、どうぞリビングにお進み下さい。時間は相応にございます。討議も実りのある物となりましょう」

「色々言うがキャスターよ。お前は私を問い詰めたいだけだろう? 」

「さて。子育てという過去に罪悪を持っているのか、それを決めているのは千歳様ですから」

 

「売られた喧嘩は買う性質だ。応じよう」

「千歳様の寛大さには畏敬の念すら感じます。では、こちらへ」

「その前にライダーの懸念を解消するとしようか。真也を2階に運べ。失神しているが治療は済ませてある。ベッドに放り込むだけで良い」

 

ライダーが千歳の視線を辿れば、玄関にある磨りガラス越しに人影が見えた。もたれ掛かっているだろうその人物は僅かたりとも動かない。

 

「チトセ、貴女のそれはとても親の行為には見えません」

「言っただろう。放任主義だと」

「サクラにもその様な接し方をしてきたのですか?」

「急くな。それを聞きに来たのだろうが。お望み通りゆっくり話してやる」

 

ライダーは黙って千歳の脇を通り過ぎると、彼を抱きかかえ2階に運んでいった。ライダーが真也を抱きかかえるのは2度目だ。1度目は1stバーサーカー戦の後、負傷した真也を2階に運んだ時が最初だ。その時と比べると随分細く軽い。それに関して、少なくとも。表面上は、何とも思わない母親に、困惑、戸惑い、憤りを感じるのみである。

 

 

◆◆◆

 

 

久しぶりに見る自宅のテーブルには純白のテーブルクロスが掛けられていた。3人の前には真朱色の布が敷かれ、白いティーカップが置いてあった。菓子は和栗のカップケーキだ。紙のカップから飛び出る頭はこんもりと膨れ、その焼き焦げ加減は確かに栗色だった。

 

千歳に相対するのはライダーとキャスターである。千歳のカップに紅茶を注ぐキャスターはローブを手で押さえ。その手つきは余りにも女性らしい。

 

「キャスター。なぜテーブルクロスの上に布を敷く。トレー、もしくは無くても良かろう?」

「機能という意味ではその通りですが、カップも白色ですし白一色では味気ないでしょう」

「その様な物か」

「その様な物です。以前より感じておりましたが千歳様はそれに類する感性が欠けておられるご様子」

「余計なお世話だ」

 

それは3人が茶を啜り、一息経った頃である。

 

「私は受肉した過去の英霊だ」

 

千歳の余りにも突然の、直球の回答に、促そうとしていたライダーは口どもる。キャスターはやはりそうかと、驚きは隠さなかった。

 

「今から18年前、僅かにズレた世界で神秘を求める争いがあった。勝者となったサーヴァントだった様な者は受肉を願い、マスターだったような者との間に子供を儲けた」

「その子が、」

「そう、それが真也だ」

 

キャスターは解を得た心持ちである。

 

「この世に蘇った古の英霊、そしてこの世に生きる普通の人間。二人が成した子供……なるほど。命を結んだ時の衝撃は相当でしょう。父と母の存在という大きさと言う意味に於いて、そのギャップを例えればダム程にありましょうから」

「その事実は幾つかの副作用を生んだ。根源に触れた事による魔眼の所持、人間性の欠如、そしてサーヴァントとしての一面。あの子は遠坂を半ばマスターの様に認識していただろう。遠坂凛に精神構造を再構築され、解放されるまでな」

「理解しました。マスターの存在を」

 

ライダーが口を開いた。彼女は紅茶に手を付けていなかった。

 

「一つ聞きたい事があります。何故シンヤに親としての愛情を注がなかったのですか?」

「今回の聖杯戦争に真也を毛嫌いするサーヴァントは居たか?」

「居ました」

 

ライダーはセイバーを思い出した。

 

「あの子は、秩序と善を重んじるタイプと相性が極めて悪い。それは私も同じだ。どうにか克服しようとしたが、嫌悪感が拭いきれず何とも成らなかった。理性を持って接する事が限界だった。それもまた命を結んだ時の副作用だろうが……人と子を成した試練にしては質が悪すぎる」

 

カップの水面に映る千歳の表情は揺らいでいた。子を愛する事が出来なかった、その事実に対する感情は、やるせなさ、やり場のない怒りであった。不遜に見える彼女も相応に苦悩していたのである。ライダーはそれを感じ取った。

 

「桜を構い過ぎた事はその反動と償いだ」

 

キャスターが言う。

 

「なぜ説明なさらなかったのですか?」

 

「真実を告げたところで何の意味がある。この世界での私には歴史が無い。頼る人もおらず、権威者に目を付けられればお仕舞いだ。安住の地を求めて彷徨っていた私に出来る事など無かった。加えて真也は先天的に能力が高くてな、それ故他の子供と遊ばせられなかった。他の子と同じ環境に置く事が出来なかった。

 

悩んでいたころ桜を見つけ宛がった。次第に二人共に回復し始めたよ。何時しか仲睦まじい兄妹となった。多少度が行き過ぎている、とも思ったが兄が妹を守るのは当然だと、妹が兄を慕うのは当然と、良い傾向だと喜べば、根本的に間違えていた。桜は兄に依存し、真也は妹の為だけにある傀儡になっていた。気がついた時には手遅れだった。

