明けぬ夜の宿痾   作:moti-

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たのしい休日

 文具屋は好きだ。

 

 あの雰囲気が好きだし、インクの香りが染み付いたような木で出来た床板を踏みしめて歩くのも好きだし、そうじゃない全国に出店しているような店だってずらりとペンが並んでいるのを見るのは壮観だ。

 それにあちらこちらと目移りしながら色々と探すのは楽しい。あれだけたくさんある中から目当てのペンを買いに行く楽しさは、他のものではあまりないだろう。強いていうならば本屋の感覚に近い。

 

 だからじぐざぐ生歌配信企画三日前、久々に家にいたなふだといつもどおりの善悪に文具屋に行こうと誘われたときは二つ返事でオーケーした。

 

 ──その決断を今、少し後悔している。

 

「見てください先輩。新発売ですって」

 

「なるほど。試筆出来ない? あ、あるわ。んー、滑りすぎるしグリップもちょっと痛くなりそう。俺には合わんな」

 

「えー、このさらさら感がいいのに。グリップも金属製で高級感あっていいじゃないですかー」

 

「低粘度油性インクはあんま得意じゃないんだよ。高級感あるのはわかるけど」

 

 話についていけない。

 最近筆記用具なんて漁ってなかったから全くわからない。現場で字を書いたりするので一本は持っていたが、それにしたってずっと同じものを使い続けている。SARASAすき。

 だから、今こうして話していることの内容が全くわからない。

 

 いや、わからないということはない。一応少しはわかる。わかるが、ペンの使い心地に関してなど今まで全く気にしたことはなかった。慣れなくても使っていたらそのうち馴染むからだ。だからこそ、自分の好みをこうして持っているというのが既にもうわからない。

 

「えーと、なになに、値段は……2200円!? 高くね!?」

 

「……?」

 

「……? なに言ってるんですかハジメさん。こんなのまだ安いほうじゃないですか」

 

 安いの? 金銭感覚がおかしいだけじゃなくて? というかふたりとも普段文房具使うの?

 

 いやまだなふだはわかる。彼女はなんか白衣とか似合うタイプの女史だ。だからこう、メモを取る姿は容易に想像できる。問題はもう片方だ。

 顔だけは結構整っている。それだけ見たら落ち着いた感じの顔で、書斎で何かペンを使ってしたためていそうなのはまぁ肯定しよう。でも普段の生活がダメダメなせいでペンを使って何かを書く姿というのが想像できない。

 

「そもそも俺ピュアモルト4&1持ってるからこれ以上は別に増やさなくてもいいかなぁ。……あーでも軸いいなぁ。買お」

 

「私も買っときましょうか。ピュアモルトって木の温かみはありますけど金属も良くないですか?」

 

「どっちも好き。ただ木軸の手触りが好きだからそっちのほうを結局使いそう」

 

「まぁそこらへんは好みですよねぇ。あ、ハジメさんも買っときます? なんなら買ってあげましょうか?」

 

「え、あ、いや、いいよ。あんまり字とか書かないし」

 

「それは大変ですね」

 

 食いついたのは両方。釣り人なら喜んでいるところだろう。あいにく俺はそうじゃないしどっちかと言えばこれに食いつかれるのは勘弁してほしかったからお手上げ。

 

「ハジメさん。いいですか、字っていうのは一つの発明なんですよ。わかるでしょう? 普段いっつも思考をまとめたりするじゃないですか? そういうときに紙にペンで書いたら思考の広がり方もまた変わってくるしなんなら少し楽しくなってくるんですよ。

 私たちも配信の企画をまとめたり話す内容をメモしたりしてやったりすることあるんですよ。どうでしょう。ハジメさんもこちらに。

 それにハジメさんの場合は動画のネタにもできるじゃないですか。どうですか、ここは一つ勉強と思って」

 

「よしわかりました。金銭的に厳しいと思うのなら俺たちが払います。なのでハジメさんもこっちに……今だ……引きずりこめ……! 沼に溺れろ……!」

 

「え、えええ?」

 

 両腕をがっしりと掴まれた。振りほどこうにもとても強く握られている。ちょっと痛い。

 なにより執念を感じる。怖くて手に力が入らない。いや別にビビってないし。ちょっと二人に気圧されてるだけだし。ビビってるわけではないし。

 違うから。

 

 でも二人は怖いが、考えをまとめるのにペンを持つのはなんとなくいいなと思った。

 書斎というわけではないが、テーブルに向かってペンで自分の思考を書いてまとめる。すごくかっこよくて心惹かれるではないか。

 

 メルストのノンちゃん先生も万年筆集めが趣味らしいし。

 

「じゃ、じゃあわかった。それで」

 

「ではどれから見ていきます? 思考をまとめるのなら無難にシャーペンから行きますか?」

 

「でもなぁ。シャーペンって極論を言ったら書きづらいペンなんだよな。消せるっていうのが特徴なだけで。そう考えるとフリクションってやっぱりすごいと思うね俺は」

 

