注文したコーヒーが届いてから少し。どちらともなくカップに口をつけて、俺はテーブルに肘をついた。軽食も注文しているから、それが来るまで待とうかとも思ったが……別に社外秘の話をするというわけではない。というか、向こうから案内したのならばそこらへんの事情を汲んでくれる店なのだろう。さっさと話すことにする。
現状の俺の青玻璃カイラへの印象といえば、変な人間だ。その印象が強すぎる。だが少なからず有能なのだろう。『じぐざぐ』の統括をしているということは、採用を決めたのは彼のはずだ。つまり見る目はある。そのうえで、あのアクの強いメンバーをまとめることができるくらいには信用を勝ち取っている。
それはつまり結果を出しているということだ。
二人からは彼の話は聞かなかったが。
「で、関係性っていうのは……突き詰めるとなふだと善悪についてのことですよね」
「いえ、今となってはその限りにありません。最初はそれだけのつもりだったんですが──気づけばメンバー全員があなたに惹きつけられている。
かく言う僕だってその枠の中。全く恐ろしい。ロックンローラーになったら大成するんじゃないですかね? あ、敬語要らないですよ」
「オーケーわかった。ロックには心惹かれるがなんねーよ。悪いけども俺にはそんなセンスがねぇ。
それに、俺は別に好かれるようなやつじゃないと思うけどな」
「なんとなく原因は察してますよ。あなたは常人が足を止めるところを踏み切って、常人が踏み切るところで足を止める。
あなたにできることはたいていの人ができなくて、あなたにできないことはたいていの人ができる。だからこそ、あなたに惹かれるんでしょうね」
「自覚はあるさ」
自分が偏っていることくらい。
俺にできることをできない人がいる。
俺にできないことをできる人がいる。
それは当然だ。人間なのだから、得手不得手が存在することくらい何より当然で純粋な当たり前でしかない。
俺は特別じゃない。特別な人間というのは、見てわかるものだ。
俺は特別を知っている。なんでもできてしまうような、器用貧乏が極まって万能な人を知っている。あるいは一つの方向に伸び切りすぎて、他人をぶっちぎってしまっている人を知っている。
──俺は特別じゃない。それは間違いようも、疑いようもない事実。けれど外れている自覚はあった。むしろそれ以外にはなかった。
それ以外にはない。ないんだ。
「あなたがこのまま活動を続けるならば、世界が目を離せなくなる。これは間違いない。老若男女関係なしに、あなたは世界を熱狂させるような魅力を持っている。
だからそうなったとき、あなたに近い二人は──どうなるでしょうね。どころか、鈴音涼……戦場連理にだって問題が出てくる。それ以外にも今後あなたに深く関わるだろう人たちはうちにはたくさんいます」
「身バレ問題ね。それは俺だってよくよく考えてたよ。なにぶん無駄に目を惹く見た目だ」
「……あなたは、自分の見た目が好きじゃなさそうですね」
「嫌いじゃないぜ。便利だし」
ふぅん、と彼は言った。軽薄な笑みを顔に貼り付けて、彼は自分の紅茶に口をつけた。
「一応、折手さんなんかはそこらへんを気にして不干渉の姿勢を見せてますよ。さっきの挨拶のときの、そっけなく感じたならすみません。僕から謝っておきます。
ただ、今のところあなたと関わることに対して生まれる不利益がよく読めない。特にバーチャルYouTuberなんていうジャンルの……要は、キャラクターになりきって他人に売り出す仕事をしている私たちの場合、あなたと関わると顔バレの恐れがありますよね。
そうなったら痛手だ。この業界に関しては、メディア露出が受け入れられている声優などのように割り切ることのできない業界なわけです。本人のキャラクター性も特に重要視されますしね」
「わかってるって。それでもって、俺はあんまりにも警戒心がないからな。心配する気持ちはよく分かる。で、そっちはどういう案を思いついたんだ?」
「あなたをライバーとして受け入れる」彼は即答した。「これが僕にできる提案ですが」
「悪いけど、VTuberになろうとは思わない」
「でしょうね。そしてこれは『じぐざぐ』的にも取りたくない案だ。
うちのライバーは基本的に、配信未経験者──いわば素人から選んでいるわけですよ。