 

二人の歪な関係は長持ちしない。いずれ破綻する事は見えていた。桜の叶わぬ想いはいつか反転し、兄への恨みになるだろう。真也は桜がもたらす死を、笑いながら受け入れる。それが確定された未来だった。だから私は聖杯戦争という混沌に賭けた。賭けざるを得なかった」

 

「旦那様はどちらに?」

「死んだ。全ては理想の為と己を勘定に入れない馬鹿者でな。どうにか正そうとしたが、結局叶わなかった。この地に降り立った数年後、ほんの少し目を離した隙に、見知らぬ誰かを庇い死んだ。大した外傷もないのにもう動かなかった。あっけなかった。墓は英国にある」

 

「後悔しておられますか?」

「後悔の無い人生などありはしない。だが私はあの子らに対して目を背けはしない、それが今の私が出来る回答だ」

 

千歳はティーカップを置いた。はす向かいのライダーはじっと千歳を見ていた。目隠し越しなので、視線は読み取れないが、見定められている事は良く分かった。千歳は言う。

 

「ライダー。質問はあるか?」

「話の内容次第では殴りつけるつもりではいました。ですが、それは止めとしましょう」

「ほう。それは何故だ。子の嘆きと苦しみを知りつつも、なにもせず黙って見ていた親だぞ。見たところお前はそれが気に入らない筈だ」

「最後の最後で試練という信念を曲げ子を助けた。憎まれ役も程々にしておく事です」

 

褒められているのか、非難されているのか、呆れられているのか、良く分からない。誤魔化す為に千歳は紅茶を一口啜った。熱かったそれは大分温くなっていた。

 

「お前は何処の英霊だ」

「メドゥーサです」

「なるほどな。ギリシャの神々に連なる者であれば、そう考えるのもおかしくは無い」

「チトセとシンヤはやはり親子なのですね。その物言い、瓜二つです」

「私は茶化されるのが嫌いだ」

「覚えておきましょう」

 

キャスターは毟ったカップケーキの一欠片を口に入れた所だった。いつの間にかフードを下ろしていた。

 

「千歳様はどちらの英霊なのですか?」

「真名は“―――” と言う。 蒼月千歳という名前はもちろん偽名だ。この事実を伝えるかどうかはお前達に委ねよう」

「伝える必要は無いでしょう。あの子たちには不要な物です」

「マスターを子供扱いか。お前も大概だ」

 

「私にも子は居ましたから」

「話はしまいだ。お前たちはどうする?」

「私はサクラの元に帰ります」

「ならば私はここに残りましょう。万が一があってもいいように」

 

「好きにするといい」

「千歳様。これからどう為されますか?」

「決まっているだろう。明日、遠坂葵に会う。キャスター、急だがセッティングをしてくれ」

「かしこまりました」

 

 

◆◆◆

 

 

「蒼月千歳です」

「遠坂葵です。お待ちしておりました」

 

それが二人の最初の言葉となった。後始末に奔走されていた凛であったが、その人物の来訪には手を止めざるを得なかった。突き抜けた様な晴天の下、2階の窓から門を見下ろせば葵と千歳の姿が見える。

 

千歳はインディゴカラーのデニムパンツに、レトロ調のベースボールプリントTシャツを纏っていた。アウターは襟首にファーの付いたレトロ調のブラック・カジュアルブルゾンだった。若作り、活動的な着こなしで20代半ばに見えた。

 

葵は何時もの若葉色のワンピースに桜色のショールを羽織っていた。その出で立ちは良家の奥方そのものである。

 

同世代である筈の二人は実に対照的であった。

 

普段着姿の二人に凛は呆れつつも、千歳の姿に目を奪われた。すらりとした肢体は颯爽とした身のこなしだ。黒い髪が流れる様は風のよう。凛の第一印象は“ハンサムな女性”であった。濡羽色の長い髪は、陽の光を浴びて、澄んだ黒が深く輝いていた。凛は多少の嫉妬を感じつつ。

 

「真也の黒髪は母親譲りか」

 

そう呟いた。背後より歩み寄るのは桜である。

 

「姉さん、兄さんから仮の報告書がFAXで届きました。詳しいのは明朝に送る、だそうです」

「ん、見せて」

 

実際の所、葵が持つ千歳へのイメージは良くなかった。桜を攫った事は目を瞑るにしても理由はどうあれ、臓硯を殺した事は事実なのである。趣味である映画も相まって、アマゾネスの様な女子レスラー。或いはマーヴェルコミックスに登場する様な筋肉質なイメージを持っていた。もしくは刃の様な鋭いニキータ(女性暗殺者)である。

 

ところが目の前のその人物は、葵より背が高く目鼻立ちは鋭いものの、か細い。とてもそういう荒仕事に身を置く人物には見えない。但し、方向性は真逆だ。おっとり型の葵に対し、千歳は冷徹型だった。強いて言うならば、やり手のキャリア・ウーマンと言ったところであろう。だもので。リビングに通し、席を促し、千歳が腰掛けた早々、頭を下げた事には驚いた。

