明けぬ夜の宿痾   作:moti-

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 最近執筆してなかったのでリハビリがてらお話作りと文体をちょっとだけ調整する感じの習作です


第一章『明けぬ夜の宿痾』
抜錨


 現代日本に生まれた人間は、自分が恵まれているという自覚を持たない。

 一定水準を越えた裕福はさらに上への渇望を生み出す。それが健全でないなどと無責任なことは俺にはいえない。

 絶対の尺度がない。だから、健全とも健全でないともどちらとも言える。口ならば。

 

 発展は競争から生まれる。

 裕福でない人間は生きるのに必死で先が見えず、裕福な人間に搾取される。裕福な人間は上を見据えて競争へと身を投げ出し、そしてさらに裕福になるものもいれば特権を失うものもいる。

 この構造を考えるに、貧乏なものに生まれたということはその時点で大きなハンデを背負っている。生きるのにも困るほど、という注釈がつくが。

 だが、それでも現代日本ならばその格差は基本的に均されており、かなり安定しているほうだ。下をピックアップしても上をピックアップしてもきりはない。今はそういう話をしていない。

 中央を見れば、それなりに高いほうのはずなのだ。

 

 そして俺は今日、中庸も中庸の平均らへんの立ち位置からがらりと落ち込むことになる。

 身分証もなにもかもが意味を持たなくなった。

 白紙のほうがまだなにか書けるぶんだけマシだろう。財布のなかからひっぱりだして、そして投げ捨てる。今の俺には意味のないものでしかない。

 

 なんとすれば。

 俺の体は、昨日までとはまったく違っているのだから。

 

 性別から、顔立ちから、なにからなにまで違う。

 同じことといえば中身と、そこに起因するんだろう顰めっ面だ。

 猫背はぴっしりと正されている。意識しなくとも勝手に背筋が伸びる。軽く揉んでみたら柔らかい肉であるのに、疲労の蓄積が少ない。自分が何の苦もなく腕立てを百回も行えるなど異常だ。

 

 そして鏡を見る。

 そこには肩口あたりまである派手な赤髪を揺らし無防備にも肩口を露出し、胸部をこぼしかけている女がいた。

 無地のTシャツに身を包みトランクスで局部を隠しつつもふとももなどの肌の露出は多い。

 有り体にいってズボラな女、あるいは痴女の容貌である。

 これが俺だというのだから世の中というものは複雑怪奇だ。

 

 明らかな変容は俺を社会から追放した。

 元より馴染めているとは言い難かったが、それでもこうして強制追放されると不満のひとつやふたつは溢れてくる。

 家族にはバレたくない。

 いつか再びもとの体に戻るまでは今の自分でないといけないのだ。

 

 仮に。仮にだ。

 仮にこれが「勘違い極まった残念女」の容貌でなく「強くてカッコよくてイケメンで天才男」だったらまた話は違っていた。

 それならば俺もイメチェンで通せただろう。そして家族にも普通に話すことができたはずだ。

 だがこれは違う。こんな尻軽みたいな顔立ちになってしまった以上、俺はこの悩みを打ち明けることもできないままに抱えて埋葬しなくてはならない。

 

 この異常がいつまで続くのかはわからない。

 ただ、そんなにすぐには戻ることはできないだろうという確信がある。どうしようもない。ああ、本当にどうしようもない現状だ。辟易する。

 そうなると仕事は確実にクビになる。問われたら失踪した体でいこう。

 食い扶持を稼がなければならない。それが目下最大の課題だ。貯金はない。散財した。趣味にでもしようと思っていた動画投稿のために専用のPCなどを用意したのだ。

 

「…………」

 

 そこまで自分で考えて気づく。

 食い扶持を稼げる可能性はまだあった。

 幸い、こういうのは女のほうが有利なところもあったりするのだ。

 

「あー、あー」

 

 声を発して軽く確認。

 甲高くて耳障りな声にはなっていない。むしろ女性にしては低めの声だ。

 これならばまぁ、なんとかなるだろう。

 

 俺が動画を見るときに一番大事だと思うのは、「不快でないこと」だ。

 その「不快」を決めるのはそれぞれの部分である。

 だが俺は少なくとも甲高くやかましい声は嫌いだ。頭に響く。不快でしかない。

 そして次に滑舌だ。

 声の聞き取りやすさは大事である。だがそれは基本的に声質による部分でもあるし、どうしようもないところだ。

 このふたつに気をつけることを意識する。

 