それぞれの個性をそのまま描き出すから、顔が割れてしまっていたら連想されやすいかもしれませんし。
あと単純に──VTuber以外で人気を出せるのなら、そこにVTuberである必要はないってね」
「他所を否定してないか?」
「他所は他所ですよ。うちはうちで、うちの方針がそれだ。演者の個性を色濃く映し出す──それはつまり、その当人にしか作れないものを作ってもらう。その手助けをするのが僕たちだ。つまり、手助けが必要のない人達に関しては取らない方針をしています。既にその世界を作っているんだから。
当然、バーチャルでしかできないことを真面目に追求するタイプの人もその中にはいるでしょう。
でもそういう人は他所に行ってもらいたい。その情熱があるのならきっと他所ででも取ってもらえるでしょうしね」
「へぇ。シビアなんだな」
「僕はね、自分で飛べる人はそうするべきだと思ってます。
──翼が折れた。育ってない。折られた。そういう人たちだからこそ、僕たちのような手助けが必要なんですよ。……善悪さんの過去は知ってるんですっけ?」
「うん。教えてもらった」
他人を愛していたら、自分を失ってしまった人。
自分を失ってしまったせいで、夢を失った人。とても弱いし、脆い在り方。まるで俺みたいだ。いや違う。俺と同じなんて、そうやって彼を貶めるわけにはいかない。
「彼は飛べなかった。だから、僕は彼を選んだ。そうして僕が選んだ彼が、今あなたの手を引いて飛び立つ手伝いをしている」
「まぁ、あいつがいなかったら間違いなく俺は伸びてないわな」
「あなたの部屋の隣に引っ越したのは驚きですけどね。それになふださんがついていくのも意外でした。でも考えてみればそりゃあそうなんでしょうね。あるいは彼女だからこそ、といえばいいのか」
「……はぁ。いったい何が言いたいんだ? 脱線してないか?」
「おっと失礼。まぁ、そういう意味で……あなたには僕たちの助けは必要ない。むしろ『じぐざぐ』のみんなにやってもらったほうがいいでしょうね。あなたは翼があっても、飛び方がわからない人間ですから」
ああ、そういう意味ね。つまりはその結論に持っていくために長い話をしたというわけだ。
どうも彼は一つの話を長々と話す傾向にあるようだ。むしろ彼自身が配信者向きではないだろうか。
注文していた軽食が来た。
彼がサンドイッチ。俺のほうにあるのはいちごのパフェ。
「いちご、好きなんですか?」
「ん? うん。甘いものは好きだよ」
この体になってからは特に。昔はあんまり甘すぎると吐きそうにもなったが、今では全然そんなことはない。
むしろ体がもっとと求めるくらいだ。太らないのだろうか。
大きめなアイスをえぐりとって、スプーンを口に運ぶ俺を見ながら彼は言った。
「ところで」
「ふむ?」
「善悪さんとなふださんに対してどう思ってるんですか?」
「好きだよ」
即答した。即答できた。
「俺を置いていかないって、約束してくれたし」
「リア凸されてるのにも関わらず?」
「でも結果的にいい友人だ」
「本当ですか? 利用されているとは考えないんですか?」
「俺のなにを利用するってんだよ。……そもそも、そんなやつがさ。『一緒に寄りかかってみて、倒れたとしても、二人で空が一緒に見える』だなんてこと言うもんか」
「…………。なるほど。すみませんでした」
いきなり頭を下げられる。え、なんだろう。少し驚いて、とりあえず口にパフェを運ぶ。クリームの甘さといちごのソースの酸味が絡み合って、幸福感を感じる。よし、落ち着いた。
「……いきなりなに?」
「身バレ対策と、もし身バレしたときの対応は全部僕がどうにかします。ですのでハピコさん」
そう言って、彼は手を差し出してきた。
「『じぐざぐ』プロジェクトの特別協力者として公式に認めるということでどうでしょう?」
「え、それ根本的解決にはなってなくない?」
「いえ、解決しますよ。これはつまりハピコさんがうちと公式に関係を持つということ。これまで部外者だったハピコさんに対してリソースを使えるほど余裕があるわけでもない。ですが、こうなると部外者ではなくて『重要な関係者』としての立場に置くことができる。つまり」
彼はにやっと笑って。