 

「この度は不肖の息子が大変なご迷惑をおかけしました」

 

それ故、葵は千歳を信用する事にした。

 

「とんでもありません。私たちこそ、蒼月さんに謝罪しなくてはなりません。ここにお詫び申し上げます」

 

葵もまた頭を下げた。

 

「ですが、不肖というのは余りに酷いと思います」

「貴女方にしでかした事を考えれば、それほど的は外していないでしょう。もっともそれは私の失態でもあります。この場を以てお詫びいたします」

 

千歳は再度、深々と頭を下げた。一拍。葵を見据える千歳はこう切り出した。

 

「本日伺った事は他でもありません。子供達のことです」

「理解しています」

「最初にお伺いしたい事があります。なぜ桜を養子に出されたのですか?」

「桜は類い希なる魔術師としての資質を持っていました。夫は、大成を願い養子に出しました」

 

「遠坂さんはそれに対しどのような行動をされましたか」

「ただ仕方が無いと。魔術師の家に嫁いだ定めだと。なにもしませんでした」

「貰われ先で何をされるか、予想されていましたか?」

「いえ」

 

「少々皮肉めいた言い方をしますが、ご了承下さい。私はただ事実を述べます」

「はい。その前にお茶を召し上がって下さい。私はこの葉が好きで、気に入って頂けると思います」

「……頂きます」

 

出鼻をくじかれた千歳であった。

 

「遠坂さんは子を養子に出した。その子は貰われ先で虐待された。私はその子を非合法の手段に訴え、引き取った。その子は立ち直ったものの、性格に問題を生じてしまった……誰かを非難するにはクリーンハンドが前提です。ですが、私たちは互いの臑に傷があります。

 

遠坂さん、私は仕事で暫くこの地を離れます。そこは遠く厳しい場所で、子連れは難しいと悩んでいました。かといって子供を置いて行くには不安が残ります。そこで提案があります。桜をお返しいたします。その対価として成人するまで、真也の後見人となっては頂けないでしょうか」

 

「つまり兄妹を引き離すと?」

「そうではありません。新しい関係を構築する、下準備を作る、と言う意味です。真也には一人暮らしをさせますが、何時でも会える様に取りはからって頂ければ、それで十分でしょう」

 

葵はティーカップに浮かぶ波紋をじっと見ていた。

 

「蒼月さん、千歳さんとお呼びしても?」

「構いません」

「自分の子供に、10年育てた子に執着は持たないのですか?」

「仰りたい事は分ります。理由はともかく、親が子を捨てるなどあってはならない。ですが遠坂さん」

「葵とお呼び頂ければ嬉しいです」

 

「……葵さん。真也は生まれた時から欠けていた。私は真也に愛情を注ぐ事ができなかった。嫌悪感を拭いきれず克服する事が出来なかった。悩んでいた折、桜を見つけました。虐待から救い出す、それを免罪符に桜を攫い、自分の子の為にと宛がった。その結末は葵さんの知るところです。

 

ここまでは不可抗力と判断も出来ましょうが、この後は異なるのです。私の実子と、養女の関係は歪でした。何も無ければ最悪の結末を迎えたでしょう。私はそれに対し打つべき手段を持ち得なかった。それ故、聖杯戦争という混沌に一縷の望みを掛けた。試練、と言えば聞こえが良いですが」

 

「黙って見ていた、と言う事でしょうか」

「はい。私に親を語る資格はありません」

 

「正誤はともかくとして、千歳さんが苦悩された事は理解出来ます。それでも敢えて言いますが、親が子を捨てるなどあってはなりません。経験上語りますが、後悔のみが残ります。私は10年間自分を恨み続けました。

 

ですから、桜を助け出し今まで育ててきた千歳さんに同じ轍を踏んでは貰いたくない、そう思って居ます。ですが、私たちの経緯は余りにも複雑です。この際今までの事は考えず、子供達の将来の事のみを考えませんか?」

 

「明確に仰って頂けないでしょうか」

「実は名案が浮かびまして♪」

 

パンと可愛らしく手を叩いた目の前の婦人の提案は、千歳にとって理解の外であった。

 

「……余りの突飛な提案に戸惑っています」

「おかしいでしょうか? 落とし所としてはベストだと思います」

「子供達が、受け入れるとは思いませんが」

「確かに不満を持つでしょうが、それは千歳さんのプランも同様です。家とは生活の基盤、それを断つ事は、もっともらしい理由を付けても引き裂くことに他ならない、それよりは良いと思います。ですからこの際、親の一存で決めても良いかと。その後どうするかは、また改めて考えませんか?」

 

この遠坂葵という人物は少々ズレている、だが意外と大物かもしれない、千歳はその様な事を思った。千歳は躊躇いながらも葵に同意した。

 

「お母さん」

 

部屋を出た千歳を待ち構えていたのは桜であった。彼女は盗み聞きしていたのである。白のワンピースに、桜色のカーディガン。見慣れた姿だった。千歳は桜に歩み寄ると、その頬に手を添えた。その母子に10年の絆を見出した葵は、己の判断は間違っていなかった、と喜びを隠さない。