 アカウントを立ち上げ、カメラを用意した。マイクもセットする。ここまではすぐだ。

 なぜカメラがあるのかといえば元々は商品紹介として万年筆について語ってみようかという考えもあったためである。

 なぜ今それを出しているのかといえば、見目を活かすためだ。最低限顔だけはいいのだから最大限に利用しようと決めた。顔と声がよければ一定数の需要にはマッチする。そのうえでいかに面白さを演出できるか、そこが各々の個性の出し方だと思う。

 先程から述べているのはけれど持論だ。俺の思ったとおりにうまくいくようなことがあるはずもない。

 世の中はうまく行かないことばかりだ。俺がこんな姿になってしまっていることもなにもかもを含めて。きっと、こんなはずじゃないことばかりだった。

 

 準備ができた。

 さぁ始めよう。

「はじめまして──」

 

 

 

 

 人生初の動画撮影は、なんとも勝手がわからずに編集も含めて日が暮れてしまった。

 冷蔵庫にはなにかあった気がすると一縷の望みにかけて覗けば、そこは見事に伽藍堂だ。仕方ない。外に出るしかない。

 適当にこれまで着ていた服を引っ張り出す。丈は合わずにぶかぶかだ。腰回りも大きく違う。ベルトを三周ほどして、辛うじてズボンを止める。

 羽織るのはコート。それならばTシャツを下に着てても無難に決まるし、ポケットも多めでちょっとした買い物ならカバンを持ち運ぶ手間もない。

 エコバッグは包んでポケットの中に放り込んでいる。だから、これだけ着込めば買い物だけなら問題無しである。

 

 家から出てみれば、いつも通りの街の風景とはちょっと違っていた。疑問に思うがすぐに解消される。身長が少し縮んでいるのだ。視点にわかりやすく差が出るほど。

 今も一般的な女性からすると普通に高い部類に入るだろうが、昨日までは百八〇はあったはずなのである。

 そんなことでセンチになるほど軟弱な精神をしているわけでもないので気にせず歩いた。

 身長は低いが、脚の長さはそれほど縮んでいなかったのが救いだ。使い込んだ経歴のある裾を折りクロックスを雑に履いているのを見れば、お洒落なんかには無頓着というのが丸わかりだろう。

 この顔にはミスマッチかもしれない。そう思いつつ、俺は歩いた。

 人とすれ違うこともある。その囁きが俺を指しているように感じる。

 それは自意識過剰だろう。そう理性が述べるものの、俺はその悪い錯視を拭えないでいた。

 昔からそうなのだ。陰口は俺を指していると思ってしまう。そう思ってしまうのは俺の心が矮小で醜いものだからだろう。自分自身ですら無意識に屈伏しているのだ。だが曲げる気も曲げられる気もしなかった。そんなことができるのなら、とっくの昔にしていたから。

 

 赤い髪は目立つ。闇にも映える。染めたような暗い赤ではなく、自然体の真紅だ。それが悪いことなのかいいことなのか、俺にはよくわからない。

 ただ一つわかることもある。人は明確に異端を阻む。

 俺は今日道を外れた。踏み外して異端になってしまった。

 これからは俺も拒まれる側である。そう思うと気が滅入った。──悪い予感は拭えないものだ。俺のような人間は拭えないのだ。それに縋っていないとやってられないから。

 それは心を自ら抉る自傷行為にも似ている。

 気付けるのは俺だけだ。けれど止められるものは誰もいない。

 そういうものなのだと、微細な実感だけが肌を刺していた。

 

 やはり周囲の視線が気になるので、コンビニで晩飯は買って済ませた。

 適当にもそもそと食べながら投稿した動画の成り行きを確認する。

 登録者は20人。一日めにしてはかなり伸びたほうだろう。どころか相当増えた。普通、こんなに伸びることはない。

 やはり女というのは得だ。冗談である。俺が女になってよかったことなんてこれくらいでしかない。そもそもこんなことは女になってなければまともにやるつもりもない。

 本来なら夢だの希望だの趣味だのでこういったものには手を出すのだろう。

 けれど俺は違う。必要に駆られて選択した。

 大丈夫。まだ少しの間なら生きられる。

 それまでにどうにかならなければそのときは恥を偲んで頼むか、外でどうにか働く方法を探すだけだ。そしてどうせ後者になるだろうと思っている。

 