「この先輩は無視していいですから。個人によって好みの書き味は違いますし、シャーペンの心地が好きな人もいるんですからそうやってインクで書く頭をそろそろ解凍しといてください。先輩、値下げ」

 

「なんで??」

 

 ということで、シャーペンコーナーに向かう。

 たくさんのペンが棚に立てられているのを見ると、やはりどこか心踊る感覚がある。

 

「うわー、懐かしい。俺の中学ではこれ使ってたやつ多かったよ。ドクターグリップ」

 

「やっぱり人気ですねぇ……あれ、クルトガじゃないんですか?」

 

「ん? あー、それは俺が学校やめてから流行ったやつじゃない? テレビで見たことあるわ」

 

「……あの、失礼ながらハジメさん」

 

 なふだが微妙そうな顔をしてこちらを見た。

 

「何歳ですか?」

 

「二十八」

 

「見えなっ……! 嘘でしょう、普通に年下かと思ってました……」

 

「地味に俺より年上ですね……二歳差だ」

 

「私なんて八歳差ですけど? え、冗談でしょう? ハジメさんそれにしては……なんというか……」なふだが言葉を選ぶように、口をもにょもにょさせて。「……難儀ですね?」

 

「なんぎ」

 

 だろうか。いや自分でもうじうじクソ野郎っていうのはわかってるんだ。性分なせいで治らないだけで。

 でもこうして他人に指摘されると凹むというかなんというか。

 

「あ、あー! 泣かないでくださいよ、私が悪かったですから……!」

 

「泣いてないけどぉ?」

 

「めっちゃ目が潤んでるじゃないですか」

 

「なーかしたーなーかしたー、事務所に言ってやろ」

 

「先輩値下げ。五百円の男ですね」

 

「ワンコイン!?」

 

 ワンコインの男っていうとなんか響きが良くないからやめろ。

 そもそも泣いてないし。

 

 周囲を見ていると、懐かしいものを見つけた。中学時代に愛用していたシャーペンだ。

 

「これ好きだったなぁ」

 

「えーとこれは……ああ、グラフレットですか。なかなか珍しいの使ってたんですね……?」

 

「親がね」

 

 くれたんだ。今となってはどこにあるのかわからない。

 シャーペンは使わなくなって久しい。途中から、ボールペンのほうがさっと書くだけなら楽なことに気づいたからだ。

 だから家にはシャーペンはない。

 けれど、こうしていざ触れてみるとまたほしくなってくるものだ。これは買っておこう。

 

「……でも、こんなに種類あるんだな……」

 

 0.3から0.9まで。昔使っていたのは0.5だったと思うが、それにしてもこれだけの量を見たらまた別のものを使ってみようかとなる。

 特に0.4なんか見たこともない。とりあえず手にとってみた。

 

「0.4ってどんな感じなんだろ」

 

「気になるなら全部買っちゃいます?」

 

「大人買いってやつか?」

 

「大人の特権ですよ」

 

 どうせあんまり使わないだろうが、言葉に甘えてあったぶんだけ全ての芯径を買っておいた。

 文房具に払うには結構な金額だが、たまにはいいだろう。

 そもそも今は比較的にお金が有り余っている。これも二人が俺に食費を負担させないせいだ。動画の広告料金だけで暮らせる程度にはあるのに安くて食費も持っていないのだからそりゃあそうもなる。

 

 でも俺でそれだけもらっているのなら二人はどれだけ稼いでいるのだろうか。

 すこしうずっとした。収入を聞くのはマナー違反なので留めておいたが、今度きっかけがあったら絶対に聞き出そう。

 

 ……プロのヒモという言葉が聞こえてきた。気のせいだ。きっとそうに違いない。

 

「他になんかおすすめのシャーペンってある?」

 

「初心者におすすめなのは……スマッシュとかですかね?」

 

「俺はオレンズネロめっちゃ好きですよ。ノックなしで絵を書き続けられるし」

 

「でも芯のコスト高くないですか? それに落とすと危ないでしょう」

 

「壊れたら買い換えよう」

 

「3000円をですか? ……でも使ってみるとハマると思うんですよねぇたしかに……」

 

 と、言われて見に行く。別の場所にあるようだ。そっちに向かうと、置かれているのは黒い箱。

 芯径によって分けられているようだ。でも三つあるのは一体何なんだ。どれがいいんだろう。

 困って善悪を見ると、彼はこちらにウインクをしてから頷いた。その動作は癖なんだろうか。それをやったときのお前にいい印象がないんだけど。そういう言葉も出てこないまま、やつは言った。

 

「全部買っちゃいましょう」

 

「シャーペンで9000円って馬鹿じゃないの?」

 

「それ結構博打でしょう……?」

 

 少し考えて、俺は言った。

 

「ならこれから俺をその気にさせるプレゼンをしてください」

 

「イラストの練習にとにかくいいです。一度ノックしたら芯が切れるまでノックしなくていいので快適に筆記が出来ます。線画の細い線なんかも細い芯のやつ使えば大丈夫ですし」