 

「私は良い親では無かったようだ。子を千尋の谷に、というノリを平気でしてしまうからな。葵さんに会ってそれを思い知らされた。だがこの10年はとても楽しい物だった。なんだかんだ、桜にも助けられた。教わる事もあった」

「お母さん?」

 

千歳は不安を隠さない義理の娘に微笑んだ。

 

「心配しなくていい。知人に借りを作ったので、それを返さないとならない。暫くこの地を離れるが戻ってくる」

「それって私たちのせい?」

「子に心配されては親失格だな」

「兄さんには会わないの?」

 

「今会えば殴り合いになるかもしれん。それは桜も望まないだろうから止めておこう」

「兄さんは怒ってないと思う。余りにも色々な事があって、ただ落ち着かないだけ」

「分っているさ。だからこそ今は会わない方が良いだろう。頭を冷やす時間が必要、と言う事だ。お互いにな」

 

千歳は桜の頬に唇を添えた。

 

「桜もしっかりやりなさい」

 

背後の葵は、何時もの穏やかな笑みだった。

 

「千歳さん。いつか、真也さんに愛していると伝えてあげてください」

 

千歳は躊躇った上で頷いた。資格が無いと秘めていた言葉であったが、葵に促されては、もう誤魔化せまい。

 

千歳は桜の背後に居る凛に歩み寄るとその手を取り掴んだ。

 

「少々意外な展開となりましたが、凛さん、これからよろしくお願いします」

「任せて下さい」

 

凛は力強く頷いた。

 

 

◆◆◆

 

 

それから時が経ち、気がつけば桜の咲く季節となっていた。穂群原(ほむらばら)学園校舎の最上階、その教室の窓から見えるグラウンドには、咲き乱れる桜があった。士郎が腰掛けるのは窓側の席である。後ろから数えて2番目。優良な席だが彼の表情は優れなかった。頬杖を突き、桜をぼんやりと見れば溜息が出た。頭も痛い。その態度を不可解に思い、話しかけたのは一成である。

 

「どうした衛宮。気がすぐれんようだが」

「ちょっとな」

「際どいところであったが、無事進級出来たのだ。もう少し冴えのある顔をしたらどうだ」

 

学年末に2週間も休んだのだ。その取り戻しは非常に大変であった。

 

「衛宮、何があったかは知らんが、もう少し前向きになるべきだと考える」

「一成にいわれちゃ、そうするしかないな」

 

柳洞寺は壊滅した為、彼らはお寺再建の最中なのである。もちろん真実など言えよう筈も無い。

 

「でも、少し違うんだ」

「違う? 違うとはなんだ」

「憂鬱と言えば憂鬱なんだけどさ」

「煮え切らんな」

 

黒板の上にある時計を見れば、ホームルームも直だ。気分が重い。

 

「そう言えば聞いたか? 転入生がどこかのクラスに配属されるらしい。これが異国のお人でな、滅法な美しさだそうだ」

「そーか、そーだよなー」

「?」

「一成。放課後も友人でいてくれるか?」

 

訳が分からない一成に対し、士郎のその態度は縋るよう。

 

「衛宮の意図するところは良く分からんが、もちろんだ」

 

教師が教室に現れれば、号令が掛かった。

 

「ホームルームを始める、全員席に着け」

 

教壇に立つ教師は学内清掃、健康診断など学内行事の予定を伝えると、要領の得ない事を言い出した。

 

「あー、これから皆に伝える事がある。騒ぐな、とは言わん。だが程々にしておけ、特に男子」

 

目の前の教師が何を言っているのか分らない、士郎を除いて、不可解さに支配される生徒たち。なんだ、どうしたことか、とざわめいた。その教師が扉の向こう、つまり廊下に立っている人影に声を掛けた。

 

扉が開いて現れた人物に教室が静まりかえった。壇上に立ったその少女が纏う制服はコルク色、誰がどう見ても穂群原の学園服である。教室の静まりかえりが、嵐の前の静けさだと腹を括った教師はこう告げた。

 

「手続きの都合で皆より二日遅れたが、本日よりこのクラスの一員となる。今日から皆と一年間“勉学”を共にする学友だ。そこの所忘れない様に」

 

教師の促しにその少女が一歩前に出た。その紡ぐ声はソプラノの様。

 

「アルトリア・フォン・アインツベルンと申します。縁あって皆様と同じ学舎に通う事になりました。本日より一年間、よろしくお願いいたします。近しき者はセイバーと呼びます。皆様にもそう呼んで頂ければ、この上ない喜びです」

 

静寂。自己紹介の文言をし損じたか、と不安に駆られたセイバーが、教室の隅にいる士郎に助けを求めれば、彼は腕を組んでムッスリ顔だ。数秒後やってくるであろう惨状に、恐れ戦き、冷や汗を流していた。そして世界は回り出す。

 