「──僕が全力で動けます」
そう言った。
それはどこまでも不遜なようで、けれどすさまじい説得力を持って語られた。
彼がどれだけ動けるのか、その言葉がどれだけの意味を持つのか俺は知らない。けれど、こうして語られたということは──おそらくは、彼は相当に自信があるのだろう。
それもおそらく、実力に裏付けされた自信だ。
「エクセレントな解答だ」
だから俺も笑った。少しばかり気取った返しだったかもしれない。
「パフェ食べながら言われましても……」
「うるせぇやい」
せっかくカッコつけたんだからそんな微妙そうな目はやめてほしい。別にそう間違ったことも言ってないしちゃんとカッコついてただろ。いや割とマジで。だからそんな目をするのはやめるんだ。
やめろ。
挫折。
誰にだって経験があるだろうそれ。俺にだって覚えはある。
それを抱えた人間が『じぐざぐ』のメンバーとして選ばれるのであれば、それは俺とそのメンバーに似ているところがあることの説明がつくだろう。
成功することができなかったもの。
凡庸に終わっただけのもの。
俺はどちらかといえば、成功することができなかったほうだ。さながら何年も観客のない路上ライブのミュージシャンのような。そんなものだ。
それに価値があるとするのなら、その成功法を見いだせるというのなら、そのときにほしかったと思う気持ちはなくもない。けれどそんなのは不可能だ。すべては終わってしまったこと。誰かがあとから介入しようにも、俺の抱えた問題はねじれ、こわれ、ぐちゃぐちゃになってしまったものだから。
どうにもならない。
簡潔に述べるとするならば。
俺はタフにはなれなかったのだ。力強く、太く、折れない。そんな人間にはなれなかった。むしろその真逆だ。ぐにゃぐにゃと曲がるような人間にしかなれなかった。
とびっきりキツイ人生をこれから先送りたい。そう思ったとしても、実際にそうはなれなかった。その現状になったとしたら弱音を吐いた。そんな、とびっきりにへたれたとびっきりなクズの俺を、昔の俺なら嗤っただろうか。
肯定はしなかっただろう。
それでいい。もはや、過去の俺と今の俺は別人だ。昔みたいに真面目なところもなく、進歩することもなく停滞を続けている。それが俺だ。
変わることはない。きっと死ぬまで、あるいは死んでも、俺が俺である以上一切変わることはない。
漫画やアニメなんかでクローンが出てくることがある。俺のクローンが出来たとして、それがいまこうして何か同じようなことを考えているとして。それで偽物は本物には敵わないなんてことを思ったとして。
そうはならないだろう。俺はきっと偽物にも劣る。俺が俺であることがこうして駄目であることの原因ならば、きっと俺でないそいつは駄目にはならない。
たぶん、そうなる。だってクローンなら、『本物を超えたい』という理由ができるから。
進まない理由を数えていてもきりがない。けれど、現実にはそれしか頭によぎらないものだ。
進めない。いいや、進まない。
俺は進むことを拒んでいる。それが間違いとも思っていない。
終わったことになにを言っても無駄だが、それだけは過去に向かって吐いておいた。
過去を自分で汚すこと。思い出を自分で穢すこと。そこに、まっとうな意思や思考や判断は介在しない。
ただ、どうしようもなくぐちゃぐちゃにした過去を、自分の心のように汚した過去を、こうやって抱え続けていること。
お前の人生はこんな程度のものだとしてしまうことが、なにより心地良い。
だからこそ。
例えば俺がVTuberに対してすごく前向きで、そうなりたいと思っていても。
それでも他人の助けなんて要らないんだろう。きっと最初の提案を断っていたんだろう。
どうしようもない。どうしようもない馬鹿だと思っていても、それでもいい。ただ思った。これは一種の病気だろう。
ふと思った。
例えば、俺がその呪縛から逃れることを夜明けとするのなら。
俺を苛んでいるこれは、明けぬ夜の宿痾だ。
番外編をするとしたら
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過去編
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