 夢みがち。

 結局治っていないのかもしれない。

 ああ、俺は大馬鹿者だ。夢を馳せる以外になにもない。

 なんの取り柄もない俺でしかない。

 そんな俺も、一つだけ夢は見たかった。

 

 今のこの様を子供のときの俺が見たらどう思うだろうか。

 無様だと笑うだろうか。

 それでもいい。ただひとつ、俺はたしかに見たかった。

 俺でない俺が見たかった。

 

 

 

 

 二日目だ。

 朝起きて、手始めに動画の伸びを確認する。そこそこだ。そこそこ伸びている。コメントも付いていた。確認すると、淡白ながら確実な応援コメント「がんばってください」。

 特にそれで感じ入るなにかがあるわけでもないが少し目にゴミが入った様子。一分ほど、あるいは一秒ほど眺めて新しくブラウザを組み立てる。

 

 ツイッターを適当に登録する。名前はYouTubeのアカウントと同じにする。なんだったか。

 ああそうだ、「ハピコチャンネル」だ。頭が()()ーな女の()。名前なんて記号でしかない。いずれ変えるだろうし、今はこの適当さくらいがちょうどいい。

 ホーム画像は雑に自撮りした顔写真。

 

 探れば被っている投稿者だって存在するだろう。

 そんなのは知ったことではない。名前被りを避ける理由なんてない。

 最終的に求められるのはコンテンツとしての面白さだ。

 結局、動画投稿者なんてやっていることは檻の中の動物かピエロくらいのものでしかないのだから。

 それか愛玩動物。

 

 ガワが良ければいいというわけではない。

 キャラクターがそれなりに見世物としてできていなくてはならない。

 それを媚びているととるものもいるが、それは相当難しい。昨日やってみてよく実感した。

 求められるキャラクターを素でもなんでもできてしまう人間は、その素質を持っている人間というのは希少なのだ。

 

 少なからず俺は無理だった。厚顔無恥にはなれなかった。昨日の動画だって自己紹介動画だというのに最終的には長々と考え事について話してしまったのだ。

 俺は人よりもよく考える。

 後先は考えない。考えるのはどうでもいいことだ。存在の理由についてだったりと、お洒落気取りが好きそうなサムいやつ。

 けれどもそれは俺にとって大きな意味を孕んでいる。

 

 俺は知りたかった。何のために生まれて、何のために生きればいいのか。俺のような欠陥品が行き着く場所として思索というのはなによりも幅広く開けっぴろげでインスタントな界隈でもあった。

 なにせ自分の脳内で完結する。

 世界が自分の頭だけで完結してしまうのだ。

 特殊な道具なんていらない。

 それっぽいことについて、現実だの他人の主張だのを無視しながら自分の世界観を押し付ける。

 そういうものがそこにはあった。

 

 うっかりと初ツイートに長々とぶらさげてしまった。

 終着点が見つからなかったため、無理やり理屈をつけて中断する。

 

「はぁ」

 

 なにをやっているんだろう。

 後ろに倒れ込みながら思った。一体なにをやっているのか。時間を無駄にした気分だった。

 現実は甘くはない。長々と書き連ねたことでも、誰も見なければ意味はない。

 すべてが無駄で、無意味で、どこにでもあるありふれたくだらない一つの雑語り。

 どうせ誰にも反応されるはずがない。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格者さんがあなたのツイートをリツイートしました』

 

 俺は天才だ。天上天下唯我独尊。俺の後ろには轍が残る。万物が俺の後追いとなるのだ。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格者さんにフォローされました』

 

 調子乗った。ごめん。

 俺の増長はフォローという行為によってぴたりと抑えられてしまった。

 そりゃあそうだ。なんせ、フォロワーが十万を越えているような相手なのだ。

 どうやって捕捉されたのか、なんで捕捉されたのかわからない。

 俺のような弱者はただ黙してがくぶると震えるだけである。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格

 くっっっっっそタイプです

 結婚を前提に結婚してください』

 

 俺は黙って打ち返す。

 

『ハピコ

 ごめんなさい』

 

 一応ありがたくは思っている。

 こいつのおかげでどんどんとフォロワーも増えているのだから。

 

 

 

 このときはそう思っていた。

 だが俺は後悔することになる。

 

 俺は甘く見ていたのだ。バーチャル界隈に存在する『てぇてぇ』という概念を。

 それは男同士にすら適応されてしまうというのに、今は女の見た目である俺が組み込まれない道理はなかったのだ。

 すべてはこの男のせいである。




 めんどくさい主人公って書いててたのしいですね

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