「小さいっ! 可愛いっ!」

「綺麗な瞳! エメラルドグリーン?!」

「よっしゃぁぁぁ! 最後の1年で運が向いてきたぁ!」

「ねぇ! シャンプー何使ってるの! リンスしてる?!」

「国どこっ!? イギリス?! フランス!? それともドイツっ!?」

「顔小さっ! 腰高っ!」

 

以上が好意的な少年少女の混成チームである。以下は言うまでも無い。

 

「うわ、天然のアイシャドウだ……」

「はん。性格はどうだかね」

「これでミスパーフェクトもお仕舞いね、ざまあみろ」

 

混迷極まる3年C組。すっくと立ち上がったのがA君である。彼はおもむろに近寄ると、胸に手を添え深々と頭を下げた。それは紳士の真似事であった

 

「貴女は実に罪作りなお方だ。稲光にも満たない僅かな間に、私の心は貴女に奪われ尽くされてしまいました。だが恋とはなんと素晴らしいのでしょう。今では世の中のつまらぬモノが、美しく輝き始めました。私Aと申します。麗しの方、是非私の手をお取り下さい。そして私と恋のすばらしさを語り合いましょう」

 

ディ○ニー張りの大げさな振り付けにセイバーは冷静だった。抜け駆けかとヤジが飛ぶ中、彼女の声は淡々としていた。

 

「お気持ちは嬉しいのですが、私には将来を誓い合った相手が居ますので、貴方の想いを受け取るわけには参りません」

 

哀れA君は青い顔である。今お前が飲んだジュースは下剤入りだ、とでも言われたかの様な絶望具合だ。或いは落第を申しつけられた学生とも言えよう。

 

「そ、それ、は、ど、どこの、ど、どなたでしょうか」

「皆様のご学友であるシロウ、衛宮士郎、その人です」

 

クラスメイト全員により、突き立てられる鋭利な視線。針のむしろとは、こう言う物を言うのか。それを悟った彼が、窓から見上げる空はとても美しかった。3年A組の凛は二つとなりのクラスから聞こえてくる、爆弾の様な騒ぎに諦め顔だが、同情も混じっていた。手に持つシャープペンシルをカチカチと。

 

(こう成るわよね、やっぱり)

 

彼女は士郎の命運を祈るのみである。

 

 

◆◆◆

 

 

そして放課後の事。屋上のフェンス越しにグラウンドを見下ろせば、必死の逃走劇が繰り広げられていた。鬼気迫る男ばかりの群衆が、執拗に追う人物は一人のみ。敢えて誰が追われているかなど言うまでも無い。二人の少女はそれに構う事なく、フェンスにもたれ掛かっていた。綾子と凛である。二人は手にするコーヒー牛乳のパックを啜りつつ会話に華を咲かせていた。その声は綾子であった。

 

「ふーん、そう。留学するの止めたんだ。二人のため?」

「それも理由の一つ。ウチにはキャスターが居るから、アレの知識を放っておく理由はないわよね」

「なるほど。昔のすごい魔術師から教わった方が良いか」

「教わるじゃないの、盗むと言ってくれない?」

 

「どっちも同じだ」

「重要よ」

「他の理由は?」

「大師父が諸々をもみ消してくれて助かった訳なんだけど、それで風当たりが強いのよ。時計塔って権力に執着する奴らの温床だから、我らの権力を蔑ろにされたって、ね」

 

「なるほどね。そんなところに留学したら、当てつけで勉強どころじゃなさそうね」

「そういう事。綾子は進路どうするの?」

「地元の大学に通って教員を目指す事にした。赴任先が穂群原なら言う事無しだけど、コレばっかりは何ともならないわ」

「ツテがあるから、その気があるなら言うだけ言ってみるけど?」

 

「願ったり叶ったりだけど、何でそんなツテを持ってるのよ」

「衛宮君と真也の知り合いが、役所に口利き出来るのよ」

「じゃ、お願い」

「綾子も大概軽いわね」

 

「最近気がついたんだけど、馬鹿正直だけじゃ世の中渡っていけないじゃない?」

「ま、良いけれど。私も人の事言えないから」

「で、桜の様子はどうなのよ。一見、普通に見えるけれど」

「そう、そう見えるだけ。夜泣きが激しいのよ。昨夜なんて、徹夜して真也と宥めてたわ」

 

「無理もないか。幾ら操られていたって、そう簡単に割り切れる事じゃない」

「それも有るけれど不安がってるのよ」

「不安ってなによ」

「ほら、真也って自己を持ったじゃない? 私たちのいざこざに、何か思うところが有るんじゃないかって、それを怖がってる」

 

「恨みって事?」

「誰もがそうなんだけど、特に桜は、ね。真也本人はそれを否定してるんだけど、考え事が多いし、桜は何か感じ取ってるみたい」

「悩み聞いてあげたら?」

「アンタね、もしそれに関する事なら私が聞ける訳ないでしょ。桜と同じような物なんだから」

 

「そりゃそうだ。“アンタ私の事恨んでる?”なんて事聞けないか。“うん”なんて答えられたら、凛はまた泣き出すし」

「ひょっとして喧嘩売ってる?」

「馬鹿ね、心配してるって事よ。ため込むのは良くないと思うのよ。どうにかするべきね」

「ねぇ、綾子。聞いてくれる?」

 