 

「買った」

 

 魅力をよくわかっている。果たしてほんとにイラストの練習にいいのかは置いておいて、俺をその気にさせるやり方をよく心得ている。

 

「オレンズネロってイラストにいいんですね?」

 

「少なくとも俺は好きだぞ」

 

 まぁお金余ってるし。課金とかに使うよりは建設的だろう。

 服はなふだに買ってもらっているから問題ない。

 

「シャーペンはこのくらいでいいかなぁ」

 

「まぁあとは気になった時に買いに来ましょう」

 

「わかった」

 

 次はボールペン。これに関してはSARASAでいいと思ったが、とりあえず勧められたジェットストリームとアクロドライブとエナージェルを買った。なんか一つ単色でめちゃくちゃ高いんだけど。普通のアクロボールじゃ駄目だったのか。

 

「あ、じゃあフィログラフィ買っときます?」

 

「いえ…………」

 

 流石に二千円代をそんなに大量に買う気はない。

 

「いやでも最初に一本持っとくと楽なんですよ……ほら限定色がありますよ……ほら……どうですか……?」

 

「そんな餌で俺が……いや待ってなんだこの色めっちゃ好きなんだけど!?」

 

 買った。

 

 

 

 

 

「ってことでいろいろ買っちゃったんだよなぁ。楽しかったけど」

 

 『買ったのか……』

 『話に出てきてるよりもはるかに大量に買ってるんですけどそれは……』 

 

「……いやね。ちゃんと自重しようとは思ったんだよ。でもあの二人がすごく楽しそうに紹介してくるから……」

 

 声音ではあんまりわからなかったけど相当ニコニコとしていた。というかあのあと一緒にお昼を外で食べたときまでにっこにこだった。

 それはオムライスを頬張っていた俺が子供っぽいという理由じゃないはずだ。いやオムライスなんて誰だって食べるだろ。何が悪いんだくそう。

 

 『万年筆まで買ってるの草 いくらエントリーモデルっていっても一万円はするのに』

 『ノートもたくさんですね……』

 『総額は?』

 

「ナイショ」

 

 少なくとも文具で飛ぶような額ではなかったと思う。どうしてそんなに買ってしまったのかわからない。

 後悔はあんまりないけれど。

 

「なふだがさぁ。あんなに楽しそうなのは見てて楽しいよ。善悪のやつもさ。だからついつい俺も楽しくて買っちゃったの」

 

 『おっ』

 『これはデレ……デレ……』

 『やっぱハピコちゃんかわいい!』

 『ハピコちゃんかわいい!』

 

「それを共通の合言葉にするのやめようか」

 

 ちょっと顔が赤くなっているのは気のせいだろう。たぶん部屋があついんだ。換気するべきだろうか。

 

 『半丁善悪:ハピコちゃん、かわいい!』

 『術楽なふだ:ハピコさんは実際すごくかわいいです』

 

「やめようって言ってるじゃんか」

 

 『顔真っ赤……これは……りんご……!?』

 『てぇてぇですねこれは……』

 

 やめろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもどおりに配信が終わって、二人がこちらの部屋に入ってくる。二人だって個人の配信があるだろうに、と思うが、二人の場合は深夜らへんにやっているので時間は被っていない。

 今は夜が始まろうとしているころ。テーブルを三人で囲んで、夕食が始まる。

 

「今日は手抜きでカレーです。すみません……」

 

「いやいいよ。二人とももうすぐ本番だろ? 別にそんなこと気にしないでいいって。

 それに俺、カレー大好きだし」

 

 早速一口目。

 

「……辛くない?」

 

「中辛です」

 

「辛いよ?」

 

「中辛です」

 

「おかしいなぁ」

 

 昔よりも辛さに対する耐性がなくなっているのか。量自体はこれまでとあまり変わらなかったから、ここにきての味覚の変化の自覚に自分でもすこし驚いた。

 

「っふ、ふふふふ!」

 

 笑うところじゃなかったと思う。少しむっとして抗議になふだの足をつま先で突っついた。

 反撃に親指で足裏を擽られて敗走。

 

「……ハジメさん、かわいい」

 

 善悪がしみじみと呟いた。だからそれは気のせいだって。やめてくれ。

 俺は普通の反応をしているだけだ。なにより純粋で当たり前な反応をしているだけだから、そうして何か言われるようなものじゃないのだ。

 だからその『かわいい』は気のせいでしかない。

 

 それに対して俺はあまりなにも感じていないけど。

 それにしてもあつい。辛い物を食べたせいだろう。特に顔が熱くて、手で仰ぐのだった。








 今日は少し突き刺さることもあって異常に暗いことになりそうだったので辛気臭い路線はお休みです。Twitterのトレンドの例のあれですが。

 なのでちょっと楽しいことを。
 今回こんないろいろ書いてますけど私の一番思い出深いペンは友人からもらった百円のペンです。店頭から消えて入手不能になるまでは持っていようと思います。

番外編をするとしたら

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