「なによ、いきなり」

「あのバカ、ライダーにばかり相談するのよ。どう思う?」

「キャスターさんは真也よりだし、おっとりしてる葵さんはそう言うの苦手そうだし、ライダーさんはなんだかんだ凛にも気を使ってるし。なにより凛に相談すると桜に角が立つ。落としどころとしてはいいと思うけれど」

「そんな事言われなくても分ってるわよ。綾子って本当に男の子思考だわ、ここは共感、同情するべきところなのに」

 

「それは私に求める事じゃないね。それで、その真也は?」

「必死にリハビリ中だけど暫く掛かるわね。100メートル歩いて気分悪くなって吐いたのよ。学校に通えない、授業に耐えられない、留年確定。我が家の人間が留年なんて、頭が痛いわ」

 

綾子は手に持っていたコーヒー牛乳のパックを握りつぶした。そのパックが生き物であれば、悲鳴を上げただろう。それ程に痛々しい握り方であった。

 

「で、凛。そろそろ話してくれない? アンタら結局どうなったの?」

 

凛はコホンと一つ咳払う。

 

「新年度より遠坂真也となりました」

「……結婚?」

「安心しなさい。養子よ。私の弟、桜の兄、桜共々ウチの籍に入ったのよ」

「あのさ。あれだけ大騒ぎしてそれ?」

「親同士の決めた仲、って訳。まったく。本当に勝手なんだから」

 

凛は腕を組んで空を見た。話を聞かされた時の、衝撃と憤りは思い出しても腹が立つ。

 

「ちょっと待ちなって。千歳さんは?」

「だから言ったでしょ。桜共どもって」

「遠坂千歳?」

「そう。藤村先生のお爺さん、先ほど言ったツテってこの人なんだけど、役所に口が聞くのよ。千歳さんも真也も知り合いだから、セイバー、イリヤ共々色々都合付けて貰ったらしいわ」

 

凛は溜息一つ。

 

「提案する母さんも母さんだけど、受け入れる真也たちも大概ね。二人は蒼月って家名に執着がないのよ。異端とは言え魔術師、相応の歴史がある筈なのに、あっさりと手放して。系譜を一体何だと思ってるのかしら。それを知った桜も毒気を抜かれて、なら私もって、とんとん拍子に纏まったわ。蒼月ってどんな家だったのかしらね」

「あー、御免。家族関係が読み切れない」

「桜と真也が母さんの子供になった。千歳さんは母さんの妹。戸籍上やむを得なくこうしたけれど、絶対ではないのよ。狙いは私たちきょうだいに二人の母親が居る、ってところ。私は母さん、千歳さんと呼ぶ。真也は葵さん、お袋と呼ぶ。桜は決めかねてる。御家事情にしては複雑怪奇すぎだわ」

「文句の割には満更でもなさそうだ」

 

「いいのよ。これが一番良い関係。桜にとっても私にとってもね」

「そう、姉で良いって訳。カレシ作るの?」

「出来る訳無いでしょ。あんな事があったんだから」

「あの妹にしてこの姉ありか。うひゃひゃひゃ♪」

 

腹を抱えて笑う友人は遠慮が無かった。凛が容赦しまいと決意した瞬間でもある。目尻に堪った涙を拭った綾子は自信満々であった。

 

「なら私が貰っても良いのね」

「駄目に決まっているでしょう、美綴さん」

「なにそれ」

 

不審さを隠さない綾子に対し、凛は不遜な笑顔であった。

 

「養子でも遠坂家の長男、伴侶は当主である私が決める。それ以前に弟はまだ未熟なんだから、彼女なんてとんでもない」

 

納得が行かない、当然でしょ、二人が言い争っていると桜が現れた。

 

「御免なさい。姉さん。遅くなりました」

 

桜のそれは、凛と同じ髪の色、凛と同じ瞳の色である。真也が視て、キャスターが認識させ、真也が間桐の因子を殺したのだった。もちろん小聖杯ですらない。精神は暫く掛かるが、肉体に限って言えば遠坂桜が完全に帰ったのである。

 

「夕飯のお買い物して帰りましょう」

「良いところに来たわ。桜、美綴さんは真也を狙ってるって」

 

む、と桜は警戒を隠さない。凛は足下の鞄を掴むと両手に持った。淑やかなその表情は勝利宣言である。

 

「美綴さんにはお世話になりましたし、門前払いはしませんけれど、敷居を跨ぐ時は覚悟して下さいね。私たち遠坂姉妹がお相手しますから。あ、そうそう。真也は私たちが嫁ぐまで特定の相手は作らないと宣言していますので。それではごきげんよう」

 

歓談の声と共に、仲の良い姉妹が揃い立ち去れば、ひゅるり風が吹いた。打ち拉がれるは綾子のみである。今の彼女は、打ち鳴る寺の鐘の中に放り込まれた様な顔をしていた。

 

「振り出しに戻った、てゆーか、一匹増えた? あ、あのシスコン野郎……」

 

綾子の決意は叫びとなって、轟いたという。

 

「おぼえてろーーーっ!!」

 

 

◆◆◆

 

 

イリヤはキャスターと真也に聖杯としての機能、全ての魔術刻印、大半の回路を殺され、その対価として大幅な寿命を得た。それでも尚凛を上回る魔力生成量を誇るのだから驚くより他はない。その身体は健全な成長を取り戻し、背も伸び始めている。いつか士郎を腕を組み公園を歩きたい、というのが彼女の差し当たっての願いだ。イリヤの処置代は、士郎への貸しとした。もちろん貸し付け主は凛である。

 

セイバーは学園に通いつつ、士郎の鼻を明かしたいと料理クラブに所属した。さい先は良くないが包丁捌きだけは評価されている。稼ぎが無いので凛の取り立ても無い。イリヤとは仲が悪い。士郎的な意味である。

 

士郎はランクを落とした宝石剣を投影し、魔術礼装として凛に売っている。販路を持たない士郎の替わりに凛が売り、そのマージンを稼ぐというからくりだ。もちろん魔術媒体として彼女も購入もしている。それとは別に上納金を収めねばならないのだが、猶予尽きで放免された。彼はがめつすぎだと真也に泣きついたが、彼にもどうにもならなかった。セイバー、イリヤ、舞弥、セラ、リーゼリットに翻弄される毎日を送っているが、その家は笑顔が絶えなかった。

 

キャスターは、一段落した頃、桜の中にある孔から魔力を引き出し、ライダー共々受肉を済ませた。凛が委譲を辞退した為、未だ真也がマスターだ。その代わり、彼女は凛の講師を引き受けた。従者から教わる訳にはいかない、と言う事だ。真也からキャスターへの命令は“遠坂家の為になる様に動いてくれ”と漠然としているので、彼女は好き勝手にやっている。凛の頭痛のタネでもある。

 

ライダーは真也のリハビリヘルパーが終わった後、桜を中心に遠坂の人達を見守りつつ骨董品屋でバイトを始めた。その美貌からちょっかいを出そうとする者が後が絶たないが、真也の身内だと一言言えば殆どが尻を捲いて逃げた。それでもしつこく迫るナンパに辟易した彼女は、つい“シンヤのモノですので”と虚偽を口走ってしまい、大騒動になった。

 

葵は失ったモノは多々あれど家族が増えたと、賑やかになったとご満悦だ。キャスターと仲が良く、お茶の話題は大抵ギリシャに関する事だった。いつか旅行をしたい、と考えているが目処は立っていない。

 

 

 

そして3年が経った。

 

 

 

アイルランド北東部、レンスター地方ラウス州の町であるダンドーク。その町にある牧場に一人の人物が現れた。

 

黒い長袖シャツに腕を通し、黒いズボンに黒いトレッキングブーツを履いていた。アウターであるコートのみが真紅であった。生地は色褪せ、破れ、穴が開き、フードを目深に被る、その容貌を表現するなら浮浪者一歩手前である。

 

お世辞にも良い形ではなかったが、清潔ではあった。髪も爪も整えられ、汚れと匂いがなかった。大事な知人に会うのだ。最低限の身なりは必要だろう。

 

その人物は牧場に踏み入れると丘を登り始めた。緑の草が柔らかい。見通しのいい場所で、風がよく走る。ここが野戦場だったと言われれば、納得の地だ。暫く歩くと立石と対面した。見渡す限りの草原にその石は、立っていた。

 

風雨にさらされ、苔むして、元の色は分らない。ただ、伝承とされる程の歳月を経てきた事だけは良く分かる。その人物は背負ったバックパックを下ろすとフードを下げた。

 

「来たぞランサー。3年ぶりだ」

 

その立石はアルスター神話に登場する、赤枝の騎士団の英雄、クーフーリンに縁のある石である。死を悟った彼は己の身体をそれに縛り付け最後まで戦ったのだ。そこはランサーの終焉の地であった。

 

その人物は片膝を地に付けて僅かに頭を下げた。下げすぎてはならない、だが見下ろしても駄目だ。師であり、戦友でもある関係なのである。

 

「悪い。もっと早く来られればと思ったんだけど、桜が心配で1年見送った。もう2年は、陸路で来たから時間が掛かった。歩いて、ヒッチハイクして……ヒッチハイクって分るか? 凛には馬鹿だの無駄だの散々言われたけれど、飛行機を使って簡単に会ったら駄目だって思った。旅の工程も1年の予定だったけど2年掛かった。紆余曲折、旅路は捻れまくったよ。そう簡単に会えないって意味だったんだろうな。家に手紙はちょくちょく出してきたけど、帰ったら絶対お小言だ。

 

聖杯戦争は終わった。全部終わったよ。皆に助けられて何とかなった。もちろんお前にもな。2年の旅には色々な事があった。人助けだと思えば恨まれて、人を信じれば裏切られた。助けた人に命を狙われて、貸し借りのある死徒に助けられた。笑い話にもならない。実を言うと人間不信になった事もある。まぁ、その都度お前の説教が聞こえるもんだから、ここにこうして立っている訳なんだけど」

 

その石に手を添えた。冷たい石はほのかな魔力を帯びていた。

 

「もう一つ愚痴を聞いてくれ。実はさ。助けた人達に受け入れられて、新しい帰るところが出来た。けど少しわだかまりがあった。その人達は俺の行為に感謝してくれたけれど、俺は素直に受け取れられなかった。俺は自分が無かった。その人達を助けた事は、俺がした事なのか、その自信が無かった。少しその人達と離れて、考えて、自分がした事なのか、そうでないのか、何度も反問して、結局その人達が喜んでくれたなら、それでいいって結論になった。俺は本当に頭が悪い。だからだな。たったこれだけの事をお前に伝えるのに3年も必要だった。聞いてくれ。決闘の約束を反故にしたこと、本当に済まなかった」

 

眼を閉じ黙せば。一つ吹いた風は強く荒々しかった。髪を手櫛で荒らされた様な感覚だった。だからその声には滅法驚いた。

 

「誰だオメエ」

 

背後の声に振り向けば若者が一人立っていた。夕日を背に浴びるその人物は、15,6の歳の頃。デニムにライトグレーのパーカーと年相応の恰好だ。だが野性味帯びた荒々しい雰囲気は、存在的な古さを感じさせた。神秘が溢れていた世界に相応しいという意味である。その少年を視たその人物は似ている、と思った。よくよく視れば僅かに異なるが、立ち方、話し方の抑揚、そっくりだ。

 

「ここは私有地だ。それ以前に余所者が触れて良い石じゃねえぞ」

「この地の者か?」

「そうだが」

 

その少年は眉を寄せた。まるで記憶を探る様である。

 

「どこかで会ったか?」

「いや初めてだよ」

 

その人物は立ち上がるとその少年にこう告げた。

 

「突然なんだけどさ、アンタは槍を使うだろ?」

「修練中の身だが、どうして分った」

「似た奴を知ってるから。もし、ここの英雄に顔向け出来る腕前になったなら、日本を訪れてくれ。アンタに渡したい物、返したい物がある。もちろん、腕前はためさせて貰うけれど」

「大英雄と肩を並べるなんて、出来るわけ無いだろ、そんな事」

「目標はデカく、困難に、だ。アイツならそう言う。あのお節介槍兵ならな。それじゃ、待ってる」

 

みょうちくりんな物言いに少年は面食らった。お構いなしにその人物は荷物を背負うと歩き出した。

 

「何処へ行く」

「ここが目的地だから、これから帰るんだよ」

 

少年が振り返れば徐々に遠ざかる背中が見えた。何かに背を押されたその少年は堪らずそう聞いた。

 

「お前、名前は?」

「アオ……トオサカシンヤ」

 

肩越しの真也の顔は、屈託のない笑顔だった。彼にとっては懐かしい友人に会った様な、心持ちだったからである。

 

 

◆◆◆

 

 

その一週間後。遠坂家に届けられたのは、真也の最後のエアメールであった。リビングに集いし女性陣が、桜の手にあるそれを一斉に覗き込めば、こう書かれていた。

 

“遅くなったけれどランサーへの挨拶は済ませた。いまロンドンに居てもう少し滞在したら飛行機で帰る。親切な人が居てさ、宿と良い仕事を紹介してくれて、それで旅費とお土産代を稼ぐつもり。帰国は一ヶ月後の予定”

 

簡潔といえば聞こえは良いが、素っ気ない文面である。それを読む遠坂の人達の反応は様々だ。好意的な面々が多い仲、凛のみ苛立ちを隠さない。辛うじて堪えるものの米神の痙攣が治まらなかった。

 

「迎えに行ってくる。帰りにまた2年掛けられたらたまらないわ。ライダー。その手紙を綾子にも見せてあげて。教育実習の励みになるから」

「分りました」

「キャスター! 供をしなさい!」

 

凜はおもむろに立ち上がると、両手両足を乱暴に振ってリビングを後にした。付き従うキャスターは澄まし顔だが、その物言いには意地の悪さがあった。

 

「どちらへ?」

「ロンドンに決まってるでしょ! あの放浪バカ探して捕まえて連れ帰るのよ! ランサーが刻んだルーンの石(マーカー)を捕らえるのにアンタが必要なんだから!」

「凛様。やはりルーンは必須科目にするべきです。不得手だと避けていては大成も遠のきましょう」

「うっさい! 母さん、留守番お願い!」

「はいはい」

 

娘を見送る葵は笑みを絶やさない。苛立ちを表す言葉とは裏腹に、凛の表情は既に安堵一色であった。リビングのソファーに腰掛ける桜はその手紙を持ったまま微動だにしない。

 

「サクラ?」

 

どうしたのかとライダーが覗き込む様に桜の様子を伺えば、兄の手紙に雫がポツポツと滴った。彼女は笑顔で泣いていたのである。

 

“P.S.桜へ、お袋と和解した”

 

その家の庭にある一本の桜は咲いていた。聖杯戦争が終わり4度目の春であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。

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